ELECTRIC LOCOMOTIVE EF58  Vol.10
EF58 62〜68

Last Update 2024.9.1

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 第3次増備車(48〜68号機) その4

昭和28年7月の東海道本線・名古屋電化用として製造されたグループです。製造時の形態は、第2次形とほぼ同じで前面窓が大窓、水切り、誘導踏段、握り棒が無い姿でパンタはPS14でした。第2次形との差異は側窓の第1・第5が開閉可能となった点です。また、このグループには御召列車専用機として特殊装備を付けて製造された60・61号機も含まれます。

※印…主な特徴です。画像をクリックすると大きなものが表示されます。

 EF58 62〔広島〕
EF5862 広島区のゴハチの特徴だった独自の一体型ひさしにPS22Bパンタグラフをつけた62号機。同機は昭和47年の関西ブルトレ対策整備でP形改造されています。

※P形 左右一体型ひさし PS22Bパンタグラフ 更新改造
真鶴―湯河原 1981.7.26
製造年月日:S28.8.5
製造:東京芝浦電気
廃車:S58.3.28
EF5862 その2 早朝の駿河湾をバックに東海道を下る62号機。広島区のゴハチは定期で関東に来る列車が無く、団臨などで上京したときは数少ないチャンスでした。
根府川―真鶴 1981.4.19
ohno-ef5862 晩年、定期運用を持たなかった広島区のゴハチですが、ピンチヒッターで他区の運用に入り荷物列車を牽引することもあったようです。
撮影:ohnoさん  荷32レ  撮影地不明 1980.09.09
ohno-ef5862b 次位に回送のEF61を連結した荷37レの先頭に立つ。
「53.10改正で荷35レのEF58重連が消えると、西の方で荷37レがEF58重連となりました。短い編成で4パンでないとか、その後まもなく次位がEF61となってしまっただとか、ちょっぴり不満はありましたが、広島区の定期運用というだけで十分魅力的でした。」(ohnoさん)
撮影:ohnoさん  荷37レ  広島近辺 1980.9.10
H-yamaguchi-ef5862a 12系7連を牽き東海道を西下する62号機。正面から見ると一体ヒサシは通常のつらら切りに比べて角張った形態であることが分かります。
撮影:山口裕志さん  大船付近 1981.3.7
H-yamaguchi-ef5862b 20系団臨の先頭に立つ。
「この日は61号機の牽くつばめが運転された日ですね。」(山口裕志さん)
撮影:山口裕志さん  三島―函南 1981.7.26
nakagawa-ef5862 東京駅で横須賀線113系と並ぶ62号機。横須賀線分離前なので少なくとも55.10改正前ですね。番線表示や時計が何とも懐かしい雰囲気です。今ではこの12番線も新幹線ホームになっており、当時を偲ぶのは難しくなってしまいました。ホームの時計を見ると12:15過ぎを指しており、8111レスジだと思われます。
撮影:中川さん  8111レ  東京 撮影年月日不明
H-yamaguchi-ef5862 12系団臨の先頭に立つ。この12系との組み合わせもゴハチ晩年には良く見られた光景でした。
撮影:山口裕志さん  田町 1981.6.7
sugi-EF5862 米原区で特急牽引に従事した原形大窓時代の62号機。青色の車体に「日本海」のヘッドマークが良く似合います。
「新幹線が博多まで延長されるとのことで、大阪発着の特急が無くなるらしいと聞き、向日町運転所に出かけました。当直助役さんに許可を取って構内の撮影を楽しみました。」 (針葉樹林鉄道研究会の杉さん)
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん   向日町運転所 1975.3.8
sugi-EF5862 同じく針葉樹林鉄道研究会の杉さん撮影の原形大窓時代の同機です。大窓に原形のKW3Dワイパー姿が実に美しいです。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん   向日町運転所 1975.3.8
sugi-EF5862 「本当は、『彗星』『あかつき』のヘッドマーク付きのEF58が撮影したかったのですが、この日の向日町にはヘッドマーク付きのEF58はこれ1両、しかも『日本海』だけで、大変がっかりしたのを覚えています。ちなみに、後方の車両は大窓の22号機です。当時は大窓、小窓なんて知らずに撮影してました。」(針葉樹林鉄道研究会の杉さん)
大窓機の並びだけでも垂涎ものです。22号機は3月12日に広島から竜華に転属していますので転属直前の姿ですね。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん   向日町運転所 1975.3.8
sugi-EF5862 「標識灯(テールライト)に注目ください。8号機は片側だけが赤く塗られてましたが、この62号機は両側とも塗られています。 」(針葉樹林鉄道研究会の杉さん)
標識燈が異様に大きく見えて何とも奇妙な姿です。このように標識燈を赤く塗った号機が他にあったのか気になるところです。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん   3006レ「彗星2号」  住吉―摂津本山 1976.5.5
 EF58 63〔広島〕
EF5863 同じく広島区の63号機。下り「出雲1号」と横浜駅での並びです。撮影時期がはっきりしませんがSM分離後なので1981年の春頃かと。本機の屋根上の抵抗器室カバーは1エンド側が2エンド側と同じ小さな物になっており川崎製の特徴です。同区の58の研修を担当していた広島工場では、PS14パンタの備品が少なく新型のPS22Bへの交換を積極的に行なっていました。

