ELECTRIC LOCOMOTIVE EF58  Vol.9
EF58 61

Last Update 2023.9.1

 第3次増備車(48〜68号機) その3

昭和28年7月の東海道本線・名古屋電化用として製造されたグループです。製造時の形態は、第2次形とほぼ同じで前面窓が大窓、水切り、誘導踏段、握り棒が無い姿でパンタはPS14でした。第2次形との差異は側窓の第1・第5が開閉可能となった点です。また、このグループには御召列車専用機として特殊装備を付けて製造された60・61号機も含まれます。

この61号機は60号機と共に製造前から御召列車専用機としての指定を初めて受けて製造されたものです。それまで御召し用機関車は既製の車輌中から出来栄え検査で選定されており、この面からも正真正銘、生まれながらの御召し専用機と言えましょう。
御召し列車用の特殊装備は以下の通りで、その他指示以外の部分についても特殊なテストを行うなど、メーカーの威信を掛けて製造されました。
  1. 運転室前面の飾り帯をステンレス製とし、車体側面全長に渡り幅70mmで取付。
  2. 連結器・タイヤ側面・バネつり・ブレーキ引棒などを磨き上げて傷の発見を容易にすると共に装飾とした。
  3. 車体両端に国旗掲揚装置を取付。
  4. 運転室側面下部に引き込み式の列車停止位置基準板を設置。
  5. 自動連結器に上錠揚止装置を取付。
  6. 供奉車との連絡電話を設置。
  7. 前後運転室間に連絡用の送話管を設置。
  8. 助士席にも速度計取付。
  9. MG用界磁抵抗器を増設し、故障時に切り替え可能に。
  10. 応急処置用の予備品箱と工具箱を補機室内に用意。
 ところで、あまり知られていないようですが、この61号機は本来日立製54号機として誕生する予定だったものが、「お召機は連番が望ましい」との観点から、このロット内で東芝に割り振られていた61号のナンバーを日立の54号と交換したものです。その為、54号機と61号機については同一メーカー内落成順ナンバー付番の法則が崩れています。

※印…主な特徴です。画像をクリックすると大きなものが表示されます。 <一番下へ>

 EF58 61〔東京〕
EF5861 60号機と共に御召専用機として製造された61号機。今も昔もゴハチのエースとして絶大な人気を誇っています。写真は機関士側の前面窓上の水切りが湾曲している頃。全検(お召し整備)出場直後のお召し試運転で品川の旧形客車8連を牽引した時の姿です。今となっては青い旧客が懐かしいですね。

※お召し機 大窓
試9101レ  品川 1980.9.24
製造年月日:S28.7.15
製造:日立製作所
廃車:R5.5.31

現在:JR東日本・鉄道博物館にて保存
EF5861 この当時は61号機と言えど、普段は結構薄汚れていた印象でしたが、それだけにお召し整備直後の美しさには言葉が出ませんでした。 誘導ステップが東京機関区の白塗りではなく黒色のままなのが珍しいでしょうか。 おそらくこの時のお召整備で助士側のワイパーもWP50化されたと思います。
試9101レ  品川 1980.9.24
「銀河52号」を牽引する61号機。ロクイチが一般客レを牽くのはこの当時は珍しかったと思います。何でもない写真ですが、ロクイチの普段の姿…と言うことで。
6102レ「銀河52号」  大森―大井町 1981.1.6
品川客車区の81系お座敷(シナ座)を牽き東海道を行くロクイチ。この頃からお座敷列車に始まるジョイフルトレインの先頭に立つ姿が多くなっていきます。
列番不明  品川―大井町 1981年初夏?
EF5861 61号機による長距離リバイバルトレインの嚆矢となった復活「つばめ」です。これは東海道全線電化時の「つばめ」のダイヤを踏襲し、東京〜大阪間を二日に渡って往復運転すると言うイベント列車で、当時の国鉄としてはかなり思い切った内容でした。その好評を受けて翌年、翌々年と同様の列車が61号機牽引で運転されています。
この日、私は受験勉強をお休みして二日とも撮影に出かけましたが結果はご覧の通り。みかん山はファンでいっぱいでこんなアングルが精いっぱいでした。
9001レ「つばめ」  根府川―真鶴 1981.7.25
EF5861 中央東線に珍しく乗り入れた時の姿。この頃から同機はイベント列車に良く駆り出されるようになりましたが、薄汚れた状態もしばしばでした。この当時、私は既に鉄道趣味から遠ざかっていましたが、地元を走行と言うことで良く通っていた定番ポイントにて久々の撮影。普段と異なり人が鈴なりでびっくりしました。
「EF58 中央線初乗りの旅」  国分寺―西国分寺 1984.12.2
「完全なものは縁起が悪い」と言うことでお召し機である61号機では、製造銘板の日立の文字がひっくり返っている…と良く言われていました。実際に両毛お召し以前についてはL側(山側)の「立」の字の鍋蓋部分が天地逆さになっていました。ちなみに落成時は正位置で、いつからこうなっていたのかははっきりと分かりません。R側(海側)は製造時から正位置のままと思われます。
品川 1980.9.24
950722c1 参考までに両毛お召し前の同機のL側銘板です。1995年時点では「立」の鍋蓋はやはり天地逆さになっています。
品川 1995.7.22
EF5861 大船工場 両毛御召し後です。「立」の鍋蓋が正位置になっています。両毛お召しに伴う全検では61号機は車体のナンバーや銘板を始め全ての飾り帯も外され、塗装も全て剥がしたうえで腐食箇所の修繕が行われています。おそらくその際、鍋蓋は正位置に直されたものと思われます。
大船工場 1999.9.4
ef5853-EF5861 43系 こちらはEF5853さん撮影の御召試運転列車の姿です。ぴかぴかのロクイチと旧客の組み合わせ。実に渋いです。
撮影:EF5853さん  試9102レ  原宿 1980.9.24
EF5861 お召し クロ157の工場入場の代走で原宿―下田間を走った新1号編成お召し。公式行事でないので国旗は無しですが、やはりロクイチのこの姿は美しいです。この時のお召整備で前面手すりのメッキが復活しています。これを最後にもうお召し列車を牽引することは無いと思われましたが…。
撮影:DAYTONAさん  根府川―真鶴 1985.3.12
ef5853-EF5861 御召試運転 原宿宮廷ホームで発車を待つ品川の43系7連による御召試運転列車。こんな写真があるとは驚きです。(@_@) これは、EF5853さんが人に頼んで撮ってもらったものとか…。
撮影:EF5853さん  試9101レ  原宿宮廷ホーム 1982.4.27
ef5853-EF5861+20系 「ダイヤ改正前は8111レだった列車です。(掲示板で)臨A1さんとの話に出てきた写真です。カヤ21が重連なのがちょっと残念です。」(EF5853さん)
撮影:EF5853さん  7111レ  保土ヶ谷 1982.11.16
6348-EF5861 6348レさん撮影の雑客を牽く姿。雑客とはいえ最後尾には「ロ」も連結されたちょっと豪華な編成です。「うしろの客車は 八甲田 だと信じているのですがだんだん怪しくなってきました。でもサボもはいっているようだし。」(6348レさん)この列車、上野口の臨時列車の回送らしいのですがどなたか素性をご存じの方いらっしゃらないでしょうか?
