ELECTRIC LOCOMOTIVE EF58  Vol.13
EF58 88〜101

Last Update 2024.11.1

Index EF5888 EF5889 EF5890 EF5891 EF5892 EF5893 EF5894
EF5895 EF5896 EF5897 EF5898 EF5899 EF58100 EF58101

 第6次増備車(88〜101号機)

昭和31年11月の東海道本線全線電化用として登場したグループ。前灯が大型のLP402型に変更されました。パンタグラフのPS15型への変更は過渡期のため全機には及んでいません。100号機のみモニタルーフ小窓がHゴム支持となっています。

※印…主な特徴です。画像をクリックすると大きなものが表示されます。

 EF58 88〔東京〕
EF5888 同区の124号機とともに最後まで可動式雪かき器を装備していた88号機。これは、冬季の関ヶ原付近の積雪、上越地区への貸し出しに備えた物でした。なお、汽笛カバーは外されています。また、つらら切りは上向き気味に付いています。同機は新製時からパンタグラフはPS15でした。

※原形可動式雪かき器 SG排煙口原形(ガーランド形) つらら切り 標識灯掛け移設(上越タイプ) 原形フィルタ PS15パンタ
品川 1981.4.15
製造年月日:S31.7.19
製造:日立製作所
廃車:S59.4.13〔東京〕
EF5888 12系10連を牽いて根府川橋梁を渡る88号機。こうした、臨時列車の牽引は東京区のゴハチの最も得意としたものでした。
根府川―真鶴 1981.4.19
EF5888 81系お座敷を牽く88号機。同機のSG1A型の排煙口は、SG1形原形のガーランドベンチレータ式の物で、1エンド側に2カ所となっています。同カ所の原型機は非常に少なく、他に96,98,100号機の4両のみとなっていました。
8102レ  大井町 1981.5.31
kk0630-EF5888 こちらは、「踊り子」仕業に付く勇姿です。車体の裾から前端バリ上部へ移設された標識灯掛けが良く分かります。また、同機の誘導踏み段は、改装機同様前端バリに取り付けられていますが、雪かき器を避けて前端バリと踏み段との間にスペーサーを挟んだ独特の形状です。(124号機も同様)

撮影:kk0630さん  東京 1983.4.1
6348-EF5888 6348レさん撮影の雪かき器を外した状態の同機です。可動式雪かき器の取付座には誘導踏み段が付けられています。同機は昭和38年(1963年)12月〜昭和47年(1972年)1月に高崎第二区に配置されており、その時につらら切り、デフロスタの取付、標識灯掛けの前端バリ上部への移設が行われたと思われます。その後、東京区に移動していますが「鉄道ファン 1975年10月号」に1974年1月撮影の可動式雪かき器に誘導踏み段無しの姿が載っています。この写真でなぜ雪かきを外しているか謎ですが、もしかしたらまだ冬季のみ雪かき器のみ取り付けていた名残かも知れません。同区で雪かき器と誘導踏み段を装備していた154号機が宇都宮へ転属した後を受けて、雪かき器装備が常態化されたのではないでしょうか。雪かき器のない姿はずいぶんと印象が違います。また、助士席側のワイパーが腕折り式で窓隅に取り付けになっています。

撮影:6348レさん  横浜 1976春?
to198403-EF5888 「遠征して下りの「なにわ」を待っていたら自分の地元東京のパッパが牽いてきました。当時は宮原の原形小窓機を期待していただけに拍子抜けでしたが、今となっては「なにわ」とパッパの組み合わせも珍しかったかなと思います。このパッパはどうやって東京に帰ったのでしょう・・・(それにしても貨物がカブルかと思いましたヨ)」(To198403さん)
う〜ん…。こんな組み合わせがあったんですね〜。(^^;)

撮影:To198403さん  関が原付近 1983.9.25
Mr.slim-EF5888 上の6348レさんの写真と同じく、雪かき器未装備の88号機です。やはり雪かき器取付座に誘導踏み段が取り付けられています。

撮影:Mr.スリムさんMr.スリムの道楽部屋  浜松 1973〜74頃
kumoyuni143-EF5888 88号機の迫力あるフォルムが強調されるアングルですね。う〜ん、かっこいいです。

撮影:クモユニ143さん  「銀河52号」  富士 1979
Tc153-501-EF5888 客車「踊り子」運転に備えて運転された試運転を牽く。
撮影:Tc153−501さん  国府津 198?年
ef5852-ef5888 上のTo198403さんと同じ列車ですね。
「落成間もない「なにわ」を東京区の88号機がエスコート。 この組み合わせは最初で最後だったのではないでしょうか?」(EF5852さん)
撮影:EF5852さん  金谷―菊川 1983.9.25
H-yamaguchi-ef5888 20系転属回送を牽き東海道を西下する88号機。機関車次位に電源車ではなく荷物車が付いているところが面白いです。重厚なイメージの88号機の影響か、後ろに続く20系もなんだか逞しく見えてきます。
撮影:山口裕志さん  田町 1980.10.4
H-yamaguchi-ef5888b 浜松区の台検代走で荷38レの先頭に立つ88号機。
撮影:山口裕志さん  荷38レ 大船 1981.9.28
ef5831-ef5888 ヘッドマークも誇らしげに東海道を快走する88号機。同機が「踊り子」以外のヘッドマークを付けた姿は意外と珍しいのでは?
撮影:EF5831さん  「RJ誌創刊200号記念ミステリートレイン」  焼津付近 1983.9.23
fj62g-ef5888-snowplough 可動式雪かき器のアップです。結構複雑な形をしているのがお分かり頂けるかと思います。雪かき器上面の両端に滑り止めになったステップが確認できます。
撮影:FJ62Gさん    東京 撮影年月日不明
fj62g-ef5888-snowplough2 サイドから見た連結部。雪かき器上面の両端に滑り止めになったステップが確認できます。
撮影:FJ62Gさん    東京 撮影年月日不明
yusha-ef5888 真夏の深緑の中を行く。つらら切りにスノウプラウの88号機がこういうシーンを行くと、何だか上越の山の中の様な気がしてきます。
撮影:遊写さん    三島―函南 1978.8頃
BIN-EF5888 12系団臨を牽く88号機。上から見下ろしたアングルにも関わらずつらら切りはさらに上を向いています。88号機のつらら切りが如何に上向きかが分かります。これは2エンド側の写真ですが、屋根上後方にガーランド形のSG排煙口の姿が確認できます。
撮影:BINさん    8103レ  保土ヶ谷―戸塚 1980.2.24
sugi-ef5888 可動式雪かき器を取り付けながら、誘導踏み段の無い姿です。よくよく見ると前端バリ側面から雪かき器に向けて細い支柱が伸びています。これは前端バリ側面に誘導踏み段取付後には見られない物です。 こちらは1エンド側ですが2エンド側にも同様の支柱が確認できます。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん    東京機関区 1975.4.5
sugi-ef5888 その前端バリ側面から雪かき器に向けて伸びたステーですが、上の写真では分かりにくいので拡大してみました。前端バリ側面の下部に2本のボルトで留められた細い支柱が雪かき器背面に向けて伸びています。 一体どういった意図で設置されたのでしょう?
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん    東京機関区 1975.4.5
sugi-ef5888 上の写真から1年4か月後の2エンド側の姿です。夏の為か可動式雪かき器は取り外され、雪かき取付座に誘導踏み段が取り付けられています。前端バリ側面には上写真に見られるステー取付跡の穴が確認できます。ワイパーは機関士側がWP50で助士側はKW3D腕折り式です。 ちなみに後方に見え旧形電機は東京区のEF10でしょうか。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん    東京機関区 1976.8.6
sugi-ef5888 同じく雪かき器無しで誘導踏み段ありの姿です。こちらは1エンド側です。2エンド同様ワイパーは機関士側がWP50で助士側はKW3D腕折り式です。88号機の可動式雪かき器取り付けが常態化されたのは一体いつからなのでしょう?ちなみに154号機の宇都宮転出がこの写真が撮られた数日前の1976年8月1日なので、この年の冬あたりからかもしれません。何れにせよ、1976年〜1980年の間の本機の写真を確認するしか手は無いですが。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん    東京機関区 1976.8.6
 EF58 89〔宇都宮(転)〕→JR東日本〔田端(転)〕
19810505-ef5889-2 61号機とともにJR東日本で長らく活躍した89号機の直流標準色時代。本機も新製時からパンタグラフはPS15でした。

