ELECTRIC LOCOMOTIVE EF16  Vol.1
EF16 1〜10

Last Update 2023.10.1


このページではEF16形各機の紹介をしたいと思います。データで不明な点も多々ありますが、手元に資料がないのと元来いい加減な性格故、残っていないものが大多数。どうかお許しください…。もし、間違いなどを見つけましたら、ご連絡下さい。 m(_ _)m
※印…主な特徴です。画像をクリックすると大きなものが表示されます。

Index EF16 1 (EF15 1) EF16 2 (EF15 2) EF16 3 (EF15 3) EF16 4 (EF15 4) EF16 5 (EF15 5)
EF16 6 (EF15 6) EF16 7 (EF15 7) EF16 8 (EF15 8) EF16 9 (EF1520) EF16 10  (EF1521)

 1次形・福米形(1〜12号機) その1(EF15に復元された物)

昭和24年に奥羽本線に配置された第1次形EF15の1〜8、20〜23号機は福島―米沢間の直流電化に際し板谷峠の33.3‰の勾配と豪雪に対応するため主に以下の改造が施されました。
  1. 正面扉と前照灯につらら切りを取り付け
  2. 正面扉の窓を固定化、同時に運転室内への通風口を設置。運転室暖房を4個に増強。
  3. 警笛の増設・移設(通常の空気笛位置にカバー付きのタイフォンを取り付け。空気笛に汽笛カバーを取り付け助士側屋根上に移設。)
  4. 砂箱を増設。砂撒き管にヒーター(150w×24個)を取り付け。それに伴い電動発電機を増設。
このような改造を施して奥羽本線で運用を開始しましたが、勾配を下る際に掛けるブレーキによって機関車、客貨車のタイヤ弛みが頻発し、その緊急処置としてデッキ部分に水の入ったドラム缶を積み、機関車のタイヤを冷やす方法が採られました。しかし、デッキ上からでは落差が少なく水を撒くパイプが詰まりやすいため、その後、屋根上に水タンクが取り付けられました。

さらに、この問題を根本的に解決するため、戦前のEF11で好結果を残した電力回生ブレーキを取り付ける事になり、その取付改造が昭和26年6月〜27年3月にかけて東芝で行われ、新たに勾配用電気機関車EF16(1〜12号機)が誕生しました。この改造は低速な為使用する機会の無い弱め界磁制御を取りやめ、その空いたスペースに回生ブレーキ用の機器を取り付けて行われ、それまでの姿との外観上の変化はデッキ上の回生制動用ジャンパー栓受け(重連時用)が設けられたぐらいでした。

その後、より強力な勾配用EF64形が奥羽本線に配置され、その任を解かれたこれらEF16は11、12号機を除いて昭和40年から順次EF15に復元されました。残された2両も回生ブレーキを上越用に変更し、水タンク、補助笛を除去した姿となり、第2次形EF16と共に上越線で昭和55年の全廃時まで活躍しました。その外観はEF15に復元された物と同じとなっています。

なお、EF16の種車となったEF15の1次形は、当初標識燈は引っ掛け式だったため後に埋め込み式に改造されています。そのため、その取付位置が福米形は寒冷地対策で増設された通風口を避けて標準位置より外側に付いていました。また、引っ掛け式標識燈時代に8段ヒダまたは7段ヒダだった通風口は、その後すべて6段に改造されたようです。(「標識燈の埋め込み化に合わせて改造されたのでは」H.Nakanoさん)

これらEF16の形態について詳細は、別項のEF15 1次形形態解説をご覧下さい。

※印…主な特徴です。画像をクリックすると大きなものが表示されます。

 EF16 1〔福島第二〕→〔長岡第二〕 EF15 1→EF16 1→EF15 1
 
 EF16 2〔福島第二〕→〔長岡第二〕 EF15 2→EF16 2→EF15 2

キハ82系「つばさ」の先頭に立ち松川橋梁を行くEF16と82系気動車。EF16の最も華やかな晴れ姿と言えましょう。

この前年にデビューしたキハ82系ですが、福島〜米沢間の急峻を自力で登る事は難しく、EF16との強調運転となっていました。

この松川橋梁は、複線化後は下り線になっており、現在はこの橋を新幹線が走っている事を思うと何とも隔世の感が絶えません。

撮影:仙山仙石さん  6D「つばさ」 赤岩―庭坂 1962.6.10
製造:S22.9.1
日立製作所 No.4613
使用開始:S22.9.1
EF16改造:S27.3.10*
東京芝浦電気
復元:S42.10.5 大宮工場
廃車:S55.2.2

