ELECTRIC LOCOMOTIVE EF15  Vol.14
EF15 144〜161

Last Update 2024.12.4

Index EF15144 EF15145 EF15146 EF15147 EF15148 EF15149 EF15150 EF15151 EF15152
EF15153 EF15154 EF15155 EF15156 EF15157 EF15158 EF15159 EF15160 EF15161

 第13次形(144〜156号機)

昭和32年8月〜10月にかけて製造されたグループです。前グループに引き続き144号機を除いてパンタグラフのPS15化が行われています。また、モニタールーフの小窓のHゴム支持への仕様変更も完了したと思われます。ナンバープレートは本グループ以降、全機切り抜き式となっています。なお、日立製については正面の切り抜きナンバーの貼り付け位置が、全体に左に寄っています。

※印…主な特徴です。画像をクリックすると大きなものが表示されます。

 EF15 144〔新鶴見〕
6348-EF15144 斜光を浴びて、早川を通過する144号機。こちらは1エンド側です。このグループの他のカマがパンタグラフがPS15を装備している中、同機だけがPS14Aとなっています。これは元々PS15だったものを振り替えた物のようです。
 
※PS14Aパンタ 正面ナンバー左寄り
撮影:6348レさん  1791レ  早川 1979.3.25
製造年月日:S32.9.19
製造:日立製作所
廃車:S56.10.12
新鶴見機関区庫内で点検を受ける姿で2エンド側です。これから出区でしょうか?後ろのEH10の姿も懐かしいですね。前面窓に上の1979年の姿には見あたらないデフロスタが取り付けられています。同区の廃車発生品を取り付けたのでしょうが、144号機自身もこの後1年あまりで廃車の運命を辿ることになります。
撮影:jm1xsjさん  新鶴見機関区 1980年8月末
BIN-EF15144 入江駅で入れ換え中の姿でこちらは2エンド側です。ワイパーは機関士側WP50で助士側はWP35の様です。
撮影:BINさん  279レ  入江 1977.3.15
BIN-EF15144 同じく入江駅で入れ換え中の姿でこちらは1エンド側です。上写真から1年ほど後の撮影で、パンタの擦り板がアルミ製になっています。良く見ると区名札挿の左脇に11号機に見られる逆台形に配置された4つのボルト?が確認できます。
撮影:BINさん  279レ  入江 1978.2.7
BIN-EF15144 そのボルト部分の拡大です。 2つ上のカラーの2エンド側の写真でもよく見るとそれらしい点が2つ見受けられます。それにしても何の為の物なのか謎であります。
撮影:BINさん  279レ  入江 1978.2.7
BIN-EF15144 こちらも上と同じく1エンド側です。上写真とほぼ同時期の撮影ですが、光線の具合か区名札挿脇のボルトはハッキリとは確認できません。
撮影:BINさん  279レ  入江 1978.2.28?
 EF15 145〔東新潟〕→〔高崎第二〕
ef5853-EF15145 東新潟タイプの汽笛カバーを装備した145号機。つらら切りもこれぐらいになるとすっかり安定して中形の直線タイプに落ち着いたようです。同機もFRP製扉に改造されていますが、この改造は上越地区のEF15に対して昭和54年に大宮工場で集中的に行われたようです。
「青い海、ギラギラの太陽、走る15。泳ぎたかったですねぇ・・・。」(EF5853さん)
 
