ELECTRIC LOCOMOTIVE EF15  Vol.10
EF15 88〜106

Last Update 2024.11.1

Index EF1588 EF1589 EF1590 EF1591 EF1592 EF1593 EF1594 EF1595 EF1596
EF1597 EF1598 EF1599 EF15100 EF15101 EF15102 EF15103 EF15104 EF15105 EF15106

 第8次形(88〜106号機)

昭和29年2月〜6月にかけて製造されたグループです。日立製は正面ナンバープレートの取付位置が左に寄っています。 また、3次形以降の同社の特徴の幅広の連結器解放テコです。
東芝製は正面通風口が10次形の123号機まで標準より幅が狭く高さも低い物(前グループの7段ヒダの最上段が無くなった物)になっています。
三菱製の102〜104号機は引き続き先輪の担いバネと動輪の釣り合い梁を結ぶバネ吊りリンクが丸棒で、それに連結する釣り合い梁も独特の形状となった三菱式です。また、つらら切りは側面が丸みを帯びた独特の形状で、これは2次形〜10次形までこの形状です。
前燈の取付台座は88,90,98,99,100,101,103,105,106号機が2枚板の飛び出したタイプ、102号機がLP42用、他はステー式となっています。また、本グループ内で東洋電機・汽車会社製の105号機のみPS15パンタを装備していますが、これはEF58同様、東洋電機が自社製の新形パンタを他メーカーに先駆けていち早く装備した為と思われます。

※印…主な特徴です。画像をクリックすると大きなものが表示されます。

 EF15 88〔高崎第二〕
EF1588 ぴかぴかの車体が15にしては珍しい。個人的には15はちょっと艶の落ちた位の姿が渋くて好きです。車体と雪かき器や足回りの一部がピカピカで他の部分がかなり汚れた状態と言うかなりアンバランスな感じです。車体側面の打ち直し跡が痛々しくもあります。こちらは1エンド側。本機のライト取付座も2本足で少し前面に飛び出たタイプ。つらら切りは中形の直線タイプです。汽笛カバーは高崎形の跳び箱形の物です。パンタとその台枠はグレーに塗られています。
 
※寒地形 正面ナンバープレート左寄り 連結器解放テコ幅広
原宿―渋谷 1980.8
製造年月日:S29.2.27
製造:日立製作所
廃車:S56.10.12
BIN-EF1588 タキ43000で組成された貨物の先頭に立つ。これも1エンド側です。
撮影:BINさん  5570レ  入江 1979.4
BIN-EF1588 こちらは懐かしいク5000の自動車輸送列車の先頭に立つ姿でこちらは2エンド側です。排障器は高崎第二のカマに多い雪かき器の裏側取付です。
撮影:BINさん  5578レ  入江 1980.10.27
 EF15 89〔八王子〕
EF1589 桜咲く立川機関区で憩う姿でこちらは1エンド側です。排障器が前端バリ側面に直接付いています。本機のライト取付座はLP402標準の1本のステー状のタイプで、その先端に付く標識燈掛は根元部分が三角の帯板で補強された独特の物です。つらら切りは中形で直線的です。
 
※排障器前端バリ取付 前燈小 正面ナンバープレート左寄り 連結器解放テコ幅広 標識燈掛変形
立川機関区 1980.4.16
製造::S29.3.18
日立製作所 No.191200-2
使用開始:S26.12.14
廃車:S56.3.18

