ELECTRIC LOCOMOTIVE EF15  Vol.9
EF15 77〜87

Last Update 2024.12.4

Index EF1577 EF1578 EF1579 EF1580 EF1581 EF1582 EF1583 EF1584 EF1585 EF1586 EF1587

 第7次形(77〜87号機)

昭和29年2月〜3月にかけて製造されたグループです。
日立製は正面ナンバープレートの取付位置が左に寄っています。 また、連結器解放テコは3次形以降の特徴の幅広です。前グループで左に寄っていた助士席側の通風口は再び通常の位置に戻り、その為、正面の昇降段の最下段は本グループから他メーカと同じ台形になりました。
東芝製は前ロットから引き続き正面通風口の幅が狭く80号機までは7段ヒダで81号機から一番上の段が無くなり6段ヒダとなり、結果的にその分高さも低くなっています。
三菱製の84〜86号機は86号機を除き先輪の担いバネと動輪の釣り合い梁を結ぶバネ吊りリンクが丸棒で、それに連結する釣り合い梁も独特の形状となった三菱式です。また、つらら切りは側面が丸みを帯びた独特の形状で、これは2次形〜10次形までこの形状です。
前燈の取付台座は77,78,79,80,82,83,84,86,87号機が帯板2枚が飛び出たタイプで、他はステー式となっています。

※印…主な特徴です。画像をクリックすると大きなものが表示されます。

 EF15 77〔長岡(転)〕
EF1577 長岡区で活躍した77号機。同機の汽笛カバーは大形で、同じ長岡区に所属したEF16福米形と同様の形態でした。前燈の取付座も76号機と同様2枚の帯板が飛び出たタイプとなっています。つらら切りは中形でサイドが直線的なものですね。
 
※寒地形 長岡形汽笛カバー 正面扉横手すり 前灯小 正面ナンバープレート左寄り 連結器解放テコ幅広
770レ  石打 1980.8.2
製造年月日:S29.2.16
製造:日立製作所
廃車:S55.9.19
ef5853-ef1577&ef641002 「隣にいるのは出来立てほやほやのEF641002[長岡]+マヤ102001[北オク]+EF6475[長岡]+12系12連[新ニイ]の組み合わせの試9725レ、EF641000番台の性能試験列車です。EF641002のあちこちにケーブルが引き回されているのがわかりますでしょうか・・・・。この日水上には
EF641004[長岡]もおり、夜から運用に入りました。」(EF5853さん)
EF641000もまだ解結作業用のライトが未取付ですね。
撮影:EF5853さん  6765レ  水上 1980.8.26
 EF15 78〔宇都宮(転)〕
ohno-ef1578 この当時には宇都宮にもEF15が配置されていましたが、総数は6両と少ないものでした。同機の前面窓は原形で前燈取付方法は77号機と同じく取付座が2枚の帯板となったものです。
 
※原形前面窓 原形ワイパー 前灯小 正面ナンバープレート左寄り 連結器解放テコ幅広
撮影:ohnoさん  東大宮―蓮田 1976.8.21
製造年月日:S29.2.19
製造:日立製作所
廃車:S54.6.18
ef5858-ef1578a 宇都宮運転所でEF577と共に留置中の姿で2エンド側です。錆びた先輪が哀れです。
「この年の春、宇都宮のEF15の仕業がなくなり、6両が運転所に集結・留置されました。機号は78、170、188、196、197、198で78はこのまま廃車、他は転出しました。 」(EF5858さん)
撮影:EF5858さん  宇都宮運転所 1977
ef5858-ef1578b こちらは1エンド側。まだまだ綺麗でこのまま廃車というのも何だか可哀想な気がします。
撮影:EF5858さん  宇都宮運転所 1978  
kantera-ef1578 立川機関区にて大先輩ED16と顔を並べる78号機。同機の履歴上の最終配置区は宇都宮ですが、同区の運用が無くなった後、立川区に貸し出されていたようです。ohnoさんによると1978年6月〜8月に5回ほど撮影した記録が残っているそうです。このKANTERAさん撮影の写真でも区名札ははっきりと〔立〕となっています。
撮影:KANTERAさん旧型電気機関車の宝庫)  立川機関区 1978  
 EF15 79〔八王子〕
EF1579 東京でも年に何回か激しい雪が降ります。大抵は冬型の気圧配置が緩くなる3月頃で、雪国とは異なり湿った牡丹雪ですが。
暖地形のEF15でも雪を身にまとった姿は、普段とはまた違った魅力がありました。
 
