ELECTRIC LOCOMOTIVE EF58  Vol.6
EF58 40〜47

Last Update 2024.5.1

Index EF5840 EF5841 EF5842 EF5843 EF5844 EF5845 EF5846 EF5847

 第2次増備車(40〜47号機)

昭和27年8月〜11月に落成したグループ。やはり高崎・上越線用として高崎第二区(40,41)と長岡区(42〜47)に新製配置され、配置後につらら切りと汽笛カバーが取り付けられました。形態は第1次形に準じ大窓で、水切り、つらら切り、前面手すり、前面ステップ、誘導踏段に握り棒が未装備でしたが、下回りが改良され、前端バリが幅広になり、可動式雪かき器の取付座が最初から備えられました。 なお、日立はこのロットが初の流線形EF58の製造となりますが、その為か車体裾スカートと可動式雪かき器取付座の形状、機械室側窓の取り付け位置が標準より高い変形機となっています。

※印…主な特徴です。画像をクリックすると大きなものが表示されます。

 EF58 40〔竜華〕
6348-EF5840 阪和線の貨物列車を牽く40号機。上越時代のつらら切りを残した大窓機です。汽笛カバーは外されてます。やはり、原形大窓機は美しいですね。

※つらら切り 大窓
撮影:6348レさん  上り貨物  山中渓 1977.8.23
製造年月日:S27.10.29
製造:東洋電機・汽車製造
廃車:S54.9.20(竜華)
ef5853-EF5840 「40の顔のアップです。御覧の通り、この時点では第2エンドが新宮側です。」(EF5853さん)
撮影:EF5853さん  924レ 天王寺 1979.3.24
ohno-ef5840 阪和線で貨物牽引を行う40号機。(次位は100号機)
撮影:ohnoさん  鳳 1978.3.15
ef5831-ef5840 40号機を先頭に重連で阪和線の貨物列車を牽引。
「あらかじめ鉄道誌でEF58重連の貨物があることを知って山中渓に行きましたが、あまりの暑さで駅撮りで妥協してしまいました。アングルが決まらず、次位のナンバーも忘れました。ブタ鼻改造後で少し残念です。この時期すでに381系が試運転をはじめていました。」(EF5831さん)
撮影:EF5831さん  下り貨物  山中渓 1978.8
 EF58 41〔竜華〕
KURIMURAさん撮影 EF5841 相互リンクして頂いているkzokさん撮影の「はやたま」。更新改造と白Hゴム、前灯のRSB姿も今になってみると味わい深いものがあります。前灯のシールドビーム2灯化は曲線が多く見通しの悪い紀勢線のゴハチから先駆けて行われました。同機のつらら切りは更新改造時に外されましたが、汽笛カバーはそのまま残っており、ちょっとアンバランスです。

※更新改造 白Hゴム 大型汽笛カバー 昇降手すり短縮改造(機関士側のみ) RSB2灯
撮影:kzokさん  新宮 1979
製造年月日:S27.8.2
製造:東京芝浦電気
廃車:S55.12.26(竜華)
ef5829-ef5841 「宮原時代の41号機です。ハザは12系に変わっていますが、スロは旧客で健在でした。」(EF5829さん)

撮影:EF5829さん  502レ「きたぐに」 山崎 1978.4.2
ohno-ef5841 荷35レ先頭に立つ宮原区時代の41号機。本務機は浜松区の3号機。
撮影:ohnoさん  荷35レ 大船 1977.9.10
大窓つらら切りの青大将姿で「つばめ」の先頭に立つ。左にはC62牽引の急行列車?の姿も見え、客車列車全盛時の東海道線の様子が伺えます。
「50年ほど前の東海道線全線電化後、京都駅に停車しているつばめの写真です」(モノクロさん)
撮影:モノクロさん  2レ「つばめ」 京都  撮影年月日不明
sugi-ef5841 東海道本線で荷物列車を牽く宮原区時代の姿です。本機の水切り位置は更新改造機としては低めでそれほど違和感は感じません。旧形タイプの荷物車で組成された編成のなかで、3両目のオユ10が良いアクセントです。
「中学3年生の夏休み。自宅から自転車で5分のこの場所にOM-1を肩に掛け、よく通いました。」(針葉樹林鉄道研究会の杉さん)
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  上り荷レ  住吉―摂津本山 1975.7.23
 EF58 42〔竜華〕
kk0630-EF5842 紀勢線で最後の活躍をする42号機。更新改造とシールドビーム2灯化はされていますが、前面のステップ、手すりが未取付で、側面の昇降段の欠き取りもされていません。同機は39,44号機と共に、竜華区で最後まで活躍した元・大窓機です。