移動:
S29. 3.17 新鶴見
S29. 6.11 稲沢第二
S31.11.17 米原
S33. 8.25 吹田第二
S34. 6.18 岡山貸
S34. 9.28 吹田第二返
S37. 9. 5  岡山貸
S37.10. 1  沼津
S39. 2.21 広島
S40. 2. 9  広島(転)貸
S40. 2.16 広島返
S40. 4.26 小郡貸
S40. 9. 8  広島(転貸
S40. 9.18 下関(転)貸
S40.10. 1 広島返
S45. 3.10 新鶴見
S53.12.25 八王子
S56.3.18 廃車
EF1589 同じく1エンド側正面です。日立独特の幅広の連結器解放テコが良く分かります。
この日は国鉄のストライキで首都圏の国電は始発から全線ストップ。列車が来ない線路内は通勤客が行列を作って歩いているというカオスな状況でした。(^^;) これは当時見学お断りだった立川機関区を見学する良いチャンスと自転車を飛ばして、集会中の職員を横目に機関区内に佇むED16、EF15の撮影した際のカットです。
立川機関区 1980.4.16
EF1589 新宿駅構内で入れ換え中?の同機。これは新宿駅東口のマイシティから撮ったカットですが、この当時はこの辺に機関車がゴロゴロたむろしておりまして隔世の感です。そう言えば新宿マイシティもいつの間にやらルミネエスト新宿なんちゅう名称に変わってたんですね。
新宿 1979.8
ef5853-EF1589 「高尾臨を牽く89。EF15とEF60との混用で、EF15を狙って2回撮りに行きました(1/16も)が、どっちも89でした。今思えば、EF60も撮っておけば・・・(といういつもの後悔)」(EF5853さん)
撮影:EF5853さん 14系8連[北オク] 9534レ  吉祥寺 1980.1.23
ohno-ef1589 同機は昭和45年に新鶴見に転じるまで、岡山や広島など関西地区に配属されていました。排障器が前端バリ取付となっているのはその為でしょう。
撮影:ohnoさん  川崎新町―八丁畷 1979.12.15
BIN-EF1589 同機の2エンド側です。 排障器以外は正面窓のHゴム改造されたPS14パンタの暖地形EF15の標準的な形態です。 この2エンドR側前端バリ側面には手歯止め掛が設置されており、晩年のEF15には全機に設置されています。
撮影:BINさん   279レ  入江 1976.12.28
BIN-EF1589 ナンバープレートと製造銘板部分。日立の切りぬjき文字の製造銘板は当サイト分類上の6次形〜11次形の特徴です。同時期のEF58にも見られます。
撮影:BINさん   279レ  入江 1977.8.24
BIN-EF1589 同じく2エンド側です。 雑多な2軸貨車の編成がEF15に良く似合います。
撮影:BINさん   279レ  入江 1976.12.17
BIN-EF1589 これは1エンド側の正面です。 前端バリの連結器左右の丸い蓋は雪かき器取付座の設置口を塞いだ物で暖地形に良く見られます。本機は上越地区に配置された事は無いので、おそらく新製時からこの状態だと思われます。
撮影:BINさん   279レ  入江 1977.10.24
BIN-EF1589 2エンドR側です。 前燈取り付けステーの先端の標識燈掛の根元が帯板で補強されています。前端バリ側面の補助バネ受けの前位に手歯止め掛とそれに挿さった手歯止めを確認できます。全検標記が48-10広島工となっていますが、履歴ではその時期は既に新鶴見に転属後となっています。単純に標記の間違い(自工場を間違えるとは思えませんが…)なんでしょうか?ちなみにブレーキシリンダーの検査標記は50-10-16 OMです。なお、この後1978年7月に撮影された写真(未掲載)では全検標記は52-10大宮工になっています。
撮影:BINさん   279レ  入江 1976.12.28
BIN-EF1589 こちらは1エンドL側です。 こちらも前燈取り付けステーの先端の標識燈掛の根元が帯板で補強されています。すべてをチェックしていませんがこの形はEF13も含めて記憶にありません。こちら側の前端バリ側面には手歯止め掛はありません。
撮影:BINさん   279レ  入江 1978.5.25
 EF15 90〔長岡(転)〕
ef5853-EF1590 長岡のEF15の特徴の前面扉横の手すり、大形の汽笛カバーが印象的です。つらら切りは標準タイプとも言える中形の物です。
「[東新]の15を撮りに白新線に行ったのですが、来るのは81と新潟臨港のDE65ばかり。ようやくきた15はなんと[長岡]。」(EF5853さん)
 
※寒地形 正面扉横手すり 正面ナンバープレート左寄り 連結器解放テコ幅広
撮影:EF5853さん  982レ  大形 1978.7.25
製造年月日:S29.5.29
製造:日立製作所
廃車:S54.9.12
maeda-ef1590 脱線事故の救援列車を牽く非常に珍しい姿。上空にはヘリが飛び脱線転覆したワムの姿が印象的です。事故を起こした列車は構内の様子から上り貨物でしょうか。左端には後続の?165系の姿も…。ちなみに同列車の補機を務めたEF1628の姿はこちらです。
「前日、4月4日未明に起きた脱線事故の復旧列車です。」(前田さん)
撮影:前田さん  土樽 1979.4.5
maeda-ef1590-2 こちらは上の写真の列車部分の拡大です。普段は機関区や客車区内から出ることの無い操重車と救援車が本線上にいることに違和感を感じますが、これが彼らの本来の仕事だと改めて感じさせます。
撮影:前田さん  土樽 1979.4.5
 EF15 91〔広島〕
ef5853-EF1591 広島区のEF15に多く見られた原形前面窓姿です。EF12やEF57などの戦前の電機は元々窓回りに淵飾りが付いている為、Hゴム改造されても意外と正面の印象は変わりませんが、EF13やEF15だとHゴムになると窓が一回り大きく見えます。Hゴム姿を見慣れると原形窓がとても小さく見えますね。
「いい場所がある、というので歩いていったのですが、着くまでに列車が来てしまいました・・・。」(EF5853さん)
 
※排障器前端バリ取付 正面ナンバープレート左寄り 連結器解放テコ幅広
撮影:EF5853さん  1681レ  安芸川尻―仁万 1978.3.19
製造年月日:S29.6.11
製造:日立製作所
廃車:S54.5.30
 EF15 92〔八王子〕
EF1592 八王子発の常磐線乗り入れの団臨を牽く92号機。八王子区のEF15は、高尾臨などの団臨で、時折客車を牽引することがありましたが、同区には既にEF50 500が配備されており、15が客レを牽引することは珍しくなっていました。 ちなみに中央線の国分寺近辺にはこの当時もまだ木製ポールの姿が見られました。
ところで、この写真を表紙に使ってヤフオクで「EF15形態一覧表」なる物を販売してる輩がいますが私とは無関係です。