※抵抗器室カバー変形 P形 つらら切り(ひさし) PS22Bパンタグラフ 更新改造
8312レ?  横浜 1981年初夏?
製造年月日:S28.5.29
製造:川崎車輌・川崎重工
廃車:S59.1.18〔広島〕
EF5863 本機のつらら切りは正式には「ひさし」で、「EF58ものがたり」によると昭和51年に広島工場で「ひさし整備」の名目で取り付けられたとあります。他の広島工場のひさしは独特の左右一体型なのに対してなぜか同機だけが上越タイプです。本機も関西ブルトレ対策整備でP形改造されています。
8312レ?  横浜 1981年初夏?
EF5863 上越形のつらら切りに比して本機のひさしは長さが短い印象で、上向きの事もあってか独特の表情です。それに加えて更新改造にPS22Bパンタ、前端バリの物々しいホース類…と、なかなかインパクトのある姿。模型化すると良い感じにアクセントになるのでは?
8312レ?  横浜 1981年初夏?
To198403-EF5863 「米原の36レに、当時既に定期運用をもたなかった広島が入りました。米原のカマ故障という噂でした。こうなると63のPS22Bも貴重で、いっそ一体型ヒサシでもついていれば…。63はこのあと一ヶ月ほどで廃車になっているようです。私が見た最後の広島です。」(To198403さん)
撮影:To198403さん  荷36レ 東戸塚付近 1983.12
morishige-EF5863 47.3改正で再び特急牽引機として返り咲いた当時の63号機。本機はかつて青大将姿で「つばめ」「はと」の先頭にも立っています。更新改造前の原形大窓に「あかつき」のヘッドマークがよく似合っています。
撮影:Morishigeさん  大阪 1973.8頃
morishige-EF5863b 同じくMorishigeさん撮影の「彗星」のHMも誇らしい63号機です。
撮影:Morishigeさん  下関 1974.8.17
moterman-ef5863 こちらは晩年の63号機が牽く14系団臨(?)です。
「この当時広島の58はなかなか東京にきませんでした。(38.62.63.81しかない時代)小田原でのたしか、6348レのすじだったと記憶しております。(昭和56から59年の間の写真だとおもいます)」(もーたーまん@鈴木さん)
撮影:もーたーまん@鈴木さん  小田原 撮影年月日不明
ohno-ef5863 広島のカマにしては個性が無いように見えますが、上向きのつらら切り(厳密にはヒサシ)が良い味出してます。
撮影:ohnoさん  6313レ  東神奈川―横浜 1980.6.5
H-Yamaguchi-Ef5863 お馴染みの新子安を駆け抜ける63号機。12系12連という長い編成も、この頃はふつうでしたね。今、こんな編成をゴハチが牽いたら感動モンです。
撮影:山口裕志さん  新子安 1982.1.13
ef5831-ef5863 短命に終わった寝台特急「安芸」を牽き終着下関に到着する63号機。当初20系で昭和50年3月にデビューした「安芸」ですが、昭和52年9月に24系25形に車種が変更され、その1年後に列車自体が廃止となってしまいました。
撮影:EF5831さん  1001レ「安芸」  下関 1977.9
ef5852-ef5863 「荷31レは浜松区の担当ですが、この日はなぜか広島区の63号機が充当されていました。63号機は正面ナンバ−が輝いて反射するのでピンボケのようになってしまうので悩まされた記憶があります。」(EF5852さん)
撮影:EF5852さん  荷31レ  藤枝―島田 1981.2
EF5863 1975年(昭和51年)7月に撮影された63号機です。既にひさしが取り付けられています。本機は1975年に車体整備を受けており、その際に施工されたのかも知れません。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん   1002レ「安芸」  大阪 1975.7.21
EF5863 更新改造に広島工ひさし、PS22Bパンタ姿で新製間もない24系25形ブルトレを牽く。ピカピカの25形には原形機よりこの姿の方が似合ってるような気もします。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん   3004レ「彗星4号」  住吉―摂津本山 1979.5.28
 EF58 64〔広島〕
EF5864 こちらも広島区(広島工場)の独自の改造だったPS22Bパンタをつけた大窓64号機。本機も屋根上の抵抗器室カバーは1エンド側が2エンド側と同じ小さな物になっています。また、同機のヘッドマーク取付座は関西ブルトレ対策で増設された物が通常の位置のずっと上、ナンバープレートと前面窓の間にありました。この位置は通常は前部標識灯掛けが設置されますが、それを利用したのかもしれません。そのため、ヘッドマークを付けるとナンバーが隠れてしまうという、ちょっと情けないものでした。ワイパーは左右ともWP50に交換されていますが、グリップエンドが小型化された物になり、水切りの位置は変更されていませんでした。