※つらら切り 電暖 電暖表示灯旧 原形フィルタ PS15パンタ
406レ「津軽4号」  東大宮―蓮田 1981.5.5
製造年月日:S31.8.3
製造:日立製作所
廃車:H11.10.8〔田端〕
現在、JR東日本・鉄道博物館にて茶色姿で保存
EF5889 20系急行「新星」(?)を牽いて上野に到着した89号機。この姿で他のゴハチに混じって活躍する姿は、特に目立った物ではありませんでした。
上野 1979.8.17
EF5889 こちらはJR化後の姿。両毛線で「レトロトレイン」を牽引。ゴハチはサイドビューも実に魅力的です。JR化後も同じ東日本所属のロクイチと共にイベント列車の牽引に活躍しましたが現在は廃車となりJR東日本の鉄道博物館内にて展示中です。
大平下―岩舟 1996.4.29
ef5853-EF5889 「これがワタシの最後(?)の走る89の姿の写真です。」(EF5853さん) 

撮影:EF5853さん  9546レ 原宿 1981.9.8
packman-EF5889 こちらはその名もパックマンさん撮影の東北本線を行く直流標準色時代のパックです。願わくば、もう一度この勇姿を見たかったですね…。(;_;)

撮影:パックマンさん  宇都宮−雀宮 1982
packman-EF5889-orisaro 掲示板でお世話になっているパックマンさん撮影のパック&オリエントサルーン。これは両者が初顔合わせの時だそうです。
「この場所は宇都宮の人間にとって撮鉄の聖地だったのですが、今では撮影不可になってしまいました。(田んぼがつぶれて住宅地になってしまいました(>_<))」パックマンさん
撮影:パックマンさん  宇都宮―雀宮 1987.6.7
packman-ef5889b こちらも同じ列車の下りの姿。
撮影:パックマンさん  矢板 1987.6.7
packman-ef5889c 「この日は友人の親父さんが車で追っかけをしてくれました。 私にとって”初めての追っかけ体験”でした。(^^; 」(パックマンさん)
撮影:パックマンさん  矢板―野崎 1987.6.7
ef5853-EF5889b 「今はなき上野19番線に到着する89。この前のコマはちなみに全て57です・・・。」(EF5853さん)
撮影:EF5853さん  8404レ「ばんだい53号・ざおう52号」 上野 1976.8.17
JZA70-EF5889 こちらはJZA70さん撮影の「はくつる」のヘッドマークを付けた89号機です。これは茶色になる前に145号機と重連で運転されたミステリー列車のようです。
撮影:JZA70さん  「重連ミステリーの旅号」  上野 1984.4.1
nanakubo-EF5889 こちらは七久保さん撮影の89号機です。JR化後も長く茶色塗装で活躍した同機も現役引退後、この青色塗装に再び戻って大宮工場に保存されました。現在は鉄道博物館への収蔵に際し三度目の茶色塗装になっています。
撮影:七久保さんNanakubo's Room   上野 1982.6
EF5889+61 国鉄最後の夏にパックとロクイチの重連で上越線に運転された「EF上越号」。
撮影:みっくさん  渋川―敷島 1986.8
packman-ef5889b 「宇都宮駅110周年記念列車」を牽き旧客(この頃は雑形客車と呼んでましたね)の先頭に立つ89号機。青い旧客の姿も懐かしい…。
撮影:パックマンさん  雀宮―宇都宮 1985.7.28
packman-EF5889-kourin-a 同じくパックマンさん撮影の日光線を行く青色時代のパックの工臨風景です。
撮影:パックマンさん  鶴田―宇都宮 撮影年月日不明
packman-EF5889-kourin-b 多分、上の写真と同日と思われます。
撮影:パックマンさん  宇都宮―雀宮  撮影年月日不明
JZA70-EF5889b JZA70さん撮影の「サロンカーなにわ」を牽いて、名所、白糸川橋梁を行く89号機です。 
「この鉄橋も今ではすっかり変わってしまいましたねぇ。いろいろなアングルで撮れて一日いてもあきなかったものですが」(JZA70さん)
撮影:JZA70さん  根府川―早川  1983.9?
Tc153-501-EF5889 やはり89号機もこちらの姿の方がより「らしく」感じられます。 
「この頃は知名度の高い152・153号機に隠れてしまい、あまり目立たぬ機関車でした。」(Tc153−501さん)
撮影:Tc153−501さん  宇都宮運転所  1982年?
ef5852-ef5889 こちらは国鉄時代、茶色に塗色変更され活躍した姿です。
「茶色に塗装されて奇跡の復活を遂げた89号機は、イベント色が強くなり、特別扱いされていたように思えます。そのため茶色になってからの同機は、荷物列車運用に3回しか充当されなかったという話を聞いたことがあります。」(EF5852さん)
撮影:EF5852さん  赤羽―田端(操) 1984.12
H-yamaguchi-ef5889 20系団臨を牽き山手貨物線を行く89号機。上のEF5853さんと同じ列車ですね。
撮影:山口裕志さん  9546レ 高田馬場―目白 1981.9.8
packman-ef5889c 89号機+ナコ展。この当時、私は鉄を離れていたので良く分からないのですがこの組み合わせは良くあったのでしょうか?
撮影:パックマンさん   宇都宮―雀宮 1984,5年頃
c51-ef5889 ずらりと並んだ10系寝台が壮観ですが、臨時でしょうか?この当時は東北本線にはEF56やEF57も健在で、EF58はどちらかと言うと脇役的存在だったようです。
撮影:椎野吾一さん椎野吾一の鉄道博物館  蕨付近 1973.3.28
fj62g-ef5889b 田端機関区で開催された撮影会でEF80と顔を並べるパック。国鉄民営化を控えてこの年の夏は本当に各所で撮影会が行われた様ですね。パックの「エキスポライナー」マークが時代を反映してますね。それにしてもEF80に「みずほ」マークはちょっと…ねぇ。
撮影:FJ62Gさん  田端機関区 1986.8.25
国鉄最後の日。89号機は「ふれあいみちのく」を使用した「旅立ちJR北海道号」の上野〜黒磯を担当。

撮影:ロクイチさん  「旅立ちJR北海道号」  上野 1987.3.31
川口を通過する「旅立ちJR北海道号」。私はその日の夜、テレビの特番で「旅立ちJR号」の出発を見送りましたが、当日の各地の狂騒ぶりはこの写真の右後ろ線路内に入って写真を撮ってるファンの姿からも想像できましょう…。(@_@)
撮影:ロクイチさん  「旅立ちJR北海道号」  川口 1987.3.31
シナ座牽引に登場の89号機。冬期の81系お座敷牽引はEGを持つパックの真骨頂。
「DD51842で入線し、89が単機で入線したシーンです。」(shinobuさん)