※更新改造 白Hゴム RSB2灯 前面ステップ、前面手すり未取付 昇降段未欠き取り 昇降手すり短縮改造(機関士側のみ) P型
撮影:kk0630さん  串本 1985.3.11
製造年月日:S27.8.25
製造:東京芝浦電気
廃車:S61.3.31(竜華)
kk0630-EF5842b 更新改造にシールドビーム姿ながら、PS14Aパンタ、前面ステップ無し、前面手すり無し、側昇降段欠き取り無しと多くの原形箇所を残す独特の姿が良く分かります。
撮影:kk0630さん  撮影地不明 1985.3.12
ef5852-EF5842 「更新改造、シールドビーム2灯化改造されているにもかかわらずなぜか正面窓下手スリが未装着、側ハシゴも原型を留めている42号機です。 機関士側の正面窓下にペパーミントグリーンの計器類パネルが突き出ていることから 元大窓機だったことがわかります。 この当時の紀勢本線には、郵便車付きの旧型客車を使用した普通列車が毎日運転されており絶好の撮影ターゲットでした。」(EF5852さん)
撮影:EF5852さん  撮影地不明 1983.4.3
ohno-ef5842 重連荷35レの先頭に立つ宮原区時代の42号機。
「荷35レは最も好きな列車のひとつでしたから撮影数は多いのですが、撮影地は限られていてとても少ないのです。鶴見・川崎・横浜・東神奈川・新子安・戸塚・保土ヶ谷・大船・品川といったところがほとんどです。」(ohnoさん)
撮影:ohnoさん  荷35レ  鶴見―新子安 1978.4.9
shin-san-ef5842 昭和53年(1978年)の竜華区転属後も原形ライト姿のまま活躍する42号機。
撮影:床屋のシンサンさん  「きのくに51号」  美章園 1979年頃
sugi-ef5842 宮原区時代の同機が牽く「日南3号」です。艶めいた車体に真っ白なHゴムが一際目立ちます。当時は嫌っていた白Hゴムですが今になって見ると青い車体に良いアクセント。まるでEF64やEF65の原色白Hゴム姿の様でゴハチ原形とは違った近代的な印象です。
「日南3号」の編成はA寝台、B寝台、グリーン車、座席車、荷物車と全てが揃った夜行急行らしい物で、新幹線博多開業前の山陽夜行最後の輝きを感じさせます。機関車、客車共に青15号で統一された編成が美しいですね。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  1208レ「日南3号」  摂津本山―芦屋 1975.3.9
taki10450-EF5842 前面のあちこちに錆びが浮いているのが何とも痛々しいですね。この姿を見ると前頭部のみとは言え、竜華区で一番人気だった66号機でなく本機がよくぞ現在まで生き残ったものだと感じます。カマの運命も分からないものです。
「B寝台車の連結が無くなり、「はやたま」ではなくなった紀勢線夜行普通列車を乗りに行った時のものです。この頃は、すっかり鉄道趣味から離れていたのですが、紀勢線のEF58の終焉が近いことは分かっていたので遠征した時のものです。大窓原型の66号機に会えないかな〜 と期待するも、この日の牽引機は42号機でした。」(タキ10450さん)
撮影:タキ10450さん(『タキ10450』の国鉄時代の記録) 924レ 新宮 1986.3
toshi-EF5844  こちらはかつて鷹取工場内で前頭部のみ保存されていた当時の姿で44号機のナンバーを付けていました。掲示板でも話題になりましたが、よく見ると前面手すり・前面ステップが未取付、P形改造となっており42号機のナンバーを張り替えたもののようです。その為か44のナンバーの間隔が現役時よりも狭くなっています。
「鷹取工場にて、ふれあいフェスタがあり、そこに44号機の先頭部が鎮座していましたのでお送りします。運転台も開放されていたのですが、順番待ちの列の長さと暑さで断念しました。鷹取も今年で移転だそうです。日本で最古の工場が消えていきます。」(としさん)
鷹取工場の移転で心配された同機ですが、解体を免れて下まわりが欠落した状態で某オークションに出品され、その後、42号機にナンバーを戻された姿が大阪でお披露目されました。2013年に北陸ロジスティクスで整備を受け、現在は新たな持ち主の元で無事に余生を送っているそうです。(2015.1現在)
撮影:としさん  鷹取工場 1999.8.22
 EF58 43〔宮原〕→〔竜華〕
ef5853-EF5843 EF5853さん撮影の43号機。128レ牽引後の姿だそうです。少し上向き気味の丸っこいつらら切りが独特の表情です。汽笛カバーは外されています。同機も昇降手すりの短縮改造が行われています。

