第2次形(9〜11、34〜36、40〜42号機) |
ドッジラインによる製造中断が解かれて昭和26年4月〜6月に登場したグループ。前グループ最後の落成から丸3年が経過しています。このグループから主電動機のMT42化と共に外観上の大きな仕様変更が行われました。具体的には以下の通りです。
- 車体断面形状が変更され、車体高さが3530mmに (日立製9〜11号機は1次形と同じ3460mm)
- 側面機器室窓の増設(7枚)
- 前面窓上につらら切り取り付け
- 前面扉のドアノブの形状を縦形から横形に変更
- 屋根上にモニタールーフ取り付け
- パンタグラフのPS14への変更
- 前面扉窓の固定化、正面通風口の取り付け(9号機は後に撤去)
- 屋根上の雨樋取り付け(除く9〜11号機)
しかし、まだまだ1次形の影を大きく残しており、枕梁の端面形状は全機長方形、車体正面の昇降段は日立製の9〜11号機、三菱製の34号機が1次形と同じ4段、その他はその後の標準の5段タイプですが、砂箱の数は全機1次形同様に動軸1個に対して一つ、屋根上の主抵抗器室のカバーも車体中央よりの端面が垂直になった形に変更されたものの両エンド側とも同じ大きさ(三菱製の34〜36号機は1次形と同じ両端が斜めになったもの)、機関助士側の側窓は1次形と同じく1枚タイプで運転席側窓の水切りは日立と三菱がそれぞれ一次形と同じで川崎のみ標準タイプです。デッキ形状も1次形の各メーカータイプとなっており、まだまだ統一された仕様にはなっていません。落成時は全機プレート式先輪、引っ掛け式標識燈でした。標識燈は昭和31年〜42年に掛けて11号機を除き全機埋込式へ改造されています。また、おそらくですがワイパーも全機手動式だったと思われます。
この中でも、日立製の9〜11号機は1次形と2次形の中間的な形態で、よく見ると第3・第5側窓の位置が1次形と同じになっており、おそらく側窓5枚の1次形後期の鋼体(車体断面が低くエアフィルタが小さいタイプ)に窓を後から足して製造されたと思われます。車体断面形状も1次形の低いものと同じ車体高さ3460mmのようで、正面から見ると平べったくなってます。さらに正面扉は1次形と同じく補強帯があるタイプです。1次形で欠番となっているナンバーやこれらの点からこの3両は、ドッジラインによる製造中断前にメーカーで見込み生産されていた仕掛け品だったと想像されます。EF58で言えば側窓変形機の35、36号機と同様の出自と言えます。
その落成時の形態は前面通風口は1エンド機関士側7段、助士側8段、2エンド機関士側7段で、運転席側窓の雨樋も1次形同様窓下まで達していないタイプだったと思われます。通風口は福米EF16にも1エンド機関士側7段、2エンド機関士側7段、助士側8段のタイプがありましたが、9〜11号機とはエンドと通風口の関係が反対になっています。モニタールーフ小窓も標準の5枚ではなく6枚で、日立製では3次形までこのタイプと思われます。なお、これら3両には屋根上の雨樋が付いていませんが、同じく落成当時に雨樋が未取付だった1次形はその後の装備改造で取り付けが行われており、最終的にEF15(EF16)内での雨樋未取付機はこの3両だけと思われます。また、本ロットより最初から取り付けられたつらら切りの形状も、日立製に関しては大形で丸みが強い独特な形態が6次形まで続きます。
三菱製の34〜36は戦後の財閥解体で登場した中日本重工の製造銘板を持つことで有名でした。通風口も前面左右の標準的な位置(厳密には異なる)に設けられましたが、本グループのみに見られる3段のガラリ形で川崎製の4段のガラリ形、後の標準的な6段ヒダの物とも形態が異なっています。側面は機関助士側の側窓が1次形と同タイプとなっている他は既に標準タイプとなっており、正面扉の形状などから新設計の車体となっているようです。また、本ロットのみ第3動軸の砂箱のみサイズの小さい物になっています。(川崎製とも異なるタイプ)先にも触れましたが屋根上の抵抗器室カバーの形状が三菱製のみ1次形と同じタイプのままです。
先輪の担いバネと動輪の釣り合い梁を結ぶバネ吊りリンクは1次形の33年製の24,25号機と同じく丸棒で、それに連結する釣り合い梁も独特の形状となった三菱式で、以後10次形の125号機まで基本的にこの形態です。(例外:59、86号機は標準タイプ)また、運転席側窓の水切りは、本ロットまで全て同じ幅の三菱タイプです。デッキは一次形タイプで前面の連結器解放テコの取付方法は3両とも外側取付となっています。つらら切りの形状も日立ほどではありませんが、後の標準タイプと比べると側面が丸みを帯びた独特の形状で、これは10次形までこの形状です。
川崎製の40〜42も前面左右に三菱製同様4段のガラリ形通風口が設けられましたが、三菱製とは形状が異なっています。正面ナンバープレートの取付位置も上寄りです。砂箱は川崎独自の小さいタイプです。この3両は埋め込み式に改造された標識燈の位置が標準よりも上寄りに取り付けられているのも特徴です。(42号機が特に顕著)
前燈の取付台座は9,34,40,41,42号機が2枚板の飛び出したタイプ、10,11,35号機がLP42用、36号機のみステー式となっています。
※印…主な特徴です。画像をクリックすると大きなものが表示されます。
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EF15 9〔東京〕 |
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側窓は7枚になったものの、中央3枚の配置が1次形と同じです。前面の通風口は引っ掛け式標識燈時代は設置されていましたが、標識燈の埋め込み化に際し埋められたものと思われます。屋根上にモニタールーフが付けられました。デッキ形状は日立製1次形と同じで、前面昇降段も1次形と同じ4段です。また、正面扉は周囲に補強帯がある1次形と同じ形状になっており、窓の形状は若干異なりますが1次形と同様開閉式の窓で登場したと思われます。
プレスアイゼンバーン刊「電気機関車Vol.2」掲載の引っ掛け式標識燈時代の本機の2エンド側写真には機関士側に7段ひだの通風口があり、標識燈埋込に際し通風口も埋められたのものと思われます。また、その標識燈の取付高さも通常より高い位置となっています。つらら切りは日立独特の丸みを帯びた大形です。また、車体断面は1次形同様、標準形より70mm低いものと思われます。
※車体断面低 側窓変形 標識燈上寄り 前面通風口なし モニタールーフ小窓6枚 日立製1次形デッキ 砂箱少 つらら切り大形 正面昇降段4段 前面通風口無し 常磐線列車無線 雨樋未取付 水切り一次形 正面ナンバープレート左より 前燈小 その他色々(^^;)
撮影:EF5853さん 370レ 松戸 1979.3.9 |
製造:S26.4.24
日立製作所
No.4623
使用開始:S26.5.1
廃車:S54.4.21
移動:
S26. 4.24 沼津
S26. 5.11 浜松
S27. 3.10 沼津
S36. 9.29 岡山
S37. 9.30 沼津
S47. 3.15 東京
S54. 4. 5 1休指定
S54. 4.21 廃車
最終走行:
S54.4 2,196,979km
記事:
●S28.11.27〜12.4 浜松甲修:泥除取付
●S29.8.20〜8.26 浜松丙修:排障器改造
●S33.6.16〜6.24 浜松丙修:電気式窓拭器取付(2基)
●S34.2.23〜2..26 浜松臨修:前燈整備
●S36.1.9〜1.20 浜松臨修:避雷器LA14に取替・自動窓拭器取付
●S37.8.20〜8.27 鷹取丙修:排障器改造
●S39.5.7〜5.11 浜松臨修:信号炎管取付
●S40.2.18〜2.26 大宮甲修:標識燈に赤円板取付
●S42.2.21〜3.3 大宮全検:排障器整備
