ELECTRIC LOCOMOTIVE EF16  Vol.2
EF16 11, 12

Last Update 2020.5.1

Index EF1611 EF1612

 1次形・福米形(1〜12号機) 続き

奥羽本線・福島〜米沢間用に改造されたEF16一次形の続きです。

奥羽本線からの撤退後もEF15に復元されなかった2両で、回生ブレーキを上越向けに変更、水タンク、補助笛を除去した姿で上越線用のEF16 2次形と共に昭和55年10月のEF16全廃時まで活躍しました。その姿は外観上はEF15に復元された物と同じとなっています。

なお、EF16の種車となったEF15の1次形は、当初標識燈は引っかけ式だったため後に埋め込み式に改造されています。そのため、その取付位置が福米形は寒冷地対策で増設された通風口を避けて標準位置より外側に付いていました。また、引っかけ式標識燈時代に8段ヒダまたは7段ヒダだった通風口は、その後すべて6段に改造されたようです。(「標識燈の埋め込み化に合わせて改造されたのでは」H.Nakanoさん)

これらEF16の形態について詳細は、別項のEF15 1次形形態解説をご覧下さい。

※印…主な特徴です。画像をクリックすると大きなものが表示されます。

 EF16 11〔福島第二〕→〔長岡(転)〕→〔水上〕 旧EF15 22
EF1611 福米形の生き残り11号機のいかついサイドビュー。本機は種車が川崎製EF15の1次形なので前面昇降段が扉の左右に設けられています。屋根上のベンチレータは国電でお馴染みのグローブ式で、側窓の両端(第1・第5側窓)が外側に寄っていました。(エアフィルタ中央部上) また、エアフィルタはEF15第2次形以降と同じ小さいタイプです。1エンド側(こちら側)の前面の通風口は機関士側のみで6段ヒダ、2エンド側は機関士側、機関助手席側の両方が6段ヒダとなっていました。砂箱は増設分も含めて全て川崎タイプの小さい物です。
 
※福米形 グローブベンチレータ 車体断面低 正面扉左右に昇降段 第1・第5側窓外寄り エアフィルタ小 正面扉横手すり ジャンパ栓受け台座 標識燈外寄り 前燈小 正面ナンバープレート位置上寄り
5670レ 石打 1980.8.2
製造:S23.2.10
川崎車輌 No137
EF16改造:S26.11.2
東京芝浦電気
廃車:

移動:
S23.2.29 高崎第二
S23.6.18 長岡第二
S24.4.22 福島第二
S40.10.2 長岡第二
S55.3.20 水上

記事:
●S26.11.2 東芝:
EF16改造
EF1611 早朝の石打駅構内で発車を待つ11号機とEF651050牽引のセメント専用貨物。いかめしい福米形EF16とすっきりとしたEF65PFの対比が印象的です。EF16の種車のEF15一次形は当初抵抗器室上のベンチレータが未取付で後に増設されています。その際、本機のようにグローブ式を取り付けた物はEF1517,19,20,21,22号機の5両で、17,22号機(本機)を除き昭和23年9月に日立と川崎で整備改造を受けた記録があり、おそらくこの時期に整備改造を受けたEF15に対して試験的にグローブベンチレータの取付が行われたのではないかと思われます。
5670レ EF1611〔水〕+EF651050〔宇〕  石打 1980.8.2
EF1611 上越国境を行く11号機とEF15191〔長岡〕。本機は既に水上区配置となっています。こちらは2エンド側で前面通風口は左右に6段ヒダとなっています。様々な貨車を連ねた長い編成がカーブの先まで続いてるのがいかにも国鉄時代です。
791レ EF1611〔水〕+EF15191〔長岡〕  越後中里―越後湯沢(岩原スキー場前) 1980.8.2
EF1611 同じくEF15191との重連でこちらは2エンド側です。本機は標識燈の位置が通風口を避けて外側に付いており、低い車体断面と相まって正面から見ると精悍な面構えでした。なお、長岡(転)区に配置されたEF15,16は正面扉の右側に手すりが増設されています。車体の低いEF16は標準形のEF15と比べても70mm低くなっており、この写真でも2両の高さの違いが見て取れます。
791レ EF1611〔水〕+EF15191〔長岡〕  越後中里―越後湯沢(岩原スキー場前) 1980.8.2
EF1611 石打から折り返し670レの補機に就き水上に向かう11号機。山間に釣り掛けモーターの音が響きます。この当時この区間にはまだまだ木製の架線柱が残っていました。 元写真を大幅にトリミングしたので画像が荒れていますが、雰囲気と言う事で…。(^_^;)
670レ  越後湯沢(岩原スキー場前)―越後中里 1980.8.2
EF1611 水銀灯に照らされながら水上機関区で出区に向けて待機中。 50mmレンズ開放で手持ち撮影でかなりアンダーなネガをフォトショで無理やり明るくしたので粒子が荒れてます。夜の水上区の雰囲気を感じて頂ければ。
水上機関区 1980.8.1
EF1611 鳥海 下り「鳥海」の先頭に立つ11号機。本務機は高二のEF58で131〜136(除く134)のどれか。水上バルブの定番撮影ポイントですが、 水上独特の駅構内のカーブで編成が入らないうえ障害物も多く、さらに構内を照らす水銀灯が思いっきり逆光になる為、正直撮影には厳しい条件でした。
801レ「鳥海」 EF1611〔水〕+EF58〔高二〕  水上 1980.8.1
EF1611 EF64一般形と手を繋ぎ峠越えに挑む。 福米形EF16はかつてEF64の投入により奥羽線を追われ、11、12号機のみ上越用EF16に身を転じました。何の因果か上越路でも再びEF64(実質は1000番台)に追われる形での引退となり、何となく両形式の間に因縁めいたものを感じてしまいます。
ちなみにこちらは石打バルブの定番ポイント。水上に比べるとスッキリしていますね。
3770レ EF1611〔水〕+EF64〔長岡〕  石打 1980.8.2
EF1611 北陸 深夜の石打駅構内にて、本務機EF5851〔長岡(転)〕と上り寝台特急「北陸」の先頭に立つ11号機。上越線の水上〜石打間と言う限られた舞台で貨物列車の補機を中心に活躍したEF16にとって、この「北陸」や夜行急行の牽引は数少ない晴れ舞台でした。
3002レ「北陸」 EF1611〔水〕+EF5851〔長岡〕  石打 1980.8.3
EF1611 北陸 同じ時に撮った別アングル。旧形電機、それも貨物機と旅客機の競演は何とも言えない魅力がありました。大きなPS14パンタが4つ上がった姿も良い感じです。
3002レ「北陸」 EF1611〔水〕+EF5851〔長岡〕  石打 1980.8.3
EF1611 北陸 同じく「北陸」の先頭に立つ姿。上り「北陸」は石打の停車時間が10分ほどあり、比較的余裕をもって撮影できました。兄弟機EF58を従えて ブルトレの先頭に立つ姿は実に恰好良かったです。本機が長岡区から水上区に正式に移動したのがこの年の3月で運用離脱が10月ですから、本機と「北陸」の組み合わせはそれほど多く無かったかもしれません。
3002レ「北陸」 EF1611〔水〕+EF5851〔長岡〕  石打 1980.8.3
EF1611-2end 今は無き水上機関区検修庫内で休む11号機。2エンド4位側。このように1エンド、2エンドで通風口の数や段数が異なるのも国鉄電機としては珍しいですね。こんなところが1次形〜3次形くらいのEF15一族の面白いところ。(^^)
水上機関区  1980.5.3
EF1611-2end 同じく2エンド。3位側。正面寄りに見ると尾燈が外側に寄った顔が独特です。
水上機関区  1980.5.3
EF16 11 雪を掻き分けて単機で上越国境へ向かう長岡時代の11号機。下の12号機先頭の貨物の少し前に運転されたもので、送り込み、もしくは除雪作業後に降り積もった雪をラッセルする為だったのかもしれません。この時点では本機はまだ長岡区の配置です。
下り単機  水上付近  1980.2.17
H.Nakanoさん撮影 新潟色70系とEF16 「夏の朝の石打駅です。新潟色の70系は721Mです。16の11号〔長岡(転)〕は補機仕業を終えてこれから単機で長岡に帰るところ。26号(水)は次の仕業まで一休みといったところです。」(H.Nakanoさん)
新潟色の70系とEF16…。う〜ん、渋いです。
撮影:H.Nakanoさん  石打 1976.8.16
ohno-ef1611 山間に響くEF16とEF15のモーター音が今にも聞こえてきそうです。
「水上―石打間には結局6度しか行きませんでした。心残りは24号機をまともに撮れなかったことです。あんなに早く落ちるとは思わなかったですね。」(ohnoさん)
撮影:ohnoさん  下り貨物  水上―湯桧曽  1977.7.8
H-yamaguchi-ef1611 低い車体断面と外寄りの尾燈の為、正面から見ると実際以上に平べったく見えます。
撮影:山口裕志さん  下り貨物  水上付近  1980.8.20