撮影:6348レさん  早川―根府川 197?
6348-EF5861b こちらも6348レさん撮影の荷レを牽く61です。これは浜松区の台検の代替運用時のものだそうで、まさに61号機の普段の姿ですね。
撮影:6348レさん  荷38レ 早川 1979.7.7
suda-EF5861 すだっちさん撮影の昭和55年5月5日記念号を牽く61です。後ろの客車は旧客でしょうか?
「撮影日はもちろん1980年5月5日(私のコレクション?の中で撮影日がはっきりしている唯一の写真なのです。)撮影場所は東海道本線 磐田−天竜川間、天竜川橋梁東詰めです。」(すだっちさん)
撮影:すだっちさん  磐田―天竜川 1980.5.5
ef5853-EF5861tsubame1 EF5853さん撮影の「懐かしのオールドトレイン”つばめ”」です。
「前の日にクルマをとばして現地で○ヨ。ビニールシートによる場所取りも三脚による場所取りもまだなかった頃の話です。ちなみに次の日の上りは、大糸線の「さようならゲタ電」に回ったため撮っておりません・・・・。」(EF5853さん)
撮影:EF5853さん  9001レ 金谷―菊川 1981.7.25
ef5853-EF5861omeshi 宇都宮運転所にて御召し本番に向けて旗開き。
「日光線お召しの次の日、岡本〜宝積寺に向かう前に運転所の脇を通ったら
このシーンでした。「お召し本番の写真は?」・・・エクタクロームには全く写っていませんでした。(トライXはまずまず?)最初、現像が上がってきたとき必死こいて探しまくったのですが「ない!」次に前のコマNoと後のコマNoを確認したところ、「連続している!」シャッターが落ちなかったのか、前のコマ(485”ひばり”)を撮った後、巻き上げを忘れたのか・・・・・・。」(EF5853さん)
撮影:EF5853さん  宇都宮運転所 1982.5.23
ef5853-EF5861hato EF5853さん撮影の「懐かしのオールドトレイン第二弾”はと”」です。
「去年と同じ場所ではつまらん・・・と場所を変えてみたもの。昨年とはかなり変わってテツだらけ。スタンばってた方々に頼み込んで前で撮らしてもらったのですが、更に後に来た中学生だったかが、通過した直後「やったぁー!」と線路上で踊り上がって喜んでしまい・・・・多分、後ろの方々のアングルにバッチリと・・・。」(EF5853さん)
撮影:EF5853さん  9001レ 金谷―菊川 1982.7.24
ef5853-EF5861tsubame2 その返しの「懐かしのオールドトレイン第二弾”つばめ”」です。
「めがね橋も流されてしまった長崎水害の日です。ものすごい雨でした。ここはちょうど陸橋の真下でして、全く雨にさらされることなくテツができました。81年とはヘッドマークが変わっています。(こっちが確か科学館にあった本物でしたっけ?)」(EF5853さん)
撮影:EF5853さん  9002レ 幸田―岡崎 1982.7.25
Murakichi-61御召し 「1984年9月25日の「昭和天皇御成婚60周年記念 福島県下視察」のためのお召し先頭に立つロクイチです。全然情報通ではなかった私が、新聞でこの旅行の計画を知り、当日の朝に原宿駅で準備していることを確認してから撮影場所へ向かったのでした。その結果、初めてお召し運用の実物を見たのですが、あまりの美しさにゾクゾクきてしまいました。」(Murakichiさん)
日章旗クロスのロクイチ御召し…良いですねぇ〜。
撮影:Murakichiさん  東大宮―蓮田 1984.9.25
To198403-EF5861a 当サイトの開設1周年を記念して、To198403さんより国鉄時代晩年のロクイチの三勇姿を頂きました。ありがとうございます。(;_;)
「シナ座を牽いて東京へ帰るロクイチ。日も暮れた冬の夕刻にスチームを噴き上げながら横浜に到着した姿。この勇姿をもう一度・・・。1984/1 横浜」(To198403さん)
スチーム全開ぃー!!本当にもう一度見てみたいですね!(;_;)
撮影:To198403さん  横浜 1984.1
To198403-EF5861b 「臨時14系「踊り子」。このHMのデザインはあまり好きではありませんでしたが、「飾り」でつけているのではなく「規定」(特急牽引機全面復活)でつけているところは国鉄らしくて好きでした。腐っても「東海道特急」・・・。」(To198403さん)
まさにロクイチ…と言うよりゴハチの本来の姿ですね!

