1〜31号機 続き |
EF13 21〔新鶴見〕 車体:旧EF58 19(三菱電機・三菱重工製) |
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車体断面の低い21号機。同機の正面昇降段は左側の機関助士側の窓上に手すりが増設されています。 また、屋根上の雨樋が未設置となっています。こちらは1エンド側。
※車体断面低 エアフィルタ小 第1・第5側窓中央 デッキステップ位置前 正面昇降段増設 前面窓原形 避雷器パンタ後ろ 雨樋未設置 正面ナンバープレート左寄り ドアノブ1エンド縦・2エンド横
撮影:6348レさん 熱海 1977? |
製造年月日:S21.9.7
製造:日立製作所
改造年月日:S29.8.4
改造:日立製作所
廃車:S54 |
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高島線を行く21号機。この辺りの情景は現在もそれほど変わっていませんね。ただし、ここから先、桜木町までは「みなとみらい」の建設でまるで変わってしまいました。
撮影:ohnoさん 東高島―高島 1977.7.22 |
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増設された機関助士側窓上の昇降段位置が良く分かります。EF15もそうですが、戦前の省形電機と異なる窓枠の無いタイプの前面窓は、原形だととても小さく見えます。こちらは1エンド側。
撮影:ohnoさん 新鶴見 1977.3.9 |
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新鶴見区で昼寝中の姿でこちらは2エンドR側です。本機の前面扉のドアノブは縦だと思ってましたがこの2エンド側はこの写真を見ると横ですね。新鶴見区独特の矢印標記から、単にノブが開位置になってるだけの可能性もあり、他の画像を見ないと何とも言えません。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん 新鶴見機関区 1977.7.24 |
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同じく新鶴見区で昼寝中のこちらは2エンドL側です。本機と17,22,30号機の廃車時期は手持ちの各種資料を見ても不明で、唯一「鉄道ピクトリアル」の2006年12月号に廃車年の記述があるだけです。
実際はどうだったのか気になるところであります。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん 新鶴見機関区 1977.7.24 |
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こちらは1エンド側です。原形の前面窓に原形のKW3Dワイパーで前面の印象がスッキリしています。 雨樋が未設置なので屋根上の歩み板の側面がはっきり見えます。
パンタのスリ板が1エンドはアルミ製で2エンドは鉄製です。
撮影:BINさん 279レ 入江 1976.12.13 |
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上と同じ日の撮影のカラーで同じく1エンド側です。こちら側の前面扉のドアノブは縦です。1エンドにも新鶴見区独自の矢印標記が見られます。
撮影:BINさん 279レ 入江 1976.12.13 |
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L側のナンバープレート付近です。左が1エンドになります。 エアータンクの検査標記は50-8-8 OM(1975年8月8日 大宮工場)。
撮影:BINさん 279レ 入江 1977.2.10 |
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これは上の写真とは反対のR側のナンバープレート付近で、右が1エンドになります。こちらの側面の塗装はかなり荒れています。
撮影:BINさん 279レ 入江 1977.2.18 |
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入江駅で待機する同機の2エンド側です。この写真を見ても2エンド側前面扉のドアノブは横向きです。パンタのスリ板が手前の2エンドは鉄製で奥の1エンドはアルミ製です。トラ、
トキにワムを連ねた編成が懐かしいです。
撮影:BINさん 279レ 入江 1977.4.4 |
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こちらも2エンド側です。この写真でもR側の側面の塗装が荒れているのが確認できます。パンタのスリ板はやはり2エンドは鉄製で1エンドはアルミ製です。この写真を見ても2エンド側前面扉のドアノブは横向きです。
撮影:BINさん 279レ 入江 1977.7.6 |
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こちらは1エンド側です。前面扉ドアノブの矢印標記が消えています。車体も綺麗になっている様な気がするので、もしかしたら要部検査時(おそらく1977年8月)に塗装したのかも知れません。パンタのスリ板は両エンド共アルミ製になっています。また、パンタの台枠も黒色からグレーに変わっています。
撮影:BINさん 279レ 入江 1977.11.28 |
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1エンド側の前部アップです。 このL側の運転室のすぐ後ろの側窓上部にタブレット保護柵の取付跡が見られます。同じL側の助士席側には確認できません。
撮影:BINさん 279レ 入江 1977.12.24 |
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こちらは2エンド側です。やはり前面扉のドアノブの矢印標記が消えています。この写真でも前面扉のドアノブは横向きなので、これで確定でしょう。1977年7月6日の写真で荒れていたこのR側車体の塗装も綺麗になっている様に見えます。サイド気味のアングルで雨樋が無いのが良く分かります。
撮影:BINさん 279レ 入江 1978.1.10 |