●S48.3.15〜4.3 大宮臨検:先輪軸受コロ式に改造 |
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特徴ある側窓配置が良く分かるカット。この頃の東京区にはこの9号機をはじめ10号機、11号機など個性的なEF15が多数配置されていました。
撮影:S.Hiramatsuさん(Passenger
Cars Room) 新三郷 1978.12 |
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この9〜11号機独特の側窓配置はその誕生経緯からもEF58で言えば35・36号機の様な物と言えましょう。屋根上の常磐線列車無線アンテナが良く分かります。なお、日立製2次〜3次形では正面ナンバープレートがかなり中央寄りに取り付けられています。こちらは1エンド側。
撮影:タケチャンマンさん 田端機関区 1976.8 |
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東京区の名物列車、荷2935レを牽く9号機。
撮影:ohnoさん 荷2935レ 神田 1976.4.29 |
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冬の斜光を浴びて東海道貨物線を単機で行く。正面扉の窓の形状は四隅が丸くなった10、11号機とも異なる形状です。ちなみにこちらは2エンド側です。
撮影:BINさん 5580レ 品川―鶴見 1978.2.11 |
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側窓の中央3枚が1次形と同じ配置なのがお分かり頂けますでしょうか?また、屋根上のモニタールーフの窓が6枚、避雷器の取付位置が1エンド側(右)がパンタの後ろ、2エンド側が前燈後ろと異なり、屋根上の主抵抗器室カバーが前後で同じ大きさなのも良く分かります。
撮影:BINさん 266レ 入江 1978.2.2 |
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これも2エンド側です。形態は異なりますが一次形同様、正面扉の窓は開閉式に見えます。この形態は引っ掛け式標識燈で通風口設置時代からこの形です。後の10、11号機では正面扉は固定窓に見えることから、この違いが本機のみ通風口を埋めた理由でしょうか。
撮影:BINさん 1262レ 入江 1978.12.20 |
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1エンド側です。正面勝ちに見ると標識燈の取付位置が高いのが分かります。EF15に限らずED16など引っ掛け式標識燈を埋込式に改造した電機は、同じ形式でも標識燈の取付位置の違いで顔つきが随分と変化します。
撮影:BINさん 273レ 入江 1977.1.10 |
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2エンド側です。夕陽で1次形由来の独特の側面の窓配置が浮かび上がります。車体の皺も目立ちますが、9〜11号機の基になった鋼体はドッジラインが実施された昭和24年2月以前に製作されていたと思われ、車体鋼板の品質も1次形同様あまり良くなかったのでしょうね。
撮影:BINさん 5580レ 入江 1977.11.30 |
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L側のナンバープレートと製造銘板です。車体の傷み具合はもとより、ナンバープレートの鋳物の荒れ具合もなかなか凄いです。
撮影:BINさん 5580レ 入江 1977.11.30 |
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1エンド側です。本機はこの1ヶ月後の4月5日に1休指定されそのまま同月21日に廃車になっています。
撮影:BINさん 1262レ 入江 1979.3.7 |
EF15 10〔東京〕 |
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こちらも9号機同様側窓の中央3枚の位置が1次形と同じ10号機。しかしながら9号機とは異なり前面に通風口が設けられています。写真の2エンド側は機関士側に7段、1エンド側は左8段、右7段で取付高さも標準よりかなり低い位置となっているのが特徴です。そのため、埋め込み式の標識灯も車体裾ぎりぎりに付けられています。
また、通風口の横には落成時に付けられた標識灯掛けが残っています。モニタールーフ小窓は6枚(標準は5枚)、デッキ形状は日立製1次形と同じ、前面昇降段も1次形と同じ4段です。9号機同様、前面の貫通扉も縁取りのある1次形と同じ形状になっています。つらら切りは大形で裾が窓の真ん中まで来ています。
※車体断面低 側窓変形 前面通風口変形 モニタールーフ小窓6枚 日立製1次形デッキ 砂箱少 前燈取付位置原形 引っ掛け式標識灯掛け 前燈小 避雷器中央取付 正面昇降段4段 常磐線列車無線 つらら切り大形 雨樋未取付 水切り一次形 正面ナンバープレート左より 手動式ワイパー取付跡 その他色々(^^;)
撮影:並木美太郎さん(Mitarow's Rail) 品川 1976.2.11 |
製造:S26.5.22
日立製作所
No.4624
使用開始:S26.5.28
廃車:S54.9.12
移動:
S26. 5.22 沼津
S36. 9.29 岡山
S40. 9.28 新鶴見
S47. 3.15 東京
S54. 8.25 1休指定
S54. 9.12 工車516号により廃車
最終走行:
S54.8 1,703,639km
記事:
●S29.1.13〜1.21 浜松甲修:電気式速度計取付・泥除取付
●S34.3.9 浜松臨修:前燈整備
●S35.1.20〜1.21 浜松臨修:窓拭器WP35に取替
●S36.3.13〜3.14 浜松臨修:避雷器増設
●S37.1.6〜1.23 鷹取丙修:排障器改造
●S44.8.8〜8.19 大宮全検修:列車無線取付
●S48.8.28〜9.7 大宮全検:先輪軸受コロ式に改造・排障器整備
●S52.8.19〜8.30 大宮全検:改良形電気式速度計取付・WP35平行腕改造 |
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S.Hiramatsuさん撮影の10号機1エンド側です。左右でヒダ数が異なる通風口、車体端の標識灯掛け、下寄りの標識灯、独特の側窓配置も良く分かります。同機も正面ナンバープレートが中央寄りに取り付けられています。
撮影:S.Hiramatsuさん(Passenger
Cars Room) 新三郷 1978.12 |
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EF5853さん撮影の同機の屋根上です。常磐線列車無線の取り付け位置やその配線、雨樋未取付の屋根上が良く分かります。
本機の前照灯のLP402は原形のLP42(100Wまたは150W)の取り付け台座をそのまま流用して取り付けられています。そのため前照灯の前端が一般の物とは異なり車端部とツライチになっています。(結果的に前灯の後端がパンタ寄りにずれている)その影響からか避雷器は前灯後ろではなくモニタ寄りに取り付けられています。
「荷2935レ牽引後、機回り中のものを上から撮ったものです。」(EF5853さん)
撮影:EF5853さん 品川 1977.3.14 |
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東京駅に停車中のブラウントレイン。独特の側窓配置がお分かり頂けるでしょうか?