撮影:To198403さん  保土ヶ谷―東戸塚 1984.1
To198403-EF5961c 「東京区の58が61/93or160体制になった後、「くつろぎ」(掲示板で思い出させて頂きました)を牽くロクイチ。東京区牽引の臨時列車撮影時、遠目に「茶色に飾り帯」が確認できたときはなんともいえないうれしさと緊張感がありました。因みに交換している14系寝台は「みずほ」です。」(To198403さん)
少し艶が落ちた感じが、今となってはかえって現役機らしい渋みを感じさせます。地味(?)な塗装の「くつろぎ」もgood!HM無しの姿が好ましいです。
撮影:To198403さん  保土ヶ谷―東戸塚 1984.3
ef5853-EF5861御召し 60号機が久々に御召し予備機に指定された愛知県植樹祭における61号機の御召し姿。日章旗クロスの正調御召し姿はやはり魅力的です。
「60を撮ってから61へ行くと旗が付いてました。ド逆光でして、ポジはかなり黒くなってましたが、うんと明るく調整したらまあ・・なんとか・・(ですか?)大月でもこういう写真が撮りたかったんですけどねぇ・・・。」(EF5853さん)

撮影:EF5853さん  三河三谷 1979.5.27
ef5853-EF5861御召し 「反対ホームへ渡って戻ってきたら、「あれ?旗がないっ?」・・・まいりました。」(EF5853さん)
この愛知県植樹祭におけるお召整備で61号機の前面手すりがそれまでのメッキから車体と同色に塗られてしまった様で、その後1985年の国鉄時代最後のお召整備時までそのままになっています。
撮影:EF5853さん  三河三谷 1979.5.27
ef5853-EF5861御召し こちらは栃木県国体における御召し時の姿です。
「原宿から宇都宮までのお召しを終え、明日のお召し(宇都宮〜黒磯?)に備え、整備中の姿。・・しかし、今考えるとよくここまで入れたなあ・・と思います。別に何もなくスイスイと(ずかすかと?)入っていって平然と撮っていたように思いますが・・。今は絶対ダメでしょう。」(EF5853さん)
撮影:EF5853さん  宇都宮運転所 1980.10.11
ef5853-EF5861栃木御召し 同じく栃木県国体開催に伴い、宇都宮―黒磯間で運転された御召し列車。この時は私も運転を知っていたのですが、学校の試験と重なってしまい、泣く泣く諦めました。(;_;)
「次の日のお召しです。川っぺりに立つドライブインの廃屋の中から撮っています。おまわりさんが一度来ましたが特になにも言われませんでした。」(EF5853さん)
撮影:EF5853さん  岡本―宝積寺 1980.10.12
to198403-EF5861d 「HNとは裏腹に多分1984/4以降だと思いますが時期が定かではありません。ロクイチの14系踊り子は結局ハザ・ロザ各1日づつしか見れませんでした。この前までのコマには連日PFの牽く同列車が立続けに…。そしてやっとロクイチ。この返しを薄暗い中むりやり撮ったところでゴハチの撮影を終え、そして駒子までゴハチを撮ることはありませんでした。」(To198403さん)
撮影:To198403さん  保土ヶ谷―東戸塚 1984
ef5853-EF5861 荷38レ 荷38レを牽く61号機の貴重な画像です。当時東京区では定期の荷レ仕業は無く、台検入場車の代替などで牽くのみだったため、この姿は非常に珍しいですね。
「ここに陣取ったのはH.I氏、T.A氏、H.M氏、A.K氏、H.M氏、K.M氏等々・・の鉄道ファン系のメンバーの方々でした。今となっては、誰に引きずられてここに来たのかさっぱりわかりません・・・・。これも・・・やらせかしらん?」(EF5853さん)
撮影:EF5853さん  荷38レ 三島―函南 1982.12.12
ef5853-EF5861+81系 「愛知植樹祭終了後、6/5と6/28に、全く同じように8502レ静ヌマ座敷に入りました。(でどっちも新大久保で撮っている)」(EF5853さん)
撮影:EF5853さん  8502レ スロ81系6連[静ヌマ]  新大久保 1979.6.28
timebokan-EF5861+89 「出来たばかりの江戸を牽引して名古屋まで来た時の物です。たしかこの時が61+89の初組み合わせだったような・・・?よくこの時の写真が紹介されますが、私もこの写真のロクイチは気にいってます。大窓から漏れる室内灯の灯り、いいですね。」(タイム母艦さん)
撮影:タイム母艦さん  名古屋 1986.3.29
timebokan-EF5861+89b 「YTCレールメイトの61+89+江戸。この日は東海道線を名古屋までこの編成で走ったのですから、今から考えるとホントに贅沢な話です。国鉄末期のこの頃は、ファンを喜ばせるイベントが沢山ありましたね。」(タイム母艦さん)
撮影:タイム母艦さん  9445レ  新所原―二川 1986.3.29
timebokan-EF5861-edo 「江戸の記念列車だったと思います。この時は新型お座敷列車
だった江戸もまさかもう消えてしまうなんて・・・。」(タイム母艦さん)
撮影:タイム母艦さん 三河大塚付近 1987.3.31
ef5853-61-820523 「172が日光線でお召しを牽引した翌々日の黒磯お召しです。(西那須野だった?)エクタはシャッターが落ちず大失敗、サブのトライXのこれだけ・・・。」(EF5853さん)
撮影:EF5853さん  岡本―宝積寺 1982.5.23
ef5853-61-820523c 「ここもわりとメジャーな場所であったはずですが、ほとんどヒトはいなかったように記憶しております・・・。」(EF5853さん)
撮影:EF5853さん  回9002レ 宇都宮―雀宮 1982.5.23
ef5853-61-820610 「なんでこんなところで撮ったんでしょうか?東京駅のほうがよっぽどきれいに客車が入るはずなんですけれど・・(14系がわかりませんよねー)ま、今は新幹線がここを走っており完全に過去の写真ですが。」(EF5853さん)
撮影:EF5853さん  回1940レ EF5861+オヤ31+オハ46x2+14系ハネx8 神田 1982.6.10
ef5853-61-820618 「えー、おなじみの場所ですね。これの返しを湯河原まで撮りに行ったのですが、もろかぶり。この写真は、自分のHPで「お笑いコーナー」というところに載せるつもりです。」(EF5853さん)
撮影:EF5853さん  8103レ EF5861+14系ハネx12 新子安 1982.6.18
packman-EF5861+89 パックマンさん撮影のYTCレールメイト4周年記念列車です。パックの引退でこんな姿も今は思い出になってしまいました。
撮影:パックマンさん   撮影地不明(多分焼津よりは西だったような)  1986.3.29
kumoyuni143-EF5861 身延線の創臨を牽引して東京に向かう61号機。国鉄時代晩年頃までは数多くの創臨が富士宮まで運転されていました。その牽引は東京区のゴハチのお得意でした。
撮影:クモユニ143さん   沼津  撮影日不明
