ELECTRIC LOCOMOTIVE EF13
Vol.1 (No.1〜10)

Last Update 2023.1.1

 このページではEF13形各機の紹介をしたいと思います。将来的には1〜31の全機を載せていきたいと思っていますが、私の写真で手元に残っている物は殆どないので、足りないところは皆さんのフォローをお願いします…。(^^;)
 データで不明な点も多々ありますが、手元に資料がないのと元来いい加減な性格故、残っていないものが大多数。どうかお許しください…。もし、間違いなどを見つけましたら、ご連絡下さい。

※参考文献

  • 交友社刊「電気機関車展望1」
  • 交友社刊「100年の国鉄車両1」
  • 鉄道図書刊行会刊「日本電気機関車集成 下」(6348レ様、ご協力感謝致します。)
  • 誠文堂新光社刊「新版 電気機関車ガイドブック直流機編」
  • 誠文堂新光社刊「電気機関車ガイドブック」
  • 誠文堂新光社刊「機関車ガイドブック」
  • プレスアイゼンバーン「電気機関車 Vol.2」(T.F様、ご協力感謝致します。)
  • プレスアイゼンバーン「視録 国鉄電気機関車1」
  • 交友社刊「EF58ものがたり 上下」
  • データ協力:いっちゃんさん(いっちゃん's ほぅむぺぃぢ

※印…主な特徴です。画像をクリックすると大きなものが表示されます。


Index EF13 1 EF13 2 EF13 3 EF13 4 EF13 5 EF13 6 EF13 7 EF13 8 EF13 9 EF1310

 1〜31号機

新EF13形の車体は旧EF58形から譲り受けた物のため、その特徴はそのまま旧EF58形の物になります。その為、車体に関してはEF15の一次形とほぼ同じです。具体的にはモニタールーフのない屋根、開閉可能な正面扉窓(落とし込み式)、正面扉横の昇降段もEF15と同じ形態の4段(機関助士側窓上にEF15の標準型と同様に1段増設した物もあります。)、側面の明かり取り窓は5枚(EF58原形は4枚又は5枚ですが4枚の物はEF58時代に8号機以外は側窓増設)、パンタグラフは全機PS14となっています。(これもEF58時代の装備改造で元のPS13より交換)EF15の一次形と同様、車体断面が2種類あり、高さが100mm異なります。車体断面の違いは前面扉の取付位置によって判別が可能です。エアフィルタのサイズも大きいものと小さい物の2タイプあります。

EF58時代に増設されたと思われる屋根上の雨樋ですが、6,8,20,21,27号機が未設置、26号機が変形です。また、EF13になってから改造されたと思われるものに前面扉のノブがあります。EF58時代の同部分はEF15一次形と同じく縦形だったはずですが、EF13の一部はEF15の標準形と同じ横形になっています。(片エンドだけの物や晩年改造された物もあるようで詳細は不明です。)

新EF13の砂箱はEF15一次形同様、第1動輪の前位、第2動輪の後位、第3動輪の前位に取り付けられていますが、13、17、22、23、24、25、27、30号機の8両は凸形時代の一次改装後の配置が残り、第1動輪前位と第2、第3動輪を結ぶ釣り合い梁の基部の左右に砂箱が設置され、そこから第2動輪後位、第3動輪前位に砂撒き管が伸びています。 また、ナンバープレートは同一形態のEF15と比べてサイズが大きく、正面ナンバープレートは窓位置に対して全体に左に寄って取り付けられている印象です。

車体載せ替えに伴いEF15の物を参考に新造されたデッキは、デッキステップの取付位置が車体に近い物と遠い物の2種類があり、前者では2エンド側デッキステップの後位側(車体側)の手ブレーキ装置と干渉する箇所が欠き取られています。その結果、車体側のデッキステップ手すりとステップとの接合位置が前位側に比べ高くなっています。(1、2、3、4、8、9、11、12、13、16、18、19、20、22、23、27、28、30号機)ちなみに旧EF13の手ブレーキは2エンド側に設置されていて、車体載せ替え後もそのまま2エンド側となっています。