※P形 大窓 抵抗器室カバー変形 PS22Bパンタグラフ ヘッドマーク取付座増設
8042レ「あかつき52号」  大阪 1979.8.16
製造年月日:S28.6.18
製造:川崎車輌・川崎重工
廃車:S55.12.26〔広島〕
EF5864 14系座席車の臨時「あかつき」と同機の連結部。14系の列車名表示器にはちゃんと「あかつき」の表示がされています。特急牽引の証。変形のヘッドマーク取付座が標識灯掛けの下部を延長して設置されている様子が伺えます。
8042レ「あかつき52号」  大阪 1979.8.16
ef5853-EF5864 「既にEF65PFが運用についており、この夏の臨時特急、この6031/6032レ「明星5/6号」と8042/8043レ「あかつき51/52号」の2往復のみがEF58[広]の運用でした。記録だと62,63,38,64のようです。ようやく見ることができた、最後に残っていた(私にとって)大窓機でした・・。」(EF5853さん)
撮影:EF5853さん  6031レ「明星5号」 広島 1980.8.10
TF-EF5864 昭和39年10月に新設された東北本線の寝台特急「はくつる」の直流区間の牽引は、当初、東京区のゴハチ担当でした。翌昭和40年10月に受け持ち区が宇都宮に変更されましたが、その際にこの64号機も東京区から宇都宮に転属しています。同機は昭和45年10月に広島区へ転属していますが、宇都宮のゴハチとしては大窓機は珍しかったのではないでしょうか。原形大窓に茶色塗装が良く似合います。なお、ゴハチの塗装が新標準色へ塗り替えられたのは昭和39〜42年の間となっており、お召し機60,61号機と東京区の御召し予備機73号機を除いて全機が青色に変わっています。
写真所蔵:T.FさんくらはやしみのるのB級HP) 上野 1966頃
iriguchi-ef5864 呉線経由で運転された寝台特急「安芸」を牽引する64号機。50.3改正で急行格上げで誕生した「安芸」もこの翌月の53.10改正で廃止され、わずか3年半の短命となりました。この頃の64号機は助士席側ワイパーが原形のkw3Dで機関士側がWP50なのが何ともアンバランス。
撮影:入口 郷さん  寝台特急「安芸」 下関 1978.9
ef5829-ef5864 14系12連で組成された臨時「あかつき」を牽く64号機。長編成を従えて3複線区間を行く姿は急客機の面目躍如です。ゴハチはやはりこの姿が似合いますね。
「広島区受持の臨時特急回送です。定期ブルトレはこの時期PFになっていましたが、臨時はまだ58の出番でした。」(EF5829さん)
撮影:EF5829さん 回8042レ あかつき52号回送 山崎―神足 1979.8.18
ohno-ef5864 珍しくも荷31レの先頭に立つ64号機。1980年頃になると荷物列車もパレット車が中心の編成が多くなります。
撮影:ohnoさん  荷31レ  田町  1980.7.6
murakami-ef5864 上り「彗星」を牽き大阪に到着する64号機。1979年前後の撮影でしょうか。
撮影:村上さん  3006レ「彗星2号」  大阪  撮影日不明
sugi-EF5862 原形ワイパーにPS14パンタ時代の同機です。隣は更新改造の77号機。大窓に原形ワイパー姿、やはりスッキリとしていて良いですね。(^_^.)
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん   向日町運転所 1975.3.8
 EF58 65〔宇都宮(転)〕
TK89-EF5865 掲示板でもたびたび話題になった65号機の哀れな姿です。広島区の特徴だった一体型ひさしを装備しており、同機がその第1号で昭和50年(1975年)3月に施工されました。廃車後、長く国分寺の関東鉄道学校に教習用として置かれていましたが、同校の閉鎖に伴い1987年に大宮工場にて解体されました。本機も川崎製で屋根上の抵抗器室カバーは1エンド側が2エンド側と同じ小さな物になっています。

※抵抗器室カバー変形 P形 左右一体型ひさし