torakichi-EF5861a 「20世紀最後の日の丸交差公式お召し列車(ゴハチでは)ですよね。行きも帰りも素晴らしい秋晴れでした。」(とら吉さん)
撮影:とら吉さん   矢板―片岡 1984.9.27
torakichi-EF5861b 「国府津電車区で開かれた撮影会の写真です。このときのロクイチの塗装は失敗だったそうでムラが出ていましたが、それでも綺麗でした。思えば東京機関区所属時代最後のお召し運転です。砲金製の区名札が誇らしかったです。」(とら吉さん)
撮影:とら吉さん   国府津電車区 1984.9.30
Tc153-501-EF5861 「既に公開されている「EF5853様」の荷38レと同じ日に「早川〜根府川のS字」で撮影したものです。日も暮れかかり「絞り開放」で撮ったのでピントもギリギリです。この後、追っかけでやって来た「60号機+営団7000系」はさすがに無惨な結果に終わってしまいました。この頃はまだ元気よく「SG」使っていました。」(Tc153−501さん)
撮影:Tc153−501さん  荷38レ   根府川―早川 1982.12.12
Mr.slim-EF5861 こちらはMr.スリムさん撮影の61荷レ。
「当時の荷物列車は浜松以東はEF58、浜松以西はEF61が牽引しており、機関車付け替え作業をよく眺めておりました。」(Mr.スリムさん)
撮影:Mr.スリムさんMr.スリムの道楽部屋  浜松 1974
Mr.slim-EF5861b このロクイチ、よくよく見ると側面に組合のスローガンを消した後が見られます。お召指定機にまでよくもまぁ…と言った感じです。(^^;)
撮影:Mr.スリムさんMr.スリムの道楽部屋  浜松 1974
torakichi-EF5861c 「この時みかん山のお立ち台には私一人・・・今思うとなんて贅沢なひとときだったんでしょうか(^^;)今ならパニック間違いなしですね(笑)唯一悔やまれるのはカラーフィルムを使わなかったことでしょうかね。」(とら吉さん)
撮影:とら吉さん  8103レ 根府川―早川 1984.2.15
EF5860-EF5861 「当日は朝から東海道線山崎近辺に鉄ッちゃんが沢山いました。 61が大阪方面にくるのも久しぶりだったと思います。サロン東京と江戸の13連を引くEF58−61。かなり重そうです。かっこよかった〜(^^)」(EF58-60さん)
撮影:EF58-60さん  8104レ  山崎―神足 1987.2.22
packman-EF5861 「61の全検出場直後のきれいな姿です。 (水きり修正した時ですね) 340Mにて帰京時、沼津で寝てるロクイチを見つけ急遽予定変更し、興津へ向かいました。 」(パックマンさん)
撮影:パックマンさん  由比―興津 1985.3.25?
Tc153-501-ef5861b 「お召運転(あかぎ国体)から数週後、「踊り子」に使用された61。磨き出し箇所にはすでにグリースが塗付されています。このとき「早く汚れないかなぁ〜」なんて思っていたのは、私だけかも知れませんね。」(Tc153−501さん)
撮影:Tc153−501さん  伊東 1983.10
Tc153-501-ef5861c 「「踊り子」は伊東駅到着後すぐに機回し作業は行わず、少し切離した状態で10分ほど停車していました。当時、「形式写真」撮影(HMなし)の機会が少なかった61が、ここ伊東駅では意図も容易く(許可をとれば正面撮影も可能)撮影することができました。」(Tc153−501さん)
撮影:Tc153−501さん  伊東 1983.10
torakichi-ef5861d 中央本線の名所、鳥沢の鉄橋を渡る61号機。この15年後に御召列車を牽引して再びここを通過することに…。
撮影:とら吉さん  鳥沢―猿橋 1984.12.2
k-ish-ef5861 フルムーンお召し時の61号機晴れ姿です。
「まだ東京機関区の札が入ってます。旗が帯だけではなく、ボディーに写ってるのに感動した覚えがあります。いまならEF81が一気に郡山まで行ってしまうでしょう。それ以前に新幹線つかうでしょうね。」(K−ishさん)
撮影:K−ishさん  黒磯 1984.9.27
H-yamaguchi-ef5861a 荷38レを牽き、夕暮れの東海道を上るロクイチ。
撮影:山口裕志さん  荷38レ  根府川―早川 1981.11.14
ohno-ef5861 「お召し牽引の朝東京機関区と大崎で職員さんたちの記念撮影を撮ったものです。この時裏側には60号機も待機しており、もうちょっと前に到着すれば60・61の並びも撮れたよと言われとてもがっかりしたことを今でも思い出します。」(ohnoさん)
これは長野で行われた第33回国体に伴うお召し列車運転時のもので、この時ロクイチは原宿〜高崎の往路を担当しています。緊張した職員さんの面持ちが印象的です。
撮影:ohnoさん  東京機関区 1978.10.13
ohno-ef5861b 片パン姿で本線走行をする61号機の珍しい姿。パンタの調子が悪かったんでしょうか?ohnoさんによるとゴナナでもこうした情景を見たことがあるそうです。 この段階では助士側ワイパーは原形KW3Dです。おそらくこの年10月のお召整備時に助士側もWP50に交換されたのだと思います。
撮影:ohnoさん  大井町 1980.6.19
ohno-ef5861c お召し本番後、1号編成回送を牽引する61号機。
「10/11の本番後、どうしてもこの場所(アメリカ橋を入れたこのアングル)で撮りたいと思い、スジもわからないまま待ったことを思い出します。」(ohnoさん)
撮影:ohnoさん  恵比寿―目黒 1980.10.12
ef5852-ef5861 臨時「踊り子」を牽き東京到着後、機回し中の61号機。
「最近では61号機が東京駅に現れる機会が激減してしまいましたが、当時は毎週末の臨時踊り子運用で乗り入れる姿を見ることができました。今となっては機回し用の11番線も伝説となってしまいました。」(EF5852さん)
撮影:EF5852さん  東京 1984.11
H-yamaguchi-ef5861b 浜松区の台検代走で荷38レを牽くロクイチ。最近のピカピカの姿に比べると「いかにも現役」と言った感じの汚れ具合が印象的です。
撮影:山口裕志さん  荷38レ  東京貨物ターミナル付近 1981.9.21
H-yamaguchi-ef5861c 編成の一番手前だけグリーン帯がありませんが、これだけスロフ62で後は81系お座敷でしょうか?右手奥に見える「ハエたたき」の姿が懐かしいです。(既にケーブルは張ってありませんが)
撮影:山口裕志さん   保土ヶ谷―戸塚 1981.10.20
H-yamaguchi-ef5861d 東京機関区でパンタを上げ待機するロクイチ。左奥には77号機の姿が見えます。
撮影:山口裕志さん   東京機関区 1981.3.18
minamifuna-ef5861 ロクイチ牽引の品川の旧客(当時は雑客と呼んでましたね)。こんなシーンをもう一度見てみたいモノです。白黒だと分かりませんが当時の品川の旧客は青塗装の43系で最近の旧客牽引姿とは趣が異なります。