奥羽線時代の11号機が牽く客車列車。こちらは1エンド側です。荷物車の次位に1・2等合造車(スロハ32)を連結した長距離普通列車。当時の時刻表を見ると、秋田〜福島間をはじめ大館〜福島など10時間以上走る普通が何本も設定されています。右手に見える住宅は駅職員の官舎でしょうか。
撮影:仙山仙石さん  上り普通  赤岩 1962.7.15

同じ写真の機関車部分です。屋根上の電気笛、水タンクがいかめしいです。原形の前面窓はHゴム改造後と比べて随分小さく見えますが、その為か晩年とは表情が少々異なります。また、前面窓の左右につらら除けのプロテクターの取付ボルトが2個ずつ確認できます。EF16 Vol.1でも触れましたが、デッキ先端上部に置かれた箱状の物の用途、目的は不明です。
撮影:仙山仙石さん  上り普通  赤岩 1962.7.15

上の写真と同日の撮影ですが別列車で同じく1エンド側です。松川橋梁を行く堂々の7連です。実に雄大な光景ですね。編成の3両目にスハニ32が連結されており、前2両は回送かも知れません。(数名の人影が見えますが、スハニ以降はもっと混んでいます)
撮影:仙山仙石さん  上り普通  赤岩―庭坂 1962.7.15

