ELECTRIC LOCOMOTIVE EF58  Vol.8
EF58 60

Last Update 2023.9.1

 第3次増備車(48〜68号機) その2

昭和28年7月の東海道本線・名古屋電化用として製造されたグループです。製造時の形態は、第2次形とほぼ同じで前面窓が大窓、水切り、誘導踏段、握り棒が無い姿でパンタはPS14でした。第2次形との差異は側窓の第1・第5が開閉可能となった点です。

この60号機は61号機と共に製造前から御召列車専用機としての指定を初めて受けて製造されたものです。それまで御召し用機関車は既製の車輌中から出来栄え検査で選定されており、この面からも正真正銘、生まれながらの御召し専用機と言えましょう。
御召し列車用の特殊装備は以下の通りで、その他指示以外の部分についても特殊なテストを行うなど、メーカーの威信を掛けて製造されました。
  1. 運転室前面の飾り帯をステンレス製とし、車体側面全長に渡り幅70mmで取付。
  2. 連結器・タイヤ側面・バネつり・ブレーキ引棒などを磨き上げて傷の発見を容易にすると共に装飾とした。
  3. 車体両端に国旗掲揚装置を取付。
  4. 運転室側面下部に引き込み式の列車停止位置基準板を設置。
  5. 自動連結器に上錠揚止装置を取付。
  6. 供奉車との連絡電話を設置。
  7. 前後運転室間に連絡用の送話管を設置。
  8. 助士席にも速度計取付。
  9. MG用界磁抵抗器を増設し、故障時に切り替え可能に。
  10. 応急処置用の予備品箱と工具箱を補機室内に用意。
なお、60号機は当初から61号機の予備機として浜松区に配属され、昭和58年に廃車されるまでその生涯を同区で過ごしました。現在もお召し機として活躍する61号機の影に隠れて、実際にお召し列車の先頭に立ったのはわずかに10数回(61号機は100回以上)で昭和37年10月を最後にお召牽引から遠ざかっています。さらに昭和42年5月に2エンド側左台枠折損と言う事故に遭い、修理されたものの昭和40年代に御召し指定を解除されました。

指定解除後も青色の直流標準色に塗り替えられることなくブドウ色姿を最後まで堅持し元お召機の誇りを感じさせましたが、昭和52年1月の全検で正面窓がHゴム支持化され、その麗姿は大きく失われてしまいました。それでも、浜松区のお召機由来の茶色塗装にステンレスの帯を身にまとい、一般機に混じり過酷な運用をこなす姿には61号機には無い哀愁が漂っていました。

※印…主な特徴です。画像をクリックすると大きなものが表示されます。

 EF58 60〔浜松〕
EF5860 本機は姉妹機61号とともに製造時から御召列車(*注)牽引機として製作されましたが、早くに御召指定を解除されています。とは言え廃車時までぶどう色の塗装と車体全周を覆ったステンレスの帯を付け、御召機としての威厳を保ち(この頃、茶色のEF58は60号機と61号機の2両のみ)、荷物列車主体の地味な運用が多かった浜松区のエース的存在でした。よく見ると右端にも更新改造で前面窓が白Hゴムのゴハチの姿が見えます。