※前灯小 正面ナンバープレート上寄り デフロスタ
下り貨物  国分寺―西国分寺 1980.3.22
製造年月日:S29.2.16
製造:東京芝浦電気
廃車:S56.4.23
EF1579 同じく八王子区の79号機でこちらは1エンド側です。本機のライト取付座も2本足で少し前面に飛び出たタイプです。車体裾のあちこちが打ち直されてますが、この感じがかえってEF15らしい無骨さを増してます。つらら切りは極端に小さなタイプです。
新宿 1979.8
EF1579 上の写真と同じ時に撮ったもの。2軸のワフ35000とワムを連ねた編成が懐かしい。 東芝独自の幅が狭く7段ヒダの通風口が目を引きます。
新宿 1979.8
同じく停車中の同機の下廻り。主台車HT61はEF58のHT60とは共通設計で、前端梁や釣り合い梁の組み合わせ方法などは異なりますが、側梁部分は全く同じ物です。3次形以降、一動軸に砂箱が二つ設置されましたが、勾配の少ない関東所属の物は一つで充分な為、片方を不使用にして砂箱の蓋の金具部分を白く塗っていました。きちんと統計は取っていないのですが、おそらく新鶴見と八王子所属のカマのみだと思います。(八王子は晩年は白塗り無しかも知れません)
新宿 1979.8
EF1579 山手貨物線でEF65PF単機と離合する79号機の一連のカット。と言うかある意味絶妙なタイミングで被っただけだったりしますが…。(^^;)  この頃は武蔵野貨物線の開業で少なくなったとはいえ、まだまだ山貨の主役は線名のとおり貨物でした。
原宿 1980.8
EF1579 すれ違うEF651072〔新〕と一瞬顔を並べる。両機の床面高さの違いが際立ちます。旧形電機の最終機(EH10を除く)のEF15・EF58の主電動機がそれだけ大きかったという事ですね。ちなみにEF15の最終増備が1958年でEF65の製造開始が1964年(PFは1969年)で、この間の技術の進歩がいかに激しかったかが推察されます。
原宿 1980.8
EF1579 PFが単機だったので何とか79号機も何とか撮れました。ちなみにこちらは1エンド側です。側面ナンバープレートの文字部分が白く塗られています。
原宿 1980.8
inage-EF1579
新宿駅構内で出発を待つシーンでこちらも1エンド側です。
「中央線八王子へ向かうところです。当機はあまり特長はありませんが八王子区のものにしては側面ナンバーがきたないですね。」(N.Inageさん)
撮影:N.Inageさん  新宿 1978.8
斜光を浴びて新鶴見区に佇む。EF15最大の見せ場と言って良い、むき出しの先輪と斜めに付いた担いバネがくっきり浮かび上がってます。 こちらは2エンド側。
撮影:jm1xsjさん   新鶴見機関区 1980年6月〜8月
BIN-EF1579 タンカートレインを牽き品鶴線を行く。こちらは1エンド側です。 ゴハチだと気になる前面窓のHゴムですが、15ではなぜかあまり気になりません。と言うか原形窓だとスッキリし過ぎでこちらの方がかえって顔が締まって見える気さえしてきます。(単に見慣れてるだけの気がします)
撮影:BINさん  5464レ  品川―鶴見 1977.8.3
kato-ef1579 この当時有名だった八王子区のEF15重連仕業(次位は回送)の先頭に立つ姿でこちらも1エンド側です。パンタはグレーで屋根上は黒塗装です武蔵野操車場対策の側面ナンバープレートの白塗りが目立ちます。79号機の次位は原形の前面窓と色褪せた車体、側面ナンバープレートからおそらく61号機と思われます。背後のオーバークロスは山手線です。
撮影:加藤重義さん  5472レ   恵比寿―目黒 1978.11頃
 EF15 80〔東京〕
hiramatsu-EF1580 小雨の降る中、タンク列車を牽引する東京区の80号機。
 
