ELECTRIC LOCOMOTIVE EF15  Vol.16
EF15 184〜202

Last Update 2024.11.1

Index EF15184 EF15185 EF15186 EF15187 EF15188 EF15189 EF15190 EF15191 EF15192
EF15193 EF15194 EF15195 EF15196 EF15197 EF15198 EF15199 EF15200 EF15201 EF15202

 第15次形(162〜202号機)続き

昭和33年7月〜昭和34年3月に製造された最終グループの続きです。 11次形以降、EF15の製造から外れていた三菱がここで復活。三菱の特徴であった独自の形状の先輪担いバネと動輪の釣り合い梁を結ぶバネ吊りリンクと釣り合い梁、それに丸みを帯びたつらら切りもこのグループのみ標準形になっています。

※印…主な特徴です。画像をクリックすると大きなものが表示されます。

 EF15 184〔高崎第二〕→〔竜華〕
ef5853-EF15184 「いわゆるお立ち台。(監視台から撮った)完全に線路内ですから今は絶対・・・・。53.10改正で[高二]の15は東北線から撤退しましたので、これが最後の夏となりました・・・・。」(EF5853さん)
うーん、この場所はやはり真ん中からでないと…。(^^;)つらら切りは中形、汽笛カバーは高崎タイプの大形です。
 
※寒地形
撮影:EF5853さん  5683レ  蒲須坂―片岡 1978.8.1
製造年月日:S33.8.1
製造:三菱電機・新三菱重工
廃車:S61.10.27
shinohara-EF15184 こちらは晩年の竜華区時代の姿です。上の写真とは随分趣が違います。
 
※排障器前端バリ取付 白Hゴム シールドビーム2灯
撮影:篠原さん  竜華機関区 1985
 EF15 185〔竜華〕
ef5853-EF15185 「ここがお立ち台のはずなんですが・・・。あんまりいいとは言えないですね。
まだブタ鼻になっていませんね。あと、竜華区はパンタの警戒色は黄色だったんですね。(瀬野区のEF59や幡生のEF66も黄色でしたが)」(EF5853さん)

なお、本機はこの後、排障器の前端バリ取付や前面窓の白Hゴム化など上の184号機同様の竜華の標準的形態に改造されています。

※排障器前端バリ取付 白Hゴム シールドビーム2灯←末期
撮影:EF5853さん  5371レ  冷水浦―加茂郷 1980.3.3
製造年月日:S33.8.7
製造:三菱電機・新三菱重工
廃車:S61.3.31
ohno-ef15185 先輪部に台車台枠が無く、前端バリのみとなっているEF15独特の前頭部の形状が良く分かります。これはご存じの通り、EF58とEF15の台車台枠が共通となった為。
撮影:ohnoさん  新鶴見区 1977.9.11
 EF15 186〔竜華〕
guro-EF15186 グロさん撮影の186号機です。白Hゴムに前灯のシールドビーム2灯がいかにも竜華です。側窓もアルミサッシに変更されています。つらら切りは中形の直線的なタイプです。排障器は前端バリ取付となっています。
 
※排障器前端バリ取付 シールドビーム2灯 側窓アルミサッシ化
撮影:グロさん(グロさんのページ)  海南 1982
製造年月日:S33.8.21
製造:三菱電機・新三菱重工
廃車:S59.7.3
H-yamaguchi-ef15186 高崎第二区時代の186号機。同機はこの年の11月に竜華に転属しています。
撮影:山口裕志さん  新宿 1980.8.29
ef5852-ef15186 ヨとマニだけの編成がまるで模型のようで楽しいですね。
撮影:EF5852さん  宮前―和歌山 1983.8
fj62g-ef15186 竜華機関区をバックに阪和線貨物を牽く186号機。後ろに続く色とりどりの2軸貨車も懐かしいです。
撮影:FJ62Gさん  久宝寺付近 1983.7.24
sugi-ef15186 高崎第二区時代の姿です。こちらは2エンド側。安定の高二スタイルです。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん    鹿島田 1977.1.5
 EF15 187〔新鶴見〕
6348-EF15187 東海道線に最後まで1往復残った新鶴見区EF15牽引の貨物列車。伊東線伊東まで行く運用でした。つらら切りは中形の直線的なタイプです。正面の汚れは一体どうしたんでしょうねぇ…。(^^;)
撮影:6348レさん  1790レ  早川 1979.12.8
製造年月日:S33.9.12
製造:三菱電機・新三菱重工
廃車:S56.5.8
H-yamaguchi-ef15187 EF65P形と重連で武蔵野貨物線を行く。新形電機(現在は引退が始まっていますが)とは車体の腰の高さが随分異なる事が良く分かります。
撮影:山口裕志さん  西浦和 1980.5.24
jm1xsj-ef15187 「前後の写真からすると、1981年5月頃撮影と思われます。場所は新鶴見機関区、庫の中で撮影。廃車回送の直前だったかもしれません。(区名札が無く、甲種回送の札が入っているように見えます) 」(jm1xsjさん)
本機の廃車日が1981年5月6日ですから、撮影日がそうだとすると、まさに廃車回送直前と言えますね。その割に綺麗な車体がうら寂しいです。
撮影:jm1xsjさん  新鶴見機関区 1981.5頃
同じ新鶴見配置のEF65510と顔を並べる187号機。新形(当時)電機と肩を並べて活躍したEF15。兄弟機EF58が旧形電機ながら青色塗装になったように、EF15の青色塗装も見てみたかったような…。(気持ち悪いだけ??)

