ELECTRIC LOCOMOTIVE EF15  Vol.11
EF15 107〜121

Last Update 2024.11.1

Index EF15107 EF15108 EF15109 EF15110 EF15111 EF15112 EF15113
EF15114 EF15115 EF15116 EF15117 EF15118 EF15119 EF15120 EF15121

 第9次形(107〜121号機)

昭和29年7月〜12月にかけて製造されたグループです。 また、後半の118〜121号機は、別ロットによる発注と思われ、本来は別グループとするべきですが、落成年月が9月〜12月なのでこのグループに入れました。
なお、本グループで東洋電機・汽車会社製の121号機のみPS15パンタを装備していますが、これはEF58同様、東洋電機が自社製の新形パンタをいち早く装備した為と思われます。
日立製は正面ナンバープレートの取付位置が左に寄っています。そのナンバープレートの書体ですが本ロットのみ他と比べて細く見えます。また、3次形以降の同社の特徴でもあった幅広の連結器解放テコは本グループの107、118号機を最後に標準タイプになっています。
東芝製は正面通風口の幅が10次形123号機まで標準より狭く高さも低くなっています。
三菱製の115、116、120号機は先輪の担いバネと動輪の釣り合い梁を結ぶバネ吊りリンクが丸棒で、それに連結する釣り合い梁も独特の形状となった三菱式です。また、つらら切りは側面が丸みを帯びた独特の形状で、これは2次形〜10次形までこの形状です。
前燈取付台座は112、117号機がLP42用で109、116号機が2枚板が飛び出したタイプ、他はステー式です。

※印…主な特徴です。画像をクリックすると大きなものが表示されます。

 EF15 107〔新鶴見→立川〕
EF15107 青梅からの石灰貨物の先頭に立ち立川駅構内にて発車を待つ107号機。これは末期の立川区時代です。左にはED16が2両(南武線ホームのは14号機)、立川機関区への回送に向け待機中です。

※正面ナンバープレート左寄り デフロスタ装備 前燈大 連結器解放テコ幅広
5184レ   立川 1980.2
製造年月日:S29.8.19
製造:日立製作所
廃車:S58.2.18
ef5853-EF15107 これは新鶴見時代の姿で、デフロスタは未装備です。
「EF10とEF13を撮りに行って、EF10は1両(EF1036[東])しか撮れなかった時のもの。このころは、1番ホームから写真撮るのは簡単でした。(1978年頃から入場券が要るようになった)」(EF5853さん)
撮影:EF5853さん  (たぶん)666レ  新宿 1976.9.10
nijinochichi-EF15107 つらら切りは中形で直線的なタイプですね。後ろのヨの姿も何とも懐かしい…。立川区に転じた後、デフロスタを装備した姿です。なお、本機の連結器解放テコは3次形以降の日立製独自の幅広です。
「ED16を撮りに行ったついで。」(二児の父さん)
撮影:二児の父さん  拝島 1982.4.11
BIN-EF15107 新鶴見区時代の姿で2エンド側です。今は無き東海道貨物線、入江駅で入れ換え中の姿です。デフロスタの無いHゴム改造の前面窓姿は、晩年の最も標準的な暖地形EF15の姿と言えます。ワイパーは機関士側WP50で助士側WP35です。
撮影:BINさん  279レ  入江 1977.6.13
BIN-EF15107 同じく新鶴見区時代の姿でこちらも2エンド側です。上と同じくパンタグラフのスリ板はアルミ製ですが2年後の一番上の写真ではなぜか鉄製に戻っています。他機でもこうした例はあるので、現場ではこうした振替は頻繁にあったのでしょう。本機はこの年の10月に立川区に転属しています。
撮影:BINさん  279レ  入江 1978.2.7
BIN-EF15107 同じく新鶴見区時代の姿でこちらは1エンド側です。
撮影:BINさん  279レ  入江 1978.6.8
BIN-EF15107 立川転属後で石灰列車を牽き南武線武蔵小杉付近を行くシーンです。こちらは1エンド側。おそらく府中街道の踏切からの撮影と思われますが、現在は高架になっている事もあり、まるで面影はありません。
撮影:BINさん  5178レ  武蔵中原―武蔵小杉 1979.2.12
BIN-EF15107 機関車部分の拡大です。前面窓にデフロスタの設置がされました。パンタの擦り板が鉄製に変わっています。
撮影:BINさん  5178レ  武蔵中原―武蔵小杉 1979.2.12
BIN-EF15107 これも立川区転属後の姿で2エンド側です。南武線で石灰列車を牽く姿もすっかり板に付いています。 ところで本機を含めて日立製本ロットのナンバープレートの書体が他と比べ細い様に見えますが気のせいでしょうか?
撮影:BINさん  279レ  武蔵中原 1981.1.16
117KM-ef15107
新鶴見時代でこちらは1エンド側です。機関士側・助士側共にワイパーはWP35です。東海道本線で長編成の貨物を牽く姿はかつて同線の主だった頃を彷彿させ、何とも頼もしいです。
撮影:117KMさん   下り貨物  函南―三島 1975年頃
 EF15 108〔高崎第二〕
EF15108 この頃は山手貨物線にもその名の通りまだまだ多くの貨物列車が走っていました。EF15の牽く貨物列車も街の風景に溶け込んでいました。つらら切りは中形のようです。パンタはPS14です。
 