※原形ワイパー 前灯小 正面ナンバープレート上寄り
撮影:S.HiramatsuさんPassenger Cars Room  
製造年月日:S29.2.18
製造:東京芝浦電気
廃車:S54.6.18
BIN-EF1580 1エンド側です。前燈の取付台座は2本足のタイプです。Hゴム支持化された正面窓に原形ワイパーの組み合わせが意外と珍しいでしょうか。改造Hゴム窓は原形窓と比べると一回り大きく、その位置も下方にずれているのが分かります。下の81号機と比べると良く分かります。
撮影:BINさん  1262レ  入江 1979.1.6
BIN-EF1580 同機のナンバープレートと製造銘板です。
撮影:BINさん  5582レ  入江 1977.3.1
BIN-EF1580 同じくBINさん撮影の2エンド側です。本機は1979年1月21日に1休指定になりそのまま廃車になっています。
撮影:BINさん  1262レ  入江 1978.12.14
sugi-EF1580 新鶴見時代の貴重な姿でこちらは2エンド側です。本機が新鶴見に配置されたのは新製配置時の4か月と1975年2月から1976年12月の10ヶ月程しかありません。この後東京区に転属後、2年程で廃車になりました。 左隣は42号機ですが、標識燈の位置が80号機と比べると異様に高いのが分かります。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん    新鶴見機関区 1976.3.28
sugi-EF1580 同じく新鶴見時代の貴重な姿でこちらは1エンド側です。東芝独自の幅が狭い正面通風口が7段ヒダとなっています。次の81号機から幅が狭いまま最上段が無くなった6段ヒダになっています。新鶴見区独自の使用しない砂箱の
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん    田端機関区 1976.8.6
sugi-EF1580 同じく新鶴見時代の姿で同じく1エンド側でこちらは2位側です。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん    新鶴見機関区 1976.8.17
BIN-EF1580 ヨ5000?一両を引き連れ品鶴線を行く姿でこちらは1エンド側です。東京区の証のデッキステップ下部の白塗りが目立ちます。右の高架線は東海道新幹線です。背後に見える跨線橋は現在も健在ですね。
撮影:BINさん  1693レ  鶴見―品川 1977.8.3
BIN-EF1580 L側サイドで右が2エンドです。旧形電機特有の無骨な足回りが印象的です。横から見るとEF15、EF58特有のモニタルーフが車体の中心から2エンド側にずれた状態と左右の抵抗器室屋根の大きさの違いが良く分かります。
撮影:BINさん  266レ  入江 1978.1.9
 EF15 81〔新鶴見→東京→八王子〕
6348-EF1581 原形小窓に原形ワイパー姿のすっきりとした81号機で新鶴見区時代です。つらら切りは中形の直線タイプのようです。なお、本機から通風口が幅が狭いまま最上段が無くなった6段ヒダになっています。
「そういえば、あの頃は伊東線にも貨物が走っていたのですね。」(6348レさん)
 