撮影:jm1xsjさん   691レ  新宿 1980年6月〜8月
 EF15 188〔立川〕
nijinochichi-EF15188 前面窓が白Hゴムの188号機。こちらは2エンド側です。
 
※前燈小
撮影:二児の父さん  拝島 1982.4.11
製造年月日:S33.9.20
製造:三菱電機・新三菱重工
廃車:S58.1.24
ef5858-ef15188 宇都宮で運用離脱後、立川区に転属まで同区の仲間と共に留置される188号機。こちらは1エンド側。
撮影:EF5858さん  宇都宮運転所 1978
 EF15 189〔竜華〕
kk0630-EF15189 旧形電機最後の牙城、竜華機関区の189号機です。白Hゴムにシールドビーム2灯、デッキの昇降手すりの白ペイントが晩年の竜華区EF15の標準スタイルと言える様です。
 
※シールドビーム2灯 白Hゴム   
撮影:kk0630さん  2960レ(前補機はED608)  和歌山 1986.1.15
製造年月日:S34.3.28
製造:三菱電機・新三菱重工
廃車:S61.3.31
torisugari-ef15189 紀勢線の名撮影地を行く189号機牽引の貨物列車。青い海とEF15の組み合わせも良い物ですね。
「岩場によじ登り撮影。ちょっと怖い撮影ポイントでしたが381系、キハ58、113系など撮影できました。」(通りすがりの国鉄ファンさん)
撮影:通りすがりの国鉄ファンさん   1360レ  岩代―南部 1984.7.28
 EF15 190〔竜華〕
kk0630-EF15190 こちらも同じく竜華区の190号機です。晩年の竜華区のEF15はシールドビーム2燈化や前面窓の白Hゴム化に加えて運転室側窓のアルミサッシ化が行われています。
 
※シールドビーム2灯 白Hゴム 運転席側窓アルミサッシ化 排障器前端バリ取付
撮影:kk0630さん  竜華機関区 1983.8
製造年月日:S33.7.25
製造:川崎車輌・川崎重工
廃車:S60.3.18
ohno-ef15190 新鶴見区時代の同機。排障器は先台車取付となっています。同機はこの後1978年5月に竜華区に貸し出され、そのまま同年8月に正式に同区に転属しています。つらら切り上部にワイパーの逃げが付けられています。
「EF15195+EF65は定期重連ですが、珍しく4パンでした。」(ohnoさん)
撮影:ohnoさん  新鶴見―尻手 1977.611
ef5852-ef15190 上の新鶴見時代の写真と比べると、EF15と言えど改造によって随分と印象が異なるのがお分かり頂けると思います。
撮影:EF5852さん  宮前―和歌山 1983.8
sugi-ef15190 新鶴見区時代の姿で2エンド側です。最終ロットと言う事でEF15としては最も完成された姿と言えます。区名札挿の左脇のボルトの様な物は、EF15でちょこちょこ散見されますが、何の為の物かは分かりません。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん    新鶴見機関区 1977.3.25
 EF15 191〔長岡(転)〕→〔高崎第二〕
EF15191 EF16に混じり上越線・水上〜石打間の補機仕業をつとめる長岡区時代の姿。この660レは元々は長岡のEF16の補機運用ですが同区のEF16配置が無くなってからはEF15が代替する様になりました。長岡区に配置されたEF15には、正面扉の右横に手すりが設けられています。汽笛カバーは高崎タイプの大形の物です。つらら切りは中形の直線タイプでしょうか。機関士側ワイパーが大形のWP50に交換されていて、その際にグリップエンドがつらら切りに干渉する部分は11号機などと同様に欠き取りが設けられています。

