期待していたイゴマルはなくなったんですね。。。。。 春に生まれた我が子の育児を嫁にPRし、この日に備えていたと言うのに。 (嘘ですよ、嘘) なんか一気に虚脱感に満ち溢れてると言うか、時代の閉塞感を感じると言うか。。。。。 (テキトーですな) 何にしても辛い現実に心が壊れた自分が居ます。 ToT;
9月9日に計画されていたイゴマルの団臨は取り消しになりました。 詳しくは http://www2.odn.ne.jp/~japare/ を参照してください。
こんばんは。 さて、今月のRMは「EF64&上越線」なんですが、いきなり誤記があるんですねぇ。 「EF64形0番台にとっては、(中略)1979(昭和54)年から3年間<北陸>を 牽引したことを除けば久々の特急運用であり、(以下略)」 *本文記事でも同様に書いてあります。 EF64 0番台が特急運用に入ったのは55.10改正(1980年)以降なので、1年間違って ます。確かに79年夏には甲府から長岡運転所に転入してますが、全て貨物運用で 旅客運用はまだEF58[長岡]が健在でした。 93号機の飾り帯) ヤマケイレイルブックス2「20世紀なつかしの機関車」広田尚敬著 に1985年10月、青大将塗装にされ大宮工場で公開された93号機の写真が ありますが、その写真ではクロームメッキのままです。 ちなみに顔も黒Hゴムのままです。
皆様、ご無沙汰しております。 >のこのこさま 遅レスではありますが、93号機のヒゲ、以前はメッキが剥げ剥げて曇った 感じでしたね。浜松や宮原のゴハチも晩年そんな感じの物が多かったなか、 米原の物はヒゲがいつもピカピカなのが印象的でした。 EF5853さんも指摘されてますが、今はメッキは有害と言うことで簡単には できないようですね。国鉄時代末期からEF81のヒゲとか新製時から塗装に なってたような…。 >EF5853さま 「東京人」ですか。最近はテレビなどでも何気に鉄道ネタが多くなった気が しますね。良い意味で鉄道復権?になると良いのですが。 >のりくらさま お久しぶりです。 いよいよダイキャストEF58が販売ですか? 以前の試作品で気になった原形窓の形状(窓の四辺が皆丸くなってる)が 直ったのかちょっと気になります。 >Hゴム派さま 昨年の公開時の写真を見ると、メッキが剥げて錆びが浮いた状態に見えますね。 それ以前の写真と比べると、年々錆が多くなってるようなので今年から塗装した んではないかと思います。
93号機の飾り帯ですが、以前から塗装だったかもしれません。 1999年の工場公開の時の写真を見ると、隣の89号機とは 帯の色が違います。 今年の公開時の93号機と同じような色みに見えます。
おひさしぶりです 今日、天賞堂の銀座へ行きましたら、サウンドつきEF58の試作品が おいてありました。 置いてあったのは、 ・ブルー 東海道型 ビニロックフィルタ ・ブルー 上越型 ・茶色 150号機 です。 ぱっと見の感想ですが、 ・意外にシャープなできです。 ・コンプレッサや吊り掛け駆動の音はなかなかよいです。 お店の方の話によると、 ・上越型は電暖表示灯がつきます(消灯はできない) そうです。 以前のプラ製EF15のような走行時のふらつきもなく、 「買い」だな、と思った製品でした。
