ELECTRIC LOCOMOTIVE EF15  Vol.15
EF15 162〜183

Last Update 2023.8.1

Index EF15162 EF15163 EF15164 EF15165 EF15166 EF15167 EF15168 EF15169 EF15170 EF15171 EF15172
EF15173 EF15174 EF15175 EF15176 EF15177 EF15178 EF15179 EF15180 EF15181 EF15182 EF15183

 第15次形(162〜202号機)

昭和33年7月〜昭和34年3月に製造された最終グループで41両と言う大グループです。このグループの162号機を除き全機、更に仕様が変更され前面窓、機械室側窓の中央3枚のHゴム支持化が行われ、EF15として最も完成された姿となりました。最終製造機はラストナンバーの202号機ではなく昭和34年3月28日落成の189号機で、同機をもって12年あまりに及ぶEF15の製造に終止符が打たれました。
なお、前ロットに引き続き日立製については正面の切り抜きナンバーの貼り付け位置が、全体に左に寄っています。
また、11次形以降、EF15の製造から外れていた三菱がここで復活。独自の形状の先輪担いバネと動輪の釣り合い梁を結ぶバネ吊りリンクと釣り合い梁、それに丸みを帯びたつらら切りもこのグループのみ標準形になっています。

※印…主な特徴です。画像をクリックすると大きなものが表示されます。

 EF15 162〔高崎第二〕
EF15162 昭和33年7月落成の162号機。前面窓はHゴム化されていますが、前面扉の窓と高さが揃っていないのと側窓がパテ式なので、登場時の前面窓はパテ式だったと思われます。本機は製造年月日が同じ日立製の165号機と166号機の間になっており、おそらく何らかの理由で落成が遅れたものと思われます。ちなみにこのロットで日立は一気に13両のEF15の製造を受け持っており、落成日を見てもどれも製造が同時進行していた事が伺えます。後ろに続くレサ5000の姿も懐かしいです。
 
※正面ナンバー左寄り
575レ  品川 1980.3
製造年月日:S33.7.31
製造:日立製作所
廃車:S58.1.24
EF15162 上の写真と同じ列車です。次位に検査入場でしょうか、品川区のDD13246が連結されています。デフロスタも雪かき器も無い姿は完全に暖地形ですが、新鶴見から高崎第二に移って1年半ほど過ぎています。原宿駅前の雰囲気も今は随分変わりました。
575レ  原宿 1980.3
T.F-EF15162 「スノープロウ無しの姿は「新鶴」ですが、高崎まで運用があったのか?と思ったら、1978.9.20付けで高二に移動していました。」(T.Fさん)
撮影:T.FさんくらはやしみのるのB級HP)  高崎 1978.11
ef5852-ef15162 前面窓にデフロスタが設置されています。雪かき器やつらら切りの無い暖地形でも、デフロスタがあるだけで印象が逞しくなります。
撮影:EF5852さん  鴻巣―吹上 1982.3.12
短編成の貨物を牽き両毛線を行く。幹線で長大貨物を牽く姿も良いですが、こうしたローカル貨物を牽く姿もなかなかどうして味わいがありますね。
撮影:田舎者さん(80年代初めの鉄道写真)  上り貨物  駒形―前橋 1980.11
 EF15 163〔長岡(転)〕→〔高崎第二〕
ef5853-EF15163 この163号機より前面窓機械室側窓の中央3枚がHゴム支持になりました。
「あんまりいい写真ではありませんが、貨車がごろごろいるもので送ってみました。本当に「過去」の写真だな・・・と思います。今、気がつきました。ちょうど20年も前の写真だ!!」(EF5853さん)
 
※寒地形 東新潟形汽笛カバー 正面扉横手すり 前燈小 正面ナンバー左寄り
撮影:EF5853さん  長岡操 1979.8.11
製造年月日:S33.7.17
製造:日立製作所
廃車:S58.6.18
T.F-EF15163 側面の機械室側窓中央部分のHゴムが良く分かります。
撮影:T.FさんくらはやしみのるのB級HP)  鴻巣 1981.1
ef5852-ef15163 上の162号機と同日、同地点で撮られた163号機。この前年の12月に長岡から高二に転属しています。製造時から各窓がHゴム支持となったEF15では前面窓と前面扉の窓の上辺と下辺が綺麗に横に揃っています。後にHゴム改造された物は前面窓が若干下に下がっていることが162号機の写真と見比べると良く分かります。
撮影:EF5852さん  鴻巣―吹上 1982.3.12
新前橋駅を発車し両毛線へ向かう姿。パンタの母線引き込みが無いのでこちらは2エンド側。ワイパーは機関士側、助士側共にWP50です。正面から見た東新潟タイプの汽笛カバーの小さな断面、長岡区独自の前面扉の右側の手すりにご注目。
撮影:田舎者さん(80年代初めの鉄道写真)  新前橋付近 1982.10下旬
 EF15 164〔高崎第二〕
inakamono-EF15164 こちらも数少ない東新潟タイプの小形の汽笛カバーを付けた164号機。本機もかつて長岡運転所に在籍しており、正面扉の右側に手すりが増設されています。
 