※寒地形 前燈小 正面ナンバープレート左寄り 連結器解放テコ幅広
「常磐ハワイアンセンター号」  西国分寺 1980.3.17
製造年月日:S29.6.22
製造:日立製作所
廃車:S55.8.18
EF1592 同じく「常磐ハワイアンセンター号」を牽いて東海道線を行く。「常磐ハワイアンセンター」は今の「ハワイアンズ」です。92号機はこの列車の八王子〜新宿〜品川〜東京〜上野を担当しました。
「常磐ハワイアンセンター号」  田町 1980.3.17
EF1592 上の団臨の翌日の返しです。この時は、上野までEF80でそこから同機にカマ交換、上野〜東京〜品川〜新宿〜八王子という経路でした。上野駅9番線で発車を待つ92号機。
「常磐ハワイアンセンター号」  上野 1980.3.18
EF1592 上野から連絡線を通り東京へ向かう92号機と12系。ホーム端はファンでいっぱいで仕方なくここで妥協。 (^_^;) この辺の光景は今では全く変わってしまいました。この上野〜東京の連絡線も東北上越新幹線の東京乗り入れで一度は途絶えました。まさか新幹線の高架線上に更に高架線を設けてまで復活するとは思いもよりませんでした。
「常磐ハワイアンセンター号」  神田 1980.3.18
EF1592 東京駅7番線に12系客車を従え入線した92号機。どうにも写真は撮りづらい場所ですが取りあえず記録。 (^_^;)
「常磐ハワイアンセンター号」  東京 1980.3.18
EF1592 白昼堂々、客レの先頭に立ち東海道本線を力走する92号機。。12系は8連と結構長目です。 浜松町駅の近辺も現在はビルが立ち並び随分と様変わりしています。後ろに見える日本食堂の看板も懐かしいですね。
9545レ「常磐ハワイアンセンター号」  浜松町 1980.3.18
EF1592 山手貨物線を経由して中央線に入り中野駅に到着。特急か何かの待避で本線から7番線に進入。ここでバカ停があったと思います。
9545レ「常磐ハワイアンセンター号」  中野 1980.3.18
EF1592 中野駅7番線に停車中の同列車。凄いところで撮影してますが時効と言う事で…。(^_^;) この数年前なら同じ八王子区のEF13もこうした臨客運用に入っていたのですが、地元だったにも関わらず私は残念ながら見ることすら叶いませんでした。
9545レ「常磐ハワイアンセンター号」  中野 1980.3.18
EF1592 同じく中野駅に停車中。つらら切りは中形、汽笛カバーは高崎形の小形で先端が斜めになったタイプです。 本機は昭和31年9月に長岡に転属、高崎第二に移動後昭和53年11月に甲府に転属するまで、その生涯のほとんどを高崎・上越の両線を中心に活躍した生粋の寒地形。晩年の1年半ほど山から降りて八王子区で活躍しました。 本機の排障器は雪かき器の内側です。
9545レ「常磐ハワイアンセンター号」  中野 1980.3.18
EF1592 団臨 八王子 終点の八王子では機関区に駐機するEF64がお出迎え。列車は下り本線から上り本線を跨いで2番線へ。当時の八王子駅は3、4番線が中央線ホームで2番線はその予備でしたが、現在は2番線が中央線上り、4番線が下りで3番線が予備になっています。それに伴い構内配線も変化していて、写真手前に見えるダブルスリップも消滅しました。
9545レ「常磐ハワイアンセンター号」  八王子 1980.3.18
EF1592 団臨 八王子 今は無きダブルスリップを通り2番線に進入する「常磐ハワイアンセンター号」。本機のこの2エンド側のつらら切りは左右とも真ん中寄りが高くなっていて、正面から見ると何となく困った表情に見えます。1エンド側はそんな事は無く普通です。右隅に見える詰所の壁に書かれた「反戦」のアジ落書きが時代ですね。
9545レ「常磐ハワイアンセンター号」  八王子 1980.3.18
EF1592 団臨 八王子 夕刻の八王子に到着した92号機と12系。役目を終えた92号機はすぐに切り離されます。ちなみにこの列車が私にとって最初で最後のEF15牽引の客車列車となりました。
9545レ「常磐ハワイアンセンター号」  八王子 1980.3.18
EF1592 冬の夕陽に前面をギラリと輝かせ、中央線の貨物列車を牽く。この場所は当時私の定番撮影ポイントで、自転車で良く通っていました。手前の線路は廃止になった下河原線でこの先で行き止まりになっていました。
1491レ  国分寺―西国分寺 1980.2
EF1592 この頃は新宿駅でも、当たり前の様に複数のEF15が構内にたむろしていました。寒地形の92号機は当時の八王子区のEF15としては珍しく、見かけると色んなアングルで撮ってます。これは手前が2エンドでL側になります。バックに見える京王百貨店やルミネはもとより丸八真綿の看板のビルやその奥のビルも今でも変わらず見られますね。
下り貨物  新宿 1980.3
EF1592 同じく当時の中央線の優等列車用ホームだった1、2番線からの撮影です。当時このホームに入るには乗車券を持たない者は駅構内にも関わらずさらに入場券の購入を要求されました。キセル対策だったんでしょうが何か納得できませんでした。(−−〆) この後、92号機は解放されて構内東側の機関車溜り?に移動します。
下り貨物  新宿 1980.3
EF1592 上の写真の続きで構内東の側線に単機で待機中の姿です。こちらは手前が1エンドでR側です。
新宿 1980.3
EF1592 EF15103 高崎二区の103号機とツーショット。同じ8次形同士ですが日立製の92号機と三菱製の103号機では正面扉窓、つらら切り、連結器解放テコ、先輪担いバネと動輪の釣り合い梁を結ぶバネ吊りリンク、前燈取付座、枕バリの端面の形状が異なっています。また、後年の改造による差異(前燈、前面窓のHゴム、汽笛カバー)も含めると、一見同じに見えるEF15も結構違いがあることが分かります。
新宿 1980.3
ef5853-EF1592 「これも転属回送。(木更津から八王子だったと記憶してます)局報を見て、これはここで撮らなきゃな・・・と思って撮りに行きました。色とりどり。」(EF5853さん)

