ELECTRIC LOCOMOTIVE EF58
EF5889



長い間お疲れさまでした。(;_;)/~~~


Last Update 2023.7.1

国鉄時代の昭和59年、廃車解体予定機として大宮工場に取り込まれた際、つらら切り取付が幸いして全検が施工され同時に茶色に塗り替えられました。その後、他の仲間たちが次々と姿を消す中、JR化後も現存する唯一のつらら切りゴハチとして、ファンからはパックと呼ばれ親しまれてきました。しかし、平成11(1999)年10月4日に遂に大宮工場に廃車回送され現役引退となりました。そしてかつての標準色である青色に塗り替えられ大宮工場内にて保存された後、2007年10月に開業の大宮の鉄道博物館にて再び茶色に塗り替えられ保存展示されています。
ここでは、少ないですが私が鉄復帰後の1994年以降の同機の現役当時の勇姿、静態保存後の姿を紹介したいと思います。画像をクリックすると大きなものが表示されます。

EF5889 記念すべき?私の初茶色パック撮影カット。おそらく尾久と品川の小回送だと思うのですが、この前後のカットが全くないのでどういう経緯で撮影したのか良く分かりません。ただ、確かなのはこれが私が茶色になった89号機と初めての邂逅だったと言うことです。その割にこんなカットしかないところが、ヘタレな私らしいところ。(^^;)
回4541レ(たぶん…)  尾久 1994.8.6
EF5889 首都圏の昼のプレゼント。品川―尾久間の小回送列車で「なごやか」を牽く89号機です。この頃はまだまだ客車のジョイフルトレインや12系、14系なども多くいて、パックやロクイチがこの運用に充当される機会も多くありました。品川駅では停車時間も結構あり、じっくりと対面できました。 よく見ると4位側(この写真の奥側)の昇降手すりの内側の下部が欠損しています。これはいつ頃からなんでしょうね。
回1541レ  品川 1994.8.20
EF5889 同じく回1541レの89号機と「なごやか」です。この1週間前にも同じスジで同じ組み合わせで運転されています。この写真を撮った当時の品川駅は、まだ新幹線ホームやエキュート品川も無く、構内の様子は国鉄時代とほとんど変わっていない印象でした。
真昼の人気のないホームに佇むパックの姿。その飾らない姿がある面、パックらしさを感じさせました。
回1541レ  品川 1994.8.20
EF5889 つらら切りや電暖のジャンパ栓やジャンパ連結器など…無骨なパックの顔つきは、優雅なロクイチとは対照的。 でも、それが何と言っても魅力でした。良く見ると青色の直流標準色時代の塗り分け線が分かります。
回1541レ  品川 1994.8.20
EF5889 品川を発車し、山手貨物線を経由して東大宮操車場めざす89号機と「なごやか」。この場所は国鉄時代からのお気に入りの撮影地でしたが、さすがに今はちょっと撮れないですね。ゴハチは逆光でもひげが光るので結構様になると思うのですが…。
回1541レ  渋谷―原宿 1994.8.20
EF5889 同じく品川―尾久間の小回送。品川を出た列車は一旦東大宮操へ入り、機回しを行い進行方向を変えて尾久へと向かいます。これは東大宮操からの折り返し。
回4540レ  大宮 1994.8.20
EF5889 同じく大宮駅に進入するシナオク回送。
かつては頻繁に運転されたこの品川〜尾久間の小回送も、ジョイフルトレインの世代交代やブルトレ廃止などで客車自体が減少、ついに臨時化されてしまったようです。
回4540レ  大宮 1994.8.20
EF5889 品川〜小田原間で旧形客車4両を使用した「EF58重連 鉄道記念日号」を61号機と牽引。往路は東海道貨物線をロクイチが、復路は本線をパックが重連の先頭に立ちました。小田原城を背後に復路に向けて61号機と重連で機回し中の89号機。点灯中のパックの電暖表示灯が印象的です。