※寒地形 東新潟形汽笛カバー 正面扉横手すり 前燈小 正面ナンバー左寄り
撮影:田舎者さん  前橋―駒形 1982.11
製造年月日:S33.7.18
製造:日立製作所
廃車:S58.5.17
inakamono-EF15164b 上越線のEF58、EF15(16)の形式改善の為に新製されたEF641000番台を次位に従えて秋晴れの上越線を行く。EF641000は結局、国鉄電機としては最後の新形式となりました。
撮影:田舎者さん  井野―新前橋 1982.10.17
 EF15 165〔高崎第二〕
packman-EF15165 掲示板常連のパックマンさんによるサロンエクスプレスを牽き吾妻線を行く165号機の綺麗な写真です。こうしたロケーションで客レを牽く姿はまた、違った魅力がありますね。同機は上の162号機と違い側窓もHゴムになっています。
「前日、高崎で駅ネして(寒かった)現地に1番乗り。といってもみなさん同じ電車でで、100人程同着でした^_^;」(パックマンさん)
 
※寒地形 前燈小 正面ナンバー左寄り
撮影:パックマンさん  祖母島―小野上 1985.2.11
製造年月日:S33.7.22
製造:日立製作所
廃車:S60.10.28

現在、「碓氷峠鉄道文化むら」にて保存
torakichi-EF15165 こちらも上のパックさんの写真と同じく「サロンエクスプレス東京」を牽き吾妻線を行く同機です。おそらく上の写真の翌日かと思われます。
「実は前の日から撮影地に居たんですが、夜中から雨になって明け方近くには大雪になっていました(T.T) 写真はとても綺麗に上がりましたけど、このときは本当に凍死するんじゃないかと思いました(^^ゞ」(とら吉さん)
撮影:とら吉さん  祖母島―小野上? 1985.2.12?
m-ito-EF15165 現役末期の同機。適度に艶の落ちた車体がいかにも15らしい頼もしさを感じさせます。もう一度走るEF15の姿を見てみたいですね。
撮影:伊藤正宏さん国鉄形車輌ファイル  高崎第二機関区 1985.3
k-ish-ef15165 この頃、常磐線に居たEF81301と重連単機の165号機。
「いつ頃かはわかりませんが、301が田端にいた頃のもので、301が先頭です。」(K−ishさん)
撮影:K−ishさん  浦和付近  撮影年月日不明
fj62g-ef15165 200号機と重連で運転された「さよならEF15 FOR EVER」 号で最後の晴れ姿。こういった企画をさよならではなくプレート式ナンバー機が残っている間にやって欲しかった…と思うのは私だけ?
撮影:FJ62Gさん  高崎電車区 1985.3.31
fj62g-ef15165b 終着?宮原に進入する「さよならEF15 FOR EVER」号。
撮影:FJ62Gさん  「さよならEF15 FOR EVER」  宮原 1985.3.31
fj62g-ef15165c 宮原駅ではこの列車の運転に関わった乗務員でしょうか、14名もデッキに登っての記念撮影。さよなら列車らしい光景です。
撮影:FJ62Gさん  「さよならEF15 FOR EVER」  宮原 1985.3.31
k3-EF15165 横川の碓氷峠鉄道文化むらに保存中の同機です。今にも動き出しそうです。同じく保存中の120号機の悲惨な姿(注:1999年8月時点)と比べると、この姿をいつまでも維持して欲しいですね。汽笛カバーは上越形の大きなタイプです。
撮影:K3編成さん  横川鉄道文化むら 1999.8.15
 EF15 166〔高崎第二〕
EF15166 EF15の場合、EF58ほど前面窓のHゴム化が外観に与える影響は少ないように思えます。ほとんどがHゴム化されていたのでかえってそちらの方が目に馴染んでいたせいでしょうか…。本機では白Hゴムに交換された側窓が目立っています。つらら切りは直線的な中形、汽笛カバーは上越形の小形で先端部が垂直なものです。本機も製造日が169号機と170号機の間になっており、162号機同様、何らかの理由で落成が遅れたと思われます。こちらは1エンド側。
 