※大窓 つらら切り 昇降手すり短縮改造(機関士側のみ)
撮影:EF5853さん  128レ  和歌山 1979.3.27
製造年月日:S27.9.9
製造:東京芝浦電気
廃車:S54.6.20(竜華)
Mr.slim-EF5843 こちらはすっかりお馴染みのMr.スリムさん撮影の宮原区時代の43号機です。
撮影:Mr.スリムさんMr.スリムの道楽部屋 上り荷物列車 浜松 1974年頃
ohno-ef5843 これも宮原区時代の43号機が荷35レのトップに立つ姿です。
「荷35は時間帯も良いことから、結構撮りにいきました。学校が終わって速攻で帰れば、川崎・鶴見・新子安・東神奈川・横浜あたりでの撮影が可能でした。ご存知の通り昭和50年3月に登場し、長編成のたいへん人気がある列車でした。御目当ては皆同じで43・47・53ですが、アクシデントの発生で時々イレギュラーな機関車も入りました。自分は東京区の14や下関区の30(残念ながら本務機)を見たことがあります。一度くらい茶色の重連(61+60)にならないか期待して通ったのですが、どうやらなかったようですね。」(ohnoさん)
撮影:ohnoさん  荷35レ 鶴見―新子安 1977.3.22
ohno-ef5843b 20系「銀河」を牽く。機関車次位にオロネ10のオマケ付きです。
「新子安〜鶴見間での”銀河”撮影は、よく下り”あまぎ”にかぶりました。この写真も撮影寸前に”あまぎ”は抜けていきました。」(ohnoさん)
撮影:ohnoさん  104レ「銀河」 新子安 1977.3.10
ef5831-ef5843 ヘッドライトを輝かせ、夜の大阪で出発を待つ。
「ヘッドライトのフレアを避けるためアングルが少し変です。荷物車を連結していないのでおそらくくにさき号だと思います。分りづらいですが隣のホームの奥にもゴハチがいますが号機不明です。」(EF5831さん)
撮影:EF5831さん  205レ「くにさき」 大阪 1976.8
ef5831-ef5843b 東海道・山陽スジから都落ちし阪和線で余生を送る43号機。
「おそらく和歌山あたりではないかと思いますがやはり貨物を牽いて駅に停車中を撮影。となりのキハがちょっと邪魔ですね。」(EF5831さん)
それも今となっては良い記録ですね。
撮影:EF5831さん   和歌山? 1978.8
光太郎さんのお父上が撮影された20系「銀河」を牽く43号機の勇姿。大窓つらら切りの姿が精悍です。
同機は昭和53年(1978年)5月に宮原区から竜華区に転属しています。この写真のパンタグラフはPS15に換装されている事から、上のohnoさんの写真から見て少なくとも1977年3月〜1978年5月の撮影と言えます。撮影地は今も有名な中島踏切だそうですが、周囲はまだスッキリしていますね。
写真提供:光太郎さん  104レ「銀河」  平塚―茅ヶ崎 1976〜1978年頃
 EF58 44〔宮原〕→〔下関〕→〔竜華〕
EF5844 ゴハチ牽引「銀河」の上り最終列車を牽き東京に到着の44号機。本機は更新改造姿に上越時代の大形汽笛カバーを付けた変わり種でした。(つらら切りは更新改造時に水切りに変更)大窓機は車齢が古いため早くから更新改造された物が多く、宮原区のカマもほとんどが白Hゴムに外蓋式標識灯姿になっていました。なお、側昇降手すりの短縮改造も行われていますが、側面の屋根昇降段は未欠き取りのままでした。

