第1次形(1〜8,16〜33号機) その1
*16〜19、22〜28、31〜33号機はEF16形 *9〜11号機は2次形、12〜15号機は3次形 |
兄弟機EF58より半年ほど遅れて、昭和22年5月〜23年3月に登場した第1次グループ。登場時は旧EF58と同じく側窓は4枚又は5枚、パンタグラフは電車用のPS13、モニタールーフ無し、抵抗器室通風口無し、つらら切りも一部が未取付、電機部品も代用品を多用、高速度遮断機も無いと言う準戦時形として落成しています。また、車体の断面形状が標準形と異なり、製造初期は車体高さが3560mmと標準形より30mm高くなっていました。その後昭和22年7月〜10月落成分からパンタグラフの作用高さを下げるために車体台枠を100mm削って車体高さ3460mmになっています。また、砂箱の数も標準では動輪に対して2個取付なのに対して1個、避雷器はLA12を2エンド機関士側屋根上に1基(後に1エンド側にも増設、最終的にはLA15・2基に統一、但しその取付位置は各機バラバラ)、正面扉横の昇降梯子も4段で後の標準タイプの5段の物とは取付位置も異なり、機関助士側の側窓が機関士側よりも小さく一枚窓(EF57などと同じタイプ)、初期車はエアフィルタが標準形より大きいなど様々な特徴があげられます。
生まれながらにして満身創痍の状態だった1次形ですが、昭和23年から24年にかけて83項目にも及ぶ装備改造が行われ、高速度遮断機の取り付けに始まり、前面つらら切り取り付け、側窓の引き戸化(昭和23年製の一部は最初から引き戸)と中央窓の増設(一部漏れあり・昭和23年製の一部は最初から増設)、抵抗器室通風口(屋上ベンチレータ)取り付け(昭和23年製の一部は最初から取り付け)、パンタグラフのPS14取り替えなどによってたくましい姿に生まれ変わっています。なお、登場時の先輪はプレート式、ワイパーも手動式で標識燈は引っ掛け式でした。これらも順次標準タイプに交換されており、引っ掛け式標識燈は昭和31年〜42年に掛けて全機埋込式へ改造されています。
1次形内でも細部の形態は様々で、側窓の両端の窓(第1・第5(第4)側窓)の位置が端に寄った物、中央よりの物など数タイプ存在しています。(固定窓の引き戸改造時に移設された為と思われます。)落成当初引っ掛け式だった標識燈は後に埋込改造されていますが、福米形はこれも後付けされた前面通風口を避けて、標準位置より外寄りに取り付けられています。また、枕梁の端面形状がEF58同様4次形以降では日立製以外は逆台形なのに対し、全機が日立製と同じ長方形で、デッキ形状も各メーカー毎に形態が異なっていました。
これらの詳細は複雑かつ変化に富んでおり、1次形形態解説として別項にまとめました。(EF15 1次形形態)なお、本来日立製の9〜15号機もこのロットでの発注と思われますが、ドッジラインによる製造凍結で第2次以降にナンバーがずれ込んでいます。
この中から耐寒耐雪装備と勾配用に撒水装置を取り付けて奥羽線・福島―米沢間に使用されていた1〜8、20〜23号機が、昭和26年〜27年に本格的な勾配対策で電力回生ブレーキを取り付けEF16に改造されました。その後、上越線を中心に使用されていた16〜19、24〜33号機も29、30号機を除いて昭和30〜33年にかけ、水上―石打間の勾配用としてEF16に改造されました。
その後、昭和42年〜43年にかけて奥羽線の1〜8、20、21は元のEF15に復元されました。なお、奥羽線用の1次形は砂箱の数が増設されており、EF15に復元された後もそのままとなっています。また、奥羽線に配属された物には御召し列車(御乗用列車)牽引の栄誉に輝いた物(EF166・EF154)も存在します。
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日立製(1〜8号機) |
日立製1次形は全機が低い車体断面を持ち、デッキ変形機の1号機を別として、正面から見ると四角っぽいデッキ手すりなどから全体に華奢なイメージです。(1次形日立デッキ)また、全機、福島第二機関区に配置されEF16(福米タイプ)に改造されており、正面扉上つらら切り、前燈つらら切りなど、EF15に復元された後もその面影を偲ばせます。エアフィルタは1〜3号機が大きなタイプ。それ以降は小さなタイプになっています。
1次形はEF13(旧EF58)同様、側面の運転席側窓の水切りが短く、窓の下辺まで達していませんでしたが、かなり早い時期(EF16改造前)に延長されています。よく見ると水切り角度に段差がある事が確認できます。なお、2号機1エンドデッキが1次形川崎タイプ、6号機両エンドデッキが1次形三菱タイプとなっていますが、2号機1エンド台車に初期の川崎製のみに見られる小さな砂箱が付いている事から2号機は21号機(川崎)の同部分、6号機は27号機(三菱)の両台車と入れ替わっている物と思われます。なお、日立製一次形タイプのデッキを持つ個体ではデッキステップ部分の手すりの取付部に水かき状の補強がされた物があります。施工箇所はデッキステップ手すりのステップとの取付部、デッキステップ手すりのデッキ上面との取付部でぞれぞれ前位側と後位側の計4か所ですが、1エンド2エンド合わせて施工された箇所は各機によって様々です。(施工機:EF15
3、4、5、7、8、9、10、11、21、EF16 25)
後付けされた前面の通風口はヒダ式8段(後に6段に改造)と福米タイプの蓋付きの二種類が存在します。
ヒダ式は1エンド側が機関士側のみで2エンド側が機関士側・助士側2か所の1、2号機、反対に1エンド側が機関士側・助士側の2か所で2エンド側が機関士側のみの6号機があります。
蓋付きの福米式は3、4、5、7、8号機でそれぞれ前面の取付位置に差異があります。(8号機は特に右寄り)
前燈の取付台座は1,2,3,5,8号機が落成当初から大形のLP402を装備した物と同じ標準的なステー式、4,6,7号機が原形のLP42用となっています。 なお、本ロットの全機の正面ナンバープレートの取付位置が左に寄っていますが、これはこの後に製造された全ての日立機(切り抜きナンバー機も含め)の傾向で、日立製の特色の一つと言えると思います。
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EF15 1〔長岡(転)〕 EF15 1→EF16 1→EF15 1 |
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日立製EF15の最初の落成機となったトップナンバー。この1号機〜8号機、20〜23号機が福米形EF16に改造されましたが、その後昭和40年頃から奥羽線にEF64が投入されると長岡へ転属。22・23号機を除いてEF15に復元されています。とは言え、回生ブレーキと屋根上の水タンク、増設された電機笛の取り外し以外は正面扉上のつらら切りなど特徴ある福米EF16の外観は残されています。
この写真は2エンド側です。前面の通風口は最終的に1エンドが機関士側に6段、2エンドが機関士側、機関助士側に6段となっています。これは寒冷地対策を施された時に正面扉窓の固定化と共に設けられた物で、取付当初は8段ヒダだったはずですが、標識燈の埋込改造時に6段ヒダに再改造されたものと思われます。また、本機はデッキの変形機で、ステップ部分が前位に寄った特殊な形態です。(Nakanoさん曰く、旧EF58の物の改造ではないか…)EF15に復元後、昭和48年の全検出場まではデッキのステップが旧EF58登場時と同じ4段だったようなので、その可能性は高いかも知れません。
※福米形 車体断面低 変形デッキ エアフィルタ大 第1・第5側窓内寄り 正面扉横手すり 標識燈外寄り 前燈小 正面ナンバープレートやや左寄り
撮影:H.Nakanoさん 新前橋 1976.12.27 |
製造:S22.7.31
日立製作所 No.4612
使用開始:S22.8.27
EF16改造:S27.1.24
東京芝浦電気
復元:S42.9.20 大宮工場
廃車:S54.7.6
移動:
S22.8.15 水上
S22.9.3 長岡第二
S24.4.6 福島第二
S40.9.24 長岡第二
S53.10.3 1休指定
S54.6.29 2休指定
S54.7.6 廃車
最終走行:
S53.10 2,468,781km
記事:
●S24.1.18〜3.11 日立:整備改造1・パンタグラフPS14取替・寒冷地対策・砂箱増設・汽笛増設
●S25.3.29〜4.4 大宮臨修:レール撒水装置取付
●S26.12.4〜27.1.24 東芝:EF16改造
●S34.1.7〜1.20 大宮甲修:前燈整備・デフロスター取付・主電動機MT41→MT42に取替