「「茶色いゴハチ」と雑客が、大船駅を通過してファインダーに入って来た時の緊張と感動を、今でも鮮明に思い出します。」(南フナさん)
撮影:南フナさん   試9961レ? 大船―藤沢 1981.1頃
inayuki-ef5861 1980年代から61号機は様々なイベントに駆り出される機会が多くなり、関西方面に遠征することも多かったようです。私はその頃は鉄休業中でしたので、今にして思えば何とも悔しい気がします。最近は他社への遠征もありませんし…。
撮影:急行伊奈ゆきさん   「鉄道110周年記念号」 豊橋―西小坂井 1982.10.14
rokuichi-ef5861 国鉄がJRとして生まれ変わってからも61号機は各種イベントに駆り出されたようです。このバーボンエクスプレスは10月15日から31日のなんと17日間にわたり品川〜大船間を1日2往復したとのことで、今から考えれば何とも贅沢なことです。ちなみにこの頃、私はすっかり鉄を引退しておりまして、この列車の存在自体知る由もありませんでした。(^_^;)
撮影:ロクイチさん  「バーボンエクスプレス」 品川 1987.10
19881225-mukashi-tetsu-ef5861 本物のオリエントエクスプレスの先頭に立つ61号機。私はこの頃鉄道趣味からは遠ざかっていましたが、偶然、上野駅でこの前日のD51との重連姿を目撃していました。カメラも持たず発車までホームからじっくりと見入ってしまいましたが、その時の61号機の美しさに眠っていた鉄魂が復活したのでした。(^_^;)
撮影:昔鉄ちゃんさん  「オリエントエクスプレス88」  撮影地不明 1988.12.25
ef5831-ef5861 東海道長距離メモリアルトレインの最初となった「つばめ」です。14系座にオシ14を組み込んだ豪華?編成の先頭に立って東京〜大阪を61号機が往復しました。先日、品川〜名古屋を同じ復活「つばめ」が走りましたが車両はなぜか583系…。もし、14系が残っていたらこんな姿がもう一度拝めたのかもしれません。
撮影:EF5831さん  9001レ「つばめ」  山崎―神足 1981.7.25
こちらは東海道長距離メモリアルトレインの最後を飾った「平和」です。14系座にオシ14を2両組み込みと言う豪華編成でした。
撮影:FJ62Gさん  「平和」  京都 1983.7.24
fj62g-ef5861b 大任を終え原宿宮廷ホームで回送を待つ61号機と1号編成。一体どうやって撮影したのかは、以下のコメントをご覧下さい。
「高校が終わってから駆けつけたのですが、既に到着済み…。原宿駅はごった返していたのでお召しホームまで行くことにしました。フェンスによじ登っていたら「カメラ貸しな。」と言って、職員の方が3枚シャッターを切ってくれました。この時、「ロクイチ最後のお召しらしい」と言われ、駆けつけたのを覚えています。実際はその後も何度か引いていますが…。」(FJ62Gさん)
撮影?:FJ62Gさん    原宿宮廷駅 1984.9.27
fj62g-ef5861+89a 東大宮操車場で行われた撮影会?にてブドウ色復活間もないパックと顔合わせ。
撮影:FJ62Gさん    東大宮操車場 1984.12.16
fj62g-ef5861+89c 同じく東大宮操車場で行われた撮影会? ロクイチとパックの重連はこの時が初めてでしょうか?
撮影:FJ62Gさん    東大宮操車場 1984.12.16
fj62g-ef5861c 高崎機関区40周年の撮影会時の姿です。おそらくEF58牽引は無かったであろう「平和」(イベントではありましたが…)ですが結構お似合いですね。
ちなみに、高崎機関区にはもともとSLが配置されており、EL配置時に新たに「第二機関区」が設けられました。国鉄時代晩年には第一機関区にはDLとDCが所属していました。
撮影:FJ62Gさん    高崎第二機関区 1985.3.30
fj62g-ef5861d 同じく高崎第二機関区の撮影会時の姿です。「はくつる」のヘッドマークがよく似合います。20系「はくつる」設定時の牽引機は東京区のEF58でしたから、当然61号機もその任に当たっています。
撮影:FJ62Gさん    高崎第二機関区 1985.3.31
fj62g-ef5861e 同じく高崎機関区の撮影会時の姿でこちらはお召し装備です。このお召し装備、旗竿の間隔が狭すぎて少々変な感じです。
撮影:FJ62Gさん    高崎第二機関区 1985.3.30
fj62g-ef5861f こちらは米原機関区の撮影会時のお召し装備姿です。上の高崎の物とは異なり旗竿の交差角度は丁度良いですが、車体に貼り付けた旗はちょっと不自然ですね〜。
撮影:FJ62Gさん    米原機関区 1985.4.28又は29
shizuhata-ef5861 JR化後ですが、オリエント急行国内運行最終列車を牽く姿です。優雅なオリエント急行の車両にロクイチの姿が実によく似合いますね。
撮影:しずはたさん    津久田―岩本 1988.12.25
tankai-ef5861-shinasaro-edo 「言わずと知れた品サロと江戸を引き連れての大阪往復運用の返しです。往路は平日で、当時、高校生の身分の私としては、学校をさぼるほどの勇気もなく、行きたい気持ちは言い表しようのないほどのものでしたが、泣く泣く断念。かといって返しを関が原まで遠征するほどの経済力もなく、夜に都心に戻ってくるのを大船で待つことに…。当日はあいにくの冬の雨。びしょぬれになりながらの撮影。手もかじかんでほとんど感覚もありませんでした。」(単回もなかなかさん)
撮影:単回もなかなかさん  8104レ  大船 1987.2.22
tankai-ef5861-okuza 「1987/11/15に、以前の東京機関区(この当時、なんという呼び名であったかは??です。。(^_^;)で行なわれた撮影会にて、足回りのグリスが落とされたピカピカのお召し装備でロクイチは展示されていました。その8日後、当然のことながら足回りにグリスは塗られているものの、撮影会の名残を各部に残し、当時としてはかなりピカピカの姿で眼前に現れたロクイチに感激。
いつものようにロクイチ運用とは知らずにロクイチ運用であることを期待しての撮影であったため、清水谷戸トンネルの向こうに現れたときのその感動は、今ではなかなか得られないレベルのものであったと記憶しています。」(単回もなかなかさん)
撮影:単回もなかなかさん    保土ヶ谷―東戸塚 1987.11.23
tankai-ef5861-yasuragi 「やすらぎ」を使用した団臨の先頭に立つロクイチ。「やすらぎ」のデビューは1986年4月で、まだまだ新車(改造ですが)の趣です。
「今では考えられないことになってしまいましたが、ごくごく普通の団臨です。」(単回もなかなかさん)
撮影:単回もなかなかさん    戸塚―大船 1988.3.6

雪中を行くロクイチとSET。「ゆとり」引退までにこんな姿を拝みたいところです。
撮影:To198403さん    保土ヶ谷―東戸塚 1984冬
12系オリジナル色に斜めストライプを追加した姿は「なごやか」ですかね?
