ELECTRIC LOCOMOTIVE EF58  Vol.1
EF58 1〜10

Last Update 2024.5.1

このページではEF58形各機の紹介をしたいと思います。
データで不明な点も多々ありますが、手元に資料がないのと元来いい加減な性格故、残っていないものが大多数。どうかお許しください…。もし、間違いなどを見つけましたら、ご連絡下さい。 m(_ _)m

※参考文献

  • 交友社刊「EF58ものがたり 上下」
  • 交友社刊「鉄道ファン」1975年10月号
  • 交友社刊「電気機関車展望1」
  • 交友社刊「100年の国鉄車両1」
  • 鉄道図書刊行会刊「日本電気機関車集成 下」(6348レ様、ご協力感謝致します。)
  • 鉄道図書刊行会刊「お召列車百年」
  • 誠文堂新光社刊「新版 電気機関車ガイドブック直流機編」
  • 誠文堂新光社刊「新版 電気機関車ガイドブック直流機・交流機 補講」
  • 誠文堂新光社刊「電気機関車ガイドブック」
  • 誠文堂新光社刊「機関車ガイドブック」 ・プレスアイゼンバーン「EF58」
  • プレスアイゼンバーン「視録 国鉄電気機関車2」
  • SHIN企画刊「資料 旧型電機の下まわり」
  • 企画室ネコ「華麗なる特急電機 EF58」
  • データ協力:いっちゃんさん(いっちゃん's ほぅむぺぃぢ

Index EF58 1 EF58 2 EF58 3 EF58 4 EF58 5 EF58 6 EF58 7 EF58 8 EF58 9 EF5810

 旧EF58からの改装機(1〜31号機) その1

第二次世界大戦の終戦後の輸送力不足を補うために、戦後初の電気機関車として貨物用のEF15と共に設計されたデッキ付きEF58は昭和21年10月に最初の21号機が落成。昭和23年の31号機まで計31両が製造されました。その後、戦後の占領軍によるドッジラインにより製造が中断、昭和27年には車体を新設計とした新EF58の登場となりました。それに合わせて昭和28年よりこの旧EF58の車体をデッキの無い新車体へ乗せ換える工事が行われ、昭和32年には全機が新EF58として生まれ変わりました。(旧車体は丁度同数だった戦時設計で凸型車体だったEF13に振り替えられたのは有名な話です。)
このグループは、7号機を除いて全機が新EF58が装備する可動式雪かき器の取付座を持たず、前から見ると先輪がむき出しでした。その他の特徴として、車体改装時の形態が側昇降手すりの長短、大窓→小窓、前燈のランプケースの大小、モニタ窓のパテ式からHゴム支持など、車体乗せ換え期間の4年間の新EF58の様々な形態の変化がそのまま反映されていて、登場時から実にバラエティに富んだ外観でした。その中でも外観上特に大きな変化が昭和29年10月〜昭和30年3月にかけての前面窓の大窓から小窓への仕様変更でしょう。

※印…主な特徴です。画像をクリックすると大きなものが表示されます。

 EF58 1〔浜松〕  旧車体振替先:EF13 23

EF581
昭和30年に改装されたトップナンバー。改装機の第6グループで、新製車の第5次型に準じたスタイルで登場しています。形態的には浜松区の他のナンバーと同じように、様々な改造を受けていますが、改装機の特徴である旧車体名残の可動式雪かき器取付座の無いすっきりとした前面足周りと更新改造を受けた部分のアンマッチが印象的でした。なお、更新改造機は機関士側ワイパーをWP50型に交換した際、窓上の水切りの位置も上昇しています。ちなみに助士側はWP35です。なお、同機の車体は東芝製ですが、先台車の先輪覆いは元の日立製の一体型のままでした。こちらは1エンド側。

※可動雪かき器取付座なし 改装時小窓 更新改造
荷34レ  瀬野 1979.8.15
製造年月日:S22.3.9
製造:日立製作所
改装年月日:S30.1.4
改装:東京芝浦電気
廃車:S59.1.12〔浜松〕
EF581 出雲 紀伊 荷物列車主体の地味な運用が多かった浜松区の運用のハイライトは「出雲2号・紀伊」の牽引でした。6+8の14両編成。今改めて見ると結構な長編成ですが、その走りっぷりはさすが急客機の面目躍如と言った感じで実に颯爽としていました。
2004レ「出雲2号・紀伊」  大森―大井町 1980.9.24