※寒地形 東新潟形汽笛カバー FRP製正面扉 正面ナンバー左寄り
撮影:EF5853さん  3571レ  鯨波―青海川 1979.8.10
製造年月日:S32.10.1
製造:日立製作所
廃車:S57.12.23
T.F-EF15145 こちらは2エンド側。
「(東新潟から)高崎に移って留置されている姿です。以前お送りいたしました124番に連結されていて「訓練車」の札がかかっていました。2枚とも鉄道ジャーナル社主催のYTCレールメイトツアーで高崎機関区へ行った時のものです。」(T.Fさん)
撮影:T.FさんくらはやしみのるのB級HP) 高崎第二機関区 1982.9.26
T.F-EF15145b 上と同じ時の撮影でこちらは1エンド側です。
「なぜパンタが上がっているのかわかりません。ドアも開いていますが運転台の見学をした記憶もありません。この日はEF15-200もパンタを上げて展示していましたが、この他の車両はパン下げでした。因みにEF15-145の手前は124ですが、その後ろにはEF64-1000とEF58がズラズラと続いていました。」(T.Fさん)
撮影:T.FさんくらはやしみのるのB級HP 高崎第二機関区 1982.9.26
ef5852-ef15145 こちらは2エンド側。FRP製の扉に交換されたEF15を正面から見ると、何だか私鉄の電機みたいな印象です。 ワイパーは機関士側WP50で助士側KW3Dです。
撮影:EF5852さん   鴻巣―吹上 1982.3.12
両毛線の上り貨物を牽き新前橋駅構内に進入する145号機。こちらは1エンド側です。両毛線の高架化前なので現在のこの辺りとは少々趣が異なります。ちなみに本機は1982年9月21日に一休指定となっているので、この姿がほぼ最後の現役姿と言えるでしょうか。
撮影:田舎者さん(80年代初めの鉄道写真)  上り貨物  前橋―新前橋 1982.9
 EF15 146〔高崎第二〕
EF15146 綺麗にワムで組成されたカモレ(途中にヨが入ってますが)を牽く146号機。つらら切りは中形で汽笛カバーは上の142号機と同じ東新潟タイプです。この日は157系お召しの最終運転でした。
 
※寒地形 東新潟形汽笛カバー 正面ナンバー左寄り
原宿 1980.2.15
製造年月日:S32.10.10
製造:日立製作所
廃車:S55.12.10 
EF15146 上の写真の2カット前です。原宿宮廷ホームには回送を待つ157系お召編成の姿が。157系は少数派ながら個性的な外観でファンに人気がありましたが、下降窓の排水が不十分だったことから外板の腐食が進行し、登場から17年あまりの1976年にお召牽引ユニットを残し廃車されました。その後、4年ほど生き長らえてきた1.2ユニットもこれを最後に引退しました。

原宿 1980.2.15
ef5853-EF15146  東新潟時代の同機です。本機は昭和54年(1979年)9月21日に高崎第二区に転属しています。
「高二に転属する前の姿ですね。」(EF5853さん)
撮影:EF5853さん  1492レ 鯨波―青海川 1979.8.10
BIN-EF15148 EF65PFやEF81などと同じ小形の東新潟タイプの汽笛カバーが良く分かります。 昭和54年(1979年)には東新潟区のEF15が高二に転属していますが、その多くが転属後1、2年で廃車となり高二での活躍は短い期間でした。
撮影:BINさん  5770レ  入江 1980.3.17
 EF15 147〔高崎第二〕
ef5853-EF15147 高崎第二区に所属のEF15としては珍しく雪かき器の付いていない姿。おそらく新鶴見区から転属したばかりでしょうか。同機のつらら切りは中形のようです。
「炎天下のトップライト。焼きが難しいのですが、スキャナーだと楽ですねぇ・・・。」(EF5853さん)

※正面ナンバー左寄り
撮影:EF5853さん  5882レ  岡部―本庄 1978.7.23
製造年月日:S32.10.17
製造:日立製作所
廃車:S59.3.1
ohno-ef15147 新鶴見区時代の147号機が牽く荷2935レ。この列車は本来、東京機関区
持ちの運用のはずなので、東京区に貸し出し中でしょうか?常磐線列車無線は?
「新鶴見区の機関車が入ったのにEF58を待ったため、追いかけませんでした。今考えるとこっちのがよかったなあ」(ohnoさん)
撮影:ohnoさん  荷2935レ  鶯谷 1977.1.6
 EF15 148〔高崎第二〕
ef5853-EF15148 品川で一休みするシールドビームの148号機。汽笛カバーは高崎タイプの大形で先端が垂直の物です。
「出ました、ブタ鼻EF15。5/13に200がブタ鼻の姿になってるのを見てえらく驚きましたが、これも強烈でした・・・。」(EF5853さん)
 