※寒地形 東新潟形汽笛カバー 正面ナンバープレート左寄り
原宿―渋谷 1980?
製造年月日:S29.9.28
製造:日立製作所
廃車:S56.5.8
H-yamaguchi-ef15108 新宿駅で待機する108号機で2エンド側でパンタグラフがPS15になっています。 本機は同じ日立製の118号機(9月9日落成)の次の落成で、本機以降の日立落成機の連結器解放テコは幅広ではなく標準タイプとなっています。本機は1969年(昭和44年)から9年ほど東新潟区に配置されていた為か汽笛カバーは小ぶりな東新潟タイプです。
撮影:山口裕志さん   新宿 1980.7.23
BIN-EF15108 下り貨物を 牽き高島貨物線・海岸通り踏切を通過する同機のサイドビューでL側(左が1エンド)です。パンタはPS15に変わっています。真横から見るとステー取付の前燈の飛び出し具合が良く分かります。路上駐車の車の姿に1980年代を感じます。右は希少なコロナの1979年式リフトバックでしょうか?
撮影:BINさん  下り貨物  入江 1980.1.31〜2.1
BIN-EF15108 入江駅を発車する自動車輸送列車の先頭に立つ姿でこちらは2エンド側です。ワイパーは機関士側がWP50で助士側はKW3Dです。
撮影:BINさん  5578レ  入江 1980.10.31
 EF15 109〔広島〕→〔東京〕
EF15109 1979年4月に広島から東京に転属した109号機が山手貨物線を行く姿でこちらは1エンド側です。原形窓、原形ワイパーにプレート式ナンバーとPS14パンタの組み合わせは関東では既に希少になっていました。この場所は当時結構お気に入りだったのですが、今では完全にアウトですね。(^_^;) 夕方6時過ぎなのですが、この5分ほど前に八王子区のEF15(EF60)の下り貨物もあって、効率良く撮影できた覚えがあります。惜しむらくは陽の長い時期限定と言うところ。
 
※前面窓原形 排障器前端バリ取付 正面ナンバープレート左寄り
671レ(多分)  渋谷―原宿 1979.8
製造年月日:S29.12.14
製造:日立製作所
廃車:S56.2.6
ef5853-EF15109 呉線を行く広島時代の姿でこちらは2エンド側です。資料によると同じ日立製の110号機よりなぜかひと月半ほど遅れて落成しています。製造途中で何か不具合でもあったのかも知れません。
「安芸阿賀〜広には鉄橋が2つあります。これは更に広に近い方です。原形窓のきれいなカマでした。」(EF5853さん)
撮影:EF5853さん   663レ  安芸阿賀―広 1978.3.19
H-yamaguchi-ef15109 広島区から東京区へ転属、武蔵野線を行く109号機。排障器は広島のEF15に多く見られる前端梁の側面に付いたタイプです。
撮影:山口裕志さん   東川口 1980.7.14
BIN-EF15109 新鶴見区のEF651090を従えて入れ替え作業中。こちらは1エンド側。前端バリの側面に取り付けられた排障器の状態が良く分かります。前面扉上部や運転室側窓の下に塗装の剥がれが見受けられます。パンタグラフの擦り板はこの時点では鉄製です。
撮影:BINさん  277レ  入江 1979.8.27
BIN-EF15109 同じくEF651090を従えて入江駅で発車を待つ。次位のPFも両パンが上がっているのが良いですね。
撮影:BINさん  277レ  入江 1979.8.27
BIN-EF15109 こちらも1エンド側で上と同じ277レですが撮影日が異なります。要部検査を受けたのか車体や足回りなどが綺麗になり、パンタグラフの擦り板もアルミ製に交換されていますが前面窓やワイパーは原形のままです。ナンバープレートがメッキ仕様になっているのがカラーだと良く分かりますね。せっかく綺麗になったにも関わらず本機は1980年11月1日付で2休になっています。(全検切れがおそらく1981年1月)上写真の次位のPFと同じくこちらのEF65Pも両パンが上がっていますが、277レでは定番だったんですかね?
撮影:BINさん  277レ  入江 1980.3?
 EF15 110〔長岡(転)〕
ef5853-EF15110 正面の扉の右横に手すりの付いた長岡区独自の形態の110号機。つらら切りは標準的な中形、汽笛カバーは高崎の大形タイプです。
「長岡のスタイルですね。ワムの後ろについているのは貨車FAN注目のトキ21500のようです。(初めて気がついた)」(EF5853さん)
 