前面扉のドアノブは車体を提供したEF58オリジナルの縦向きとEF15に見られる横向きがあり、1エンドと2エンドで縦向きと横向きが混在した個体も確認できます。
 EF13 1〔新鶴見〕 車体:旧EF58 4(日立製作所製)
ohno-ef131a 第二次大戦中の昭和19年に製造された1号機。同年10月16日落成の11号機に続いて2番目の落成となっています。戦時用として製造されたEF13ですが実際に戦時中に落成したのはわずか7両でした。

※車体断面高 エアフィルタ大 第1・第5側窓中央 デッキステップ位置後 運転席側窓水切り原形 正面ナンバープレート左寄り ドアノブ1エンド横・2エンド縦
撮影:ohnoさん  昭和 1977.1.30
製造:S19.10.20
日立製作所 No.4507
使用開始:S19.12.2
車体載替:S30.5.22
東京芝浦電気

廃車:S52.5.6

移動:
S19.11.16 国府津
S20. 7.16 水上
S31. 2.25 長岡第二
S32.10.11 新鶴見
S38. 1.29 甲府
S38. 2 .9  新鶴見貸
S38. 2.28 新鶴見
S40. 5.29 甲府
S46. 6. 2  新鶴見
S52. 5. 6 廃車
現在走行:
S48.3末 1,779,201km

記事:
●S20.11.10 大宮:
防雪設備取付
●S20.12.22 大宮:装備改造
●S21.10.14〜10.28 大宮六検:前燈位置車体前端に変更
●S22.11.10〜11.29 大宮一般:運転室雨樋新設
●S23.12.14 東芝:装備改造
●S30.3.21〜5.22 東芝:装備改造 車体載替
(EF584より)
●S36.2.7〜2.17 大宮:前燈整備
ohno-ef131b 同機の車体は昭和22年6月製造のEF58 4号機。車体断面は高くエアフィルタの大きなタイプです。また、運転席側窓水切りが窓の下面まで達していない旧EF58の原形となっています。この部分は同じタイプだったEF15一次形共々、EF58時代の装備改造で窓下面まで延長されたものが多いはずです。
撮影:ohnoさん  扇町 1977.1.30
mmrelax-ef131 新幹線工事がたけなわの品川駅構内に佇む1号機。EF13独特の担いバネの補助バネが省略された台車が印象的です。これって乗り心地さぞ悪かったでしょうね。この段階では同機の砂箱は凸形時代の独特な配置のままです。