それにしてもこの当時でも真っ昼間の東京駅にこんな列車が突如現れたときのインパクトは相当なものだったでしょう。
撮影:青森恒憲さん(青春コレクション) 荷2935レ 東京 1978.6.30 |
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こちらは2エンド側です。ワイパーが機関士側WP50、助士側WP35に交換後の姿で、それに伴いつらら切りに逃げが設けられている事が分かります。
「御存じの荷物列車を引いて出発を待つ姿です。埋込み式標識灯に改造されたEF15の中で、旧標識灯掛けが残った珍しい機関車でした。9枚窓化の最初の3輛は、引っ掛け式標識灯の残った11号機・旧標識灯掛けが残った10号機・旧標識灯掛けを排除した9号機、という具合に最後までそれぞれの個性を残してくれてました。合わせてEF16未改造の一次型;EF1529・30が加わっており、1970年代の東京機関区のEF15の運用にはいつもワクワクさせられました。」(タケチャンマンさん)
撮影:タケチャンマンさん 荷2935レ 隅田川 1978年頃 |
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荷2935レを牽き、東京駅11番線で待機する10号機。見れば見るほど個性的な顔付きです。 本機の最終走行距離は約170万kmと、通常200万kmを超えるEF15の中ではかなり短い部類です。その割に車体もかなりくたびれていて、調子もあまり良くなかったのかも知れません。
撮影:青森恒憲さん(青春コレクション) 荷2935レ 東京 1978.6.30 |
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同じく荷2935レの先頭に立つ姿です。カラーで見ると後ろのマニと見事な茶色の編成美です。ちなみに前面窓の外側下部脇に見える丸い突起は、新製時に付いていた手動式ワイパーの取付跡が残ったもので、他に11号機とEF16の25、31号機があります。
「荷2935レを牽き11番線に停車中。元来貨物用のEF15ですが、東京区のカマには(荷物)客車運用があると知り撮影に訪れました。」(hojikurinさん)
撮影:hojikurinさん 荷2935レ 東京 1978 |
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10号機の1エンドR側の側面です。標識燈が埋込化された以外は残った標識燈掛けも含めて11号機とほぼ同じ形態です。他の写真からもパンタグラフの台枠はグレーとは思っていましたが、この写真ではっきりと確認できます。2エンド側のパンタグラフの擦り板が手前だけアルミ製に交換されています。
撮影:BINさん 1262レ 入江 1979.2.19 |
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1エンドL側です。こちら側の機関士席側窓の前側のみ改造でRの無い形になっているのが確認できます。木製の可動式側窓(機械室も)はオリジナルは角にRの付いた形状ですが、修繕の際に加工しやすい為か単純な四角にされた例が結構あります。パンタのスリ板はこの時点では全てアルミ製です。
撮影:ねるねるさん 荷2935レ 東京 1977.11頃 |
EF15 11〔東京〕 |
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廃車時まで引っかけ式標識灯を有していた唯一のEF15として有名な11号機。登場時引っ掛け式標識灯だった1次形と2次形EF15(EF16)も本機を除いて全て埋め込み式へ改造されています。なお、埋め込み式に改造後も標識灯掛けのみ残っていた物として10号機と33号機(EF1627)がありました。
※車体断面低 側窓変形 引っ掛け式標識灯 前面通風口変形 モニタールーフ小窓6枚 砂箱少 前燈取付位置原形 前燈小 避雷器中央取付 前面窓原形 日立製1次形デッキ 正面昇降段4段 常磐線列車無線 正面ナンバープレート左より 手動式ワイパー取付跡 雨樋未取付 水切り一次形 つらら切り大形 その他色々(^^;)
1171レ 府中本町 1979.8.22〜26、29〜31の間 |
製造:S26.6.26
日立製作所
No.4625
使用開始:S26.6.29
廃車:S55.2.2
移動:
S26. 6.26 沼津
S26. 6.29 浜松
S27. 3.12 沼津
S36. 9.29 岡山
S40. 9.27 新鶴見
S47. 3.19 東京
S54.10.25 1休指定
S55. 2. 2 工車1126号により廃車
最終走行:
S54.10 2,311,767km
記事:
●S29.6.8〜6.14 浜松甲修:泥除取付・排障器改造
●S34.3.5〜3.6 浜松臨修:前燈整備
●S35.2.11〜2.12 浜松臨修:自動窓拭器取付
●S36.3.27〜3.28 浜松臨修:避雷器増設
●S37.6.1〜6.16 鷹取甲修:避雷器LA13に取替
●S44.7.11〜7.17 大宮臨修:列車無線取付
●S48.2.13〜2.27 大宮臨修:避雷器LA15に取替・先輪軸受コロ式に改造 |
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上の写真の部分拡大。標識燈は黒く塗られています。前面通風口は、この2エンド側は機関士側に7段、1エンド側は左8段、右7段で取付高さも標準よりかなり低い位置(通常の埋め込み式標識灯取付高さぐらい)になっています。そのため、標識灯の埋め込み化ができなかったのではないかと思われます。前面の昇降段は1次形と同様の4段タイプですが各段の取付位置は1次形よりも間隔が若干広くなっています。
また、デッキ形状も日立製1次形に見られる物と同じです。
1171レ 府中本町 1979.8..22〜26、29〜31の間 |
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同機の1エンド側。同機はちなみに前面窓も原形です。 また、前面窓の隅に見える丸い突起は新製時に付いていた手動式ワイパーの取付跡です。
1171レ 府中本町 1979.8..22〜26、29〜31の間 |
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1エンド側。同機も10号機と同様に、側窓中央3枚の間隔が広く、側窓5枚の1次形と同じ間隔となっています。さらに、モニタルーフ小窓が通常より1枚多く、幅の狭いものが6枚となっています。
