ELECTRIC LOCOMOTIVE EF58  Vol.11
EF58 69〜72

Last Update 2022.2.1

Index EF5869 EF5870 EF5871 EF5872

 第4次増備車(69〜72号機)

昭和29年7月から8月に落成したわずか4両のグループ。このグループより側扉左右の昇降手すりの短縮、及び前面窓の水切り、誘導踏段、誘導握り棒の取付が行われました。昇降手すりの短縮は、機関士及び機関助士が後方確認を行いやすいようにされたものです。また、71・72号機からは外観の最も大きな変化である前面窓の小窓への仕様変更が行われました。

※印…主な特徴です。画像をクリックすると大きなものが表示されます。

 EF58 69〔広島〕
EF5869 大窓にPS22Bパンタが特徴だった広島区の69号機牽引の急行「きたぐに」。大窓機は元々172両中49両と数が少ない上に、その後のHゴム支持窓改造や老朽化による廃車により急速に数を減らしており、この頃既に貴重なものとなっていました。 本機の屋根上の抵抗器室カバーは1エンド側が2エンド側と同じ小さな物になっていますが、おそらく川崎製の特徴です。

※P形 大窓 抵抗器室カバー変形 PS22Bパンタグラフ 1エンド避雷器カバー無し
502レ「きたぐに」  大阪 1980.9.1
製造年月日:S29.7.1
製造:川崎車輌・川崎重工
廃車:S56.2.5〔広島〕
EF5869 ヘッドライトケースはLP402形化に際して鉢巻式になっています。また、ワイパーは機関士側、助士側共に強力なWP50になっています。(但し、水切り位置は変わらず)区名札を見てお分かりの通り、これは米原区に貸し出された際の姿です。この後同機は東京区にも貸し出されました。
502レ「きたぐに」  大阪 1980.9.1
EF5869 この69号機の第1エンド側の避雷器には最後までカバーがつけられていませんでした。また、同機から機関士が後方確認をしやすいように、側扉の昇降手すりが、短いものに仕様変更されています。
荷4047レ  大阪 1980.9.1
EF5869 上の写真と同じ時に撮った物です。主要駅での荷物列車の積み卸し風景も、今や完全に過去の物ですね。駅ホーム上の荷物台車が懐かしい存在です。それにしても、ロクイチ以外の大窓機も1両ぐらいは残って欲しかったですね。

荷4047レ  大阪 1980.9.1
ef5853-EF5869 「先輩から、”広島のゴッパーがくるから”ということで、訳も分からず付いていって初めて東海道の団臨を撮りに行った日です。この日は8本。メインは当然このカマで、これまた初めて”窓の形の違うゴハチがいる”と気づいたカマでもあります。ネガを探しまくったら53[宮]も大窓だということに気づきまして・・・・・。(69ですが、このときはまだどちらもLA15にカバーがついていません)」(EF5853さん)
撮影:EF5853さん  8111レ 東京 1978.10.22
6348-EF5869 〔広〕の区名札もはっきりと写った6348レさん撮影のカット。国鉄時代は団臨も含めて10両以上の長編成が多かったですね。
撮影:6348レさん  8111レ  早川 1979
ef5853-EF5869b 「この日、2レ「さくら」に入ったPFが故障したのか、EF5882[広]の牽引でした。こっち(69)に気を取られてしまい、回2レ発車直前に「なんで9番線に58がいるのかな?」→「銀河が遅れたのかな」→「あれ?PS22付きだ?」→「宮原にPS22の58はいないよな・・」→「あー!”さくら”がトラブったんだ!!」
行ってみたら82号機!「フィルムが終わってる!」”ピィー”・・・・・。」(EF5853さん)
撮影:EF5853さん 12系12連 8111レ 東京 1979.7.13
ef5853-EF5869c EF5853さん撮影の米原区へ貸し出し中の同機牽引の荷36レです。PS22Bを取り付け部やカバー無しのLA15避雷器の形状が良く分かります。
「えーと、確かこれは「今日の荷36は69」とネタを確認して撮りに行ったはずです。(ネタもとは伊○氏だったと思います)品川ばっかじゃ面白くない、ということと、松○氏に「鶴見のこ線橋から撮れる」と教えてもらって行った記憶が・・。」(EF5853さん)
撮影:EF5853さん 荷36レ 鶴見 1980.8.12
ohno-ef5869 こちらも米原貸出時の69号機牽引荷レです。
「米原区のゴハチに大窓・PS22は似合わない気がするのは自分だけでしょうか?」(ohnoさん)
確かに米原というと端正な原形小窓機のイメージが大きいですよね。
撮影:ohnoさん 荷36レ 横浜羽沢―鶴見 1980.8.18
H-yamaguchi-ef5869 同じく米原区貸出時の姿です。
撮影:山口裕志さん 荷36レ 大船 1980.9.5
nakagawa-ef5869 こちらも米原貸出時ですので1980年夏頃の撮影でしょうか。結局、本機が東海道スジ最後の大窓機となったようです。
撮影:中川さん  大阪 撮影年月日不明
ef5831-ef5869 50.3でデビューしたばかりの呉線経由の20系寝台特急「安芸」を牽き、終点下関に到着した69号機。パンタグラフやワイパーがまだ原形で非常にすっきりとした表情です。
撮影:EF5831さん   1001レ「安芸」 下関  1975.5
ef5852-ef5869 後ろの客車は白帯の81系お座敷の様ですが、どこの所属でしょうね。米原か東京への貸出時の姿かもしれません。
この客車についてゴハチ信者さんより補足を頂きました。
「鉄道ファン1981年5月号P.117に1980年10月に東京区に貸し出された69号がお座敷列車を牽引した記事が載っています。写真が載っていないので客車の特定が出来ませんが、シナ座だった可能性は大いにあります。(この写真の)前から2両目〜4両目の雨ドイが先頭のスロフに比べると上に取り付けられているのが確認出来ます。よって、これはシナ座に間違いありません。69号が広島、米原時代にシナ座を牽引したことなんてあったのでしょうか?。この作品は1980年10月に東京区に貸し出された時のものにまず間違いないでしょう。」
撮影:EF5852さん    焼津―藤枝  1980年10月
「あかつき」のヘッドマークを掲げ向日町運転所?に集うブルトレ牽引時代の69号機。隣には同じく「あかつき」マーク姿の大窓、水切り時代の65号機がいます。