EF581 出雲 紀伊 同じく「出雲2号・紀伊」のこれは東京から品川客車区への回送です。なお、この1号機をはじめ改装機(7号機を除く)は、可動式雪かき器取付座が無いため、通常そこに付けられる誘導踏み段は前端バリ側面に取り付けられています。この日はこの後の「銀河」が53号機と言う事もあって、学校サボってます。あ〜時効時効。(^_^;)
回2004レ「出雲2号・紀伊」  田町 1980.9.24
EF581 荷物列車を牽き朝の東海道を下る1号機。1号機とは結構相性が良く、狙ってないときに来ることもしばしば…。この他にも2回ほど撮影してます。その割にまともな写真が無いですが…。(^^;)
荷31レ  大井町―大森 1979.5.4
EF581 西日を浴びて沼津駅に停車中の1号機。浜松区のゴハチの荷レ運用は下関までのロングラン。全路程からすればここ沼津はまだまだ序の口です。後ろに続く荷物車もこの頃はまだ旧形が多いですね。
荷35レ  沼津 1979.9.27
EF581 せっかくの1号機なのにこんな写真で何ですが、当時はほとんど行き当たりばったりで撮影していたもので…。この日は元々御殿場線のスカ色72形を撮りに行ったついででした。そーゆー時に限って来るんですよねぇ。(^^;)
荷35レ 沼津 1979.9.27
EF581 午後の荷物列車仕業に備えて品川駅構内で待機する1号機。トップナンバーに出会うとつい嬉しくて、取りあえず撮影しちゃうのです。結果的にこんな写真ばかりが残ってます。後方に見える品川客車区も居並ぶブルトレ群も今では懐かしい情景の一つになってしまいました。
品川 1980.1
Tc153-501-EF581 「1号機はおなじみの試6962レです。この頃の1・5・60号機は共にえらく汚れており、この1号機など飾り帯の側面部分は完全に錆びています。」(Tc153−501さん)
撮影:Tc153−501さん  試6962レ 小田原 1983頃
H-yamaguchi-ef581 京王帝都6000系甲種回送を牽引する1号機。かつてはこうした回送もゴハチの得意分野でした。
撮影:山口裕志さん  大船 1981.9.28
H-yamaguchi-ef581b 大阪駅での米原と浜松のEF58の並びです。栄光のトップナンバーと米原独自のワイパーカバーの112号機。
撮影:山口裕志さん  左112号機:荷39レ 右1号機:回5241レ  大阪 1981.3.28
ef5852-ef581 昭和22年製の同機がゴハチ晩年まで生きながらえたのは、車体載せ替えと更新改造に依るところが大きかったのでしょう。形態はアレでしたが昭和58年頃までトップナンバーの活躍を見ることができたのは、ファンにとっては幸いだったかもしれません。
撮影:EF5852さん    焼津―藤枝 1982.2.9
新鶴見機関区構内に憩う1号機。自慢のヒゲに錆が目立ちます。これはお召し機と異なり一般機の飾り帯は普通鋼にメッキの為。浜松のカマは錆びているのが多かったような…。(^^;)
撮影:jm1xsjさん    新鶴見機関区庫6番線  1980年6月〜8月
bin-ef581 スチームを漂わせ横浜駅に停車中の1号機。 ゴハチから漂うSGのスチームは冬の風物詩でしたね。現在の感覚からしたら何で電機に水と釜を乗せてまで蒸気暖房を行なわなければならないのか理解に苦しむかも知れません。当時は客車の暖房は蒸気が基本だったのです。
撮影:BINさん    荷31レ  横浜 1977.11.12
bin-ef581 1号機のL側のナンバープレートです。
撮影:BINさん    荷31レ  横浜 1977.11.12
sugi-ef581 東京機関区にてお昼寝中の栄光のトップナンバー。とは言え流線形の新EF58の実質的なトップナンバーは35号機と言う事もあって、本機についてはファンからも軽視されがちな気がします。更新改造されていたのも一因とは思いますが、最後まで原形小窓スタイルだったら本機の運命も違っていたのでしょうか? こちらは1エンド側です。
「トップナンバーは何であれ、会えるとうれしいものです。この日はDD13のトップナンバーもここでキャッチできました。これで、パンタが上がっていれば文句無いのですが。」(針葉樹林鉄道研究会の杉さん)
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん   東京機関区 1976.8.6.
sugi-ef581 同じく東京機関区でお休み中の同機の2エンド側正面。正面から見ると水切りの取付位置が左右でずれているのが確認できます。 更新改造時に機関士側ワイパーのみグリップエンドが大きいWP50に交換しているので、その為と思われます。上写真の1エンド側は同じくらいに見えますがどうなんでしょう?斜めから見てもなかなか判別はできませんね。こういった例は前面窓のHゴム改造機では結構多いのかもしれません。更新改造後ですが左側標識燈掛の下に「つばめ・はと」牽引時代の列車電話用連結栓が確認できます。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん   東京機関区 1976.8.6.
 EF58 2〔浜松〕  旧車体振替先:EF13 24
ishida-EF582 C11204さん撮影の2号機牽引「紀伊・いなば」の美しい写真。同機は1号機と同じく改装機の第6グループで、新製車の第5次型に準じたスタイルで登場しています。同機の前面ナンバーは同じ日立製作所の改装機である9号機(同じく改装第6グループ)と同様、右に一文字ずれた物でした。ちなみに「いなば」は現在の「出雲3号・2号」…じゃなくて「サンライズ出雲」で、この頃は写真の左から2両目の様に座席車を連結することもありました。この区間での同列車の走行写真自体も珍しいのではと思います。
撮影:C11204さん  2004レ「いなば・紀伊」  早川―根府川 1977
製造年月日:S22.4.16
製造:日立製作所
改装年月日:S30.1.13
改装:日立製作所
廃車:S55.2.29〔浜松〕 
6348-EF582 こちらは6348レさん撮影の2号機のサイドビュー。同機は改装時から小窓(もちろんパテ式)仕様で登場しています。
撮影:6348レさん  早川 1977(?)
ef5853-EF582 EF5853さん撮影の2号機。正面よりのアングルでナンバーずれが良く分かります。