※寒地形 シールドビーム2灯
撮影:EF5853さん  品川 1979.7.15
製造年月日:S32.9.6
製造:東京芝浦電気
廃車:S58.3.11 
前橋駅のホームで小休止中のEF15148牽引の貨物列車。正面から見るとブタ鼻…もとい、シールドビーム2燈が強調されます。
撮影:田舎者さん  前橋 1982.9
BIN-EF15148 BINさん撮影のお馴染みの東海道貨物線・入江駅で入れ換え中の姿。こちらは1エンド側です。一気に進むかと思われたEF15のシールドビーム2灯化改造も、残存寿命の関係からか高崎第二区の3両(103、148、200)と竜華区の16両(58、99、120、123、125、158、169、173、174、181、184、185、186、189、190、202)以外には普及しませんでした。
撮影:BINさん  271レ  入江 1979.12.9
BIN-EF15148 2灯式シールドビームは元のLP402(403)を改造して作られているのが分かります。LP402のケースを利用してRSB2灯に改造されています。LP402の開閉式になったレンズ部分にRSB2灯が取り付けられていますが、どう見ても不恰好ですね。蒸機に見られた砲弾形の小形の1灯シールドビームだったら随分と見栄えも良かったんじゃないかと思いますがどうでしょう?もっともこちらの方がどう見ても安上がりでしょうが…。(^_^;)
撮影:BINさん  271レ  入江 1979.12.9
BIN-EF15148 タキ43000で組成された編成の先頭に立つ148号機。
撮影:BINさん  271レ  入江 1979.12.9
 EF15 149〔長岡(転)〕→〔甲府〕
moterman-ef15149 甲府へ転属する直前の149号機です。
「車を積んだ貨車が懐かしいです。」(もーたーまん@鈴木さん)
 
※寒地形 正面扉横手すり
撮影:もーたーまん@鈴木さん  津久田 1981.9.23
製造:S32.9.13
東京芝浦電気 No.302780
使用開始:S32.9.14
廃車:S59.1.12

移動:
S32.9.12  新鶴見
S33.1.25  長岡第二
S56.10.17 甲府
S58.8.1  2休指定

ohno-ef15149 山から降りて、広々とした関東平野を駆け抜ける。
撮影:ohnoさん  新町―神保原 1980.2.10
二軸貨車を連ねた貨物列車の先頭に立つ149号機。正面扉の右側に見える手すりは長岡区に配置されたEF15の多くに取り付けられた物です。雪かき器の下部に排障器を取り外した痕跡が見られます。これはたまたま外していたのか、それとも先台車側に取り付けて不要になったのか、ちょっと気になるところです。
撮影:青森恒憲さん    撮影地不明 撮影日不明
torisugari-ef15149 甲府機関区で顔を並べる149号機と196号機、奥にいるのは195号機ですね。最初から前面窓がHゴム支持の196号機と後年の改造の149号機で、前面窓の取付高さの違いが良く分かります。 149号機は同年8月1日に2休指定となっており、既に休車中だと思われます。196号機は車体も綺麗でまだまだ現役のはずですが、特休でもかかっていたのか149号機同様、先輪の錆が目立ちます。
「「EF15スイッチバックの旅」というイベント列車に乗車して折り返しまでの間に撮影したものです。」(通りすがりの国鉄ファンさん)
「EF15スイッチバックの旅」は3回運転された様ですが、EF15112単機牽引による 最初のものですね。
撮影:通りすがりの国鉄ファンさん  甲府 1983.6.26
 EF15 150〔長岡(転)〕
EF15150 上越線石打駅構内で2090レの先頭に立つEF1623(旧EF1518)と仲良く顔を並べた150号機。こうして1次形と並ぶと各部の差異が良く分かります。同機のつらら切りは中形で直線的な物のようです。例によって正面扉横の手すりが増設されています。汽笛カバーは東新潟形。これも正面扉がHゴム窓のFRP製に改造されています。長岡区や東新潟区の物には多かったんですね。(こうして各機が並んで初めて知りました。^^;)
 