撮影:TK89さん  東大宮操 1984.6.6
製造年月日:S28.7.1
製造:川崎車輌・川崎重工
廃車:S55.2.1〔宇都宮(転)〕
ef5858-ef5865b 広島工場独自の一体形ひさしの第1号となった同機の原形大窓時代の姿。こちらは2エンド側です。本機は昭和50年3月に広島工場で取り付けられましたが、その直後に宇都宮運転所に転属しています。その為、広島区での一体ひさし姿での活躍はほとんど見られなかったと思われ、この一体ひさしは大宮工場が起源と言う誤解を生む原因となっています。
「全検直前の65号機。黒磯寄の庇は中心部が尖っていました。」(EF5858さん)
撮影:EF5858さん  宇都宮運転所 1977.3
ef5858-EF5865 上の写真の直後、大宮工場で全検を受け、大窓からHゴム窓に変わった姿でこちらは1エンド側です。全検直後と言うのに車体裾スカート部にチョークで「モレ↓」と書かれています。あまり調子が良くなかったのでしょうか、10号機と共に電暖改造されること無く廃車になっており、宇都宮での活躍は少なかったのではないでしょうか。
「65号機最後の全検後の姿。上野寄の庇は直線状でした。」(EF5858さん)
撮影:EF5858さん  宇都宮運転所 1977.3
ef5858-ef5865c 上写真とは別の日の撮影と思われますが、同じくHゴム窓改造後の同機の1エンド側です。153号機はHゴム改造前の美しい姿です。
「救援車(スエ31)を囲む様に憩う153、65号機他。」(EF5858さん)
撮影:EF5858さん  宇都宮運転所 1977.3
morishige-EF5865 広島区で特急牽引機として活躍した当時の65号機。一体型ひさしが取り付けられる前の美しい姿が印象的。
撮影:Morishigeさん  大阪 1973.8頃
kk0630-EF5865 同じくHMをかざし、特急牽引に活躍した姿。kk0630さんが高校の頃に知人から頂いたものだそうです。ヘッドマークを付けて山陽寝台特急牽引に返り咲いた昭和47年3月から昭和50年3月の3年間がEF58最後の黄金期と言えましょう。
写真所蔵:kk0630さん  加古川付近 1974年頃
line-EF5865 旧客時代の急行「八甲田」を牽き、東北本線を快走する「大窓一体ひさし」の65号機。上の「あかつき」を牽く姿と見比べると顔つきの変化が良く分かります。
撮影:来Nさん  102レ「八甲田」  蓮田付近 1976.7.25
tanaka-ef5865 東大宮操車場に留置中のお馴染みの姿。カラーで見るとますます痛々しいですね。
撮影:たなかさん  東大宮操車場 1984年頃?
fj62g-ef5865a 同じく東大宮操車場に留置中の同機です。 撮影年月日は不明ですが、上写真の状態より更に荒廃しているようで、正面の落書きなど何とも哀れな状態。
撮影:FJ62Gさん  東大宮操車場 撮影年月日不明
 EF58 66〔竜華〕
Taki-EF5866 れんたろうさん撮影の66号機です。シールドビーム2灯化前の美しい姿が印象的です。同機は正式に上越地区に配備されたことはありませんが、昭和30年代の東京区時代、高崎第二区に何度か貸し出されており、その為につらら切りが装備されました。なお、汽笛カバーは最初から取付られていません。この時点ではパンタグラフは原形のPS14AでP形改造はまだ施工されていません。
「実は重連で次位は22号機でした。」(れんたろうさん)<大窓重連〜(涎)
撮影:れんたろうさん  969レ  和歌山 1976
製造年月日:S28.5.26
製造:東洋電機・汽車会社
廃車:S61.3.31(竜華)
kk0630-EF5866 こちらはkk0630さん撮影の66号機牽引の臨時列車です。パンタグラフがPS15に換装され、前灯は1977年8月に鷹取工場でRSB2灯に改造されています。また、P形改造に伴い前端バリ左右に元空気だめ管が設置されています。
それにしても、やはり大窓機は良いですね。本当に惜しいことを…。(;_;)