※可動雪かき器取付座なし 改装時小窓 前面ナンバー変形
撮影:EF5853さん  荷2032レ  大阪 1979.3.28
Mr.slim-EF582 原形小窓時代の同機です。良く見ると避雷器もLA12です。
撮影:Mr.スリムさんMr.スリムの道楽部屋  上り荷物列車 浜松 1974年頃
ohno-ef582 「瀬野にEF59を撮りに行ったときのものです。寒い中テクテクと瀬野から八本松まで歩いたことを思い出します。貨物列車・荷物列車も多く、しかも補機にEF59と良い時代でした。当時蒸気時代を引きずってる先輩達のなかには、夜行12連泊で壊血病になった人とか、銀箱にマヨネーズやソースが入っていて撮影地で雪を食っていたつわもの?もいました。(自分は寝袋持って駅泊位がいいところで、そこまでなりきれませんでしたが・・・・・)今でもいるんですかねえ・・・つわもの」(ohnoさん)
今でもいると思います。でも、昔に比べて車移動が主体となったりコンビニが全国に普及してるのでかなり楽にはなっていると思いますが…。
撮影:ohnoさん  荷34レ(補機EF59 7)  瀬野―八本松 1977.12.27
blackcat-ef582 安全弁よりスチーム全開の原形小窓時代の2号機です。よぉ〜く見ると給水中のようですね。 スカート部分の標識燈掛けの下に、「つばめ」「はと」牽引時代の列車無線連結栓が確認できます。
撮影:blackcatさん  岡山 1975.3.9
bin-ef582 夕陽を浴びながら荷物列車を牽き新鶴見操車場を通過。こちらは1エンド側です。機関士側のWP50と助士席側のWP35でワイパーの大きさが随分と異なっています。
撮影:BINさん  荷38レ  品川―鶴見 1977.2.13
bin-ef582 東海道貨物線を単機で行く2号機でこちらは2エンドです。これから荷物列車牽引に向かうところでしょうか。光の加減で前面窓周りの塗装の荒れ具合が際立っていますが、そんなところから過酷な浜松機の運用が想像されます。
撮影:BINさん  単979レ  品川―鶴見 1979.2.4
bin-ef582 同じく単979レでこちらも同じく2エンドです。屋根上にSGのスチームを漂わせた、冬のゴハチらしい姿です。上の写真から1週間後なので助士席側のWP35ワイパーの位置が異なるくらいで流石に形態に変化はありません。そのWP35も取付位置が悪いのかブレード部分の斜め具合はとても平行腕とは思えませんね。
撮影:BINさん  単979レ  品川―鶴見 1979.2.11
117KM-EF582
原形小窓、原形ワイパー時代の美しい姿でこちらは1エンド側です。機関士側のKW3Dのみ銀色?なのが少々アンバランスです。同氏に以前お送り頂いた119号機と同じく、区名札が「浜」と「松」と2枚挿さっているのが面白いです。
「おそらく6102レ 銀河52号と思われます。73年8月11日の撮影ですが、この頃銀河52号は浜松が受け持っていたように記憶しています。」(117KMさん)
撮影:117KMさん  6102レ「銀河52号」  三島―函南 1973.8.11
 EF58 3〔浜松〕  旧車体振替先:EF13 31
EF583 浜松区のゴハチは汐留―下関間の荷物列車の牽引という地味ながらハードな運用をこなしていました。様々な改造はされていたものの、旧車体からの改装車など若番が多く配置されていたのも特徴でした。なお、東京区、宇都宮(転)区、高崎第二区、長岡区に配置されたものを除き、ほとんどのEF58の側フィルタは、新型電機と同様のビニロックフィルタ化が施されていました。
名古屋 1979.8.16
製造年月日:S22.5.15
製造:日立製作所
改装年月日:S32.1.8
改装:日立製作所
廃車:S55.1.17〔浜松〕
EF583 同機のワイパーは機関助士側WP35、機関士側WP50に換装されてます。同機は改装機の最終第10グループで、新製車の第7次型の112・113号機に準じたスタイルで登場しています。

※可動雪かき器取付座なし 改装時小窓
名古屋 1979.8.16
ef5853-EF583 EF5853さん撮影の瀬の八を行く3号機。
撮影:EF5853さん  荷30レ  瀬野―八本松 1978.3.16
ohno-ef583 「荷33レは昼下がりの1時頃横浜に下ってきました。何の変哲もない浜松区の運用でしたが、運がいいと直前に臨8111レがやってくるので、楽しみにしていました。」(ohnoさん)
撮影:ohnoさん  荷33レ  保土ヶ谷―戸塚 1977.2.13
H-yamaguchi-ef583 剥き出しの先輪を除けば、すっかり標準的な浜松スタイルの3号機。1号機や5号機などのようにファンから騒がれることもなく、ひっそりと消えていったように思います。
撮影:山口裕志さん  荷2030レ  大阪 1979.8.2
nakagawa-ef583 午後の品川駅構内はこれから出発する下り荷物列車群の牽引機やブルトレ編成の入れ換えが出入りして活気がありましたね。このホースダラリの姿はこれから列車に連結するところだからでしょうか?
撮影:中川さん  品川 撮影年月日不明
c11204-ef583b 原形小窓時代の3号機が牽引する東海道最後の長距離急行「桜島・高千穂」。機関車次位のナハフ11を初め、10系座席車の姿が散見されます。
撮影:C11204さん  1101レ「桜島・高千穂」  根府川―真鶴 1974.11.23
c11204-ef583 東京発着最後のゴハチ牽引定期特急となった「出雲3・2号・紀伊」を牽く。上の写真と比べると前面窓のHゴム支持化と機関士側ワイパーのWP50化によって、水切りが幅広になり取付位置が上昇しているのが分かります。
撮影:C11204さん  2004レ「出雲2号・紀伊」  早川―根府川 1979.7.24
EF583 山陽本線の複々線区間を行く原形小窓時代の3号機。ワイパーも原形のKW3Dです。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん   上り荷レ  摂津本山―芦屋 1974.12.22.
EF583 サイド気味のアングルがゴハチの長い車体を強調していますね。 側面のビニロックフィルタのヒダの段数がこのR側のみ変則になっていて、両端は左から17、19、19、17段で中央寄り2か所は17、18、18、17段になています。このビニロックフィルタのヒダ部分、どれも同じかと思いきや号機によって微妙に段数が異なっています。
「しっかり雨ですが、若番機はキャッチできるとうれしいものです。この時の名古屋駅には80系電車がまだまだ健在で、何枚も撮影しています。」(針葉樹林鉄道研究会の杉さん)
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん   名古屋 1979.7.11
bin-ef583 荷38レを牽き新鶴見操車場付近を行く。前端バリのSG管の蓋が確認できます。
撮影:BINさん  荷38レ  品川―鶴見 1976.8.29
 EF58 4〔浜松〕  旧車体振替先:EF13 1
EF581 前灯のシールドビーム化2両目の試験機で昭和50年4月に大宮工場で施行されました。ちなみに1両目は1灯式の158号機で、試験の結果、ご存知の通りこの4号機の2灯式が採用されました。(見た目は無惨…ですが。)本機は改装機の第6グループで新製車の第5次型に準じたスタイルで登場していますが、有名な淡緑3号と緑2号のツートンカラーにクリーム色2号の帯という試験塗色(その後の青大将塗装のもと)で登場しておりこれも何かの縁でしょうか。(試験塗装について)1号機と同じく同機の先輪覆いは日立製初期の一体型です。こちらは2エンド側。