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同じく2エンド側の前部アップです。このR側にも運転室の右の側窓上部にタブレット保護柵の取付跡が見られますが、やはり助士席側には確認できません。
撮影:BINさん 279レ 入江 1978.1.10 |
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品鶴線、新鶴見操車場付近を行く。望遠レンズで正面から見ると車体の低さが強調されます。こちらは1エンド側です。1977年3月撮影なのでドアノブの矢印が確認できます。
撮影:BINさん 1691レ 鶴見―品川 1977.3.13 |
EF13 22〔新鶴見〕 車体:旧EF58 7(東芝車輌) |
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「ホームから離れていたので、上りスカ線の窓を開けて撮ったような記憶が・・・。このカマもガーランドベンチレーターがない変形機です。」(EF5853さん)
本機の運転席側窓水切りも原形の短いタイプです。こちらは1エンド側。
※車体断面低 エアフィルタ小 第1・第5側窓中央 デッキステップ位置後 ガーランドベンチレータ無し 運転席側窓水切り原形 砂箱配置変形 雨樋変形 正面ナンバープレート左寄り ドアノブ1エンド横・2エンド縦
撮影:EF5853さん 横須賀 1978.7.20 |
製造年月日:S21.10.7
製造:日立製作所
改造年月日:S29.9.29
改造:東京芝浦電気
廃車:S54 |
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上の17号機と同じ場所での撮影ですね。こちらは1エンド側。この22号機はなぜか各種資料に廃車年月日が記載されていません。どなたかご存知でしたらご教示頂けるとありがたいです。
撮影:ohnoさん 尻手―新鶴見 1977.3.7 |
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屋根上にベンチレータが無いと何とも異様な感じですが、これが旧EF58とEF15一次形の登場時の姿。 前面扉の窓が開いていますが、通風口の無い省形電機の特徴で、EF58旧車体やEF15一次形も同様です。
また、本機の雨樋は途中2箇所が途切れています。通常、雨樋は縦管が車内を通っていますが、本機はそれが無い為か途切れた箇所で車体側面を雨水が流れる様にしたのかも知れません。
撮影:ohnoさん 新鶴見 1977.7.6 |
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単機で南武線を行く。こちらも1エンド側です。
「EF13の写真は、やっぱり南武線で撮影したものが一番多いようです。EF13が配置されていた新鶴見区・八王子区・立川区の運用があり、見れる確率が高かったですからね。」(ohnoさん)
撮影:ohnoさん 武蔵小杉―武蔵中原 1977.4.10 |
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入江駅で入れ換え中。こちらは1エンド側。本機は25号機と共に屋根上のベンチレータが無い変形機ですが、砂箱配置も凸形時代のままになっています。ちなみに新EF13の場合、通常は第1動輪の前位、第2動輪の後位、第3動輪の前位に砂箱が取り付けられますが、本機は第1動輪前位と第2、第3動輪を結ぶ釣り合い梁の基部の左右に設置されています。第2動輪後位、第3動輪前位に延びる砂撒き管も確認できます。
上下が短い運転席側窓の水切り、屋根上の途切れた雨樋にもご注目。 上の22号機の同アングルの写真と比べるとHゴム支持化で前面窓のサイズが見た目大きくなり取付位置が全体に下がっているのが見て取れます。
撮影:BINさん 279レ 入江 1977.3.14 |
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上の写真の続きで同じく1エンド側です。 ワム8、ホキ2200、2軸の冷蔵車レム5000、トラ、トキ、タキ43000、ホキ800?に最後尾は車掌車と言う短いながらも何とも楽しい編成の先頭に連結です。
この1エンド側のパンタのスリ板は鉄製で2エンド側はアルミ製でパンタの台枠は黒色です。
撮影:BINさん 279レ 入江 1977.3.14 |
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同じく1エンド側です。本機もEF1320等と同じくデッキステップが後ろ寄りですが、こちらは1エンドL側なのでデッキステップの欠き取りはありません。EF58原形の運転席側窓の水切りの様子が良く分かります。前面扉の落とし込み式の窓が降りているのかと思いきや、修繕中なのか窓枠はそのままでガラスだけ外れてる様です。
ピカピカの車体でかえって外板の歪が目立ちます。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん 新鶴見機関区 1976.8.17 |
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上の写真から11か月後の姿。こちらは2エンド側なのでデッキステップの後位の欠き取りが確認できます。こちら側のドアノブは縦向きです。それにしても屋根上にガラベンが無いと元々モニタ屋根の無いEF13では、まるでパーツを付け忘れた模型みたいに見えてしまいます。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん 新鶴見機関区 1977.7.24 |
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上のBINさん撮影のカラーと同じく入江駅で入れ換え中の姿で2エンド側です。 やはりこの2エンド側のパンタのスリ板はアルミ製で1エンド側は鉄製です。ワイパーは機関士側WP50で助士側WP35です。雨樋の途切れた部分から流れた水で車体側面が汚れています。停車直前で降りる瞬間でしょうか。片足でデッキ昇降段に乗る誘導掛の姿を見ると、改めて危険な作業だと感じます。
撮影:BINさん 279レ 入江 1977.2.22 |
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R側の側面ナンバープレートと改造銘板。ナンバープレートの数字のバランスが特徴的です。車体の歪と塗装の荒れ具合が何とも言えません。