「情報元がダイヤ情報くらいしかなかった当時の私には天候が悪かろうが出撃あるのみ、大垣夜行で一旦横浜あたりまで行き、折り返してこの地に初めて降り立ちました。一体何処で仕入れたのか、横で撮影の方々が出来たての焼きソバを美味しそうに食べていて、とてもひもじい思いでそれを見ていた記憶が未だに残っています。」(EF-18さん)
撮影:EF-18さん    根府川―真鶴 1985.7.23
1986年の8月に上越線・高崎〜石打間に運転された「EF上越号」往路の先頭に立つ61号機。次位は89号機です。
「「EF上越号」が高崎〜石打で運転されたのは1986年8月25日から29日までの5日間でした。牽引機は3通りあり、25日がEF641000番代の重連26、27、29日が石打←EF5861+EF5889→高崎 の重連28日が高崎〜水上:EF551、水上〜石打:EF551+EF641001(往路、復路共EF551が先頭)でした。」(ゴハチ信者さん)
撮影:たなよしさん   「EF上越号」  津久田―岩本? 1986.8.26、27、29
「1984年12月9日の東大宮操車場での撮影会の一こまです。」(ロクイチ賛歌さん)

是非、またこのような企画を開催して頂きたいものです…。
撮影:ロクイチ賛歌さん   東大宮操車場 1984.12.9
伊豆急線内で立ち往生した160号機牽引「踊り子」の救援を行なう61号機。偶然に偶然が重なった大変貴重な光景です。
「1984年7月22日、9021レ(踊り子51号)牽引の160号機が自走できなくなり、伊豆急線内に団臨運用で偶々いた61が推進で伊東についたときのショットです。」(ロクイチ賛歌さん)
撮影:ロクイチ賛歌さん   伊東 1984.7.22
日米友好親善活動の一環として1988年7月から1年間運転された「アメリカントレイン」。5月30日と31日に催された横浜駅展示に伴い両日運転された品川〜大船間の回送で、往路の先頭に立つ61号機。 星条旗を模した塗装に身を纏った専用機関車(EF6019)と50系客車の編成と61号機とは正直似合うとは言い難いですね。
撮影:FJ62Gさん    新子安 1989.5.30
同じく「アメリカントレイン」の先頭に立ち保土ヶ谷のトンネルを行く。これは二日目ですね。
撮影:FJ62Gさん    保土ヶ谷―東戸塚 1989.5.31
大宮工場独特の屋根の黒色塗装の塗り分けが良く分かります。
撮影:FJ62Gさん    保土ヶ谷―東戸塚 1989.5.31
横浜駅に展示される「アメリカントレイン」編成と61号機。1985年の全検から4年3ヶ月経過し、おでこ付近の塗装の荒れが目立ちます。
撮影:FJ62Gさん    横浜 1989.5.31
専用機関車のEF6019牽引の「アメリカントレイン」の最後尾でぶら下がりの61号機。しかしこの6019と50系の編成が、日本全国(何とわざわざ海を渡って鉄道のない沖縄まで!)を回ったそうですから何ともバブルな時代です。
撮影:FJ62Gさん    蒲田―大森 1989.5.31
品川駅に停車中の61号機と「サロンエクスプレス東京」。ヘッドマークには「ありがとうを笑顔にのせて、1周年 JR東日本」の文字があり、JR発足1周年を記念した企画の一つの様です。
撮影:FJ62Gさん    品川 1988.4.1
上の列車の翌日に運転された物。客車が長野の「白樺」に変わっていますが、ヘッドマークは上写真と同じ物です。このJR発足1周年で、他に89号機と「ふれあいみちのく」を使用した列車も走ったようです。(89号機の項を参照)
撮影:FJ62Gさん    辻堂? 1988.4.2
「サロンエクスプレスそよかぜ」の先頭に立ち颯爽と目白を通過。
こうして見ると、やはり1987年のJR発足から数年が動態保存機としては最も活躍していた時代でしょうか。
撮影:FJ62Gさん    目白 1988.5.5
61号機、89号機が充当される機会も多く、毎年ファンの注目を浴びた成田臨。61号機の充当は1991年ぐらいまで?現在は客レ自体の設定も無くなってしまいました。
撮影:9021さん    我孫子 1988.1?
有楽町マリオンをバックに臨時「踊り子」回送を牽き東京駅に進入する。ロクイチには東京駅が良く似合います。
ちなみにロクイチが最後に東京駅に姿を現したのはいつになるでしょう?2006年の出雲市からの団臨回送?