※更新改造 白Hゴム 大型汽笛カバー 昇降段未欠き取り 水切り幅広 昇降手すり短縮改造(機関士側のみ)
104レ「銀河」(EF58牽引最終)  東京 1980.9.30 
製造年月日:S27.10.7
製造:東京芝浦電気
廃車:S61.3.31(竜華)
夏休みに関西〜北陸〜山陰〜九州〜中国地方へ遠征した帰りに銀河に乗車。その際に撮影したもの。横浜駅で「あさかぜ」を待避中です。ナハネフ22のバックサインは10月改正を前に既に絵入りの物になっています。
104レ「銀河」  横浜 1980.9.2
同じく横浜駅停車中の「銀河」ナハネフ22の展望室より見た44号機。ゴハチの写真と言うにはちょっと苦しいですが懐かしの一こまと言うことで…。
ナハネフ22の展望室には折り畳みテーブルと灰皿が備えられていました。イスが無いのが難点でしたが、定期列車で誰でも気軽にこれだけの展望が楽しめる車両は、現在に至るまで他に無いと思います。大型のパノラミックウィンドウを中心にしたデザインは今見ても新鮮です。
104レ「銀河」  横浜 1980.9.2
kk0630-EF5844 本機は昭和54年(1984年)2月に下関区へ集中配置された26両中、唯一、廃車を免れ竜華区に移り、同区のゴハチ終焉まで活躍しました。なお、鷹取工場での更新改造機は、水切りが標準のものより若干幅広のものが上寄りに付けられ、窓の白Hゴムとあいまって独特の表情です。
撮影:kk0630さん  荷2031レ  朝霧 1983.8
suzuki-ef5844 荷物列車の先頭に立つ44号機。下関時代でしょうか…。
撮影:クモユニ143さん  富士 撮影年月日不明
ohno-ef5844 宮原区44号機と浜松区25号機の荷35レ。
「横浜よりの跨線橋中段は東海道線撮影の好適地でしたが、よくかぶりました。今でも脇を車で通ると、カメラを構えている方をよく見かけます。」(ohnoさん)
撮影:ohnoさん  荷35レ  東神奈川―横浜 1978.3.2
H-yamaguchi-ef5844 12系団臨を牽き東海道を下る44号機。すれ違いの153系も懐かしいです。153系はこの頃だと東海道で最後の活躍をしていた時期ですね。
撮影:山口裕志さん   大船 1981.4.12
ef5852-ef5844 「全検整備後なのか?前面飾り帯をピカピカに輝かして大阪駅に入線する44号機です。この当時は紀勢線のEF58と東海道のEF58と掛け持ちで撮影しており、体力的にはかなりハードな撮影日程でした。」(EF5852さん)
この写真についてゴハチ信者さんより補足を頂きました。
「(この写真の44号は)仰せのとおり全検整備後です。 当方の記録では58-8鷹取工となっていますので、出場直後の作品です。なお、これが同機の最終全検となりました。」
撮影:EF5852さん   大阪 1983.8
hokkyoku-ef5844a 下関残留組から竜華に転属。阪和、紀勢線で最後の活躍をする44号機。竜華転属後ご他聞に漏れずRSB2灯化が行われました。
撮影:北極ぐま閣下さん   杉本町 1985年
hokkyoku-ef5844b 更新改造を受けているとは言えその顔には流石に疲労の色が隠せません。
「配属時白いHゴムでしたが末期はファンサービスのつもりなのでしょうかいつのまにか黒になってました。当時この44号機は”しぶといヤツ”と思ってましたね〜。下関の運用が終わって竜華にきましたが、当時”なんでお前が来る”と思った人も多かったのでは〜最後少しなのだから、元米原あたりのが回ってくればいいのに・・・と思ったものです」(北極ぐま閣下さん)
撮影:北極ぐま閣下さん   天王寺 1985年
sugi-ef5844 6両と短編成の荷物列車を牽き東海道線を行く44号機。更新改造された幅広の水切りはかなり上方に設置されており、独特の表情を見せています。この時点では可動式雪かき器のロッドが残っています。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  上り荷レ  住吉―摂津本山 1975.8.7
sugi-ef5844 水切り姿の更新改造機ながら汽笛カバーを付けた姿が独特です。他には41号機がそうですね。また、側面の屋根昇降段が未欠き取りですが、更新改造機では20、38、42、83号機が該当します。 改めて白Hゴム姿を見るとこのまま前面窓をパノラミックウィンドウにしてヒゲを直線化すると、その後のEF60など前面非貫通の新形電機の顔つきに近くなることが分かります。それらの顔つきがゴハチから進化したものだと改めて感じられます。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  東京機関区 1976.8.6
 EF58 45〔宮原〕
6348-EF5845 日立製の最初の流線形EF58である45〜47号機は各所に変形点が見られます。具体的には、雪かき器取付座が通常の鋳鋼製でなく鋼板製で、運転席部分の車体裾のスカートが枕バリ部分まで達していて、さらに側窓の位置が標準よりも高くなっています。また、この45号機は日立独自の一体鋳綱製先台車を履いていました。(後に廃車発生品より通常の先台車に振り替え)また、44号機同様、側昇降手すりの短縮改造が行われていますが、側面の屋根昇降段は未欠き取りのままでした。