※寒地形  正面扉横手すり
660レ  石打 1980.8.2
製造年月日:S33.8.22
製造:川崎車輌・川崎重工
廃車:S57.3.11
ef5853-EF15191+EF6437 「EF1612が水上貸出中だったのは前回書きましたが、代わりに入ったのがこのEF15191でした。EF64Mが定期運用で上越を走ったのも昔語りになってしまいましたね。」(EF5853さん)
撮影:EF5853さん  3781レ  水上付近 1980.2.10
H-yamaguchi-ef15191 コキやワム、トラ?などなど…。こういった雑多な編成の貨物列車は見ていてとても楽しいものでしたね。
撮影:山口裕志さん  大宮 1981.8.13
 EF15 192〔新鶴見〕→〔甲府〕→〔八王子〕
6348-EF15192 こちらも上の187号機と同じく新鶴見区の東海道貨物。つらら切りは中形の直線的なタイプです。
 
※デフロスタ装備
撮影:6348レさん  1790レ  早川 1980.2.29
製造年月日:S33.9.18
製造:川崎車輌・川崎重工
廃車:S60.11.20

JR東日本大宮工場の新幹線高架下に保存されていましたが、2017年10月末に解体
horino-EF15192 こちらはほりのさんが撮影された引退後の同機の姿で、大宮工場の一般公開時だそうです。隣のED164も既に解体されてしまい、工場などの鉄道施設内の保存電機の行く末も安泰とは言えないようです。
※大宮工場の新幹線高架下で保存されていましたが、その不安が当たってしまい2017年10月末に残念ながら解体されてしまいました。
撮影:ほりのさん(JNR Runners)  大宮工場 1986.10.12
H-yamaguchi-ef15192 新鶴見区時代の同機。上の姿と比べると、同じカマながらスノウプロウの有無で印象が全く異な事がお分かり頂けますでしょう。
撮影:山口裕志さん  西浦和 1980.5.25
尻手駅を通過する192号機と161号機の重連(次位は回送でしょうが)が牽く貨物。連なる黒ワムも懐かしいですね。

撮影:jm1xsjさん   尻手 1980.8頃
EF65に牽かれて甲府に旅立つ192号機の姿でこちらは1エンド側です。デフロスタ装備が功を奏したと言えるかも知れません。区名札挿の左脇にボルトの様な物が確認できます。

撮影:jm1xsjさん   新鶴見機関区 1981.1.16前後
ef5852-ef15192 甲府区に転属後の最晩年の姿で2エンド側です。新鶴見時代とは異なり雪かき器が取り付けられています。雪かき器の形状から甲府区で廃車になった71号機の物かと思いましたが、排障器の取付方法が異なる(裏側取付)のでどうでしょうね。こちらのエンドにも区名札挿の左脇にボルトの様な物が確認できます。
「身延線を走るEF15は甲府区の所属でしたが、日中の富士電車区では毎日昼寝していました。深夜の富士駅にもEF15が留置されていた記憶があります。」(EF5852さん)
撮影:EF5852さん   富士電車区 1984.3
 EF15 193〔新鶴見〕→〔甲府〕→〔八王子〕
EF15193 上の上越形191号機と比べると、同じメーカーで同時に作られた機関車でも、走る線区、装備によってこうも印象が変わるのか…と改めて感じます。本機のつらら切りも中形の直線タイプです。 ワイパーは機関士側WP50、助士側WP35の様です。パンタのスリ板両エンド共鉄製ですね。
1483レ  渋谷―原宿 1980.3
製造年月日:S33.10.25
製造:川崎車輌・川崎重工
廃車:S60.1.18
運用を外れ一休車になった新鶴見のEF15。先頭からの193、192、111号機。193、192号機はこの半年後に甲府区に転属していますが、後ろの111号機はこの段階で二休でこのまま廃車になっています。
撮影:jm1xsjさん   新鶴見機関区 1980.10
sugi-ef15193 新鶴見区でお昼寝中の同機です。真夏のトップライトで側面のHゴム支持窓が目立っています。この時点では機関士側、助士側共にワイパーは原形のKW3Dです。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん    新鶴見機関区 1977.7.24
 EF15 194〔東京〕→〔甲府〕
EF15194 デッキの昇降ステップの下部を白く塗ったカマは東京機関区所属の証。同機のつらら切りも中形の直線タイプです。
品川 1981.5.31
製造年月日:S33.11.8
製造:川崎車輌・川崎重工
廃車:S59.6.6
hiramatsu-EF15194 ナンバー部分が見えづらく分かりにくいですが、恐らく屋根上の列車無線のアンテナなどから194号機の新鶴見時代と思われます。こちらは1エンド側。
撮影:S.HiramatsuさんPassenger Cars Room  新三郷 1978.12
ohno-ef15194 高島線名物ク5000を連ねた貨物列車を牽くシーンでこれも新鶴見時代です。色んな貨車で組成されたカモレも懐かしいですね。
撮影:ohnoさん  鶴見―新子安 1977.3.11
jm1xsj-ef15194 「新鶴見機関区東機待で撮影したものです。」 (jm1xsjさん)
こちらは2エンド側です。EF58とEF15と言う兄弟機が肩を並べる姿も今となっては懐かしい一コマです。
撮影:jm1xsjさん   新鶴見機関区 1981.6頃
 EF15 195〔東京〕→〔甲府〕→〔八王子〕
EF15195 渋谷の街をバックに山手貨物線を行く。近代的なコンテナとEF15の組み合わせはあまり似合わないでしょうか。同機のつらら切りも中形の直線タイプです。ワイパーは機関士側・助士席側共にWP50化されています。検査明け直後だったのか、前面窓のHゴム周囲の白いシーリング材?が目立っています。
 