移動:
S22.9.6  高崎第二
S24.4.20 福島第二
S40.10.3 長岡第二
S54.9.21 1休指定
S55.2.2  工車1126号により廃車
最終走行:
S54.9 2,500,833km

記事:
●S23.4.9〜6.30 日立:
整備改造・寒冷地対策・砂箱増設・汽笛増設
●S25.7.8〜7.17 大宮丙修:レール撒水装置取付
●S27.3.11* 東芝:EF16改造
●S30.2.19〜2.26:避雷器箱鉄製に取替
●S34.2.5〜2.21 大宮甲修:ブレーキ装置EL6A→EL14ASに改造・前燈整備・デフロスター取付
●S35.10.26〜12.10 大宮臨修:標識燈埋込改造
●S42.8.28〜10.5 大宮全検:EF15改造・水槽取外
●S49.2.5〜2.14 大宮全検:昇降段改造・先輪軸受コロ式に改造

*履歴上はS27.3.11

同じカットの機関車部分の拡大で、こちらが1エンドです。奥羽線のEF16は全機福島寄りが1エンドなっている様です。良く見ると雨が降りしきっているのが分かりますが、こんな天気に良くぞこの位置から撮影されたものだと感心いたします。

屋根上の水タンクや増設された電機笛などが良く分かる貴重な写真です。ワイパーは腕折り式のKW3Dの様で先輪はまだプレート式、前面窓も原形のパテ式で避雷器はLA12です。前照灯は250WのP402に換装されています。

EF15 2の説明でも述べましたが、日立製の本機の1エンド側(この写真側)のデッキは川崎タイプとなっており、同じ福島第二機関区に配置されていたEF16 10(EF15 21)と本機の1エンド側台車がそっくり入れ替わっている可能性が高いと思われます。

雪かき器(スノウプラウ)が付いていませんが、かつては奥羽線や上越線などの降雪地帯でも冬期間のみ取り付け、通常は取り外されていました。正確な時期は定かではありませんが、当時の写真から昭和48〜49年頃に通年取り付けとなったようです。
履歴を見ると昭和34年にデフロスターが取り付けられていますが、この写真では見あたりません。雑誌等の冬期の写真に見られる前面窓のプロテクターも見られない事から雪かき器同様、不要な季節にはこれらの装備は取り外していたと思われます。
右側のデッキステップ前面に移動禁止表示の赤旗を挿すパイプが設けられていますが、上越地区だけでなく福島第二でも取り付けられていた事が分かります。

※福米形 車体断面低 エアフィルタ大 第1・第5側窓外寄り 1エンド側川崎タイプデッキ・2エンド側日立タイプデッキ 標識燈外寄り 前燈小 正面ナンバープレート左寄り

撮影:仙山仙石さん  6D「つばさ」 赤岩―庭坂 1962.6.10
 EF16 3〔福島第二〕→〔長岡第二〕 EF15 3→EF16 3→EF15 3
スイッチバックの赤岩駅の引き上げ線から顔を出す3号機と4号機の重連が牽く上り普通列車。右側のトンネルが本線(米沢方面)で、引き上げ線とのレベル差が良く分かります。列車は丁度次位の4号機と客車の辺りからバーチカルカーブを描いて一気に坂を下ります。ちなみに、現在の赤岩駅は丁度この写真の撮影地点あたりの本線上に移設されています。

撮影:仙山仙石さん  428レ 赤岩 1962.6.10
製造:S22.9.15
日立製作所 No.4614
使用開始:S22.10.3
EF16改造:S27.3.29
東京芝浦電気
復元:S42.7.18 大宮工場
廃車:S54.3.18