9,10号機同様、前面の貫通扉が縁取りのある1次形と同じ形状で、また、同機のつらら切りも10号機と同様の大形です。屋根上の抵抗器室カバーは1次形と同じく左右同じ大きさとなっています。なお、10号機と同様、避雷器の取付位置はモニタ寄りです。
671レ(多分) 恵比寿―渋谷 1979.5 |
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一番上の写真と似たような構図で恐縮ですが、こちらの方が後に撮ったものです。パンタグラフを良く見るとスリ板がなぜか鉄製になっています。広島から転属したカマのスリ板と交換でもしたんでしょうか…。
1171レ 府中本町 1979.9.15 |
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振り向きざまに後ろ姿を…と思ったら、親子連れが被ってしまいました。(^_^;) 区名札の隣に運用番号票が差してあります。私は他の東機の運用で差してあった覚えは無いのですが、上のカラーの同列車にもあるのでこの運用だけ何か特別だったのかも?土曜の午後、のどかな駅の光景でもあります。
1171レ 府中本町 1979.9.15 |
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こちらはEF5853さん撮影の2エンド側。前面通風口が1エンドと異なり右側の機関士側のみ7段になっています。同じEF15でも標識灯が引っかけ式だと、まるで別形式のようです。ワイパーは機関士側WP50で助士側WP35で両側共グリップエンドがつらら切りに当たる部分は191号機やEF5836などと同様につらら切りに欠き取りが設けてあります。
本機は1次形の一部と同じく低い車体断面と思われますが、標識灯の位置と相まって正面から見ると随分平べったく見えます。前灯も9,10号機同様原形のLP42の取り付け台座が使われています。また、同機も上の9,10号機同様、正面ナンバープレートが中央寄りに取り付けられています。
撮影:EF5853さん 765レ 松戸 1979.3.9 |
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当時の東京区EF15の名物運用、荷2935レの先頭に立つ11号機。こちらは1エンド側です。
撮影:青森恒憲さん(青春コレクション) 荷2935レ 御徒町 1978.7.4 |
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同じく1エンド側。ワイパーのグリップエンドを避けたつらら切りの形状や常磐線列車無線の取付位置などが分かるカットです。
撮影:青森恒憲さん(青春コレクション) 三河島〜隅田川(貨) 1978 |
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「先日、実に久しぶりに武蔵野線に乗った際に、三郷の操車場が広大な空き地になっているのを見て、時代の流れを感じました。この写真を撮った頃は、山の手線から移行した貨物ルートで武蔵野線は大賑いで、EF15も頻繁に往来していました。まさに、”夏草や、兵どもが夢のあと・・・・・”といった心境でした。」(タケチャンマンさん)
撮影:タケチャンマンさん 三郷操車場 1978年頃 |
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「上の写真を三郷で撮ったあと、このEF1511の運用を調べて、翌日(だったかな?)新松戸で待ち構えて撮った写真です。何も無い草原の中に立ち並んだ高層マンションが、妙に不釣り合いでした。」(タケチャンマンさん)
撮影:タケチャンマンさん 南流山―馬橋 1978年頃 |
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大宮機関区構内で長岡区の75号機と顔を合わせる。標準的なスタイルの75号機と11号機の一次形譲りの
デッキ形状や昇降段の取付位置、正面扉など両者の違いが良く分かります。 こちら側は2エンドで前面通風口が機関士側に7段の物が付いています。
撮影:MT40さん 大宮機関区 1977〜1978 |
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こちらは同機の1エンド側。助士側8段、機関士側7段の通風口がはっきり確認できます。10号機の通風口もまったく同様ですが、1エンド、2エンドで取付数が異なり、更に機関士側と助士側で段数が異なる理由が何なのか気になるところです。ちなみに、一次形の福米EF16に改造された物に、両エンドで通風口の数が異なる物(1,2,6,20,21,EF16
11)がありましたが、そちらは6号機を除き1エンドが機関士側のみ、2エンドが左右取付となっています。
正面昇降段の取付位置は、一次形と同じ10号機とは異なり、それぞれの間隔が若干広くなっています。
撮影:MT40さん 大宮機関区 1977〜1978 |
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11号機の2エンド側のお顔アップ。本機のつらら切りは正面を向いておらず、妻折れの前面の後退角と同じく左右に開いているのが分かります。前面窓の下隅に手動式ワイパーの取付跡が見えますが、前面窓の下部中央付近には落成時の24号機同様、窓からワイパーがはみ出ないようにストッパーが設置されているのも分かります。前からこの突起が気にはなっていましたが、この写真で確認できました。
また、本機の引っ掛け式標識燈の取付座下面から車体下部に支柱が設置されていますが、標識燈の配線のガイド用の様です。 因みに全検入場前のこの時点ではワイパーはKW3Dの様です。
撮影:BINさん 5580レ 入江 1977.3.28 |
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上の写真の部分アップです。運転席側窓の下方に何かの取付跡のボルトが残っています。(赤丸で囲った部分)気づいた時はタブレットキャッチャーの取付跡かとも思いましたが履歴的に無さそうですし、そもそもこの位置だとキャッチャー本体が区名札に被ってしまいます。また、ボルト配置が逆台形と言うのも違う気がします。1エンドL側にも確認できますが、果たして何の取付跡なのか気になるところです。(私だけか!)
