昭和28年7月の東海道本線・名古屋電化用として製造されたグループです。製造時の形態は、第2次形とほぼ同じで前面窓が大窓、水切り、誘導踏段、握り棒が無い姿でパンタはPS14でした。第2次形との差異は側窓の第1・第5が開閉可能となった点です。 この60号機は61号機と共に製造前から御召列車専用機としての指定を初めて受けて製造されたものです。それまで御召し用機関車は既製の車輌中から出来栄え検査で選定されており、この面からも正真正銘、生まれながらの御召し専用機と言えましょう。 御召し列車用の特殊装備は以下の通りで、その他指示以外の部分についても特殊なテストを行うなど、メーカーの威信を掛けて製造されました。 運転室前面の飾り帯をステンレス製とし、車体側面全長に渡り幅70mmで取付。 連結器・タイヤ側面・バネつり・ブレーキ引棒などを磨き上げて傷の発見を容易にすると共に装飾とした。 車体両端に国旗掲揚装置を取付。 運転室側面下部に引き込み式の列車停止位置基準板を設置。 自動連結器に上錠揚止装置を取付。 供奉車との連絡電話を設置。 前後運転室間に連絡用の送話管を設置。 助士席にも速度計取付。 MG用界磁抵抗器を増設し、故障時に切り替え可能に。 応急処置用の予備品箱と工具箱を補機室内に用意。 なお、60号機は当初から61号機の予備機として浜松区に配属され、昭和58年に廃車されるまでその生涯を同区で過ごしました。現在もお召し機として活躍する61号機の影に隠れて、実際にお召し列車の先頭に立ったのはわずかに10数回(61号機は100回以上)で昭和37年10月を最後にお召牽引から遠ざかっています。さらに昭和42年5月に2エンド側左台枠折損と言う事故に遭い、修理されたものの昭和40年代に御召し指定を解除されました。 指定解除後も青色の直流標準色に塗り替えられることなくブドウ色姿を最後まで堅持し元お召機の誇りを感じさせましたが、昭和52年1月の全検で正面窓がHゴム支持化され、その麗姿は大きく失われてしまいました。それでも、浜松区のお召機由来の茶色塗装にステンレスの帯を身にまとい、一般機に混じり過酷な運用をこなす姿には61号機には無い哀愁が漂っていました。 ※印…主な特徴です。画像をクリックすると大きなものが表示されます。
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