※常磐線列車無線
渋谷―原宿 1980.8
製造年月日:S33.11.21
製造:川崎車輌・川崎重工
廃車:S59.8.24
EF15195 同じく山手貨物線を行くコンテナ貨物。 こちらは検査前の姿で左の助士席側のワイパーはWP35です。上の写真とほぼ同じ地点から反対側を撮影したものですが、何かいかにも「来ちゃった〜」的なカットですね。(^_^;) 
原宿―渋谷 1979.8
EF15195 武蔵野線貨物線を行く195号機。長大な貨物列車の先頭に立って走るEF15の姿は実に頼もしいものでした。2軸貨車を連ねた車扱貨物も懐かしいです。この段階でも助士席側のワイパーはWP35でパンタのスリ板は鉄製です。
1171レ  府中本町 1979.10.4
ohno-ef15195 独特の架線柱をくぐり抜け、のんびりと貨物線を走る195号機。この辺りの情景は今もあまり変わりませんね。
撮影:ohnoさん  川崎新町―八丁畷 1979.12.15
ohno-ef15195b この時点ではワイパーが原形の腕折り式となっています。
撮影:ohnoさん  鶴見―入江(現・新興) 1977.2.19
jm1xsj-ef15195 EF15としては最も完成された姿と言える最終形。初期形EF15や他の旧形電機に混じると随分と近代的に感じたものです。(^^;)
撮影:jm1xsjさん  浜川崎 1982.4
 EF15 196〔宇都宮(転)〕→〔立川〕→〔甲府〕→〔八王子〕
Nishino-EF15196 宇都宮区にも日光線用にEF15が少数配置されていました。この頃196号機も昭和54年1月に立川へ転属するまで同区に配置されていました。同機はその後昭和56年5月に甲府へ転属。甲府の若番の後釜になっています。(T.Fさん、ご教授ありがとうございました。)つらら切りは中形の直線タイプ。
撮影:Y.NishinoさんY.Nishinoのホームページ)  駒込―田端(操) 1973.5
製造年月日:S33.8.14
製造:汽車製造・東洋電機
廃車:S60.4.15
nanakubo-EF15196 こちらは七久保さん撮影の立川転属後の同機1エンド側です。
「拝島駅構内に留置されているのを八高線の窓から撮ったものです。やや大伸ばしなので、粒子が粗いです。」(七久保さん)
撮影:七久保さんNanakubo's Room  拝島 1981.1.4
ef5858-ef15196 上の188号機らと共に宇都宮に留置される同機の2エンド側。歪みの無い綺麗な車体は1次形のベコベコの姿とはまるで別物です。
 