※寒地形 東新潟形汽笛カバー 正面扉横手すり FRP製正面扉 
672レ  石打 1980.8.3
製造年月日:S32.9.25
製造:東京芝浦電気
廃車:S56.11.24
shocho-ef15150 1980年10月改正で運用を外れたEF15とEF58が石打駅の駅本屋側の側線に留置中です。1番線にはゴハチ牽引の荷2044レの姿も見えるの23時過ぎ頃でしょうか。EF16引退後ですがEF641000が補機仕業を受け継いでいたので、石打駅構内には煌々とライトが点きまだまだ活気に溢れています。
撮影:所長失格さん  石打 1981.3.21
shocho-ef15150 同じく石打駅構内の留置姿です。150号機の後ろは128号機でその後ろのゴハチの番号は不明です。アップで見ると手歯止め使用中の札や先輪踏面の錆から留置期間の長さが伺えます。ちなみに本機の1休指定は1981年8月ですが、この姿からそれ以前に実質休車状態だった事が想像できます。それにしても誕生から僅か23年で休車になり、復活することなくそのまま廃車とは少々不憫です。
撮影:所長失格さん  石打 1981.3.21
 EF15 151〔長岡(転)〕
ef5853-EF15151 こちらも東新潟タイプの汽笛カバーを装備した151号機です。こちらも昭和54年に大宮工場での全検に際して正面扉がFRP製に改造されています。
「[高二]の55号機と並ぶ因縁のカマがこれ。1番多く写っています。とりあえず今回はこれを・・。スタイルは[東新]のタイプですが。これも正面ドア窓Hゴム改造車です。結構多いですね・・。後ろは甲府から来たEF6438[長岡]」(EF5853さん)
 
※寒地形 東新潟形汽笛カバー 正面扉横手すり FRP製正面扉 
撮影:EF5853さん  長岡運転所 1979.8.11
製造年月日:S32.10.8
製造:東京芝浦電気
廃車:S57.5.11
 EF15 152〔長岡(転)〕→〔高崎第二〕
EF15152 水上機関区を横目に単機で上越国境へ向かう152号機でこちらは2エンド側。つらら切りは標準の中形で汽笛カバーは長岡タイプとは異なるようです。長岡区に配置されたEF15、EF16の特徴の正面扉の右側に設けられた手すりが確認できます。ワイパーは機関士側WP50で助士側がWP35です。
 
※寒地形  正面扉横手すり 
水上付近 1980.5.3
製造年月日:S32.10.15
製造:東京芝浦電気
廃車:S58.8.5
EF15152+EF1623 水上機関区で兄貴分のEF1623〔水上〕と仲良く顔を並べる長岡時代の姿で上と同じ日の撮影でこちらも2エンド側。本機は昭和57年(1982年)4月に高崎第二機関区へ転属するまで新製配置された長岡区を離れることはありませんでした。
水上機関区 1980.5.3
高崎第二区に転属後、両毛線の貨物を牽く晩年の姿で、パンタの母線引き込み線から1エンド側です。
撮影:田舎者さん(80年代初めの鉄道写真)  上り貨物  駒形―前橋 1982.12
 EF15 153〔東京〕  
EF15153 広島から東京区へ転属してきた153号機。ナンバープレートは切り抜き式で、モニタールーフの明かり取り窓のHゴム化がされています。前面窓、ワイパーは原形(腕折り式)で、避雷器LA15にはカバーが取り付けられていません。前端バリ側面に付いた排障器は鷹取工場独自の改造なのか、関東では珍しかったです。
 