※鋳鋼製先台車 車体裾スカート変形 可動式雪かき器取付座変形 側窓変形 昇降段未欠き取り 更新改造 白Hゴム 水切り幅広 昇降手すり短縮改造(機関士側のみ)
撮影:6348レさん  早川 1979.7.8
製造年月日:S27.9.17
製造:日立製作所
廃車:S60.9.30〔下関(転)〕
EF5852-EF5845 「昭和50年に更新改造され、更に昭和56年に鋳鋼製先台車から標準先台車、PS15パンタグラフに交換されました。46,47号機と共にスノウプロウ取付座の下側が直線的なのが特徴的でした。昭和59年2月改正で下関区に集中配置されましたが、早々に故障により運用を離脱し廃車になりました。」(EF5852さん)
撮影:EF5852さん  荷2033レ  根府川 1984.1.14
ohno-ef5845 20系「銀河」の先頭に立つ45号機。鋳鋼製先台車の肉厚が際だつアングルです。
撮影:ohnoさん  104レ「銀河」  川崎 1977.3.25
ohno-ef5845+ef585 鋳鋼製先台車を履いた45号機と5号機重連の荷35レ。
「鋳鋼製先台車を履いたEF58は、5号機と45号機の2両ですが、両機が荷35レの仕業に重連でついた事があります。当時の浜松区宮原区の配置数を考えると、確率はとても低かったはずですが、地味な重連ゆえ仲間内でも話題になりませんでした。(先台車を注意深く見ないとわかりません)」(ohnoさん)
撮影:ohnoさん  荷35レ  鶴見 1978.2.13
H-yamaguchi-ef5845a 14系座席車による団臨の先頭に立つ45号機。京阪神の複々線区間を行く姿は急客機としてのゴハチの本領発揮。
撮影:山口裕志さん   塚本 1981.3.29
H-yamaguchi-ef5845b 鋳鋼製先台車・変形車体裾スカート・変形雪かき器取付座・側面昇降段原形など、45号機の特徴が良く分かります。なお、変形スカートと変形雪かき器取付座は本ロット日立製45〜47の特徴です。
撮影:山口裕志さん   京都 1981.3.27
MT-ef5845 「撮影時期は1982年頃の夏、早朝5時頃だったとしか覚えていません。ダイヤにない列車でしたので臨時は臨時なのでしょうが、何故かテールサインに「つばさ」の文字が・・・・謎です。単なる回送かもしれません。」(M.Tさん)
14系などのバックサインはたまにとんでもない物が表示されていたりで、びっくりさせられましたね。
撮影:M.Tさん   西広島(現・新井口)―五日市 1982年夏?
H-yamaguchi-ef5845+153 左が45号機、右が153号機です。車体のオデコの絞り方、前燈ケース、つらら切りの有無、側扉、側面昇降段、先台車…など、各部の違いが興味深いですね。また、45号機の車体裾の変形スカートの形状も良く分かります。
撮影:山口裕志さん   単2033レ 品川 1981.4.29
sugi-ef5845 旧形客車7連を牽いて東海道線を行く。回送との事ですが客車には行き先サボをはじめ種別や愛称板、号車札も差さったままで、編成は短いですが東海道線黄金時代の昼行客車列車を彷彿させます。
「ダイヤ大改正の1週間後で、貨物列車の少ない日曜日に回送列車が走るのではないかと思って待ち構えていたらキャッチすることができました。」(針葉樹林鉄道研究会の杉さん)
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  下り回送  摂津本山―住吉 1975.3.16
sugi-ef5845 東京機関区でお休み中の日立製の新EF58一号機。日立独自の鋳鋼製先台車、このロットの日立製の特徴である鋼板組立の雪かき器取付座、取付位置の高い機械室側窓、枕バリまで伸びた車体裾スカートが一目で分かります。さらに欠き取り未改造の原形の側面屋根昇降段にもご注目。各段の取り付け高さが欠き取り改造された物とは異なります。(JR東海のリニア・鉄道館の157号機のは間違い) また、この時点では機関士側の昇降手すりの短縮改造が未施工です。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  東京機関区 1976.8.6
onozawa-ef5845 大窓つらら切り時代の姿です。46号機の写真としてお送り頂いたのですが、よく見ると側面の屋根昇降段の欠き取りが未施工なので45号機だと思われます。汽笛カバーは既に取り外されていますが、それと鋳鋼製先台車と側面の昇降段未欠取以外は46号機と共に日立製の同じロットの47号機と同形態と言えます。
「横浜駅9:32着の東小倉発汐留行急行荷物列車30レ」(小野沢さん)
撮影:小野沢さん   荷30レ 横浜 1972.9.23
117KM-EF5845
同じく大窓・つらら切り時代の精悍な姿です。足回りの草で鋳鋼製先台車とこのロットの日立機の特徴である変形の雪かき器取付座が見えづらいのが少々残念ですが、それは贅沢と言うものですね。
撮影:117KMさん  荷35レ  三島―函南 1973.8頃
 EF58 46〔宮原〕
EF5846 上り「銀河」を牽く46号機。上の45号機同様の変形機で、雪かき器取付座が鋼板製で、車体裾スカートが枕バリ部分まで達し、側窓の位置が標準よりも高くなっています。(この写真じゃ分かりにくいですが…(^_^;)また、44号機と同様、上越線時代の大型汽笛カバーが残っていました。本機も機関士側の昇降手すりの短縮改造が行われています。

