>M4-Pさま おお!それは来年に向けて明るい話題ですね。 来年は最後の現役ゴハチとして頑張って欲しいですね。 それでは、皆様、良いお年を!
イゴマルが下関まで台検に出る様ですね。(某板より) 本線上に残った最後の58、元気に復活してほしいです。
皆さんお久しぶりです。 いよいよ今年も残りわずかとなりましたね。どうか良いお年をお迎え下さい。 さて、表題の件でふと疑問に思ったのですが、EF15晩年の昭和58年頃の身延線 の貨物の担当機関区はどこだったんでしょう? EF15の履歴を見ると立川区所属機が身延線貨物を牽引していたりで、甲府機関区 との関係はどうなっていたのか、その頃、鉄道趣味から離れていた事もあり 分からなくなってしまいました。もしかして甲府機関区廃止で所属は立川区に なっていただけでしょうか?どなたかご教授お願いします。<(_ _)>
>747-400アッキーさま またまたお返事遅れてすみません。 60&61号機をはじめ、色についてはなかなか結論が出ないようですね。 もっとも、それについて推理すること自体が趣味の楽しみでしょうね。 さて、旧EF58とEF15の初期形の車体ですが、仰るとおり基本的に落成時は 同一と言って構わないと思います。ただし、両機とも共通した仕様の違いが あり ・製造時期の違いによる車体高さの高低、及び側面エアフィルタの大小 それ以外にも製造メーカーによって ・前面の昇降段の取り付け数や位置 ・引っ掛け式テールライトの位置 ・側窓の窓枠形状 があります。また、後の整備改造によって側窓の数(4枚又は5枚)、 その位置、つらら切り、屋根上ベンチレータの有無や形状など、 各機様々になっています。 この辺りについて、EF15に関してはこちらにまとめてありますので ご参照下さい。(http://ef58.info/EF15/15keitai/EF15-type01.html) 旧EF58については今のところ詳細は手つかず状態ですが、現役ゴハチが すっかり鳴りを潜めてしまった今こそ、心機一転、その辺りについて 手をつけて行こうかと考えております。 その為にはまだまだ資料を集めないと…。(^_^;)
kobaneko@管理人さん 60&61号機の製造時外部塗装に関して、 詳しい解説をありがとうございました。60&61号機に関しては、 「ワカラナイ・ワカラナイ」と首を振らなければならない事項が多い ですね。いかにも「私は(60&61号機)あなた(他のEF58)とは 違うんです!」と言っていることでしょう。 さて最近はEF58のデッキ付に興味があるのですが、この旧車体 (前面中央の窓が上方にある)はEF15初期型(4窓型&5窓型、 EF16含む)の車体と同一と考えて良いのでしょうか?
皆様、大変ご無沙汰してます。 昨今の不況のあおりでかえって仕事量が増えまして…。(-_-;) HP本体の更新も久々に行いましたのでそちらもよろしかったらご覧下さい。 >EF58-52さま 超遅レスですみません。 本来ならば20年前に全てが終わっていてもおかしくは無かった事を 考えれば、21世紀になってからも彼らの元気な姿を拝めた事は、 やはり奇跡的な事だったんでしょう。 東海の122、157号機の今後が気になるところですね。 >EF-18さま 実機に動きが無いと仕方が無いところでしょうねぇ…。 10年くらい前だと、この時期になるとクリスマストレインや初日の出 なんかの話題で盛り上がっていたような。 EF55も遂に引退ですし、現在のJRの格旅客会社においては保存機関車は 目の上のたんこぶなんでしょうね。手塩に掛けて面倒を見てきた現場の 方々はどんな心境なんでしょう。 時代が変わっていつか再び本線上に姿を現す日を信じてやみません。 >747-400アッキーさま お久しぶりです。 本掲示版でも2004年の11月頃(http://ef58.info/bbs-log/58&15bbs-log0411.html) でしょうか、ゴハチのぶどう色について話題になりましたね。 