※前灯大 正面ナンバープレート上寄り
撮影:6348レさん  伊東 1976
製造年月日:S29.3.19
製造:東京芝浦電気
廃車:S54.5.7
BIN-EF1581 夕陽を浴びて発車を待つ81号機で1エンド側です。本機はこの年の1月23日に新鶴見区から東京区へ転属しており、転属から1ヶ月後の姿です。原形の正面窓はHゴム窓に見慣れていると随分と小さく感じます。(実際Hゴムの分だけ小さいんですが) 正面扉と正面窓の上下が綺麗に揃って並んでいて、実にスッキリした印象です。転属後間もない為か、東京区配置にも関わらずデッキステップ前面の白塗りがされていません。
撮影:BINさん  5580レ  入江 1977.2.24
BIN-EF1581 同機のナンバープレートと製造銘板です。
撮影:BINさん  5580レ  入江 1977.2.24
sugi-EF1581 これも東京区時代の姿でこちらは2エンド側です。前面窓のHゴム支持化とワイパーの機関士側WP50、助士側WP35化で窓周りの印象が大分変化しています。つらら切りの幅も若干広くなり、原形ワイパー時代はほぼ直線だったつらら切り上面がワイパーのグリップエンドの干渉を避ける為に上方に曲げられています。 上の写真では無かったデッキステップの白塗りが施されています。 なお、本機は翌年9月に八王子区に転属して生涯を終えています。

撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん    新鶴見機関区 1977.7.24
kato-ef1581
八王子区転属後の姿でこちらは1エンド側です。形態は東京区時代と変化ありません。東京区独自のデッキステップの前面下部の白塗りがそのままになっています。ちなみに本機はこの2か月後に廃車になっています。
撮影:加藤重義さん     八王子機関区 1979.3.5
 EF15 82〔新鶴見→東京→八王子〕
EF1582 露出不足の写真で画質が荒く申し訳ありません。東京区からこの年の8月に八王子区に転属して間もない姿です。デッキステップ前面に東京区時代の白塗りが残っています。 右は同区のEF1318です。

※前灯小 正面ナンバープレート上寄り
八王子機関区 1978.10
製造年月日:S29.2.27
製造:川崎車輌・川崎重工
廃車:S54.4.21
Nishino-EF1582 こちらは新鶴見区時代の82号機。ライト取付座は2本足で少し前面に飛び出たタイプです。つらら切りは標準的な中形です。

撮影:Y.NishinoさんY.Nishinoのホームページ)  渋谷―原宿 1975.7
BIN-EF1582 同じく新鶴見時代でこちらは2エンド側です。前面窓はHゴム支持でワイパーは平行ブレードのWP35(WP50では無さそう)となっています。この時点ではLA15避雷器はカバー無しです。
撮影:BINさん  279レ  入江 1976.11.9
BIN-EF1582 同じくBINさん撮影の新鶴見時代でこちらは1エンド側です。こちら側のLA15避雷器にもやはりカバーは取り付けられていません。なぜか区名札が挿さっていませんね。
撮影:BINさん  279レ  入江 1976.12.10
BIN-EF1582 上の白黒写真と同日に撮影のカラーで同じく1エンド側です。第4次形〜11次形のプレート式ナンバーに大形のPS14パンタ姿はEF15を最も代表する姿と言えますが、この前面窓回りが改造された姿も晩年のEF15の代表的な形態と言えます。本機はこの後1977年3月に東京区に転属しています。
撮影:BINさん  279レ  入江 1976.12.10
sugi-EF1580 これも新鶴見時代の姿で2エンド側です。正面寄りのアングルなのでワイパーの形状が良く分かります。機関士側、助士側共にWP35です。 この時は区名札が挿さっています。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん    新鶴見機関区 1976.3.28
BIN-EF1582 東京区転属後の姿ですがデッキステップ前面の白塗りはまだされていません。こちらは2エンド側。形態は新鶴見時代と変わらずLA15避雷器のカバーは未取付です。要部検査を受けたのか車体が綺麗になり、パンタの台座の塗装が黒からグレーに変更、パンタの関節部には赤が色挿しされています。
撮影:BINさん  273レ  入江 1977.4.4
kato-ef1582
八王子区転属後の姿でこちらは2エンド側です。東京区時代のデッキステップの前面下部の白塗りがそのままになっています。
撮影:加藤重義さん   下り貨物  武蔵境 1979.3.5
kato-ef1582
八王子区機関区に帰区 して一休み。同じく2エンド側です。八王子区に転属後、側面ナンバープレートの文字が白く塗られています。 奥にはEF6474〔甲〕と同じ八王子区の198号機の姿が見えます。これは八王子機関区の脇にあったアパートからの撮影ですかね。
撮影:加藤重義さん     八王子機関区 1979.3.5
kato-ef1582
同じく八王子区に憩う姿でこちらは1エンド側です。避雷器LA15にはこの時点でもカバーは未取付です。本機はこの翌月に廃車になっているので、これが最晩年の姿と言えましょう。
撮影:加藤重義さん     八王子機関区 1979.3.5
 EF15 83〔新鶴見〕→〔高崎第二〕
ef5853-EF1583 「新鶴見に残っていた数少ない原形小窓のEF15のうちの1両。山貨に1時間いればいくらでも貨物は来たものですが・・・。今じゃ205系だけ。」(EF5853さん)
つらら切りは中形で直線的なタイプです。現在はその205系の後継のE231すら2020年に過去帳入り。時の経つのは早いですね。
 