移動:
S22.9.25 長岡第二
S24.3.18 福島第二
S40.8.22 長岡第二
S53.10.2 1休指定
S53.11.1 2休指定
S54.3.18 廃車
最終走行:
S53.9 2,491,153km

記事:
●S23.10.28〜24.1.14 日立:
整備改造・パンタグラフPS14に取替・寒冷地対策・砂箱増設
●S25.3.12〜3.19 大宮:レール撒水装置取付
●S27.3.29 東芝:EF16改造
●S29.7.27〜8.3 大宮甲修:レール撒水装置改造・避雷器箱鉄製に取替
●S33.6.28〜7.8 大宮甲修:自動窓拭器取付・デフロスター取付
●S36.3.1〜4.12 大宮臨修:ブレーキ装置EL6A→EL14ASに改造・前燈整備
●S46.10.4〜10.6 長野臨検:電気式速度計取付
●S47.12.28〜48.1.13 大宮全検:避雷器LA15に取替・昇降段改造

またまた同カットの機関車部分アップで、こちらが同じく1エンドです。上越のEF16では取付台座のみ残っていたジャンパ栓受けが、前端バリの向かって左側(R側)に付いているのが確認できます。このようなEF16同士の重連時に使用されていたのだと思われます。
上の2号機と異なり、3号機、4号機共ワイパーはKW3Dの直腕タイプです。3号機の前面窓周りにはプロテクターの取り付け用ボルト?が見て取れます。LA12避雷器が(おそらく)銀色に塗られているのが印象的です。
本機にもやはり右側のデッキステップ前面に移動禁止表示の赤旗を挿すパイプが設けられています。

3号機のこの1エンド側デッキ先端に何やら四角い箱状の物がありますが、一体何なんでしょうか…??全機に付いている訳でも無いようですし、手持ちの資料でもこの点についての記述は皆無です。ご存知の方がおられましたらお教え願えれば幸いです。

※福米形 車体断面低 福米形通風口 エアフィルタ大 第1・第5側窓内寄り 前燈大 標識燈外寄り 正面ナンバープレート左寄り
撮影:仙山仙石さん  428レ 赤岩 1962.6.10
松川橋梁を渡り赤岩駅を目指す下り普通列車。こちらは2エンド側です。
こちらのエンドでは上の写真に見られるデッキ先端の箱状の物は見られません。う〜ん…気になりますね。

撮影:仙山仙石さん  421レ 庭坂―赤岩 1962.7.15
 EF16 4〔福島第二〕→〔長岡第二〕 EF15 4→EF16 4→EF15 4
 
 EF16 5〔福島第二〕→〔長岡第二〕 EF15 5→EF16 5→EF15 5
 
 EF16 6〔福島第二〕→〔長岡第二〕 EF15 6→EF16 6→EF15 6
赤岩駅を通過する上り急行「鳥海」。列車の後ろ側がスイッチバック式の赤岩駅ホームです。
この当時の「鳥海」は昼行列車で1等、食堂車を連結した豪華な編成。列車のアップはこちら。オロ61が2両連結されているのは多客期の増結でしょうか。平坦部から勾配に移る様子がはっきりと見て取れます。
撮影:仙山仙石さん  2032レ「鳥海」  赤岩 1962.7.15
製造:S23.1.31
日立製作所 No.4617
使用開始:S23.2.13
EF16改造:S26.7.26*
東京芝浦電気
復元:S42.12.8 大宮工場
廃車:S54.3.18**

移動:
S23.2.5  長岡第二
S24.3.13 福島第二
S40.9.11 長岡第二
S53.10.4 1休指定
S53.11.1 2休指定
S54.3.10** 廃車
最終走行:
S53.10 2,378,639km