※元御召予備機
荷30レ  名古屋 1980.8.23
製造年月日:S28.7.30
製造:東京芝浦電気
廃車:S58.5.17〔浜松〕 
EF5860 長年の酷使からその車体にはずいぶん疲労の後が見られます。晩年は他の浜松機同様、前面窓がHゴム支持になり、ワイパーは機関士側WP50、助士側WP35に交換されています。廃車後は保存されることも無く他の一般機同様に解体されてしまいました。61号機が現在も尚美しい姿を残していることを考えると、ちょっと複雑な思いになります。 こちらは1エンド側。
荷30レ  名古屋 1980.8.23
EF5860 同じく名古屋駅に佇む60号機。同じお召機仕様の61号機とは東芝製と日立製の違いで微妙に各部が異なります。特に正面から見るとHゴム支持改造された前面窓は別として、ゴハチ特有のヒゲのカーブの具合が結構異なっているのが分かります。日立製は他メーカーと比べてヒゲの直線部分が多くカーブ部部のRがきつくなっています。
荷30レ  名古屋 1980.8.23
ef5853-EF5860 昭和54年の愛知県植樹祭において久しぶりに御召予備機に指定され、1号編成回送を61号機とプッシュプルで牽引。久しぶりに本務機61号機並に美しく整備されました。これは名古屋からの回送を牽いてきた姿だそうです。美しく整備された60号機の姿は実に誇らしく見えます。 これも1エンド側です。
撮影:EF5853さん  三河三谷 1979.5.27
ef5853-EF5860b 同じく美しく整備された60号機L側の側面中央。大宮工場独自の屋根上の黒色塗装が良く分かります。東芝の銘板が少々傾いて付いている様です。 この銘板、何故か製造では無く改造になっているのは有名な話?大宮工場で保管されている銘板も改造になっています。製造時からそうだったのか気になるところです。
撮影:EF5853さん  三河三谷 1979.5.27
morita-EF5860 荷物列車を牽く60号機。前端バリから漏れるスチームがいい雰囲気です。
撮影:森田さん  京都 1981.2.18
suda-EF5860 「機関庫の職員の方の文化祭?のようなものがあり、正面から撮影することができました。」(すだっちさん)
色々と改造されているとは言え、元お召し機の風格が感じられます。
撮影:すだっちさん  浜松機関区 1980年?
toshi-EF5860 こちらはとしさん撮影の60号機牽引の荷31レです。機関室の白熱灯が印象的ですね。
撮影:としさん  荷31レ 京都 1980.10.31
ef5853-EF5860c 以前掲示板で話題になった荷2033レを牽く60号機の姿です。 
撮影:EF5853さん  荷2033レ 新子安 1978.10.22
guro-EF5860 名古屋駅電留線に集う茶色と青色のEF58。偶然茶色の60号機や61号機に出会ったときは感動もひとしおでした。(何せ確率86分の1…^^;)
撮影:グロさん(グロさんのページ)  名古屋 1980年頃
ef5853-EF5860 koushu お馴染みEF5853さん撮影の営団7000系甲種を牽く60号機です。
「この日は小田急7000系LSEを国鉄が借り出して、東海道線で高速試験を行った日でありまして、小田原以南の風光明媚な各場所に大勢のテツが押し寄せた日でもありました。トリを締めくくったのが、この列車でした。(実はこんなものが走るとは知らなかったような気がするのですが・・・)」(EF5853さん)
撮影:EF5853さん  三島―函南 1982.12.12
ef5853-EF5860d 「試6962レ。オユ12+オハネフ25+オハネ25x2+スハフ42。浜松区の所定運用でしたが、あまり見たことがありません。これが、結果的に唯一の写真です。」(EF5853さん)
撮影:EF5853さん  試6962レ 大井町 1979.8.15
Mr.slim-EF5860b こちらはMr.スリムさん撮影の前面窓Hゴム改造前の姿です。ワイパーも左右とも原形のKW3Dです。
撮影:Mr.スリムさんMr.スリムの道楽部屋  浜松機関区 1973.7.30
Mr,slim-EF5860a 同じくMr.スリムさん撮影の60号機牽引の旧客です。夏季臨でしょうか?
前面窓Hゴム改造前の美しい姿が印象的です。このままの姿で残っていたら、同機の運命ももう少し変わったものになったのでは…と思ってしまいます。
撮影:Mr撮影:Mr.スリムさんMr.スリムの道楽部屋  大阪 1974.8.25
Mr.slim-EF5860c 同じくMr.スリムさん撮影の60号機。往年の名列車「桜島・高千穂」でしょうか?