※寒地形 前燈小 正面ナンバー左寄り
新宿 1979.6.9
製造年月日:S33.8.21
製造:日立製作所
廃車:S58.9.13
ohno-ef15166 「品鶴線の多摩川鉄橋は夕方が狙い目で、貨物列車がひっきりなしにやって来ました。EF10・12・13・15・60・65・66/EH10と機種も多彩で次に何が来るか楽しみでした。」(ohnoさん)
撮影:ohnoさん    品川―新鶴見 1976.7.21
新前橋駅構内を入れ換え中の姿でこちらは2エンド側です。ワイパーは機関士側、助士側共にWP50化されています。
撮影:田舎者さん(80年代初めの鉄道写真)  新前橋付近 1982.10下旬
 EF15 167〔高崎第二〕
ef5853-EF15167 熊谷駅で入れ替え中の167号機。こちらの側窓は黒Hゴムです。つらら切りは中形の直線タイプ、汽笛カバーは上越形の大きなもので先端が垂直になったものです。
「新幹線の工事前の熊谷。東武に乗っておけば・・・と思う今。」(EF5853さん)
 
※寒地形 前燈小 正面ナンバー左寄り シールドビーム1灯(一時期)
撮影:EF5853さん  熊谷 1978.7.23
製造年月日:S33.7.29
製造:日立製作所
廃車:S58.7.16
ef5852-ef15167 「高崎第二機関区で出区待ちの167号機です。 パンタグラフが2基とも上がるのを期待して待っていたのですが、片パンのまま発車してしまいました‥‥残念」(EF5852さん)
撮影:EF5852さん  高崎第二機関区 1983.1.9
ohno-ef15167a シールドビーム1燈式に改造された同機の珍しい姿。おそらくはシールドビーム改造の試験と思われます。EF58でも158号機がこのタイプのシールドビーム燈に試験的に改造されていますが、その後2燈式の採用で通常のLP402に復されています。他にもキハでも同じタイプのシールドビーム燈を取り付けたものがありましたが、いずれも本採用は2燈式となっています。
撮影:ohnoさん    鶴見 1976.12.18
ohno-ef15167b 同じく1燈式シールドビームの167号機。上のEF5853さん撮影の写真では前燈が既にLP402に復元されていますので、この姿は3〜4年ほどの期間、おそらくは1全検周期の間のみ見られたものと思います。
撮影:ohnoさん    尻手 1978.1.15
BIN-EF15167 こちらも同じく1燈式シールドビームの167号機の貴重なカラー写真。カラーなので1燈式シールドビーム周辺の鏡面仕上げの具合など良く分かります。このタイプの改造シールドビームはキハ20系などでも見られました。 こちらは1エンド側。
撮影:BINさん   1275レ  入江 1977.1.20
単機で上越線を行く。こちらも1エンド側です。
撮影:田舎者さん(80年代初めの鉄道写真)  上り単機  井野―新前橋 1982.11.14
 EF15 168〔新鶴見〕→〔甲府〕→〔立川〕→〔八王子〕
EF15168 貨車と連結側からの写真で何ですが…。昭和33年製となると、この写真を撮った時で製造から21年。外板の歪みも無くまだまだ綺麗な姿です。つらら切りは標準的な中形の直線タイプです。

※デフロスタ 前燈小 正面ナンバー左寄り
新宿 1979.8
製造年月日:S33.8.5
製造:日立製作所
廃車:S59.8.23

現在、1エンド前頭部がJR東日本大宮総合車両センターに、2エンド前頭部が大阪府内にて保存
EF15168 久々にEF15関係を発掘しました。これも新鶴見時代の同機です。ちなみに後ろにいるPFは今をときめく1118号機。新製間もない頃ですね。
新宿 1979.8
6348-EF15168 東海道線を行く新鶴見時代の168号機。

撮影:6348レさん  1790レ  早川 1979.12.4
nanakubo-EF15168 こちらは七久保さん撮影の甲府区に移ってからの同機です。「最後の身延線旧国の写真を撮りに行った時に何げに撮った物です。」(七久保さん)
撮影:七久保さんNanakubo's Room  富士宮 1981.7.27
sugi-ef15168 広い構内の鶴見線安善駅でDD13301〔品〕と顔を並べる新鶴見時代の同機。まだデフロスタは未取り付けでワイパーも原形のKW3Dです。デフロスタの有無で顔の印象が随分と違います。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん    安善 1977.7.24
1エンド側前頭部がJR東日本大宮総合車両センター(旧大宮工場)の正門から50mほど鉄道博物館寄りに保存展示されています。
撮影:747-400アッキーさん  JR東日本大宮総合車両センター(旧大宮工場) 2008.2.7

2エンド側前頭部は現在、大阪府内の某所にて店舗として保存されています。
2020年5月になり168号機はヤフーオークションに出品され、今後の動向が気になるところです。
撮影:C6217さん  夢工房しげ 2005.6.11
 EF15 169〔竜華〕
ef5853-EF15169 「トリミングして拡大したらこんなになってました。^^;;) とりあえず・・・」(EF5853さん)
機関助士側のワイパーが原形の腕折り形です。機関士側は?
 