撮影:shinobuさん   上野 1984.12頃
1986年8月に上越線・高崎〜石打間に運転された「EF上越号」でロクイチとの重連先頭に立つ89号機。土樽手前の魚野川橋梁を行く。
「「EF上越号」が高崎〜石打で運転されたのは1986年8月25日から29日までの5日間でした。牽引機は3通りあり、25日がEF641000番代の重連。26、27、29日が石打←EF5861+EF5889→高崎 の重連28日が高崎〜水上:EF551、水上〜石打:EF551+EF641001(往路、復路共EF551が先頭)でした。」(ゴハチ信者さん)
撮影:たなよしさん   上り「EF上越号」  越後中里―土樽 1986.8.26、27、29
中野電車区の公開でEF6436、EF651026と共に展示された89号機。この頃の展示ってやたらとヘッドマークを付けるのが流行っていたのか、パックに「みずほ」はまだ良いとして、64に「ゆうづる」は無いだろぉ…と個人的には思ってしまいますが。あり得ない組み合わせが良いというのもあるんでしょうね。
撮影:FJ62Gさん  中野電車区 1988.4.2
茶パックに「はくつる」マークが渋いです。隣は…う〜ん…。
撮影:FJ62Gさん  中野電車区 1988.4.2
「はくつる」を彷彿させる「イベント86 田端運転所」と書かれたヘッドマークを付け、大宮に進入する89号機と12系。国鉄末期に色々と行われた夏休みのファン向けイベントの一つ、1986.8.22〜1986.8.25に開催された田端運転所100周年記念イベントのアクセス列車として、第1会場の田端操と第2会場の東大宮操との間を12系6連を牽いて期間中毎日1往復したとのことです。(ゴハチ信者さん、ご教示ありがとうございます)
撮影:FJ62Gさん  上り「イベント86」  大宮 1986.8.24
上の写真と同じくイベントアクセス列車を牽く姿です。
今度は何となく「彗星」や「あかつき」を彷彿させる「ゆめ TAIKEN」と書かれたヘッドマークを付けて登場です。この「ゆめTANKEN」のヘッドマークは最終日にだけ取り付けたとのことです。
撮影:FJ62Gさん  上り「ゆめ TAIKEN」  大宮 1986.8.25
一見、ブルトレを牽引しているみたいですね。なかなか綺麗なヘッドマークです。
撮影:FJ62Gさん  上り「ゆめ TAIKEN」  大宮 1986.8.25
品川駅に停車中の89号機と「ふれあいみちのく」。ヘッドマークに「ありがとうを笑顔にのせて、1周年 JR東日本」の文字があり、JR発足1周年を記念した企画の一つの様です。 同じヘッドマークを付けた61号機牽引の企画もいくつかあったようです。(61号機のページ参照)
撮影:FJ62Gさん  上り「ゆめ TAIKEN」  品川 1988.3.29
50系客車3両の転属回送?の先頭に立つ。
今も昔とそれほど変わっていないように思う品川駅構内ですが、こうして見ると幾分空が広く開放的に感じます。
撮影:FJ62Gさん  品川 1986.11.11
81系お座敷の先頭に立ち大井町駅を通過。
歩道橋脇のカラフルな壁の喫茶店?の姿も懐かしいです。
撮影:FJ62Gさん  大井町 1987.2.28
品川に到着後、機回しされる89号機。 下向きのつらら切りが精悍です。
点灯中の電暖表示灯、通常の水切りに継ぎ足されたつらら切りの取り付け具合にも注目。
撮影:FJ62Gさん  品川 1987.2.28
機回しを終え再び81系の先頭に立つ。
少々汚れ気味ですが、この感じが何ともパックらしいと言ったら失礼でしょうか。
撮影:FJ62Gさん  品川 1987.2.28
西武線を横目に山貨を快走するパックと81系。 当然の事ながらパックの電暖表示灯は消灯中〜。(電暖使用中)
撮影:FJ62Gさん  新大久保 1987.2.28
20系10連を牽引する89号機。
「確か、20系のお別れ運転だったと思います。撮影場所を探しているうちに来てしまいました…。」(FJ62Gさん)
資料を見ると「さよなら国鉄 尾久駅 鉄道ファン感謝デー」の団臨で、東大宮操まで運転された物のようです。
撮影:FJ62Gさん  王子 1987.3.29
ファンサービスでしょうか、カヤ21 13のテールには「ゆうづる」のマーク。
撮影:FJ62Gさん  王子 1987.3.29
上でご紹介した1986.8.22〜1986.8.25に開催された田端運転所100周年記念イベントの第2会場・東大宮操車場の様子です。イベントアクセス列車のマークを掲げた89号機と特急塗装のEF60 501。EF60は実際には「瀬戸」の牽引はしていませんがよく似合っています。
撮影:品川丼さん  東大宮操車場 1986.8
上の写真と同じ並びでパックの左は何と遠路はるばる関門から参加のEF30です。
「田端〜東大宮往復の乗車券のみで参加できましたが、急行型の12系客車に乗車できる上、田端操から東大宮操まで貨物線経由で乗車できた事が凄く嬉しかった事を思い出します。」(品川丼さん)
撮影:品川丼さん  東大宮操車場 1987.3.29
FJ62G-EF5889 サロンエクスプレス東京を使用した「御殿場ファミリー号」の先頭に立つ89号機。2週続けて土日に運転されたようです。国鉄最後の夏という事もあってか、こうした企画列車も頻繁に運転されていたようですね。さぞかし熱い夏だったのでは…。私は完全に非鉄時代です。
撮影:FJ62Gさん  9746レ「御殿場ファミリー号」  品川 1987.8.8
sugi-ef5889 「列車番号が不明です。ネガを確認すると、前に3007M「白山3号」、6101レ「八甲田51号」、後に11M「みちのく」が写ってます。」(針葉樹林鉄道研究会の杉さん)
手元にある1976年8月の時刻表を見ると、前後の列車から14番線着の8402レの可能性が高そうです。列車は「ばんだい51号」もしくは「ざおう51号」あたりでしょうか。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  列車番号不明  上野 1976.1.4
tankai-ef5889 JR発足から1年。「江戸」を牽き東北本線を駆け抜ける89号機。ジョイフルトレインの先頭に立つ姿もすっかり板についています。
撮影:単回もなかなかさん    東大宮―蓮田 1988.4.17
jm1xsj-ef5889 新鶴見機関区構内でEF65529と顔を会わせた現役青色時代の89号機。青色姿をもう一度見たいところです。てっぱくのパックをわざわざ青に塗り替えるのは難しいでしょうが、最近流行のラッピングだったら可能性はあるでしょうかね。
撮影:jm1xsjさん    新鶴見機関区東機待 1981.9頃
snowman-ef5889 水戸局の81系お座敷を牽き身延線内を行く。ぶどう色のパックと同じくぶどう色のミト座の組み合わせが良く似合います。パックのちょっとくたびれた感じも含めて、まるで昭和30年代の光景ぽくて渋いです。
撮影:スノーマンさん     富士宮―源道寺 1989.10.15
torisugari-ef5889 高崎局のお座敷「くつろぎ」旧塗装の先頭に立ち品川で発車を待つ。つい数年前までは品川駅のこの辺りはこの当時とほとんど変わりませんでしたが、今はかつての面影はすっかり無くなってしまいました。
「通常、東海道スジを8102レで上ってくると品川からは高二のEF64で高崎線へ向かいますがこの日は小山方面へ向かったので宇都宮のEF58の出番となったようです。」(通りすがりの国鉄ファンさん)
撮影:通りすがりの国鉄ファンさん     品川 1985.2.7
 EF58 90〔高崎第二〕
EF5890 上越形ゴハチの標準的な形態の90号機が牽く寝台急行「天の川」。急行用電源車カヤ21の登場で、P形で無くても20系の牽引が可能になりました。同機も新製時からパンタグラフはPS15でした。

※電暖 電暖表示灯旧 上越形 PS15パンタ
803レ「天の川」  大宮 1980.12.31
製造年月日:S31.9.1
製造:日立製作所
廃車:S58.6.18〔高崎第二〕
EF5890 同じく20系急行「天の川」を牽いて上野駅13番線に到着、推進回送待ちの姿です。つらら切りの付いた上越形には雪が良く似合います。隣のゴハチは臨時「八甲田」を牽いてきた153号機です。この当時の13番線はまだ柱も少なくホームが広々としていました。
802レ「天の川」  上野 1981.1
nanakubo-EF5890 こちらは七久保さん撮影の鶯谷を行く同機です。
撮影:七久保さんNanakubo's Room   鶯谷 1982.6
TF-EF5890 T.Fさんの叔父さんが撮影したという、昭和40年代前半の同機です。原形の前面窓、大型の原形雪かき器に茶色塗装は当然として、いくつか興味深い所があります。まず、標識灯掛けがこの時点で前端バリ上に増設されていますが、車体裾の原形箇所の物もそのまま残っています。また、前面ステップの両端部はまだ、欠き取りが行われていません。ところで、誘導握り棒が根本から曲がってますが、事故にでもあったんでしょうか…。
写真所蔵:T.FさんくらはやしみのるのB級HP)  上野 1966頃
EF5852-EF5890 「荷物列車を牽引する上越形の90号機ですが、つらら切りが上向きとなっています。」(EF5852さん)
撮影:EF5852さん  赤羽―田端(操) 1982.11.14
ef5831-ef5890 東北本線の荷物列車の先頭に立つ90号機。高崎のカマは宇都宮のカマと混じって東北スジの荷物列車の牽引も担当していました。
撮影:EF5831さん    蓮田―東大宮 1981.5
 EF58 91〔宮原〕→〔浜松〕
EF5891 「銀河51号」を牽いて横浜に入線する91号機でこちらは2エンド側です。前面窓のHゴム化、ワイパー交換前の美しい姿です。また、この時点ではSG排煙口は原形のガーランド形の様です。同機は製造時はPS14Aパンタグラフを装備してましたが、後にPS15に換装されています。それにしても、国鉄時代は今と違い臨時でも10連や12連と編成が長かったですね。既に40年近く前の情景になりましたが駅ホームは上屋など、印象はそれほど現在も変わりませんね。背後の相鉄ジョイナスが建設中です。