撮影:Mr.スリムさんMr.スリムの道楽部屋  浜松―高塚 1974頃
EF5852-EF5860 「前日の昭和58年4月1日に60号機最終運用となる「ミステリー401号」を牽引しました。この写真はその翌日に沼津区から浜松区への返却単回ですが、これが事実上、最後の自力走行となりました。晩年の60号機は正面と側面のナンバープレートが白ペンキで塗られていました。残念ながら、保存の期待も空しく、即、廃車解体されました。」(EF5852さん)
その列車の牽引に際し撤去されていたヘッドマーク取付座が復活しています。
撮影:EF5852さん  藤枝―島田 1983.4.2
EF5860-EF5861+60 宮原機関区で仲良く並ぶお召し機。
写真所蔵:EF58-60さん  宮原機関区  撮影日不明
Tc153-501-EF5860 「控車スハフ42×2両のみで小田原にやってきた試6961レ。当時、試6961レはほぼ毎日運転されていたと思います。特に土曜日は高い確率で運転され、13時ごろ国府津駅にいれば荷33・7111・荷36・試6962・荷2033が短時間の内に撮影することができました。」(Tc153−501さん)
撮影:Tc153−501さん  小田原  1982?
murakami-ef5860 大阪駅で顔を並べる60号機と56号機。どちらも同じ3次増備車で共に東芝製です。東芝府中の製造ラインでも顔を並べていたかもしれませんね。この後60号は解放され56号と交代です。(草津に住む大阪人さん、ご指摘ありがとうございます)
撮影:村上さん  60号:荷2031レ 56号:単5431レ  大阪  撮影日不明
H-yamaguchi-ef5860 清水谷戸トンネルを抜ける浜松区のエース。
撮影:山口裕志さん  横浜羽沢―東戸塚  1981.9.11
H-yamaguchi-ef5860b 車体の各所に打ち直しの跡が散見され、かなりくたびれた印象です。この頃から20年以上経った今も、美しい姿の61号機を思うと何とも言えません。
撮影:山口裕志さん  浜松機関区  1981.10.11
inayuki-ef5860 60号機の引退の花道となった「ミステリー401号」の先頭に立つ。この2ヶ月後の5月30日に同機はあっという間に解体されてしまいました。
撮影:急行伊奈ゆきさん  撮影地不明  1983.4.1
inayuki-ef5860b 当時流行ったミステリー列車を牽引し14系座の長大編成を牽く60号機。やはりこうした編成の先頭に立つ姿こそゴハチの真骨頂に思われます。
撮影:急行伊奈ゆきさん  「ミステリー328」  新居町―弁天島  1982.3.28
ef5831-ef5860 スチームをたなびかせ岡山駅に進入する60号機。茶色の60号機が茶色主体の荷物列車の先頭に立つと何とも言えない風格を感じます。
「残念ながらHゴム改造後の姿ですが、私たち西のゴハチファンにとっては、なかなか会えない61号機に比べ浜松の住人であり、荷物で頻繁に姿を見せてくれる60号機の方が親近感がありました。(」(EF5831さん)
撮影:EF5831さん   荷39レ  岡山 1977.3.22
shin-san-ef5860 車体も艶やかな60号機牽引の荷物列車。愛知植樹祭の御召し予備指定から間もない頃でしょうか。御召し機の風格が感じられます。
撮影:床屋のシンサンさん   荷2031レ  山崎―神足(現・長岡京) 1979年頃
m4-p-ef5860 「保存状態が悪かったので傷だらけのスキャン画像です。申し訳ありません。」(M4-Pさん)
傷はある程度修正させて頂きました。(^^)
撮影:M4-Pさん  荷2032レ  山崎―高槻 1981年頃
shizuhata-ef5860 東海道夜行急行の先頭に立つ大窓時代の60号機。大垣夜行入線前との事なので当時の時刻表から「銀河2号」と思われます。漂うSGのスチームが夜行列車のムードを高めます。
撮影:しずはたさん   103レ「銀河2号」  東京 1974.2
「昭和46年1月5日。珍しい雪景色に促され、自宅近くの広島駅の西端まで撮影に行くと、やがて到着した下り列車の先頭は茶色の58であることが遠目にもはっきり見えた。そして切り離された60号機は広島運転所での休息のため、構内手に誘導されて私の前の引きあげ線を往復して去って行ったが、この日は下りブルトレも3時間以上遅れの状態であったので、60号機の仕業が何列車であったかは不明です。」(安芸路さん)
撮影:安芸路さん     広島 1971.1.5