※正面ナンバー左寄り シールドビーム2灯(末期)
撮影:EF5853さん  965レ  和歌山 1979.3.27
製造年月日:S33.8.15
製造:日立製作所
廃車:S56.11.11
 EF15 170〔立川〕→〔八王子〕
murakichi-EF15170 ED16の後釜として立川区に配属された170号機。こちらは2エンド側。晩年は136,137,168,170,198,199の6両が同区に配備されていました。(Usudaさん、情報ありがとうございます。)(^^)
「拝島駅で待機する170号機。これはED16撮影の合間のひとコマ。」(Murakichiさん)
 
※前燈小 正面ナンバー左寄り
撮影:Murakichiさん  拝島 1982.10.9
製造年月日:S33.9.16
製造:日立製作所
廃車:S60.12.10
ef5852-EF15170 こちらは1エンド側です。
「拝島駅に停車中の170号機です。 バックに写るオレンジ色の101系も今となっては懐かしく思えます。 この当時は、中央線には、すでに201系が投入されていました。」(EF5852さん)
撮影:EF5852さん  拝島 1983.3.18
sugi-ef15170 同じく1エンド側です。区名札が挿さっていませんが宇都宮区時代です。製造から18年半ほど経過していますが最終ロットだけあってまだまだ綺麗な車体です。
後ろのPFの側面に貼られたポスターの様な物は一体なんでしょうね。杉さんが同じ時に撮影したEF136の写真では170号機の側面に同じ物が貼ってある様です。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん    新鶴見機関区 1976.3.28
 EF15 171〔新鶴見〕
ef5853-EF15171 後ろに続くコキのグリーンのコンテナが懐かしいですね。
「ダイヤ改正前日のもの。快晴でした。目白の駅も今は全く変わりました。このネガは変色していないようです。」(EF5853さん)
 
※正面ナンバー左寄り
撮影:EF5853さん  4172レ  目白 1978.10.1
製造年月日:S33.9.19
製造:日立製作所
廃車:S56.1.12
二度と帰らぬ旅への支度を整え、新鶴見区に待機する171号機。こちらは1エンド側です。ワイパーは両側ともWP50ですね。
「区名札は外され甲種回送の札が・・・。」(jm1xsjさん)
撮影:jm1xsjさん   新鶴見機関区 1981.1.16前後
上の写真の部分アップです。区名札挿の左脇に謎の逆台形のボルトが確認できます。
撮影:jm1xsjさん   新鶴見機関区 1981.1.16前後
輝くナンバーが印象的です。職員さんの最後のはなむけでしょうか…。
同機の側面ナンバーと製造銘板。切り抜き式のナンバープレートは左に少々オフセットしています。(銘板が車輌のセンター)
撮影:jm1xsjさん   新鶴見機関区 1981.1.16前後
sugi-ef15171 同じく新鶴見区で昼寝中の姿。本機は1965年から廃車時まで新鶴見区所属ですが、新鶴見区あるあるで例によって区名札が挿さっていません。こちらは2エンド側です。 この時点では左の助士側のワイパーはWP35の様です。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん    新鶴見機関区 1977.7.24
sugi-ef15171 1エンド側同様、2エンド側の区名札挿の左脇にも謎の逆台形のボルトが確認できますが、1エンド側よりも低めの位置になっています。。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん    新鶴見機関区 1977.7.24
 EF15 172〔高崎第二〕→〔竜華〕
ef5853-EF15172 1977年6月に新鶴見区から転入し、わずか1年3か月後の1978年9月に竜華に転属した同機の貴重な高崎第二区時代の姿です。汽笛カバーは取り付けられていますが雪かき器は未取り付けで前面窓のデフロスタも未設置です。つらら切りは中形の直線タイプ、汽笛カバーは上越形の大きなもので先端が垂直になったものです。
 
※寒地形? 正面ナンバー左寄り
撮影:EF5853さん  岡部 1978.7.23
製造年月日:S33.10.7
製造:日立製作所
廃車:S59.7.3 
ef5853-EF15172b こちらは竜華に転属後の姿です。うーん…。(^_^;)汽笛カバーは外され、前燈がシールドビーム2灯になっています。
「いい場所が見つけられず、こんなところで撮る羽目になりました。ブタ鼻になってしまってなんともはや・・・・。」(EF5853さん)
撮影:EF5853さん  394レ  冷水浦―加茂郷 1980.3.3
こちらは新鶴見区時代の姿で根岸線大船駅10番線に入線するシーンです。当然ながら汽笛カバーは未取り付けです。
撮影:jm1xsjさん   大船 1974年夏頃
同じく大船駅に停車中の同機の運転室付近。「新」の区名札にご注目。 そのすぐ左には11号機や111号機でも見られる謎の逆台形のボルトの姿が確認できます。
撮影:jm1xsjさん   大船 1974年夏頃
shin-san-ef15172 竜華区の僚友99号機と共に阪和線を行く姿で、両機とも原形ライトでデッキ昇降段の手すりの白塗りも無い時代です。次位機の前パンは下がっていますがこの形態だと上越国境の重連を彷彿させます。
「阪和線、紀ノ川橋梁和歌山駅方の土手を行くEF15重連です。」(床屋のシンサンさん)
撮影:床屋のシンサンさん   六十谷―和歌山 1978.8
 EF15 173〔竜華〕
TF-EF15173 T.Fさん撮影の竜華区の173号機です。
「紀州鉄道に寄った折に、ちょうど止まっていたので撮りましたが、後ろのチップ車は今考えると、紀州鉄道乗り入れの貨車だったのかもしれません。構内入換えと、社線貨物という絶好の被写体を撮り逃がしたことになります。なぜならば、このすぐ後の電車で和歌山に向かったのですからわからないのです。」(T.Fさん)
 