●S42.8.10〜9.20 大宮甲修:EF15改造・屋根水槽取外
●S48.6.5〜6.18 大宮全検:昇降段改造 |
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こちらも同じく2エンド側です。1次形独特のモニタルーフの無い屋根上の形態が良く分かります。つらら切りは標準の小形の物と比べてさらに小さな形状です。1次形は落成当初つらら切りが無く後から付けた物や角張ったタイプを付けた物があり、バラエティに富んでいます。エアフィルタは大きなタイプ、第1・第5側窓は中央寄りです。標識燈は通風口を避けて標準機より若干外寄りに付いています。その為福米形EF15は皆、精悍な顔つきです。
撮影:ohnoさん 倉賀野―高崎 1977.10.30 |
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こちらは1エンド側です。機関士側(向かって右側)のみ通風口が確認できます。なお、日立製初期車(1次〜3次形)は正面ナンバープレート取付位置が標準位置と比べて左寄りかつ下側に取り付けらて落成しています。(日立製は全機総じてこの傾向があり)但しEF16から復元されたものについては取付位置が変更されたものが存在します。本機はやや左に寄って取り付けられています。ワイパーは機関士側WP50、助士側がKW3D。
撮影:ohnoさん 高崎―倉賀野 1977.10.30 |
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長岡運転所で休車中の1号機の2エンド側です。既にナンバープレートが外されていますが、デッキと前端バリとの結合部分やステップから前端バリへ伸びたステーの形状、独特の手すり形状など特徴ある変形デッキの様子が良く分かります。
撮影:ohnoさん 長岡運転所 1979.2.19 |
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同じく休車中の1号機の1エンド側です。先輪上の担いバネ補助コイル位置からデッキステップが前位側になっているのが確認できます。
撮影:ohnoさん 長岡運転所 1979.2.19 |
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現役時代の同機2エンドです。いかつい車体に比べ小振りなナンバープレートが随分と貧弱に見えます。デッキステップは前述の通り当初4段だったものがEF15復元後に3段に改造されています。4段時代と比較して、ステップ部分の長さはそのまま踏み段の段数のみ変更されています。
撮影:佐々木さん 新津 1977年? |
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同じく佐々木さん撮影の2エンド側です。全検後間もない時期の撮影でしょうか。ピカピカの車体が眩しいです。
撮影:佐々木さん 2460レ 柏崎 1977.7.3 |
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こちらは1エンド側。こちらのエンドの前面通風口は機関士側のみとなっています。運転席側窓の水切りは製造当初窓の下辺まで達しておらず、後に延長されています。水切りの途中から垂直になった部分が延長部。
撮影:佐々木さん 2460レ 柏崎 1977.7.3 |
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こちらも1エンド側です。前面通風口は先にも述べたとおり奥羽線配属に伴う寒冷地対策時に取り付けられましたが、その際、ヒダ式通風口を取り付けられた機は、どれも1エンドは機関士側、2エンドは機関士側・機関助士側となっています。両エンドでなぜ取付数に差があるのか、1次形から2次形の一部のEF15の謎です。
撮影:佐々木さん 新津 1977年? |
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こちらは2エンド側です。通風口は機関士側・機関助士側6段ヒダとなっています。
撮影:佐々木さん 新津 1977年? |
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k53takaさん撮影の、デッキステップが4段の貴重な姿です。EF15に復元されてほぼ2年後で蒸気機関車がブームになり始めた頃でしょうか。旧形電機としても新しく両数も多いEF15はその頃ファンからほとんど意識されていなかったのでしょう。当時の記録で公開されているものは非常に珍しいと言えます。
夏季なので不要な雪かき器が外されていますが、雪かき器と主台車枠を結ぶ取付腕はそのままです。
撮影:k53takaさん(新潟の蒸気機関車) 新津 1969.8.10 |
EF15 2〔長岡(転)〕 EF15
2→EF16 2→EF15 2 |
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日立製1次形としては標準的な形態となった2号機。落成当初はつらら切りも無く側窓4枚でPS13パンタの貧相な姿でした。ちなみに日立製1次形は全て車体断面が低くなっています。
この1エンド側は通風口が機関士側に6段ヒダの物となっています。エアフィルタは大きなタイプ、第1・第5側窓はエアフィルタの真ん中ぐらいの位置です。つらら切りは1号機と同じ小形で奥行きの浅い物です。
本機の1エンド側デッキは日立製ながら1次形川崎タイプになっています。同様に川崎製の21号機は1エンド側が日立タイプとなっています。新製直後の2号機の写真では両エンドとも日立製デッキですが、EF16時代(昭和37年)に撮られた姿は既に1エンドが川崎製デッキになっており、2号機と21号機が共に福島第二機関区に在籍した期間に何らかの理由で両機の1エンド側の台車がそっくり入れ替わった可能性が高いと思われます。デッキだけでは無い根拠として本機の1エンド側前端梁のブレーキ管の取り回しは川崎独自の形で、1エンド台車の砂箱もL側3個、R側2個が増設前の川崎独自の物となっています。なお、1次形デッキ形態の詳細についてはこちらへ。
「パンタがあがってないのが残念ですが、この時既に1休だったような気が・・。隣は63号機で、ずっと向こうには15がぞろぞろといますが、実はこの時クラの中にはEF6474[長岡]が待機していました。」(EF5853さん)
※福米形 正面扉上つらら切り右ずれ 車体断面低 エアフィルタ大 第1・第5側窓外寄り 正面扉横手すり 1エンド側川崎タイプデッキ・2エンド側日立タイプデッキ 標識燈外寄り 前燈小 正面ナンバープレート左寄り
撮影:EF5853さん 長岡運転所 1979.8.11 |
製造:S22.9.1
日立製作所 No.4613
使用開始:S22.9.1
EF16改造:S27.3.10*
東京芝浦電気
復元:S42.10.5 大宮工場
廃車:S55.2.2
移動:
S22.9.6 高崎第二
S24.4.20 福島第二
S40.10.3 長岡第二
S54.9.21 1休指定
S55.2.2 工車1126号により廃車
最終走行:
S54.9 2,500,833km
記事:
●S23.4.9〜6.30 日立:整備改造・寒冷地対策・砂箱増設・汽笛増設
●S25.7.8〜7.17 大宮丙修:レール撒水装置取付
●S27.3.11* 東芝:EF16改造
●S30.2.19〜2.26:避雷器箱鉄製に取替
●S34.2.5〜2.21 大宮甲修:ブレーキ装置EL6A→EL14ASに改造・前燈整備・デフロスター取付
●S35.10.26〜12.10 大宮臨修:標識燈埋込改造
●S42.8.28〜10.5 大宮全検:EF15改造・水槽取外
●S49.2.5〜2.14 大宮全検:昇降段改造・先輪軸受コロ式に改造
*履歴上はS27.3.11 |
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こちらは同機の2エンド側でちゃんと日立の1次形デッキとなっています。リンクでお世話になっています「北総レール倶楽部」の里見さんにご許可を頂き、氏のHPに掲載された画像より転載させていただきました。デッキのステップ部分の手すりの取り付け角度が両エンドで明らかに異なるのお分かり頂けると思います。また、砂箱の形状も手前の2エンドは同じ形状ですが、1エンド側は3つ川崎タイプの小さい物になっています。
撮影:里見純一さん(北総レール倶楽部) 長岡運転所 1977.8 |