機関車部のアップです。水タンクの上部のハッチ類など、屋根上の様子が分かるカットです。
撮影:仙山仙石さん  上り普通  赤岩―庭坂 1962.7.15
k53taka-EF1611 福島第二から長岡第二に転属間もない姿。既に屋根上の水タンクは撤去されていますが機関士側屋根上の電気笛はそのままで、助士席側屋根上に空気笛が設置されています。福米EF16では水タンクと電気笛の撤去は同時にされたと思っていたのでこの写真を拝見して少々驚きました。ちなみに前面窓も原形で、デッキ左側面に後に台座のみ残ったジャンパ栓受けの姿も確認できます。また、福米時代、冬季、前面窓に取り付けられていたつららによる破損防止プロテクターの取付跡も機関士側、助士側窓の両脇に見られます。雪かき器は外されていますが、雪かき器と主台車枠を結ぶ取付腕はそのままです。
撮影:k53takaさん(新潟の蒸気機関車)   新潟操車場 1967.10.10
shocho-EF1611 EF15を従えて一路国境を目指す11号機。
「当時はまだ11号機と12号機は長岡所属で、771レは長岡の補機仕業のカマが長岡に戻るスジで、水上から長岡操まで補機付きでした。」(所長失格さん)
撮影:所長失格さん(所長、失格になりました)  771レ  水上―湯檜曾 1979.8
shocho-EF1611 山間をEF15164〔長岡〕と走り抜ける。私が同じ791レを撮った場所はこの場所の上り線側ですね。
「この作品は線路わきの融雪溝に入って顔を出して撮影しました。夏は水が少なくて涼しく、列車からも安全だからです。」(所長失格さん)
撮影:所長失格さん(所長、失格になりました)  791レ  越後中里―越後湯沢(岩原スキー場前) 1979.8
shocho-EF1611 「お盆時期で貨物が付かなったと思われます。」(所長失格さん)
バックの山並みからおそらく土樽駅上りの通過線を行くところだと思います。次位のEF15と比べて11号機の屋根の低さが分かります。
撮影:所長失格さん(所長、失格になりました)  上り貨物  土樽 1980年夏?
shocho-EF1611 ねぐらの水上機関区で休憩中。全検標記は54.6です。本機は1980年5月29日付で長岡運転所から水上区に転属しています。本機の区名札は晩年は何故か「長岡」も「水」も仕業札挿に入れられていました。
撮影:所長失格さん(所長、失格になりました)  水上機関区 1980.8?
shocho-EF1611 11号機の運転席。様々な機器やメーター類があちこちに取り付けられています。保存機のEF1628の運転室内と比べると、どの機器が無くなっているかが分かりますね。
「水上機関区を見学した時のもので、この時は機関士さんが案内してくださいました。」(所長失格さん)
撮影:所長失格さん(所長、失格になりました)  水上機関区 撮影日不明
shocho-EF1611 運用を外れ新津機関区の扇形庫端に留置中のEF16で左から11、20、25号機です。全機1休で架線が無い場所に置かれた姿が何とも哀れです。
撮影:所長失格さん(所長、失格になりました)  新津機関区 1981.4.7
shocho-EF1611 同じく新津機関区に留置中の姿です。車体は一見綺麗ですが、前面のナンバープレートと銘板は既に外され連結器や車輪の踏面、ブレーキ引き棒などに浮かぶ赤錆が痛々しいです。本機の廃車日ですが手元の資料を見ても明確に分からず、唯一「鉄道ピクトリアル」2006年12月号に1980年5月29日と記載がありますが明らかに間違いです。1981年の誤植の可能性もありますが実際のところは不明です。この場所に一緒に留置されていた20、25号機が1982年2月、3月の廃車なのでおそらく本機もその前後の廃車と思われますが、どなたかご存知の方がおられましたらご教示頂ければ幸いです。 ちなみに交友社の「国鉄車両配置表」を見ると1981年3月31日付ではEF1611、20、21、25、28が休車、1982年3月31日付ではEF16の記載は無くなっているので、少なくともその間に廃車になったのは間違いありません。
撮影:所長失格さん(所長、失格になりました)  新津機関区 1981.4.7
 EF16 12〔福島第二〕→〔長岡(転)〕→〔水上〕 旧EF15 23
EF1612 早朝の石打駅構内で出発を待つ12号機+EF64一般形牽引の上り貨物列車。水上区のEF15とEF16はこの年の10月に新たに上越線用に設計されたEF64 1000番台に順次置き換えられ、EF16とEF64(0番台)の組み合わせは短い期間だったと思います。

※福米形 車体断面低 正面扉左右に昇降段 蓋付き通風口 第1・第5側窓中央寄り エアフィルタ小 正面扉横手すり ジャンパ栓受け台座 前燈取付位置原形 前燈小 標識燈外寄り 正面ナンバープレート位置上寄り
3662レ EF1612〔水〕+EF6438〔長岡〕  石打 1980.8.2
製造:S23.5.12
川崎車輌 No.138
EF16改造:S26.8.27
東京芝浦電気
廃車:S55.12.5

移動:
S23.5.18 国府津
S24.1.27 高崎第二
S24.3.22 福島第二
S40.9.26 長岡第二
S55.3.20 水上
S55.12.5 廃車