※PS15パンタ
6102レ「銀河51号」  横浜 1977.3.26
製造年月日:S31.5.8
製造:東京芝浦電気
廃車:S59.11.26〔下関(転)〕
kk0630-EF5891 こちらはkk0630さん撮影の前面窓周りの改造後の姿です。今となっては懐かしいアングルです。
撮影:kk0630さん  根府川付近 1984.3.24
morishige-EF5891 国鉄時代晩年の1984.8.1〜1984.8.31に浜松機関区にて開催された撮影会に登場した91号機。既に区名札も外されているので運用離脱後の姿と思われます。
撮影:Morishigeさん  浜松機関区 1984.8
Tc153-501-EF5891 「いつの間にか消えてしまった「恵比寿のゴハチ」の現役時代。91=ブルトレ色、93=青大将色、ともに現役時代に経験がない塗装でしたね。」(Tc153−501さん)
撮影:Tc153−501さん  荷33レ  平塚付近 1983年
nijinochichi-ef5891 荷物列車の先頭に立ち豊橋駅に佇むこんな光景も日常的なものでしたね。
撮影:二児の父さん  豊橋 撮影日不明
ohno-ef5891 同じく宮原区時代の同機が3号機を従えて荷35レの先頭に立つ。
撮影:ohnoさん  荷35レ  大船 1978.5.16
H-yamaguchi-ef5891 スロ編成(62又は81)を牽き新子安を通過。これらの団臨での活躍が、その後のジョイフルトレイン登場の先駆けとなったと言えるでしょう。
撮影:山口裕志さん   新子安 1981.9.9
EF5860-EF5891 「恵比寿ビアトレイン」としてブルトレ色に変更され第2の人生(車生)を送る91号機。ガーデンプレイスのオープンで後ろの旧客と共に姿を消してしまいましたね。私も鉄をしてない時期に一度友人と行きましたが、旧客を利用した店内はなかなか良い雰囲気でした。今にして思えばきちんと表敬訪問しておけば良かった…。
撮影:EF58-60さん  恵比寿ビアトレイン 撮影日不明
「後方の客車は落成間もないナコ座です。 東海道本線内をエスコ−トする機関車は浜松区のEF58か米原区のEF58が多かったと記憶しています。」 (EF5852さん)
正面から若干下ぶくれ気味な印象ですね。
撮影:EF5852さん    焼津―藤枝  1983.7
sugi-ef5893 原形小窓時代の91機です。本機の前面窓のHゴム改造はこの翌年の1980年6月と同改造としては最晩年になります。 (最終改造機は102号機の1981年5月)
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  荷37レ  大阪 1979.7.11
jm1xsj-ef5891 浜松機関区のイベントで「はと」のゴナナ用の大形ヘッドマークを付けた姿です。2000年の品川鉄道探検隊でロクイチに取り付けられていたのもこのマークですね。直径が800mmと大きい為、91号機の取付座と位置があっておらずマークが大分上にずれてしまっています。上の取付座を使用すれば様になりそうですが、取付が大変だったんでしょうね。
撮影:jm1xsjさん    浜松機関区 1984.8
shin-san-ef5891 荷物列車を牽き朝の東海道本線を行く原形小窓時代の姿。こちらは1エンド側ですがこの時点では屋根上のSG排煙口が原形のガーランド形です。一番上の私が撮った原形小窓時代の写真でもよく見るとその様です。
「大阪〜九州のEF58牽引ブルートレインが次々とやって来る朝の時間帯の須磨〜塩屋で、同じ58が牽引しているという事だけで撮影しました。今となっては荷物列車も意識して撮っておけばよかったと思っています。この時は高校受験の中3にもかかわらづず、勉強お構いなしで撮影に行ってました。」(床屋のシンサンさん)
撮影:床屋のシンサンさん   塩屋―須磨 1978年
117KM-EF5891 次位に下関時代の66号機を従えて、81系お座敷の先頭に立つ姿でこちらは1エンド側です。屋根上のSG排煙口が原形のガーランド形なのが確認できます。
京都駅旧1番線からの撮影なので上り列車ですね。この後、91号機はすぐに切り離されて引き上げたそうで、その後のシーンがこちらです。
撮影:117KMさん   上り回送?  京都 1974.2
117KM-EF5891 上の写真の部分拡大です。スカート前面に国旗掲揚装置の下部の台座取付跡の様な穴?が縦に2つ、左右2か所にあるのが確認できます。もしかしたらかつて御召予備機に指定された事があったのかも知れません。東芝製独特の柔らかなオデコカーブが光の反射で良く分かります。
撮影:117KMさん   上り回送?  京都 1974.2
 EF58 92〔宮原〕
6348-EF5892 こちらも宮原の原形小窓機。本機も製造時はPS14A装備車です。

※原形小窓 原形ワイパー PS15パンタ
撮影:6348レさん  102レ「銀河」  早川 1979
製造年月日:S31.5.10
製造:東京芝浦電気
廃車:S56.6.1〔宮原〕
ohno-ef5892 東海道の名物列車、荷35レ先頭に立つ92号機。荷35レがゴハチ重連となったのは50.3改正から53.10改正までの3年半あまりでした。
撮影:ohnoさん  荷35レ  東神奈川―横浜 1977.8.2
ef5831-ef5892-2 20系「銀河」を牽引し、朝の大阪駅に到着。帰省シーズンの増結か通常より1両多い13両編成でとても長く見えますね。
撮影:EF5831さん  103レ「銀河」  大阪 1978.8.6
ef5831-ef5892b 荷35レで重連の先頭に立つ92号機。後ろにチラッと見えるDD13一次形もこの頃の品川の主的存在で、昼間にブルトレの入れ換えで良く駅構内に姿を見せていました。
撮影:EF5831さん  荷35レ  品川 1978.8.8
shizuhata-ef5892 ピカピカのブルトレ塗装も眩しい92号機牽引「さくら」。パンタはPS14です。機関車次位のカニ22のパンタも勿論上がっています。
撮影:しずはたさん    東京 撮影年月日不明
shin-san-EF5892 下り「銀河」を牽き終点大阪駅にて福知山線のDD51539と顔を並べる。 DD51の屋根上に漂うスチームから寒い時期の撮影と想像できます。1980年初めでしょうか。
撮影:床屋のシンサンさん   103レ「銀河」  大阪 1980年
 EF58 93〔浜松〕→〔東京〕
suda-EF5893 「現役時代の93で、パテ窓&原型ワイパーです。ここからバトンタッチして上り列車の先頭に付こうというところですが、連結後の写真がなくなっていたため、荷レだったのか団臨だったのかわかりません。」(すだっちさん)
ワイパーは製造時はKW3Dの直腕式のはずですが、この写真の時点では腕折れ型に交換され、取付位置も変更されています。備品の都合で交換されたのでしょうか。