※寒地形 正面扉横手すり 正面ナンバープレート左寄り
撮影:EF5853さん   772レ  長岡 1979.8.11
製造年月日:S29.10.30
製造:日立製作所
廃車:S55.11.19
 EF15 111〔新鶴見〕
ef5853-EF15111 デフロスタを装備している以外は暖地形EF15の標準的な姿の111号機。つらら切りも標準的な中形です。こちらは2エンド側。
「機関区解放日に友人と出かけた時に撮ったもの。カマであふれかえっていたここも今では・・・(今でも、新川崎駅ホームには数人テツの姿がありますね・・)」(EF5853さん)
 
※デフロスタ装備
撮影:EF5853さん   新鶴見機関区 1978.11.4
製造年月日:S29.7.20
製造:東京芝浦電気
廃車:S55.12.10
ohno-ef15111 現在、横須賀線が行き来している東海道貨物線を単機で行く111号機。余談ですが東芝製のナンバープレートは上寄りに取り付けられています。 この時点ではデフロスタは未装着です。
撮影:ohnoさん   鶴見―新子安 1977.5.19
東海道線の「SM分離」に伴い運転された建築限界測定列車(いわゆるオイラン)。先頭はDE1112で2両目がEF15111です。トキやオヤ、ナハフに鈴なりになった黄色いヘルメットの職員さんが面白いですね。
ちなみに「SM分離」とは当時同じ線路を走っていた東海道普通(列車番号M)と横須賀線(列車番号S)を別線にする事をさします。
撮影:jm1xsjさん   保土ヶ谷 1980.3.28
BIN-EF15111 こちらもデフロスタ未装備の姿で2エンド側です。機関士側ワイパーのみWP35に交換されています。 パンタのスリ板は両エンド側共にアルミ製です。
撮影:BINさん  279レ  入江 1976.12.9
sugi-ef15111 同じくデフロスタ装備前の姿でこちらは1エンド側です。こちら側の機関士側のワイパーは原形のKW3Dのままです。手前の1エンド側のパンタグラフのスリ板は鉄製ですが、奥の2エンド側はアルミ製となっています。半年ほど前の撮影の上のBINさんの写真では両エンド共アルミ製です。パンタのスリ板に関しては鉄製もアルミ製も予備品は共通だったんでしょうね。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん    新鶴見機関区 1977.7.24
BIN-EF15111 お馴染みの入江駅で夕陽を浴びながら入れ替え中。これもデフロスタ取付前でこちらは2エンド側です。機関士側ワイパーはWP35です。通風口は東芝製の10次形まで見られる幅が狭く高さも低い6段ヒダのタイプです。
撮影:BINさん  272レ  入江 1976.5.28
BIN-EF15111 同じく夕陽を浴びて入れ替えにいそしむ。パンタのスリ板は前後ともアルミ製ですね。
撮影:BINさん  272レ  入江 1976.5.28
BIN-EF15111 側面ナンバープレートと製造銘板です。エアタンクの検査標記は51-4-6 OM。 製造から22年ほど経過していますが、外板はまだ美しい状態を保っています。とは言えEF65PFなどが製造から40年でも現役なのを見ると、製造から30年未満で廃車になったEF15は時代だったとは言え何とも可哀想に思えます。
撮影:BINさん  279レ  入江 1977.1.28
BIN-EF15111 前面窓にデフロスタ取付け後の姿でこちらは2エンド側です。ワイパーは両側共WP35に見えます。デフロスタが付くと同じ暖地形でも窓周りの印象が随分変わります。パンタのスリ板は上の針葉樹林鉄道研究会の杉さん撮影の物とは反対に2エンドが鉄製で1エンドがアルミ製になっています。
撮影:BINさん  279レ  入江 1978.4
BIN-EF15111 同じく2エンド側キャブ周りです。旧形電機ならではの足回りが魅力的です。少々分かりにくいですが区名札挿しの左に11号機にも見られる逆台形状にボルトの様な物が確認できます。
左の踏み切りで停車中のトラック(三菱ふそう・FKシリーズ)の姿も懐かしいですね。
撮影:BINさん  279レ  入江 1978.7下旬〜8上旬
BIN-EF15111 上の写真の逆台形状のボルト部分の拡大です。11号機とは少々位置が異なりますが形状はほぼ同じです。11号機同様、本機も1エンド側には見られません。一体何の為の物なのでしょうか?
撮影:BINさん  279レ  入江 1978.7下旬〜8上旬
 EF15 112〔新鶴見〕→〔立川〕
6348-EF15112 東海道に1往復だけ残った新鶴見のEF15の貨物列車の下りです。プレート式ナンバーにPS14AのEF15はやはり格好いいです。つらら切りは一番標準的な中形のものです。前燈の取付台座はLP42用をそのまま利用しています。
 