記事:
●S26.8.27 東芝:
EF16改造
EF16 12 同じく3662レの先頭に立つ姿。低目のアングルから見るとより精悍な印象です。
本機の形態は正面2列の昇降段など同じ川崎製の11号機とほぼ同じですが、屋根上のガーランドベンチレータ、蓋付の運転室通風口、第1・第5側窓の位置(中央寄り)、前燈の取付方法(原形LP42の台座使用)、砂箱の形状など細部が異なります。埋込改造された標識燈の取付位置は標準よりも外寄りですが11号機よりは若干内寄りです。

3662レ EF1612〔水〕+EF6438〔長岡〕  石打 1980.8.2
EF16 12 同じく3662レの先頭に立つEF1612とEF6438をサイドから。EF16は基本的に水上方が1エンドになります。本機の砂箱は川崎独自の小さいタイプと増設された標準タイプが混在しています。
考えてみればEF64 0番台は元々奥羽線EF16の置き換え用として登場した経緯があり、福米形EF16との出会いは、かつての先輩後輩の10数年ぶりの再会と言えましょうか…。
3662レ EF1612〔水〕+EF6438〔長岡〕  石打 1980.8.2
ef1612q 同じ列車をネガカラーで撮影したものです。まだ夜が明けきらぬ石打駅構内に2両の山男の息吹が響きます。 ネガの変色が激しいですが、これでもかなり修正して何とか見られる様にしてあります。(^_^;) 実はこの撮影時に間違ってカメラの裏蓋を開けてしまって光が被ってる状態でした。解像度には難がありますが、カラーでしか伝わらない空気を感じられれば幸いです。
3662レ  EF1612〔水〕+EF6438〔長岡〕  石打 1980.8.2
EF16 12 水上に正式に転属前の長岡時代の12号機。記憶ではこの時水上区に貸出になっていたはずですが、区名札は長岡になっています。
写真は水上機関区を出区し補機仕業に向かう姿です。本線脇の引き上げ線に突っ込んで一旦停止、誘導掛が手動でポイントを切り替えた後、すぐさま折り返し誘導に従ってバックで下り列車の待つ本線へ向かいます。EF16の撮影に行かれた方にとってはお馴染みのシーンですね。
水上付近  1980.2.17
EF16 12 MT41の軽い唸りを残して去り行く12号機。右手奥に雪に埋もれた水上機関区の姿が見えます。下の山口さんの写真とほぼ同じ地点、シーンですが、降り積もった雪でまるで別世界です。この後、下の写真の列車の補機仕業となります。
水上付近  1980.2.17
EF16 12 降り積もった雪をかき分けながら、水上を発車するEF1612〔長岡〕とEF15128〔長岡〕。
EF1612号機は昭和24年に高崎第二区へ配属されて以来、その生涯は勾配と雪との闘いでした。80-200mmズームレンズでズームをしながらワインダーでタイミングを見ながら連写しました。ここからちょっと連続写真風に同機の力走をご覧ください。 (笑)
水上付近 1980.2.17
EF16 12 徐々に加速しながらカーブを駆け抜けます。最近のデジカメだと秒間7コマとか当たり前の様に切れますが、この当時は外付けのモータードライブでも秒間5コマ程度、ワインダーだとせいぜい2コマでした。それでも手巻きに比べて格段の連写性能に感動したもんです。
水上付近 1980.2.17
EF16 12 屋根に降り積もった雪を振りまきながら一気に加速。待ち構える雪と勾配に立ち向かいます。
水上付近 1980.2.17
EF16 12 この日は前夜からの大雪でダイヤが大幅に乱れており、この日私が撮影できた重連貨物はこの1本だけでした。次位のEF15128は雪煙で隠れてしまってせっかくの重連が良く分かりませんね。
水上付近 1980.2.17
EF16 12 水上発車時の写真では屋根上を見下ろすぐらいの高さだった列車が、随分と高い位置に登って来ているのが分かります。
水上付近 1980.2.17
EF16 12 2014年最初のトップページを飾ったカット。
水上付近 1980.2.17
EF16 12 雪煙をあげて目前を通過していく古豪たち。尚、この時点では同機はまだ長岡運転所配置で水上区には貸出扱いとなっていました。次位は同じ長岡区のEF15128です。