※前燈小
撮影:EF5858さん  宇都宮運転所 1977
fj62g-ef15196 甲府区EF15の実質的なさよなら運転となった「EF15三重連の旅」の後、甲府機関区に留置中の姿です。既に先輪の踏面は赤錆びてしまっています。
撮影:FJ62Gさん  甲府機関区 1985.3.27
fj62g-ef15196b 「EF15三重連の旅」で手をたずさえた192号機と共に…。
撮影:FJ62Gさん  甲府機関区 1985.3.27
 EF15 197〔八王子〕→〔甲府〕
EF15197 第15次形の完成された姿…。改めて1次形と見比べてみると、その印象は大きく異なります。つらら切りは標準の中形の直線タイプです。両脇にちらっと見えるヨの姿が何とも言えません。こちらは2エンド側です。
新宿 1979.6.9
製造年月日:S33.9.12
製造:汽車製造・東洋電機
廃車:S59.3.12
EF15197 山手貨物線を単機で行く197号機。こちらは1エンド側です。
今では頻繁に埼京線や湘南新宿ライン、NEXが行き来きし、完全に旅客主体の路線になった感の山手貨物線ですが、この当時は少なくなったとは言え昼間でも1時間に5〜6本の貨物が設定されていました。
原宿―渋谷 1979.8
nisjinochichi-EF15197 晩年、甲府区に転属し身延線の貨物列車を牽いて余生を過ごす姿でこちらは2エンド側です。前面窓にデフロスタが取り付けられています。後ろのチップ車(?)がまた、何とも言えません。
撮影:二児の父さん  富士 1981.7.26
ef5858-ef15197a 上の196号機と同じく、宇都宮区のEF15の運用消滅で同区に留置中の197号機。横にはEF5858(宇)とEF651019(宇)の姿。
撮影:EF5858さん  宇都宮運転所 1978
ef5858-ef15197b 同じく留置中の197号機。ちなみにこちらは1エンド側です。
撮影:EF5858さん  宇都宮運転所 1978
kato-ef15197
八王子区の名物列車、EF15重連の5472レが山貨を行く。こちらも1エンド側です。屋根上が大宮工場独自の黒色塗装です。また、側面の切抜ナンバーが武蔵野操車場対策で白く塗られています。 次位は同じ八王子区の原形前面窓機ですが、ちょっとナンバーは分かりません。時期的に60号機は無さそうなので、61、62、74のいずれかだと思われます。
撮影:加藤重義さん  5472レ  恵比寿―目黒 1978.11頃
 EF15 198〔甲府〕→〔立川〕→〔八王子〕→〔甲府〕→〔八王子〕
JZA70-EF15198 198、196、192号機の三重連で運転された「EF15三重連の旅 新宿駅100周年記念号」。この頃になってやっと残り少なくなったEF15の人気も高まってきたようで、こうしてEF15を中心にしたイベント列車も運転されるようになったようです。(921レさん、昔鉄ちゃんさん、情報ありがとうございました。)先頭の198号機は雪かき器は付いていますが、既に汽笛カバーは外されているようです。
 
※寒地形
撮影:JZA70さん  「EF15三重連の旅号」  高尾―相模湖 1985.3.3
製造年月日:S33.10.1
製造:汽車製造・東洋電機
廃車:S61.2.10