※可動雪かき器取付座なし 改装時小窓 更新改造 RSB2灯
品川 1977.3.26
製造年月日:S22.6.16
製造:日立製作所
改装年月日:S30.3.24
改装:東京芝浦電気
廃車:S55.9.3〔浜松〕
slim-EF584 こちらはMr.スリムさん撮影の原形小窓&原形ライト時代の美しい姿です。
「当時の東海道本線は新幹線の影響で昼間の特急・急行は皆無でしたが唯一、この「高千穂・桜島」が客車列車で残っていてEF58が引いていました。学生だった私は自転車で30分かけて駅まで行き、撮影したのを思い出します。」(Mr.スリムさん)
撮影:Mr.スリムさんMr.スリムの道楽部屋  1101レ「高千穂・桜島」 浜松駅 1974年頃
waki33-EF584 「区名札に【浜】と書いてありましたが、どこの機関区か、わかりませんでした。後日、浜松区である事を知り、そんな遠い所から来るんか?と思ったものです。」(ワキ33さん)

撮影:ワキ33さん  大阪 1974.3.26
ohno-ef584 この4号機の2灯式シールドビーム姿を見たとき、他のゴハチもみんなこの姿になってしまうかと思いましたが、最終的にはそれほど普及?はしませんでしたね。
撮影:ohnoさん  荷33レ  横浜 1977.3.26
c11204-ef584 急行荷物列車の先頭に立つシールドビーム2燈の4号機。こちらは1エンド側です。バルブ撮影だとブタ鼻もあまり気になりませんね。
撮影:C11204さん    小田原 1979.7.10
sugi-EF584 シールドビーム2灯化改造から1年後の姿でこちらは1エンド側です。2灯化改造部分がライトケース先端のハチマキ状の所から全体が銀色?に塗られているのが目立ちます。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  荷40レ  住吉―摂津本山 1976.4.29
bin-ef584 荷33レを牽き平塚駅を通過するシーンでこちらは2エンド側。上とは異なり 2灯化部分のみ銀色になっています。機関車次位には珍しく電気機関車性能試験車マヤ10を繋いでいますが、パンタは上がっていないので回送でしょう。
撮影:BINさん  荷33レ  平塚 1977.11.22
 EF58 5〔浜松〕  旧車体振替先:EF13 5
EF585 先台車に日立独自の一体鋳鋼製のものをつけた5号機。この一体鋳綱製先台車は日立で製造された独自のもので、この5号機のほか、28、29、30、45号の各機に装備されていました。(形式は標準型と同じLT221)

※可動雪かき器取付座なし 改装時小窓 一体鋳綱製先台車
荷33レ  早川―根府川 1980.8
製造年月日:S22.7.17
製造:日立製作所
改装年月日:S32.2.2
改装:日立製作所
廃車:S59.1.6〔浜松〕
EF58 5 「出雲2号・紀伊」を牽き東京に到着後、今は無き東京駅11番線で機回し中。なお、本機が旧EF58からの最後の改装機です。ワイパーは浜松区の標準とも言える機関士側(右)WP50、助士側WP35に換装されています。 こちらは2エンド側。
東京 1980.9
EF58 5 同じく機回し中の姿。こちらは1エンド側です。側開戸の下部に開閉用の取っ手が増設されているのが分かります。WP50とWP35の取り付け位置の違いにも注目。