※車体裾スカート変形 可動式雪かき器取付座変形 側窓変形 更新改造 白Hゴム 大型汽笛カバー 昇降手すり短縮改造(機関士側のみ)
104レ「銀河」  大井町―大森 1979.11.4
製造年月日:S27.10.8
製造:日立製作所
廃車:S58.1.29〔宮原〕 
ef5852-ef5846 「宮原区の若番更新改造機の中で44号機とこの46号機だけには、なぜか汽笛カバーが付いていました。 荷2033レは、静岡地区では夕方の通過のため陽の短い冬場は撮影できませんでした。同機と54号機は、この年の秋ごろに運用を離脱してそのまま廃車になりました。」(EF5852さん)
撮影:EF5852さん  荷2033レ  焼津―藤枝 1982.7
H-yamaguchi-ef5846a 12系12連の先頭に立つ46号機。最近ではこういった長編成の列車を見る機会も少なくなりました。
撮影:山口裕志さん   塚本 1979.8.3
H-yamaguchi-ef5846b 大形の汽笛カバー、枕バリ部分まで達した車体裾スカートの形状が良く分かるアングルです。列車は宮原と宇都宮のゴハチ重単で有名だった単2033レ。
撮影:山口裕志さん   単2033レ  品川 1981.8.12
sasaki-ef5846 12系12連で組成された臨時急行の先頭に立ち、山崎の大カーブを行く46号機。
「この日は新幹線の若返り工事でした。」(佐々木さん)