※前面窓原形 前灯大 正面ナンバープレート上寄り
撮影:EF5853さん  666レ  新宿 1977.3.14
製造年月日:S29.3.13
製造:川崎車輌・川崎重工
廃車:S55.2.1
tanaka-ef1583 廃車後もEF5865などと共に東大宮操に留置された哀れな姿です。
ともあれ、普段はなかなか見ることが出来ないピッチから見た超ローアングルがEF15特有の先台車周りのプロフィールを際だたせています。
撮影:たなかさん   東大宮操車場 1984年頃?
BIN-EF1583 プレート式ナンバーに大形のPS14パンタ姿の第4次形〜11次形のEF15は、本形式を最も代表する姿と言えます。これは前面窓、ワイパーが原形当時の姿で、スッキリとした落成時の面影を感じさせます。 また、Hゴム改造の82号機の写真と比べると、Hゴム改造機の前面窓は一回り大きく取付位置も下に下がっている事が分かります。
撮影:BINさん  279レ  入江 1976.11.30
kato-ef1583 現在は恵比寿ガーデンプレイスになっているエビスビール工場を横目に山手貨物線を行く。高崎第二区に移動後の姿でこちらは1エンド側です。バックに見える高層ビルは東邦生命ビル(現・渋谷クロスタワー)で、渋谷には他に高層ビルの姿はまだありません。
撮影:加藤重義さん  1482レ?  恵比寿―目黒 1978.11頃
kato-ef1583 上の写真の機関車部分のアップです。本機は1977年10月に新鶴見区から高崎第二区に移動しています。ワイパーはおそらく1977年8月の大宮工での要部検査時に左右ともWP35化されたものと思われます。屋根上は汚れで分かりにくいですが黒色です。
撮影:加藤重義さん  1482レ?  恵比寿―目黒 1978.11頃
 EF15 84〔高崎第二〕
takechanman-EF1584 避雷器がLA12時代の姿のようです。ちなみに同機がLA15に換装されたのは履歴によると1972年10月となっています。
「今は埼京線が頻繁に行き交う線路も、当時はEF15が見飽きる程、走り回っていたものです。」(タケチャンマンさん)
 