記事:
●S23.12.24〜24.3.6 日立:整備改造・パンタグラフPS14に取替・寒冷地対策・砂箱増設・汽笛増設
●S25.6.27〜7.5 大宮丙修:レール撒水装置取付
●S26.6.9〜7.5* 東芝:EF16改造
●S31.1.16〜1.23 大宮甲修:レール撒水装置改造
●S33.5.30:主電動機MT41→MT42に取替
●S34.12.10〜35.2.2 大宮甲修:自動窓拭器取付・標識燈埋込改造・前燈整備・避雷器箱鉄製に取替・ブレーキ装置EL6A→EL14ASに改造
●S41.12.10〜12.24 大宮甲修:先輪軸受コロ式に改造・水槽取外
●S42.12.8 大宮臨検:EF15改造・前窓Hゴム改造
●S45.10.22〜11.4 大宮全検:避雷器LA15取替
●S46.11.8〜11.10 長野臨検:電気式速度計取付
●S49.10.11〜10.22 大宮臨検:昇降段改造
●S52.2.25〜3.8 大宮要検:避雷器LA16に取替(試験)

*履歴簿上はS26.7.5
**履歴簿上はS54.3.10
これら2点は資料によって食い違いあり

上の写真の部分拡大。ナンバーが確認出来ませんが、一桁ナンバーで機械室側窓の位置、抵抗器室屋根上ベンチレータの形状、三菱タイプのデッキから6号機と認定。
先輪はやはりプレート式です。本機は昭和35年(1960年)5月に、山形で開催された植樹祭に伴うお召し列車牽引機に選ばれています。

※福米形 車体断面低 エアフィルタ小 第1・第5側窓中央 前燈取付位置原形 前燈小 1次形三菱タイプのデッキ 標識燈外寄り 正面ナンバープレートやや左寄り 御召し牽引機
撮影:仙山仙石さん  2032レ「鳥海」  赤岩 1962.7.15

同じく赤岩駅を通過する上り急行「鳥海」。上の写真と連続して撮影されています。列車の背後の複数のホームと駅関係の建物と、手前の本線と比較するとこの区間の勾配の強さが良く分かります。
赤岩駅の下には現在は陰も形も無い立派な民家の姿が見られます。比較的近年(1990年代?)まで廃屋として残っていたようなので、ご記憶の方もあるかも知れません。その軒先には洗濯物が干され、この地域にもまだまだ人々の営みが駅と共にあったことを伝えています。
列車のアップはこちら。左端に3軸ボギーのTR73を履いた客車が見えますが、窓配置やベンチレータなどからスシ28でしょうか。3軸ボギーと言うことからスハシは無さそうですが、形式標記の上のサボの存在が気になります。全室食堂車にサボが付いた物があったのかどうか…。
撮影:仙山仙石さん  2032レ「鳥海」  赤岩 1962.7.15

どりこのさん所蔵の昭和26年3月配布の福島高校卒業アルバムに貼ってあったという写真です。EF16改造後間もない時期の本機の貴重な姿でこちらは1エンド側です。撮影場所は福島第二機関区でしょうか。お馴染みの福米スタイルに引っ掛け式標識燈姿が精悍です。
ちなみに本機のEF16改造は昭和26年7月なのでアルバムの配布時期と合いません。もしかしたら元の所有者が後からアルバムに貼った物かもしれません。

さて、この6号機の形態ですが、前燈と前面扉上のつらら切り、増設された電気笛、屋根上の水タンク、引っ掛け式標識燈、前面窓下に新設された通風口はヒダ式が左右8段、前燈は原形の150WのLP42、ワイパーも原形の手動式、前面窓にはつらら避けのプロテクター、前端バリの左には重連用ジャンパ栓受けが設置され、福米EF16の登場時の姿と言えます。(ジャンパ栓受けと前面プロテクターを除けばEF15時代から見た目はほぼこの姿になっていたはずですが…)

この段階で既に日立製の本機の足回りが三菱製になっています。EF156の項でも触れましたが、やはり長岡第二時代にEF1527(EF1625)と両エンドの台車がそっくり入れ替わったものと思われます。なお、8段ヒダの前面通風口は標識灯の埋込化に際し左右とも6段に変更されています。