※PS14Aパンタ
撮影:すだっちさん  浜松 1979
製造年月日:S31.7.9
製造:東京芝浦電気
廃車:S60.7.26〔新鶴見〕
JR東日本大宮工場にて保存後、H28(2016)年11月解体
to198403-EF5893 こちらはTo198403さん撮影の浜松区時代末期の93号機です。既に正面窓がHゴム改造され、ワイパーもWP50とWP35に交換されています。上のすだっちさんの写真と比べると、大分表情が違いますね。
「荷33レを牽く浜松時代末期の93です。この時点では、まだ普通の浜松の一員だったのですが。この後、まさか東京に来ることになるとは・・・、ましてや青大将になって1999年現在も存在することになるとは。」(To198403さん)
撮影:To198403さん  荷33レ 保土ヶ谷―東戸塚 1983.12
to198403-EF5893b 同じくTo198403さん撮影の東京区時代の93号機です。
「93にとっては「紀伊・出雲」以来の特急牽引でしょうか?元浜松の下関組、廃車組の分まで頑張っていた(?)東京時代です。」(To198403さん)
撮影:To198403さん  保土ヶ谷―東戸塚 1984.3
nijinochichi-ef5893 二児の父さん撮影の浜松区時代の同機です。
撮影:二児の父さん  鶴見 撮影日不明
ef5852-ef5893 「当時は原則的に日中ヘットライトを点灯させて走ることはありませんでした。しかし、トンネルの続く区間だとヘットライト点灯の走行シーンを撮影できる可能性がありました。」(EF5852さん)
撮影:EF5852さん  荷33レ 根府川―真鶴 1984,1
14系座席車の団臨を牽き大阪に到着した93号機。「東」の区名札も懐かしい…。車体もお世辞にも綺麗とは言い難く、最晩年の姿でしょうか。
撮影:北極ぐま閣下さん   大阪 1985年頃
sugi-ef5893 原形小窓に腕折り式のKW3Dワイパー姿の93号機。朝陽に輝く正面が美しいです。
「単機回送なので、順光になるよう後ろ姿を撮りました。この日は、早朝の上り『鷲羽』から昼過ぎまで線路脇で撮影しています。」(針葉樹林鉄道研究会の杉さん)
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  下り単回  摂津本山―住吉 1979.5.28
fj62g-ef5893 青色の標準色で大宮工場に保存されていた当時の姿。何かこの姿の方が格好良く見えたりして…。(^^;)
撮影:FJ62Gさん  大宮工場 1985.8.17
みっくさん EF5893 車籍抹消後、大宮工場で保存された93号機は往年の青大将塗装に塗り替えられ、1985年9月と1986年3月の二回(で正しいかな?)、大宮工場内で体験運転会に使用されました。現役時代の最終配置区は新鶴見区(事実上は東京区)でした。ちなみに、同機は現役当時に青大将にはなっていません。また、ヘッドマークで隠れている飾り帯の合わせ部分の黄色1号の帯の塗り分けが、オリジナルとは異なっています。
撮影:みっくさん  大宮工場 1986.3
「会場に入ったときは目を疑いました。Hゴム+青大将は1年も経たない内に小窓に戻されたと思います。」(FJ62Gさん)
後方の125号機も今はなく…。
撮影:FJ62Gさん  大宮工場 1986.3.30
「前に見たときと何か違う…」と思ったら原型窓に。水切りの位置も上だし、ワイパーも原型ではないので違和感がありますね…。」(FJ62Gさん)

この時も体験運転会が行われたんでしょうか?なんかそれっぽい雰囲気です。
撮影:FJ62Gさん  大宮工場 1986.8.23
EF5893 同じく大宮工場保存中の93号機の姿。エアフィルタがよろい窓に、前面窓がパテ式へ復元されましたが、水切りは交換されたままとなっていてオリジナルとは微妙に違った表情です。上のすだっちさん、みっくさんの写真と比べると違いが良く分かります。パンタは上がっているものの架線が無いのが寂しい…。(;_;) こちらは1エンド。
大宮工場 1994.10.10
EF5893 ヘッドマーク無しの姿。こちらは2エンド側で1エンド側では欠落している汽笛が確認できます。青大将塗装でヘッドマークを付けると隠れてしまう、飾り帯前面の合わせ部分の黄1号の帯の塗り分けが下に落とし込まれておらず、オリジナルとは異なっています。
大宮工場 1994.10.10
 EF58 94〔浜松〕
EF5894 1979年6月に宮原区から浜松区に転属した本機の正面窓のHゴム化、及びワイパーの交換がされる前のすっきりとした姿です。1980年当時、浜松区のゴハチは殆どが正面窓のHゴム化が施工されており、同区の原形小窓機は貴重な存在でした。本機は新製時からパンタグラフはPS15となっています。本機の屋根上の抵抗器室カバーは川崎製の特徴の1エンド側と2エンド側が同じ小さな物になっています。

※抵抗器室カバー変形 PS15パンタ
荷33レ  根府川―真鶴 1980.2.10
製造年月日:S31.5.12
製造:川崎車輌・川崎重工
廃車:S59.9.11〔下関(転)〕
EF5894 上り荷物列車を牽き沼津駅に進入する94号機。前面窓はまだ原形です。 御殿場線のスカ色73形を撮りに来た際に何気なく撮影したカット。隣に見えるのは御殿場線名物のトイレ付のサハ78です。沼津駅のホームは木製柱など現在もこの当時の面影が色濃く残っています。
荷38レ  沼津 1979.9.23
EF5894 残暑のぎらぎらした西日を浴びて東海道を西下する94号機。正面窓のHゴム支持、ワイパーの機関士側WP50、助士側WP35への交換が行われています。 ちなみに荷2033レは昭和55年10月改正までは浜松区の受け持ちでした。コダクローム64で撮影した物ですが、さすが評判通り現在でも撮影当時の鮮やかな色を保っています。
荷2033レ  早川―根府川 1980.8
6348-EF5894 小田急7000系LSEの甲種回送を牽引する印象的な姿です。「甲種回送にも活躍していた姿を若い人にも見てもらいたい」と6348レさんが送って下さいました。
撮影:6348レさん  早川 1980.12.9
kk0630-EF5894 下関に転属し、最後の活躍をする94号機。
撮影:kk0630さん  荷39レ  大阪 1984.3.18
tc153-501-EF5894 こうして荷物列車の先頭に立つ姿は晩年のEF58のごく普通の姿でした。
撮影:Tc153−501さん  荷33レ 平塚付近 1983
ゴハチと12系客車の組み合わせもゴハチ晩年の最も目に馴染んだ姿と言えましょう。何の変哲も無い浜松ガマと12系。それ故、今になってとても懐かしい光景です。
撮影:EF5852さん    焼津―藤枝  1983.8.2
sugi-ef5894 宮原区時代の姿で当然の事ながら原形小窓、ワイパー時代です。パンタのスリ板も鉄製です。川崎製の丸っこいおでこのカーブが見て取れます。こちらは1エンド側。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  下り荷レ  大阪 1975.4.29
sugi-ef5894 14系座席車で組成された急行「雲仙・西海」を牽く同じく宮原区時代の94号機。こちらは2エンド側です。長編成の14系の先頭に立つ姿は急客機の面目躍如と言ったところ。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん   202レ「雲仙・西海」   住吉―摂津本山 1976.3.3
bin-ef5894 宮原区時代の本機が上り20系「銀河」を牽き新子安を通過するシーン。ブルーの直流標準色で原形窓のゴハチと20系客車の組み合わせはやはり良く似合います。こちらは1エンド側。本機はこの2ヵ月後に宮原から浜松に転属しています。
撮影:BINさん  104レ「銀河」  新子安 1979.4.9
 EF58 95〔宮原〕
EF5895 「明星6号」を牽いて大阪に到着した95号機。「明星」は関西ブルトレで最後までゴハチが牽引した列車でしたが、この頃はヘッドマークが無いのが残念でした。同機は新製時のパンタグラフはPS14を装備していましたが、後にPS15に換装されています。本機のSG排煙口は希少な原形のガーランド形でした。本機も屋根上の抵抗器室カバーは川崎製の特徴の1エンド側と2エンド側が同じ小さな物になっています。

※原形小窓 抵抗器室カバー変形 原形ワイパー SG排煙口原形(ガーランド形) PS15パンタ
6032レ「明星6号」  大阪 1979.8.16
製造年月日:S31.7.16
製造:川崎車輌・川崎重工
廃車:S56.8.19〔宮原〕
EF5895 同じく「明星6号」牽引の同機のお顔のアップです。随分と汚れていますが夏場の夜行列車牽引機の宿命ですね。この角度で見るとオデコの丸みが強調されます。
6032レ「明星6号」  大阪 1979.8.16
EF5895 銀河 20系「銀河」を牽き東上する95号機。ゴハチにはやはり20系客車がよく似合います。
104レ「銀河」  大森―大井町 1980.9.23
H-yamaguchi-ef5895 同じく20系「銀河」の先頭に立つ95号機。上の写真と同日です。
撮影:山口裕志さん  104レ「銀河」  大船 1980.9.23
sugi-EF5895 新製間もないピカピカの24系25形ブルトレの先頭に立つ95号機。原形小窓機と25形の組み合わせは個人的には少々似合わない印象です。サイド寄りのアングルだとオデコのカーブ具合が分かります。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん   40レ「あかつき4号」  住吉―摂津本山 1979.5.28
sugi-EF5895 丸っこいオデコの川崎製の95号機、同一アングルの142号機と比べると違いが分かります。 ちなみに東芝製の80号機は川崎製ほどではないですが、やはり丸い印象のオデコです。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん   8203レ  摂津本山―住吉 1980.1.11
 EF58 96〔宮原→米原〕
EF5896 上の95号機と同様エアーフィルタとPS15に換装されたパンタグラフ以外は原形箇所を多く残していた機関車で、SG1Aの排煙口も原形のガーランド形でした。パンタは新製時はPS14Aを装備していました。ちなみにこの日は61号機牽引の懐かしのオールドトレイン「つばめ」の上りが運転された日です。普段とは違うあまりの鉄ちゃんの多さに乗務員が驚いて顔を出してました。肝心の「つばめ」の写真はどこいった??ちなみにこの写真の時点では同機は宮原区所属です。
荷36レ  真鶴―湯河原 1981.7.26
製造年月日:S31.5.9
製造:三菱電機・新三菱重工
廃車:S60.7.2〔下関(転)〕
EF5896 古いネガから発掘。当時、東京の中央線沿線に住んでいた自分にとって、趣味誌で見ていて憧れだったEF58と意識して写真を撮ったのはこの日が初めてでした。SGのスチームを吐きながらホームに入ってくる長い長いゴハチの車体に感激していました。