撮影:BINさん 279レ 入江 1977.2.22 |
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同じく入れ替え中。現在も残る海岸通踏切を通過。ちなみに同地点の現在の姿はこちら。左の奥に一之宮神社の姿がちらりと見えますが社殿の形が現在と異なっています。
撮影:BINさん 279レ 入江 1977.2.22 |
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組成を完了して発車を待つ。どこから来た貨車なのか、機関車次位のワムの屋根には雪が乗っています。
撮影:BINさん 279レ 入江 1977.2.22 |
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2エンド側のカラーです。 元のEF58原形の長さの短い運転席側窓水切りが目立ちます。水切りやはりこの2エンド側のパンタのスリ板はアルミ製で1エンド側は鉄製です。担いばねバネ吊りリンクの各部に赤の色挿しが施されています。このアングルだとベンチレータが無い事もあり屋根上に何も付いていない様に見えます。
撮影:BINさん 279レ 入江 1977.5.13 |
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上の一連の白黒写真から丁度1年半後の姿で1エンドR側です。やはり塗装の荒れ具合が目立ちます。ベンチレータの無い抵抗器室カバーや途切れた雨樋も確認できます。足回りではEF13独自の担いバネの補助バネが省略された様子が良く分かります。EF15などと比べて乗り心地はどうだったのか気になります。
撮影:BINさん 279レ 入江 1978.8.22 |
EF13 23〔新鶴見〕 車体:旧EF58 1(日立製作所) |
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「八王子のカマが綺麗だったのに対し、新鶴見区のものは、検査以外洗わないのかというくらい汚れてました。しかもこのカマはボディを切り接ぎでもしたのでしょうか、派手に継ぎ目?がありました。」(EF5853さん)
凄い姿ですねー。おそらく雨樋からの水垂れ跡だと思いますが…。ちなみに本機の車体断面は高く、エアフィルタは大きなタイプです。
※車体断面高 エアフィルタ大 第1・第5側窓内寄り デッキステップ位置後 砂箱配置変形 雨樋変形 前面扉EF15標準タイプ
撮影:EF5853さん 列車番号不明 新宿 1976.9.10 |
製造年月日:S21.11.6
製造:日立製作所
改造年月日:S30.3.10
改造:東京芝浦電気
廃車:S53.10.20 |
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同じくEF5853さん撮影の23号機でこちらは1エンド側です。高い車体断面が良く分かります。 また、本機も砂箱の配置が凸形時代のままとなっています。
撮影:EF5853さん 列車番号不明 新宿 1976.9.10 |
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その車体の亀裂部分?のアップです。見れば見るほど凄い姿…。やはり雨樋の注ぎ口の様になった箇所から流れた水の汚れだと見受けられますが、それにしても…。(^^;)
撮影:EF5853さん 列車番号不明 新宿 1976.9.10 |
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新鶴見区の定期運用で横須賀線へ顔を出した23号機でこちらは2エンド側。やはり随分と汚れていますね…。運転席側窓水切りは一応窓下面まで延長されていますが、元の短いものと延長部とで段差ができています。
前面扉がEF15の標準タイプに見られる物に交換されていますが、これは本機のみです。
撮影:ohnoさん 田浦 1977.9.3 |
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一番上のEF5853さん撮影のものと同じく、L側の写真です。それにしてもホントに汚い…。何とも哀れですねぇ。背景の「躍進する松竹映画」の看板が泣かせます。
撮影:ohnoさん 大船 1978.5.16 |
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EF13では本機のみに見られるEF15標準タイプの前面扉が確認できます。車体載せ替え時からなのか後年に交換されたのかは分かりませんが、前面に通風口の無いEF13では窓が開かないこのタイプの前面扉だと、夏場の運転席はさぞ暑かった事でしょう。
こちらは1エンド側。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん 新鶴見機関区 1976.3.28 |
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お馴染み入江駅で入れ替え中の姿でこちらも1エンド側です。この時の車体は他と比べて随分と綺麗です。ワイパーは左右ともKW3Dです。手すりの陰になり少々分かりにくいですが前面のナンバープレートの左下方に1号機、3号機に見られる丸い突起物があるようです。
撮影:BINさん 279レ 入江 1977.6.9 |
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入れ替えを終え発車を待つで同じく1エンド側。パンタグラフの台枠はグレーですね。凸形EF13独特の砂箱配置が印象的です。先輪はプレート式です。
撮影:BINさん 279レ 入江 1977.6.9 |
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L側の側面ナンバープレートと改造銘板。一見綺麗な塗装ですが剥がれた塗装の上からそのまま塗った様で表面が凸凹です。上のEF5853さんの写真にも同じ個所に凸凹が見られます。ちなみに全検は1975年2月大宮工ですがその割には塗装が艶やかなのでもしかしたら台検時に車体の塗装も行ったのかも知れません。
撮影:BINさん 279レ 入江 1977.6.9 |