撮影:佐々木さん   8102レ「比叡52号」  高槻―山崎 1981.3.11
inayuki-ef5846 荷物列車を牽き東海道をひた走る。

撮影:急行伊奈ゆきさん    西小坂井―豊橋 撮影日不明
c11204-ef5846 荷の35でしょうか?SGのスチームが良い感じです。
同機の特徴である鋼板組み立ての角張った雪かき器取付座が見て取れます。

撮影:C11204さん    小田原 1976.4
mmrelax-ef5846 ぶどう色標準色、大窓つらら切り姿の46号機。高崎第二区に新製配置と同時に取り付けられたつらら切りが凛々しいです。昭和36年頃の撮影との事で東京区時代ですが、たまたまなのか、車体整備後では復活した汽笛カバーが外されています。側面の屋根昇降段は欠き取り済みですが側面扉の昇降用手すりの短縮改造は未施工です。それにしてもやはり原形大窓姿は美しいですね。ちなみに本機が車体整備を受けたのは昭和49年です。
撮影:mmRelaxさん(鉄道写真と切符)   撮影地不明(戸塚〜小田原間)   1962年頃
 EF58 47〔宮原〕
EF5847 この当時、宮原区で53号機と大窓コンビを組んでいた47号機牽引の荷32レ。上越線時代に備えたつらら切りと汽笛カバーが特徴でした。また、同機も上の45,46号機と同様に車体裾のスカート部分、可動式雪かき器取付座、側窓の変形機でもありました。 5月と言うのに寒かったのでしょうか、屋根上にはSGのスチームが漂います。
荷32レ  横浜 1978.5.3
製造年月日:S27.11.21
製造:日立製作所
廃車:S56.6.1〔宮原〕
EF5847 同機のアップ。この年の2月に鷹取で全検を受けたばかりで非常に綺麗でした。ところで同機はかつて「つばめ」「はと」牽引機として青大将塗装になっていますが、その当時汽笛カバーは取り外されていたようです。