小田原 1994.10.16
EF5889 同じく電暖表示灯を輝かせながら61号機と重連で小田原駅構内を機回し中。光る電暖表示灯はSGのスチームと共にかつての冬の風物詩でしたが、ゴハチに限らず私はこれ以来見たことありません。おそらく今後もその機会は無さそうですから、私にとってはこの時が見納めになるのでしょう…。
小田原 1994.10.16
EF5889 その「レトロトレイン」の返しです。斜光を浴びて、ロクイチと重連で東海道を力走。客車が4両というのがちょっと寂しいですが、東海道本線を行く姿は急客機の貫禄充分でした。
9822レ「EF58重連 鉄道記念日号」  国府津―二宮 1994.10.16
EF5889 成田臨で14系を牽き快走するパック。ほぼ列車の真後ろからしか光が当たっていなかったので、普通に撮っても絵になりそうも無かったので流してみましたが…う〜ん、やはり微妙ですね。
列番不明  下総松崎―安食 1995.1.8
EF5889 上のカットの続きです。この頃は今から考えれば嘘のように動態保存機の活躍が各地で頻繁に見られました。今思えばもっと本腰を入れて撮っておけば…。(;_;)
列番不明  下総松崎―安食 1995.1.8
EF551 EF5889 EF6019 パックの写真というと無理がありますが、夕暮れの神保原〜新町を行くEF551と89号機の重連です。これは「奥利根号」の高崎線内延長運転で熊谷〜高崎間をEF55とパックの重連で運転した時だと思います。これは往路で最後尾には熊谷から高崎への回送を担当するEF6019もぶら下がった豪華な編成です。この運転に際し高崎からの送り込み回送は吹上までパックが先頭でEF55が逆向きで運転されました。このパターンは95年、96年に何度かありロクイチも充当されています。私は結局早朝の回送は行けずじまいでした。その後、「奥利根号」の高崎以南の延長運転は「EL&SL奥利根号」として上野までEL単機牽引で乗り入れる形になりました。
上り「奥利根号」  神保原―新町 1995.7.22
そろそろ帰宅ラッシュが始まる時間、夕闇迫る品川駅12番線で発車を待つ「納涼列車」の89号機。夏冬61号機や89号機が牽引する機会が多かった宴会列車ですが、この日は品川〜浜松町〜磯子〜品川を61号機とのプッシュプルで「江戸」を牽引する豪華版でした。これはロクイチ先頭で浜松町へ向かう前の一コマ。
列番不明  品川 1995.8.3
同じく納涼列車。最後尾には61号機が連結されていますが…分かりませんね。江戸の編成後ろとロクイチはホームの灯りから外れていて暗闇の中。おまけに京浜東北が迫っていて、時間が無くほとんど絞り開放で撮影した為、後方までピンがきていません。(^_^;) パックの運転席や機械室のライトが点いていて雰囲気は良いんですけど…。
列番不明  磯子 1995.8.3
京浜東北が行った後、今度は落ち着いて時間をかけて絞り込んで撮影。でも、やはりロクイチの姿は分かりません。パックの 室内灯も消えてしまい、少々残念な仕上がりに。(-_-;)
列番不明  磯子 1995.8.3
EF5889 JR東日本の恒例イベント、「レトロトレイン」を牽いて上越路を行く89号機を諏訪峡大橋より撮影。茶色の機関車にはやはり茶色の客車がよく似合います。
列番不明  上牧―水上 1995.10.14
橋の反対側から渓谷を行く姿を…。慌てて撮った失敗写真なのですがパックのモニタルーフの銀色塗装が分かるので敢えて載せました。確か平成4年(1992年)3月の全検時にこうなったんだと思います。この部分だけ浮いてしまうので見た目は良くないですが、熱対策だったんでしょうかね?