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こちらは2エンド側です。1エンド側とは若干左に位置がずれていますが前面のナンバープレートの左下方にやはり1号機、3号機に見られる丸い突起物がはっきりと確認できます。こちら側のワイパーも左右ともKW3Dで先輪もプレート式です。
撮影:BINさん 279レ 入江 1977.8.11 |
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こちらは1エンド側です。上の写真から1か月後の姿ですが、車体がすっかり汚れてしまっています。例の雨樋からの雨だれの跡もくっきりです。
撮影:BINさん 279レ 入江 1977.9.12 |
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上の写真の続きで同じく1エンド側です。 雨が降った後はこうなってしまうのでしょうが、それにしても極端に汚れています。
撮影:BINさん 279レ 入江 1977.9.12 |
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こちらは2エンド側です。 上の写真から半年後ですが洗浄した後なのか、この時の車体は綺麗に見えます。高い車体なので正面寄りに見ると少々間延びした表情に見えます。
撮影:BINさん 279レ 入江 1978.3.13 |
EF13 24〔立川〕 車体:旧EF58 2(日立製作所製) |
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晩年、立川機関区にて南武線で最後の活躍をした24号機で同区で構内入れ換え中の姿です。こちらは1エンド側。同機が最後まで残ったEF13でしたが昭和54年2月に廃車となっています。車体断面は高いものとなっています。第1・第5側窓は中央寄りでエアフィルタは大きなタイプです。同機の正面昇降段も機関助士側の窓上に手すりが増設されています。また、正面のナンバープレートがかなり下方に取り付けられています。
※車体断面高 エアフィルタ大 第1・第5側窓内寄り デッキステップ位置前 正面昇降段増設 砂箱配置変形 正面ナンバープレート低目・左寄り ドアノブ縦
西国立 1977.6.5 |
製造年月日:S21.11.29
製造:日立製作所
改造年月日:S30.3.25
改造:日立製作所
廃車:S54.2.26 |
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古豪ED16が居並ぶ立川機関区ではEF13も肩身が狭そうです。(左端が24号機、右端はEF1513。)ED16が全廃されて間もなく1984年(昭和59年)7月1日に立川機関区も廃止されてしまいました。機関区跡には現在は巨大なマンションが建っており、この情景を偲ぶ事はできません。
西国立 1977.6.5 |
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東海道貨物線(現、横須賀線)を通り横浜を通過する24号機。新鶴見区時代でしょうか。 本機も砂箱配置が凸形時代のままとなっています。こちらは2エンド側。
撮影:6348レさん 横浜 1977? |
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こちらも2エンド側です。
「立川区にて撮影しました。これから出区して拝島へ向かうところです。晴れているとこの場所は順光にはならないのですが、この日は曇っていたため
ED16も含めて非常にいい状態で撮影出来ました。」(N.Inageさん)
撮影:N.Inageさん 西国立(立川機関区) 1978,6,25 |
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「この日は忘れられない日です。EF13の最終運用日です。立川までホキを牽引し、単機でねぐらに戻った後、機関区のみんなに見送られ、ヘッドマークを付けました。もちろん営業運転ではHMなしで、私が見た最初で最後のHM付きEF13です。」(川崎大輔さん)
撮影:川崎大輔さん 西国立(立川機関区) 1979.2.18 |
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これも2エンド側です。
「立川区と八王子区のEF13は、鶴見線の安善までタンク車を牽引する運用を持っていました。鶴見線の撮影(浜川崎―安善間)は場所を見つけるのが難しく、ここと安善構内くらいしかありませんでした。」(ohnoさん)
撮影:ohnoさん 浜川崎―武蔵白石 1977.5.19 |
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こちらは1エンド側。前面の昇降段の両サイド上面に滑り止めの様な物が設置されているのが確認できます。立川区転属後の6、10号機にも見受けられる事から、立川区独自の改造と思われます。ナンバープレートがEF15等の標準的なサイズ(約76×20cm)に比べ随分と大きいのが目立ちます。幅はそれほど変わらなさそうですが高さは5cmほどは高そうです。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん 立川 1977.4.1 |
EF13 25〔新鶴見〕 車体:旧EF58 8(日立製作所製) |
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側窓が4枚で屋根上のガーランドベンチレータも未取付の変形機。これは、種車の旧EF58の原形姿がそのまま残ったもの。他のEF13の車体はEF58時代にそれらの増設が終わっていましたが、本機の種車であるEF588についてはそれらが未施工でした。また、側窓増設時に固定式だった両端の側窓の引き戸改造も施工されていますが、本機はそれも未施工で固定窓のままとなっています。これは1エンド側です。
※車体断面高 側窓4枚 ガーランドベンチレータ無し エアフィルタ大 第1・第4側窓中央 デッキ及びデッキ手すり変形 デッキステップ位置前 正面昇降段増設 運転席側窓水切り原形 砂箱配置変形 正面ナンバープレート左寄り ドアノブ1エンド縦・2エンド横
撮影:EF5853さん 3591レ 西国分寺 1978.5.4 |
製造年月日:S21.12.22