水上付近 1980.2.17
EF1612 同日、折り返し臨時急行「石打スキー2号」の補機運用に就き、高崎のEF58137と重連で堂々昼の上越国境を行く12号機。久々にネガから発掘しました。
8702レ「石打スキー2号」  湯檜曽―水上 1980.2.17
EF1612 同じく水上橋梁を行く8702レで当ページの初代看板写真です。この当時既に昼行客車列車の無かった上越線では、臨時の客レはEF16が昼間客レの先頭に立つ数少ない機会でした。ただし、12系で11両以上(確か…)にならないと補機は付かず、14系ではまず付きませんでした。
8702レ「石打スキー2号」  湯檜曽―水上 1980.2.17
EF1612 EF58137 もう一枚80-200mmズームの広角域いっぱいに引いて。この場所は当日、人が多くて入るところが無く仕方なく撮影した場所でしたが、春、雪が無くなってから来てみるとこの位置は足場が無いところでした。(こわ〜)
ところで当時の時刻表を見るとこの丁度1時間後に9712レ「小出スキー2号」があった筈なんですが、疲れていた為か撮影せずに帰宅の途についたみたいです。
8702レ「石打スキー2号」  湯檜曽―水上 1980.2.17
EF1612 EF1628 上写真の8702レを牽引後、水上区に引き上げて小休止中の姿。隣は側窓変形の28号機で現在もEF16縁の地である水上町にて保存されています。
水上機関区 1980.2.17
EF1612 同じく水上区で小休止中の12号機。それまでの吹雪が嘘のように時折晴れ間が覗きました。山の天気は本当に変わりやすく、この写真からも峠の方はまだ吹雪なのが分かります。この12号機は11号機と同じく川崎製EF15を改造した福米形ですが、通風口の形状が異なっています。本機には前面機関士側と側面機関士側、機関助手側の計6カ所に蓋付きの通風口が取り付けられています。こちらは第1エンド側。
水上機関区 1980.2.17
EF1612 同じ日に白黒で撮影した物。後方に雪煙が流れていますが、ロータリー除雪車の排雪でしょうか。この日、DE15のラッセルも走っていましたが、今にして思えばそれらも撮影しておけば良かったな…と思います。しかし、この時の自分にはとにかくEF16の姿しか目に入ってなかったのでした。(^_^;)
水上機関区 1980.2.17
EF1612 パンタが降りてるのが難ですが、同機をじっくりと観察。EF16の場合、上り方は全て1エンドになります。 正面から見るとこの1エンド側デッキステップのR側(向かって左)手すりが手前と奥で角度が異なっているのが良く分かります。これは川崎製の本機と日立製のEF153号機の同部分が入れ替わっている為と思われます。
EF15の一次形はデッキ形状がメーカーで異なり、デッキの手すり形状も異なっている事から分かりますが、こうした事例は我々が気付かないだけで保守の現場では普通に行われていたのかも知れません。
水上機関区 1980.2.17
EF1612 前頭部 同じく1エンド前面を1位側サイドから。正面窓、正面扉、前燈に付けられたつらら切りと先端が尖った汽笛カバーが福米形EF16のプロフィールを形作っています。全てが尖がっていていかにも雪に立ち向かう為の攻撃的な姿が逞しいです。こうして見ると前燈上のつらら切りもかなり飛び出ていることが分かります。 また、前燈取付台座に標識燈掛が設置されているのが分かります。福米形で前燈取付位置が原形のLP42と同じ物については、本機とEF157を除き標識燈掛はありません。ブレーキシリンダーに記された全検標記は53-12-22.OM。この大宮工での全検が本機の最終全検となります。
水上機関区 1980.2.17
EF1612 1エンド2位側。ナンバープレート下に増設された福米タイプの通風口は昭和23年12月〜昭和24年2月にかけて寒冷地対策を施されたEF15に対して取り付けられたものと思われます。