撮影:FJ62Gさん    東京 1987.1.2
今は無き11番線を使用して機回し。かつて東京駅で当たり前に見られた機回し風景も、定期列車では今や「はやぶさ・富士」のみとなってしまいました。それも風前の灯火。独特のカーブの12・13番線ホームも懐かしいですね。その先には遂に営業運転を終了した0系の姿。
撮影:FJ62Gさん    東京 1987.1.2
機回しを終え出発準備が整った臨時「踊り子」。ヘッドマークが特急列車としての威厳を強調しています。
ロクイチと14系座席車との組み合わせは国鉄晩年からJR化後の2002年まで様々な列車で見られました。私の感覚だと14系座席車はまだまだ新形と言うイメージがありますが、登場から35年以上が経過。オリジナル、改造車問わず今や貴重な存在に。
撮影:FJ62Gさん    東京 1987.1.2
JR発足後、東京機関区公開で御召し装備で展示される61号機。日の丸交差姿が美しい61号機の正装です。
撮影:FJ62Gさん    東京機関区 1987.11.15
旗の取り付けだけでなく、普段防錆の為に塗られた足回りの磨き出しのグリースも落とされた美しい姿です。車体もピカピカで正にお召し仕様ですね。 御召し牽引は無理としても、是非、この姿でお披露目して欲しいですね。
撮影:FJ62Gさん    東京機関区 1987.11.15
ロクイチの主電動機の銘板です。本来日立製の61号機の主電動機ですが、1983年に従来のMt42からかつて東京区に在籍していたEF15のMT42Fに振り替えられました。MT42の製造は富士電機で昭和33年8月製造、MT42F改造は広島工場で昭和43年1月。日車と富士電機のジョイントによるEF15の製造数は元々少ないので、ここからどのEF15の物か推察できます。
日車・富士電機製の昭和33年8月以降落成のEF15は最終ロットの200〜202が該当します。その中でかつて広島工場に入場した可能性があり、1980年代以降に大宮工場が担当した可能性のあるのは1979年4月に広島区から東京区に転属した201号機のみ。と言うことでこの主電動機はEF15201の物と言えそうです。
撮影:FJ62Gさん    東京機関区 1987.11.15
FJ62G-EF5861 1987年10月15日〜31日、品川〜大船間で運転されたバーボンエクスプレスです。61号機は連日往路の先頭に立ったようです。FJ62Gさんによると品川発で平日は15:00/18:37、土日は12:35/17:03の2往復運転されたそうです。ちなみに料金は昼2,200円、夜3,200円でバーボン2杯とおつまみ、夜は軽食が付いたとの事です。
撮影:FJ62Gさん   下り「バーボンエクスプレス」  東戸塚 1987.10.25
FJ62G-EF5861 復路はEF65PFが先頭に立ちこのようにロクイチはぶら下がり。この頃からこうしたプッシュプルによる運転形態が増えてきた感じでしょうか。 残念ながら派手な客車の塗装と61号機の組み合わせは似合うとは言えませんね。ヘッドマークと共にPFの方がお似合いでしょうか。
撮影:FJ62Gさん   上り「バーボンエクスプレス」  西大井 1987.10.25
FJ62G-EF5861 品川駅10番線に到着した「バーボンエクスプレス」。この当時、日本はバブル景気真っ只中。ウィスキーメーカーとのタイアップ企画との事ですが専用色に塗られた12系とマニ50が何とも贅沢です。良く見ると61号機の区名札がどういう訳か差さっていません。また、塩害対策のグリスがPS14パンタの碍子だけでなくホーン部分にも塗られているのが珍しいですね。
撮影:FJ62Gさん    品川 1987.10.25
FJ62G-EF5861 同じく「バーボンエクスプレス」。ロクイチの横に折り畳みチェアが見えますが、期間中品川駅の9・10番線ホームではテーブルや椅子が置かれ、その場でバーボンやおつまみを飲食することができたようです。 また、ミュージシャンによるSTATION LIVEも行なわれたそうです。 ところでこの企画、実際どれぐらいの方が利用したんでしょうね?
撮影:FJ62Gさん    品川 1987.10.25
FJ62G-EF5861 「成田臨の回送だったと思います。尾久へ推回で入って来た後、単機で機留線へ渡っていき、試験塗装機のEF641010と並びました。この頃は数十名しかいませんでしたが、少し前ならば大変なことになったでしょうね・・・。」(FJ62Gさん)
撮影:FJ62Gさん    尾久 1988.1.10
FJ62G-EF5861 田端でJR貨物の試験塗装のEF641010と並ぶ61号機。
撮影:FJ62Gさん    田端操車場 1988.1.10
FJ62G-EF5861 「サロンエクスプレスそよかぜ」を牽き山手貨物線を行く。この区間も池袋駅の線形改良で現在は趣が大分異なっています。
撮影:FJ62Gさん    大塚―池袋 1988.5.1
FJ62G-EF5861 同じく「サロンエクスプレスそよかぜ」の先頭に立つ61号機。
撮影:FJ62Gさん    田端―駒込 1988.5.4
FJ62G-EF5861 サロンエクスプレスを使用した多客臨と言うのもバブル期ならではの現象でしょうか。青いヘッドマークもロクイチに意外と似合っています。
撮影:FJ62Gさん    五反田 1988.5.4
単回もなかなか EF5861 江戸 JR発足から5か月。お座敷客車「江戸」をお供に東海道を下るロクイチ。この辺りの情景も大分変化しました。 「寿」のヘッドマークから一時期流行した(?)ブライダルトレインでしょうね。
撮影:単回もなかなかさん    保土ヶ谷―東戸塚 1987.9.6
sugi-ef5861 ねぐらの東京機関区でお休み中。製造からまだ23年ほどで外板の歪みもほとんど見受けられず製造時の美しい姿を保っています。こちらは1エンド側ですが、現在は鼻筋や前面窓下のエッジも残念ながらグダグダになってしまっています。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  東京機関区 1976.8.6
sugi-ef5861 同じ写真の拡大です。一見綺麗な車体ながらオデコ部分や前燈の塗装がどういう訳かペラペラと剥がれまくっています。 前年5月の植樹祭でお召を牽引していますが塗装の状態があまり良くなかったのでしょうか。