撮影:kazu460さん   向日町運転所?  撮影年月日不明(1974年頃?)
EF5869 デビュー間もないピカピカの24系25形ブルトレの先頭に立つ69号機。パンタグラフとワイパーはまだ原形です。後方の電車線には、旧形国電(クハ55112だそうです)の姿が見えます。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  3006レ「彗星2号」  住吉―摂津本山 1975.8.19
EF5869 雨の向日町運転所に憩う原形ワイパー、パンタ時代の同機です。大窓機の窓サイズは実は各機で微妙に異なり、製造(改造)年が後に行くほど大きい傾向で(EF58ものがたり)、大きい物と小さい物とでは高さが数センチも異なるようです。本機は大窓の最終グループなのでおそらく最も大きい部類と思われ、川崎製の丸っこいオデコとの相乗効果か53号機などと比べるとより優雅な印象です。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん   向日町運転所 1976.3.18
EF5869 「69号機 大窓のアップです。左の窓枠がだいぶ錆でやられているようです。」(針葉樹林鉄道研究会の杉さん)
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん   向日町運転所 1976.3.18
 EF58 70〔宇都宮(転)〕
EF5870 この機が大窓で登場した最後のナンバー。既に多くの改造が施され、その面影はありませんが、これもまた完成された姿と言えましょう。こちらは2エンド側です。本機も川崎製で屋根上の抵抗器室カバーは1エンド側が2エンド側と同じ小さな物になっています。高崎第二区への貸し出しに際しつらら切りは装備していますが、汽笛カバー取付、標識灯掛けの移設はされていません。また、ヘッドライトのケースもLP402型用の大型のものになっています。電暖表示灯は角形のライトが内側交換式の新しいタイプです。