列番不明  上牧―水上 1995.10.14
EF5889 上の列車の水上からの返しです。ほんの少し色づき始めた木々に見送られ…。ヘッドマークの無い姿がイベント列車らしくなくて良い感じです。 この年、パックはあちこちで大活躍していたように思います。撮影に行けるチャンスはもう少しあったはずなので、今にして思えばやはりもっと行っておけば良かった…。
列番不明  水上―上牧 1995.10.14
EF5889 そのままアップで…。 客車がすっかり隠れてしまい、まるで単機の様です。
列番不明  水上―上牧 1995.10.14
EF5889 成田臨を牽く89号機。14系客車との組み合わせは、国鉄時代を彷彿させます。これが最後の成田臨牽引となったようです。
9844レ 小林―木下 1996.1.7
現役ゴハチ唯一の定期仕業(この当時)、品川―尾久間の小回送を牽く。今日のお供はオシ24と14系座席車6連。
回1541レ  恵比寿―目黒 1996.2.4
同じくシナオク回送を牽いて王子駅を通過する89号機。この頃はまだまだ車体はピカピカでした。チラリと見える200系新幹線、真っ赤に目立つ「三菱銀行」の看板も懐かしい光景になりました。
回4540レ  王子 1996.2.4
EF5889 恒例となった「奥利根号」の高崎以南の延長運転。96年の冬はEF55と重連でパックとロクイチが熊谷〜高崎の牽引を担当しました。ただし、営業列車はすべてEF55が先頭でゴハチは次位。早朝の高崎〜吹上までの回送のみゴハチが先頭に立ちましたが、私は朝が早かったので結局撮影できませんでした。これは高崎で機回し中のお姿。
高崎 1996.2
EF5889 両毛線で「レトロトレイン」を牽引。前年の上越線と同じく旧客が4両と短いのが残念でしたが、今見ればなかなか様になってます。 この頃から誘導踏段の縁の色が白から黒に変わってます。
列番不明  岩舟―大平下 1996.4.29
EF5889 同じく「レトロトレイン」を牽き快走する89号機。ゴハチはサイドビューも実に魅力的です。
列番不明  岩舟―大平下 1996.4.29
EF5889 上の列車の返しです。初夏を思わせる陽気の中、両毛線を行く。上の2月の撮影時には白く塗られていた誘導踏段がこの時には黒くなっています。パックが茶色になって奇跡の復活を遂げた当初はこの部分は黒でしたが1987年中頃から白く塗られていたようです。
列番不明  大平下―岩舟 1996.4.29
EF5889 ズームで引っ張ってもう一枚。この半年後には同じ線路を61号機御召が走ることに…。茶色のパックは茶色の旧客ともベストマッチ。 ただ、欲を言えば引退前にもう一度青い姿で客レを牽く姿を拝みたかったです。
列番不明  大平下―岩舟 1996.4.29
EF5889 夕暮れの神保原〜新町を行くパックとロクイチの重連。
この日、上尾〜石打〜宮原でスーパーエクスプレスレインボーを使用した団臨が運転され、往路の高崎線内が89号機先頭の61号機との重連。高崎〜水上間はプラスEF55の3重連。水上以北は往復ロクイチ単機。復路の水上〜宮原が再び89号機先頭の61号機との重連という豪華な内容でした。これは復路で61号機を従えた姿。日没にぎりぎり間に合うかとこの場で待ちましたが結果はこの通り…。半ば無理やり撮影しましたが、今にして見れば意外と味があるような気も。(^^;)
9744レ  神保原―新町 1996.5.19
EF5889 宮原到着後、機回しを行い今度は61号機が先頭で高崎まで回送です。レインボーの電照マークがパックの凛々しい顔を浮かびあがらせます。
回9749レ  宮原 1996.5.19
EF5889+EF5861 闇に2両の機体が煌めきます。バルブでもパックとロクイチの色の違いは明白ですね。この頃は2両ともも元気いっぱいで、引退などまったく考えられませんでした。JR東ならではの豪華な組み合わせ。
回9749レ  宮原 1996.5.19
EF5889 同じく宮原にて61と重連で高崎への回送を待つひととき。 白熱灯の温かい光に癒されます。
回9749レ  宮原 1996.5.19
EF5889 上の列車の翌日、次位に無動の61号機を従えて高崎からレインボーの回送を牽引する89号機。パック単機牽引と聞いていたのがロクイチも付いてラッキー!と思ったのもつかの間、見事に211系がかぶりました。(T_T)  (大幅にトリミングしてあります)
回9302レ  神保原―新町 1996.5.20