水上機関区 1980.2.17
EF1612 反対側に回って今度は2エンド3位側です。同機は昭和23年製なので、外板の仕上げは比較的良かったはずですが、良く見るとぼこぼこの外板、歪んだ車体各部のパーツなど、長年風雪に耐えてきた事が感じられます。
水上機関区 1980.2.17
EF1612+EF1628 僚友。28号機と共に。
水上機関区 1980.2.17
EF1612 2エンド4位側です。EF15一次形の標識燈は製造当初引っ掛け式でしたが昭和30年代に全て埋込式に改造されています。福米形EF16の標識燈は通風口を避けてやや外側に取り付けられています。距離で言えばほんの数センチだと思いますが、普通のEF15に比べ顔つきが精悍に見えます。 山の天気は変わりやすく、先ほどまで晴れ間が出ていたのに再び吹雪いてきました。
水上機関区 1980.2.17
EF1612+EF651042 春の柔らかな日射しの中、水上の鉄橋を渡る12号機とEF651042牽引のセメント專貨。上越線でのEF65PFの活躍はEF641000番台の登場で無くなったと思います。後ろに続く貨車の4両目は四角い形が目につくホキ6100形と思われます。写真などでもあまりお目にかかりませんが、編成の後方にももう1両姿が見えます。ホキ6100のアップはこちら
5670レ  EF1612〔水〕+EF651042〔宇〕  湯桧曽―水上 1980.5.3
EF1629 EF1628 EF1612 昼時の水上機関区に集うEF16。左から29、28、12号機。 夜間の慌ただしさに比べ、昼間の水上機関区は補機の出入りも少なく、どことなくのんびりとした雰囲気でした。この当時EF16の向きはこの下り方が2エンドになっていました。
水上機関区 1980.5.3
EF1628 三菱製28号機と並ぶ川崎製の12号機。偶然にもこの年の2月に撮ったのと同じ並びに…。 どちらも種車はEF15一次形の車体が低いタイプですが、三菱製(28号機)と川崎製(12号機)で前面の屋根カーブの具合や昇降段、デッキ形状などの差異があります。ゴハチでもそうですが川崎製は車体が丸っこい印象です。
水上機関区 1980.5.3
EF1612 EF1628 前面扉や前燈のつらら切り、大形の汽笛カバーなど福米形EF16と上越形EF16とでは印象が随分異なります。やはり福米形は精悍です。
水上機関区 1980.5.3
EF1612 福米形EF16の迫力あるプロフィール。ちなみにこちらは2エンド側です。本機の最終全検は昭和53年(1978年)12月です。
水上機関区 1980.5.3
EF1612 反対側1エンドの姿。逆光ですがかえってしわしわの外板や足回りが引き立ちます。この1エンド側デッキステップ手すりのR側(向かって左側)は奥の手すりがなぜか日立の1次形タイプと同じタイプになっており、手すりが平行になってません。同様に日立製1次形の3号機の同部分が川崎タイプとなっており、両機のこの部分が入れ替わっているものと思われます。
水上機関区 1980.5.3
EF1612 同じく1エンド。春の柔らかな日差しを浴びて気持ちよさそうに一休み。ワイパーは機関士側はWP50に助士側はWP35に交換されています。
水上機関区 1980.5.3
EF1612 峠を一気に駆け下り、黎明の石打駅構内へ滑り込むEF1612とEF64一般形。12号機は2エンド側です。
781レ  石打 1980.8.2
EF1612 EF15 お馴染みの石打バルブで上りの貨物です。こちらは1エンド側。本務機のEF15164は昭和33年製のEF15最終増備グループで12号機は元を辿れば昭和23年製のEF15 1次形です。人間で言えば長男と末弟の組み合わせと言ったところですね。
3886レ  EF1612〔水〕+EF15164〔長岡〕  石打 1980.8.3
EF1612 EF15 同じく12号機とEF15184の重連です。一晩ここに居れば夜行の客車群も併せてたくさん撮影できました。深夜の山間にこだまする本務機と補機のホイッスルとモーターの唸りが今でも耳に残っています。この日はこの後吾妻線でEF12の臨客があり、ほとんど丸2日徹夜状態でそちらへ行ってます。今思えば良くやってたもんです。
