さようなら 寝台急行「銀河」 その4
 
Update 2008.4.1

●その1 ●その2 ●その3 ●特集トップ

寝台急行「銀河」 想い出アルバム
ここではEF58と20系の組み合わせ時代を中心に、懐かしい「銀河」の姿をご紹介したいと思います。
よろしければ上り「銀河」、機関車次位のオハネフの走行音(と言うかEF65PFのモーター音)を聞きながらご覧下さい。

サウンド再生:浜松発車〜静岡 部分(102レ「銀河」 オハネフ25 132車内)


104レ  横浜  1976年4月撮影
いきなりひどい写真ですみませんが、これが私が初めて撮影した「銀河」の姿です。憧れのゴハチと憧れの20系客車の組み合わせに、とても感動しながら撮影したのを今でも覚えています。先頭は今や最後の現役ゴハチとなる公算が強いイゴマルです。宮原の数十両の原形小窓機に混じって、黙々と働いていた普段の姿。

50.3改正(1975年)以降、それまで2往復だった「銀河」は1本が特急「いなば」に格上げされ、1往復になっています。


104レ  横浜  1977年3月撮影
これもまぁひどい写真ですが、大窓47号機牽引姿と言うことでお許しを…。当時、「銀河」の牽引を担当していた宮原区には50両近いゴハチが配属され、その中で大窓機は43,47,53の3両しかいませんでした。現在のようにネットや携帯で運用を追う事など当然出来ませんでしたので、「銀河」の先頭に立つ大窓機を拝めるチャンスはとても少なかったのです。


104レ  大森―大井町  1979年4月撮影
カヤ21のバックサインはまだ「急行」表示です。 まだまだ憧れの20系だっただけに、この姿には正直悲しいものがありました。


104レ  真鶴―根府川  1980年2月撮影
朝陽を浴びて白糸川橋梁を渡る。この頃になると宮原のEF58大窓機はこの53号機だけになっていました。20系客車と大窓機との組み合わせは、双方の優雅さがより際だちます。


104レ  大森―大井町  1980年9月撮影
大森付近を行く上り「銀河」。宮原のゴハチは大窓機こそ少なかったですが原形小窓機の割合が多く、20系客車との組み合わせには大窓機とはまた異なった魅力がありました。小窓機と20系では精悍さやスピード感が強調される気がします。(単にゴハチの大窓、小窓のイメージの気もしますが)
この頃はこんな所で撮っていても何も言われなかったものですが、今ではアウトでしょうね。


104レ  大森―大井町  1980年9月撮影
この日はキリの良い数字でお気に入りだった100号機の牽引。この場所も今では撮影不可能ですねぇ。バックに見える電電公社(当時)の巨大なビルだけは、今も変わらずこの場に建っていて往時を偲ばせます。


104レ  大森―大井町  1980年9月撮影
大窓53号機、最後の「銀河」牽引。あと数日でEF58による牽引はお終いです。


104レ  大森―大井町  1980年9月撮影
この年の7月(大阪発7月25日)から「銀河」のバックサインがそれまでの味気ない「急行」表示からイラストマークに変更されました。今まで急行と言うことで差別化されていただけに、この変更は実に嬉しいものでした。ゴハチはこの年の10月で「銀河」の牽引から撤退したため、このマークとの組み合わせが見られたのはわずか2ヶ月少々でした。
104レ ナハネフ22車内  1980年9月撮影

20系、ナハネフ22の内部です。保土ヶ谷辺りを走行中でしょうか?

寝台が三段と言うことを除けば、現在の25形と設備や雰囲気はそれほど変わりません。それだけ現在の寝台車の陳腐化が激しいとも言えそうですが…。


104レ  横浜  1980年9月撮影
ナハネフ22のイラストマーク。20系の大きなバックサインは丸みを帯びた車体と共に、とても優雅でした。


104レ  横浜  1980年9月撮影
上りの「銀河」はここ横浜で後続の「あさかぜ4号」の待避を行っていました。東京まで後わずか30分と言うのにわざわざ急行を追い抜くところに、寝台特急パイオニアの格の高さが感じられます。しかしながら、9時過ぎとは言え横浜駅の4番ホームの両側が、寝台列車で塞がれてしまうのは通勤客には顰蹙ものだったと思います。この当時はそれだけ長距離の特急急行が重要視されていたと言うことでしょうね。


104レ  ナハネフ22車内  1980年9月撮影
横浜停車中のナハネフ22の展望室内。大形の曲面ガラスが醸し出す独特の雰囲気は優雅の一言。ここから眺める車窓は実に素晴らしかったですね。手前右側の窓も開閉可能で、ファンにとっては何時間いても飽きない夢のような場所でした。椅子が無いのが玉に瑕でしたけれど…。(^^;)
104レ  ナハネフ22車内  1980年9月撮影

力強く走行するEF58を目の前で楽しみます。こういう時こそ大窓機だったら、と思わなくもありませんでしたが…。(^^;)