※EF15最後の廃車

現在山梨県韮崎市中央公園にて保存

k3-EF15198b こちらはK3編成さん撮影の上の列車の回送姿です。重連でも結構迫力がありますが、これが三重連となると、その迫力は凄かったでしょうね。後ろが切れてるのが残念…。(^^;) 甲府区での最後の運用でしょうか。
撮影:K3編成さん  品川 1985.3.3
nanakubo-EF15198 雪の立川区拝島派出所でひとやすみの同機。立川機関区配置でED16の後釜として余生を過ごした頃ですね。当時、ED16が引退してEF15が青梅線へ入線すると聞いた時には驚いたものです。
撮影:七久保さんNanakubo's Room  立川機関区拝島派出所 1984.1頃
fj62g-ef15198a こちらも「EF15三重連の旅号」。中央線国電区間もまだ武蔵野の面影が残っていますね。
撮影:FJ62Gさん  「EF15三重連の旅号」  荻窪―西荻窪 1985.3.3
fj62g-ef15198 甲府機関区で八王子区への転属を待つ198号機。この後、他の仲間が解体されたなか、幸運にも山梨県韮崎市(同機との直接の縁はありませんが…)で保存される事になりました。
撮影:FJ62Gさん  甲府機関区 1985.3.27
fj62g-ef15198a 区名札が八王子になっています。これは八王子機関区主催の「機関車乗車体験の旅」と言うイベント時の姿です。このイベントに参加したうっちーさんから当時の状況の詳しいメールを頂きました。詳細はこちらをご覧下さい。こちらは2エンド側。
「記憶によると八王子〜大月あたりまで「体験乗車」か何かで募集による一般人を乗せた企画だったと思います。」(FJ62Gさん)
撮影:FJ62Gさん  八王子 1985.12.22
fj62g-ef15198b 赤く点ったテールライトが印象的。実質最後のデッキ付き機関車であるEF15。その最終グループのすっきりとした形態はデッキ付き機関車の最も完成された姿と言えましょう。
ちなみにこのイベントは1985年12/8〜12/22に八王子〜大月間で本機の単機で運転された「機関車体験乗車の旅」と言う八王子機関区の企画です。
撮影:FJ62Gさん  八王子 1985.12.22
torisugari-ef15198 珍しく雪かき器を外した姿です。雪かき器の有無で前面の印象が大きく変わる事が分かります。一見、車体のあちこちが錆びている様に見えますが、汚れが付着してるだけみたいです。
「何の変哲もないものですが、ほとんどスノープロウを装備した写真が多い中でなぜかスノープロウが付いていません。この日はED16のさよなら運転撮影のため出かけていました。」(通りすがりの国鉄ファンさん)
撮影:通りすがりの国鉄ファンさん  列番不明  青梅―東青梅 1983.3.26
snowman-ef15198 資料ではこの時期は八王子区の配置となっていますが、どういうわけか甲府機関区の庫内で保管中の姿です。前面扉が鎖で厳重に封印されているのが目を引きます。
この後、八王子機関区主催の 「機関車体験乗車の旅」の担当機に選ばれた事で八王子区に移動されたんでしょうか…。
撮影:スノーマンさん  甲府機関区 1985.11.3
snowman-ef15198 うっちーさんが参加された本機を使用したイベントの写真です。上にあるFJ62Gさんが撮影したイベントで、198号機単機で八王子〜大月間を往復し、その運転室内に添乗するという内容だったそうです。このイベントについての詳細は「EF15198最後の活躍 1985年12月 機関車乗車体験の旅」をご覧下さい。
撮影:うっちーさん  大月 1985.12.18
watanabe-ef15198 保存された198号機の少々哀れな姿です。戦後の日本経済の発展を影で支えてきた存在とも言えるEF15。どうかいつまでもその姿を後世に伝えて欲しいものです。
「現在、山梨県韮崎市の中央公園に保存されていますが、ごらんのように窓ガラスはほとんど割られた状態です。 」(渡辺さん)
撮影:渡辺さん碓氷峠鉄道倶楽部  山梨県韮崎市中央公園 2002.3.23
ef5852-ef15198 2014年の同機の姿です。ちなみにこちらが1エンド側です。嬉しい事に割れていた窓ガラスなどが修繕されています。
足回りの黒塗装は良い感じですが車体の色が何とも言えない色合いです。パンタグラフも同色で塗られている事もあり、何だかおもちゃっぽい印象です。
撮影:EF5852さん  韮崎中央公園 2014.9or10
uchi-ef15198 上から9年後の2023年の姿です。塗装の剥がれや錆が大分増えています。ただ、屋根無しの割には比較的状態は良い様に見受けられます。おそらく、前回の塗装の際の下地処理がしっかりしていたんじゃないでしょうか。しかしながら、ダメージを受けやすい屋根上の状態も分かりませんし、このまま何も手を施されないままだと先行きが少々心配です。
撮影:うっちーさん  韮崎中央公園 2023.5.26
 EF15 199〔新鶴見〕→〔立川〕
EF15199 寒の目山トンネルを抜け、午後の東海道線を力走する199号機で新鶴見時代です。この当時、根府川辺りに撮影に行くと、朝のブルトレに始まって夕方この15のカモレを撮ってから引き上げてました。ネガが無く手札のプリントからスキャンしたので、画質が今一つ。
 