撮影:mmrelaxさん(鉄道写真と切符)   品川 1962
bin-ef131 BINさんからほぼ同アングルで撮られたEF13、EF15一次形の写真を数々お送り頂いたので是非、ご覧下さい。それぞれの形態差が良く分かります。
高島貨物線の今は無き入江駅に停車中の1号機の1エンド側です。 運転室側窓の水切りが窓の下辺まで達してませんが、これは元のEF58の原形スタイルがそのまま残った物です。
撮影:BINさん  279レ  入江 1976.11.27
bin-ef131 同じく入江駅停車中の姿。正面のナンバープレートの下方左に丸い突起物があるのが分かります。他の同機の写真にも確認できますが、一体何の為に付けられた物でしょうか?元車体のEF58由来の物なのかはたまたEF13となってからの物なのかそれも分からないので、何とも推察のしようがありません。前面扉の開閉ノブの下方にノブを回す方向を示す矢印がペイントされていますが、他にも同じ新鶴見所属のドアノブが横形の物の一部(5、7、8、21、31号機)で確認できます。本機のドアノブはこの1エンドが横向きで2エンドが縦向きです。
撮影:BINさん  279レ  入江 1976.11.27
bin-ef131 同じくBINさん撮影の別の日に撮られたこれも1エンド正面です。ナンバープレート下の丸い突起物は蓋の様な物がチェーンで繋がっています。 EF58前端バリのSG管口の蓋に似た感じです。
撮影:BINさん  279レ  入江 1976.12.23
bin-ef131 分かりにくいので更にアップで。この突起物の正体ですが、もしかしたらEF15の履歴上に散見される「雪掻車電燈用電源取入口」なのではないかと想像します。履歴に記事として記入されてはいませんが、本機は他のEF13と共に車体振替後にも水上区、長岡第二区に配置されており、可能性としては高いかと思います。どなたか真相をご存知の方、ぜひご教示お願いします。
撮影:BINさん  279レ  入江 1976.12.23
bin-ef131 BINさん撮影の2エンド側です。丁度デッキ手すりの影に隠れて分かりにくいですが、こちらのエンドにもナンバープレート下の丸い突起物はあるようです。1エンド側と異なり前面扉ノブは縦形で矢印はペイントされていません。 本機は長デッキなのでこの2エンド側のデッキステップ後位側は欠き取られ、デッキステップの手すりの後位側とステップとの接合部が前位側と比べて高くなっています。
撮影:BINさん  279レ  入江 1977.1.27
bin-ef131 本機のナンバープレートと東芝の改造銘板。 銘板からは元々の製造メーカー(日立)、車体提供のEF584の製造メーカー(これも日立)についての来歴は全く分かりません。 中央の固定窓のサイズは両脇の窓に比べて明らかにサイズが小さいですね。これはEF15の一次形についても同様です。
撮影:BINさん  279レ  入江 1976.12.23
bin-ef131 こちらも2エンド側です。カラー写真だとパンタグラフの台枠はこの時期は黒く塗られていたことが分かります。
撮影:BINさん  279レ  入江 1977.1.18
bin-ef131 同じく2エンド側の正面です。ナンバープレート下に例の丸い突起物が確認できます。
撮影:BINさん  279レ  入江 1977.1.18
bin-ef131 同機のナンバープレートと改造銘板です。
撮影:BINさん    新鶴見機関区 1977.2.27
sugi-ef131 新鶴見機関区でお昼寝中の1エンド側です。綺麗な車体でかえって外板のシワシワが目立っています。
「トップナンバーに会えてうれしく、真夏の暑い中、何枚も写真を撮りました。」(針葉樹林鉄道研究会の杉さん)
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん    新鶴見機関区 1976.8.17
sugi-ef131 同じくお昼寝中の同機のこちらは2エンド側正面です。EF13新製時からの前端バリや旧EF58の車体と比べると車体載替時に新製されたデッキ部分は綺麗な状態です。

撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん    新鶴見機関区 1976.8.17
sugi-ef131
上の写真の拡大です。ナンバープレート下の丸い突起物が確認できます。また、左の標識燈の上方にリベットの様な物が見えますがこれは何でしょうねぇ。しっかり陰もあるので汚れでは無さそうですが・・・?
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん    新鶴見機関区 1976.8.17
sugi-ef131 同じく新鶴見区で待機中の同機で2エンド側です。欠き取られたデッキの後位側の状態が良く分かります。斜めから見ると例のナンバープレート下の丸い突起物がかなり突出しているのが分かります。
「新鶴見の構内を一回りして戻って来たら、1号機がパンタを上げていました!思わず『やったぁ!』と嬉しくなりました。」(針葉樹林鉄道研究会の杉さん)
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん    新鶴見機関区 1976.8.17
sugi-ef131 上の写真の部分拡大です。 ナンバープレート下の丸い突起物にご注目。また、上の正面写真にもあった左標識燈の上のリベットの様な物が6個確認できます。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん    新鶴見機関区 1976.8.17
sugi-ef131 新鶴見区構内の架線の無い場所に留置中の姿でこちらも2エンド側。区名札は外され先輪には手歯止め、その先輪の踏面も錆びている事からおそらく既に休車か休車前提の留置と思われます。後ろには同じ状態のEF1211とEF139が連なっていたとの事です。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん    新鶴見機関区 1977.3.25
 EF13 2〔新鶴見〕 車体:旧EF5823(川崎車輌・川崎重工製)
ef5853-EF132 お馴染みEF5853さん撮影の2号機で2エンド側です。車体高さは高いタイプです。