※デフロスタ装備 正面ナンバープレート上寄り
撮影:6348レさん   1791レ  早川―根府川 1978
製造年月日:S29.8.7
製造:東京芝浦電気
廃車:S58.8.5
Tc153-501-EF15112 「EF15に関しては当時情報に乏しく、私は立川区にEF15がいることすら知りませんでした。そこには絶滅したものと思っていた「ナンバープレート付・首都圏形?」のカマまでおり、えらく興奮した思いがあります。記憶では・・・107(9?)・112・126 が居たはずです。東海道筋にも広島転入組EF15(東京区)がおりましたが、153・157以外は魅力に欠けるもので、青梅線にはED16よりもむしろEF15が気になり赴いたものでした。(それでも3回ほどしか行っていませんが・・・)112号機は前照灯台が他の15と違い特に好みでした。」(Tc153−501さん)
撮影:Tc153−501さん   拝島 1983年春頃
nijinochichi-EF15112 EF58の陰に隠れてずっと脚光を浴びることの無かったEF15も、最晩年になってようやくファンの注目を集めるようになったようです。立川区に転属後、ヘッドマークを掲げてファンを乗せた列車の先頭に立つ姿はちょっぴり誇らしげです。
撮影:二児の父さん  「EF15スイッチバックの旅号」  立川―日野 1983.6.26
ef5852-EF15112 「昭和58年あたりから 青梅線で長年活躍してきたED16が終焉を迎えることとなりファンから脚光をあびることになりました。 この写真は、ED16を撮影しに行ったらたまたま停車していた112号機を撮影したものです。 他のEF15と比較して正面のプレート式ナンバープレートが上寄りに取り付けられているように思えます。」(EF5852さん)
撮影:EF5852さん  拝島 1983.3.22
sugi-ef15112 デフロスタ取り付け前のスッキリとした前面窓で2エンド側です。プレート式ナンバーにHゴム前面窓、PS14パンタのこの姿こそ晩年のEF15暖地形の標準スタイルと言えます。それにしても新鶴見区時代に何故わざわざデフロスタを取り付けたのかが疑問です。(もしかしたら宇都宮運転所時代に取り付けていた物かも?)
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん    新鶴見機関区 1976.3.28
同じく新鶴見機関区内で僚友177号機と憩う姿でこちらも2エンド側です。前面窓にはデフロスタが取り付けられています。
撮影:jm1xsjさん   新鶴見機関区 1980年春頃
torisugari-ef15112 「EF15スイッチバックの旅号」を牽き甲府駅に到着後の入れ換えシーン。こちらは2エンド側。職員さんの手作り感あふれるヘッドマークが味わいあります。
撮影:通りすがりの国鉄ファンさん  甲府 1983.6.26
 EF15 113〔東新潟〕→〔高崎第二〕
ef5853-EF15113b 同じくEF5853さん撮影の信越本線の海側を行く113号機。やはり15は貨物を黙々と牽く姿が様になってます。
 
※寒地形 東新潟形汽笛カバー 正面ナンバープレート上寄り
撮影:EF5853さん   1472レ  青海川 1979.8.10
製造年月日:S29.12.16
製造:東京芝浦電気
廃車:S57.2.27
BIN-EF15113 昭和55年(1980年)3月に東新潟区から高崎第二区に転属後の姿です。こちらは2エンド側。60系電機と同タイプの小振りな東新潟タイプの汽笛カバーが精悍です。ワイパーは機関士側WP50、助士側はWP35です。
撮影:BINさん  5578レ  入江 1980.11.12
BIN-EF15113 同じく2エンド側です。屋根上の黒色塗装が分かります。真っ赤なク5000を連ねた自動車運搬列車の姿は黒が主流だった国鉄時代の貨物列車では目立つ存在でした。
撮影:BINさん  5578レ  入江 1980.12.17
トキとタンク車を連ねた貨物を牽き両毛線を行く。編成から見ていわゆる安中貨物でしょうか。ワイパーはやはり機関士側WP50、助士側はWP35の様ですね。
撮影:田舎者さん(80年代初めの鉄道写真)  上り貨物  駒形―前橋 1981.8頃
 EF15 114〔高崎第二〕
nijinochichi-EF15114 このロット、唯一の川崎製の114号機です。EF15全体を見ても製造メーカーは日立と東芝が主で、川崎や三菱など他メーカーは少数となっています。
 