その時は11月30日のEF5841さんの書き込みで一応の決着?がついたようですね。 > EF58については、流線型車体登場時に従来のぶどう色よりやや明るい色 >(のちのぶどう2号に相当)という指示がなされたということを当時車両設計に > 携わった方から側聞しております。 > 同様に客車の場合、10系の量産車からやや明るいぶどう色になったとも > 聞いております。 60・61号機に関しては、御召し整備に伴ってかなりの頻度で塗装された事で しょうから、いつまでが新製時の塗装だったかという点もチェックポイントに なりましょうか。こうなると迷宮度は一気にあがりますね。(^^;) 前にも書きましたが手元の資料(ザ・ラストランナーズVOL.4 )に唯一 1950年代のロクイチ(水切り・前面ステップ無し、前灯LP42、誘導握り棒有り) のとても鮮明なカラー写真がありますが、それは明らかに後ろに続く EF57や客車とは異なる明るく赤みがかった茶色です。 「EF58ものがたり 下」の178ページに新製から3ヶ月、1953年10月の61号機最初の 御召し牽引時のモノクロ写真がありますが、それを見ると後ろに続く旧1号編成と 同じかもしくは若干明るい姿に見えます。旧1号編成の塗装は漆塗りの深紅色のはず ですから少なくともぶどう色1号よりは明るい塗装だった可能性が高いと思います。 (とは言え漆塗りの塗装を実際に見たことがあるわけでは無いので、ホントの所は 分かりませんが…^^;) また、新製から8ヶ月、1954年3月に東京機関区で前任のお召し機EF5316と並んで 撮られたモノクロ写真を見ると、両機の色合いはほとんど同じに見えます。 果たしてEF53お召し機、及びそれ以前の御召し電機はどんな色だったのか興味が 湧くところです。
Kobaneko管理人さん ご無沙汰しています。 昨日ある運転会が「いさみや」さんの2階で行われましたが、ある方と話題 になったのがEF5860号機&61号機の新製時の色はブドウ色1号?そ れともブドウ色2号?というものでした。過去にも話題になった事項かと思 いますが、これに関する文献等はないと思うのですが、真相はどうでしょう か?
ロクイチの灯火が消えて以降、こちらの書き込みも。。。。。寂しい限りです。 さてイゴマルですが、風邪の噂では検査を通さないとかなんとか。 12月発売の各鉄道雑誌に何らかの記事が載るかも知れませんね。
管理人様、皆様、ご無沙汰しています。 朝晩の冷え込みを実感するここ数日の気候、 気がつけば今年も残すところあと1ヶ月半となりました。 昨年まではEF58を撮影すべく各地へ出かけて季節の移り変わり目を 一般の人よりも早く感じ取っていた?つもりですが、今年は報道番組 から第一報を得たというのが現実です…。 昨年の今頃は何をしていたのだろうか? とアルバムを開くと11月15日 にEF58−157の廃車回送(単回)を撮影していたようです。 あの日の事は今でも鮮明に記憶しています。 JR東海で落成した次期工臨用気動車に役目を引き継ぎ、長年住み慣れた 豊橋区に別れを告げ自走で浜松工場へ向かう157号機を快晴の空の下で 見送りました。 あの時はJR東海からEF58が消滅するという実感はあったものの、 まだJR東日本に61号機が、JR西日本に150号機が残存するという いくらかの心のよりどころがあったのでそれほど感傷的にはなりませんでした。 しかし、あれから早1年、61号機は3月に引退、150号機の稼働は皆無で 検査期限切れによる引退が囁かれる2008年となりました。 さらに追い打ちをかけるように先日発表されたEF55引退報道…。 負の連鎖と言いましょうか、この1年の間に旧型電機を取り巻く社会情勢は 一気に現役引退へと傾いてしまいました。 形のあるものには必ず終わりがあることは理解しているつもりですが、こう 一気に消滅していくと心の整理が追い付いて行けないという感じです。 視点を変えれば、現役引退から20年以上も動態保存されてきたこと自体が 奇跡なのかもしれませんが、個人的にはなんとも惜しまれます…。 旧型電機の相次ぐ引退の原因が何かは把握しかねますが、将来の経済状況、 社会情勢、鉄道を取り巻く考え方等の変化により復活する日を願わずには いられません。