東京 1980.9
EF58 5 5号機の側面ナンバープレート付近。

回2004レ  東京 1980.9
EF58 5 「出雲2号・紀伊」の東京駅からの回送です。この頃は東京駅から品川客車区への回送は牽引してきたカマが牽いていました。同機は改装機の最終第10グループで、新製車の第7次型の112・113号機に準じたスタイルで登場しています。
回2004レ「出雲2号・紀伊」  田町 1980.9
EF585 14系座席車12連の臨時特急「金星」の先頭に立ち大阪駅に到着。ちなみに西鹿児島発は前日の17時14分で大阪着が8時43分。終点名古屋は11時46分着とまだ3時間あります。
8030レ「金星52号」  大阪 1979.8.16
EF585 一体鋳綱製先台車のアップでこちらは2エンド側です。保守の簡易化を目的として製作されましたが、実際には開口部が少なく点検がやりにくかった事から本格的な採用には至りませんでした。
8030レ「金星52号」  大阪 1979.8.16
EF585 大阪駅を発車する臨時「金星」。14系にはしっかり「金星」のサボが挿さっています。終点の名古屋はまだまだ先です。それにしても14系座席車の簡易リクライニングシートで一晩を明かすのはさぞしんどかったかと…。
8030レ「金星52号」  大阪 1979.8.16
朝日を浴びて「出雲2号・紀伊」を牽き、一路東京を目指す5号機。
2004レ「出雲2号・紀伊」  大井町―大森 1979.5.4
EF585 根府川駅を通過して根府川の橋梁へ向かう5号機。根府川のお立ち台いで撮影した物ですが、いかにも「あー来ちゃった!」な写真ですね。(^_^;)
コダックのエクタクロームでの撮影ですがコダクロームやエクタクロームなどの今は無きコダックのポジフィルム独特の青色の渋い発色は、当時の雑誌のカラーページなどで刷り込まれた事もあって個人的にはとてもしっくりきます。
荷31レ  根府川―早川 1980.2.10
toshi-EF585 こちらはとしさん撮影の5号機と125号機の並びです。

撮影:としさん  荷34レ 京都 1981.3.22
Tc153-501-EF585 夕陽を浴びて東海道を西下する5号機。雪かき器取り付け座が無い上に一体鋳鋼製先台車の為、先輪がむき出しになっているのが良く分かります。

撮影:Tc153−501さん  荷35レ 辻堂―茅ヶ崎 1983年秋頃?
H-yamaguchi-ef585 東京貨物ターミナルを発車し、一路西を目指して旅立つ5号機。
撮影:山口裕志さん  荷31レ  東京貨物ターミナル付近 1981.3.20
inayuki-ef585 浜松区の生え抜き、5号機牽引の「ミステリー429号」。詳細は不明ですが、昭和58年の運転でしょうか?
撮影:急行伊奈ゆきさん  撮影地不明 1983.4.29?
「鋳鋼製先台車は保守の手間がかかるとの理由から現場では歓迎されなかったと聞いたことがあります。 そのためか宮原区の45号機は晩年は一般先台車に交換されましたが浜松区の5号機は最後まで鋳鋼製先台車を履いていました。」 (EF5852さん)
5号機も懐かしいですが、手前の木製ポールも何とも良い感じです。天下の東海道でも1980年代初めはまだまだ木製ポールが散見されました。
撮影:EF5852さん  荷 レ  藤枝―島田  1983.3
sugi-EF585 原形小窓時代の同機です。水切りの取付ボルトが確認できます。ワイパーは機関士側のみWP50に交換されています。
「中学3年生の夏休み。米原機関区での撮影を終え、梅小路蒸気機関車館へ向かう下り快速列車の車窓からすれ違いで撮影しました。場所は米原〜野洲のどこか(前方に見えるのは野洲駅?)です。」(針葉樹林鉄道研究会の杉さん)
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん   荷40レ  篠原―野洲? 1975.7.25
sugi-EF585 青、茶、銀の色とりどりの編成が楽しいですね。機関車次位の青いマニはマニ37でしょうか。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん   荷2032レ  住吉―摂津本山 1979.11.2
shin-san-EF585 本機の最大の特徴たる一体鋳鋼製先台車のアップです。この写真だけではどちらのエンド側の物か分かりませんが、私が撮った同じアングルの2エンドR側の写真とは鋳鋼部の左軸箱上部の小さな4つの穴の位置など細部が異なる事から1エンドL側だと思われます。
撮影:床屋のシンサンさん   宮原操車場 1980年頃
117KM-EF585
原形小窓時代の美しい姿でこちらは1エンド側です。右の機関士側ワイパーのみ大形のWP50に交換されているのが目立ちます。下から見上げたアングルで日立製らしい角ばったオデコの具合が強調されます。
「117.1km付近です。おそらく1975年初夏ごろかと思いますが、確かではありません。」(117KMさん)
撮影:117KMさん  下り単機回送  函南―三島 1975年初夏?
 EF58 6〔広島〕  旧車体振替先:EF13 12
6348-EF586 原形小窓に原形ワイパー姿も美しい6号機。同機は改装機の第9グループで、新製車の第6・第7次型のPS14パンタ装備車に準じたスタイルで登場しています。この写真の段階では避雷器のLA15にカバーが付けられてませんが、おそらく廃車時まで未取り付けだったと思われます。
 
※可動雪かき器取付座なし 原形小窓 原形ワイパー
撮影:6348レさん  瀬野―八本松 1978.8
製造年月日:S23.1.31
製造:東芝車輌
改装年月日:S31.12.30
改装:東京芝浦電気
廃車:S54.9.28〔広島〕
ohno-ef586 原形小窓に原形ワイパーの精悍な顔立ちに、先輪むき出しの足回りがいい味を出してます。安全弁から吹き上がるSGも印象的ですね。