※寒地形 前燈大 
撮影:二児の父さん   鶴見付近 1980.9.21
製造年月日:S29.10.22
製造:川崎車輌・川崎重工
廃車:S58.7.16 
inakamono-EF15114a 114号機のサイドビュー。新形電機に無い魅力的な姿です。
撮影:田舎者さん   前橋 1982.10
inakamono-EF15114b この当時、上越線の名物列車だったEF12との重連です。
これ、私も一度だけ行きましたが確かえらく朝早かった記憶が…。(その時の写真が行方不明だったりしますが…。^^;)
撮影:田舎者さん   八木原―渋川 1981.3
inakamono-EF15114c 颯爽と上越線を駆け抜ける114号機。本線系のEF15としては身軽な仕業ですね。
撮影:田舎者さん   井野―新前橋 1982.10.17
F-ichiro-EF15114 新製配置の浜松区時代の姿で、原形の前面窓で雪かき器や汽笛カバーも無くすっきりとした印象です。同機はこの撮影の年の5月に長岡第二に転属。以後、東新潟、高崎第二に配置され上越路を中心に活躍しています。
撮影:Fのイチローさん   下り貨物  辻堂―茅ヶ崎 1964.2.29
BIN-EF15114 入江駅で入れ換え中の同機の1エンド側です。大宮工場独自の屋根上の黒色塗装で汽笛カバーが黒色に塗られているのが分かります。本機の排障器は標準的な雪かき器の外側取付です。
撮影:BINさん  5770レ  入江 1979.12.9
BIN-EF15114 上の写真の続きで青色のタキ43000を従えて入江駅を発車するシーン。今にも MT42のモーター音が聞こえてきそうです。
撮影:BINさん  5770レ  入江 1979.12.9
jm1xsjさんが撮影の新鶴見機関区西機待出区時の114号機です。隣の79号機と比較すると前面通風口のサイズの違いが良く分かります。(東芝製の79号機が小さい)撮影日が不明ですが79号機が1981年4月に廃車になっている事から、少なくともそれ以前の撮影。上のBINさん撮影の物と同じ1エンドL側で、運転室側窓下部の外板が同様に荒れているのが確認できます。
撮影:jm1xsjさん   新鶴見機関区 撮影日不明
同じく新鶴見機関区西機待出区時に撮影の同機のサイドビュー。 運転室側窓下部の外板の荒れ具合が分かります。
撮影:jm1xsjさん   新鶴見機関区 撮影日不明
同じ時に撮影の同機の運転室内です。 新系列電機などと比べ実に武骨な機器配置です。元々狭い運転席が後付の緊急ブレーキなどのスイッチ類や無線で更に狭苦しい印象です。
撮影:jm1xsjさん   新鶴見機関区 撮影日不明
同じく運転室内の各種メーター類。運転時刻表や電圧計の指標から「生きた状態」なのが伺えます。
撮影:jm1xsjさん   新鶴見機関区 撮影日不明
主幹制御器のアップ。本機は川崎製ですが主幹制御器の刻印は東芝です。
撮影:jm1xsjさん   新鶴見機関区 撮影日不明
BIN-EF15114 こちらは1エンドL側の側面です。運転席側面下部の外板が荒れていますが、他機でもこの辺りが荒れている物が多い印象です。何か原因があるんでしょうかね?ステー式の前燈取付台座にはステー上面にLP402の取付足に合わせて板状のパーツが取付られているのが良く分かります。
撮影:BINさん  1275レ  入江 1980.2
BIN-EF15114 こちらは2エンドR側です。こちら側の運転席側面下部もやはり外板が荒れていますね。側面ナンバープレートの白塗りが目立ちます。前端バリ右側面に手歯止掛けが見えますが、EF15晩年では基本的に2エンド側のこの位置に設置されています。(例外あり)
撮影:BINさん  5578レ  入江 1981.10
BIN-EF15114 同じく2エンド側です。上の写真の2か月後なので姿に変化はありません。パンタグラフと台座のグレー塗装が確認できます。雪かき器に何かとぶつかった凹んだ跡が目立ちます。
撮影:BINさん  5578レ  入江 1981.12.23
 EF15 115〔高崎第二〕
1980-ef15115 この頃は現在のEF65のように、首都圏のあちこちでEF15の姿を見ることができました。本機のつらら切りは中形で丸いタイプ、汽笛カバーは小形の新形電機と同様のタイプ(東新潟形)です。先輪の担いバネと動輪の釣り合い梁を結ぶバネ吊りリンクは丸棒で、それに連結する釣り合い梁も独特の形状の三菱式です。
 