製造:日立製作所
改造年月日:S30.5.21
改造:三菱電機・新三菱重工
廃車:S54.3.18 |
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原宿をEF15と重連で通過する。こちらも1エンド側です。
「この日は何かの臨時貨物があった様でEF1514(八)と重連回送中のところです。当機は側面窓の変形機でぜひとも撮影したかった1両ですが出会えたのは、これが最初で最後でした。」(N.Inageさん)
撮影:N.Inageさん 原宿 1978,9.10 |
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こちらは新鶴見機関区の一般開放日の同機で1エンド側です。
「もう少し側面を入れたかったのですが、一般開放イベント会場の為に、トラロープとギャラリーに阻まれてこれが精一杯でした。」(おいちゃんさん)
撮影:おいちゃんさん 新鶴見機関区 1978,10 |
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側窓の中央部、抵抗器室上のガーランドベンチレータが無い特徴ある25号機の車体中央が良く分かるアングルです。 また、本機も砂箱配置が凸形時代のままとなっています。
撮影:おいちゃんさん 新鶴見機関区 1978,10 |
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高島線、鶴見付近を行く25号機。EF13やEF15が活躍した高島線もいまやEF65の天下。そのEF65も特急色や原色機は風前の灯とは時の流れを感じさせます。
撮影:ohnoさん 鶴見―入江 1977.7.22 |
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高島貨物線をのんびりと行く25号機。対岸に見える広大な高島操車場も現在では「みなとみらい」に取って代わられ跡形もありません。
撮影:ohnoさん 東高島―入江 1977.7.22 |
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同じく高島貨物線を行く25号機。バックに巨大な「みなとみらい」の構造物が出来た以外はこの辺りの雰囲気は現在もほとんど変わっていません。偶然にもほぼ同位置で1995年に私が撮影した写真がありましたので、興味のある方はこちらもどうぞ。
撮影:ohnoさん 高島―東高島 1977.7.22 |
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磯子駅に佇む25号機でこちらは1エンド側。こうしてみると高い車体断面のせいかやけにのっぽに見えます。なお、同機の運転席側窓の水切りも旧EF58原形のままです。
撮影:ohnoさん 磯子 1977.9.9 |
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変形機、25号機のサイドビューでこちらも1エンド側。この車体は標識燈を引っ掛け式にしてパンタグラフをPS13にすれば戦後すぐに誕生した旧EF58、EF15の1次形の誕生直後の車体でもあります。
撮影:ohnoさん 磯子 1977.9.9 |
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機械室側窓4枚やベンチレータの無い屋根上など、特徴ある25号機の形態が良く分かります。運転室側窓の水切りが窓の途中で切れていますが、これが元のEF58の原形です。(EF15の一次形も同様) 足周りでは砂箱の配置が凸形時代のままとなっています。 抵抗器室屋根のベンチレータが無く、側窓両端も固定窓では夏場の機械室はどんな状態だったのやら、今更ながら少々心配になります。 こちらも1エンド側。
撮影:BINさん 279レ 入江 1977.5.9 |
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新鶴見機関区で昼寝中の姿。こちらは2エンド側で前面扉のドアノブが横向きです。側窓の固定窓と可動窓の違いが良く分かります。運転室側窓の短い水切りも目立ちますね。
本機のデッキステップは前寄りですが、ステップから後ろにもデッキ上面がステップ部分と同幅で伸びていて、後位側のデッキステップ手すりも後ろまで延びています。デッキステップ位置が前の車体でこのタイプは本機と15号機のみです。
この時点ではLA15避雷器のカバーが未取り付けです。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん 新鶴見機関区 1976.3.28 |
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上の写真とは別の日に撮影された1エンド側です。この時点ではこちら側の避雷器カバーも未取り付けです。本機の区名札の手前にもEF15にも見られる逆台形に配置された4つのボルトの様な物が見られます。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん 新鶴見機関区 1977.1.5 |
EF13 26〔八王子〕 車体:旧EF58 26(川崎車輌・川崎重工) |
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同機の元車体のEF5826は昭和23年7月製造の為、車体断面は低くなっていると思われます。なお、同機の雨樋は設置されているものの、パンタ付近と中央部の三カ所に切れ切れに設置されているようです。
「ホーム一杯に止められて、駅員サンがいるんでは降りれませんでした。正面窓原型のカマ(だったような?)。」(EF5853さん)
※車体断面低 エアフィルタ小 第1・第5側窓中央 デッキステップ位置前 前面窓原形 正面昇降段増設 雨樋変形 ドアノブ横
撮影:EF5853さん 5792レ 国立 1978.5.27 |
製造年月日:S22.1.22
製造:日立製作所
改造年月日:S31.8.27
改造:日立製作所
廃車:S53.6.28 |
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昼下がりの山手貨物線。ホームの時計や周囲のたたずまいにも、懐かしさを感じます。これまた余談ですがEF13のナンバープレートは戦前、戦後の標準機と比べてどれも非常に大きくなっています。凸形車体時代に付けていたナンバープレートをそのまま付けた為でしょうか…。こちらは1エンド側。