久しぶりのカキコです。 銀座プランタンの露天古本市でナニゲに目に止まったのが、タイトルの 都市出版株式会社発行 月刊誌「東京人」2009年3月号(通巻265号) 特集「貨物列車と昭和の東京」で、表紙が新宿駅でのEF1315でありました。 古本なので定価900円のところ、525円で買えました(笑 もちろん元々は一般人向けの本ですので、資料としては期待しちゃいけませんけれど なかなか面白いと思います。 一般書店で入手出来ます。 アキバの書泉グランデでは今1Fでバックナンバー祭りやってます。 帰りに4冊も買ってしまいましたw 別件) のこのこさま) 93号機の飾り帯についてですが、撮ってる時は気がつきませんでした。 今、クロームメッキは廃液処理等でいろいろと厳しいので、塗装してしまって いるのかもしれませんね。
大宮公開で93号機がパン上げ、展示されたようですね。 いろんな方のブログ写真を拝見すると、きれいに手入れされているような印象を受けました。 末永く大切にしていただきたいですね。 ところで、飾り帯(ヒゲ)がずいぶんきれいになっていると思うのですが、これは塗装されたのでしょうか? 個人的には「く」の字の継ぎ目があり、ぴかぴかに磨き上げられたものが好きでした。 もし塗装されてしまったのなら、ちょっと残念に思います。
自分は某サイトで宮原に留置しているイゴマル150号機が 9月9日に団臨で使用されることが判明! 詳しい情報は→http://www2.odn.ne.jp/~japare/mission/index.html からお願いします。
あるサイトからの情報で今まで見たことのないEF58の画像がありました。 http://sakikawa.michikusa.jp/index.html その他旧型電機の画像も見逃せません。
久方ぶりのカキコです。 60周年なので、記念モデルはEF5860だそうです。 何時の姿をベースにするかは未だ決まってないようですが。 新製直後とかいわれたらちょっと困るなぁ(笑 じゃ、来年は61周年だからロクイチですか?と聞いたら 「前にやりましたので」だそうな。
管理人様・皆様こんにちは。 3月決算も終え、一息ついて休憩中モード@EF-18です。 つい先日仕事で浜松に行った折、浜松工場の様子をチラ見してきましたが、 相変わらず愛しのEF58157の姿を発見することは出来ませんでした。残念。 噂ではもうとっくに解体されているとか、倉の奥にひっそりと佇んでいる とか明確な情報が見えないのでヤキモキするところです。 鉄道博物館への収蔵も噂されていますが、それよりもむしろ浜松工場内で 末永く保存されるのが最も適した保存ではないか、とも思う次第です。 万一大きな地震が発生したらあの場所は無事に難を逃れることが出来るん でしょうかね〜?沿岸部の津波被害や埋立地特有の液状化現象。。。。。 ゴハチに限らず東海の貴重な鉄道史資料の殆どをあの場所に持っていくのは 限りなく"捨て駒”に近い状態にしか見えませんけどね〜^^;
1987年頃、今はなき交通博物館にメーカースプレートと一緒に展示されていたのを 見た記憶があります。
1987年頃、浜松機関区に行ったところ、60号機のナンバープレートとメーカープレートがセットで展示していました。
皆様こんにちは、こちらへははじめての書き込みです。よろしくお願いします。 今日から連休中、島田市にてトレインフェスタなるものが開催されているのですが、 そこの展示で60号機のナンバープレートが展示されておりました。 本物かどうかの確認はできませんでしたが、自身61号機より60号機の方が好きなものですから 解体後一部でも残っていることに感動してしまい、何枚も写真を撮ってしまいました。 鉄からは縁遠くなっているのですが、たまたま60号機のナンバープレートに出会えて胸の奥が熱くなりました。 122号機の解体は残念ですが、何かの形で残っていてほしいと願ってやまない限りです。 まとまりのない話ですいませんでした!