※寒地形 先輪後位バネ吊り三菱タイプ 東新潟形汽笛カバー
恵比寿 1980
製造年月日:S29.9.10
製造:三菱電機・新三菱重工
廃車:S58.2.18 
BIN-EF15115 ク5000の先頭に立つ。こちらは2エンド側です。ワイパーは機関士側、助士側共にWP50です。 東新潟形の汽笛カバーが黒く塗られているのが確認できます。パンタの台座も黒に見えます。
撮影:BINさん  5578レ  入江 1981.1.13
BIN-EF15115 ク5000を従えて入江駅を発車する姿でこちらは1エンド側です。 小振りな東新潟タイプの汽笛カバーが精悍です。
撮影:BINさん  5578レ  入江 1981.9.22
BIN-EF15115 入江駅で入れ換え中の姿でこちらも1エンド側です。
撮影:BINさん  5578レ  入江 1981.9.30
今日のお供はヨが1両。こちらも1エンド側です。
撮影:田舎者さん(80年代初めの鉄道写真)  上り貨物  駒形―前橋 1982.12
山手貨物線を行く姿で こちらは2エンド側です。シャープな東新潟形汽笛カバーがはっきりと確認できます。撮影日が不明ですが上から二番目のBINさん撮影の写真と機関士側の全面窓右の塗装の剥がれや雪かき器の汚れ具合がほぼ同じ事から、1981年前後ではないかと思います。
撮影:NIROさん    田端―駒込  撮影日不明
 EF15 116〔新鶴見〕→〔東京〕→〔八王子〕→〔甲府〕
6348-EF15116 こちらも東海道線の新鶴見区のEF15の貨物列車の上りです。上りは夕方で光線状態が厳しかったですね。同機のつらら切りは中形の丸っこいタイプのものです。また、前燈の取付台座が2枚で飛び出したタイプとなっています。

※先輪後位バネ吊り三菱タイプ 前燈小 
撮影:6348レさん  1790レ  早川 1979.2.12
製造年月日:S29.12.10
製造:三菱電機・新三菱重工
廃車:S56.3.23
inage-EF15116 八王子区時代の同機で2エンド側です。東京区から転属して間もない為かデッキステップの白塗りがそのままです。
「当機は首都圏タイプで特長がありません。」(N.Inageさん)

撮影:N.Inageさん   新宿 1978.9.15
BIN-EF15116 ク5000を従えて発車を待つ同機の1エンド側です。この写真の前年末の12月29日に新鶴見区から東京区に転入して間もない姿で東京区の証のデッキステップ前面下部の白塗りが未施工です。同機はこの1年半後の1978年7月に八王子区に転じ、更に翌年5月に甲府に転属と晩年めまぐるしい生涯を送っています。
撮影:BINさん  5580レ  入江 1977.1.25
BIN-EF15116 同じ日に撮影された同機のナンバープレートと製造銘板です。
撮影:BINさん  5580レ  入江 1977.1.25
sugi-ef15116 田端機関区でEF80に囲まれて昼寝中の姿で2エンド側です。こちらも上のBINさんの写真と同じく東京区に転入直後の姿でやはりデッキステップの白塗りはまだされていません。この当時の常磐線の主だったEF80も残念ながら馴染み深い1次形は過去帳入りしてしまいました。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん    田端機関区 1977.1.5
BIN-EF15116 青色のタキを連ねたタンカートレインの先頭に立つ姿でこちらは1エンド側です。 東京区から八王子区に転属してから半年以上経つにも関わらず、デッキステップの白塗りはそのままです。
撮影:BINさん  5462レ  品川―鶴見 1979.2.10
 EF15 117〔新鶴見〕→〔東京〕→〔甲府〕
hiramatsu-EF15117 こちらはリンクでもお世話になっておりますS.Hiramatsuさん撮影の身延線を行く甲府区転属後の姿です。東京区時代のデッキステップの白塗りがそのままです。
「沼久保−芝川あたりでしょうか、なにせ20年も前で記録がなくてすみません。」(S.Hiramatsuさん)