撮影:ohnoさん 目白? 1976.6.12? |
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南武線を単機で行く。こちらは2エンド先頭のL側です。少々分かりにくいですが屋根上の雨樋が3分割されています。屋根上は大宮工独自の黒色塗装でパンタ台座も黒く塗られています。
撮影:BINさん 5164レ 向河原―平間 1977.2.12 |
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同じく南武線を単機で行く姿。ほぼ同一場所での撮影ですがこちらは1エンド先頭のR側です。 こちら側の雨樋もL側と同じく3分割されています。
撮影:BINさん 向河原―平間 1977.10.2 |
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正面から見た同機。こちらは1エンド側です。このアングルの方がかえって3分割された雨樋の状態が良く分かります。どうも単なる板状の物の様なので雨樋と言うより水切りと言った方が良さそうです。
撮影:BINさん 5164レ 向河原―平間 1977.2.26 |
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同じく1エンド側です。前端バリの連結器左側が四角く欠き取られていますが、2エンド側も同様に欠き取られています。青タキ(タキ43000?)を連ねて東海道貨物線を行く姿は、老いたりと言えどまだまだ元気に見えます。
撮影:BINさん 5464レ 品川―鶴見 1977.11.27 |
EF13 27〔八王子→立川〕 車体:旧EF58 13(三菱電機・三菱重工製) |
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こちらも車体断面の低い27号機で、屋根上の雨樋が未設置です。また、本機も砂箱配置が凸形時代のままとなっています。運転席側窓の水切りは旧EF58と一次形EF15の三菱製の一部に見られる全周に渡り奥行きが同一になったタイプです。こちらは1エンド側。
「EF15の団臨を撮りにいったついでに撮ったものです。どうもこれが唯一の比較的まともなEF13のカラー写真のようです。(いつものところにいたEF13
3[新]も撮ってますがもっと悲惨・・)ASA100の手持ち、雨が降り出した夕方、という条件でして…(と、言い訳)」(EF5853さん)
※車体断面低 エアフィルタ小 第1・第5側窓中央 水切り三菱タイプ デッキステップ位置後 雨樋未設置 砂箱配置変形 ドアノブ横
撮影:EF5853さん 新宿 1977.11.26 |
製造年月日:S22.3.17
製造:日立製作所
改造年月日:S29.9.29
改造:川崎車輌・川崎重工
廃車:S54.1.24 |
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立川機関区で仲良く並ぶ24号機と27号機。こうして並ぶと車体断面の違いが良く分かりますね。
「おなじみのアングルですね。ここは今どうなっているんでしょうか・・・?」(EF5853さん)
撮影:EF5853さん 西国立(立川機関区) 1978.5.27 |
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廃車回送で立川機関区を後にする27号機でこちらは2エンド側です。
「27号機もDD13に牽かれ帰らぬ旅へ。」(川崎大輔さん)
撮影:川崎大輔さん 西国立(立川機関区) 1979.1.15 |
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正面寄りに見ると車体断面の低いEF13は同じ車体のEF15一次形よりも平べったい印象です。どちらも足回りの高さは1500mmで同じはずですが、前端バリの形状の違いからそう見えるんでしょうか。
撮影:ohnoさん 浜川崎 1977.3.8 |
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浜川崎を行く同機でこちらは1エンド側です。
「浜川崎にはEF10に似た動輪が4つの機関車(実はED16)がいるということで、小学生の頃友人達と出かけたのが最初です。日本鋼管の蒸気機関車も1972年ごろまで健在で、守衛さんに頼んで工場内に入れてもらったこともあります。あの時行動を共にした友人達は今どうしているでしょうか・・・」(ohnoさん)
撮影:ohnoさん 5193レ 浜川崎 1977.3.8 |
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立川駅にて待機する27号機でこちらは2エンド側です影で分かりにくいですがデッキステップの後位側が欠き取られています。車体の汚れがすさまじいですね。同機は屋根上の雨樋が未設置なので、その為、雨だれで車体が汚れやすかったのかも知れません。
「南武線ホームから撮影。当時中学生だった私はまだ、EF13とEF15の区別がつきませんでした(*_*) 」(hojikurinさん)
撮影:hojikurinさん 立川 1978 |
EF13 28〔新鶴見〕 車体:旧EF58 31(東芝車輌) |
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こちらも車体断面の低い28号機で2エンド側です。五反田の駅付近も今とは随分と印象が違いますね。正面のナンバープレートの取付位置が13,24,29号機と同様他機と比べ随分低くなっています。
※車体断面低 エアフィルタ小 第1・第5側窓中央 デッキステップ位置後 運転席側窓水切り原形 正面ナンバープレート低目・左寄り ドアノブ縦
撮影:EF5853さん 3485レ 五反田 1977.3.14 |
製造年月日:S21.1.31
製造:東芝車輌
改造年月日:S29.3.4
改造:東京芝浦電気
廃車:S53.5.29 |
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伊東線の貨物列車を牽く28号機でこちらも2エンドです。同機の正面ナンバープレートはかなり下にずれて取り付けられています。運転席側窓水切りは側窓下面まで達しておらず、旧EF58原形のようです。