※車体断面高 エアフィルタ大 第1・第5側窓中央 デッキステップ位置後 正面ナンバープレート左寄り ドアノブ横
撮影:EF5853さん  5494レ 国立 1978.7.20
製造年月日:S19.11.21
製造:日立製作所
改造年月日:S30.7.26
改造:川崎車輌・川崎重工
廃車:S53.12.9
ef5853-EF132b 「「来た!」と思ったら、こんなところに止まってしまいました。コキで足回りが見えませんよねぇ。」(EF5853さん)
撮影:EF5853さん  8482レ 新宿 1978.5.27
ohno-ef132 これも2エンド側でデッキステップ後位側が欠き取られているのが確認できます。
「1977.3.10は1日あちこちへ撮影に行ったのですが、とてもついていた1日でした。この日だけでEF13が6両(2、3、5、15、21、28)も撮れ、銀河はEF5843、臨8114はEF5847とつき捲った日でした。(残念ながら荷35はかぶってしまいましたが・・・・)」(ohnoさん)
撮影:ohnoさん  1977レ  辻堂 1977.3.10
ohno-ef132b 「鶴見の跨線橋と尻手駅ホームは貨物列車を撮影するうえで、安易に本数を稼げる便利な場所でした。そのわりに他の方と遭遇するのはまれで、みなさん撮影場所としては不適とされていたのかもしれません。いま改めてネガをみて振り返ると同じ位置での撮影が多く、もう一工夫すれば良かったと感じます。」(ohnoさん)
この上からのアングル、今となってはとても貴重な資料ですね。これは1エンド側ですが、右側の標識燈の左に1号機同様の蓋付きの丸い突起物が確認できます。
撮影:ohnoさん  鶴見 1977.3.14
bin-ef132 同機の1エンド側です。車体断面の高い機体は堂々とした印象ですが、それに反して外板はしわしわです。元のEF5823は戦後間もない昭和22年2月製造で、旧EF58の最初に落成したグループということもあるのでしょう。先輪はプレート式、 ワイパーは左右ともWP35です。
撮影:BINさん  275レ  入江 1977.3.18
bin-ef132 同じく1エンド側の運転室付近です。2エンドと違いこちら側にはブレーキテコに手ブレーキへのリンクは見当たらず、デッキステップの欠き取りはされていません。標識燈の奥に上述の突起物が確認できますが結構飛び出ているのが分かります。
ブレーキテコには第1引棒 、第2引棒が繋がり、それぞれ第1水平テコ、第2水平テコと繋がっています。担いバネのバネ吊りリンクと台車台枠との間には、通常補助バネが設けられますが、戦時設計のEF13では省略されており、他の省形電機やEF15と比べると、さぞ乗り心地は悪かった事でしょう。
撮影:BINさん  275レ  入江 1977.3.18
bin-ef132 L側のナンバープレートと改造銘板です。剥がれた塗装の上から処理をせず上塗りした為か、表面の凸凹が目立ちます。
撮影:BINさん  275レ  入江 1977.3.18
bin-ef132 現在の都会的な姿からは想像できない何ともひなびた武蔵小杉駅を通過。こちらも1エンド側です。右標識燈の左に蓋付きの丸い突起物が確認できますが、1号機よりもずっと低い位置になっています。
撮影:BINさん  5178レ  武蔵小杉 1978.9
sugi-ef132 こちらは2エンド側で、ブレーキテコの上部に手ブレーキに繋がる平行テコへのリンクが見られ、デッキステップ後位側が欠き取られています。1エンド側同様に右標識燈の左に蓋付きの丸い突起物が確認できます。また、左標識燈の左には極小のステップの様な物があります。後ろのEF1542よりも車体はわずか3センチ高いだけですが、こうして連結されると見た目でも若干車体が高いのが見てとれます。
「新鶴見にはEF13、EF15がゴロゴロいました。こげ茶の車体なので、カラーフィルムを使うのがもったいなかったのを覚えています。」(針葉樹林鉄道研究会の杉さん)
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん    新鶴見機関区 1976.3.28
sugi-ef132 こちらは1エンド側です。こちら側のデッキステップはご覧の通り欠き取りがありません。上の写真からほぼ1年後の姿ですがBINさんの1977年3月の写真でもそうですが、パンタのスリ板が何故かアルミから鉄製に戻ってます。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん    新鶴見機関区 1977.3.25
bin-ef132 立川駅でEF15199〔新〕と顔を並べる。こうして並ぶと車体高さや省形電機の流れを組むEF13とEF15の前端バリ部分の違いが良く分かります。
撮影:BINさん  5178レ  立川 1978.9.23
bin-ef132 入江駅で入換え中の姿。こちらは2エンド側です。
撮影:BINさん  279レ  入江 1977.1.31
bin-ef132 上のカットの続きです。ワムとタキ編成の貨物に連結し、発車を待つ2号機。
撮影:BINさん  279レ  入江 1977.1.31
 EF13 3〔新鶴見〕 車体:旧EF5821(川崎車輌・川崎重工製)
horino-EF13 3 当時1往復だけあったEF13の東海道線仕業。朝早く下り、夕方遅く上るもので伊東線まで入線したんでしたっけ?新鶴見のEF13は同区のEF15と共通運用で、捕らえる機会は少なかったのでは…。こちらは1エンド側。