撮影:ohnoさん  荷1032レ  糸崎 1977.12.28
ohno-ef586b EF614(荷31レ)と並ぶ6号機。ゴハチの後継として登場したEF61もEF58よりも先に鬼籍入りしてしまいました。こうして見ると、60系電機がEF58の意匠を引き継いだものであることが感じられます。
この写真についてゴハチ信者さんから以下の解説を頂きました。
「この作品は大阪駅11番ホーム新大阪方で撮られたものなので早朝の荷38レです。従いまして6号は上り「明星4号」です。 決め手は左端に写っている建物です。これは上り列車用9・10番ホームの新大阪方先端に隣接して建っているものです。下りホームの塚本方先端にはこの様なものはありません。」

撮影:ohnoさん  26レ「明星4号」  大阪 1979.2.23
ef5831-ef586 荷32レの先頭に立つ6号機。ピカピカの車体が眩しいです。剥き出しの先輪と原形小窓に原形ワイパー、カバーの無い避雷器が美しいですね。

撮影:EF5831さん  荷32レ  下関 1977.2
ef5831-ef586 一体ひさしやPS22パンタなどアクの強い広島機の中では、原形小窓、原形ワイパーにも関わらず、同機は意外と目立たない存在だったのでは…。避雷器のLA15のカバーは両エンド共に未取り付けです。

撮影:EF5831さん  下関  1977.7
sugi-EF586 「彗星」のマーク姿も凛々しい6号機。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん   46レ「彗星4号」  摂津本山―芦屋 1975.2.11
 EF58 7〔広島〕  旧車体振替先:EF13 22
ef5853-EF587 旧EF58からの改装機の中で唯一可動式雪かき器の取付座を装備した7号機。パンタがPS22Bに換装されていますが大窓につらら切りの美しい姿です。同機は改装機の第5グループで、新製車の第4次形に準じたスタイルで登場しています。つらら切りは高崎第二区に配置された当時に取り付けられました。その際、雪かき器を装備するために可動式雪かき器も装備されたと思われます。それにしても、広島区には比較的晩年まで原形大窓や原形小窓の若番が多く残っていたことが分かります。
撮影:EF5853さん  26レ「明星4号」  大阪 1979.3.29
製造年月日:S23.2.29
製造:東芝車輌
改装年月日:S29.10.6
改装:東京芝浦電気
廃車:S54.8.8〔広島〕
原形大窓につらら切り、PS22B姿がスマートです。
「朝7:15ころ下っていく創臨の回送です。上り線には153系の普通電車が止まっていますね」(6348レさん)

※可動雪かき器取付座 大窓 つらら切り 汽笛カバー 原形ワイパー PS22B
撮影:6348レさん  早川 1978
Mr.slim-EF587 Mr.スリムさん撮影の「彗星」のヘッドマークをつけた姿です。パンタグラフもまだ原形のPS14Aですね。まさに晴れ姿です。考えてみればこの頃がゴハチにとって最後の黄金時代と言えるでしょう。
撮影:Mr.スリムさんMr.スリムの道楽部屋  特急「彗星」 r大阪 1974.8.25
Mr.slim-EF587b こちらもPS14Aパンタ時代の同機です。
「臨客の12系客車を牽引、当時は客車といえば旧客のイメージが強く、12系客車はあまり好きではありませんでした。」(Mr.スリムさん)
そう言えば定期の急行が旧客使用なのに臨時が12系…なんて事もありましたね。(^^;)
撮影:Mr.スリムさんMr.スリムの道楽部屋  浜松 1973
ohno-ef587 10系寝台6両の団臨を牽き上京する7号機。渋いですね。それにしても10系ハネの山側海側が綺麗に交互に並んでるのが面白い…。(^_^;)
「珍しく良い時間帯で上京してきました。8114レで7号機が入っていたのを知っていたのに、帰りも自宅近くの踏み切りで撮ってしまいました。もうちょっと考えれば・・・・・」
撮影:ohnoさん   8114レ  新子安―鶴見 1977.3.13
ohno-ef587b こちらも同じくohnoさん撮影の上の列車の返しです。
「珍しく良い時間帯で上京してきました。8114レで7号機が入っていたのを知っていたのに、帰りも自宅近くの踏み切りで撮ってしまいました。もうちょっと考えれば・・・・・」
撮影:ohnoさん  8107レ  鶴見―新子安 1977.3.13
ef5831-ef587 東の荷35レの重連が解消された後、西の重連運用としてファンの注目を浴びた荷37レの先頭に立つ7号機。次位もPS22パンタで分かるとおり広島区です。背後に見えるテルハの姿も懐かしいですね。

撮影:EF5831さん  荷37レ  厚狭  1978.12.29
mmrelax-EF587 ぶどう色標準色時代の7号機の前面ナンバー付近です。昭和38年撮影との事で浜松区時代、写真には写ってませんが既につらら切りは設置済みのはずです。
それにしても、改めて正面から見ると一桁台の前面ナンバーの貼り付け位置はやはりバランス的に微妙ですね。2号機や9号機の様に右にずらしたくなるのも分かります。

撮影:mmRelaxさん(鉄道写真と切符)    1963
tanaka-EF587 下りブルトレの先頭に立ち大阪駅で発車を待つ。後ろは14系寝台と思われますが列車は何でしょうね?撮影年月日が定かでないので何とも言えませんが「あかつき」?「明星」?
撮影:田中富雄さん     大阪 1978頃?
 EF58 8〔広島〕  旧車体振替先:EF13 25
6348-EF588 こちらも同じく広島区の8号機。広島区独自の左右一体型ひさしにPS22Bパンタグラフの姿ながら原形小窓に原形ワイパーという絶妙なバランスが何とも言えません。同機は改装機の第6グループで、新製車の第5次形に準じたスタイルで登場しています。また、連結器解放テコが旧型の幅広の物となっています。こちらは2エンド側です。