皆様、ご無沙汰してます。 これから絶好の撮影日和りと言うのに、ことゴハチに関してはすっかり寂しい 状況ですね。今度はどう撮ろうか…と思い悩んでいたのが嘘のようです。 EF55もいよいよラストの様ですし、東海に続き東からも電気機関車が無くなる 日もそう遠くないのかも知れませんね。 そんななか、最近久々に過去のフィルムをスキャンする機会があり、何だかんだ で少し前まで機関車牽引の列車がまだまだたくさん走っていた事を改めて感じ ました。現在残った機関車たちの行く末を暖かく見守っていきたいところです。 >kenさま SLが全廃された当時、現在のような動態運転がこんなに盛んに行われる とは誰も考えてなかったように、いつか再び元気な姿を見られるように なるやも分かりませんよね。気になるのはその時に牽く物が残っている か…ですが。 >怪人太郎冠者さま 一般公開時のヘッドマークですが、鉄道会社としては一般の人向け なんだと思います。関心無い人には機関車だけ展示してあっても何の 列車を牽いていたとか分かりませんから。 もっとも定期列車のヘッドマークとそれを牽引した機関車の組み合わせ 以外は私も意味無いと思います。ロクイチにはやはり御召し装備が一番 なのは言うまでも無いですが、ヘッドマークなら「つばめ」「はと」 あたりがお似合いですかね。 >EF57もさま え〜と、一応基本はEF58とEF15、及びその関連でEF13、EF16、EF18あたり をターゲットにしていますが、同じ国鉄旧形電機ですので多少の脱線は 構いませんよ。 ちなみにEF57だとEF58EF15の相の子と言うより形式通りEF58の兄貴分ですね。 EF15の兄貴だとやはりEF12になりますか。 私もご他聞に漏れずEF57末期に上野での特急撮影の合間に臨急を牽引する姿など を撮影しましたが、何せまだ小学校の頃。当時のコンパクトカメラにASA100の フィルムで昼なお暗い上野の地平ホームに出入りする茶色のEF57相手では、 まともな写真になりませんでした。(-_-;) 一度だけ123レ牽引のゴナナの1号機の運転室に入れてもらえたのが良い 想い出です。(でも1号機って子供心にもやや微妙な感じでしたが)
始めまして、この掲示板、EF58&EF15との事ですが、その相の子EF57は、含まれないのでしょうか?
上州特快61号様 東京総合車両センターの一般公開に行ってきましたが、こういう時のヘッドマークって私は全く無意味と思います。 一般公開には非鉄の人たちも訪れます。だが残念なことに、この機関車がどういう機関車なのか非鉄の人たちは知らないんです。 なればこそ次回の一般公開にはヘッドマークよりも正面に国旗二本を掲げ、後ろに1号編成を従えた姿こそがふさわしいと思います。 もちろんパン上げ、ライト点灯可能な限り磨きだしの上でです。ヘッドマークなんて所詮、私らの自己満足に過ぎません。 もっとこの機関車の由緒や来歴を一般の人たちに知ってもらってこれを復活の後押しにした方がいいと思います。
管理人さま、皆さま こんにちは。 画像掲示板のほうで、つい最近展示されたという61の画像、拝見しました。 以前の58展示でよく先台車がさび付いたカマを見ていたのですが、さすがに61ですね! 大切に保管されているようでホッとしました。 以前放置されていたEF55が復活したように、時代が流れて、われわれが年老いてからでも結構ですので いつかまた疾走する58たちを見てみたいものです。 122、150、157や89、93も大切な58の生き残りですので、ぜひ大切に保管しておいて欲しいものです・・・。
推奨ありがとうございます。 最近はなかなかご無沙汰しているため、カメラ関係は疎くなっています。 昔は、いろいろな機種を見た記憶が有ったのに、と思っていました。 早めに、手頃な機種を購入します。 個人的な意見ですが。急行銀河の最終列車の牽引を150が引いてくれたら、有終の美になっと思うのは私だけですかね