※大窓 車体裾スカート変形 可動式雪かき器取付座変形 側窓変形 つらら切り 大型汽笛カバー 原型ワイパー 昇降手すり短縮改造(機関士側のみ)
荷32レ  横浜 1978.5.3
EF5847 6番線に「東海2号」が入ってきたので7番線に回って正面から見た47号機。このアングルだと可動式雪かき器取付座の形状の違いが良く分かります。鋼板組立のため、通常の鋳鋼製の物に比べて直線的な形態です。
荷32レ  横浜 1978.5.3
EF5847 同じく横浜駅に停車中の荷32レ。定時では9時24分着ですがホームの時計は30分を差しています。荷扱いの関係か結構停車時間があったようです。47号機を見つめる少年ファンの姿が印象的ですが当時はブルトレブームの真っ只中。この日もたくさんの少年ファンが横浜駅には集まっていました。当然自分もその一人だったわけですが…。
荷32レ  横浜 1978.5.3
EF5847 銀河 47号機の牽く20系「銀河」。上の荷32レと殆ど同じアングルのうえ影が何ですけど出てきたもので…。(^_^;)それにしても今思えばこの日の荷35レは47号機先頭の重連。何で撮らなかったんでしょうねぇ。何も知らないお子さま鉄だった私(;_;)
この頃の朝の東海道東京口は「いなば・紀伊」に始まり「出雲」「瀬戸」「あさかぜ」X2、「銀河」「富士」「はやぶさ」「みずほ」「さくら」、さらに多客時に「銀河51号」と夜行列車のラッシュ。ここ横浜駅では「銀河」が「あさかぜ」を待避し、9時台とは言え朝の上りホームを夜行列車が占有していました。
104レ「銀河」  横浜 1977.3.26
EF5847 銀河 同じく「銀河」の先頭に立つ47号機。上の荷32レの1年少し前の撮影で、塗装があちこち剥げて錆が出ていたりとボロボロの印象です。この頃はまだ大窓機だと言うことに気付かずに撮影してましたが、何だかカッコいいと感じてはいたみたいでカマ主体の写真も撮ってます。写真の出来はあれですけど、その点だけは偉いぞ当時の私。この段階では上の写真では既に無い可動式雪かき器のロッドが確認できます。
104レ「銀河」  横浜 1977.3.26
6348-EF5847 お馴染みの6348レさん撮影の荷32レ。このアングルだとつらら切りを付けた姿がいっそう精悍です。東海道筋でつらら切りと汽笛カバーの両方を残した58は珍しかったです。(両方、またはどちらかが外された場合が多かった)また、同機も機関士側の側扉横の昇降手すりが短縮改造されています。
撮影:6348レさん  荷32レ  早川 1979.7.31
moterman-ef5847 同じく20系「銀河」を牽く47号機。東京駅へ到着し、神田の引き上げ線へ向かう前ですね。
撮影:もーたーまん@鈴木さん  東京 1977年頃
ohno-ef5847a 「ホームページをチェックすると、この日管理人さんも横浜駅で撮影されていたんですね。自分は例によって自宅近くで安直な撮り方ですが。
細かくチェックすると、いろいろな方と同じ列車を撮っていたのが判ります。特にEF5853さんとは同じ日に同じアングルで撮影したものがいくつか見うけられます。20数年後こんな形でつながるとは・・・・・」(ohnoさん)
撮影:ohnoさん  104レ「銀河」  新子安―鶴見 1977.3.26
ohno-ef5847b こちらは上の写真と同日の荷35レ先頭に立つ同機です。私はこの頃多分上野駅か東京駅辺りをうろちょろしていたことでしょう。(^^;)
マニクラス15両に20メートル級のEF58が2両と言うとてつもなく長い編成…迫力です。
撮影:ohnoさん  荷35レ  鶴見―新子安 1977.3.26
hal-ef5847 20系「銀河」を牽き快走する47号機。やはり格好いいですねぇ。撮影年月日が1980年4月頃との事なので、運用を外れる直前くらいでしょうか。
撮影:HALさん  104レ「銀河」  国府津―二宮 1980.4?
ef5831-ef5847 下関で待機する47号機。サイド気味に見ると大窓・つらら切り姿が精悍です。
撮影:EF5831さん  下関 1978.1.1
sugi-ef5847 12系客車を牽き東海道本線を颯爽と駆け抜ける。後方には並走する懐かしい新快速色の153系、しかも低運転台の姿が見えます。
「ダイヤ大改正直前で、夕方には回送で下っていく電車特急や客車をキャッチすることができました。 この撮影場所は今では甲南山手駅ができており、そのすぐ西の場所です。グーグルマップのストリートビューで確認したところ、背景の松の木は今でも何本か残ってます。 」(針葉樹林鉄道研究会の杉さん)
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  下り回送  芦屋―摂津本山 1975.3.9
sugi-ef5847 同じく針葉樹林鉄道研究会の杉さん撮影の関西ブルトレの先頭に立つ同機の勇姿です。ヘッドマークが無いのが残念ですが、同機がヘッドマークを付けてブルトレの先頭に立つ姿の写真はあまり見たこと無いですね。(と言うか皆無かも)
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  44レ「あかつき2号・明星3号」  住吉―摂津本山 1975.8.19
sugi-ef5847 下り荷物列車を牽き東海道線を行く。列車番号が不明との事ですが、宮原区の本機が牽いているのでおそらく荷39レだと思います。正面勝ちのアングルも大窓つらら切りが引き立って何ともカッコいいですね!
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  荷39レ?  摂津本山―住吉 1976.5.6
sugi-ef5847 こちらも荷物列車を牽く同機です。鋼板組立の雪かき器取付座は直線的な形状の分、鋳鋼製に比べて正面の投影面積が少ない為か何となく下回りが軽快な印象です。
「47号機はよっぽど縁があったようで、これで4度目の出会いです。」(針葉樹林鉄道研究会の杉さん)
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  上り荷レ  住吉―摂津本山 1976.11.14

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