※可動雪かき器取付座なし 連結器解放テコ幅広 一体形ひさし 原形小窓原形ワイパー PS22B
撮影:6348レさん  1979.11.17 早川
製造年月日:S21.12.30
製造:三菱電機・三菱重工
改装年月日:S30.3.11
改装:三菱電機・新三菱重工
廃車:S55.12.26〔広島〕
ohno-ef588b 既に一体ひさし姿ですがパンタグラフはまだ原形のPS14Aでこちらは2エンド側です。原形小窓と相まって精悍な印象です。

撮影:ohnoさん  8107レ  鶴見 1977.4.28
ohno-ef588 一体ひさしに原形小窓のまま、パンタグラフがPS22Bに変わっています。こちらは1エンド。

撮影:ohnoさん   広島 1979.8.17
nakagawa-ef588 こちらも既にPS22Bに換装後の姿です。それにしても一体形ひさしはやはり強烈なインパクトがあります。ゴハチ晩年、関東では広島のカマはなかなか見られない貴重な存在でした。 こちらは1エンド側です。
撮影:中川さん  6348レ?  国府津 撮影年月日不明
mmrelax-ef588 ぶどう色標準色時代の8号機が東海道を東上。後ろに続く狭窓客車から普通列車でしょうか。一体ひさし改造前の大変スッキリした美しい姿ですが、ある面個性が無いように思えてしまう私はひねくれ者?良く見ると屋根昇降段の欠き取りも未施行です。

撮影:mmRelaxさん(鉄道写真と切符)   三島―函南 1963
sugi-EF588 一体形ひさし改造前の姿で1エンド側です。改造後の姿と見比べると窓回りの形態がゴハチの印象に与える影響がいかに大きいかが分かります。この写真で注目なのは右側(2位側)の標識燈部分が濃い色になっているところです。杉さんによると赤色で1エンドのみだったそうですが補修で錆止めでも塗ったままだったんでしょうか? ちょっと異様な雰囲気です。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん   上り荷レ  大阪 1975.5.26
sugi-EF588 同じく水切り時代の同機の同じく1エンド側です。上の写真から約1か月後の撮影ですが、相変わらず右の2位側の標識燈が濃い色のままです。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん   荷1032レ  摂津本山―芦屋 1975.6.22
shimoda-EF588 こちらはゴハチロクマルさん撮影の一体ひさしにPS22Bパンタの晩年の姿で1エンド側です。望遠レンズで正面勝ちに見ると、一体ひさしが太い一本まゆげの様に見えてユーモラス。
撮影:ゴハチロクマルさん   回8111レ  田町 撮影年月日不明
shimoda-EF588 東京駅12番線で発車を待つ。この2エンド側の一体ひさしは右の機関士側が少々凹んでいます。 前端バリの横幅いっぱいになった幅広の連結器解放テコにもご注目。
撮影:ゴハチロクマルさん   8111レ  東京 撮影年月日不明
 EF58 9〔広島〕  旧車体振替先:EF13 14
DD544-EF589 「「彗星2号、あかつき3号」と思われる。不意を衝かれて何とかシャッターを切った。(って感じですね)」(れんたろうさん)
この9号機は改装機の第6グループで、新製車の第5次型に準じたスタイルで登場しています。同じ日立改装機の2号機と共に前面ナンバーの位置が右にずれた変形機でした。

※可動雪かき器取付座なし 前面ナンバー変形 原形小窓 原形ワイパー
撮影:れんたろうさん(国鉄だった頃…)  大阪 1975
製造年月日:S22.2.28
製造:三菱電機・三菱重工
改装年月日:S30.9.27
改装:日立製作所
廃車:S54.7.20〔広島〕
6348-EF589 「バックサインは彗星ですが、はたして何号なんだか?」(6348レさん)
草津に住んでる大阪人さんから「彗星2号」の回送とご指摘頂きました。
前面ナンバー変形機の2,9号機は共に車体の改装は日立で行われています。日立製のEF58には有名な鋳鋼製先台車を履いたものをはじめ様々な変形機が存在します。
撮影:6348レさん 回3006レ「彗星2号」回送  山崎 1977.8.23
6348-EF589 こちらも6348レさん撮影の9号機のサイドビューです。
旧型電機にはEF57など他にも魅力的な機関車はいますが、サイドビューがこれだけ美しい電関は現在に至るまで無いのでは…。
撮影:6348レさん 沼津 1978
yamaguchi-ef589a ヘッドマークも誇らしく「彗星」の先頭に立つ9号機。EF65pもそうですが、ゴハチには本当にヘッドマークが良く似合います。
「東海道本線でEF65Pを見慣れた目には、EF58のブルトレは何とも新鮮でした。」(山口正洋さん)
撮影:山口正洋さん (75茶屋)  姫路―御着 1974.4.1
ohno-ef589 「1977年当時広島区のEF58は月に2〜3度は臨レを引いて上京してきました。
どの機関車も満遍なく上がってきたようで、配置されていたすべての機関車が上京してきたのを友人と二人で確認しています。前にも書きましたが、時間帯が悪く横浜駅で見るだけとか銘板だけ撮影した時もあり、ロクな撮り方はできませんでした。
(この写真は)上り列車(確か前日の6348レ)で9号機が上京したのを確認していたので、わざわざ大船まで行ったのですが、なんと単機・・・・・・がっかりしました。」(ohnoさん)
撮影:ohnoさん 単8111レ  大船 1977.6.25
ef5831-ef589 寝台特急「あかつき」の先頭に立ち夜の大阪で発車を待つ9号機。