>高槻山崎間さま フィルムスキャナですが、お手軽に済ませるのでしたらフラットベッド タイプの物でも最近はフィルムのスキャンができる物が多いと思うので、 それでも良いかと思います。 しかし、本格的にデジタル保存をお考えならやはりフィルムスキャナを お薦めします。 しかしながら数年前まではニコン、キャノン、エプソン、ミノルタと 選択肢がありましたが、今や現行機種を製造しているのはニコンとエプソン のみ。両社合わせても3機種しかありません。修理やソフトの対応などを 考えると中古を買うのはリスクが大きく、現行機種から選ぶのが無難だと 思います。どの機種も一長一短なので、使用目的とお財布と相談で 決めて下さい。 ニコン SUPER COOLSCAN 9000 ED 35mmから4×5インチ版まで対応の現行製品の最上位機種ですが販売価格が30万円前後です。 ニコン SUPER COOLSCAN 5000 ED 35mmフィルムのみですが、機能、画質は上の9000EDとほぼ同じかと思います。 販売価格は12万円前後。 エプソン PhotoPC Factory F-3200 35mmから4×5インチ版まで対応。付属ソフトの機能も充実しており、コスト パフォーマンスは非常に高いですが、画質的には? 販売価格は5〜6万円前後。 上の見解はあくまで私個人のものなので参考程度にお願いします。 ちなみに私は現在ニコンのSUPER COOLSCAN 5000 EDを使用しております。 各社ともフィルムスキャナは縮小傾向で今後新機種が作られるかかなり微妙に 思えますので、購入するのは今が最後のチャンスかと思います。 それでは投稿楽しみにお待ちしてます。(^^)
61の引退等の残念な話題が多く寂しい限りですね。 書き込み者の名の通り、昔からこの間で国鉄にしたしみ、沢山の荷物列車や急行銀河、ちくま、きたぐに等の列車の先頭に立っていた58が懐かしく思います。 ただ、残念なのは、幼い性でブルトレ特急のEF651000に目が行ったことで、EF58は次いでのイメージしかありました。 それでも、沢山のEF58の写真を撮っていたので、これらの写真をデジタル保存したいと思っています。 そこで、写真を沢山投稿された方々にお勧めのフィルムスキャナーを教えて欲しいと思います。 つたない写真でも思い出の写真が投稿したいと思いますのでよろしく御願いします。
皆様お久しぶりです。やっと公私ともに落ち着いて一息ついたところです。 久々の九州ブルトレの旅、「はやぶさ」で行きはシンデラ、帰りはソロでとんぼ 返りで慌ただしい内容でしたが結果的にはとても良かったです。今回、一番その 良さを実感したのは、車窓から眺める景色の近さです。 車窓を流れる景色をじっくり眺めるにはブルトレぐらいの速度が丁度良く、そこから その地の人々の営みまで感じる事ができるように思います。これが新幹線になると 早すぎて景色を見るどころか目が疲れてしまって、終いには車窓を見る事すら苦痛に なってしまいます。(私は…) 移動の手段としては東京から熊本まで18時間近く掛ける事は無駄以外の何物でも ありませんが、その間、様々な景色を落ち着いた車内に居ながらにして見ること ができると言うのは、他の列車や交通手段ではなかなか得られない物だけに、 できれば各路線に一列車ぐらいは寝台列車を残してくれたらなぁ…と思います。 9月に入って落ち着いたら、また乗りに行きたいところです。 >齋藤さま 以前にもオークションに出ていたものでしょうね。はやく安住の地を得て欲しい ですね。 >EF58-52さま 122、157号機共に無事のようで何よりですね。 ぜひ、数年後にオープンする新幹線博物館(でしたっけ?)にも両機揃って 展示して欲しいところです。 >horikinn5861さま 初めまして、今後ともよろしくお願いします。 122号機のプレート式先輪は確か1999年12月の全検時に代替品が無く、貨車の物に 交換されたと聞いた覚えが…。(うろ覚えなので間違ってるかも) このプレート式先輪、貨物機ではEF15の初期ロットの登場時にも使われましたが、 EF58では仰るとおり他には例は無いかと思います。