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信越線を力走する2号機。こちらも2エンドです。こちら側の前面通風口は機関士側・助士側の両方に6段ヒダとなっています。雑多な貨車で組成された編成が魅力的です。この時点ではワイパーは機関士側・助士側共にKW3Dのままとなっています。
撮影:佐々木さん 越後石山付近 1977.5 |
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長岡運転所に憩う2号機。こちらは1エンド側です。1エンド側台車の砂箱のみ大小二種類ありますが、小さいタイプは川崎製1次形の特徴で、増設時に標準タイプの物が付けられた為です。ちなみにこのR側は2個が川崎タイプです。そこからも本機と21号機の1エンド台車がそっくり入れ替わっている証と言えましょう。
撮影:佐々木さん 長岡運転所 1978年? |
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こちらは2エンド側です。この2エンド側の通風口は機関士側・機関助士側6段ヒダとなっていますが、引っ掛け式標識燈時代は左右とも8段ヒダでした。おそらく1エンド側も機関士側8段ヒダだったと思われますが、標識燈埋込に際し6段に改造されたものと思われます。また、標識燈も通風口を避けて外寄りに取り付けられています。なお、同機の正面ナンバープレート取付位置は日立製初期車では標準笛な左寄りです。
撮影:佐々木さん 長岡運転所 1978年? |
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MT40さん撮影の全検終了後、回送を待つ2号機のピカピカの姿です。こちらは1エンド側。前面通風口は1号機の紹介でも述べたとおり、奥羽線配属に伴う寒冷地対策時に取り付けられました。その際、本機をはじめヒダ式通風口が取り付けられた物は、どれも1エンドは機関士側、2エンドは機関士側・機関助士側となっています。
撮影:MT40さん 大宮機関区 1978.1 |
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同じく全検終了後のピカピカの姿。こちらは2エンド側。 前面通風口が機関士側、助士側両方に付いています。
撮影:MT40さん 大宮機関区 1978.1 |
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珍しい一次形EF15の運転室内の写真です。様々な機器やメーター類が煩雑に並ぶ姿は、蒸機のキャブに近い印象です。
撮影:MT40さん 大宮機関区 1978.1 |
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上の写真の続きです。左が1エンドでこちらの面はL側になります。複雑な足周りと、味も素っ気もない箱形車体の組み合わせ。戦後間もなく、実用一点張りで作られた初期形EF15らしいスタイルです。
撮影:MT40さん 大宮機関区 1978.1 |
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同じく全検出場時の姿。近くで見ると足回りの一部が明るい色で塗装されている様です。軸箱付近の担いバネと軸箱を結ぶバネ台と軸箱の下を支える軸箱守控の2か所で、EF5861でも磨き出されているパーツです。
この1エンド側の台車の砂箱は川崎製21号機と入れ替わっている様で、
撮影:MT40さん 大宮機関区 1978.1 |
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陽光を受けて輝く車体ですが、寄る年波による疲れは隠せません。
撮影:MT40さん 大宮機関区 1978.1 |
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2エンド正面です。良く見ると正面扉上のつらら切りの取り付け位置が昇降段を避けて若干右寄りにずれています。これは福米形の中では同じく日立製の3、4、5のみに見られます。
車輪内部に納まった前端バリと、 先輪と第1動輪を斜めに結ぶ担いバネがEF15最大の特徴です。
撮影:MT40さん 大宮機関区 1978.1 |
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原形EF15の写真として有名な落成間もない2号機の公式写真です。こちらは1エンドL側です。国鉄による撮影なので、高崎第二区に配置直後でしょうか。PS13パンタグラフ、主抵抗器室屋根の通風口無し、機械室側窓は4枚で運転室直後の第1・第4側窓は固定式、運転室側窓の水切りは窓の下面まで達していません。砂箱はこれが原形の動軸の前位側のみ。手動式ワイパーの取付位置は窓上隅です。また、後年、川崎製21号機と入れ替わったと思われる1エンド台車は、デッキや砂箱の形状からこの時点では日立製なのが確認できます。
この後、、EF1523と同様に奥羽線転属を前に整備改造・寒冷地対策によりパンタグラフのPS14化と取付位置の移動、主抵抗器室屋根にガーランドベンチレータ、前面通風口、つらら切りの設置と手動式ワイパーの窓下隅への移設、車体中央に固定窓増設、第1・第4側窓の引き戸化、砂箱の増設、電気笛の設置などが行なわれています。
写真:日本国有鉄道 1947年 |
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タンカートレインを牽き高崎線を行くシーン。こちらは2エンド側です。タンク車も機関車次位のタキ9800に始まりタキ2100、タキ35000…と様々です。この場所もかつてはフキギョウと呼ばれる高崎線の有名撮影地でしたが、現在は大分様変わりしている様です。
撮影:加藤重義さん 下り貨物 吹上―行田 1979.1頃 |
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同じくフキギョウを行くシーンの続きです。冬の斜光を浴び、浮かび上がった旧形電機独特の足回りが美しいです。 エアタンクに書かれた全検の日付は53-1-9で、1年程経過した車体はまだまだ綺麗です。この2エンド側の台車は本機本来の物でデッキは日立の1次形タイプです。
撮影:加藤重義さん 下り貨物 吹上―行田 1979.1頃 |
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同じく続きでこちらは1エンド側です。こちら側の台車は川崎製の21号機の物と入れ替わっていると思われます。その為、デッキも日立製ながら川崎の1次形タイプです。また、砂箱もこちら側のみ増設前の川崎の小形タイプが
取り付けられているのがはっきり確認できます。増設前の砂箱は3つあったはずですが、このR側は右端の物が標準タイプに交換されています。タキの日本石油のコウモリマークも懐かしいですね。
撮影:加藤重義さん 下り貨物 吹上―行田 1979.1頃 |
EF15 3〔長岡(転)〕 EF15
3→EF16 3→EF15 3 |
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「日立製の福米通風口つきの15のなかにあって唯一汽笛カバーを残していた3号機。ライトは大形、ステーに乗って飛び出しているタイプ。デッキは日立製若番15に用いられたタイプ。雨に濡れてきれいに見えますが長岡の福米の中では一番汚くよれよれな印象がありちょっと気の毒な感じもしました。」(Nakanoさん)
こちらは1エンド側です。通風口は蓋付きの物が正面機関士側と運転席両側面の計6カ所に付いた福米タイプです。このタイプは昭和23年12月〜昭和24年2月にかけて寒冷地対策を施されたものに対して取り付けられたようです。エアフィルタは初期の大きなタイプ、第1・第5側窓は中央寄りです。つらら切りはやはり小形です。正面ナンバープレート取付位置は2号機同様左に寄っています。また、標識燈は福米タイプ通風口を避けてやや外側に付いています。
履歴上で注目すべきは昭和33年の自動窓拭器取付の項目でしょうか。これは1次・2次形では製造当初、窓の下辺隅に手動式ワイパーを取り付けていましたが、それを撤去し(一部例外あり)窓上辺に空気作用式ワイパーを取り付けたものです。
※福米形 正面扉上つらら切り右ずれ 車体断面低 福米形通風口 エアフィルタ大 第1・第5側窓内寄り 正面扉横手すり 前燈大 標識燈外寄り 正面ナンバープレート左寄り