EF5889 平日の昼下がり。品川駅9番線に佇む89号機。
回1541レ  品川 1996.5.30
EF5889 まだまだ艶やかな車体ですが、よく見ると塗装には結構浮きが出ていました。
回1541レ  品川 1996.5.30
EF5889 89号機最大の特徴、前面窓上のつらら切り。このつらら切りが本機をJR化後まで生き長らえさせたと言えます。上の方に同じ1エンドのほぼ同じ構図のカットがありますが、パックだとつい撮りたくなるんですよねぇ。比較すると塗装の荒れ具合や誘導踏段の色の違いが分かります。
回1541レ  品川 1996.5.30
EF5889 新車体のEF58へのつらら切りの取付方法は、大別すると車体に直接付けた物、水切りに継ぎ足したものの2種類ありましたが、本機は後者の方式です。このアングルだと水切りへのつらら切りの取付具合が良く分かります。また、屋根上の汽笛の周囲にはかつて付いていた汽笛カバーの取付ボルトが残っています。
回1541レ  品川 1996.5.30
EF5889 89号機の側面ナンバープレートと切り抜き文字式の日立の銘板です。このタイプの日立銘板の採用ははEF58では昭和28年7月15日落成の61号機が最初で、以後、昭和32年3月6日落成の105号機まで取り付けられました。

回1541レ  品川 1996.5.30
EF5889
テールランプの灯りを残し、単機で品川を後にする89号機。
回1541レ  品川 1996.5.30
EF5889 999 この年は平成9年9月9日を記念して各地で「999号」が運転されました。我らがパックは8月23日と24日の二日間、東京〜沼津〜御殿場線経由〜国府津〜東京という経路で上り方に999号のヘッドマークを付けて走りました。61号機に比べて89号機がヘッドマークを付けて走るのは珍しいですかね。この頃から塗装は色褪せところどころ錆も浮く痛々しい姿になっていました。結局、これが私が最後に見た89号機の自力走行姿となってしまいました。 (:_;)
9634レ  下曽我―上大井 1997.8.23
6348-EF5889 こちらは6348レさんの撮影した同じく「999号」です。
「地元で撮った最初で最後?のものです。反対側のエンドにブルーのHMをつけていたのでkobanekoさんのとられた御殿場線をいく999号の回送だと思います。」(6348レさん)

どうやら回送ではなく、東京から沼津へ向かう姿のようです。
撮影:6348レさん  9303レ  早川 1997.8.23or24
 そして1999年10月4日…
EF5889 廃回 1998年1月に「スーパーエクスプレスレインボー」を牽引後、鳴りを潜めていた89号機ですが、田端運転所で11月に通電試験を行った際に機器を焼損。そのまま運転所屋外に留置されていました。復活に向けたファンの活動も残念ながら実らず遂に廃車になってしまいました。
EF65 1052に牽かれて大宮へ到着する89号機。当日は平日にも関わらず多くのファンが同機を出迎えました。
配8557レ  大宮 1999.10.4
EF5889 廃回 1年近く田端運転所の庫外に留置されていた為、その姿は見る影もないほど色褪せ、随所に錆が浮いていました。(;_;) しかし、車体にはナンバープレートやJR東日本の銘板もそのままで、今後に少しは期待が持てましたが10月8日付けで正式に廃車となってしまいました。
配8557レ  大宮 1999.10.4
EF5889 廃回 大宮工場の入れ換え用DE11 1035にはこの日の為に作られたパックをかたどった「Welcome EF5889 大宮工場 RAILWAY MODEL CLUB」のヘッドマークが取り付けられました。立体的なつらら切りが付いた随分気合いの入ったものでした。
大宮 1999.10.4
EF5889 廃回 お供をしてきたEF65が切り離され、待機していたDE11が連結。パックを牽き出します。
大宮 1999.10.4
EF5889 廃回 DE11に牽かれゆっくりと眼前を通過する89号機。
大宮 1999.10.4
EF5889 廃回 パック最大のセールスポイント、つらら切り。これが本来の役目を果たすことはもう無いのでしょうか。
大宮 1999.10.4
EF5889 廃回 転線して誘導掛をお供にDE11に押されて大宮工場へ向かう89号機。
大宮 1999.10.4