また、エアフィルタやデッキなど各部に色差しや装飾が施された姿も珍しく、私は他にEF1532の例しか知りません。
装飾を細かく見ると前面扉、前面窓、機械室側窓の縁飾り、運転席側窓水切りと前面プロテクタの色差し、側面エアフィルタの磨き出しもしくは銀色塗装、デッキ手すりの白塗装、デッキ上部、エアタンク、雪かき器、砂箱、そして先輪が明るめの色で塗られています。

これとほぼ同じ装飾をされた例が前述のEF1532(長岡第二)で、昭和26年4月に高崎で撮影された写真が「電気機関車Vol.2」(プレスアイゼンバーン刊)に載っています。同書では装飾の理由として「詳細は不明ながら当時各地で行われていた機関車展示会や出来栄審査会の為ではないか」としており、ほぼ同時期と思われる本機のこの姿も、もしかしたら同様な理由かも分かりません。

ちなみに、本機が昭和35年(1960年)にEF16唯一のお召列車牽引機に指定されたのは、もしかしたらこの時の出来栄審査の結果が良好だったからでは…などと想像してしまいます。それはさておき、こうした装飾が施されること自体、EF16やEF15がこの当時の花形機関車であった証と言え、EF15好きとしては嬉しい限りです。
撮影者不詳 写真所蔵:どりこのさんどりこのさんのTwitter)  福島第二機関区? 1951.7?
 EF16 7〔福島第二〕→〔長岡第二〕 EF15 7→EF16 7→EF15 7
上の写真と同じ茅葺き屋根の民家と松川の流れを脇に見て、38パーミルを駆け下りるEF16 7の牽く貨物列車。
回生ブレーキの唸りが聞こえてきそうです。

※福米形 車体断面低 エアフィルタ小 第1・第5側窓中央 前燈取付位置原形 前燈小 福米形通風口 標識燈外寄り
撮影:仙山仙石さん  上り貨物  赤岩 1962.7.15
製造:S23.2.25
日立製作所 No.4618
使用開始:S23.3.4
EF16改造:S26.10.20
東京芝浦電気
復元:S43.3.22 大宮工場
廃車:S53.12.5

移動:
S23.2.27 国府津
S24.3.14 福島第二
S40.9.30 長岡第二
S46.3.14 新鶴見
S52.12.9 甲府
S53.12.5 工車1168号により廃車

記事:
●S23.10.7〜12.27 日立:
EF15整備改造・寒冷地対策・砂箱増設・汽笛増設
●S25.4.5〜4.11 大宮臨修:レール撒水装置取付
●S26.9.4〜10.20 東芝:EF16改造
●S34.10.31〜12.16 大宮甲修:自動窓拭器取付・前燈整備・避雷器箱鉄製に取替・ブレーキ装置EL6A→EL14ASに改造
●S41.12.15〜12.27 大宮甲修:レール撒水装置取外
●S43.2.12〜3.22 大宮:EF15改造
機関車部分のアップでこちらは1エンド側です。前面窓の左右に4カ所、つらら切りプロテクターのビスがはっきり確認できます。原型の前面窓はHゴム支持化された物より一回り小さい印象です。つらら切りも後にHゴム改造窓に付いた物より小振りです。
EF58同様、EF15やEF16のつらら切りも前面窓のHゴム改造に伴って幅が拡大されているため、原形窓の前面印象は(福米形としては)随分おとなしいイメージです。EF15などの前面窓のHゴム支持改造は昭和40年代初めからで、これらEF15復元機に関しては、おそらく復元時に同時に行われたものと思われます。
本機にも右側のデッキステップ前面に移動禁止表示の赤旗を挿すパイプが設けられていますが、上越地区だけでなく福島第二でも取り付けられていた事が分かります。