撮影:H.Nakanoさん 石打 1976.8.16 |
製造:S22.9.15
日立製作所 No.4614
使用開始:S22.10.3
EF16改造:S27.3.29
東京芝浦電気
復元:S42.7.18 大宮工場
廃車:S54.3.18
移動:
S22.9.25 長岡第二
S24.3.18 福島第二
S40.8.22 長岡第二
S53.10.2 1休指定
S53.11.1 2休指定
S54.3.18 廃車
最終走行:
S53.9 2,491,153km
記事:
●S23.10.28〜24.1.14 日立:整備改造・パンタグラフPS14に取替・寒冷地対策・砂箱増設
●S25.3.12〜3.19 大宮:レール撒水装置取付
●S27.3.29 東芝:EF16改造
●S29.7.27〜8.3 大宮甲修:レール撒水装置改造・避雷器箱鉄製に取替
●S33.6.28〜7.8 大宮甲修:自動窓拭器取付・デフロスター取付
●S36.3.1〜4.12 大宮臨修:ブレーキ装置EL6A→EL14ASに改造・前燈整備
●S46.10.4〜10.6 長野臨検:電気式速度計取付
●S47.12.28〜48.1.13 大宮全検:避雷器LA15に取替・昇降段改造 |
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同じく1エンドですがこちらはR側です。こちら側のデッキステップ手すりの角度が前位と後位で異なっているのがお分かり頂けると思いますが、これはデッキステップ手すりの後位側が川崎1次形デッキと同一タイプになっているからと思われます。川崎製の23号機(EF1612)の同部分が日立1次形タイプとなっていることから、おそらく両機のこの部分が入れ替わっているものと思われます。
撮影:佐々木さん 長岡 1977.3.1 |
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1960年代終わりの姿で同じく1エンド側です。側面に組合のスローガンが書かれた跡が時代を感じさせます。
前面窓はHゴム化されていますがワイパーは機関士側、助士側共にKW3Dです。興味深いのは屋根上の汽笛の設置位置。何と通常は正面向かって右側に付いている物が左側に付いています。福米EF16は電気笛を増設していましたが、その際元の空気笛を機関助士側に、電気笛を機関士側に設置していました。
EF15復元に際し屋根上の水タンクの撤去と同時にそれらも元の状態に戻されたと思っていたのですが、この写真のとおり電気笛を撤去しただけの状態もあった事が分かります。過渡的な姿とは思いますが、こんな形態の時期もあったんですね。つくづくEF15一次形は奥が深いです。
また、夏季なので雪かき器が外されていますが、雪かき器と主台車枠を結ぶ取付腕はそのままになっています。
撮影:k53takaさん(新潟の蒸気機関車) 新津 1969.6.4 |
EF15 4〔八王子〕 EF15
4→EF16 4→EF15 4 |
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こちらも福米形の4号機です。前灯及び正面扉上のつらら切りはそのままですが、スノウプラウ、汽笛カバー、デフロスタは外されています。なお、同機は福島第二機関区配置時の昭和24年10月、EF16改造前に当時の皇太后陛下(貞明皇后)の東北地方ご旅行に際し、各部を磨きだした美しい姿で3号編成による御乗用列車を牽引しています。また、同機の正面ナンバープレート取付位置はご覧の通り左寄りです。
「なんか変な形に見えますが・・。同機は検査切れの日付を間違えたとかで、八王子に逆戻りし、重連5472レの頭にも入る等、話題をまいて生涯を閉じました。」(EF5853さん)
※福米形 正面扉上つらら切り右ずれ 車体断面低 福米形通風口 エアフィルタ小 第1・第5側窓中央 正面扉横手すり 前燈取付位置原形 前燈小 標識燈外寄り 正面ナンバープレート左寄り 御乗用列車牽引機
撮影:EF5853さん 1690レ 沼久保付近 1978.7.15 |
製造:S22.12.15
日立製作所 No.4615
使用開始:S23.1.12
EF16改造:S26.12.21
東京芝浦電気
復元:S43.5.31* 大宮工場
廃車:S55.6.6
移動:
S22.12.17 長岡第二
S24.4.5 福島第二
S40.8.18 長岡第二
S46.3.20 新鶴見
S52.7.27 甲府
S54.1.8 八王子
S55.6.6 工車164号により廃車
記事:
●S23.12〜24.2.23 日立:整備改造・パンタグラフPS14に取替・寒冷地対策・砂箱増設・汽笛増設
●S25.4.14〜4.25 大宮臨修:レール撒水装置取付
●S26.10.26〜12.21 東芝:EF16改造
●S34.6.22〜8.14 大宮甲修:自動窓拭器取付・避雷器箱鉄製に取替・ブレーキ装置EL6A→EL14ASに改造・標識燈埋込改造
●S41.9.1〜9.14 大宮甲修:先輪軸受コロ式に改造
●S43.3.18〜5.1* 大宮:EF15改造
*履歴上はS43.5.1(どちらかが間違いかも) |
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通風口は3号機と同じく蓋付きの福米タイプが正面機関士側と側面運転席脇に付いたタイプです。エアフィルタは日立製では本機から小さなタイプに変更されています。第1・第5側窓は中央寄り、つらら切りは小形ですね。
「何の用事で、新宿まで出かけたのかは、覚えていませんが、カメラだけはしっかりと持っていたんですねー。短時間のうちに、197,198、そしてこの4号機と、3機も撮れてとってもハッピーでした。」(遊写さん)
撮影:遊写さん 新宿 1979.4.29 |
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中央線で最後の活躍をする4号機。標識燈はやはりやや外側に付いています。また、昭和40年代に長岡区に配置されたEF15に対しては、正面扉右横に手すりが増設されています。
「国分寺で停車中の4号機を見つけ、高円寺へ先回り。」(川崎大輔さん)
撮影:川崎大輔さん 高円寺 1979 |
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これは「1次形の屋根上が分かる写真」と言う私のリクエストに応えてお送り頂いた写真で新鶴見区時代です。こちらは1エンド側です。標準タイプとはモニタの有無だけでなく、屋根上の機器室の点検蓋の数が少なく、位置や形状も異なっています。ちなみに原形のPS13パンタは2個ある点検蓋上にそれぞれ設置されており、PS14パンタの設置位置が移動しているのが確認できます。また、屋根上にかつて取り付けられていた散水装置と汽笛カバーの設置跡も見受けられます。本機の前燈の取付方法は原形のLP42と同じです。
前面窓のつらら切りが外を向いているのも分かります。
撮影:タケチャンマンさん 新鶴見機関区 1973年頃 |
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「EF154は寿命も長かったため、見る機会の多かった機関車です。最後に見たのは大学時代で、鉄研の仲間と学校近くの飯田町に留置してある姿を撮りに行ったときです。ぼろぼろになった姿は、何か見ちゃいけないものを見た気がしました。」(ohnoさん)
撮影:ohnoさん 鶴見 1977.3.15 |
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BINさん撮影の新鶴見時代の4号機で撮影場所は高島貨物線・入江駅付近の海岸通踏切です。こちらは2エンド。ワイパーは左右ともKW3D、前燈取付方法は原形のLP42と同様です。使用しない砂箱の蓋の留金が白く塗られています。
暖地向け仕様の福米形では日立製の4、5、7がほぼ同じ形態で、差異は前燈の取付方法ぐらいです。 本機のデッキステップ手すりの車体側の取付部には補強の帯板が水かき状に設けられています。これは日立製一次形デッキ搭載機の一部に見受けられます。
撮影:BINさん 279レ 入江 1977.1.19 |
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同じ時に撮影の1エンド側運転室部分です。真横に近いアングルで長岡区のEF15(EF16)に設置された前面扉の右側の手すりが意外と大きく張り出しているのが確認できます。また、前燈のつらら切りも前燈本体と同じくらいの長さがあるのも分かります。車体とデッキ間の渡り板の上面は横から見ると丸く弧を描いた形状です。これは日立製一次形の特徴です。その側面には後付された耳状のカバーが確認できます。ブレーキシリンダー部分の検査標記はS51.6.14。