撮影:EF5853さん  スロフ62+キハ30+キハ36x2  東中野―中野 1980.4.12
ef5853-EF1592b 「(EF)64の貨物もやり過ごすため、中野で少し止まっており、追いつくことができました。A氏のやらせ(92号機の充当は)ではなかったか?と懐かしく思うこの頃です。なお、高円寺では失敗しました。(カブられた)」(EF5853さん)
うーん、そう言えば上の客レもAさんから筋を教えてもらったような…。(^_^;)

撮影:EF5853さん  中野 1980.4.12
 EF15 93〔高崎第二〕
ef5853-ef1593 「なぜか、93はこの写真しかありません。高二のカマでは珍しい・・。出区する姿ですね。」(EF5853さん)
白Hゴムが高崎の15にしては珍しいでしょうか。汽笛カバーは92号機と同じく小形の先端が斜めになったタイプです。
 
※寒地形 前面窓白Hゴム 前燈小 正面ナンバープレート左寄り 連結器解放テコ幅広 スノウプラウ変形

撮影:EF5853さん  高崎第二機関区 1979.3.18
製造年月日:S29.6.29
製造:日立製作所
廃車:S55.10.4
mt40-ef1593 大宮機関区にて92号機(左)と並ぶ姿。本機の雪かき器は高崎第二のEF15の一部に見られる裾部分がパラボラ状になったタイプです。このタイプの雪かき器を付けた物は、弊サイトで確認できたもので50、65、68、72、93、122、154号機の7両ですが、MT40さんによれば50号機は片エンドは標準タイプの物が付いていたそうで、まだまだ他にあるのかも知れません。
撮影:MT40さん   大宮機関区 1977〜1978
BIN-EF1593 コキとワムハチで組成された綺麗な編成を牽く。こちらは1エンド側です。 パラボラ状の雪かき器の為か、標準タイプの物に比べると何となくクラシカルな雰囲気です。本機のワイパーは左右ともKW3Dです。 国鉄仕様の緑のコンテナが懐かしい。
撮影:BINさん  1482レ  品川―鶴見 1979.1.15
BIN-EF1593 同じ列車です。横から見るとこのタイプの雪かき器もそれほど違和感はありません。このタイプは高崎第二区配置の物にしか見られない事から、かつて同区に配置されていたEF12が付けていたこのタイプの物の流用かも知れません。
撮影:BINさん  1482レ  品川―鶴見 1979.1.15
 EF15 94〔高崎第二〕
EF1594 レサ5000を牽き山手貨物線を行く。こちらは1エンド側です。前面の通風口は前グループの81号機と同様の幅が狭く高さも低い6段ヒダです。このタイプが10次形の123号機まで続きます。汽笛カバーは高崎形の小形で先端が垂直のタイプです。本機の排障器は雪かき器の内側です。車体の側面にはスローガンを消した跡と思われる汚れが見られます。
 
※寒地形 正面ナンバープレート上寄り
575レ  原宿 1980.11
製造年月日:S29.3.26
製造:東京芝浦電気
廃車:S56.2.6
 EF15 95〔高崎第二〕
ef5853-EF1595 「あと50m北に行けばもっときれいに撮れた物を・・・と、今思います。」(EF5853さん)
でも、今になってみればこうした建造物が時代を反映していて味わい深かったりしますね。つらら切りは直線的な中形で、上の94号機と同じタイプのようです。汽笛カバーは高崎形の小形で先端が垂直のタイプです。
 