撮影:仙山仙石さん  上り貨物  赤岩 1962.7.15


福島第二から長岡第二に転属後3か月ほどの姿で上写真と同じく1エンド側です。区名札は長岡第二機関区が第一機関区と共に運転所になる前なので「岡二」です。
形態は奥羽線時代と全く変わっていません。屋根上のレール散水装置が取り外されるのはこの年の12月です。回生ブレーキも奥羽線時代のままでしょうか。長岡に転じたEF16 1次形の当時の運用内容は分かりませんが、おそらくEF15復元前でも回生ブレーキは使用せず同区のEF15と共通だったのではないかと思います。
避雷器はLA12、デッキ先端の左側には重連用ジャンパ連結器の栓受の姿も確認できます。雪かき器は外されていますが、雪かき器と主台車枠を結ぶ取付腕は付いたたままです。なお、雪かき器を取り外しているのとほぼ真上からのトップライト、渡辺さん曰く「高崎二区へは何度か行った」との点から、1月ではなく1966年夏季の撮影ではないかと思われます。
撮影:渡辺芳夫さん    高崎第二機関区 1966.1.9?
 EF16 8〔福島第二〕→〔長岡第二〕 EF15 8→EF16 8→EF15 8
 
 EF16 9〔福島第二〕→〔長岡第二〕 EF15 20→EF16 9→EF15 20

キハ82系「つばさ」の先頭に立ち松川橋梁を行く。隣は旧線の松川橋梁の巨大なトラス橋。トラス橋は線路切り替え後早々に解体された模様ですが、交流複線化、標準軌に改軌され新幹線が走る現在でも巨大な橋脚が上下線の間に遺っています。

奥羽本線・庭坂〜赤岩間が現在の新ルートに切り替えられたのは、この写真の前年1961年の事です。新線への切り替えがいつだったかは正確には分かりませんが、「つばさ」登場がその年の10月なので、おそらくそれに合わせて行われたのではないかと思います。

撮影:仙山仙石さん  6D「つばさ」 赤岩―庭坂 1962.7.15
製造:S22.11.20
川崎車輌 No.135
使用開始:S22.12.5
EF16改造:S26.9.28
東京芝浦電気
復元:S42.11 大宮工場
廃車:S53.10.20

移動:
S22.11.28 長岡第二
S24.4.18  福島第二
S40.10.1  長岡第二
S53.7.5   1休指定
S53.10.20 廃車
最終走行:
S53.7 2,413,159km

記事:
●S23.5.6〜9.19 川崎(改造製番No.2):
整備改造
●S24.3.3〜3.27 日立:寒冷地対策・砂箱増設・汽笛増設
●S25.8.2〜8.12 大宮丙修:レール撒水装置取付
●S26.11.20〜11.29 大宮甲修:雨樋取付
●S30.11.10〜11.27 大宮甲修:避雷器箱鉄製に取替
●S34.10.12〜10.21 大宮甲修:自動窓拭器取付
●S35.8.30〜9.9 大宮臨修:ブレーキ装置EL6A→EL14ASに改造
●S41.11.2〜11.14 大宮甲修:水槽取外
●S45.7.1〜7.13 大宮全検:先輪軸受コロ式に改造
●S45.10.19〜10.25 長野臨検:電気式速度計取付
●S47.7.20〜8.1 大宮要検:避雷器LA15に取替
●S51.6.25〜7.7 大宮要検:昇降段改造

同じ写真の列車部分のアップです。
実はこの区間、それ以前に明治時代(1911年)に最初のルート変更が行われており、現在でもこの区間に旧線2本の遺構が多くある事でその趣味の方々には有名な様です。

列車が渡っている新線の松川橋梁は数えて3代目にあたり、昭和43年の複線化後は下り線になっています。隣の旧松川橋梁は2代目で、現在はその脇に上り線用の4代目の松川橋梁が架けられています。

撮影:仙山仙石さん  6D「つばさ」 赤岩―庭坂 1962.7.15

例によって機関車部分のアップです。こちらは1エンド側になります。
標識灯は引掛け式で避雷器はLA12です。屋根上のベンチレータはグローブ式です。

プレスアイゼンバーンの「電気機関車Vol.2」の履歴には記載されていませんが、手持ちの資料を確認すると、本機は福米EF16の中で奥羽線撤退時まで引っ掛け式標識燈で残ったと思われます。
EF15の1次・2次形の引っ掛け式標識燈の取付高さは大きく分けて3種あり、車体下面近く(2,32,33など)、本機に見られる車体上方ナンバープレート下面近く(16,17,18,19,20,21,40などでおそらく川崎製のみ)、両者の中間位で最も標準的(4,7,8,9,10,11,24など)となっています。本機にも3号機の1エンドに見られるデッキ先端の箱状の物が確認できます。