撮影:BINさん 279レ 入江 1977.1.19 |
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新鶴見区から甲府区へ都落ち。そのまま身延の山中が終焉の地となるかと思いきや、八王子区に奇跡のカムバック。再び首都圏で活躍する4号機が東海道貨物線を行く。
同機は結局そのまま八王子区で廃車となりました。 こちらは1エンド側です。 少々分かりにくいですが本機も正面扉上のつらら切りの取付位置が昇降段を避けて若干右にずれています。
撮影:BINさん 5462レ 品川―鶴見 1979..2.4 |
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同じく1エンド側です。福米形の前面窓のつらら切りは後の日立製の物と同じく前面折り妻の後退角に合わせて同じ長さのまま外を向いています。(意味分かりますかね?)
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん 新鶴見機関区 1976.3.28 |
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立川駅南武線ホームから見た懐かしい光景です。この辺りにはいつもED16やEF15などが昼寝していましたね。ちなみに1エンド側です。
「立川機関区からの帰り、立川駅での中央線への乗り換え時に撮影しました。ちょっと遠いのですが、今となっては懐かしい鉄道構造物が背景に一緒に映り込んでいて撮影しておいて良かったなあと思っています。」(針葉樹林鉄道研究会の杉さん)
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん 立川 1976.8.17 |
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新鶴見区の架線の無い所に区名札を外され留置中の姿ですが、この3日後の7月27日に甲府区への転属を控えてのものでしょう。こちらは1エンド側です。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん 新鶴見機関区 1977.7.24 |
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上の写真と同じ日に撮られた2エンド側の正面です。こちら側の前面扉のつらら切りも1エンドと同様に昇降段を避けて右にずれているのが確認できます。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん 新鶴見機関区 1977.7.24 |
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新鶴見区時代の姿でこちらは2エンド側です。東海道線・函南〜三島を行く福米形EF15の姿には少々違和感を感じますが、新鶴見のEF15なので定期的に走っていたので当たり前ではあります。しかしながら有名撮影地なのになぜかこの区間を行くEF15の写真はほとんど(と言うか全く)見た事ありません。
山間を行く姿は奥羽線EF16時代の雪かき器を外した夏季の姿を彷彿させます。
撮影:BINさん 下り貨物 函南―三島 1974年 |
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中央線で最後の活躍をする姿でこちらは1エンド側です。望遠で正面勝ちに見ると日立1次形デッキの独特の形状が際立ちます。
撮影:加藤重義さん 5462レ? 西国分寺 1979.3.6 |
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上写真と同じ列車で新鶴見操車場の機関区脇を通過する姿です。LP402前燈の取付位置が原形のLP42と同じで前部標識燈掛がありません。基本的に福米形でLP402の取付方法がステー式になった物以外は、EF157とEF1612を除き標識燈掛は未設置となっています。
撮影:加藤重義さん 5462レ? 品川―鶴見 1979.3.6
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上写真の続きでこの写真では見えませんが左に新鶴見機関区があります。右側のホームは開業前の横須賀線新川崎駅で、ここを横須賀線が走るのはこの年の10月からです。
撮影地は現在の新川崎駅前の鹿島田跨線橋からと思われます。左上の詰所は今も残っていますが、線路配置は大分変化しておりこの列車が走る線路は今はありません。
撮影:加藤重義さん 5462レ? 品川―鶴見 1979.3.6
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EF15 5〔甲府〕 EF15
5→EF16 5→EF15 5 |
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6348レさん撮影の5号機で履歴上は新鶴見区時代のはずですが、区名札は「立」です。もしかしたら新鶴見区時代に立川区に貸し出されたのかも知れません。通風口は3号機と同じく、蓋付きの福米形が正面機関士側と側面運転席脇に付いたタイプです。こちらは2エンド側。
※福米形 車体断面低 福米形通風口 エアフィルタ小 第1・第5側窓中央 正面扉横手すり 前燈大 標識燈外寄り 正面ナンバープレート左寄り
撮影:6348レさん 浜川崎 1977.7.22? |
製造:S22.12.24
日立製作所 No.4616
使用開始:S23.1.23
EF16改造:S26.6.28*
東京芝浦電気
復元:S42.12.27 大宮工場
廃車:S55.1.17
移動:
S22.12.24 高崎第二
S24.4.5 福島第二
S40.8.26 長岡第二
S45.3.21 新鶴見
S53.1.11 甲府
S55.1.17 工車1052号により廃車
記事:
●S23.11.25〜24.2.5 日立:EF15整備改造・寒冷地対策・砂箱増設・汽笛増設・パンタグラフPS14に取替
●S25.5.19〜5.29 大宮臨修:レール撒水装置取付
●S26.3.31〜6.29* 東芝:EF16改造
●S34.5.29〜7.13 大宮甲修:デフロスター取付・標識燈埋込改造
*履歴上はS26.6.29 |
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こちらは身延線を行く5号機です。首都圏にいたEF15の若番機は身延線のEF10を淘汰するために甲府へ転属しましたが、その後、同じEF15の後期形にその場を追われています。同機の正面ナンバープレート取付位置も左寄りです。
撮影:EF5853さん 685レ 沼久保 1978.7.15 |
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こちらはまっつんさん撮影の甲府機関区に休む5号機でこちらは1エンド側です。4号機同様スノウプロウ、汽笛カバー、デフロスタは外されています。エアフィルタは小さなタイプ、第1・第5側窓は中央寄りです。つらら切りは小形で標識燈はやはり外寄りです。
撮影:まっつんさん 甲府機関区 撮影年月日不明 |
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同じくまっつんさん撮影の5号機正面。つらら切りの付いたいかつい車体と雪かき器の無い足周りとのアンバランスが何とも言えませんね。
撮影:まっつんさん 甲府機関区 撮影年月日不明 |
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根岸線を行く5号機。いかつい福米タイプのつらら切りスタイルにスノウプロウの無い足回りが何ともアンバランス。でも、なかなかいい味出してますね。
撮影:ohnoさん 関内 1977.6.22 |
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BINさん撮影の貴重なカラーの5号機で1エンド側です。新鶴見時代ですが区名札が挿さってません。ワイパーは左右ともKW3Dです。使用しない砂箱の蓋の留金が白く塗られています。