※排障器前端バリ取付 シールドビーム2燈 正面ナンバー左寄り
撮影:T.FさんくらはやしみのるのB級HP)  御坊 1983.12.20
製造年月日:S33.10.17
製造:日立製作所
廃車:S59.10.22
ef5852-ef58173 正面窓、側窓中央3枚は製造当初からHゴム仕様です。ご多分に漏れずシールドビーム2燈化が施工されてます。最終グループだけに車体もまだまだ綺麗な状態です。(近年のEF65などの方がよほどくたびれた印象ですね)
撮影:EF5852さん  和歌山 1982.8.15
緑色の国鉄コンテナを積んだコキ編成を牽く173号機。機関車次位のヨが良い味出してます。
撮影:北極ぐま閣下さん   和歌山 1985
sugi-ef15173 新鶴見区時代の姿で当然シールドビーム改造前です。こちらは2エンド側です。上の写真の様に竜華時代には排障器が前端バリに取り付けられていますが、この段階では先輪取付です。排障器の前端バリ取付は広島区など西のEF15に多い印象なので、西のEF15の検査を担当した鷹取工場独自の仕様なのかも知れません。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん    新鶴見機関区 1976.3.28
 EF15 174〔竜華〕
insatsuya-EF15174 おそらく竜華時代の晩年の写真だと思います。シールドビーム2灯、運転席側窓のアルミサッシ化がされていますがこれは鷹取工独自の改造。排障器は前端バリ取付です。履歴の誘導踏段改造とはデッキステップの最下段をスノコ状に取り替えたもので、これも鷹取工(竜華区)独自の改造と言えましょう。
 
※排障器前端バリ取付 シールドビーム2燈 運転席側窓アルミサッシ化 正面ナンバー左寄り
撮影:印刷やさん  撮影地・撮影年月日不明
製造:S33.10.28
日立製作所 No.192276-3
使用開始:S22.8.27
廃車:S61.3.31

移動:
S33.10.29 稲沢第二
S35.3.15  新鶴見
S40.8.6  長岡第二貸
S40.9.7  新鶴見返
S45.6.22発 新得貸
S45.7.30 新鶴見返
S53.8.22 竜華
S61.3.31  廃車
最終走行:

記事:
●S34.9.21〜9.30 浜松丙修:
泥除取付・排障器改造
●S35.2.18 稲沢第二区修:補助排障器取付
●S41.5.26〜6.2 大宮甲修:窓拭器移動 下→上
●S45.6.8〜6.15 大宮全検:排障器整備
●S47.6.21〜7.3 大宮要検:先輪軸受コロ式に改造
●S55.6.16〜7.1 鷹取要検:前燈整備 シールドビーム2燈・誘導踏段改造・運転室側窓改造
timebokan-ef15174 阪和線を行く174号機。20年前はこんな光景も当たり前に見られたものでしたが、今やローカル貨物列車自体、見ることも希になってしまいました。下の新鶴見時代の写真と比べると白Hゴム化された窓や白く塗られたデッキ手すりなど、印象が随分と異なります。
撮影:タイム母艦さん  965レ  浅香 1985.1.5
ohno-ef15174 新鶴見区時代の同機。排障器は先台車取付となっています。
「自宅近くの踏み切りです。写真左端には、この頃既に工事が進められていた羽沢方面へのトンネル入り口が見えます。時期によっては、セイタカアワダチ草に邪魔され取りにくい場所でした。今でもこの踏み切りはあるのでしょうか?」(ohnoさん)
撮影:ohnoさん    鶴見―入江(現・新興) 1977.2.19
BIN-EF15174 同じく新鶴見区時代の同機の2エンド側です。ワイパーはWP35でしょうか。なお、本機の履歴で新鶴見時代に北海道の新得機関区に貸し出された記録がありますが、「鉄道ピクトリアル2003年7月号」によると競合脱線の究明と防止対策の走行試験の為だったとの事です。私はまさか渡道しているとは思わず長年資料の誤植と思い込んで新得を新鶴見としていたので修正しました。(小笠原さまご指摘ありがとうございます)
撮影:BINさん   279レ  入江 1977.2.23
BIN-EF15174 上の写真の部分アップで、171、172号機同様、区名札挿の左脇にも謎の逆台形のボルトが確認できます。1エンド側については未確認です。
撮影:BINさん   279レ  入江 1977.2.23
 EF15 175〔長岡(転)〕
ohno-ef15175 新製配置から廃車時まで、その生涯を長岡で過ごした175号機。本機も正面扉がFRP製に取り替えられています。
 