※原形小窓 原形ワイパー SG排煙口原形(ガーランド形) PS15パンタ
荷32レ  横浜 1976.4.29
kk0630-EF5896 昭和55年(1980年)10月に宮原から米原へ転属、昭和57年に他の米原区のゴハチに合わせてP形改造が行われています。同機はさらにEF62への置き換え目前に下関区に転じ、最後まで原形小窓・原形ワイパーの美しい姿で活躍しました。屋根上の原形のSG排煙口が良く分かります。
撮影:kk0630さん  大阪 1984.3.21
kumoyuni143-EF5896 米原機関区撮影会で往年のブルトレ牽引姿を披露。「あかつき」のヘッドマークが良く似合いますね。
撮影:クモユニ143さん  米原機関区  1984.8.3〜8.5
Tc153-501-EF5896 SGの蒸気を屋根にまとわせながら、国府津を通過する96号機。背後にちらっと見える大目玉113系もすっかり懐かしくなってしまいました。
撮影:Tc153−501さん  荷36レ  国府津  1983年?
teru-EF5896 生え抜きのエリート機関区、米原区のゴハチ最後の優等列車運用となった急行「きたぐに」を牽く96号機。
撮影:てるさんOutdoor.site  502レ「きたぐに」  吹田―東淀川  1983.3.26
ef5852-ef5896 「晩年の下関集中配置時代の96号機牽引の上り荷物列車です。鷹取工場整備の元米原機関区配置のカマは、きれいでよく整備されているという印象が強かったのですが、晩年の同機の飾り帯側面には錆びが浮いており車体の汚れも目立っています。この撮影の数日後には、荷物列車仕業をEF62に譲り廃車になりました。」(EF5852さん)
撮影:EF5852さん  荷38レ  柏原―関ヶ原  1984.3.22
fj62g-ef5874 米原機関区撮影会で顔を並べた96号機(左)と74号機。「つばめ」と「かもめ」のヘッドマークを付けた姿。
撮影:FJ62Gさん  米原機関区 1985.4.28又は29
fj62g-ef5896 同じく撮影会で顔を並べた96号機(左)と74号機。やはりこの姿には「つるぎ」「彗星」のヘッドマークが似合います。
撮影:FJ62Gさん  米原機関区 1985.4.28又は29
ef5836-ef5896 それぞれに個性のある米原区のゴハチ揃い踏み。36号機「つばめ」、96号機「かもめ」のヘッドマークに74号機のお召し装備と、この姿ではあり得なかった光景ですが、撮影会ならではと言ったところでしょうか。
撮影:EF5836さん  米原機関区 1984年?
sugi-EF5895 京都駅構内を入れ換え中の姿。上からのアングルで奥の1エンド側のガーランド形SG排煙口が確認できます。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん     京都付近 1980.5頃
taki10450-EF5896 荷物列車を牽き早朝の大阪駅に到着。こちらは2エンド側。米原転属後ですがP形改造前ですね。日立製と同様に三菱製の特徴の側面が直線的なオデコカーブが反射の具合で良く分かります。
「次位が郵便車なので、きたぐにかしら?と思いましたが、同じ日に113号機牽引のきたぐにを撮影しているので、96号機牽引は荷物列車だったようです。」 (タキ10450さん)
撮影:タキ10450さん(『タキ10450』の国鉄時代の記録) 荷37レ?  大阪 1981.8.9
 EF58 97〔宮原〕→〔広島〕
EF5897 米原機関区で休憩中でこちらは1エンド側です。よく見るとこちらのエンドの前面ナンバーは右に傾いています。宮原区の小窓機としては標準的な形態です。製造時のパンタはPS14Aで、この写真では分かりにくいですがPS15に換装済みでした。ワイパーは原形のKW3D。同機はこの後10月に広島区に転属後、4ヶ月ほどで廃車になっています。

※原形小窓 原形ワイパー PS15パンタ 1エンド側前面ナンバー変形
米原機関区 1980.8.25
製造年月日:S31.7.10
製造:三菱電機・新三菱重工
廃車:S56.2.5〔広島〕
EF5897 同じく米原機関区で休憩中の97号機。こちらは2エンド側です。三菱製のゴハチのオデコは直線的な日立と丸っこい川崎の中間くらいのイメージです。
米原機関区 1980.8.25
EF5897 同じ時に撮影のカラー。同じ原形小窓機でも、この頃の宮原区のゴハチは米原区のカマと比べると明らかに薄汚れた印象です。もっともそれだけ過酷な運用に就いていたと言えるかもしれません。
米原機関区 1980.8.25
c51-EF5897 リンクでお世話になっています椎野吾一さん撮影の同機でこちらは1エンド側です。右に傾いたナンバーが良くわかります。ネット等で画像を検索するとブルトレ塗装時代から傾いている姿が確認できるので、新製時からなのかも知れません。写真は銀河の回送を牽いて神田方から引き上げてきたところですね。隣のEF65500も懐かしい…。
撮影:椎野吾一さん椎野吾一の鉄道博物館  東京 1978.6.20
sugi-EF5897 わずか4両の荷物列車を牽き東海道を行く。本機は1981年2月と原形小窓機としては比較的早くに廃車になりました。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  荷2046レ  住吉―摂津本山 1979.9.30
 EF58 98〔宮原〕
6348-ef5898 こちらも宮原の原形小窓機ですが、標識灯が更新改造機と同じく外蓋交換式に改造されているのが独特です。また、本機のSGの排煙口は原形のガーランド式です。本機は最初からPS15パンタを装備しています。