冷改前の特ロに大窓60号機の渋い編成です。特ロ6両の編成から言って何かの団臨でしょうが、後のジョイフルトレインのご先祖様と言ったところですね。
ところで60号機と言えば昭和42年5月25日に浜松で2エンド左台枠折損と言う事故に遭遇、以後、お召し指定を解除された事が有名ですが、丁度、この写真の該当時期内の出来事ですね。この写真(奇しくも2エンド側)からは事故の前後の姿かは流石に判定できませんが、その修理期間を鑑みると該当時期の60号機の写真は珍しいかもしれません。
撮影:kazu460さん     東京 1967.3〜1969.5.10の間
sugi-EF5860 「今は無き思い出の浜松機関区。いました!お目当ての60号機。大切にされていたのでしょう、屋根付きのガレージの下にいました。」(針葉樹林鉄道研究会の杉さん)
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん    浜松機関区 1976.8.1
sugi-EF5860 大窓、原形ワイパー姿はHゴム改造後の姿と比べるとやはり美しいです。水切りの形状が61号機と比べると若干幅が広く少々高い位置に付いてるようで、同じ大窓スタイルでもオデコのカーブやヒゲのRの形状など両機で微妙に表情が異なっています。 こちらは1エンド側。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん    浜松機関区 1976.8.1
sugi-EF5860 同じ1エンド正面です。あまり触れられていませんがゴハチのヒゲの形状は繋ぎ方以外にも大きく分けると二種類あり、日立と他社で若干異なっています。
日立は他社に比べヒゲの上部の水平部分が長くRの始まりが中央よりでR自体も若干きつくなっていて、正面から見るとヒゲが太く角ばった印象です。個人的にはヒゲの流れの美しさは東芝が一番かなと思います。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん    浜松機関区 1976.8.1
sugi-EF5860 こちらは2エンド側です。お召指定解除後で鼻先中央の旗竿の取付座のボルトが撤去されています。(下端の2か所のスカート部の取付ボルトは残置) ヘッドマーク取付座撤去時に一緒に外されたのでしょうか。どちらも後に復活する事になりますが。(^_^;)
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん    浜松機関区 1976.8.1
sugi-EF5860 前面窓がHゴム支持改造後の姿です。輝く車体から1年前の御召予備機指定時の美しさがまだ感じられます。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん   上り荷レ  住吉―摂津本山 1980.5頃
sugi-EF5860 こちらは大窓時代の姿。関西型信号鉄塔の姿が確認できます。
「長大編成の荷物列車の先頭ゴンパチが茶色でびっくり。本当に驚きました。お召やお召予備機なぞ全く知らなかった中学2年の春です。」(針葉樹林鉄道研究会の杉さん)
携帯電話やインターネットも無い時代は、現場で思わぬ出会いに感動する事が多々ありましたね。現在は情報が先回りしてしまい、そういった楽しみが少なくなってしまったのは残念な気がします。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん   上り荷レ  摂津本山―芦屋 1975.3.8
sugi-EF5860 大窓時代の姿で1エンド側です。同じお召機でも正面勝ちに見ると東芝と日立のヒゲのカーブの違いで、東芝製の本機の方が日立製のロクイチと比べると凛々しい表情です。日立製のヒゲは直線部分が若干長い為、穏やかに見えます。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん   京都 1976.11.7
ゴハチロクマル-EF5860 寝台特急「出雲2号・紀伊」の回送を牽く。この当時の浜松区にはゴハチが25両ほど配置され60号機もそれらの中で普通に運用に入っていました。その為、浜松区唯一のブルトレ運用だった「出雲・紀伊」に入る姿に出会う機会はなかなかありませんでした。 (私は出会えませんでした。(;_:))
撮影:ゴハチロクマルさん   回2004レ「出雲2号・紀伊」  田町 1979
ゴハチロクマル-EF5860
雪を抱いた富士山をバックに東海道を行く。ロクマルの雪かき器取付座にもほんの少し雪が付いています。
「通過時間的にゴハチに太陽があたらない時間なので、露出をゴハチに合わせると富士山が飛んでしまう現象を、現代のデジタル手法で富士山の浮き出しに成功した写真です!」(ゴハチロクマルさん)
撮影:ゴハチロクマルさん   荷32レ  三島―函南 1979.2
Vol.9に続く

注)お召し列車…天皇皇后両陛下及び皇室関係者がお乗りになる特別列車。昭和天皇時代には数多く運転されましたが、
平成になってからは今のところ7回しか運転されていません。

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