撮影:BINさん 5580レ 入江 1977.3.28 |
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同じくBINさん撮影のこの年の10月の全検出場から間もないピカピカの同機の2エンド側です。ワイパーが機関士側WP50、助士側WP35に交換されています。昭和26年製にも関わらず外板がシワシワですが、これは戦後間もなく製造された1次形の鋼体を利用した証と言えましょうか。全検で消されたのか東京区の証のデッキ昇降段の白塗りがありません。
撮影:BINさん 5580レ 入江 1977.12.17 |
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11号機のナンバープレートと製造銘板です。楕円の日立銘板は第5次形の55号機までで、第6次形から切り抜き文字、第12次形から規格銘板になっています。
撮影:BINさん 5580レ 入江 1977.12.17 |
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上2枚と同じ時に撮られたピカピカの11号機の2エンド側正面。前面通風口が1エンドと異なり右側の機関士側のみ7段です。先輪の軸箱下部に2エンドを表す2のペイントが見えます。ワイパーは機関士側WP50で助士側WP35です。正面から見ると四角っぽい日立製1次形の特徴あるデッキ形状が際立ちます。
撮影:BINさん 5580レ 入江 1977.12.17 |
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同じくBINさん撮影の1エンド側です。引っ掛け式標識燈で落成したEF15は38両でしたが、本機を除き全て埋め込み式に改造されました。たった1両とは言え初期のEF15の面影をEF15晩年まで見ることが出来たのは、EF15好きとしては非常にありがたい存在でした。
撮影:BINさん 273レ 入江 1979.1.10 |
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同じく1エンド側です。 日立製の本グループの前面通風口はヒダ式の物が本エンドは右の機関士側が7段、左の助士側が8段で、2エンド側は機関士側のみ7段ヒダです。(9号機は後に全て撤去)この形態はこの3両のみですが、なぜにこんな複雑な仕様にしたのか、今となっては謎であります。
撮影:BINさん 273レ 入江 1979.1.10 |
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1エンド側の運転席付近。分かりづらいですが2エンド同様、運転席側窓の下方に取付跡のボルトが確認できます。
撮影:BINさん 273レ 入江 1979.1.10 |
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こちらも1エンド側ですがR側です。引っ掛け式標識燈は車体色ではなく黒色に塗られています。ほぼ同じアングルで撮られた10号機と比べてみても、標識燈以外、同一形態なのが分かります。パンタ台枠は10号機同様グレーですね。
撮影:BINさん 1262レ 入江 1979.2.3 |
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同じく1エンド側の前頭部をほぼ真横から見たところ。 運転席側窓下方に4つのボルトが確認できます。 ブレーキシリンダーの検査標記は昭和52年(1977年)10月15日
大宮。
撮影:BINさん 277レ 入江 1979.9.3 |
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同じく1エンド側です。休車になる2ヶ月弱前の姿ですが、パンタのスリ板はまだアルミ製です。 私が9月15日に撮影した時には既に鉄製に交換されています。
本機の後ろはEF651117ですがEF652117に番号は変わったものの製造から40年近く経過した今なお現役で活躍しており、製造から29年少しで廃車になった本機と比べると強運の持ち主と言えるかも知れません。
撮影:BINさん 277レ 入江 1979.9.3 |
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同じく1エンド側のカラーです。引っ掛け式標識燈が黒く塗られているのが分かります。本機はこの3日後に1休車になっているので、これが現役最末期の姿と言えます。上の1979年9月の写真ではパンタのスリ板がアルミ製ですが、この写真では鉄製に交換されています。
アルミ製の物は休車直前に他機に転用したか予備品にでもしたものと思われます。
撮影:BINさん 277レ 入江 1979.10.22 |
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上のカラー写真と同じ時の撮影ですね。 正面勝ちに見ると引っ掛け式標識灯姿が際立ちます。う〜ん、やはりカッコいいですね〜。EF15晩年まで本機がただ一両引っ掛け式標識灯姿で残った事は、EF15好きにとっては本当にありがたい事でした。
撮影:BINさん 277レ 入江 1979.10.22 |
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山貨を行く11号機。ワイパーが左右ともまだKW3Dです。その為、つらら切り上部の欠き取りはありません。デッキステップの東機を示す白塗りの面積が広いですね。後ろに続く貨車は生石灰コンテナを積んだチキ80000でしょうか。
「1975年頃、原宿に157系お召しを撮影に行った時にやってきたEF1511(東)です。」 (所長失格さん)
撮影:所長失格さん 下り貨物 原宿 1975年頃 |
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2エンドR側のアップ。標識燈本体から電源コードが2本伸びています。前面窓下部の右隅の手動式ワイパーの取付跡、そのワイパーが窓から脱落しないように設置された前面窓下中央のストッパー、区名札挿横の逆台形のボルトの状態も良く分かります。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん 新鶴見機関区 1977.3.25 |
EF15 34〔東京〕 |
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戦後の占領軍による財閥解体によって、それまでの新三菱重工が分割されて中日本重工となり、その期間に製造された三菱製の34〜39号機にはも中日本重工の製造銘板が付いていました。
日立製の9〜11と異なり側窓や車体は完全に新しい物になっているようですが、正面昇降段は三菱製では本機のみ1次形と同じく4段、デッキも三菱製の1次形タイプで抵抗器室カバーも1次形と同形と、やはり1次形の形態を色濃く残しています。前面にはガラリ形通風口が付けられましたが三菱製の本グループのみに見られる3段ヒダの独特の物です。同機の前面扉は既に3次形以降のすっきりとした物になっていますが正面昇降段は1次形と同じ4段です。
前燈は2本足で前面に少し飛び出たタイプです。 つらら切りの形状も側面が丸みを帯びたこれも初期の三菱の特徴です。
※砂箱少 中日本重工製 正面昇降段4段 三菱製1次形デッキ 通風口3段 抵抗器室カバー1次形 水切り三菱タイプ 先輪後位バネ吊り三菱タイプ 前燈取付位置原形 前燈小 常磐線列車無線
撮影:EF5853さん 荷2935レ 東京 1978.7.17 |
製造:S26.6.8
三菱電機・中日本重工
No.680/365
使用開始:S26.6.23
廃車:S54.1.12
移動:
S26. 6.10 沼津
S27. 3.25 浜松
S38. 9.16 高崎第二
S38. 9.17 宇都宮
S43. 9. 3 新鶴見
S47. 3.15 東京
S53.10.13 1休指定
S53.12.25 2休指定
S54. 1.12 工車1431号により廃車
最終走行:
S53.10 2,259,699km
記事:なし |
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こちらも同じく荷2935レを牽く同機です。