※原形前面窓 原形ワイパー 排障器前端バリ取付 避雷器カバー無し 常磐線列車無線
西国分寺 1980.8
製造年月日:S32.8.14
製造:川崎車輌・川崎重工
廃車:S58.11.11
EF15153 渋谷のビル群をバックに短編成の貨物を牽いて山手貨物線を行く。切り抜きナンバーに原形窓、腕折り式の原形ワイパーで、前面がとてもスッキリした印象です。
この腕折り式のKW3Dワイパー、EF15に限らずEF58、新形電機のED60や交流機のED71、ディーゼルのDF50などなど、昭和32〜34年あたりに製造された機関車に多く見られますね。鉄道車両にも時代の流行みたいなものが感じられて、ちょっと面白いです。
下り貨物  渋谷―原宿  1980.7.20
ef5853-EF15153  こちらは広島区時代の同機です。
「1往復だけ、東広島〜幡生操に貨物運用が残っていました。もう少し、景色の良い所で撮りたかったのですが、EF61との兼ね合いでここにせざるを得ませんでした。結局、これが広島以西でのEF15の唯一の写真になっています。」(EF5853さん)
撮影:EF5853さん  1593レ  徳山 1978.3.18
BIN-EF15153 1エンド側です。屋根上のLA15避雷器の鉄製カバーが未取り付けです。また、東京区に転属後設置された常磐線列車無線のアンテナも確認できます。
撮影:BINさん  277レ  入江 1980.1.31
BIN-EF15153 今日はEF65Pと重連です。原形の前面窓はHゴム窓と比べると随分小さい印象です。
撮影:BINさん  277レ  入江 1980.1.31
BIN-EF15153 全検出場間もない美しい姿の2エンド側です。全検標記は55-8大宮工になっています。カラー撮影で屋根上の黒色塗装やパンタ周りや常磐線列車無線のグレー塗装、カバーの無いLA15避雷器の塗装の具合が良く分かります。側面ナンバープレートが武蔵野操車場対策で白塗りになっています。
撮影:BINさん  277レ  入江 1980.9.12
BIN-EF15153 入江駅を発車するピカピカの153号機。全検後と言う事もあってか製造から23年経過していますがまだまだ綺麗な車体です。上の全検前の写真では東京区の証のデッキ昇降段の白塗りが確認できますが、全検で消されたままなのか塗られていません。
撮影:BINさん  277レ  入江 1980.9.12
 EF15 154〔高崎第二〕
ef5853-EF15154 EF5853さん撮影の高崎第二シリーズ。汽笛カバーは高崎形の小形で先端が直線となったものです。左の200号機と比べると汽笛カバーの差異が良く分かりますね。また、本機の雪かき器は下部先端がカーブしたパラボラ状の独特の物で、このタイプを装備するのは他に50(2エンドのみ)、65、68、72、93、122号機があります。つらら切りは中形のタイプ。こちらは2エンド側です。
 
※寒地形 スノウプロウ変形
撮影:EF5853さん  高崎第二機関区 1978.3.11
製造年月日:S32.9.11
製造:川崎車輌・川崎重工
廃車:S58.1.24
ef5853-EF15154b 「前から3両目に北局マークの配給車代用のワムが写ってますね。(今気が付きました)」(EF5853さん)
撮影:EF5853さん  7962レ  深谷 1979.8.8
kato-ef15154
新鶴見機関区で休憩中の姿でこちらも2エンド側です。上から見るとパラボラ状の雪かき器の状態が良く分かります。また、標準的なEF15において前面昇降段の最下段が通風口を避けて台形状になっているのも確認できます。
撮影:加藤重義さん    新鶴見機関区 1979.3.6
 