※大窓 つらら切り 大型汽笛カバー 昇降手すり短縮改造(機関士側のみ)

撮影:kk0630さん  9126レ「EF58の旅」  岩代―切目 1985.8.25
kk0630-EF5866b 66号機の引退を記念して運転された「さよなら66」号を牽く姿です。この牽引に際し、前灯がシールドビーム2灯から原型のLP402形に44号機のものを利用して復元されています。特定のナンバーのお別れ運転が行われたのはこの時ぐらいだったのでは?それだけ、最後の大窓機の人気は凄かったのでしょうね。

撮影:kk0630さん 9326レ 和歌山 1986.1.15
timebokan-EF5866+EF15 これはおそらく掲示板でお馴染みのぽんちゃんさんがハンドルを握られた列車ではないかと言うことで、タイム母艦さんよりお送りいただきました。
「とにかく当時はもう生活の中心にEF58と言った生活を送っており、この写真は往路ですが、復路の撮影は生涯最も悲しい撮影でした。」(タイム母艦さん)
撮影:タイム母艦さん  9126レ「EF58・EF15重連の旅」  簑島紀伊―宮原 1986.2.23
timebokan-EF5866b 同じくタイム母艦さん撮影の品サロを牽く66号機の晴れ姿です。
「実はこの日は平日で学校を早退して撮ったものです。この列車の走る3日前、友人と「こんど紀勢に入る品サロなにが引くやろー」と話をしながら当時よくお世話になってた天王寺駅に行きました、そこでいつものように挨拶して「局報見せて下さい」と言うと、助役?さんが「品サロやろ、見たらびっくりするでー」と言われて、当日の日付けのページをみると・・・・なんと5866!
 当日撮影した時のことは今でも忘れません。66の気の抜けた汽笛が3秒位鳴ったかと思うと、ものすごいモーター音と轟音!続いて電源車の音とすさまじいジョイント音!写真でつたわらないのがちょっと残念ですが。」(タイム母艦さん)
撮影:タイム母艦さん  9126レ 鶴ヶ丘―長居 1985.10.25
timebokan-EF5866c 「これは私のネタの中でも数少ない1エンド区名札側から撮影したものです。紀勢線はちょうどこの逆サイド側が海側なので光線や地形の関係上現役時代のものはほとんど機関助士側からの写真ばかり・・・なんの変哲もない和歌山でのスナップですが、当時の普通列車の雰囲気が伝わればと思います。」(タイム母艦さん)
撮影:タイム母艦さん  121レ 和歌山 1985.6.16
shindo-EF5866 shindoさんより「豚鼻から解放されたばかりの66号機。」の写真です。同機はお別れ運転に際しシールドビームから原形のライトに復元されました。お別れ運転後の撮影会か何かでしょうか。上の姿と比べると、前面ステップ上の中央左右に標識灯掛けが増設されているのが目立ちます。また、このアングルだと短縮改造された側扉横の昇降手すりが良く分かります。
撮影:shindoさん  
morishige-EF5866 下関運転所で特急牽引機として活躍した当時の66号機。山陽筋の寝台特急牽引機には当初、米原・下関の2区のEF58が充当されました。(後に広島・宮原も参入)これら2区のゴハチは原形大窓機や原形小窓機が多く、美しい姿でHMをかざして走る姿は、まさにゴハチ黄金期を偲ばせるものがあったことでしょう。 なお、本機はP形未改造だったので、ブルトレ牽引は14系・24系のみだったと思われます。
撮影:Morishigeさん  岡山 1973.8頃
morishige-EF5866b ちなみにこの66号機もかつて青大将塗装で「つばめ」「はと」の先頭に立っています。
撮影:Morishigeさん  大阪 1973.8頃
timebokan-EF5866d 「掲示板でチョコット書かせていただいた、ドア-の取っ手にマジックハンドのような針金の太いテコが比較的よく解かる写真です。機関士の方々は66に乗る際結構使われていた様な気がします。」(タイム母艦さん)
撮影:タイム母艦さん  和歌山 1985.6.16
timebokan-EF5866e 「天王寺へ向けて勾配区間を駆け上がる66号の勇姿です。この日噂では聞いていましたが、本当に1灯ライトに戻された66号機が見えた時は沿線のファンから歓声が上がりました。・・・と言っても今の様にひな壇になる程人はいませんでしたが。」(タイム母艦さん)
撮影:タイム母艦さん  9326レ「サヨナラ66FOREVER」 紀伊―山中渓 1986.1.15
timebokan-EF5866f 「3重連で話題をさらったミステリーリレー号に、確か三回あったうちの1回に乗車しました。機関区の方々が数名乗車されていて9:15の発車から16:25?の到着までずーとカマの話に付き合っていただいたのを今だによく覚えています。本当にお世話になりました。」(タイム母艦さん)
撮影:タイム母艦さん 9227レ(次機:ED604、次次機:EF1558) 「ミステリーリレー号」 和歌山操車場 1985.8.7
timebokan-ef5866 「66号機のバルブです。924レですが紀伊田辺にはかなりの長時間停車するので、許可さえとればこういうアングルもOKでした。ひさしの下までよく分り、大窓からもれる明かりが泣かせます。」(タイム母艦さん)
撮影:タイム母艦さん 924レ 紀伊田辺? 1985.8.9
Tc153-501-EF5866 「紀勢遠征3回目にして、ようやく会うことの出来た時の66号機の写真です。(涙)
新宮駅6:31発121レに66号機が入っていたら大当たり!その日は一日中この機関車を撮影することができました。写真は蒸気が正面から上がってしまい当時は非常に悔みましたが、今となっては「ゴハチらしさ」が出ていてよかったかな?なんて思ってみたりもします。雑客+ゴハチってやっぱりいいですね。」(Tc153−501さん)
撮影:Tc153−501さん 121レ 新宮 1984.1?
EF5860-EF5866b 「吹田機関区撮影会にて。66号機のお役目も終わり、あちらこちらの撮影会に貸し出されるようになり、大忙しの大窓機。どうして保存してくれなかったんだろう・・・。」(EF58-60さん)
撮影:EF58-60さん 吹田機関区  1986.8.23
EF5860-EF5866c 昭和31年11月19日の東海道全線電化記念HMを付けた姿。これは上り列車に付けられた物で実際にこのHMを付けたのは青大将塗装の89号機でした。ちなみに下りは同じく青大将の57号機。
撮影:EF58-60さん 吹田機関区  1986.8.23
EF5860-EF5866e この列車に関してゴハチ信者さんより以下の解説を頂きました。
「この列車は竜華操発和歌山(操)行きで所定はEF15の単機でした。