暖地向け仕様の福米形では4、5、7がほぼ同じ形態で、差異は前燈の取付方法ぐらいです。ちなみに本機のみ前燈取付方法がLP402用のステー式です。
撮影:BINさん 279レ 入江 1977.6 |
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同じくBINさん撮影の白黒です。上のカラーと同じ1エンド側ですが、4か月ほど経っているにも関わらず、相変わらず区名札は挿さってません。
撮影:BINさん 279レ 入江 1977.10.21 |
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その前頭部。良く見るとエンドプレートも付いておらず、少々哀れな姿です。なお、ブレーキシリンダーの検査標記は49.1.22 OMです。
撮影:BINさん 279レ 入江 1977.10.21 |
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1エンド側正面です。 本機も正面扉上のつらら切りの取り付け位置が昇降段を避けて若干右寄りにずれています。また、正面扉のドアノブ脇に同じ新鶴見区のEF13にも見られる矢印がペイントされています。
撮影:BINさん 279レ 入江 1977.10.7 |
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同じく1エンド前頭部。福米タイプの蓋付き通風口の前面側が開いています。上の同じくBINさん撮影の写真と同じ1977年6月撮影ですが、ここでは「新」の区名札が挿さっています。
デッキ上の渡り板側面に後付された耳部分が良く見えます。また、日立製1次形に見られるデッキ手すり取付部の補強も確認できます。
撮影:BINさん 279レ 入江 1977.6.14 |
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こちらは2エンド側です。こちらエンドの前面扉のドアノブにも矢印らしきペイントが見受けられます。このアングルだと前面扉のつらら切りのズレはちょっと分かりにくいですね。
撮影:BINさん 279レ 入江 1977.6.30 |
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こちらは1エンド側です。この撮影時には1エンド側にも区名札が挿さっています。くたびれた車体の印象が強い日立製の一次形ですが、本機は比較的綺麗な状態を保っています。それでも波打った外板は時代を感じさせます。
撮影:BINさん 279レ 入江 1977.6.2 |
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L側のナンバープレートと製造、及び改造銘板。ナンバープレート取付位置が若干左にずれていますね。
撮影:BINさん 279レ 入江 1977.6.2 |
EF15 6〔長岡(転)〕 EF15
6→EF16 6→EF15 6 |
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日立製にもかかわらず三菱タイプのデッキを付けた変わり種です。
「砂箱が増設される前(福米に行く前)の新製後比較的早い時期に、EF1625(EF1527)の台車と6号の台車とが、何かの理由でそっくり交換されたのでは?昭和23年製のためか長岡の福米ではキャブの歪みも少ないほうでした。」(Nakanoさん)
本機のデッキ形状は数ある三菱1次形タイプの中で、EF1528(EF1626)とほぼ同じタイプとなっており、本来27号機の物だった可能性は高いと思われます。どりこのさん所蔵のEF16改造から間もない頃の本機の写真を見ても、既に足回りは三菱製になっているので、Nakanoさんの説のとおり長岡第二時代に入れ替わった可能性が高そうです。
エアフィルタは小さなタイプ、第1・第5側窓は中央寄りで、つらら切りは小形です。通風口は2号機と同じく機関士側に6段ヒダの物が付いています。昭和29年に撮られた引っ掛け式標識燈時代の同機の1エンド側には左右8段ひだの物が付いており、おそらく標識燈埋込改造時に段数を変更したものと思われます。また、前燈の取付台座は原形のLP42のものがそのまま使われています。
※福米形 車体断面低 エアフィルタ小 第1・第5側窓中央 正面扉横手すり 前燈取付位置原形 前燈小 1次形三菱タイプのデッキ 標識燈外寄り 正面ナンバープレートやや左寄り 御召し牽引機
撮影:H.Nakanoさん 長岡運転所 1974.12.27 |
製造:S23.1.31
日立製作所 No.4617
使用開始:S23.2.13
EF16改造:S26.7.26*
東京芝浦電気
復元:S42.12.8 大宮工場
廃車:S54.3.18**
移動:
S23.2.5 長岡第二
S24.3.13 福島第二
S40.9.11 長岡第二
S53.10.4 1休指定
S53.11.1 2休指定
S54.3.10** 廃車
最終走行:
S53.10 2,378,639km
記事:
●S23.12.24〜24.3.6 日立:整備改造・パンタグラフPS14に取替・寒冷地対策・砂箱増設・汽笛増設
●S25.6.27〜7.5 大宮丙修:レール撒水装置取付
●S26.6.9〜7.5* 東芝:EF16改造
●S31.1.16〜1.23 大宮甲修:レール撒水装置改造
●S33.5.30:主電動機MT41→MT42に取替
●S34.12.10〜35.2.2 大宮甲修:自動窓拭器取付・標識燈埋込改造・前燈整備・避雷器箱鉄製に取替・ブレーキ装置EL6A→EL14ASに改造
●S41.12.10〜12.24 大宮甲修:先輪軸受コロ式に改造・水槽取外
●S42.12.8 大宮臨検:EF15改造・前窓Hゴム改造
●S45.10.22〜11.4 大宮全検:避雷器LA15取替
●S46.11.8〜11.10 長野臨検:電気式速度計取付
●S49.10.11〜10.22 大宮臨検:昇降段改造
●S52.2.25〜3.8 大宮要検:避雷器LA16に取替(試験)
*履歴簿上はS26.7.5
**履歴簿上はS54.3.10
これら2点は資料によって食い違いあり |
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こちらも2エンド側です。本機の履歴には各種改造記録が多数記されてあり、他の福米形EF15も同様と思われ興味深いです。その中にある昭和49年の昇降段改造とは、デッキのステップ部分を新形電機に見られるスノコ状にしたものです。この改造は上越地区のEF15、EF16に対して大宮工場で行われたもので、降雪・降雨時の安全性向上の為と思われます。(竜華区のEF15に対してもデッキステップの最下段のみスノコ状に取り替える改造が鷹取工場にて晩年行われています。)
撮影:佐々木さん 長岡運転所 1978年? |
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こちらも同じく2エンド。日立製ながら三菱製1次形デッキとなっているのが確認できます。なお、本機はEF16時代の昭和35年5月、山形植樹祭における御召し列車で福島―米沢間の牽引を担当。暖房車ホヌ301を従えて旧1号編成を牽いています。これがEF15一族で御召し列車を牽引した唯一の例になります。
なお、御乗用列車の牽引は昭和24年にEF154が担当しています。
撮影:佐々木さん 長岡運転所 1978年? |
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こちらは1エンド側です。この1エンドもやはり三菱製1次形デッキとなっています。また、通風口が機関士側、助士側双方に付いているのがお分かり頂けるかと思います。
他の福米改造機でヒダ式通風口の物は反対に1エンドが機関士側のみ、2エンドが機関士側と助士側に付いており、当時の通風口の取付改造の基準がどうなっていたのかはなはだ不思議です。
ちなみに設計変更で最初から通風口を取り付けて落成した二次形の10,11号機では、本機と同じく1エンド機関士側と助士側、2エンドが機関士側のみとなっています。
撮影:トリトンさん 長岡運転所 撮影年月日不明 |
EF15 7〔甲府〕 EF15
7→EF16 7→EF15 7 |
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「旧型電気機関車の宝庫」のKANTERAさんにご無理を言って鮮明な画像をお送り頂きました。新鶴見区時代、甲府へ転属する直前の7号機の姿です。同機は甲府転属後1年で廃車になっているので、甲府転属後の活躍期間はほとんど無かったと思われます。こちらは1エンド側。