 EF15 155〔東新潟〕→〔高崎第二〕
ef5853-ef15155 本機は昭和55年(1980年)3月に東新潟区から高崎第二区に転属。すぐに長岡運転所に貸し出され、その年の10月改正の長岡のEF15の運用消滅と同時に高二区に返却されています。高崎二戻ってから数か月で廃車になっていて、高崎での活躍はほとんど無かった事でしょう。 汽笛カバーは高崎形で前端下部が欠き取られた独特の形です。
「すぐ手前にEF1625[水]が迫ってまして「あーまにあわねー」とか叫んでいたような気がします。このときはEF16よりEF15の方がメインでしたから。フレアにゴースト(モノクロなのに)そしてキズ入り。情けなや・・・・。」(EF5853さん)
キズは修正してあります。(^^;) 
 
※寒地形
撮影:EF5853さん  672レ  石打 1980.8.27
製造年月日:S32.10.18
製造:川崎車輌・川崎重工
廃車:S56.1.12
これは東新潟時代の姿です。次位に回送のDD13を従え信越線を行く。後方のトムの荷はショベルカーか何かでしょうか。今にもダダダダ…と重厚なジョイント音に続いてタンタンタンタン…とリズミカルな二軸貨車の乾いた音が耳に聞こえてきそうです。
撮影:佐々木さん   越後岩塚―来迎寺  1978年?
 EF15 156〔長岡(運)〕→〔東新潟〕→〔高崎第二〕
ef5853-EF15156 正面扉横の手すりと高崎タイプの先端が垂直になった汽笛カバー姿の156号機。こちらは1エンド側です。履歴を見るとこの写真の時点では長岡区配置ですが、この年の12月14日の一日のみ東新潟区配置で翌15日から高二の配置となっています。写真の区名札が〔東新〕なので、この頃既に東新潟に貸し出されていたのかも知れません。
「所属は[東新]ですが、スタイル的にはむしろ[長岡]タイプ。」(EF5853さん)
 
※寒地形  正面扉横手すり 
撮影:EF5853さん  長岡運転所 1979.8.11
製造年月日:S32.10.28
製造:川崎車輌・川崎重工
廃車:S58.10.5
ef5852-ef15156 高崎第二機関区に転属後の同機です。MT42主電動機の唸りが聞こえてきそうですね。
撮影:EF5852さん   鴻巣―吹上 1982.3.12
k53taka-EF15156 1960年代の姿で1エンド側です。 本機は昭和39年9月に稲沢区から長岡第二区に転属。翌年にデフロスタが大宮工場で設置されています。長岡区独自の改造の正面扉の右横の手すりがこの時点では取り付けられていません。また、避雷器はLA12です。排障器が前端バリ取付になっていますが、履歴で昭和33年8月に浜松工場で排障器改造の項目があり、前端バリ取付が後年の改造の可能性が高い事が分かります。
撮影:k53takaさん(新潟の蒸気機関車)   新津 1969.8.14
両毛線の貨物の先頭に立ち新前橋駅を発車する同機の晩年の姿です。こちらも1エンド側でワイパーは機関士側、助士側共にWP50です。
撮影:田舎者さん(80年代初めの鉄道写真)  新前橋付近 1982.10下旬
 第14次形(157〜161号機)
 昭和32年10月〜昭和33年2月にかけて製造されたグループです。 
 EF15 157〔広島→東京〕
ef5853-EF15157 「瀬野八を駆け下る姿。貨車の中には煙を噴いていたものもいました。(おいおい)原形小窓、ワイパー原形。58と違い、15は美しい姿でした。」(EF5853さん)
 