始めまして、以前から拝見させていただいております。 鉄道から20年以上離れておりましたが、ロクイチの引退が現実のものとなり58に会いたくなり一昨日、浜松工場一般公開に行ってまいりました。 122・157号機に23年ぶりに再会し気付いたところがありましたのでご報告いたします。 122号機の2エンド側の先台車の車輪がスポーク車輪(原形)から最近のスポークレス車輪に交換されていました。 ロクイチも87号機の車輪に交換されていることは有名ですがEF10〜13形電機機関車にみられたスポークレス車輪に車輪交換を実施した例は122号機が初?ではないでしょうか。 また、157号機の運転台には2休の札が掛けられており復活は絶望的のようです。 ロクイチの復活と150号機の末永い活躍を願うばかりです。
本日、JR東海浜松工場一般公開へ行ってきました。 毎年このイベントの主役は各形式の新幹線であり、在来線車両は脇役に 徹することになります。 事前に展示車両の確認をしていたわけではないので、EF58が登場するのか? という不安が当初からありましたが、122号機、157号機共に展示されて いました。 先月20日に自走で大崎へ向かい静かにパンタを降ろした61号機に話題を独占 されてすっかり影が薄くなってしまった両機ではありますが、他の展示車両に 見劣りしない存在感を誇示しているように感じました。(私だけ?) 思えば157号機は昨年11月に自力で浜松工場に入場するのを見送って以来 8ケ月ぶりの再会となります。 今回の展示に際して洗車された形跡はなく、正面窓のワイパ−が当たる部分を 省いて汚れが目立っている状態で、それがかえって現役機らしさを演出している ようにも感じられました。 ロ−プで仕切られているものの、車体を間近かで見ることができる状態の展示 なので、機関車独特の足回りの油の臭いも感じられます。 パンタを上げればそのまま走りだしそうな雰囲気で、地元東海道本線や飯田線で 活躍していた頃の雄姿が脳裏に浮かびます。 ただ、気になったのは昨年(2年前?)展示されていた機関車の姿がない事…。 (EF65−111、−112、EF64−66等) EF58以外の機関車には疎いのではっきり分りませんが、すでに解体された ような話も聞きました…。 帰り際には来年もこの場所に122号機と157号機が展示されているだろうか? という不安を抱きながら会場を後にしました。 浜松工場一般公開は、明日27日も10時〜15時まで開催されるので 久々に両機を見たいという方は行ってみては如何でしょうか?
2エンド側のキャビンが、今150万円でオークションで売られてます ここを覗いてる皆さんに お知らせまで
突然ですが、これから「はやぶさ」に乗って熊本まで行ってきます。(^^;) 憧れのオロネ25改めオロネ15に乗れるので久々にワクワクしております。 >ゴハチ信者さま いつもながらフォローありがとうございます。 国鉄からJRへの移行期はホントに今見てもイベントが目白押しですね。 そのとき鉄をやっていれば…とちょっと後悔…。
>管理人さま 遅ればせながら、サイト開設10周年おめでとうございます。 管理人さまがお尋ねの標記の列車は、「ザ・ラストランナーズ vol.2」のP.5及び「EF58ものがたり」のP.291によりますと、 1986.8.22〜1986.8.25に開催された田端運転所100周年記念イベントのアクセス列車として、第1会場の田端操と第2会場の東大宮操との間を 12系6連を牽いて期間中毎日1往復したとのことです。 なお、「ゆめTANKEN」のヘッドマークは最終日にだけ取り付けたとのことです。 当時は国鉄最後の夏でしたので、各地で様々な行事が開催されたのです。