■浜松機関区のエース。元御召用機関車 ■写真を見る
特徴:
同機は姉妹機とも言える61号機と同じく、製造時から御召機として指定を受けて製造されました。製造は東芝で新製配置された浜松機関区から一歩も動くことなく昭和56年に廃車されるまで活躍しました。御召機として製造されながら実際は61号機と違いその牽引回数はとても少なく、昭和42年に衝突事故を起こして台枠を破損してからは御召指定も解除されてしまいました。その後、他の浜松区のゴハチ同様、様々な改造を施されましたが、最後までぶどう色の塗装をまといサイドの飾り帯を付けた姿は、御召機としての貫禄を見せていました。図は晩年の形態でワイパーは機関助士側(左)WP35、機関士側(右)WP50で、WP50取付と前面窓のHゴム窓化に際して水切り位置は上昇され、その顔つきはずいぶん変わってしまいました。(下の61号機と比較すると良く分かります。)
側面のエアフィルタも西のゴハチの標準だったビニロックフィルタ化されています。その他前面ステップは、旗竿を付けた際に干渉する部分が切り取られています。前面の鼻筋中央付近には旗竿受け台取付用のボルトが2本、運転席側窓下には区名札及び運用名さしの隣に、御召機の証とも言える乗務員名札さしが付けられ、前端バリには供奉車との連絡用電話の連結栓が付いています。(1エンドは左側、2エンドは右側)また、その下のスカート部分には御召列車用停止位置基準板(格納式)が付けられていますが、側扉よりの原形位置と改造で移設された前面よりの2カ所にその穴?が開いています。(60・61前頭部側面)枕バリの端面形状は標準の逆台形です。