※寒地形 正面扉横手すり FRP製正面扉
撮影:ohnoさん   長岡運転所 1979.2.19
製造年月日:S33.7.30
製造:東京芝浦電気
廃車:S55.12.10
H-yamaguchi-ef15175 長岡のEF15もこうして補機運用に就くことがありました。 こちらは2エンド側です。ワイパーは機関士側WP50、助士側WP35に換装されていますが、ワイパーが干渉する機関士側つらら切りの上部に逃げが設けられています。
撮影:山口裕志さん  EF15175+EF15132  水上付近 1980.8.20
正面扉がFRP製に交換される前の姿。次位に大物車を連結した上越線の長大貨物を牽く力強い姿。EF15が戦後の日本の復興の一翼を担っていた事を実感させます。
撮影:佐々木さん  宮内付近(宮内―越後滝谷)  1978年?
EF65PFと重連で貨物を牽く姿でこちらは1エンド側です。次位のPFも両パン上がっています。こちらも正面扉は原形です。
撮影:佐々木さん  長岡  1978年?
 EF15 176〔高崎第二〕
ef5853-EF15176 側窓のHゴムは正面窓と異なり白Hゴムの物も多いようです。つらら切りは中形の直線タイプ、汽笛カバーは上越形の大きなもので先端が斜めになったものです。(ややこしい)
 
※寒地形
撮影:EF5853さん  新前橋 1978.3.11
製造年月日:S33.8.1
製造:東京芝浦電気
廃車:S58.2(58.12.6?)
ef5852-ef15176 寒地形EF15の正面どアップ。こちらは1エンド側です。雪かき器で足元を引き締めたEF15には、新形電機には無い重量感が溢れています。
撮影:EF5852さん  倉賀野―高崎 1982.9.15
両毛線を行く晩年の姿で1エンド側です。。ワムを連ねた貨物を牽く姿は主要幹線を行き来していた頃を想起させカッコいいです。雪かき器の付いた寒地形はこれぐらいのアングル、画角が格好よく見えますね。
撮影:田舎者さん(80年代初めの鉄道写真)  下り貨物  前橋―駒形 1982.12
 EF15 177〔新鶴見〕
6348-EF15177 標準的な中形の直線タイプのつらら切りを装備した177号機。
「53-10改正直後で、この後のコマには、あかつき(14系寝台)がバックサインをだしたまま転属のため上京してきたのが写っています。」(6348レさん)

※前燈小


撮影:6348レさん  国府津 1978.10
製造年月日:S33.8.6
製造:東京芝浦電気
廃車:S57.2.4
inage-EF15177 「山の手線の池袋方面へ出発待ちの所です。当機もこの時点では首都圏タイプで特長がありません。」(N.Inageさん)
撮影:N.Inageさん  新宿 1978.6.4
新鶴見機関区の庫3番、4番に留置中の193号機(奥)と177号機で1エンド側です 。177号機の区名札が外されていますが、本機はこの年11月1日付けで二休になっており、この時既に運用を外れていたんでしょう。見た目は綺麗そうなだけに何だか哀れ…。
撮影:jm1xsjさん   新鶴見機関区 1980年6月〜8月
新鶴見区構内に留置される休車のEF15。こちらも1エンド側です。先頭から177、144、187号機。この3両はこの後、復活することなく廃車になっています。
撮影:jm1xsjさん   新鶴見機関区 1980.10
同じく休車中の177号機。まだ、車輪の踏面もまだまだ綺麗です…。
撮影:jm1xsjさん   新鶴見機関区 1980.10
こちらは区名札も挿さっており、休車前の姿でしょうか。同じく1エンド側。
撮影:jm1xsjさん   新鶴見機関区 1980年春頃
上の写真の部分アップで、171、172、174号機同様、区名札挿の左脇にも謎の逆台形のボルトが確認できます。2エンド側は未確認です。
撮影:jm1xsjさん   新鶴見機関区 1980年春頃
機関士登用試験中の山手貨物691レで恵比寿駅の今は無き引き上げ線を行く姿とのことで、こちらは2エンド側です。背後の古びたビルなど、現在の恵比寿駅からは想像できません。
撮影:jm1xsjさん   691レ  恵比寿 1980.9.頃
 EF15 178〔東京〕
EF15178 登場時から各窓がHゴム支持になった178号機。この頃、同区の若番を置き換えるために広島区から後期形が多数転属してきましたが、これはその1両です。元、広島区のEF15はゴハチ同様原形を残した物が多く、同機もこの段階ではワイパーが原形のKW3D腕折り式です。Hゴムは関東では珍しい白Hゴム。つらら切りは中形の直線タイプです。
武蔵野線ホームからの撮影ですが、この場所も今は背後の木々がすっかり成長して大分印象が異なっています。
 