メッキで輝く前面手すりですが、おそらく1979年5月の愛知県植樹祭におけるお召整備時に車体と同色に塗られてしまい、1985年3月に昭和最後のお召整備を受けるまでそのままの状態でした。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  東京機関区 1976.8.6
sugi-ef5861 同じく東京機関区での2エンド正面です。カーブで台車が大きく首を振っている姿がユーモラス。 ワイパーが機関士側WP50で助士側が原形のKW3Dでちょっとアンバランスですね。よくよく見るとこちら側のオデコ部分の塗装もあちこちめくれています。前端バリの塗装もところどころ剥がれかけてます。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  東京機関区 1976.8.6
aomamushi-ef5861 車体側面のかなりの面積の塗装が剥がされた状態で東京機関区庫外に佇む姿です。東海道線下り列車内から撮影されたそうですが、どういう状況でこの様な姿で東京機関区に居たのか謎であります。塗装前の修繕ならば通常工場での作業になりそうですが、工場出張で作業を行っていたんでしょうか?どなたか理由をご存知の方がいらしたら是非ご教示お願いします。 上写真の塗装が剥がれた姿がこの翌年ですが、この時から車体や塗装状態は良くなかったのかも知れません。
撮影:青マムシさん  東京機関区 1975
sugi-ef5861 8103レを牽き富士駅に停車中の61号機。光線の具合か左右で異なるワイパーが目立ちます。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  8103レ「鴻巣市民号」  富士 1979.9.5
jm1xsj-ef5861 「EF66が引く海底トンネル号後ろのEF5861。東十条から東神奈川まで(京浜東北線に)乗務しそのまま磯子駅まで便乗して電留線より撮影。」(jm1xsjさん)
8月22日と23日の二日間運転された企画列車。EF66は初めて営業列車の先頭に立つと言う事で「ファンの長年の夢が叶う」と話題になりました。この時ばかりはロクイチの方が脇役ですか。当の66は翌年の3月改正でブルトレ牽引に抜擢され、客レを牽く姿は当たり前になっていきます。
撮影:jm1xsjさん  「海底トンネル号」  磯子 1984.8.23
torisugari-ef5861 長野局の12系お座敷客車「白樺」を牽き品川駅に到着。「白樺」の白に黄緑の軽快な初期塗装は客車離れした印象です。
撮影:通りすがりの国鉄ファンさん  6344レ  品川 1984.1.30
torisugari-ef5861 JR化後の姿です。
「鉄道友の会からEF58がエバーグリーン賞に選定されたことを記念して1541〜4540のスジで品川〜尾久で運転されたと思います。」(通りすがりの国鉄ファンさん)
これは東大宮操での機回し風景。
撮影:通りすがりの国鉄ファンさん    東大宮操車場 1991.12.25
torisugari-ef5861 機回しを終え旧客4両と連結、折り返し運用に備えます。天気は良くなかった様に見えますが、クリスマスと言う事でファンにとっては嬉しいプレゼントになったのではないでしょうか。
撮影:通りすがりの国鉄ファンさん    東大宮操車場 1991.12.25
torisugari-ef5861 1985年に開催された「科学万博つくば '85」の宣伝の為に12系客車を改造した「サイエンストレイン エキスポ号」が各地で展示されました。
「保土ヶ谷駅では2月23日、24日の二日間展示がありました。23日は160号機、24日は61号機が牽引にあたっています。ロクイチ牽引で張り切って出かけたものの土地勘のない場所に撮影ポイントが見つけられず妥協・・・あわや113系にもろ被りされそうになり朝から冷や汗でした。」(通りすがりの国鉄ファンさん)
撮影:通りすがりの国鉄ファンさん   回9841レ  横浜―保土ヶ谷 1985.2.24
bin-ef5861 国鉄最後の夏、御召装備で新鶴見機関区の公開に登場した際の姿。こちらは2エンド側です。1エンド側はヘッドマークも無い素の姿だった模様です。61号機の後方には同じく展示中のEF15200の姿が見えます。
撮影:BINさん   新鶴見機関区 1986.8.2
bin-ef5861 同じく展示中の姿。 足回りは少々汚れていますが、展示前に磨かれたのか車体は綺麗な状態です。
撮影:BINさん   新鶴見機関区 1986.8.2
bin-ef5861 同じく展示中の姿。 「新」の区名札に御召札の組み合わせも珍しいところ。その「御召」の文字がいかにも手書きなのはご愛嬌。良く見ると日章旗も手作りみたいですね。
撮影:BINさん   新鶴見機関区 1986.8.2
tankai-ef5861 1981年から何度か運転されたロクイチ牽引のリバイバルトレイン。この時は14系座席車にオシ14を2両連結した豪華?編成でした。当日のファンの熱気が感じられる写真ですが、現在だったら大事になりそうです。
「この「平和」の運転が今のところオールドトレインとしての最後の運転になっていますが、また、このような颯爽としていて堂々とした姿で大幹線上を行く姿にお目に掛かりたいものです。できれば東京−大阪間の(新幹線以外では)追っかけが難しいような区間、スジを希望。(笑)」(単回もなかなかさん)
撮影:単回もなかなかさん   9002レ「平和」  東戸塚―保土ヶ谷 1983.7.24
5860-ef5861
伝説の?米原迂回の上り「北陸」を牽き根府川を行くロクイチの貴重なシーンです。
「1985,1,14、北陸号が倶利伽羅峠と上越線越後湯沢〜湯檜曽間が雪害で運行不能の為、当時国鉄は、米原迂回で金沢〜品川運行を決定しました。写真は翌日の根府川通過するEF5861牽引の「北陸号」。61牽引の14系雪付きがトンネルから出て来た時は鳥肌が立ったのは、今となっては良い思い出です。北陸迂回については、当時上越地方の大雪はニュース等で把握してましたので、賭けで根府川に向かいました。本当はゴハチ荷レが無くなり寂しい気持ちでEF62荷レ記録で向かいましたが、まさか来るとは!」(ゴハチロクマルさん)
撮影:ゴハチロクマルさん   迂回上り「北陸」  早川―根府川 1985.1.15
Vol.10に続く

注)御召列車…天皇皇后両陛下及び皇室関係者がお乗りになる特別列車。昭和天皇時代には数多く運転されましたが、
平成になってからは今のところ7回しか運転されていません。

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