EF5889 廃回 これが茶色姿の見納め…。さよなら茶色のパック。しばしのお別れです。この後、懐かしい青色塗装に塗り替えられ大宮工場内で保存されました。 前にも触れましたが、こちら側(2エンドL側)の昇降手すりの左側の下部(Rになった部分)が欠損しています。
大宮 1999.10.4
EF5889 廃回 エアータンクの全検表記は平成4年(1992年)3月30日 大宮工場。
この段階では茶色姿はこれが最後と思われましたが鉄道博物館に収蔵されるにあたって再びブドウ色に…。個人的には青色のまま展示して欲しかったです。
大宮 1999.10.4
 大宮工場保存時代
EF5889 大宮工場収蔵後、ゴハチ晩年世代にとっては嬉しい青色の直流標準色に塗り直され2007年10月の鉄道博物館開業まで同工場で保存され、工場公開時に何度か展示されました。誘導踏段の縁は白色に塗られています。
これは2001年に61号機と共に展示された時の様子です。架線の無い場所なのでちょっと違和感はありますがパン上げ状態が嬉しいですね。直流標準色になり茶色の特別だった存在から普通のゴハチに戻った89号機。個人的にはこの姿が一番しっくり来ます。この姿で本線を走るところをもう一度見たかった…。筆文字の「宇」の区名札も懐かしいです。
大宮工場 2001.5.12
EF5889 青い車体に青い「はくつる」のヘッドマークがよく似合います。実際に同機は東京区時代に「はくつる」の牽引もしています。
「はくつる」は昭和39年(1964年)10月に東北初のブルートレインとして誕生。最初の1年は東京区のEF58が、翌年10月から昭和43年(1968年)10月改正で「はくつる」が583系化されるまでは宇都宮のEF58が牽引を担当しました。ちなみに89号機はその頃東京区に配置されていました。また、年末年始など宇都宮区に頻繁に貸出されていたので、昭和40年以降も機会はあったかも知れません。尚、EF58の新標準色への塗り替えは昭和39年からなので、その頃の89号機は茶色、青色どちらの姿も可能性がありますね。(ネット上で茶色の89号機が「はくつる」を牽く姿は確認できます。)
大宮工場 2001.5.12
EF5889 89号機正面。青いゴハチ、やはり良いですね〜。ちなみに「はくつる」牽引のEF58は雑誌等で茶色、ブルトレ塗装、青色と様々な塗装が確認できますが、この青色の直流標準色が一番似合う気がします。
トップライトでつらら切りの影が大きく前面窓に落ちていますが、改めてゴハチのつらら切りの巨大さを実感します。と同時に本来のつらら切りとしての機能に加えて「庇」としての効果も大きかった事が想像されます。
大宮工場 2001.5.12
EF5889 反対の2エンド側はマーク無しのスッキリした姿で展示されていました。青色の直流標準色姿が凛々しいです。この塗装、風邪ひきマスクと揶揄される事もありますが、これこそEF58が旧形電機のなかで唯一新形電機(今となっては旧形の60系列電機)と肩を並べた特別な存在だった証と言えます。子供の頃、それだけでEF58スゲーっと思ってました。
大宮工場 2001.5.12
EF5889 この日は3月末にお召を牽いたばかりのピカピカの61号機も展示されましたがパン下げのうえ、89号機とは場所が離れておりちょっと残念でした。 思いっきり逆光ですが61号機とのツーショットを何とか撮影。また、いつかこんな並びを見てみたいものです。
大宮工場 2001.5.12
hokkyoku-20060527 恒例の大宮工場公開時の姿。後ろには大船工場で保存されていたナハネフ22が鉄道博物館収蔵を前に一緒に展示されました。翌年には共に鉄道博物館への移動が決定しており、屋外展示最後の機会となったと思われます。しかし、残念ながら当日は朝から小雨模様、その上パンタも上がっておらず少々残念な内容となってしまいました。
撮影:北極ぐま閣下さん  大宮工場 2006.5.27
 鉄道博物館
EF5889 鉄道博物館の車両ステーション内に茶色になって展示されているパック。こちらが1エンド側です。架線が張ってあるのが生きた感じがして良いですね。ロクイチ収蔵に伴って恥ずかしながら今回が初めての訪問となりました。申し訳なかったです89号機。2007年10月の同館開館から15年経過していますが、屋内で手厚く管理されているだけに状態はその当時とほとんど変わっていない様に見受けられます。 こちら側の運転室のライトはうっすら点灯しています。
鉄道博物館  2022.11.9