※寒地形 正面ナンバープレート上寄り
撮影:EF5853さん  962レ  新町 1978.7.23
製造年月日:S29.4.17
製造:東京芝浦電気
廃車:S56.12.12
jm1xsj-ef1595a 新鶴見機関区で待機する95号機。後ろのEF15(東京区の157号機?)のパンタも二つとも上がっており、パッと見上越国境の山越え姿みたいです。汽笛カバーも東新潟の物ほどではありませんが、随分と小振りなタイプが付いています。
撮影:jm1xsjさん  新鶴見機関区 東機待 1981.7頃
jm1xsj-ef1595b EF15の魅力は何と言ってもスリムな前端バリと斜めになった先輪のイコライザーとが醸し出す複雑な前頭部でしょう。EF15に限らず各種機関車ではスノウプラウの有無で印象が大きく異なりますが、前端バリの狭いEF15はその差が特に激しいと言えます。本機の排障器は雪かき器の内側です。
撮影:jm1xsjさん  新鶴見機関区 東機待 1981.7頃
BIN-EF1595 この時点でワイパーは機関士側WP50で助士側KW3Dです。 本機の排障器は雪かき器の内側です。 こちらは1エンド側。
撮影:BINさん  271レ  入江 1980.4.12
sugi-EF1595 新鶴見区でお昼寝中の同機の1エンド側です。東芝製EF15の10次形まで見られる幅の狭い前面通風口が目をひきます。左に新鶴見区の職員輸送に活躍していたクモハ12の姿が見えます。それにしてもこのPS14にプレート式ナンバーと言うEF15の最も代表的な機体が暖地形の120号機しか保存されていないのは残念でなりません。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん    新鶴見機関区 1977.3.25
 EF15 96〔高崎第二〕
takechanman-EF1596 「新宿駅構内に原宿方から侵入してきたところです。 これはかなり古く、カメラの使い方も分からないまま撮った記憶があります。 1970年前後と思いますが、当時はEF13もEF15も区別がつきませんでした。」(タケチャンマンさん)
 
※寒地形 前燈小 正面ナンバープレート上寄り
撮影:タケチャンマンさん  新宿 1970年頃
製造年月日:S29.4.28
製造:東京芝浦電気
廃車:S56.10.12
inakamono-EF1596 両毛線を行く晩年の同機です。夕闇迫る頃でしょうか…。
撮影:田舎者さん  前橋―駒形 1981.6
H-yamaguchi-ef1596 西浦和を通過する同機。1980年頃の首都圏の貨物列車と言うと新形電機が牽引する物よりEF15牽引の方が圧倒的に多かったように思います。
撮影:山口裕志さん  西浦和 1980.5.25
新鶴見機関区で待機する96号機。汽笛カバーの形状など、高崎区所属機の最も標準的と言って良い形態です。 こちらは1エンド側。
撮影:jm1xsjさん  新鶴見機関区 西機待 1980年8月末
BIN-EF1596 懐かしい自動車運搬列車を牽く96号機。こちらは2エンド側です。ワイパーは左右ともWP50の様です。 本機の排障器は雪かき器の内側です。
撮影:BINさん  5578レ  入江 1980.11.10
BIN-EF1596 原形のKW3Dワイパー時代の姿。 こちらは1エンド側です。後ろに連なる雑多な貨車がEF15に良く似合います。
撮影:BINさん  1482レ  品川―鶴見 1978.12.3
 EF15 97〔高崎第二〕
EF1597 紙輸送列車の先頭に立ち新宿駅で発車を待つ姿。こちらは1エンド側です。汽笛カバーは高崎形の小形で先端が垂直のタイプです。つらら切りは中形で直線的なタイプ。同じタイプのつらら切りでも中央部がへの字形に盛り上がったものと直線的な物があります。1979年3月に全検と言う事もあり綺麗な車体です。また、おそらくその際にワイパーがWP50化されています。
 
※寒地形 前燈小 正面ナンバープレート上寄り
新宿 1979.5.4 
製造年月日:S29.5.31
製造:東京芝浦電気
廃車:S56.3.18
BIN-EF1596 こちらは2エンド側です。本機の排障器は雪かき器の内側です。
撮影:BINさん  5578レ  入江 1980.11.11
BIN-EF1596 タンカートレインを牽き品鶴線を行く姿でこちらも2エンド側です。ワイパーはまだ原形のKW3Dです。前回の全検から3年ほど経った頃で各部に痛みが目立ちます。良く見ると左標識燈の左上の塗装が剥がれて錆が浮いています。編成の2両目以降にタキ3000が連なってますね。
撮影:BINさん  449レ  鶴見―品川 1978.3.25
kato-ef1597
山手貨物線・長者丸踏切を行くシーンでこちらは1エンド側です。ワイパーはまだ原形です。少々分かりにくいですがカラーなので前燈や汽笛カバー、抵抗器室屋根を見ると屋根上が大宮工場独自の黒色塗装なのが確認できます。
撮影:加藤重義さん  1482レ?   恵比寿―目黒 1978.11頃
 EF15 98〔長岡(転)〕
ef5853-EF1598 「扉窓Hゴム。これだけ白Hなので、えらく不細工。」(EF5853さん)
昭和52年8月の大宮工での全検で正面扉がFRP製に交換されています。FRP製扉の窓のHゴムはなぜかみんな白色ですね。あと、長岡の15は正面扉の右横に手すりが設けられています。つらら切りは直線的な中形で、上の同じ東芝製の97号機とも違う形状です。つらら切りには法則性は無いのでしょうか?なお、本機の排障器は雪かき器の内側です。
 
※寒地形 正面扉横手すり FRP製正面扉 前燈小 正面ナンバープレート上寄り
撮影:EF5853さん  高崎第二機関区 1978.3.11
製造年月日:S29.6.13
製造:東京芝浦電気
廃車:S54.9.12
 EF15 99〔竜華〕
ef5853-EF1599 「EF1599[竜]+EF1558[竜] 。竜華区の若番同士の組み合わせです。朝、竜華区へ行ったのですが、「写真はダメよ」となってしまい、あまりいいネタはありませんでした。」(EF5853さん)