※抵抗器室カバー変形 つらら切り 電暖 電暖表示灯新 更新改造 原形フィルタ
401レ「津軽1号」  上野 1980.2.16
製造年月日:S29.7.28
製造:川崎車輌・川崎重工
廃車:S57.2.4〔宇都宮(転)〕
ef5858-ef5870 昭和36年から行われた前面窓の合わせガラス化に際し大窓から小窓へ改造された同機の更新改造前の貴重な姿でこちらは1エンド側です。当時、高崎第二・長岡第二区に所属したEF58は同工事に際して大窓機も小窓機も原形小窓よりもサイズが小さく窓の下辺にも上辺同様のRが付いた窓に改造されています。
撮影:EF5858さん  102レ「八甲田」 宇都宮 1977年頃
H-yamaguchi-ef5870 「次位のスハフ32が渋いですが、列車は津軽です。」(山口裕志さん)
すいません。トリミングで殆どスハフの姿が見えなくなってしまいました。(^^;)
こちらは2エンド側。上のEF5858さんの写真と比べると変化が良く分かります。
撮影:山口裕志さん 「津軽」 上野 1980.7.24
suzuki-ef5870 改造小窓時代の70号機が「津軽」を牽く。次位にオユ10があることから「津軽1号」でしょうか?
撮影:鈴木さん  「津軽」 片岡―矢板 1973.7.28
toyama-ef5870 独特の改造小窓姿も印象的な70号機牽引「はくつる」です。つらら切り上部にワイパーの逃げが設けられているのも確認できます。 
「特急「はくつる」を牽引して上野に到着した70番です。宿泊客を出迎える旅館の旗
を持った番頭さんに時代が感じられます。」(外山さん)
撮影:外山文比古さん  4レ「はくつる」  上野 1967.10.15
c11204-ef5870 同じく改造小窓時代の同機が牽く東北本線急客です。この列車、C11204さん曰く「津軽」か「八甲田」ではないか…とのことですが、当時の編成表を見るとどちらも異なるようなので臨時急行でしょうか?
撮影:C11204さん    蓮田 1977.3.6
bin-EF5870
新鶴見でお休み中の姿でこちらは1エンド側です。つらら切り上部のワイパー支柱部分の逃げ、水タンクの蓋の無い電暖機独特の屋根上の様子が良く分かります。汽笛の左右には89号機と同様の汽笛カバーの取付跡が見られる事から、本機も過去に汽笛カバーを取り付けた時期があった事が伺えます。屋根上中央のモニタールーフの手前の端面が見えている事からこちら側の抵抗器室カバーが2エンド側と同様の小さな物になっているのが想像できます。
撮影:BINさん   新鶴見機関区 1979.1.7
bin-EF5870
荷1032レを牽き品鶴線を行く。こちらも1エンド側です。自慢のヒゲのメッキがすっかり剥げて錆びが浮いてしまってます。そのうえ、上の写真にもありますが角に何やら白いペンキの様な物まで付着しています。宇都宮のゴハチは他区の機に比べ、いつも汚れた印象で少々可哀相でした。宮原や浜松の様なロングラン運用は無かったはずですが、自区に戻り洗車の機会があまりなかったのかも知れません。
撮影:BINさん   荷1032レ  品川―鶴見 1979.1.27
 EF58 71〔長岡(転)〕
ef5853-EF5871 この71号機より前面窓が製造当初より小窓になっています。屋根上の抵抗器室カバーは川崎製の特徴の1エンド側が2エンド側と同じ小さな物になっています。電暖表示灯は丸形で電球が外側交換式の旧タイプです。標識灯掛けの下部がテーパー状に太くなっています。同機は昭和50年に20系「北陸」牽引対策でP形改造されています。これは標識灯の改造前の姿です。なお、本機は昭和31年4月の山口県植樹祭で50、51号機と共にお召予備指定を受け3月にお召予備機整備を受けています。
「今や巨大な高架駅になってしまいましたが。正面の切り抜き文字を白く塗ったのか(あまり覚えていない)全然ナンバーが読めませんね。」(EF5853さん)