※原形窓 原形ワイパー
撮影:EF5853さん  1991レ  瀬野―八本松 1978.3.17
製造年月日:S32.10.29
製造:日立製作所
廃車:S58.8.5
jm1xsj-ef15157 東京区の初期形淘汰の為に広島から転属した同機。前面窓がHゴム改造されたEF15が多かった首都圏で、美しい原形窓、原形ワイパー姿を見せてくれました。
撮影:jm1xsjさん  扇町 1982.11頃
BIN-EF15157 原形の前面窓と腕折り式の原形ワイパーが美しいです。原形のパテ式前面窓は前面扉の窓と上下サイズが同じで取付高さも揃っていて、とてもスッキリした顔立ちです。それに対してHゴム改造機は窓自体が一回り大きくなり取付高さも若干下がります。その為、前面の窓が横一列で綺麗に揃わなくなってしまいます。最初からHゴム窓の物はきちんと横一列で揃っているので、そこを見れば改造かどうか判別は容易です。
撮影:BINさん  277レ  入江 1980.310
 EF15 158〔広島〕→〔竜華〕
ef5853-EF15158 呉線を行く広島区時代の姿で1エンド側です。
「おなじみの鉄橋なのですが、なんで橋をくぐって反対側のベストの位置へ行かなかったのか、今でもわかりません。(行けない?)ケーブルはありますしねぇ。」(EF5853さん)
撮影:EF5853さん  1690レ  安芸阿賀―広 1978.3.19
製造年月日:S33.2.20
製造:日立製作所

現在:JR西日本宮原客車区にて保存
timebokan-EF15158 こちらは竜華時代の晩年の同機で、前灯がシールドビーム化され、梯子の手すりも白く塗られた竜華スタイルです。
「この写真は1986年の竜華のゴハチ全滅後に123号機とともにEF60に混ざって最後の活躍のワンシーンです。3月のダイヤ改正以後の紀勢線は火が消えた様に寂しく、私の友人達ですら私の誘いになかなか乗ってくれない始末。この日も158号機をこの場所で見送ったのは私だけでした。」(タイム母艦さん)
撮影:タイム母艦さん  5362レ  紀三井寺―黒江 1986.9.28
「定番、古座橋の15です。今みるとワム+ヨのほれぼれする編成です。今この編成が走ったら、手が震えて上手く撮れるかどうか自信がありません・・・。この時はあまりの編成の美しさに1人で歓声を上げました。」(タイム母艦さん)
撮影:タイム母艦さん  5363レ 古座付近 1986.10.26
timebokan-ef15158 ダイナミックな風景の中を行く158号機。こういった景色の中を行く15もまた、良いものですね。今のところ唯一車籍を残す同機ですが、最近は撮影会などにも現れず、その状態が心配されます。
撮影:タイム母艦さん  5363レ 冷水浦―海南 1986.10.23
次位にEF60を従えてコンテナ貨物の先頭に立つ。
「この時既にほとんどの運用をEF60に取って代わられていたのですが、この目で確認する為に出向いた記憶があります。」(FJ62Gさん)
撮影:FJ62Gjさん   杉本町 1986.7.28
竜華区のスターEF5866を従えた晴れ姿。往路がEF5866先頭で復路がEF15158が先頭に立ちました。最後の最後で脚光を浴びた同機はEF15の中では幸せなカマでしょうか。
「当時は、復路もEF5866が前機であればいいのに・・・と少し思っていましたが、今となってみれば この組み合わせもいいですね。しかし、往路で12系6連と把握しておきながら、なぜに客車の切れるフレーミングをしているのでしょうね・・・(苦笑)」(旧型風来坊さん)
撮影:旧型風来坊さん  9126レ「サヨナラ EF58・EF15重連の旅」  黒江―紀三井寺  1986.2.23
 EF15 159〔東新潟→高崎第二〕
ef5853-EF15159 「これは[東新]スタイル。位置を変えようとしたら、さっとパンタを下ろされて
しまいました・・。」(EF5853さん)
 