※原形小窓 原形ワイパー SG排煙口原形(ガーランド形) 外蓋交換式標識灯 PS15パンタ
撮影:6348レさん  早川 1979
製造年月日:S31.5.9
製造:東洋電機・汽車会社
廃車:S60.1.8〔宮原〕
karashima-EF5898 「この列車は今はなき特急『つるぎ』の回送で、大ムコ持ちの24系25型を宮操に回送する為の列車です。この列車の存在を知ったのは、通勤帰りの環状線から見たときで、初めて見たときはロングシートに子供座りしそうなぐらいびっくりしました。(爆)
この日の牽引機は、朝『回5006レ』で宮操から大ムコまで行き、ずっと昼寝して夜にこの列車を牽引するという、全く持って楽な仕業に就けるものでした。しかし今考えれば、敦賀(富山二区?)のEF81に牽引させれば事足りるので、大鉄局のファンサービスだったとしか考えられません。そういう意味では、大鉄局さん有り難う列車だったわけですね。(笑)」(辛子真緑さん)
撮影:辛子真緑さん  回5005レ  大阪 1983.12.31
ef5852-EF5898 「熱海駅を通過する宮原区配置の98号機牽引の荷物列車です。標識灯が外ふた開閉式に改造されていますが正面窓とワイパーは原型を留めており異彩を放っていました。この列車の続行で 東京区のゴハチ牽引の踊り子55号が来るので、こちらのほうが本命の被写体だったりします‥‥」(EF5852さん)
撮影:EF5852さん  荷2033レ  熱海 1983.1015
H-yamaguchi-ef5898 名所、清水谷戸トンネルを駆け抜ける。旅客線側と異なり、貨物線側のこの辺りは今でもほとんど変わってませんね。
撮影:山口裕志さん  荷2033レ  横浜羽沢―東戸塚 1981.5.2
ef5831-ef5898 「おそらく宮原区から丹波ビーチ号か何かの回送の12系を牽いて出区してきたものです。全検直後なのか全体にピカピカしていました。オレンジフィルターを掛けていたので黒っぽく見えます。」(EF5831さん)
ゴハチ信者さんによると本機の全検出場は53-7鷹取工だそうです。
撮影:EF5831さん  大阪 1978.8.6
fj62g-ef5898 98号機を先頭に146,48,128,101,56,171とズラリと連なった廃車予定機…。
「この時、住所等を書いた詰め所で子供相手に「欲しければ一両やるよ!」と、言われて困ったのを覚えています。「じゃあ、お言葉に甘えて一両…」とか言ったらどうしたんでしょうかねぇ…?」(FJ62Gさん)
う〜ん…意外と今頃ご自宅に1両居たりして…。(^^;)
撮影:FJ62Gさん  吹田信号所 1984.8.21
sugi-ef5898 標識灯改造前の姿です。標識灯の外蓋式改造は、おそらく上述の1978年7月の全検時に行なわれたものと思われます。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  上り荷レ  大阪 1975.5.26
sugi-ef5898 こちらも標識燈改造前の姿です。標識燈だけで車両の顔付きががらりと変わってしまうのが面白いです。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん 9911レ「丹後ビーチ1号」 大阪 1975.7.21
bin-ef5898 上り20系「銀河」を牽き一路東京を目指す。こちらは2エンド側ですが俯瞰気味のアングルなので奥の1エンド側屋根上の原形のガーランド形SG排煙口を確認できます。また、大宮工場検査機と異なりモニタや抵抗器室カバーなども含めて屋根上も青色なのが分かります。
撮影:BINさん  104レ「銀河」  戸塚―保土ヶ谷 1979.8.18
 EF58 99〔宮原→竜華〕
EF5899 夏の多客臨で「彗星51号」を牽く99号機。この後、竜華区で最後まで活躍した99号機の宮原区時代の姿です。白Hゴムに外蓋式の標識灯が関西っぽい?同機はさらにその後、竜華区でシールドビーム2灯化されました。新製時のパンタはPS14でした。本機の屋根上の抵抗器室カバーは川崎製の特徴の1エンド側と2エンド側が同じ小さな物になっています。

※抵抗器室カバー変形 更新改造 白Hゴム PS15パンタ
8009レ「彗星51号」  大阪 1979.8.15
製造年月日:S31.7.23
製造:川崎車輌・川崎重工
廃車:S61.1.7(竜華)
6348-EF5899 こちらは6348レさん撮影の荷35レの先頭に立つ勇姿。
撮影:6348レさん  荷35レ  国府津 197?
kk0630-EF5899 竜華で最後の活躍をする99号機。前灯がシールドビーム2灯になっています。車体も見るからに疲れ果てた様子で少し哀れです。124レのカマ交代のために待機している所だと思われます。(OISHIさん、ご指摘ありがとうございます。)
撮影:kk0630さん  紀伊田辺 1985.3.11
timebokan-EF5899 「ものすごいトップライトですが、かえって99号機の雰囲気が伝わると思うのですが・・・。この99号、当時竜華イチの嫌われ者だったのですが、この改造されまくった姿は今見ると、とても味がありますね。」(タイム母艦さん)
撮影:タイム母艦さん  臨時きのくに  紀伊田原―古座 1985.8.14
EF5860-EF5899 「吹田信号所撮影会にて。当日はC61 2も来ていました。架線のない操車場での撮影会でした。吹田機関区だったらパンタをあげても様になっていたのになぁ、と。いろんなヘッドマークを付けての撮影会でした。ヘッドマーク横のステップに回送用の反射板取り付け台座が溶接されていました。このあとしばらく宮原機関区の車庫にありましたが、様子を見に自転車で行ったところすでに解体されておりバラバラの部品が固まりでありました。」(EF58-60さん)
この写真について草津に住む大阪人さんから次のような解説を頂きました。
「竜華区から鷹取工場への廃車回送の途中に展示されたものです。」
撮影:EF58-60さん  吹田信号場  1986.1.11or12
EF5860-EF5899b 99号機の運転席。 使い込まれたメカの渋さが溢れています。
撮影:EF58-60さん  吹田信号場  1986年頃
ohno-ef5899 「EF5899は何の変哲もないため、竜華に移ってからは嫌われ者だったきらいがありますが、自分にとっては宮原時代なかなか会えない機関車でした。」(ohnoさん)
撮影:ohnoさん  荷35レ  保土ヶ谷―戸塚 1977.7.29
H-yamaguchi-ef5899 紀勢線のかつての名物列車「はやたま」の先頭に立つ。
撮影:山口裕志さん  天王寺  1981.3.28
hokkyoku-ef5899 「一般には非難ばかりの改造車ですが、58の最後を阪和沿線で見てきた者としては、これはこれでキャラクターとして認めており、また愛着もありました。もちろん原型の方が好きですけど(笑) 私が阪和・紀勢に通って一番当たったのも99号で最後に見たのも99号でした、そして最後にばらばらに解体された残骸も・・・ 」(北極ぐま閣下さん)
撮影:北極ぐま閣下さん  「きのくに54号」  堺市 1985年
hokkyoku-ef5899b 「竜華の58といえばサビだらけ!他の線区の58と違い、海沿いのため酷いこと酷いこと、この日は豪雨のあとで特に酷かったです。 」(北極ぐま閣下さん)
錆というか埃というか…。汚れるのが早いのであんまり洗車もしなくなっちゃうんでしょうかね〜。
撮影:北極ぐま閣下さん  「きのくに54号」  和歌山 1985.6.23
hokkyoku-ef5899c 「宮原機関区で解体中の99号機・・・こうやって名も無い58たちは最後を遂げていったのですね・・・・ちなみにこれは友人が撮影したもの。翌週訪ねると既に鉄屑の山でした。 」(北極ぐま閣下さん)
99号機は新製配置こそ浜松ですがその年の11月には宮原に転属、竜華に移るまで生涯のほとんどを宮原で過ごしています。それだけに古巣の宮原で解体された事は同機にとっても幸いだったかも知れません。
所蔵:北極ぐま閣下さん  宮原機関区 1986年?
sugi-ef5899 99号機の車体整備前の美しい姿が印象的です。この翌年に同整備が行われ美しい姿は失われましたが、そのお蔭でこの後10年以上活躍できたと言えます。
「おいらん車、12系客車、パレット車、旧型客車(10系寝台車も?)を引っ張ってます。ダイヤ大改正直前の夕方の出来事です。」(針葉樹林鉄道研究会の杉さん)
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  下り回送  芦屋―摂津本山 1975.3.9
sugi-ef5899 更新改造前の姿はやはり美しいですね。改造されまくった晩年の竜華での姿の印象が強いせいか、何だか同じ機関車とは思えないです。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん   向日町運転所 1976.3.18
sugi-ef5899 車体整備後の姿で宮原時代です。整備前の姿と比べると、やはり印象がガラリと変わっています。これは前面窓の白Hゴム化もさることながら、大形の外ばめ式の標識燈に変わったことによる影響が大きい気がします。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  荷2046レ  住吉―摂津本山 1979.10.9
 EF58 100〔宮原〕
EF58100 宮原区の原形小窓機の標準的な形態の100号機。青色のゴハチは20系寝台車と実によくマッチしてました。パンタは新製時よりPS15。なお、本機の屋根上のモニタルーフの小窓がHゴム支持に先駆けて仕様変更されました。また、屋根上の抵抗器室カバーは川崎製の特徴の1エンド側と2エンド側が同じ小さな物になっています。