「かの有名な荷レ牽引中を東京にて撮影したものです。この列車、今から考えると、もっと撮影しておくべきだったと後悔することしきりです。」(N.Inageさん)
撮影:N.Inageさん 荷2935レ 東京 1978.8 |
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入江駅で発車を待つ34号機。冬の斜光に照らされて足回りが浮かび上がります。第3動軸に設置された砂箱が他の動軸の物と形状が違うのがお分かり頂けますでしょうか。
こちらは2エンド側。ワイパーは機関士側WP50で助士側WP35の様です。
撮影:BINさん 273レ 入江 1977.1.26 |
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東京機関区でお昼寝中の同機の1エンド側です。ワイパーがこの時点ではKW3Dです。独特の形の前面通風口が太陽光で光ります。 また、デッキ前面の解放テコ取付部の中央に四角い補強版の様な物がネジ留めされているのが確認できます。
同様な形態は上の日立製9〜11号機や、下の川崎製41、42号機など、前ロットに渡り散見されますが、どういう意味があるのかちょっと分かりません。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん 東京機関区 1975.12.28 |
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同じく東京機関区でお休み中の同機の1エンド側です。本ロットの三菱製34〜36号機のナンバープレートはEF153と4〜6の間隔が空いた独特の物です。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん 東京機関区 1976.8.6 |
EF15 35〔東京〕 |
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こちらも東京区に配置されていた35号機で2エンド側です。前面の通風口はガラリ形の3段ヒダで、川崎製の4段とも異なります。デッキの形状も三菱製1次形と同様のタイプとなっていますが、モニタールーフ小窓は日立とは異なりこのグループから標準の5枚となり、正面の昇降段も本機以降標準の5段になっています。本機も中日本重工製の銘板を付けていたことで有名でした。つらら切りは標準的な大きさですが側面がL字形の形状です。
※砂箱少 中日本重工製 三菱製1次形デッキ 通風口3段 抵抗器室カバー1次形 水切り三菱タイプ 先輪後位バネ吊り三菱タイプ 前燈取付位置原形 前燈大 常磐線列車無線
671レ(多分) 恵比寿―渋谷 1979.6.9 |
製造:S26.6.15
三菱電機・中日本重工
No.681/366
使用開始:S26.6.21
廃車:S54.7.16
移動:
S26. 6.17 沼津
S27. 3.26発 浜松
S38. 9.28 新鶴見
S48. 4. 1 東京
S54. 6.20 1休指定
S54. 7.16 廃車
最終走行:
S54.6 2,064,345km
記事:
●S29.5.4〜5.12 浜松甲修:泥除取付・排障器改造
●S30.3.4〜3.10 浜松丙修:電気式速度計取付
●S33.12.11〜12.17 浜松丙修:前燈整備
●S35.5.10〜5.17:排障器改造
●S36.1.24〜1.30 浜松丙修:避雷器増設
●S38.6.12〜6.19 浜松丙修:標識燈埋込改造
●S40.6.14〜6.19 浜松丙修:標識燈に赤円板取付
●S42.6.12〜6.23 大宮全検:窓拭器位置変更(下→上)
●S44.6.13〜6.21 大宮中B:排障器整備・屋根雨樋位置変更・列車無線取付
●S49.7.11〜7.17 東京区台検:先輪軸受コロ式に改造
●S52.7.8〜7.20 大宮要検:改良形電気式速度計取付 |
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こちらは隅田川から品川への荷2935レを牽引する姿です。この列車はこの後品川でゴハチ重連で有名だった荷35レへ継承されるものでした。
「これがEF15の荷レの最後の写真になりました。4回撮って1回はもろかぶり」(EF5853さん)
撮影:EF5853さん 荷2935レ 神田 1978.9.15 |
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こちらも同じく荷2935レを牽く35号機で1エンド側です。
「カラーで撮った唯一の「ブラウン・トレイン」。34号機もこの位置に止まってくれていたら・・・といつも思います。隣の165系(”ごてんば”か?)も今は昔・・・。」(EF5853さん)
撮影:EF5853さん 荷2935レ 東京 1977.11.26 |
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デッキの梯子部分と台枠を結ぶステーに特徴ある1次形デッキが何とも言えません。標準形と比べるとやはり無骨さはこちらが上かと…。前面の通風口の形状と言い、この頃の東京区のEF15には色んなタイプが居て、実に興味深かったですね。
撮影:S.Hiramatsuさん(Passenger
Cars Room) 新三郷 1978.12 |
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EF5853さん撮影の同機の屋根上でこちらは2エンド側です。意外と車輌の屋根上が分かる写真って少ないですよね。主抵抗器室カバーの形状が1次形と同じ両端が斜めになったタイプであることが分かります。
「一般公開日に行ったときのものです。」(EF5853さん)
撮影:EF5853さん 新鶴見機関区 1978.11.4 |
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品鶴線、多摩川鉄橋を渡る姿で原形窓時代です。前面窓の下脇に落成当初の手動式ワイパーの取付基部が残っています。後ろは新車を満載したク5000。こんな貨物列車も懐かしいですね。
撮影:ohnoさん 品川―新鶴見 1976.7.21 |
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隅田川からの荷物列車を牽き品川に入線する35号機で1エンド側です。本機のつらら切りも40号機ほどではありませんがちょっぴり「怒った」表情です。
「(この荷2935レは)また35号機かと思った覚えがあります。しかしよく考えると何号機だろうが、EF15には代わりなくきっちり撮っておけば、といまさらながら考えてしまいます。元はEF10・13・15と言う機関車が好きだったのですが、いつのまにか番号マニアになってしまい、元の純粋?な心が失われてしまった気がします。」(ohnoさん)
撮影:ohnoさん 荷2935レ 品川 1977.10.23 |
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茶色のマニを連ねて隅田川貨物駅を発車する姿でこちらも1エンド側です。隣の初期形DD13(31号機)の姿も懐かしいです。かつては全国の駅のあちこちで見ることができました。余談ですがこの35号機のナンバープレー3と5の間が少し開いていますが、このロットの他の三菱機も皆同じ傾向です。
撮影:青森恒憲さん(青春コレクション) 荷2935レ 隅田川 1978.9.20 |
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入江駅に到着する35号機牽引の貨物でこちらも1エンド側です。10次形までの三菱製の特徴となる先輪の担いバネと動輪の釣り合い梁を結ぶ丸棒式のバネ吊りリンクとそれに連結する独自の形状の釣り合い梁が良く見えます。
撮影:BINさん 1262レ 入江 1978.12.27 |
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前面窓原形時代の姿でこちらは2エンド側です。 36号機の原形窓時代と比べ、機関士側ワイパーはWP35に交換されていますが、窓の下脇に手動式ワイパーの取付跡が残ります。塗装の各所がひび割れや剥離部分に錆が浮いています。