当日、天王寺←→御坊に運転される「さようならEF58・EF15重連の旅」(重連区間は和歌山←→御坊)の和歌山→御坊→天王寺を牽引するEF5866を単981レの次機で回送したので、この日は重単になったのです。」(ゴハチ信者さん)
撮影:EF58-60さん 単981レ(本務機:EF15123)  和歌山  1986.2.23
EF5860-EF5866d 66号機の運転台。大窓機と小窓機ではスピードメータなどの正面計器類の取り付け方法が異なります。
撮影:EF58-60さん   1986年?
Tc153-501-EF5866b 「12系客車になってしまった126レ。正月だったので通常より1両多い6両編成。」(Tc153−501さん)
撮影:Tc153−501さん  126レ  黒江―紀三井寺 1985.1.3?
timebokan-EF5866g 「とにかく、66号機の運用が掴めれば、試験もなにもないのです。この10月頃は66号機の11月休車が決まるとともに、私の浪人もほぼ決定していました。」(タイム母艦さん)
撮影:タイム母艦さん  121レ  黒江―紀三井寺 1985.10.25?
timebokan-EF5866h 「順光の場所を探して、友人達と冷水浦から一時間近く歩いた挙句がこのアングルです。よくまあこんな遠くに毎週行ったものですが、大窓が夢に出てくるくらいですから仕方ありません。」(タイム母艦さん)
撮影:タイム母艦さん  126レ  海南―冷水浦 1985.11.3
ef5852-ef5866 「当時、紀勢線へ行く目的は、やはり竜華区のエース66号機の撮影でした。しかし、私とは相性が悪いようでなかなかお目にかかれませんでした…。現在と違って情報が得難い時代でしたからね。。」(EF5852さん)
撮影:EF5852さん  回332レ  和歌山―宮前 1983.12
inayuki-ef5866 EF15と重連でさよなら運転の先頭に立つ66号機。やはり原形1燈姿は美しいですね。
撮影:急行伊奈ゆきさん  9126レ「EF58・EF15重連の旅」  箕島―紀伊宮原 1986.2.23
原形1燈ライトに復された66号機の1回目のさよなら運転。 北極ぐま閣下さんは当日この列車に乗車されたそうです。
「当日は久宝寺を出発して紀勢線の紀伊由良で折り返し天王寺に戻るというものでした。お座敷列車でなかで58の運転席からの画像(もちろんビデオ)が放映されていました。」(北極ぐま閣下さん)
撮影:北極ぐま閣下さん  「サヨナラ66FOREVER」 久宝寺 1986.1.15
「機関区の写真はこのツアー客向けの機関区撮影会でした。当日は何と言っても66が”一つ目”に戻って参加者を驚かせたのが話題でした。確かに一つ目大窓はさすがに格が違いますね〜。その日機関区には58は39,139、EF15は123や158など比較的美形を集めてもらい参加者はかなり満足していたと思います。(私としては唯一撮り逃がした42号機が残念でしたが・・)しかし、そんなサービス精神がありながらこの区から1両の保存も無く解体されてしまったのが、残念ですが・・。」 (北極ぐま閣下さん)
撮影:北極ぐま閣下さん  竜華機関区 1986.1.15
fj62g-ef5866a ディスコン棒でパンタを上げる光景も今や懐かしいものでしょうか?
「竜華機関区には3〜4人で訪れたのですが、職員の方がイヤな顔一つせずに構内を案内してくれました。しかも、こちらから頼んでいないのに、パンタまであげてくれ、
子供ながらに非常に嬉しかったのを覚えています。」(FJ62Gさん)
撮影:FJ62Gさん  竜華機関区 1985.8.4
1986年10月10日から12日に高崎運転所で開催された「歴代ブルトレ機関車大集合」と題したイベントに、遠路はるばる関西から参加した66号機。この写真のヘッドマークは1956年11月19日の東海道前線電化開通を記念して当日の下り「つばめ」に特別に付けられた物。
撮影:FJ62Gさん  高崎運転所 1986.10.12
復元された1灯ライトが美しい66号機。ちなみにこの記念マークを付けて全線電化当日に下り「つばめ」の先頭に立ったのは、青大将姿の57号機でした。同日の上り「つばめ」は同じく青大将の89号機で、これとは異なる意匠の記念ヘッドマークを付けていました。
撮影:FJ62Gさん  高崎運転所 1986.10.12
ズラリと並んだ歴代ブルトレ牽引機の面々。右端からEF5866、EF60501、EF65501、EF651111、EF6637とこれだけ並ぶと壮観です。ここには見えていませんがこの他にもEF58122、172、EF3017、EF701001、EF5911、EF15165、200、EF621、EF631、EF641、EF651が展示されました。
撮影:FJ62Gさん  高崎運転所 1986.10.12
この歴代ブルトレ牽引機中、最もブルトレと縁が薄かったのがEF60500で、1963年12月から1965年10月のわずか2年足らずしかブルトレの先頭に立っていません。EF58は何だかんだで九州ブルトレ登場時、「はくつる」、晩年の山陽、東北、上越の牽引期間を合わせれば17年あまりブルトレ牽引に携わっています。
撮影:FJ62Gさん  高崎運転所 1986.10.12
それにしても、このイベントで展示された機関車の多くが、現在も横川で保存されていることを思うと、この時もし、66号機もそのまま高崎に残っていれば、その運命も違ったものになったかも分かりません。
撮影:FJ62Gさん  高崎運転所 1986.10.12
「竜華機関区なき後に、奈良電車区に取り込まれたEF5866です。区名札刺しに、同行者が持参した「名」やら「宇」やら「関」が入っています(笑)。「痛み」程ではないものの、やはり退色は否めなかったです。」(FJ62Gさん)
撮影:FJ62Gさん  奈良電車区 1987.7.30
ナンバープレートや製造銘板も取り外され、電車区奥の研修庫脇に押し込められた哀れな姿…。
撮影:FJ62Gさん  奈良電車区 1987.7.30
後ろに機関車や客車ではなくワムが並んでいるところに何となく悲哀を感じます。
撮影:FJ62Gさん  奈良電車区 1987.7.30
塗装もかなり色あせしてオデコ部分などヒビ割れています。
撮影:FJ62Gさん  奈良電車区 1987.7.30
随分とくたびれた姿ですが、この後再度塗装が行われ綺麗な姿で奈良駅に展示されることに。
撮影:FJ62Gさん  奈良電車区 1987.7.30
1988年4月23日から10月23日まで奈良市で開催された「なら・シルクロード博」にちなみ、美しく化粧直しされ奈良駅構内で展示される66号機。上の写真と見比べると見違えるような色つやです。