※排障器前端バリ取付 前面窓白Hゴム 原形ワイパー 前燈小
1171レ  府中本町 1979.10.4
製造年月日:S33.8.12
製造:東京芝浦電気
廃車:S57.12.8
ef5853-EF15178 こちらは広島区時代の同機です。
「夕暮れの瀬野に入るシーン。こいつは珍しい白Hゴムでした。後ろにピカピカのEF61200代が並んでいます。」(EF5853さん)
撮影:EF5853さん  1992レ  瀬野 1978.3.16
新鶴見区から出区する。前端バリ取り付けの排障器の取り付け具合が良く分かります。また、ワイパーが変更されていますがWP50でしょうか?
「新鶴見機関区東機待から出区。」(jm1xsjさん)
撮影:jm1xsjさん   新鶴見機関区 1980年6月〜8月
 EF15 179〔東京〕
EF15179 前面窓左右でHゴムの色が異なる179号機。ワイパーはKW3D腕折り型に見えますが、ブレード部分が改造で延長されています。排障器は前端バリ取付です。つらら切りは中形の直線タイプのようです。同機も広島からの転属機。
 
※排障器前端バリ取付 ワイパー変形 前燈小
1171レ  南多摩―府中本町 1980.8
製造年月日:S33.8.22
製造:東京芝浦電気
廃車:S58.12.6
EF15179 広島区から転属間もない頃の同機。この頃、東京区の若番機を狙ってこの辺りにはしょっちゅう来ていたのですが、そのほとんどがこれら広島からの転属機によって置き換えられた後でした。ちなみに上の写真と同じくこちらは1エンド側。
下り単機  府中本町 1979.8
新鶴見で待機する同機。ちなみにこの写真も1エンド側です。2エンド側の前面窓Hゴムの状態がどうだったか気になります。
撮影:jm1xsjさん   新鶴見機関区 西機待 1980年8月末
BIN-EF15179 EF651069を次位に従え高島貨物線を行く179号機。これは2エンド側です。上の写真と同時期の撮影ですが2エンド側の前面窓は左右とも黒Hゴムとなっています。
「1977年頃からと思いますが丁度ブルートレイン牽引機がEF65PからPFに変更になる時期、貨物277レは前東京機関区(EF15、EF65P)、後新鶴見機関区(EF65P、PF)の重連編成になりました。」(BINさん)
撮影:BINさん   277レ  入江 1980.2.25
 EF15 180〔東京〕
EF15180 前面窓の白Hゴムが眩しい180号機。側面のHゴムは黒色のままです。こちらも排障器は前端バリ取付で原形ワイパーの広島転属機です。これらの機関車の転属で、東京区の1次形、2次形は全滅したと思います。(他区へ転属は無く、廃車だったと思います。)つらら切りは中形の直線タイプ。なお、この時点のワイパー取付位置は登場時の窓の外側下部で、助士席側は原形のKW3D腕折れ式、運転士側は直線式が付いています。
 
※排障器前端バリ取付 原形ワイパー 前燈大
渋谷―原宿 1980.8
製造年月日:S33.9.30
製造:東京芝浦電気
廃車:S58.1.24
EF15180 真夏のトップライトが照り付ける西国分寺を通過する180号機。60系直流電機や交流電機ではHゴムは断然白が似合いますが旧形電機はやはり黒が良いですね。模型のバリエーションとしては個性があって面白いでしょうか。
1171レ  西国分寺 1979.8.17
nijinochichi-EF15180 最晩年には前面窓にデフロスタが取り付けられ、ワイパーがWP50に、前面窓のHゴムも黒色に交換されています。
「新幹線開業前の特急や58を撮りに行ったついででした。」(二児の父さん)
撮影:二児の父さん  川口 1983(1982?).11.14
ohno-ef15180 「大学時代に鉄研の仲間と3人でのんびり撮りに行ったものです。天気もよく、河原でごろごろしながら、列車を待ったのが昨日のように感じます。」(ohnoさん)
撮影:ohnoさん  新小岩−金町 1979.12.2
 EF15 181〔竜華〕
kk0630-EF15181 前面、側面とも白Hゴムの181号機。こうしてみると7次形にも結構バリエーションがありますね。本機の運転席側窓は昭和56年(1981年)3月にデッキステップ最下段のスノコ化、助士側ワイパーのWP50化と共にアルミサッシに交換されています。排障器の前端バリ取付も履歴に明記されていませんがその時でしょうか。なお、シールドビーム改造はその2年前の昭和54年(1979年)3月です。
 