※正面ナンバープレート上寄り シールドビーム2灯
撮影:EF5853さん  5371レ 鳳 1979.8.27
製造年月日:S29.6.23
製造:東京芝浦電気
廃車:S56.8.19
Mr.slim-EF1599 こちらはシールドビーム改造前の姿で、豊橋機関区時代です。同機が竜華機関区に移動したのは1972年5月の事です。(ゴハチ信者さん、ご指摘ありがとうございます。)

撮影:Mr.スリムさんMr.スリムの道楽部屋  豊川付近 (1972年〜73年頃)
sato-ef1599 紀勢線で臨客を牽く99号機。しっかりとシールドビーム改造されております。竜華のEF15による客レの写真ってあまり見たこと無いのですが、数が少なかったんでしょうか…?(その頃って全然分からないのです。)この件についてゴハチ信者さんから以下の解答を頂きました。
「竜華区のEF15が客車を牽いたのはマヤ検がほとんどで、団臨等はごく僅かでした。この理由は、EF15は貨物機なので旅客機のEF58に比べ足が遅かったので、原則として充当しないことにしていたからだと思います。廃車が早かった99号が珍しく客車を牽いている大変貴重な作品です。」
撮影:Satoさん  冷水浦付近 1980頃
117KM-ef1599
阪和線・紀ノ川鉄橋手前をEF52と重連で行く姿でこちらは2エンド側です。原形前面窓にPS14パンタでシールドビーム改造前の美しい本機と、回送とは言え省形国産電機・最古参EF52との重連が渋いです。この組み合わせだと同じ旧形電機でもEF15が随分と近代的に見えてきます。なお、本機はブタ鼻ライトになっても最後まで原形のパテ式窓を堅持していた模様です。ちなみに次位のEF52は埋込標識灯から7号機と共に最後まで残った2号機と思われます。
撮影:117KMさん   下り貨物  六十谷―紀伊中ノ島 1975年頃
 EF15 100〔高崎第二〕
EF15100

山手貨物線をのんびりと走る100号機。本機はかつて長岡区に在籍しており、正面扉の右横に手すりが増設されています。つらら切りは中形です。少々分かりにくいですが外板は相当荒れた状態です。
今も山貨に変わらず存在する青山街道踏切での撮影ですが、ここを通る列車は様変わりし成田エクスプレスや埼京線、湘南新宿ラインがびゅんびゅん駆け抜け、すっかり貨物線のイメージは無くなりました。
 
※寒地形 正面扉横手すり
下り貨物  原宿―代々木 1980.8
製造年月日:S29.3.28
製造:川崎車輌・川崎重工
廃車:S55.12.10
T.F-EF15100 こちらも高崎第二区に転属後の同機です。
撮影:T.Fさん  上り貨物  鴻巣 1980
 EF15 101〔長岡(転)〕→〔高崎第二〕
ef5853-EF15101 EF5853さん撮影の101号機。汽笛カバーは高崎形の先端が直線タイプの物です。つらら切りは中形ですね。こちらは1エンド側です。長岡の15の特徴の正面扉横の手すりが確認できます。
 
※寒地形 正面扉横手すり 
撮影:EF5853さん  790レ  石打 1979.8.9
製造年月日:S29.6.21
製造:川崎車輌・川崎重工
廃車:S56.12.12
BIN-EF15101 東海道貨物線・入江駅にて発車を待つ姿でこちらも1エンド側です。ワイパーは左右共にWP50化されています。
撮影:BINさん  5578レ  入江 1981.3.13
BIN-EF15101 同じくク5000を従えて入江駅に停車中。こちらは2エンド側です。ワイパーはこちらも左右共にWP50です。車体側面の「81春斗勝利」のスローガンが時代を感じさせます。
撮影:BINさん  5578レ  入江 1981.4.21
BIN-EF15101 入江駅にて入れ換え中のシーンで1エンド側です。廃車2ヶ月ほど前の姿ですが、外板の荒れはありますが塗装はきれいな状態です。側面ナンバープレートは例によって武蔵野操車場対策で白く塗られています。
撮影:BINさん  5578レ  入江 1981.10.17
jm1xsj-ef15101 新鶴見機関区西機待で出発準備中の姿。分かりにくいですがこちらも1エンド側です。 隣の157号機は原形の前面窓と切り抜きナンバーの暖地形で寒地形の101号機と比べるととてもスッキリした印象です。ゴハチのHゴム窓は頂けませんが15に関してはHゴム前面窓の方が厳つい印象で似合う気がします。
撮影:jm1xsjさん   新鶴見機関区 西機待 1980.9頃
 EF15 102〔新鶴見→高崎第二〕
Nishino-EF15102 山手貨物線を行く新鶴見区時代の102号機。この頃は前面窓が原形ですね。この場所も今ではすっかり木が成長してしまい撮影できませんね。つらら切りは中形。