撮影:西村暢彦さん(日本国有鉄道礼賛) 伊東 1976.7 |
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28号機の正面アップ。戦前の省形電機を受け継ぐ凸形の前端バリと低い車体断面が相まってなかなか愛嬌のある顔ですね。こちらは1エンド側。
撮影:ohnoさん 八丁畷 1977.3.10 |
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今は横須賀線になっている東海道貨物線を行く28号機。パンタの母線引き込みらしき物が見えるので多分2エンド側です。昭和53年10月改正までは東海道線と横須賀線の東京―戸塚間は同じ線路を走っており、現在の横須賀線は純粋に貨物線でした。今となっては何だか信じられませんが…。
撮影:ohnoさん 鶴見 1976.5.24 |
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BINさん撮影の28号機の2エンド側ですデッキステップ後位の欠き取りが確認できます。正面ナンバープレートの取付高さは本機がEF13中では最も低い位置になっている様です。
撮影:BINさん 279レ 入江 1977.6.29 |
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新鶴見機関区構内に留置中の姿で2エンド側です。後ろの3号機と比べると前面ナンバープレートの取付位置が低い事が良く分かります。
「架線の無いレーンに止まっていますが、区票が入っているので休車ではなさそうです。EF1328+EF133(区票有り)+EF154(区票無し)の順で止まっていました。」(針葉樹林鉄道研究会の杉さん)
先輪の輝きが無い事から留置後そこそこ日数が経過していそうです。手歯止めも使用されており検査周期の調整などで特休中だったのかも知れません。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん 新鶴見機関区 1977.7.24 |
EF13 29〔八王子〕 車体:旧EF58 22(川崎車輌・川崎重工製) |
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八王子機関区庫内で休む29号機でこちらは2エンド側。車体断面は高いもので、第1・第5側窓は標準位置でエアフィルタは大きなタイプです。同機の正面昇降段も機関助士側の窓上に手すりが増設されています。また、13,24,28号機同様、正面のナンバープレート取付位置が下にずれています。こちら側の前面扉のドアノブは横向きです。
※車体断面高 エアフィルタ大 第1・第5側窓中央 デッキステップ位置前 正面昇降段増設 正面ナンバープレート低目 ドアノブ1エンド縦・2エンド横
八王子機関区 1978.10 |
製造年月日:S21.6.6
製造:東芝車輌
改造年月日:S29.11.25
改造:日立製作所
廃車:S53.11.9 |
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こちらは1エンド側です。前面窓はHゴム支持に改造されています。同じ車体を持つEF15もそうですが、Hゴム支持窓はなぜか随分と大きく見えます。
撮影:ohnoさん 八丁畷 1977.7.21 |
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尻手の短絡線を行く29号機。夏とは言えもの凄い草ですね。とてもまともな列車が来るようには見えません。今は随分とすっきりしてるように思いますが…。
撮影:ohnoさん 新鶴見―尻手 1977.7.21 |
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ナンバープレートの位置で同じ高い車体でも顔の表情が随分と変わります。先輪はプレート式です。カラー写真だとパンタグラフや避雷器の塗装がグレーなのが分かります。 この1エンド側の前面扉ドアノブは縦形です。
撮影:BINさん 279レ 入江 1977.12.9 |
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1エンドL側のアップです。横がちに見るとデッキステップの位置が前寄りなのが良く分かります。EF15一次形と同じく車体高さが高い車体は前面扉の下部分が欠き取られています。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん 新鶴見機関区 1977.7.24 |
EF13 30〔新鶴見〕 車体:旧EF58 17(東芝車輌) |
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こちらも車体断面の高い30号機。上の28号機と比べると、印象が随分違いますね。
「4/1から休車になっていたのですが、復活していました。」(EF5853さん)
※車体断面高 エアフィルタ大 第1・第5側窓中央 デッキステップ位置後 運転席側窓水切り変形 砂箱配置変形 ドアノブ縦 側窓タブレット保護柵(第1側窓のみ)
撮影:EF5853さん 568レ 西国分寺 1978.7.20 |
製造年月日:S21.8.10
製造:東芝車輌
改造年月日:S31.8.18
改造:東京芝浦電気
廃車:S53 |
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EF13の車体は旧EF58の車体のため、EF15の1次形と同様のバリエーションがあります。同機の第1・第5側窓の位置は一応中央に分類してますが、やや外側に寄っています。また、本機も砂箱配置が凸形時代のままとなっています。こちらは1エンド側です。
「山の手線の池袋方へ向かうべく出発待ちのところです。」(N.Inageさん)
撮影:N.Inageさん 新宿 1978,6 |
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シワシワの車体が何とも言えません。こちらは2エンド側です。同機の運転席側窓水切りも窓の下面まで達していませんが、旧EF58原形よりも若干長いようです。
撮影:ohnoさん 横須賀 1977.7.26 |