※原形小窓 抵抗器室カバー変形 モニタルーフ小窓Hゴム 原形ワイパー PS15パンタ
104レ「銀河」  大森―大井町 1980.9.21
製造年月日:S31.8.29
製造:川崎車輌・川崎重工
廃車:S60.2.4〔下関(転)〕
EF58100 20系「銀河」の回送を牽引する100号機。キリの良いナンバーの為か原形小窓、原形ワイパー機の中でも結構人気がありました。また、機関車次位に付いているのはマニ30です。
回104レ「銀河」  新橋 1980.3.18
EF58100 下り「出雲3号・紀伊」の回送を牽き東京駅13番線に入線。
回2003レ「出雲3号・紀伊」  東京 1979.4?
toshi-EF58100 こちらは映画「駅」を記念して(でしたっけ?)走った20系客車を使用した「駅」号を牽引する姿です。名所神足―山崎をヘッドマークを付けて走る姿は、かつての「日本海」を彷彿させます。そう言えば、神足の駅名も現在は長岡京に変わってしまいました…。
撮影:としさん  9242レ「駅」号  神足―山崎 1980.10.31
Tc153-501-EF58100 「荷2033レの平塚駅通過が14:15頃、冬場はこんなに日が傾いてしまいます。おかげでお顔にたっぷりと影が入ってしまいました。」(Tc153−501さん)
撮影:Tc153−501さん  荷2033レ 平塚 1982年?
ef5852-ef58100 名所、山崎のカーブを行く「つるぎ」回送。
「「つるぎ」の宮原(操)から向日町(操)までの回送です。ブルトレ運用が消滅していたEF58に、回送ながらブルトレ仕業が復活したということで当時注目の列車でした。」(EF5852さん)
撮影:EF5852さん  回5006レ  高槻―山崎 1983.8
関西式信号機を脇目に東海道4線区間を行く単機。美しいゴハチのフォルムが引き立ちます。
撮影:EF5831さん    山崎―高槻? 1981年春
fj62g-ef58100a 小郡駅構内に留置される100号機。それに続く機関車群(EF60・EF61)ももの凄い…。全機休車なんでしょうが、パッと見、100号機を先頭に13重連??国鉄末期はこんな光景が各地で見られたんでしょうか…。
撮影:FJ62Gさん  小郡 1984.8.20
fj62g-ef58100b 同じく小郡駅構内に留置される100号機。こちらは1エンド側です。
「100号機は荷37レ牽引途中、故障を起こし途中の小郡で解放された後、EF66901が急遽任務に当たった記憶があります。この時のねらいは、勿論100号機もありましたが、関東では馴染みのないEF61でもありました。写真としては撮りにくく、「見ただけ」でしたが…。」(FJ62Gさん)
撮影:FJ62Gさん  小郡 1984.8.20
fj62g-ef58100c 同じく小郡駅構内に留置される100号機で2エンド側です。モニタールーフの小窓がHゴム支持になっているのが確認できます。オデコのカーブが東芝製同様丸くなっているのが分かります。
撮影:FJ62Gさん  小郡 1984.8.20
「宮原末期のEF58 100が牽く荷2033レです。場所はワンパターン東戸塚付近^^;、83/12だと思います。キリ番100号機はこのあと84/2に下関集中組に加わったものの、3月末を迎える前に、故障で早々に運用を離脱してしまいましたね。」(To198403さん)
撮影:To198403さん  保土ヶ谷―東戸塚 1983.12
shin-san-EF58100
「たぶん向日町への回送だと思うのですが、当時はヘッドマークが無く高一で情報もほとんど知らない時代で、回送ともなると何が来たのかさっぱり分かりませんでした。とりあえず58牽引の客車が来たら撮る!でした。」(床屋のシンサンさん)
撮影:床屋のシンサンさん   上り回送?  山崎―神足 1979年
 EF58 101〔宮原〕
6348-EF58101 こちらも新製時よりPS15パンタを装備していた原形小窓の101号機。モニタルーフ小窓はパテ式です。

※原形小窓 原形ワイパー SG排煙口原形(ガーランド形) PS15パンタ
撮影:6348レさん  104レ「銀河」  早川 1979
製造年月日:S31.7.6
製造:東洋電機・汽車会社
廃車:S59.12.15〔下関(転)〕
ef5853-EF58101 こちらはEF5853さん撮影のかつての名物列車、荷35レの先頭に立つ101号機です。次位は浜松の161号機だそうです。
「やっとあの荷35レが出てきました。荷2935レ(EF15牽引)の客車を増結するので重連で機回りがありました。この後、奥に米原のEF65(配置数の割合上、圧倒的に500Fでした。ちなみにこの日は518。)が入ってきます。」(EF5853さん)
撮影:EF5853さん  荷35レ  品川 1978.5.27
To198403-EF58101 こちらは掲示板でもお馴染みのTo198403さんの雪中を行く姿です。流れるスチームがいい味です。
「EF58101は(皆様思い出させていただいた)2033レです。雪中ヘッドライト点灯なのに残念ブタ鼻シールドビーム。でも原型小窓機だから良しとするかと勝手に納得していました。(48や171では目もあてられない…)撮影地点まできて若干SGのスチームの勢いが弱くなってしまいまったことも残念でした。」(To198403さん)
撮影:To198403さん  荷2033レ  東戸塚付近 1984.1
H-yamaguchi-ef58101a 夕陽を浴びて、一路西下する1燈時代の101号機。こちらは1エンド側。
撮影:山口裕志さん  荷2033レ  大船付近 1981.7.25
H-yamaguchi-ef58101b こちらも原形ライト時代の同機1エンド側。屋根上のパンタグラフ手前のガーランドベンチレータは原形のSG排煙口です。(拡大写真
撮影:山口裕志さん  単2033レ  品川 1981.8.21
ef5852-ef58101 「シールドビーム2灯化は竜華区のみの改造と思われていたので宮原区で改造車が登場した時は驚きました。この101号機の他に138号機、143号機の3両に施工されました。」(EF5852さん)
撮影:EF5852さん  荷2033レ  根府川 1984.1.8
inayuki-ef58101 マニ50やパレット車で組成された荷物列車を牽く101号機。1984年頃の姿でしょうか。
撮影:急行伊奈ゆきさん  西小坂井―豊橋 撮影日不明
triton-ef58101 本機は昭和35年にブルートレイン牽引機として特急塗装に身を包んでいました。この写真ではその時の名残のKE59ジャンパ連結器が前端バリ右側に見られます。
撮影:トリトンさん  大阪 1970年頃
入れ換え灯が点いている様に見えるので、正に今、列車に連結した瞬間でしょうか。既に前灯がブタ鼻になっているので、1982年以降の撮影でしょうね。それにしてもSGのスチームが良い感じ…。
撮影:kazu460さん  下関 撮影日不明
sugi-ef58101 お馴染み針葉樹林鉄道研究会の杉さん撮影の101号機。この時点では可動式雪かき器台座に動作用のロッドの存在が確認できます。3両目にオユが付いた編成が印象的なこの荷物列車。同氏の撮影した41号機や44号機の写真と同じ列車と思われますが、残念ながら列車番号が不明です。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  上り荷レ  住吉―摂津本山 1975.7.22
taki10450-EF58101 1エンド側のアップ。東洋・汽車製独特の側面が水平気味のオデコカーブが良くわかります。また、前面踏板の中央部のヘッドマーク取付座と当たる部分が下方に曲げられた様子も確認できます。助士席側窓下の貼り紙のような物も気になりますね。
「手元の記録によれば、急行ちくま4号を牽引してきたようです。朝もやの中、前照灯を減光させて停車しているところが格好良いです。原型小窓と原型ワイパーも好ましいです。」 (タキ10450さん)
撮影:タキ10450さん(『タキ10450』の国鉄時代の記録) 4802レ「ちくま4号」 大阪 1981.8.9

117KM-EF58101
宮原区の本機がヘッドマークを付け上り「彗星」回送を牽く姿でこちらは2エンド側です。前端バリ右にブルトレ塗装時代のKE59ジャンパの取付座のみ残っています。
「この時点では宮原区のEF58は特急運用は持っていなかったように思います。おそらく「米」の代走ではないかと思いますが確証はありません。」(117KMさん)
私も宮原のゴハチがヘッドマークを付けて関西ブルトレの先頭に立つ姿を見た覚えが無かったのでそう思ったのですが、良く見ると区名札の横に運用番号が挿さっています。これは定期運用かも知れないと資料を調べると、「EF58ものがたり」に関西ブルトレ増発で従来の米原区・下関区に加えて1973年10月から広島区、1974年4月からは宮原区も牽引を担当、但しどちらもヘッドマークは増発による不足で未取付だったとの記述が…。しかしながら広島のゴハチのマーク付き写真は書籍やネットでも見かける(なぜか宮原は見当たりませんが)ので、この写真ももしかしたら1974年4月以降の撮影かも知れません。
編成が24系なので1974年4月前なら上り1号(48レ)か4号(46レ)、4月以降なら上り3号(44レ)、4号(46レ)、5号(42レ)かと思われます。
撮影:117KMさん   上り「彗星」回送  山崎―高槻? 1974.2(もしかしたら1974.4以降)

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