※先輪後位バネ吊り三菱タイプ 前面窓原形 前燈小 前燈取付台座原形 
撮影:Y.NishinoさんY.Nishinoのホームページ)  渋谷―原宿 1975.8
製造年月日:S29.5.10
製造:三菱電機・新三菱重工
廃車:S56.8.5
hiramatsu-EF15102 こちらは高崎第二区に移動後の姿です。
「場所は新松戸の短絡線です。後追いでとっていますから、常磐線へはいる方向でしょうか。」(S.Hiramatsuさん)
撮影:S.HiramatsuさんPassenger Cars Room  新松戸付近 1978.8
takechanman-EF15102 これも高二時代です。原形の前面窓ですっきりした姿です。EF15の場合、Hゴム窓の方が15らしい無骨さを感じたりもしますが…。(^^;) 全検から間もないのか塗装は綺麗ですが車体側面が随分と荒れています。
撮影:タケチャンマンさん  東浦和付近 1979年頃
BIN-EF15102 こちらは新鶴見区時代の姿で2エンド側です。全検標記は50-4大宮工となっており、全検後1年半ほど経過していますがやはり車体側面の荒れ方が激しいですね。ちなみに本機は1977年6月30日付で高崎第二区に転属しています。
撮影:BINさん  279レ  入江 1976.12.2
BIN-EF15102 同じく新鶴見区時代の2エンド側の姿です。上の写真から3か月ほど経過していますが、外板の荒れ具合がさらに進行して塗装があちこち剥がれています。本機の高二への転属はこの年の6月30日です。
撮影:BINさん  279レ  入江 1977.2.28
BIN-EF15102 高崎第二区に転属後の姿でこちらは1エンド側です。パンタの擦り板がアルミ製になったのと未使用砂箱の蓋の留具の白塗りが無くなった以外は新鶴見時代と形態は変化ありません。この2エンドR側の運転席側面もL側同様外板がかなり荒れています。青色のタキ43000の先頭に立つ姿がカッコいいです。
撮影:BINさん  5570レ  入江 1978.10
BIN-EF15102 同じく高二転属後でこちらは2エンド側。全検から4年近く経過し、車体側面の塗装が剥がれているのが見て取れます。前面も含めて全体に塗装も荒れていて過去の下地処理がうまくいってなかったでしょうかね。本機の最終走行は215万kmと他のEF15が概ね250万km以上なのと比べると少ないので、もしかしたら状態があまり良く無かったのかも知れません。この段階ではワイパーは左右共にKW3Dです。
撮影:BINさん  1482レ  品川―鶴見 1979.2.4
BIN-EF15102 ク5000を従えて発車を待つ102号機の1エンド側です。高崎第二時代の晩年の姿で、機関士側ワイパーがWP35に交換されています。
撮影:BINさん  5578レ  入江 1981.4.24
 EF15 103〔高崎第二〕
EF15103 新宿で一休みする103号機。こちらは1エンド側です。白Hゴムの正面窓にシールドビーム2灯が何とも…。なお、本機の汽笛カバーは大形ですが、先端が欠き取られたような形状で個性的です。つらら切りは中形です。
 
※先輪後位バネ吊り三菱タイプ 寒地形 前面窓白Hゴム シールドビーム2灯
新宿 1980.3
製造年月日:S29.6.2
製造:三菱電機・新三菱重工
廃車:S56.2.6
EF15103 同じく新宿駅構内で待機する同機。汽笛カバーの先端部のRが付いた形状が独特です。 EF15の前燈シールドビーム化は高崎第二区の167号機の1灯シールドビーム(後に原形に復元)が最初で、その後、同じ高二の103、148、200号機が2灯シールドビーム化されました。そのまま2灯式がEF15全体に広まるかと思いきや、その後は竜華配置の16両に施工されるに留まりました。
新宿 1980.3
ef5853-EF15103 EF5853さん撮影のシールドビーム化される前の姿です。前面窓は既に白Hゴムですね。
撮影:EF5853さん  5962レ  深谷 1978.7.23
BIN-EF15103 東海道貨物線でク5000の先頭に立つ。こちらは1エンド側です。ワイパーは機関士側がWP50で助士側がWP35です。 この翌年2月に廃車になる本機の晩年の姿で、前面の塗装がかなり荒れているのが見受けられます。
撮影:BINさん  5578レ  入江 1980.10.29
 EF15 104〔高崎第二〕
ef5853-EF15104 同機のつらら切りは中形で直線的なもの、汽笛カバーは高崎形の大形のようです。当時は駅で電車を待っているとこうした15牽引の貨物列車を目にしたものでした。
「貨物は多いし、みんな15だし・・(62やPFもありましたが)という時代でした」(EF5853さん)
 
※先輪後位バネ吊り三菱タイプ 寒地形
撮影:EF5853さん  8969レ  深谷 1978.7.23
製造年月日:S29.6.7
製造:三菱電機・新三菱重工
廃車:S57.2.27
T.F-EF15104 「絹目のプリントしか残っていません。(T_T) 「EF60に置き換わる」とコメント付で、EF60の番号不明の写真と並べて、アルバムに貼ってありました。」 (T.Fさん)
撮影:T.Fさん  上り貨物  鴻巣付近 1980〜1981
BIN-EF15104 ク5000を連ねた貨物の先頭に立つ。こちらは2エンド側です。ワイパーは機関士側WP50で助士側WP35の様です。
撮影:BINさん  5578レ  入江 1980.11.7
BIN-EF15104 同じく自動車輸送列車の先頭に立つ。こちらも2エンド側です。茶色のEF15と鮮やかな塗装のク5000とのコントラストが美しいです。 積載された自動車も模型化して走らせたら楽しい編成になりそうです。
撮影:BINさん  5578レ  入江 1981.2.6
 EF15 105〔東京〕→〔八王子〕→〔甲府〕
inage-EF15105 東洋電機・汽車会社の製造機は正面ナンバープレートが上寄りに取り付けられています。また、本機はPS15パンタを付けていますが、当時国鉄のパンタグラフ主要メーカーだった東洋電機が自社製の新形パンタをいち早く装備した為と思われます。