※福米形 車体断面低 グローブベンチレータ エアフィルタ小 第1・第5側窓中央 標識燈外寄り 前燈小 正面ナンバープレート位置上寄り
撮影:仙山仙石さん  6D「つばさ」 赤岩―庭坂 1962.7.15
 EF16 10〔福島第二〕→〔長岡第二〕 EF15 21→EF16 8→EF15 21
EF16 10とキハ82系が力を合わせてサミットを目指す。両車の間には総括制御は当然ありませんから、汽笛を合図に強調運転を行ったんでしょうが、その様子がどんなだったか興味深いです。

「撮影当時は機番毎の違いなどは全くの無頓着でありました。水タンクを背負っている事すら認識していませんでした。「鉄道友の会」には入会していなかったので情報源は「ファン」と「ピクトリアル」だけで、時刻表を頼りにのこのこ出掛けたわけです。
情報を持たないと、結果思いがけない発見や驚きが期待出来るので赤岩の旧いトラスブリッジや、DCつばさの牽引のシーンは予想外で胸が高鳴ったことを覚えています。」(仙山仙石さん)

確かに思いがけず線路端でお目当ての車輌や予想外の列車に出会えた時の喜びは、何とも言えないものがあります。最近は情報がたくさんある反面、そうした趣味の醍醐味のようなものが薄れてしまっている気もします。
撮影:仙山仙石さん  5D「つばさ」 赤岩 1962.7.15
製造:S22.12.15
川崎車輌 No.136
使用開始:S23.1.24
EF16改造:S26.12.4*
東京芝浦電気
復元:S43.2.14 大宮工場
廃車:S55.7.10

移動:
S23.1.17  長岡第二
S24.4.14  福島第二
S40.9.28  長岡第二
S46.3.28  新鶴見
S52.12.17 甲府
S55.7.10  工車898号により廃車

記事:
●S23.7.〜9.22 日立:
EF15整備改造
●S24.3.〜24.11 日立:パンタグラフPS14に取替
●S24.7.25〜8.5 大宮臨修:レール撒水装置取付
●S26.10.13〜12.7* 東芝:EF16改造
●S30.10.17〜10.25 大宮甲修:レール撒水装置改造
●S34.8.12〜9.22 大宮甲修:自動窓拭器取付・デフロスター取付・前燈整備・ブレーキ装置EL6A→EL14AS改造
●S41.10. 大宮全検:先輪軸受コロ式に改造・レール撒水装置取外

*履歴上はS26.12.7
機関車部分のアップです。こちらが2エンドです。
屋根上の電気笛、水タンクの設置状況などが良く分かります。機関助士席側の屋根上にはまだ信号煙管は取り付けられていません。(信号煙管の取り付けっていつからでしたっけ?)屋根上のベンチレータはグローブ式です。また、晩年の上越EF16の一部で取付台座のみ残っていたジャンパ栓受けが、前端バリの向かって右側(R側)に設置されているのが確認できます。

9号機もそうですが、種車が川崎製EF15の1次形の為、正面扉脇の昇降段が二列になっています。福米EF16には運転室にヒダヒダタイプと蓋の付いたいわゆる福米タイプの二種類の通風口が取り付けられましたが、なぜそうなったのかは今となってはそれを知る人はいないかも知れません。さらにヒダヒダタイプでは、1エンド機関士側のみで2エンドは機関士側・機関助士側両方と差異があるのもまたまた謎であります。

※福米形 車体断面低 グローブベンチレータ エアフィルタ小 第1・第5側窓中央 標識燈外寄り 前燈小 1エンド側日立タイプのデッキ 正面ナンバープレート位置上寄り
撮影:仙山仙石さん  5D「つばさ」 赤岩 1962.7.15
Vol.2に続く

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