※寒地形 東新潟形汽笛カバー
撮影:EF5853さん  長岡運転所 1979.8.11
製造年月日:S32.10.31
製造:東京芝浦電気
廃車:S58.5.17
ef5853-EF15159b 信越線の撮影名所、鯨波〜青海川を行く。
「線路端に降りて撮ってみたアングルがこれです。上からの方がやはりいいですね。」(EF5853さん)
撮影:EF5853さん  670レ  鯨波―青海川 1979.8.10
jm1xsj-ef15159 高二に転属後の姿です。全検上がりたてでしょうか、ピカピカの車体がEF15にしては珍しいですね。ちなみに全検標記は56.3のようです。小形の東新潟タイプの汽笛カバーが大ぶりなスノウプラウに比べる何だか頼りなく見えます。
撮影:jm1xsjさん  新鶴見機関区 東機待 1982.5頃
jm1xsj-ef15159b EF15標準形では前面の通風口の取付位置が左右で異なっています。なぜこうなったのか、どなたか理由はご存知ありませんでしょうか?過去の資料でもこの点に触れた物は無かったように思います。
撮影:jm1xsjさん  新鶴見機関区 東機待 1982.5頃
両毛線でローカル貨物を牽く晩年の姿で電気式速度計のケーブルからこちらは1エンド側です。ワイパーは機関士側、助士側共にWP50です。
撮影:田舎者さん(80年代初めの鉄道写真)  上り貨物  駒形―前橋 1982.12
 EF15 160〔広島〕→〔東京〕
ef5853-EF15160 呉線を行く広島区時代の姿でたぶん2エンド側です。ワイパーは原形の腕折式のKW3Dです。排障器は前端バリ取付です。機関車背後の白いビルはGoogleマップで見ると現在も健在ですね。
「呉駅すぐ手前の踏切です。川原石駅ホームには、民家の玄関があってえらく驚きました。」(EF5853さん)
 
※白Hゴム 排障器前端バリ取付
撮影:EF5853さん  1680レ  川原石―呉 1978.3.19
製造年月日:S32.11.13
製造:東京芝浦電気
廃車:S58.6.18
ohno-ef15160 同じく広島区時代です。EF15とこうした本線系の広々とした山線の光景は上越で随分と目にしたのですが、暖地形との組み合わせは関東出身の私にはどうも不思議な感じがします。
撮影:ohnoさん  瀬野 1977.12.26
jm1xsj-ef15160 東京区に転属後の姿でこちらは1エンド側です。昭和54年(1979年)7月に東京区へ転属した本機は58年(1983年)3月には1休になっています。前面窓に広島時代には無かったデフロスタが取り付けられているのが目を引きますが、これは東京区転属後、昭和56年(1981年)6月の大宮工での全検時に取り付けられたもの。ワイパーもおそらくこの時に左右ともWP50に交換されたものと思われます。Hゴムの色が変わっていますが白に黒色を塗った様に見えます。
撮影:jm1xsjさん   昭和 1983.1頃
 EF15 161〔高崎第二〕  
EF15161 単機で新宿駅構内を通過する161号機。つらら切りは中形で直線的なもの。汽笛カバーは高崎タイプで先端が直線的なものです。モニタールーフの小窓はHゴム仕様です。
線路を横切る長髪の職員の姿が時代を感じさせます。
 
※寒地形
新宿 1980.1
製造年月日:S33.2.15
製造:東京芝浦電気
廃車:S57.12.13
EF15161 同じく新宿駅構内を通過する161号機。この辺りは現在は埼京線のホームになっていますね。側面のナンバーが武蔵野操車場対策で白く塗られています。
新宿 1980.1
jm1xsj-ef15161 新鶴見機関区で休憩中。スノウプラウ付きのEF15はやはり精悍です。ちなみにこちらは2エンド側。
撮影:jm1xsjさん  新鶴見機関区 西機待 1981.11頃
jm1xsj-ef15161b こちらも同じく2エンド側です。光が反射した前面左の凸凹が激しいですね。昭和33年製のラストグループにしては痛みが激しいのは、もしかしたら事故の復旧跡かも…。
撮影:jm1xsjさん  新鶴見機関区 西機待 1981.11頃

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