※正面ナンバープレート上寄り
撮影:S.HiramatsuさんPassenger Cars Room   沼久保―芝川? 1979.5頃
製造年月日:S29.8.17
製造:東洋電機・汽車製造
廃車:S56.10.12
ohno-ef15117 新鶴見区時代の117号機。本機はこの後昭和52年(1977年)2月に東京、昭和54年(1979年)4月に甲府へ転属しています。上の甲府時代にはカバーの付いているLA15避雷器はカバー無しです。
撮影:ohnoさん   駒込 1976.6
sugi-ef15117 これも新鶴見時代の姿で1エンド側です。前燈の取付台座はLP42の物を利用しています。機関士側、助士側共にワイパーはWP35です。LA15避雷器はこの時点では当然、カバー無しです。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん    新鶴見機関区 1976.3.28
BIN-EF15117 東京機関区転属後の姿でこちらも1エンド側です。 上の新鶴見区時代と形態的には変化ありませんが、東京区所属の証のデッキ昇降段の下端の白塗りが施されています。また、新鶴見時代にあった不使用砂箱の蓋の留金の白塗りも無くなっています。
撮影:BINさん  5580レ  入江 1977.11.21
BIN-EF15117 同じく東京区転属後の姿でこちらは2エンド側です。 1エンド側同様、LA15避雷器にはカバーはありません。
撮影:BINさん  693レ  鶴見―品川 1978.2.11
BIN-EF15117 こちらも同じく東京区時代の2エンド側です。 上の写真から約1年後の姿ですが、LA15避雷器にカバーが取り付けられています。 また、パンタグラフのスリ板がアルミから鉄製に戻っています。
撮影:BINさん  5462レ  品川―鶴見 1979.1.27
 EF15 118〔甲府〕
murakichi-EF15118 「EF15は、ほとんど撮影対象には入っておらず、これも旧国撮影の合間に「たまたま」来た貨物でした。」(Murakichiさん)
旧国やゴハチの陰に隠れてEF15はやっぱり地味でしたからねぇ…。(^^;)
ちなみに前端バリ右側面に手歯止め掛けが無いので1エンド側と思われます。
 
※寒地形 連結器解放テコ幅広 正面扉横手すり 前燈大 
撮影:Murakichiさん   源道寺付近 1981.8.8
製造年月日:S29.9.9
製造:日立製作所
廃車:S59.1.12
nijinochichi-EF15118 身延線で活躍する姿でこちらは2エンド側です。晩年、上越地区から甲府区に転属した機関車はスノウブロウを外すことなく運用されています。 なお、本機は同じ日立製の107号機と108号機の間に落成しており、日立製の3次形以降の特徴でもあった幅広の連結器解放テコは本機が最後になっています。
撮影:二児の父さん   撮影地不明(身延線のどこかの駅) 1981.7.26
tanijiri-EF15118 身延駅で入換中の姿でしょうか。これも上の写真と同じく2エンド側で撮影時期もほとんど一緒です。本機は1979年6月に甲府区に転属する前に長岡区に所属していたので、前面扉の右に長岡区独自の手すりが確認できます。
撮影:谷尻裕之さん   身延 1981.7.12
 EF15 119〔東新潟〕→〔高崎第二〕
ef5853-EF15119 「「あー来ちゃった!」というのがもろバレです。情けないですがとりあえず・・・。」(EF5853さん)
 
※寒地形 東新潟形汽笛カバー 正面ナンバープレート上寄り
撮影:EF5853さん   1496レ  鯨波―青海川 1979.8.10
製造年月日:S29.9.25
製造:東京芝浦電気
廃車:S55.10.13
H-yamaguchi-ef15119 昭和54年9月に東新潟から高崎第二区に転属。翌年の55年10月には廃車となっているので同機の高二での記録は珍しいかも知れません。本機の汽笛カバーは東新潟区独自の小形のものです。 また、三菱製でありながら先輪の担いバネと動輪の釣り合い梁を結ぶバネ吊りリンクは標準タイプです。
撮影:山口裕志さん   東川口 1980.5.25
 EF15 120〔竜華〕最終配置
shinohara-EF15120 大阪の新幹線公園内に保存されている120号機の近況を篠原さんよりお送り頂きました。
形態的には原形窓に左右とも原形の腕折りワイパーですが、機関士側が直線式の取付位置になっているのが変わっています。

※先輪後位バネ吊り三菱タイプ 原形前面窓 排障器前端バリ取付
撮影:篠原さん   新幹線公園(大阪府摂津市新在家) 1999
製造年月日:S29.9.7
製造:三菱電機・新三菱重工
廃車:S58.1.29