※福米形 車体断面低 エアフィルタ小 第1・第5側窓中央 正面扉横手すり 前燈取付位置原形 前燈小 福米形通風口 標識燈外寄り
撮影:KANTERAさん(旧型電気機関車の宝庫) 立川 1977.11 |
製造:S23.2.25
日立製作所 No.4618
使用開始:S23.3.4
EF16改造:S26.10.20
東京芝浦電気
復元:S43.3.22 大宮工場
廃車:S53.12.5
移動:
S23.2.27 国府津
S24.3.14 福島第二
S40.9.30 長岡第二
S46.3.14 新鶴見
S52.12.9 甲府
S53.12.5 工車1168号により廃車
記事:
●S23.10.7〜12.27 日立:EF15整備改造・寒冷地対策・砂箱増設・汽笛増設
●S25.4.5〜4.11 大宮臨修:レール撒水装置取付
●S26.9.4〜10.20 東芝:EF16改造
●S34.10.31〜12.16 大宮甲修:自動窓拭器取付・前燈整備・避雷器箱鉄製に取替・ブレーキ装置EL6A→EL14ASに改造
●S41.12.15〜12.27 大宮甲修:レール撒水装置取外
●S43.2.12〜3.22 大宮:EF15改造 |
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こちらは2エンド側です。前燈の取付方法は原形のLP42と同じタイプです。
撮影:KANTERAさん(旧型電気機関車の宝庫) 立川 1977.11 |
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こちらも新鶴見区時代の姿です。1次形にはもともと屋根上にモニタがありませんでしたが、前述の通り福米用全機と上越用一部についてはその部分にレール散水装置が取り付けられました。その後、福米EF16は昭和41年〜42年にかけて取り外され再びフラットな屋根に戻っています。この写真が撮られた時点では避雷器(おそらくLA15)にはカバーが付けられていません。
撮影:タケチャンマンさん 田端操車場 1971年頃 |
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リンクでもお世話になってます椎野吾一さん撮影の7号機で2エンド側です。これも新鶴見区時代でやはり避雷器カバーは未取付の模様です。
国鉄時代の新鶴見の機関車は何故か汚れがひどかった印象がありますが、この7号機も艶が全くないですね。(^^;)
撮影:椎野吾一さん(椎野吾一の鉄道博物館) 蕨付近 1973.3.28 |
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BINさん撮影の7号機で2エンド側です。5号機とほぼ同じ形態の本機ですが、本機の前燈の取付方法は原形のLP42と同じ形態です。ワイパーは左右ともWP35でしょうか。日立の福米形は川崎の物と比べて外板の痛みが激しい印象です。また、BINさんが同地点で撮影した同じ福米形21号機の写真と比べると日立製と川崎製の一次形の違いが良く分かります。
撮影:BINさん 279レ 入江 1977.11.8 |
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同じくBINさん撮影の7号機2エンド側前燈部です。前面扉のつらら切りの上部に前部標識燈掛が取り付けられていますが、基本的に福米形でLP402の取付方法が原形位置の物では、本機とEF1612を除き標識燈掛はありません。バネ吊りリンクの支点部が赤く塗られています。本機のデッキ手すり取付部も水かき状の補強が施されていますが、両エンド共手すりの後位側だけでなく前位側にも施工されています。
撮影:BINさん 279レ 入江 1977.11.8 |
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同じくBINさん撮影の7号機2エンド側先頭のサイドビューです。こちらのサイドはR側になります。こうして横から見るとずんぐりとした印象のEF15でも、特に低い車体の物はスマートに見えます。以前「鉄道ファン」誌の「省形電機出生の記録」で低い車体のEF15(EF13、EF16)は屋根上の抵抗器室カバーがその分100mm高くなっていると記載された事がありましたが、この写真を見てもそんな事実は無い事が分かります。
撮影:BINさん 279レ 入江 1977.11.8 |
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同じくBINさん撮影の7号機。2軸の貨車を主体にした編成の先頭に立つEF15の姿は、やはり良く似合います。雪深い峠から里に下ったとはいえ、福米EF15の武骨な姿は格好良いですね。。
撮影:BINさん 279レ 入江 1977.11.21 |
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同じくBINさん撮影の7号機。上のカラーと同じく2エンド側です。 日立製一次形は全機福米形となっていますが、同じ福米形でも川崎製に比べて外板の痛みが激しい印象です。
撮影:BINさん 279レ 入江 1977.11.21 |
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雑多な貨車を牽き品鶴線を行く。後方は多摩川橋梁。こちらは1エンド側です。正面から見ると車体の低さが強調されます。 こちらのエンドのデッキ手すり取付部も水かき状の補強が手すりの車体側だけでなく前位側にも施工されているのが確認できます。
撮影:BINさん 3594レ 蛇窪(信)―新鶴見(操) 1975.7 |
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どりこのさん所蔵の昭和26年3月配布の福島高校卒業アルバムに貼ってあったというEF16改造前、それもレール散水装置の取付前の貴重な姿です。
どちらのエンドか分かりませんが、引っ掛け式標識燈に原形窓、前燈は原形のLP42、ワイパーはこれも原形の手動式、避雷器はLA12が右側の電気笛の後方に設置されています。EF16改造前なので前端バリに重連用ジャンパ栓受はありません。デッキ手すり取付部には水かき状の補強が既に確認できます。引っ掛け式標識燈のEF15は恰好良いですね!個人的には大好きです。この段階で既に前面扉のつらら切りに前部標識燈掛が設置されています。
撮影日、撮影地は不明ですが本機が福島第二区に配置された1949年3月から1950年4月のレール散水装置取付までの間に撮られた事は確かです。雪かき器が取り付けられていないので、1949年の春から秋にかけてでしょうか。撮影地は背景の山容から福島駅、それも青森方を向いて撮られたものと思われます。
なお、奥羽線福島・米沢間電化記念として昭和24年(1949年)4月に東北産業新聞社が発行した「福島・山形県 温泉案内」と言う冊子にこの写真が掲載されており、その印刷日が昭和24年4月15日なので撮影日は1949年3月〜4月になりますね。
ホーム上の案内標記ははっきり読めませんが、手前の物には連合軍配下の鉄道司令部R.T.Oの文字が見られ、戦後間もない世情を感じさせます。
撮影者不詳 写真所蔵:どりこのさん(どりこのさんのTwitter) 福島 1949年3月〜4月 |
EF15 8〔甲府〕 EF15
8→EF16 8→EF15 8 |
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身延線を行く8号機。本機の蓋付き通風口は他の物に比べてかなり右に寄っている為かそれを避けて標識燈が10号機ほどではありませんが、かなり低目かつ外寄りに付けられており独特の顔つきです。本機も汽笛カバー、雪かき器、デフロスタが外されています。エアフィルタは小さなタイプで、第1・第5側窓は外寄りです。つらら切りは福米タイプの小さなもの。また、同機の正面ナンバープレート取付位置は日立製にしては珍しくほぼ前面窓下の標準的な位置です。おそらくEF16から再改造された際に標準的な位置に取り付けられたものと推察されます。なお、本機の福米形通風口の取付位置は他機と比べて外寄りになっています。
※福米形 車体断面低 エアフィルタ小 第1・第5側窓外寄り 福米形通風口 標識燈外寄り 前燈小
撮影:EF5853さん 673レ 沼久保―西富士宮 1978.7.15 |
製造:S23.3.27