デッキ前面の解放テコ取付部の中央に四角い補強版の様な物がネジ留めされているのが確認できます。
撮影:BINさん 5580レ 入江 1977.1.18 |
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戦後の財閥解体で登場した中日本重工の製造銘板。 そのマークは良く見ると菱形を三つ組み合わせた物で、三菱との関係性を表した物になっています。塗装の浮いたナンバープレートや銘板周辺の車体の傷み具合が何とも痛々しいです。
撮影:BINさん 5580レ 入江 1977.1.18 |
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原形前面窓時代の姿で2エンド側です。前面窓の下両脇に手動式ワイパーの取付跡がはっきり確認できます。本機の前面窓がHゴム改造されたのはおそらく1977年7月の大宮工での要部検査時だと思われますが、その2年後には廃車になっています。そんな事ならわざわざ改造せずともそのままで良かった様に思います。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん 田端機関区 1976.12.28 |
EF15 36〔東京〕 |
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EF1536を先頭に東北本線を行くEF10・EF81の三重連。回送とは言えこんな豪華な重連もあったんですね。
※砂箱少 中日本重工製 三菱製1次形デッキ 通風口3段 抵抗器室カバー1次形 水切り三菱タイプ 先輪後位バネ吊り三菱タイプ 前燈取付位置原形 前燈小 常磐線列車無線
撮影:Y.Nishinoさん(Y.Nishinoのホームページ) 王子 |
製造:S26.6.28
三菱電機・中日本重工
No.682/367
使用開始:S26.7.5
廃車:S54.5.7
移動:
S26. 6.30 沼津
S26. 7. 5 浜松
S38.10. 9 新鶴見
S48. 4. 1 東京
S53. 1.29 1休指定
S54. 5. 7 廃車
最終走行:
S53.1 2,161,614km
記事:
●S29.6.19〜6.25 浜松丙修:泥除取付・排障器改造
●S34.2.27〜3.6 浜松丙修:前燈整備
●34.11.27〜12.3 浜松丙修:標識燈埋込改造
●35.8.6〜8.12 浜松丙修:避雷器増設
●39.9.4〜9.11 大宮丙修:標識燈に赤円板取付
●44.4.5〜4.16 大宮全検:屋根雨樋位置変更
●48.5.2〜5.15 大宮全検:先輪軸受コロ式に改造
●52.5.7〜5.18 大宮全検: WP35平行腕改造
●44.8.16〜8.23 大宮臨検:列車無線取付
●47.8.30〜9.20 大宮臨検:避雷器LA15に取替 |
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東京区のEF15牽引で有名だった荷2935レを牽く。
「確か隅田川は無線付きの機関車しか入線できなかったため、この列車も特定の機関車に限定されていたような気がします。しかしながら、時にはEF10や新鶴見区のEF15が入っていたので、単なるうわさだったのかもしれません。」(ohnoさん)
撮影:ohnoさん 荷2935レ 鶯谷 1977.6.4 |
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夕陽を浴びて発車を待つ原形前面窓、KW3Dワイパー時代の36号機。 こちらは2エンド側です。前面窓の下隅に突起が見えますが、これはかつての手動式ワイパーの取付跡。11号機と同様、窓の下辺中央に手動式ワイパーの脱落防止用のストッパーが残っています。これらは前面窓のHゴム改造時に撤去されています。
三菱製本グループ独特の3段ヒダの通風口も良く分かります。後ろに続くク5000の姿が懐かしいですね。 また、デッキ前面の解放テコ取付部の中央に四角い補強版の様な物がネジ留めされているのも確認できます。
撮影:BINさん 5580レ 入江 1977.1.24 |
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同じくBINさん撮影の36号機の貴重なカラー写真でこちらも2エンド側です。上の白黒写真とほぼ同アングルですが光線の具合で雰囲気が異なります。この写真で初めて気付きましたが、本機の運転室側窓の水切りは1次形原形ほどではありませんが窓下まで達していません。
ちなみに同じ三菱製の34、35号機は窓下まできちんとあるだけに不思議です。もしかしたら三菱製本ロットの落成時はこの形状で、本機のみ改造漏れかも知れません。
撮影:BINさん 273レ 入江 1977.1.22 |
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有名な中日本重工業製の銘板。(右) 戦後の財閥解体で誕生した中日本重工ですが、この銘板が付けられた車両は昭和25年〜27年(1950〜1952年)のわずか2年ほどの間に製造された車両だけです。 中日本重工の意匠ですが、良く見ると菱形三つをつなげた物になってます。
撮影:BINさん 273レ 入江 1977.2.7 |
EF15 40〔東京〕 |
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EF16改造機を含めた全EF15の中で廃車第1号となった40号機の貴重な現役姿です。本機のつらら切りはちょっと怒った表情の独特のものです。また、本機のデッキは川崎製の1次形と同じタイプです。通風口は4段のガラリ形です。
埋め込み式に改造された標識燈の位置は標準的な位置よりも高くなっています。また、ワイパー(おそらくWP35)の取付位置が窓の下面となっています。
「荷2935は結構撮ったのですが、40号機が入ったのを見たのはこの日だけでした。」(ohnoさん)
※砂箱少 川崎製1次形デッキ 通風口4段 つらら切り変形 前面窓原形 ワイパー取付位置下面 正面ナンバープレート上寄り 標識燈上寄り 常磐線列車無線 EF15廃車第1号
撮影:ohnoさん 荷2935レ 御徒町 1977.10.3 |
製造:S26.5.28
川崎車輌 No.143
使用開始:S26.6.7
廃車:S53.8.25
移動:
S26 .5.30 沼津
S26. 9.19 浜松
S28.11. 4 沼津
S39. 4. 8 新鶴見
S48. 4. 1 東京
S53. 3.12 1休指定
S53. 8.25 廃車
最終走行:
S53.3 2,258,764km
記事:
●S33.1.18〜1.29 浜松甲修:電気式窓拭器取付
●S34.2.19 浜松臨修:前燈整備
●S36.3.17〜3.25 浜松甲修:避雷器LA14に取替(1基)
●S40.4.2〜4.8 大宮丙修:標識燈に赤円板取付
●S45.4.2〜4.10 大宮中B:排障器整備
●S49.4.26〜5.13 大宮要検:先輪軸受コロ式に改造 |
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白昼堂々東海道本線を行くブラウントレイン。それにしてもこのような列車が上野、東京を通って毎日走っていたんですから何とも言えません。隅田川から品川の短い区間とは言え、暖房装置を持たないEF15の牽引ですから当然冬場は暖欠となるわけで、後ろの荷物車内の乗務員はさぞ寒かった事でしょう。この荷2935レは50.3改正から53.10改正までの3年半に渡り運転されました。
撮影:ohnoさん 荷2935レ 浜松町 1977.10.3 |
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1978年(昭和53年)3月11日の11時32分に馬橋駅構内で起きた本機牽引の貨物列車の脱線事故を伝える当日の朝日新聞夕刊の記事です。それによると大宮操車場発、新小岩行き貨物列車が馬橋駅構内で停止位置で停まらず待避線の先にある砂利盛りに突っ込み機関車全輪と貨車1両が脱線したとあります。
本機はこの翌日に第一種休車に指定され、そのまま復帰する事無く8月25日にEF15一族の廃車第1号となっています。もし、この事故が無ければもうしばらく本機の活躍が見られたのではないかと思います。と同時にEF15廃車第1号は同年11月20日廃車の53号機となったかも知れません。