現在、大阪府の新幹線公園にて保存 
ohno-ef15120a 原形窓、原形ライト(厳密に言えば違いますが)姿も美しい120号機。面白いのが機関士側ワイパー(たぶんWP35)取付位置が窓下中央になっている点です。おそらく原形窓の同機は平行腕のWP35を窓上部に取り付けるにはつらら切りと窓との間隔が狭すぎた為、下部に取り付けたのではないかと思われます。
撮影:ohnoさん   和泉府中 1978.3.15 
ohno-ef15120b シールドビーム2燈に改造後の同機です。ちなみにこの改造は昭和54年1月に鷹取工場における要部検査で行われています。上の保存状態の写真とはワイパー形態から逆エンドだと思われます。
撮影:ohnoさん   御坊 1979.8.14
2017年1月に再塗装され綺麗になった最近の保存姿です。一番上の写真と同じ1エンド側ですがワイパーは残念ながら全て無くなっています。区名札挿の左脇に11号機などで見られる謎の逆台形のボルトがある様に見えますが、やはり自分で確認に行かないといけませんね。展示に際して改造されたデッキステップの具合も分かります。それにしても車体の状態は本当に綺麗です。
撮影:minmiさん  新幹線公園 2024.4.17
こちらは2エンド側です。運転室側窓はアルミサッシ化されています。デッキステップ最下段は鷹取工場独自のスノコ状に改造されてるのが分かります。また、こちら側の区名札挿の左には謎の逆台形のボルトがしっかり確認できます。それにしてもホントに今にも走り出しそうです。

撮影:minmiさん  新幹線公園 2024.4.17
同じく2エンド側です。ワイパーは機関士側のみWP50が残っています。前面扉のドアノブは欠落している様です。転落防止の為でしょうかデッキ手すりに張り巡らされたテープが少々残念ではありますが、しっかりとパンタも上がっていて細かい所を除けば艶のある綺麗な車体と相まってまるで現役機の様です。(ある意味現役時代よりも綺麗な気もします。)

撮影:minmiさん  新幹線公園 2024.4.17
 EF15 121〔高崎第二〕
ef5853-ef15121 「いわゆる東新潟スタイルのカマですね。露出もさることながら一番最後のコマだったせいか状態がよくないのが輪をかけてます(T_T)」(EF5853さん)
傷など多少修正しましたので少しは良くなったでしょうか??汽笛カバーは東新潟タイプです。こちらは2エンド側です。
 
※寒地形 東新潟形汽笛カバー 正面ナンバープレート上寄り

撮影:EF5853さん   3783レ  長岡 1979.8.9
製造年月日:S29.12.10
製造:東洋電機・汽車会社
廃車:S56.8.27
H-yamaguchi-ef15121 次位にお召し整備で大宮工場に入場するEF5861を連結しています。
東洋・汽車による製造機の正面ナンバープレートは上寄りに付けられているのが特徴です。この2エンド側のLA15避雷器のカバーは未取り付けです。
撮影:山口裕志さん   新宿 1980.9.3
本グループでは本機のみPS15パンタグラフを装備していますが、これは同じ東洋電機・汽車会社製のEF58の86、87号機と同様に、当時のパンタグラフ主要製造メーカーであった東洋電機が自社製の新形パンタをいち早く装備した為と思われます。EF15で本格的にPS15が採用されるのは2年半後の昭和32年製の第12次形からとなります。こちらも2エンド側で、やはり避雷器LA15にカバーは無く、この時点ではワイパーは左右共に原形のKW3Dです。

撮影:佐々木さん   長岡 1977.3.1
BIN-EF15121 ワムハチを中心にした貨物の先頭に立ち品鶴線を行く。こちらは1エンド側ですがLA15避雷器にはカバーが取り付けられています。本機は昭和44年(1969年)から昭和54年(1979年)12月に高崎第二区に転属するまでの10年間、東新潟区の配置でした。上の119号機同様、高二転属後わずか1年半ほどで廃車になっています。
撮影:BINさん  1482レ  品川―鶴見 1980.5.4
BIN-EF15121 車運車ク5000を連ねた自動車輸送列車の先頭に立つ姿でこちらも1エンド側です。ワイパーは機関士側WP50、助士側WP35になっています。
撮影:BINさん  5578レ  入江 1980.10.23
BIN-EF15121 上の写真から5ヵ月後に同じく5578レを牽く姿でこちらは2エンド側です。このアングルでもこちら側は前燈の影に隠れてカバー無しの避雷器の姿はほとんど見えません。
撮影:BINさん  5578レ  入江 1981.3.19

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