※常磐線列車無線
1790レ  根府川―早川 1980
製造年月日:S33.11.21
製造:汽車製造・東洋電機
廃車:S60.5.16
EF15199 同じ列車です。前端バリにネジ留めされた2つのカバーは雪かき器取付座用の穴を覆うものです。ちなみに本機は上越方面に配置された事は無く、実際に雪かき器を取り付けた事は無かったと思われます。
1790レ  根府川―早川 1980
nijinochichi-EF15199 1980年10月に新鶴見区から立川区へ転属後は南武線、青梅線の貨物牽引に活躍しました。後ろには112号機がちらっと見えます。
撮影:二児の父さん  拝島 1982.4.11
ef5852-EF15199 上の写真と比較すると前面窓にデフロスタが装備されているのが目を引きます。この後同年5月に甲府へ転属、1985年3月に八王子区へ転じています。こちらは1エンド側。
「正面、側面のナンバーが切り文字式で、PS15パンタ、正面窓、側面窓、モニター窓がHゴム化された199号機は、若番と比較したら迫力に欠けます。パンタの摺り板が1エンド側だけ黄色に塗られていてアンバランスです。」(EF5852さん)
撮影:EF5852さん  拝島 1983.3.22
jm1xsj-ef15199 浜川崎にて顔を並べる新旧標準電機。当時、新鋭機として次々と旧形電機と交替したEF65PFも今や追われる立場になりつつあるのを思うと、時の流れを感じざるを得ませんね。
撮影:jm1xsjさん   浜川崎 1981.10頃
新鶴見時代の199号機でこちらは2エンド側です。ちょっと分かりにくいですが区名札挿の左脇に例の逆台形のボルトの様な物が確認できます。よく見ると砂箱の中に蓋の留め金を白く塗った物がありますが、これは砂箱使用停止の印です。新鶴見区を中心とした関東地区のEF15には、動輪一つに二つ付いた砂箱の片側を締め切った物がかなりいました。
「庫に入区のため、片パンです。」(jm1xsjさん)
撮影:jm1xsjさん   新鶴見機関区 1980年6月〜8月
原宿宮廷ホームからの撮影自体珍しいですが、199号機次位の貨車がまた変わってますね。おそらく検重車「ケ1形」のようです。
「1979年5月13日、201系試作車5両を原宿宮廷ホームで公開した時に撮影したものです。201系を撮ったり見て回った後で、「そういやここから山貨を撮るのは貴重だな」と気づいたもので(笑」(EF5853さん)
撮影:EF5853さん  691レ  原宿宮廷ホーム  1979.5.13
 EF15 200〔高崎第二〕
EF15200 高崎区のEF15としては珍しくシールドビーム2燈化改造された200号機。こちらは2エンド側です。ゴハチ同様外観はどう見ても豚の鼻で、あまり格好良いとは言えません。竜華区では一般的だったこの改造も他区では1燈式の167号機と本機と同じ2燈式の103号機の3両のみだったようです。本機は廃車後もJR東日本の高崎運転所内に保存されていましたが、2000年11月頃に残念ながら解体されてしまいました。同じ高崎で保存されていた165号機は横川鉄道文化村入りしたのに比べると哀れな最後でした。
原宿―渋谷 1979.9
製造年月日:S33.9.17
製造:日本車輌・富士電機
廃車:S61.1.18
みっくさん EF15200 みっくさん撮影の新鶴見のイベントに姿を見せた姿です。
 
※寒地形 シールドビーム2灯
撮影:みっくさん  新鶴見機関区 1986.8
ef5853-EF15200 高崎第二機関区に集う200号機と87号機。200号機はシールドビーム改造前の姿です。同機の汽笛カバーは高崎形の大きなタイプです。つらら切りは標準的な中形の直線タイプ。
撮影:EF5853さん  高崎第二機関区 1978.3.11
JZA70-EF15200 「高崎第二機関区40周年機関車大集合」のイベントの一つとして200号機と165号機の重連で高崎線の宮原から上越線後閑間を運転された「EF15さよなら列車」。
その後仲良く高崎に長らく留置されていた両機ですが、165号機が綺麗に整備されて横川の鉄道文化村入りしたのに対し、この200号機はついに解体されてしまいました。何と言うか運命の非情さを感じます。
撮影:JZA70さん  北本―鴻巣 1985.3.31
fj62g-ef15200b 上の写真のさよなら列車牽引前に高崎第二機関区で展示された姿です。
撮影:FJ62Gさん   高崎第二機関区 1985.3.30
BIN-EF15200 廃車後、新鶴見機関区のイベントで展示中の姿で1エンド側です。微妙に展示位置がずれていますが上のみっくさんの写真と同じイベントですね。現役を退いてから1年以上経過し、あちこち塗装が剥がれ錆が浮いた哀れな状態です。この後、本機は24日に田端運転所100周年のイベントで東大宮操車場、10月の高崎機関区でも展示され、国鉄最後の夏に静態とは言え各地に駆り出され大活躍しています。
撮影:BINさん   新鶴見機関区 1986.8.2
 EF15 201〔東京〕
murakichi-EF15201 Murakichiさん撮影の201号機です。東京区のEF15若番置き換えの為、はるばる広島区から転属しています。広島区配置のEF15は排障器が前端バリ取付に改造された物が多いようです。
 
※排障器前端バリ取付
撮影:Murakichiさん  川口付近 1982.8.29
製造年月日:S33.9.24
製造:日本車輌・富士電機
廃車:S59.6.19
H-yamaguchi-ef15201 デッキステップ下部の白塗りは東京機関区所属の証。EF58やEF65も同様でしたが現場ではどのように活用されていたんでしょう?未だに謎であります。
撮影:山口裕志さん  三郷 1980.7.14
BIN-EF15201 全検から間もないのか、ピカピカの車体が新製直後の様です。
撮影:BINさん  277レ  入江 1980.2.21
 EF15 202〔広島〕→〔竜華〕
ef5853-EF15202 「(当時の)瀬野八を越える2往復のEF15の運用のうちの1つ。1993レは瀬野で小入換を行っていました。2往復共撮影可能時間帯を走行していたため、撮っていた方は多いはずです。広島の15は、58とは逆に派手な改造もなく、原形を残しているものが多かったです。(窓枠原形は91,109,153,157。排障器台車枠取り付けも91やラストナンバーであるこの202もそうでした)」(EF5853さん)
撮影:EF5853さん  1993レ  瀬野 1978.3.16
製造年月日:S33.10.28
製造:日本車輌・富士電機
廃車:S59.3.1
ef5853-EF15202b 「側線からワフを引き出すラストナンバー。これも排障器が台枠取り付けでした。」(EF5853さん)
つらら切りは中形直線タイプです。
 