撮影:EF5831さん  43レ「あかつき3号」  大阪  1977.3
下関運転所に憩う9号機。同じ正面ナンバー変形機の2号機に比べ、本機の右ズレは小さくなっています。

撮影:kazu460さん  下関運転所  撮影日不明
 EF58 10〔宇都宮(転)〕  旧車体振替先:EF13 16
ef5853-EF5810 旧EF58より改装された最初のグループの1両で、新製車の第2次型に準じたスタイルで登場しています。更新改造を受けているにも関わらず両側のワイパーはWP35で、水切りも幅広にこそなっているもののその取付位置は変更されていません。また、その取付位置も原形KW3D後期の腕折り型の位置になっているのが変わっています。また、この2エンド側前面窓下の手すりの取付位置が通常より上になった特異な表情の変形機です。

※可動雪かき器取付座なし 改装時小窓 更新改造 ワイパー位置上隅 前面手すり(取付位置変形)・前面ステップ2エンドのみ 前面水切り位置低め お召予備機
撮影:EF5853さん  EF5810+EF5889 121レ 赤羽 1978.9.15
製造年月日:S22.4.22
製造:三菱電機・三菱重工
改装年月日:S28.1.6
改装:東京芝浦電気
廃車:S54.12.17〔宇都宮(転)〕
ef5848 ゴハチ以前の国鉄電機のほとんどはデッキの付いたスタイルでしたので、流線形の新形EF58が登場した時のインパクトは現在では想像できませんね。こうして改めて見ると、旧形電機としての無骨な魅力はやはりゴナナが勝ります。(^^;)
「運用を外されたEF57と肩を並べて休む10、84号機。」(EF5858さん)
撮影:EF5858さん  宇都宮運転所 1977.3
ef5858-EF5810b こちらも2エンド側です。先輪の錆が休車になってから日が経つのを物語ります。他の車体整備(更新改造)機に比べて前面水切りの取付位置が若干低いようです。上の写真の84号機と見比べると一目瞭然。本機の後ろにはこれまた休車中と思われるEF1578の姿が見受けられます。
「1977年以降、殆ど動いた形跡がなかった10号機。撮影時は既に二休車扱い。」(EF5858さん)
撮影:EF5858さん  宇都宮運転所 1978年頃
ef5858-EF5810c 上の写真とほぼ同時期に撮られた10号機の1エンド。前面手すり、及び前面ステップが未取付です。片エンドのみ取り付けられた理由は明確ではありませんが、とても珍しいと思われます。なお、本機は広島区時代の1971年4月にお召予備機に指定されています。1977年頃から一旦消えていた鼻筋の国旗掲揚装置の取付ボルトが何故か復活しています。
撮影:EF5858さん  宇都宮運転所 1978年頃
ohno-ef5810 こちらも1エンド側。本機は1974年に広島から宇都宮に転入していますが、そのまま電暖改造されることなく同区で廃車になっています。SGのまま宇都宮で廃車になったゴハチは本機と65号機ぐらいでしょうか。EG化の進んでいた宇都宮区では、SGの本機は冬場はあまり動く機会が無かったのかも知れませんね。
「76年の夏ゴナナを撮りに栗橋に行ったのですが、ラッキーなことにめったに動かない?10号機に遭遇しました。この日はとても暑く、朝からがんばり過ぎたので、せっかく来た10号機なのに、反対側ホームへ撮りに行く気力が無くなってました。」(ohnoさん)
撮影:ohnoさん  124レ?  栗橋 1976.8.21
ef5831-ef5810a 前面手すりの位置が通常と異なる2エンド側のアップです。真夏の太陽が眩しいですね。
「氏家駅のホーム長が短いので前からの写真は断念しました。最北に居た最若番機に会えてラッキーでした。」(EF5831さん)
撮影:EF5831さん  121レ  氏家  1978.8.12
ef5831-ef5810b スハフ32の車内から見た10号機の顔だそうです。鼻筋のヘッドマーク取付座の下に国旗掲揚装置の取付ボルトが確認できます。鎖も何もない貫通部分を見ると、昔の客レはこうだった…と改めて思い起こされます。
撮影:EF5831さん  121レ  氏家  1978.8.12
sugi-EF5810 上野駅8番線に到着した10号機牽引の旧客編成。機関車次位がオハフ33ぽいので寄せ集め編成の帰省臨と思われます。宇都宮区では珍しく電暖未改造の本機はSG使用中でしょうか。ところで、腕折ワイパーの位置に取り付けられた平行腕のWP35のブレード部分が窓の外に飛び出しちゃってます。(^_^;) これでちゃんと雨の日に機能したのか気になります。 ちなみに2エンド側です。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん   上野 1976.1.4
sugi-EF5810 田端機関区で昼寝中の同機の同じく2エンド側です。何故か区名札が入ってません。相変わらずワイパーが窓からはみ出しています。本機は1978年9月に休車後そのまま廃車になったと思われ、記録したファンも少ないのではないかと思います。後ろのゴハチは前面窓変形機の58号機です。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん   田端機関区 1976.8.6
Vol.2に続く


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