日立製作所 No.4619
使用開始:S23.4.13
EF16改造:S27.2.22*
東京芝浦電気
復元:S42.8
大宮工場
廃車:S54.3.30
移動:
S23.4.3 高崎第二
S24.3.14 福島第二
S40.9.13 長岡第二
S46.3.3 新鶴見
S52.11.30 甲府
S54.3.30 廃車
記事:
●S23.12.7〜24.2.12 日立:EF15整備改造・寒冷地対策・砂箱増設・汽笛増設・パンタグラフPS14に取替
●S25.2.6〜2.17 大宮丙修:レール撒水装置取付
●S27.1.7〜2.23* 東芝:EF16改造
●S31.2.2〜2.9 大宮甲修:避雷器箱鉄製に取替
●S35.2.6〜3.22 大宮甲修:自動窓拭器取付・前燈整備・ブレーキ装置EL6A→EL14ASに改造
●S42.1.7〜1.24 大宮甲修:レール撒水装置取外・先輪軸受コロ式に改造
*履歴上はS27.2.23 |
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2エンド側です。本機の第1・第5側窓は日立のエアフィルタの小さい車体では唯一外寄りとなっています。荒れた外板が福米時代の過酷さを彷彿させます。
「ごらんのとおり1休車中(注:写真を良く見ると二休のようです)の姿でパンタが下がっているのが残念です。当日は当然のことながら福米形を求めて出掛けて行ったのですが出会えたのはもう一両EF1521だけで他は高崎から転入した車でした。」(N.Inageさん)
撮影:N.Inageさん 甲府機関区 1978.10 |
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4号機の写真と同じくリクエストに応えてお送り頂いた写真です。4号機とは異なり同機の屋根上には散水装置の取り付け台座の跡は見られず屋根中央部はすっきりとしています。こちらも2エンド側。
ワイパーはKW3Dです。
撮影:タケチャンマンさん 田端操車場 1975年頃 |
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7号機と同様、ご無理を言ってKANTERAさんのホームページより転載させて頂きました。同機の1エンド側です。
撮影:KANTERAさん(旧型電気機関車の宝庫) 新宿 1977年 |
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k53takaさん撮影の1960年代終わりの貴重な姿。3号機の同時期の写真と同じく前面窓はHゴム支持でワイパーは機関士側、助士側共にKW3D、汽笛は電機笛は取り外されていますが空気笛の位置は助士席側のままで本来の機関士側になっていません。
EF15に復元された福米EF16については他にも同様の形態があったと思われますが、こればかりは実際の写真で検証するしかありません。この時期の写真が色々と出てくると良いのですが…。
撮影:k53takaさん(新潟の蒸気機関車) 新津 1969.8.14 |
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BINさん撮影の新鶴見時代の姿で1エンド側です。ワイパーは機関士側WP50、助士側WP35で、前燈取付方法はステー式です。 日立製の一次形でエアフィルタの小さいタイプでは本機のみ第1・第5側窓の位置が外寄りです。
撮影:BINさん 279レ 入江 1977.5.21 |
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L側の側面ナンバープレートと製造銘板・改造銘板です。日立と東芝の銘板が仲良く並んでいますが、これこそかつてEF16に改造されていた証。福米EF16の改造は製造メーカーに関わらず全て東芝で施工されています。激しく荒れた外板に戦後の混乱期に生まれ風雪を耐えた歴史を感じます。側窓は中央が固定式で左右の開閉式の窓も製造当初は固定式でした。窓枠の形が異なりますが右側が改造当初の形態です。
撮影:BINさん 279レ 入江 1977.5.21 |
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つらら切りが独特な福米形のプロフィール。同じくBINさん撮影で上の写真と同じ日の撮影かと思いきや、わずか5日後の撮影です。
外板が昭和23年製にしてはベコベコです。日立製の一次形は福米での酷使の為か総じて痛みが激しい印象です。サイドから見ると前燈のつらら切りもかなり飛び出ている事が分かります。厳つい車体上面に比べ雪かき器の無い足周りがアンバランスです。 日立製一次形独特のデッキ上の渡り板上面の丸くなった形にもご注目。
撮影:BINさん 279レ 入江 1977.5.26 |
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同じくBINさん撮影のお馴染みのアングルでやはり新鶴見時代です。こちらは2エンド側です。初期のEF15(3次形まで?)について運転席も含めた可動式の側窓は木製で、四辺にRが付いた物、Rが無く縁取りが大きい物と様々な形が見られます。本来は窓サイズに合った四辺にRが付いた物だったと思いますが、おそらく配置区などで修理する際に工作が容易な形になったのではないかと想像します。(実用上は問題ないですし…。)ちなみに、EF58の35、36号機の側窓も同様と思われます。
撮影:BINさん 279レ 入江 1977.1.25 |
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同じく2エンド側の運転席周りのアップ。 本機に限らず福米形の2エンドR(3位)側のデッキ側面下部にはご覧の様にかなり大きな欠き取りが見られます。ここはかつて重連用のジャンパ栓受けがあった側の側面なので、その配線がらみかも知れません。しかし、1エンドのR(1位)側には見られないので実際のところは今となっては分かりません。
こちらのエンドのデッキ手すり取付部には1エンド側には見られなかった水かき状の補強が見受けられます。
撮影:BINさん 279レ 入江 1977.1.25 |
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R側の側面ナンバープレートと製造銘板・改造銘板です。車体上部の増設された雨樋に継ぎ目が見られますが、同じ長さの物を溶接で継いだ構造なのが見て取れます。L側と異なり開閉式の側窓の窓枠は左右とも四角い単純な形になっています。
撮影:BINさん 279レ 入江 1977.1.25 |
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新鶴見時代ですが区名札が見当たりませんが新鶴見のカマでは割と多い印象です。こちらは1エンドL側です。 この写真でこのL側の砂箱の第1台車の第2軸・第3軸と第2台車の第3軸の未使用側が取り外されているのに今更気付きました。(^_^;) 改めて反対のR側も見ると同様に取り外されています。この時点ではワイパーは機関士側・助士側共にKW3Dです。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん 新鶴見機関区 1976.8.17 |
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同じく新鶴見区でお休み中の同機の1エンド正面です。日立製一次形タイプのデッキは、デッキステップ手すりの角度で他の一次形デッキや標準のデッキと比べて正面から見ると四角っぽい印象です。また、デッキステップの鋼板の幅も他と比べ広くがっしりしています。
本機の特徴でもある福米形通風口の取付位置が運転席窓のほぼ真下になっているのが見て取れます。前面扉の外板の荒れ具合が何とも言えません。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん 新鶴見機関区 1976.8.17 |
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こちらは2エンド側です。デッキ側面の欠き取りはこのR側にはありません。
「1年ぶりの再会。デッキ付き機関車は挟まれても何とか撮影でき有難いです。」(針葉樹林鉄道研究会の杉さん)
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん 新鶴見機関区 1977.7.24 |
Vol.2に続く |