※先輪後位バネ吊り三菱タイプ 寒地形 排障器雪かき器背面
撮影:タケチャンマンさん  高田馬場 1972年頃
製造年月日:S29.2.24
製造:三菱電機・新三菱重工
廃車:S56.1.12
BIN-EF1584 お馴染みBINさん撮影の84号機でこちらは2エンドです。これくらいの号機になると車体の外板もすっかり綺麗な仕上がりでスタイル的にも完成され堂々とした姿です。三菱独自の丸棒式のバネ吊りリンクが確認できます。本機の排障器は雪かき器の背面となっています。カラーだと汽笛カバーなど大宮工場独自の屋根上が黒色塗装になっているのが分かります。全検標記は53.11大宮工です。
撮影:BINさん   1275レ  入江 1980.4.12
BIN-EF1584 上と同じ列車です。無蓋車を連ねた編成が美しいです。木製あおり戸はトラ25000あたりでしょうか
撮影:BINさん   1275レ  入江 1980.4.12
BIN-EF1584 同じくBINさん撮影の84号機1エンド側です。
撮影:BINさん   5578レ  入江 1980.10.14
BIN-EF1584 こちらもくBINさん撮影の84号機1エンド側です。全検から3ヶ月ほどの姿の為か綺麗な車体が印象的です。すぐに汚れてしまい判別しにくい屋根上の抵抗器室カバーやモニタルーフの黒色塗装が確認できます。
撮影:BINさん    5570レ  入江 1979.2.7
 EF15 85〔長岡(転)〕
ef5853-EF1585 「色々なカマが並んでいた頃の姿。隣はEF6224[高二],後ろはEF1217[高二]ラストナンバー。そしてEF15200[高二]とEF15154[高二]」(EF5853さん)
同機のつらら切りは中形で丸っこいタイプで、汽笛カバーは大形の長岡形です。
 
※先輪後位バネ吊り三菱タイプ 寒地形 長岡形汽笛カバー 正面扉横手すり 前灯大
撮影:EF5853さん  高崎第二機関区 1978.3.11
製造年月日:S29.3.2
製造:三菱電機・新三菱重工
廃車:S53.12.5
 EF15 86〔長岡(転)〕
ef5853-ef1586 この写真では分かりませんが三菱製の本ロット最後のナンバーですが、なぜか先輪の担いバネと動輪の釣り合い梁を結ぶバネ吊りリンクは三菱タイプではなく標準タイプになっています。「電気機関車VoL.2」掲載の1954年(昭和29年)11月に撮られた写真で既にそうなので、おそらく落成時からと思われます。同じ三菱製の59号機もそうですが、どういった理由でそうなっているのか気になるところです。
「湯檜曽は吹雪だったのに、高崎まで下りて来ると4月中旬のバカ陽気でした。長岡のスタイルですね。汽笛カバーはこのタイプがかっこいいです。」(EF5853さん)
 
※寒地形 長岡形汽笛カバー 正面扉横手すり
撮影:EF5853さん  770レ  高崎 1979.3.18
製造年月日:S29.3.15
製造:三菱電機・新三菱重工
廃車:S54.7.16
ohno-ef1586 雑多な貨車で組成された長編成の貨物列車を牽く姿は、まさにEF15…と言ったところです。前面扉の右側に長岡独自の手すりが確認できます。



撮影:ohnoさん  大宮 1977.10.23
長岡運転所を脇に見て配給でしょうか、今日のお供はたった一両の黄帯のワ(ワ12000?)。上から見ると長岡形の大きな汽笛カバーの存在が際立ちます。ワイパーは機関士側がWP50で助士側がWP35です。 分かりにくいですがかろうじて先輪の担いバネと動輪の釣り合い梁を結ぶバネ吊りリンクが標準タイプなのを確認できます。
撮影:佐々木さん  長岡―宮内  1978年?
 EF15 87〔長岡(転)〕
ef5853-EF1587 長岡のEF15の特徴である正面手すり横の手すりが良く分かりますね。つらら切りは中形で直線的なタイプです。汽笛カバーは高崎形で先端が垂直なもの。同機の正面ナンバープレートは東洋・汽車の特徴である上寄りです。
 
※寒地形 正面扉横手すり 前灯小 正面ナンバープレート上寄り
撮影:EF5853さん  高崎第二機関区 1978.3.11
製造年月日:S29.3.31
製造:東洋電機・汽車会社
廃車:S53.11.29

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