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後ろのク5000も懐かしいですね。この当時は雑多な貨車を連ねた貨物列車もまだまだ多く、こうした整った編成は珍しかったように思います。
撮影:ohnoさん 尻手―新鶴見 1977.7.26 |
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お馴染みBINさん撮影の同機でこちらは1エンド側です。プレート式先輪が鈍重な印象です。機関士側の第1側窓のみEF15に見られる物よりも縦長のタブレット保護柵が取り付けられています。おそらく甲府区配置時代の取り付けと思われます。なお、9号機にも同タイプの保護柵が取り付けられていますが、本機と異なり第1・第5側窓に設置されています。
撮影:BINさん 279レ 入江 1976.12.1 |
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同じくBINさん撮影の2エンド側でやはり機関士側の第5側窓のみタブレット保護柵が設けられています。この2エンド側はデッキステップの後位側が欠き取られています。床下の配管や足回りの速度検知器の取り付け箇所はEF58やEF15同様に異なります。台車台枠側面の歯止め掛けが目立ちます。
撮影:BINさん 273レ 入江 1977.3.1 |
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同じく2エンド側です。運転席側窓の水切りが窓の下端まで達していませんが、旧EF58原形よりも若干長くなっています。よく見ると水切り側面の角度が途中で微妙に変化しており、その部分から若干下方に延長をしたのではないかと思われます。
撮影:BINさん 273レ 入江 1977.3.1 |
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モーターの唸りが聞こえてきそうなカット。大歯車にバネが入っていないEF13のモーター音はEF15などと比べて異様に大きかった記憶があります。また、戦時形由来のEF13の特徴と言える、補助コイルバネを介さず直接台車台枠に連結された担いバネの構造が見て取れます。エアフィルタぎりぎりまで伸びた縦長のタブレット保護柵の形状も一目瞭然。
撮影:BINさん 279レ 入江 1977.3.16 |
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昭和31年改造の東芝銘板とナンバープレート。EF58時代に引き戸に改造された側窓の形状が左右で異なります。EF15の一次形などでも見られますが、修繕で形が変わる事も多いのでしょうね。
撮影:BINさん 279レ 入江 1977.2.17 |
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立川駅にて次の仕業に向け待機中。こちらは1エンド側です。こちら側のデッキステップには欠き取りはありません。車体が高いタイプは低いタイプに比べ同じEF13でも堂々とした印象です。元車体のEF5817は昭和22年9月に東芝で落成していますが、戦後間もない割にはしっかりした
車体です。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん 立川 1976.3.31 |
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同じく1エンド側です。上の写真から1年後の姿でパンタグラフのスリ板が鉄製からアルミ製に替わってます。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん 新鶴見機関区 1977.3.25 |
EF13 31〔新鶴見〕 車体:旧EF58 3(日立製作所) |
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この31号機のつらら切りも5号機同様の角張ったタイプです。5号機ほど高い位置に付いていないのでそれほど変ではありませんね。こちらは1エンド側。
「当機は新鶴見区の所属で山の手線の外回り方向へ向かう列車です」(N.Inageさん)
※車体断面高 エアフィルタ大 第1・第5側窓中央 デッキステップ位置前 前面窓原形 正面昇降段増設 ドアノブ1エンド横・2エンド縦
撮影:N.Inageさん 新宿 1977,4 |
製造年月日:S21.11.30
製造:東芝車輌
改造年月日:S32.3.4
改造:日立製作所
廃車:S52.7.5 |
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こちらは2エンド側でこちら側の前面扉のドアノブは縦向きです。本機にも見られる前面の屋根昇降段の増設ですが、同じ構造のEF15の初期形では同様の改造は見られないのになぜかEF13では行われた車輌が存在します。その辺りについては今後調査を進めたいと思っています。
撮影:ohnoさん 新鶴見 1977.3.19 |
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独特の表情を見せる本機や5号機に見られる角ばったつらら切りは、EF15においても初期に同タイプを付けた物があり、その後一部を除いて交換されています。前面窓が原形でワイパーもKW3Dのままと、窓回りをいじられる機会が無かった事がこのタイプのつらら切りが残った理由でしょうか。
こちらは1エンド側。
撮影:BINさん 279レ 入江 1977.3.29 |
オマケ 1978年10月の八王子機関区事務所内のマスコン逆転器ハンドル掛け |
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八王子機関区事務所内にあった、マスコン逆転器ハンドル掛け(って言うのか?)です。カマ番を見ると懐かしいDD13を初め、EF15,EF13がずらり…。EF13のスパナのようなハンドル形状が何とも…。(^^;)この後、東海道筋から転属して来たEF15に押し出されるようにEF13は消え、残ったEF15も続々と転入してきたEF60
500によってその数を減らしていきました。
八王子機関区 1978.10 |
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