全く残念としか言いようがありません。解体のカットを見て、60号機の解体を見たときの衝撃を思い出しました。 私個人としては、浜松縁の157をとるなら、せめて東京区時代のブルトレ塗装等より履歴の華やかな122を選んで欲 しかったと思います。たとえ、35号機以降日立製が37両(122含)に対し三菱(157含)が11両と少なかったことを考慮 しても、122は150や157と違い一度も除籍されることなく、現役を続けてきたカマとしての評価をすべきだったと 思います。 まあ、どちらをとるかという選択はやぼな話として、鉄道史上の功績でも、また人気の上でも価値のある機関車と いう認識がまったくなされなかったことに、腹立たしさを感じずにはいられません。管理人様ご指摘のように、もし 自社での管理・保管が不可能であるならば、第三者を募るなり、他の方法を募集するなりの考えが浮かばなかった のでしょうか?宇都宮市に保管されているEF577の例だってあります。このあたり、昔ながらの親方日の丸の体質が 未だ抜けていないのかもしれません。もっと、グローバルな目で見た最善策を考えるべきだと思います。 未熟な知識での見解なのですが、たとえ減価償却が終わったものであっても、それが存在するということで、財務 処理上問題があったのかもしれません。減価償却が終了したものは、確か処分するのが通常の処置だったと思います。 また、昨今の保存車両のあり方も必ずしもいい方向に行ってるとは思えません。部品の盗難、車両の放置、破損。 結局は解体、、、。という例が少なくありません。しっかりメンテナンス費用を計上して、保管しているところの 方が少ないのでは? でも、これらの問題は、しっかりとこれから解決していかねばならぬ問題です。避けては 通れぬ問題なのです。 管理人様、もしご同意いただけるのでしたら、ヨーロッパのマニアから見た日本の鉄道マニアについて、この場に て述べさせていただけないでしょうか?
ナンバープレートだけでも保存されないのでしょうか? どうも納得できません。
>黒砂信号所さま ついにこの時が来てしまったんですね…。東海としては浜松縁の157号機を 博物館に保存する予定なんでしょう。 122号機が引退後現在まで残っていたのは単に157号機の部品取り用として だったと言うことですかね。てっきり博物館に両機とも収蔵する気なのか と思ってました。 とは言え何だかんだで21世紀までゴハチ現役を維持してくれた事にはファンとして 素直に感謝したいところです。建設予定の博物館にもゴハチ2両は現実的には難しい だろうな…とは思っていましたが、まさかあっさりと解体してしまうとは…。 解体前に譲渡などの話は出たんでしょうかねぇ…。現実としては個人であれだけの サイズ、重量の物を引き取るのは難しいでしょうが、事前にアナウンスがあれば 何かしら方法を模索する事はできたんではないかと残念でなりません。 まさかとは思いますが残るイゴナナがこんな事にならない事を祈るばかりです。
約1年ぶりの書き込みです。 122の解体、本当に残念無念です。 浜工に取り込まれたのが06年6月15日。 それから2年と約半年、こんな結果になってしまいました。 昭和61年に田端から来た時、122は"特別扱い"だったと思いますが、 晩年は単なる「飯田線専用の実用機関車」という位置付けになって しまったのが、今回の解体に結びついたと思います。 残念ですが、もう取り返しがつきません。 残る157が同じ結末にならないことだけを祈ります。
いよいよ解体されてますね!時を同じくしてEF64-1も解体されました。 気になるEF58-157は大丈夫でしょうか?
サイトトップではご挨拶を致しましたが、こちらでも改めまして…。 昨年も色々とお世話になりました。今年も何とぞよろしくお願い致します。 >パックマンさま 新年早々書き込みありがとうございます。 機関車牽引の旅客列車の減少は、採算性や効率が求められる時代の流れのなか では仕方ないと言えるんでしょうね。だからこそ少しぐらい無駄なものが残って いて欲しいとファンとしては思ってしまいますが、企業にとってはそんな悠長 な事言ってられない昨今なんでしょうね。 まぁ、消える物があれば生まれる物があるのも必然。 今年一年が振り返ってみればトータルで明るい話題が多くなる年にならんこと を願います。
あけましておめでとうございます。 こちらへのお邪魔は実に何年ぶりでしょうか。 昨年は、東の61、東海の122、157と続けざまに鉄路から去り、残さ れた西の150もとんと音沙汰無しと、実に寂しい一年でした。 今年はゴハチファンだけでなく、釜ファン全体にとっても寂しい年 となってしまうのかもしれませんね。 昨今のJR各社の釜淘汰の波の早さには、実に驚かされるばかりです。 私の二十ン年に渡る鉄人生のうちには、ゴハチ定期運用の消滅等の 経験しましたが、こんなにも世の中の流れの早さを感ずる事は今ま でにありませんでした。 なんとも寂しい限りです。 寂しい事ばかり続く今日この頃ですが、今年一年、皆様にとりまし て、良い年になりますよう、お祈り申し上げます。