終着東京はもうすぐです。


104レ  東京  1980年9月撮影
長い編成をくねらせて東京駅7番線に滑り込む「銀河」。上の写真と同じ44号機牽引ですが撮影日は異なり、これはゴハチ牽引の上り最終列車です。
宮原のEF58形は少数の大窓機、多数の小窓機、そしてこの更新改造機に分けられます。大窓機、小窓機が美しかっただけに、この白Hゴムの更新改造機は当時のファンからは忌み嫌われていましたが、これはこれで個性的な姿で個人的にはそれほど嫌いではありませんでした。かえって中途半端なHゴム機よりも潔ささえ感じます。
104レ  東京  1980年4月撮影

腕折り式原形ワイパーが美しい140号機牽引で7番線に到着した「銀河」。

これから神田方の引き上げ線に向かいます。


回104レ  神田  1980年9月撮影
神田駅のホームからは「銀河」の機回し作業をじっくり見物することができました。この辺りは今は新幹線の線路になっており、正に隔世の感。


回104レ  神田  1980年9月撮影
機回しで顔を並べるナハネフ22とEF5853。ゴハチ牽引時代にイラストマークとの組み合わせが見られたのはファンとしては嬉しい出来事でした。


回104レ  有楽町  1980年9月撮影
これまた更新改造機の128号機が、「銀河」回送を牽いてゆっくりと有楽町を通過。更新改造機とは言え、やはり20系にはゴハチが良く似合います。


回104レ  田町  1980年4月撮影
田町の先で行き交う新旧ブルートレイン。内装はともかく、外観だけをとれば20系の方が品がありますね。


104レ  大森―大井町  1980年9月撮影
回送なのでしょうか、最後尾にワサフ8000(8532)をぶら下げて大森付近を行く。「銀河」では稀にこんな編成に出くわす事もありました。


回104レ  新橋  1980年3月撮影
こちらは機関車次位に現金輸送車マニ30を繋いだ「銀河」回送です。
国鉄時代、「銀河」をはじめ各線の夜行列車は現金輸送にも利用されており、一般の旅客や荷物に混じって現金が運ばれていました。


6102レ  大森―大井町  1980年8月撮影
定期の「銀河」を補完する目的で多客期に運転された臨時の「銀河」。下りは東京〜大阪、上りは大阪〜品川の運転でした。14系座席車12連と言う長編成でしたが、果たして満席になることはあったんでしょうか?

ちなみに当時の14系座は悪名高き簡易リクライニングシートで、夜行利用には向いてなかったと思われます。この区間なら大垣夜行のサロ利用の方が安いし楽だった事でしょう。


6102レ  大森―大井町  1980年9月撮影
スハフ14のバックサインは「急行」表示。EXPRESSの文字が赤字になっているのが20系とは異なります。


6102レ  大森―大井町  1981年1月撮影
臨時「銀河」は東京区のEF58が担当する事が多く、時にはロイヤルエンジンが登場することもありました。
1980年10月に定期の「銀河」がEF65PFに置き換えられてからも、こちらはしばらくEF58牽引のままでした。実際にはいつまでだったかは残念ながら把握していません。


6102レ  大森―大井町  1981年1月撮影
関ヶ原付近の雪を載せて東上する臨時「銀河」。スハフのバックサインは赤字の「急行」表示なのがちょっと珍しいでしょうか。


102レ  東戸塚―保土ヶ谷  1998年7月撮影
大幅に時代が飛んでいますが、EF65PFと25形10連時代です。私はPFと20系、14系の時代は撮影してません。ところで、青15号にクリーム1号のEF60Pに始まる特急塗装は、上部の細帯からも分かるとおり元来20系客車の塗装と合わせたものです。そういう意味ではPFと20系客車との組み合わせも撮影しておいてあげるべきだったなぁ…と今になって思います。(「あけぼの」や臨時の「あさかぜ」ではありますが。)
PF牽引20系は1985年3月まで、その後、14系14形時代が1986年10月まで、24系25形12連時代が1990年3月まででこの25形10連時代が2001年3月までとなっています。その後は繁忙期が9連、通常は7連という寂しい編成が廃止まで続きます。


8012レ?  大森―大井町  1979年4月撮影
ちなみに臨時の「あさかぜ」の姿ですがPFと20系だとこんな感じです。側面のラインの位置がピッタリ揃いまさに専用塗装。これでスノウプラウが付いていれば言うこと無いんですが…。(^^;) スカート下端が真っ直ぐになったPFは、プラウが無いと正面から見ると足下がすかすかで、プラウ無しの姿は未だに今ひとつ好きになれません。前灯や正面窓上につらら切りがあるだけに、トップヘビーに見えてしまいバランスが今ひとつ。


102レ  東戸塚―保土ヶ谷  1998年7月撮影
塗装も荒れ、かなりくたびれた姿のカヤ24を最後尾に東京を目指す。24系オリジナルの電源車であるカヤ24も既に全廃されています。


101レ  大阪  2008年1月撮影
これが私が撮影した最後の「銀河」になりました。前年の12月末から廃止まではずっと9連での運転となり、最後の華を咲かせていました。もはや移動手段としての寝台列車の存続はほぼ難しい状況でしょうから、今後はより旅を楽しむ目的の列車が登場することを願ってやみません。

夜行列車でしか味わえない旅の醍醐味、それを楽しむ機会が無くならないことを切に願います。


さようなら 銀河。

Back ●特集トップ