※排障器前端バリ取付 シールドビーム2灯
撮影:kk0630さん  和歌山操車場 1986.1.15
製造年月日:S33.12.16
製造:東京芝浦電気
廃車:S61.1.7
ohno-ef15181 新鶴見区時代の同機。正面窓はやはり白Hゴムですが排障器は先台車取付のようです。同機は昭和53年8月に竜華に転属していますが、昭和45年に新鶴見に配属される前は吹田、岡山、竜華と西日本を中心に配属されており、同機の検査を担当した工場もほとんど鷹取工場となっています。各窓の白Hゴムはその際に取り付けられたのでしょう。
撮影:ohnoさん  入江―鶴見 1977.5.19
hokkyoku-ef15181 ED60と重連で阪和線貨物を牽く181号機。ブタ鼻にデッキ手すりの色入れ等、上の東海道貨物線で長大編成を牽く姿からすると都落ち感は否めませんが、デッキ付き旧形電機の魅力を晩年まで伝えてくれた竜華のカマには感謝したいところ。
撮影:北極ぐま閣下さん  浅香 1985
BIN-EF15181 新鶴見時代の姿で1エンド側です。前面窓は白Hゴムですが側窓は黒Hゴムです。排障器は先台車取付になっています。ワイパーは機関士側はWP50ですが助士側は腕折り式のKW3Dです。
撮影:BINさん  279レ  入江 1977.7.5
sugi-ef15181 同じく1エンド側です。 機関士側のWP50と助士側の腕折り式のKW3Dとでワイパーの取付位置が異なっていて独特の表情です。1958年製のラストグループだけあって、まだまだ綺麗な車体です。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん    新鶴見機関区 1977.7.24
taki10450-ef15181
本機が新鶴見から10年ぶりに再び竜華に移ったのが1978年8月で前燈のシールドビーム2灯化は1979年3月なので、この姿は1981年3月の鷹取工場全検入場前の2年ほどの間に見られた姿です。シールドビーム以外は新鶴見時代と変わりません。こちらは2エンド側。
「EF58やEF15見たさに友人と二人で竜華機関区を目指して久宝寺までは行ったものの、機関区への行き方が分からず、近くをうろうろして短絡線の踏切で列車を待つことにしました。どのくらい滞在したかは全く記憶にないのですが、この日はEF15 181とED60 4の2本の貨物列車に出会ってます。」(タキ10450さん)
撮影:タキ10450さん(『タキ10450』の国鉄時代の記録)   久宝寺―杉本町短絡線 1980
 EF15 182〔新鶴見〕→〔高崎第二〕
ef5853-EF15182 新鶴見区時代の姿です。本機はこの年の8月29日に高崎第二区に転じています。この頃は新宿駅ではこうして昼寝中のEF15をいつでも見ることができましたね。同機のつらら切りは中形の直線タイプのようです。
撮影:EF5853さん  新宿 1978.4.1
製造年月日:S34.2.3
製造:東京芝浦電気
廃車:S57.12.23
ohno-ef15182 高崎第二区に転属後の姿。
「神保原-新町間は何度か歩いたことがあります。2321レ、2323レ等を中心にEF58/EF15を狙いに行きました。神流川の鉄橋、築堤等結構楽しめました。」(ohnoさん)
撮影:ohnoさん  新町―神保原 1980.2.10
ef5852-ef15182 EF15、EF58は主電動機が大形になり、他の旧形電機に比べ腰高になっています。その為、スノウプロウの無いものを正面から見ると、剥き出しの先輪と相まって、何だかとても頼りない印象です。(そこがご愛嬌とも…^^;)
撮影:EF5852さん  吹上―鴻巣 1982.3.12
両毛線からの貨物を牽き通いなれた上越線を行く現役最晩年の姿です。本機はこの2日後の11月16日に1休指定され翌月廃車になっています。
撮影:田舎者さん(80年代初めの鉄道写真)  上り貨物  新前橋―井野 1982.11.14
 EF15 183〔高崎第二→甲府〕
inakamono-EF15183 高崎第二区時代の183号機です。典型的な暖地形ですね。
前面窓が最初からHゴム支持となった物は、貫通扉の窓と前面窓の高さが揃っていて、改造の物と比べるとスッキリした印象です。
撮影:田舎者さん  井野―新前橋 1981.4
製造年月日:S34.2.5
製造:東京芝浦電気
廃車:S59.6.6
ois-ef15183 富士山をバックに名所・潤井川橋梁を渡る183号機。同機は昭和58年3月に甲府区に転属、富士の裾野でその生涯を終えています。
「この頃は通過10分前に自宅を自転車で出てこれだけ撮影してました。今思えば楽しないでせめて沼久保くらいまでは行けば良かったのに・・・と後悔してます。運ぶ物が無い(?)と単機回送になってしまう貨レでした。」(OISさん)
撮影:OISさん  入山瀬―竪堀 1984.3
 Vol.16に続く

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