撮影:FJ62Gさん  奈良 1988.4.24
奥の1エンド側扉から車内に入り、中を通って手前の2エンド側扉から外に出る様になっていたようです。パンタも上がり今にも走り出しそうですが、残念、架線がありません。

撮影:FJ62Gさん  奈良 1988.4.24
ヒゲもピカピカに磨かれていて、この角度だと本当に美しいですね。
この姿をいつまでも保っていて欲しかったものです。

それにしてもなぜ「シルクロード博」にEF58なのか、正直意味不明ではあります。少しは宣伝になったんでしょうかねぇ。
撮影:FJ62Gさん  奈良 1988.4.24
このアングルだと架線が無いのが良く分かりますね。
オデコ部分を良く見ると、ひび割れた塗面に塗料を塗り重ねた状態なのが見て取れます。

同機がこの場に展示された期間がどれぐらいなのか不明ですが、この後再び奈良電車区に移動し、およそ8年後の1996年3月に同区で解体されてしまったのは、やはりあまりにも惜しい事でした。
撮影:FJ62Gさん  奈良 1988.4.24
第一回目のさよなら運転の参加者向けの撮影会で並んだ竜華ゴハチ。手前から66、139、39号機。各機それぞれ個性的な形態ですね。ゴハチの魅力の一つに、色んな形態の物がぞろぞろと並ぶ…というのがあったのですが、今となっては映像から当時を偲ぶしかありません。
撮影:品川丼さん  竜華機関区 1986.1.15
「ゴハチの定期運用が無くなってもなお66人気は衰えず、機関区に往復はがきで申し込む機関区見学の際には66のパン上げ展示が必ず行われていたようです。」(EF-18さん)
車体前面の角のような標識燈掛け?が取り付けられています。ゴハチ信者さんによると、少なくともこの年の4月半ばまでには取り付けられているとの事です。
撮影:EF-18さん  竜華機関区 1986.7.31
117KM-EF5866
81系お座敷を従えて京都駅1番線と2番線の間の到着線で待機する下関時代の姿です。こちらは1エンド側。パンタグラフはPS14で、デカパン大窓つらら切りの姿はやはりカッコいいですね。また、竜華転属前なのでP形未改造です。
後の81系は下関区のゴハチ牽引なので門トス所属でしょうか。この前のシーンでは66号機の前に91号機が連結され重連になっていました。そのシーンがこちらです。
撮影:117KMさん   上り回送?  京都 1974.2
117KM-EF5866
上の写真の機関車部分の拡大です。事故にでもあったのかこちら側の側扉下面のステップが大きく外側に曲がっています。これで車両限界に納まってるのか気になります。SG管にホースが繋がったままですが、昭和40年代のEF58やEF57、EF56の写真ではちょくちょく見かけます。
撮影:117KMさん   上り回送?  京都 1974.2
 EF58 67〔浜松〕
6348-EF5867 高崎時代に付けられたつらら切りにデフロスタが浜松区のゴハチにしては異色です。標識灯掛けも上越形同様、前端バリ上に移設されています。汽笛カバーは取り外されています。

※つらら切り デフロスタ 標識灯掛け前端バリ移設 原形フィルタ
撮影:6348レさん  小田原―早川  1978(?)
製造年月日:S28.6.29
製造:東洋電機・汽車会社
廃車:S54.2.29〔浜松〕
yamaguchi-EF5867 雪景色の東海道を行く67号機。10系客車を主体にした列車は何でしょうか?編成も12〜13両ぐらいありそうです。これも、山口さんにお願いして同氏のHPに公開中の写真を新たにお送りいただいた物です。(ありがとうございました。)
撮影:山口正洋さん (75茶屋)   午前の下り列車 稲枝―河瀬  1973.1
Mr.slim-EF5867 浜松機関区に休む67号機。移設された標識灯掛けなど特徴あるスタイルが良く分かります。
撮影:Mr.スリムさんMr.スリムの道楽部屋  浜松機関区  1973〜74頃
ohno-ef5867 81系お座敷6連を牽く67号機。一般形グリーン客車を改造した81系は1980年代に入って続々と登場したジョイフルトレインの元祖とも言うべき存在で、ゴハチとは切っても切れない関係でした。
撮影:ohnoさん  新子安 1977.9.11
c11204-ef5867 名所、根府川橋梁を渡る67号機。雪かき器は無いものの、このアングルで見ると、つらら切りや移設された標識灯掛けの為か上越形っぽい印象です。
撮影:C11204さん  根府川 1979.6.10
ef5831-ef5867 水銀灯に浮かび上がる67号機の凛々しい面構えです。スノウプロウと汽笛カバーこそ付いていないものの、厳めしい顔つきは上越形の血統を強く感じさせます。
撮影:EF5831さん  下り荷レ  岩国 1976.8.3
「今やSGを噴き上げるEF58の姿は見ることができませんね。写真は昭和50年2月名古屋まで新幹線に乗車せず、急行「高千穂・桜島」のスロ62に乗車した時に撮影した東京駅のEF5867で、SGを勢いよく噴き上げています。この日は新幹線が積雪のためDelay&Cancelが相次ぎ、スロ62の乗車率は75%位でした。」(747-400アッキーさん)
ホーム上屋に溜まった蒸気が凄いです。この感じ、写真だけではなかなか伝わらないでしょうね。
撮影:747-400アッキーさん  1101レ「桜島・高千穂」  東京 1975.2
k53taka-EF5867 広々とした新潟駅構内に佇む本機の小窓時代で1エンド側です。新製時には大窓でしたが高崎区時代につらら切りの取り付け、更に昭和39年(1964年)12月に大宮工場で前面窓の合わせガラス化に際し大窓から四隅にRの付いた独特の小窓へと改造されています。このタイプの小窓は他に35、36、41、52、70号機がありました。
撮影:k53takaさん(新潟の蒸気機関車)   新潟 1967.3.21
k53taka-EF5867 同じ時に撮られた2エンド側です。高崎第二区配置時の姿でつらら切りと可動式雪かき器を設けたこの時代の上越形の標準的な姿と言えましょう。上越形らしく前端バリに標識灯掛けが設置されていますが、後に撤去される車体側の物も残っています。 なお、本機の前面窓のHゴム支持化は昭和45年(1970年)3月です。 前面手すりが白色?に塗られていますが、昭和40年代の北のゴハチにたまに見られますね。
撮影:k53takaさん(新潟の蒸気機関車)   新潟 1967.3.21
 EF58 68〔東京〕
EF5868 「銀河51号」を牽く東京区の68号機。末期に下関運転所に転属した以外、新製時からずっと東京機関区で活躍しました。更新改造されたゴハチの側扉は、従来の鉄製の物から窓が大きく、開閉可能なFRP製の物に交換されています。この段階では機関士側のみワイパーがWP50で助士側はWP35です。