所蔵:今井さん 「1978年(昭和53年)3月11日 朝日新聞夕刊」より |
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新鶴見区時代の姿でこちらは1エンド側です。ワイパーは前面窓下部にKW3D?で避雷器は前燈の左にLA14が1基のみでしょうか。新製時は先台車取付だった排障器は前端バリ取付となっています。これはおそらく沼津区時代にA形車内警報装置の設置が行なわれた際に、その車上子を先台車に取り付ける為に移設されたものと思われます。
撮影データが不明ですが撮影日は新鶴見区配置から1964年(昭和39年)4月以降で排障器の取付位置から1970年(昭和45年)4月の大宮中間検査Bで排障器整備が行なわれる前なのは間違いないでしょう。4号機のバックに見える道がおそらく国立代々木競技場・第一体育館脇の道と思われ、山手貨物線・原宿〜渋谷を行く上り貨物を原宿リハビリテーション病院(旧キリンビール原宿本社ビル)の辺りから撮影したものと思われます。
さらに撮影時期を絞り込むと40号機に1965年4月の大宮丙修時に設置の標識燈赤円板が無い点や避雷器がLA14が1基のみの点、競技場脇の道に競技場完成時に植えられている街路樹が全く無い事から競技場完成前の1964年4月から1964年8月の可能性が高いでしょうか。ちなみに赤円板の使用は1965年10月頃までの様なので撤去後の可能性もありますが、背景の様子からやはりオリンピック開催前と思われます。
写真所蔵:kobaneko 上り貨物 原宿―渋谷 1964.4〜1964.8? |
EF15 41〔新鶴見〕→〔甲府〕 |
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身延線を行く41号機。腕木式信号との組み合わせもローカルムード満点です。通風口は4段のガラリ式です。本機のデッキも川崎製の1次形と同タイプですが前面扉は35号機同様、3次形以降のすっきりとした物になっています。
※砂箱少 川崎製1次形デッキ 通風口4段 正面ナンバープレート上寄り 標識燈上寄り
撮影:鈴木正敏さん(Rail Photo Gallery 途中下車) 下部 1978.3.29 |
製造:S26.6.25
川崎車輌 No.144
使用開始:
廃車:S54.7.16
移動:
S26. 6.27 沼津
S26. 7.15 静岡貸
S26. 7.26 沼津返
S26. 9.18 浜松貸
S26. 9.19 浜松
S28. 2.12 沼津
S38. 4.18 長岡第二貸
S38. 9.19 宇都宮
S43.10.10 新鶴見
S52. 6.10 甲府
S54. 7.16 廃車
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同じく身延線の同機です。前照燈の取り付け台座は帯板2枚のタイプです。40号機同様、埋め込み式に改造された標識燈の取り付け位置は標準的な位置よりも高くなっています。引っ掛け式標識燈を埋め込み式に改造したED16などもそうですが、標識燈の取付位置で随分と正面の顔つきが変わってきます。
撮影:タケチャンマンさん 身延 1979年頃 |
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新鶴見時代の姿でこちらは1エンド側です。上寄りの標識燈が独特の表情です。前端バリ側面のブレーキ管の配管方法が川崎製の1次形と同様に前端バリ上面を通過しています。微妙に1次形のそれとは形状が異なりますが、これは川崎製2次形のみに見られる特徴です。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん 八王子機関区 1976.8.6 |
EF15 42〔新鶴見〕→〔甲府〕 |
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西野さん撮影の42号機。ぼこぼこの外板が渋いです。初期のEF15は戦後の資材不足の影響か、外板の痛みが激しく思えます。(落成時からべこべこのものもあったようです。)通風口は4段のガラリ式。つらら切りは小形の標準的なタイプになっています。このロットまで当初標識燈は引っ掛け式でしたが、11号機を除き埋込式に改造されています。本機の標識燈の取付位置も40,41号機同様に標準的な位置よりも上になっていますが、本機の物が最も上寄りかつ若干外寄りに取り付けられており、独特の表情です。
※砂箱少 川崎製1次形デッキ 通風口4段 正面ナンバープレート上寄り 標識燈上寄り
撮影:Y.Nishinoさん(Y.Nishinoのホームページ) 原宿―渋谷 1975.7 |
製造:S26.6.29
川崎車輌 No.145
使用開始:
廃車:S54.11.13
移動:
S26. 6.29 浜松
S27. 3. 7 沼津
S38. 4.19 長岡第二貸
S38. 9.20 宇都宮
S43. 9. 6 新鶴見
S52. 7.21 甲府
S54.11.13 廃車
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入れ換えに勤しむ42号機。屋根上が良く分かります。
「この頃はEF10/12/13及びEF15 1次型ねらいでしたので、EF15一般型が来るとちょっぴり残念でした。かなり遠くから前端バリでEF15と判別できてしまうため、シャッターを押すかよく迷いました。何でもきちんと撮っておくべきですね。25年後に後悔しない為に・・・・・」(ohnoさん)
確かに…。私も当時はフィルム代、現像代が惜しかったのでEF15も三桁台だったりすると見送ったりしてました。今にして思えば何と勿体ないことを…。(;_;)
撮影:ohnoさん 鶴見 1976.5.24 |
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引っ掛け式標識燈取り外し後、設置された埋込式標識燈の位置が独特です。そもそも取付位置が高いうえに通風口を避けて外側に寄っています。もしかしたら右側の方が若干位置が高くなっている様にも見えます。真正面の写真が無いとちょっと判別できませんが…。 ちなみにこれは2エンド側です。
撮影:BINさん 279レ 入江 1977.2.4 |
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同じくBINさん撮影の同機の1エンド側です。当然ですがこちらのエンドも標識燈の取付位置が特殊です。前端バリ側面のブレーキ管の配管方法が川崎製の1次形と同様に前端バリ上面を通過している様子が分かります。ドッジラインによる凍結解除後の製造で、戦後6年経った昭和26年製にも関わらず外板がベコベコです。同じロットの40号機が全EF15の廃車第1号となっていますが、本ロット全体、出来があまり良くなかったのかも知れません。
撮影:BINさん 279レ 入江 1977.5.25 |
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「光の加減でベコベコのボデーが気の毒なぐらいよくわかります。」(針葉樹林鉄道研究会の杉さん)
なまじ綺麗な塗装ゆえに車体の荒れ具合が目立ちますね。ED16等もそうですが標識燈の位置で同じカマでも顔つきが大きく変わります。本機のそれは何度見ても異様です。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん 新鶴見機関区 1976.8.17 |
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甲府機関区に留置中の姿でこちらは1エンド側です。先輪の錆具合から休車になってかなり経過している様です。車体やデッキ、台車もすっかり埃にまみれていてナンバープレートと製造銘板は健在ですが何とも哀れな姿です。正面勝ちに見たこの写真で左右の通風口と標識燈の高さを比較するとやはり右側の標識燈の方が若干高く見えます。本機の顔つきを見ると何となく異形の物を見た様な不気味さを感じるのはその為でしょうか。左にちらりと見えるのは同じく休車中の5号機です。
写真所蔵:kobaneko 甲府機関区 1979? |