※排障器前端バリ取付
撮影:EF5853さん  1993レ  瀬野 1978.3.16
morita-EF15202 こちらは森田さん撮影の202号機。阪和線での姿です。隣の113系の快速色も懐かしいですね。この日はキハ80系の「くろしお」最終日だとのことです。
撮影:森田さん  和歌山 1978.10.1
ohno-ef15202 「竜華区に最初訪れた時、EF15は58・99・120号機のわずか3両でしたが、数年後再訪時には紀勢本線が新宮まで電化され、十数両の配置になっていました。竜華区の機関車というと、やはりシールドビーム2灯が印象的でしたね。」(ohnoさん)

 
※排障器前端バリ取付 白Hゴム シールドビーム2灯←末期
撮影:ohnoさん  5373レ  初島 1981.8.29
toshi-ef15202 シールドビーム2灯にデッキステップ手すりの白塗りという晩年の竜華区EF15の定番スタイルでED60と重連単機で阪和線を行くラストナンバー。線路端のみかんの木との組み合わせがいいですね。
撮影:としさん  単機   和泉砂川―和泉鳥取 1981.12.15
 番号不明
 EF15 1??〔竜華?〕
morita-EF151?? こちらも森田さん撮影の阪和線の貨物を牽くEF15です。残念ながらナンバーが分かりませんが側窓もHゴムになってるので最終の15次形の何番かでしょう。
ヨとマニのみの編成で一見荷物列車にも見えますが、当時阪和線に荷物列車は設定されておらず、1985.3.14の改正で廃止されるまでこのように貨物列車にマニが定期的に連結されていたそうです。ゴハチ信者さんご指摘ありがとうございます。
撮影:森田さん  山中渓 1978.10.1
 
 EF15 1??〔高崎第二または長岡〕
shocho-ef15x 田んぼの水鏡に写る綺麗なシルエット。背景の山並みの方角から早朝の撮影でしょうか。さすがに番号の絞り込みは難しく、せいぜいパンタがPS15と言うのと汽笛カバーが大形と言う事ぐらいしか分かりません。
「なぜ帯織−東光寺に行ったかというと、日本ナショナルトラストの米山淳一様が他の方と共同で出された「とき」の写真集に、この場所での作品が多数掲載されていたからです。このカットはカメラのAEのまま撮影したところ、このような絵になりました。意図していませんでしたが却っていい作品になりました。」(所長失格さん)
撮影:所長失格さん(所長、失格になりました) 下り貨物 帯織―東光寺 1979.5.6
 EF15 1??〔高崎第二または長岡〕
shocho-ef15x 同じく信越本線の長閑な田園風景を行く貨物列車。雑多な2軸貨車を繋いだ編成が良いですね。右端に写る稲架木(はさぎ)の姿が越後平野らしさを感じさせます。カマは側窓のHゴムと枕バリ端面形状、大形汽笛カバーから高崎第二か長岡の最終グループの日立以外のどれかだと思います。
撮影:所長失格さん(所長、失格になりました) 上り貨物 東光寺―帯織 1979.5.6
 EF15 130か134〔長岡〕
shocho-ef15x 「有名な水上のトンネルを抜けた先の鉄橋を渡る下り貨物で、フィルターを付けていてぼんやりしてしまい、ナンバーがわかりません。次のカットがPF本務の5670レっぽいのでこれも771レでしょうか。この日は本務もEF15ですが、64の両数が少なく15と64の共通運用だったのでしょうか。」(所長失格さん)
ナンバーは3桁、枕バリの端面が四角、製造銘板は四角の規格銘板、汽笛カバーは小型か中型、前面扉の窓が白Hゴムに見えます。ナンバーがプレート式か切り抜きなのかちょっと判別つきませんが、機械室側窓はHゴム支持ではなさそうなので、この当時の長岡配置機だと130か134号機が該当しそうです。
撮影:所長失格さん(所長、失格になりました) 771レ?  水上―湯檜曽 1980.9.5

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