※更新改造 原形フィルタ
6102レ「銀河51号」  横浜 1978.5.3
製造年月日:S28.7.16
製造:東洋電機・汽車会社
廃車:S59.5.2〔東京〕
EF5868 更新改造されたゴハチの側扉は、従来の鉄製の物から窓が大きく、開閉可能なFRP製の物に交換されています。にも関わらずエアフィルタが原形なのが暖地形としては珍しいですが、これは東京区のゴハチが宇都宮や高崎など寒地への貸し出しを考慮したものだそうです。 この1エンド側の前面警戒色の塗り分けは上部が他に比べて直線的になっています。
6102レ「銀河51号」  横浜 1978.5.3
6348-EF5868 6348レさんから頂いた、新1号編成を牽く68号機の貴重な写真です。
他に同じく東京区の14号機の例があるそうです。(他に知ってる方がいらしたら、ぜひ、ご教授お願いします。)(^^;)
ところで、6348レさんのハンドル名の由来は当時広島や下関のゴハチを撮ったときの想い出の列車番号だそうです。
撮影:6348レさん  小田原 1980.6.19
DAYTONA-EF5868 こちらはDAYTONAさん撮影の「お座敷踊り子号」を牽く姿です。
撮影:DAYTONAさん  9021レ 根府川 1983.8.8
kk0630-EF5868 1984年5月に廃車された68号機、運用離脱直前の姿でしょうか。
「下関に移って最後の姿です。」(kk0630さん)
撮影:kk0630さん  荷2031レ  神戸 1984.3.22
to198403-EF5868A 「東海道特急「踊り子」を牽く[東]68。通いなれた道を行くのもあと僅かという時期です。最後まで東海道特急仕業に充当された68は幸せな履歴を歩んだゴハチでしょう。 」(To198403さん)
撮影:To198403さん  東戸塚付近 1984.1
to198403-EF5868B 「[東]で一生を終わるかと思いきや、まさかの下関組への合流。そして重仕業、定期荷レ。荷レを引いて沼津を発車し東海道を下っていくところです。夕陽に向かって行くところが当時ゴハチが置かれた立場に重なります(;_;)。SGのスチームの力強さがゴハチ健在をアピールしているようでした。   」(To198403さん)
撮影:To198403さん  荷33レ 沼津 1984.3.10
H-yamaguchi-ef5868b 浜松区の台検代走で荷物列車を牽く68号機。
「東京区のゴハチの浜松区台検代走は荷38レではよく見たのですが荷33レはこれだけです。」(山口裕志さん)
撮影:山口裕志さん  荷33レ 新子安 1982.1.9
H-yamaguchi-ef5868 スロ7連(62系でしょうか?)を牽き、お馴染みアメリカ橋をバックに山手貨物線を行く。今ではすっかり旅客線と言った感じの山貨も、この辺りの情景は現在もさほど変わっていませんね。
撮影:山口裕志さん  目黒―恵比寿 1981.9.22
H-yamaguchi-ef5868c 東京機関区で待機する68号機。
撮影:山口裕志さん  東京機関区 1981.3.18
ef5852-ef5868 荷物列車を牽き、最後の活躍をする68号機。塗装も痛み薄汚れた姿が哀愁を誘います。 
68号機の1エンド側は正面の青色とクリーム色の塗り分けラインが直線的で違和感がありました。 機関士側の正面窓にチラリと見えるペパーミントクリーンの計器パネルから元大窓機であることが確認できます。」(EF5852さん)
撮影:EF5852さん  荷36レ  島田―藤枝 1984.3.12
ゴハチロクマル-EF5868 富士をバックに14系座席車による成田臨を牽き東海道を東上する68号機。 今はこのアングルでの撮影は不可能ですね。
撮影:ゴハチロクマルさん  9342レ  三島〜函南 1980.2
onozawa-ef5868 更新改造前の原形大窓時代の貴重な姿です。機関士側ワイパーのWP50化に伴い、61号機や123号機の様に水切りの一部を湾曲させています。また、1エンド前面警戒色の塗り分けがこの頃から直線的だったのが見て取れます。
「横浜駅9:01着大阪発東京行急行銀河2号104レ」(小野沢さん)
撮影:小野沢さん   104レ「銀河2号」 横浜 1972.9.23
117KM-EF5868
屋根上や客車にスチームを漂わせ西日暮里を通過する原形大窓時代の姿です。列車は東北本線の下りで客車に愛称板が挿さっている事から急行だと思われます。機関車次位がオハフ33なのと東北本線の列車に関わらず東京区のゴハチ牽引の点から、帰省臨のピンチヒッターではないかと思います。
撮影:117KMさん   下り急行  西日暮里 1972.1
117KM-EF5868
上の写真の拡大です。こちらは1エンド側で前面手すりとKW3Dワイパーが白か銀に塗られているのが目を引きます。1960年代後半の宇都宮のEF58に同様の姿を書籍やネットで見かけますが(上の小窓時代の67号機の前面手すりにも見られます)、東京区所属機でもあったんですね。また、この頃から本機の1エンド側の前面警戒色の上部の塗り分けが直線的になっていた事が分かります。直流標準色化された当初からの可能性が高いかもしれません。SG缶にホースが付いたままですがこれも1960年から1970年代前半に撮られたEF58やEF57などに結構見られる姿です。
撮影:117KMさん   下り急行  西日暮里 1972.1

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