※抵抗器室カバー変形 上越形 電暖 電暖表示灯新 P形 側扉FRP化 外蓋式標識燈
撮影:EF5853さん  802レ「天の川」 赤羽 1978.7.17
製造年月日:S29.8.27
製造:川崎車輌・川崎重工
廃車:S56.6.9〔長岡(転)〕
line-EF5871 上越形サイドビューの流し撮り。上越形の最大の特徴はやはり前頭部にあります。それも横から見ると何とも精悍ですね。う〜ん、ほれぼれしますね〜。こちらも更新改造前の姿。同機は1978年12月から翌年1月の要検時に、標識燈の外蓋化と側扉のFRP化が行われています。
撮影:来Nさん   越後岩塚―塚山 1978.5
moterman-ef5871 標識燈の外蓋化と側扉のFRP化の施工後の姿です。
長岡運転所のEF58は昭和55年10月、新鋭EF64 1000の投入により全機運用を離脱、直流機でありながら交流区間の越後寒川に疎開留置されたものもありました。汚れた車体が何とも哀れ…。
撮影:もーたーまん@鈴木さん   越後寒川 1981.5.3
H-yamaguchi-ef5871 上野で発車を待つ71号機。隣にいるのが「あけぼの」らしきところから「能登」でしょうか。この時点で助士席側ワイパーがWP35に交換されています。
撮影:山口裕志さん  上野 1980.8.12
煌々と明かりが灯る深夜の石打。補機のEF16を待つ。それにしても長岡のゴハチはほんとにナンバーが読めません。(-_-;) 当時、現場では問題にならなかったんですかねぇ。
撮影:佐々木さん  3604レ「能登」  石打 1980.8
sugi-EF5871 20系「北陸」を牽き上野に到着の71号機。 更新改造前はもとより電暖改造前でワイパーも左右とも原形のKW3Dです。正面ナンバーの白塗り?が行なわれておらずナンバーがはっきり読めます。
「正月の臨時列車を撮りに早朝の上野駅へ行きました。この日の目的はEF57でした。上野駅に1日いましたが、殆どEF58でがっかりしたのを覚えています。今思えば贅沢な話です。この写真の2両目は電源車のカニ215です。 」(針葉樹林鉄道研究会の杉さん)
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  3002レ「北陸」  上野 1976.1.4
shimoda-EF5871 寝台特急「北陸」を牽き大宮に到着の71号機。終点上野まであと一息です。 オデコ部分や警戒色部分の塗装も荒れていて、大分くたびれた印象ですが、14系寝台12両を従えた上越形の姿が格好良いですね。こちらは1エンド側です。
撮影:ゴハチロクマルさん   3002レ「北陸」  大宮 撮影年月日不明
 EF58 72〔長岡(転)〕
ef5853-EF5872 こちらも製造当初より前面窓が小窓になった72号機。本機も屋根上の抵抗器室カバーの1エンド側と2エンド側が同じ小さな物になっています。71号機と同じく移設された標識灯掛けの下部がテーパー状に太くなっています。電暖表示灯は旧タイプです。なお、同機の前面ステップは左右の欠き取りが大きく、ヘッドマーク取付座の下部周辺にわずかしかありません。

※抵抗器室カバー変形 上越形 電暖 電暖表示灯新 更新改造 
撮影:EF5853さん  推回802レ「天の川」 鶯谷 1978.9.15
製造年月日:S29.9.24
製造:川崎車輌・川崎重工
廃車:S55.6.6〔長岡(転)〕
ef5853-EF5872b 同じくEF5853さん撮影の休車中の同機です。
「このカマは(同じく休車中の)EF16とは少し違うところにおいてありました。58がいる?というのでてくてく歩いていったら・・なんと72号機。札はたしか「休車」でした。もちろん、復活はしなかったのですが。」(EF5853さん)
撮影:EF5853さん   石打 1979.8.9
ohno-ef5872 車体に雪を付けた列車は、さしずめ雪国からの使者と言ったところ。雪をいっぱいに付けて上京する東北・上越の列車群は冬の上野の風物詩でした。この72号機の後ろは12系のようなのでスキー臨でしょうか…。
撮影:ohnoさん   北浦和 1977.1.6
c51-ef5872 大きな原形スノウプロウ時代の72号機。更新改造も行われておらず、暖房もSGです。側面の落書きを消した跡がいかにも国鉄時代ですね。
撮影:椎野吾一さん椎野吾一の鉄道博物館  蕨付近 1973.3.28
ef5831-ef5872+ef1330 大宮駅で旧EF5817のボディを載せたEF1330と顔を並べる。この頃の長岡のEF58は正面ナンバーを白く塗っていて番号の判別が困難でした。
「写真は高校時代撮影旅行の途中大宮駅で撮影したもの(モノクロ)で、尾久か品川への配給か何かのスジで10系寝台などをつないで構内に待機していました。そこへ偶然EF13牽引の貨物が入線し、奇しくもゴハチの新旧ボディの揃い踏みと相成りました。」(EF5831さん)
撮影:EF5831さん   試6992レ  大宮  1978.8.9
ef5831-ef5872 上の写真と同日の下り「天の川」。上越形と20系の組み合わせも良いですねぇ。高崎駅も新幹線の開業で今は随分イメージが異なっています。
撮影:EF5831さん   803レ「天の川」  高崎  1978.8.9
shizuhata-ef5872 10系寝台時代の急行「天の川」を牽き上野を目指してラストスパートを掛ける72号機。「天の川」は全車寝台のエリート急行で、この翌年の1976年10月には急行のまま20系客車に置き換えられました。機関車次位のオユ10に続き、10系寝台が連なる姿は20系とはまた違った魅力があります。
撮影:しずはたさん  802レ「天の川」  西川口 1975.8

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