EF5889 久しぶりの茶色のパック。余計なヘッドマーク等が無いのが良いですね。 以前の茶色塗装時には前面に青色時代の警戒色の塗り分け跡がそのまま残っていましたが、てっぱく収蔵時に三度茶色に塗りなおされた際に綺麗に修正された様です。誘導踏段は白のままですね。 個人的にはやはり青色の直流標準色姿を見てみたいと思ってしまいます。
鉄道博物館  2022.10.31
EF5889 パックがこうして現在まで生き残った最大の理由と言えるつらら切り。 元からある水切りに継ぎ足す形で取り付けられています。こうして見るとゴハチのつらら切りはやはり大きいですね。見た目のイメージはつらら切りと言うより確かに庇と言った方がしっくりきます。
鉄道博物館  2022.11.9
EF5889 点灯したキャブライトが現役機ぽいですね。パックの飾らないこの普段着姿が渋いです。これで青色なら・・・。こうして89号機を見ていると、現役時代から思ってましたが61号機はゴハチと言うよりもロクイチと言う別の機関車だと感じます。
鉄道博物館  2022.11.9
EF5889 R側の側面ナンバープレートと製造銘板です。ロクイチは前面の切り抜きナンバーや銘板を外して車体を塗装しているのに対し、普通のゴハチである本機は取り付けたまま塗装されています。
鉄道博物館  2022.10.31
EF5889 こちらは2エンド側です。普通のゴハチのパックがこうして現在まで生き残った最大の理由と言えるつらら切り。 こうして見るとやはり大きいですね。見た目のイメージはつらら切りと言うより確かに庇と言った方がしっくりきます。こちらは2エンド側です。
鉄道博物館  2022.10.31
EF5889 戦前の輸入電機ED171と。ED17は元は旅客用のED50です。パックとは直接は縁も縁もありませんが共に東海道線で活躍した時代があります。ED17のキャブライトが良い感じです。できればロクイチも点灯して欲しいものですね。
それにしても同館に収蔵されている車両の美しさを見ると、荒廃した横川の車両達との差が気になります。やはり鉄道車両の保存は最低限屋根が無いと厳しいと感じざるを得ません。
鉄道博物館  2022.10.31
EF5889
HP開設25周年を記念したオフ会?にて約8か月ぶりに会ってきました。丁度この日からイベントで鉄道写真家・南正時さんのブルトレがらみの写真展が開催されていて、それに合わせて車両ステーション内の機関車に各種ブルトレのヘッドマークが取り付けられ、ナハネフ22のバックサインと側面のサボが「あさかぜ」から「富士」に交換されていました。89号機にも実際にはゴハチによる牽引は無かった「富士」のヘッドマークが取り付けられていました。
鉄道博物館  2023.6.24
EF5889
その「富士」のヘッドマークを掲げた姿です。丸富士マークがなかなか似合っています。
鉄道博物館  2023.6.24
EF5889
正面から。89号機のつらら切りは東京区時代に高崎二区に貸し出された際に取り付けられたものなので、左奥に見える上越特急「とき」用に製造されたクハ181-45とは少なからぬ縁があると言えます。
鉄道博物館  2023.6.24
EF5889
89号機のL側のナンバープレートと製造銘板。ナンバープレートの文字と枠は何とも不思議な色合いで塗られています。日立の文字は白ですね。ところでこのL側はホームを見立てた柵の無い通路になっていて、車体をじっくり観察するのに良い構造です。しかし、それが仇となるのかナンバープレートと銘板の間にはかなり長い傷が見られます。故意では無いとは思いますが狭い通路が込み合うとカバンなどが当たってこうなるのかも知れません。
鉄道博物館  2023.6.24
EF5889
よく見ればそれほど深い傷では無いものの無数の引っかき傷が入っています。気軽に接せられるのはありがたい事ではありますが、京都鉄道博物館のトワイライト車両同様、保存車両の展示の難しい面でしょうね。車輛の保存を中心に考えるとやはり一定距離で近づけない様にするなどの対策が必要かも知れません。
鉄道博物館  2023.6.24
EF5889
1エンド側を通路側から見たところです。この姿も良いですが、「富士」のヘッドマークと青色の直流標準色の組み合わせを見てみたいところです。
鉄道博物館  2023.6.24

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