3886レ  EF1612〔水〕+EF15164〔長岡〕  石打 1980.8.3
EF1612 EF651058 同日の撮影で今度はEF651050〔宇〕との重連です。構内のライトで浮かび上がった車体の傷みが、誕生からひたすら続いた峠越えの闘いの厳しさを感じさせます。上越線向けに耐寒耐雪装備で登場したEF65PFですが、結局上越線には定着せずEF641000の登場になります。
2080レ  EF1612〔水〕+EF651050〔宇〕  石打 1980.8.3
ef5853-EF1612 こちらはEF5853さん撮影の「天の川」の先頭に立つEF1612+EF58174〔高二〕です。後ろに続く20系も懐かしい…。
「おなじみの場所ですね。露出が足りてませんが、出発してしまったもので・・・(2分以上は必要)」(EF5853さん)
撮影:EF5853さん  802レ「天の川」  石打 1980.8.27
H-yamaguchi-ef1612 仕業を終えて水上区に引き上げる場面でこちらは2エンド側です。やや上からのアングルによって車体とデッキを結ぶ渡り板(?)の両サイドに耳が付いた独特の形状が分かります。この形は本機以外ではEF16の11、20、21、25号機、EF15の2〜8号機で見られますが、EF1611の昔の写真では確認できないので後年の改造と思われます。
EF15の渡り板の下にはデッキ上面に開口部があり、そこから先台車の釣り合い梁が上面に露出しています。通常、開口部は渡り板で塞がれていますが、塞ぎきれないデッキの開口部をこの耳で補ったのではないかと思います。
撮影:山口裕志さん  水上付近  1980.8.21
k53taka-EF1612 奥羽本線から上越線に転属から3年ほどの姿で1エンド側です。上の11号機と同様、屋根上の水タンクは撤去されながらも電気笛はそのままです。福島から転属後どれぐらいこの姿だったのか、個人的には興味深いところです。 この時点では前面窓はまだ原形です。夏季なので雪かき器本体は外されていますが、雪かき器と主台車枠を結ぶ取付腕はそのままです。
撮影:k53takaさん(新潟の蒸気機関車)   新津 1968.8.15
k53taka-EF1612 上の写真から8か月後の姿でこちらは2エンド側です。電気笛はそのままですが前面窓がHゴム化されています。 ちなみにこの電気笛、形態はEF81やEF641000に搭載されたタイフォンに似ていますが、それらは電車のタイフォンと同じ「プァーン」と鳴るのに対してEF16のそれは鉄道ファン誌1977年9月号の日高冬比古氏の記述によると「ブーとはなはだ趣のない音」とあります。実際どんな音だったのか聞いてみたかったです。 ところで、デッキ前面手前に後に台座のみ残ったジャンパ栓受の姿が確認できます。
撮影:k53takaさん(新潟の蒸気機関車)   新津 1969.4.29
shocho-EF1612 単機で水上へ向かう12号機。川崎独自の小さな砂箱と標準タイプの砂箱が並んでいるのが確認できます。
「(EF1611の写真と)同じ日・同じ場所で撮影した上り貨物で、貨物がお盆でウヤだったので、補機のEF1612だけが来ました。」(所長失格さん)
撮影:所長失格さん(所長、失格になりました) 上り単機 湯檜曾―水上 1979.8
shocho-EF1612 うっすらと雪化粧の山々と夕方の斜光に映えるピカピカの12号機の組み合わせが良い感じです。前燈や汽笛カバーの黒色塗装も良く分かります。
撮影:所長失格さん(所長、失格になりました)  水上機関区 1980.3.21
shocho-EF1612 「中里―土樽の上り線、松川の橋梁を行く上り貨物です。」(所長失格さん)
様々な貨車で組成された貨物を65PFと力を合わせて牽く姿はまるで模型の様です。
撮影:所長失格さん(所長、失格になりました) 3760レ 越後中里―土樽 1980.8
 

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