※正面ナンバープレート上寄り PS15パンタ
撮影:N.Inageさん  品川 1978.6.25
製造年月日:S29.5.30
製造:東洋電機・汽車会社
廃車:S56.5.25
ohno-ef15105 「東京区には貨物列車用としてEF15とEF10が配置されていて、両機種ともにステップの1段目を白く塗ってあるのが特長でした。共通運用が多く、御目当てはEF10だったのですが、何故かEF15のが多かったような気がします。」(ohnoさん)
撮影:ohnoさん  新鶴見(操) 1977.5.21
BIN-EF15105 新鶴見区時代の105号機で2エンド側です。本機は1977年2月5日付で東京区に転属しています。東洋電機が他メーカーに先駆けて自社製の新形パンタPS15を装備した例は、他に兄弟機EF58の86、87号機でも見られます。 前燈の取付方法は2枚板の飛び出たタイプです。ワイパーは左右ともKW3DでLA15避雷器のカバーは未取付です。
撮影:BINさん  279レ  入江 1976.12.7
BIN-EF15105 これも新鶴見時代で単機で品鶴線を行くシーン。こちらも2エンド側です。 この時点でもワイパーは左右ともKW3DでLA15避雷器のカバーは未取付です。同じEF15でも細身のPS15パンタを付けた姿は、正面勝ちに見るとPS14の武骨な姿に比べてスマートな印象です。
撮影:BINさん  単1590レ  品川―鶴見 1977.2.13
BIN-EF15105 R側のナンバープレートと製造銘板です。
撮影:BINさん  279レ  入江 1977.2.23
BIN-EF15105 東京区に転属後の姿で2エンド側です。 デッキ昇降段下部の白塗りは東京区の証です。
撮影:BINさん  279レ  入江 1978.2.28?
BIN-EF15105 同じく東京区に転属後の姿。2エンド側です。ワイパーが左右ともWP50に換装されています。
撮影:BINさん  279レ  入江 1978.2.28?
sugi-EF15105 甲府区に転属後の身延線を行く姿でこちらは2エンド側です。デッキステップ前面の白塗りが剥がされた(良く見ると若干残っていますが)以外は東京区時代と同じ形態です。
「大学1年の夏休み、旧型電車の撮影で身延線を甲府から沼津まで乗りました。その時の車窓からの1枚で、市川大門駅進入時のすれ違いです。非冷房で窓の開いた電車だから撮影できた1枚ですね。今だと、こうは行かないかもしれませんね。」(針葉樹林鉄道研究会の杉さん)

撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん   663レ  市川大門 1979.9.5
 EF15 106〔高崎第二〕
ef5853-EF15106 EF5853さん撮影の高二シリーズです。同機のつらら切りは中形で直線的なもの、汽笛カバーは長岡形です。同じ東洋電機・汽車会社制の105号機はいち早くPS15パンタを装備していますが、本機はPS14となっています。こちらは1エンド側。ワイパーは機関士側WP50、助士側WP35に交換されている様です。
 
※寒地形 正面ナンバープレート上寄り
撮影:EF5853さん  高崎第二機関区 1978.3.11
製造年月日:S29.6.28
製造:東洋電機・汽車会社
廃車:S56.5.25
ohno-ef15106 本機は履歴上、長岡には配属されていないにも関わらず長岡タイプの大形の汽笛カバーを付けています。昭和39年に浜松から高崎第二に転属した際に、長岡から他区に転じたものを取り付けたのではないかと思われます。
撮影:ohnoさん  駒込 1977.1.29
BIN-EF15106 入れ換え中のDE10(DE11?)を横目に新鶴見機関区で昼寝中です。後は172号機。手前はEF65520でその奥はEF15が2両続いています。おそらく鹿島田跨線橋からの撮影と思われますが、現在は奥の操車場の配線はすっかり無くなっています。ちなみにストリートビューで見た現在の様子はこちら
撮影:BINさん  新鶴見機関区 1976.6.20
BIN-EF15106 106号機部分のアップでこちらは1エンド側です。屋根上の汽笛カバーが黒く塗られているのが分かります。ワイパーは機関士側、助士側共にKW3Dです。
撮影:BINさん  新鶴見機関区 1976.6.20
BIN-EF15106 タキ43000を牽き入江駅を待機する106号機。これも1エンド側です。ワイパーはまだKW3Dです。
撮影:BINさん  5580レ  入江 1977.3.7
BIN-EF15106 ク5000を連ねた自動車輸送列車の先頭に立つ。こちらは2エンド側です。廃車の1ヶ月前の姿で大分くたびれた様子です。ワイパーは機関士側WP50、助士側WP35に交換されています。
撮影:BINさん  5578レ  入江 1981.4.20

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