※車体断面高 エアフィルタ大 第1・第5側窓中央 デッキステップ位置後 ドアノブ横

撮影:ほりのさん(JNR Runners)  保土ヶ谷 1977頃
製造年月日:S19.12.14
製造:日立製作所
改造年月日:S30.9.24
改造:川崎車輌・川崎重工
廃車:S54.11.13
ef5853-EF133 「原宿の町並みもこのころはまだおとなしい?ようですね・・。EF13で一番最後まで残ったのがこの3号機でした。(運用は24[立]が最後でしたが、廃車は3が後でした)」(EF5853さん)
こちらは2エンド側でデッキステップ後位側の欠き取りに伴い、同箇所の手すりのステップとの結合部が上寄りになっています。
撮影:EF5853さん  2771レ 原宿 1978.9.24
ohno-ef133 八丁畷を行く3号機。本機もそうですが、高い車体断面のカマは低い断面の物より車体の製造年は古いにも関わらずとても状態が良く見えます。それに比べて車体断面が低いカマは強度に問題があるのか痛みが激しいです。
撮影:ohnoさん  八丁畷 1977.3.10
ohno-ef133c 「この頃の南武線は、ED16・EF10/13/15等の旧型電機をはじめ、101系試作車、72系旧型国電及び旧31系17M車と興味深い車両ばかりやってきました。
当時は101系がなくなるなんて想像もできませんでした。」(ohnoさん)
撮影:ohnoさん  川崎新町―八丁畷 1977.3.10
bin-ef133 上の2号機とほぼ同じ形態でこちらは1エンド側です。本機の元の車体のEF5821はEF58の落成第1号機で戦後間もない昭和21年10月製造です。その為か外板はベコベコです。先輪は戦時形の影響が残るプレート式です。台検後間もないのか台車だけピカピカです。
撮影:BINさん  279レ  入江 1977.11.25
bin-ef133 同じく1エンド側正面です。1、2号機同様に右標識燈の左側に蓋付きの丸い突起物が確認できます。位置は1号機よりも少し高くなっています。平行腕のWP35ワイパーですが、何かブレード部分がずれてますね。
撮影:BINさん  279レ  入江 1977.11.25
bin-ef133 夕陽を浴びて新鶴見を単機で駆け抜ける。標識燈の赤が印象的です。
撮影:BINさん  単8980レ  新鶴見 1977.2.13
bin-ef133 これも1エンド側です。撮影日は上の11月25日の物より前になります。台車はまだ汚れたままです。車体はこちらの方が綺麗ですが、かえって車体の凸凹が目立ちますね。
撮影:BINさん  279レ  入江 1977.3.16
bin-ef133 ワムを連ねた貨物列車の先頭に立ち入江駅を発車する同機。こちらも1エンド側です。
撮影:BINさん  279レ  入江 1977.3.16
bin-ef133 L側のナンバープレートと改造銘板です。
撮影:BINさん  279レ  入江 1977.3.16
bin-ef133 こちらは2エンド側です。 こちら側にも右側の標識燈の左に蓋付きの丸い突起物が確認できます。機関車次位のレム5000が珍しいでしょうか。
撮影:BINさん  279レ  入江 1978.8.8
bin-ef133 新鶴見機関区でお昼寝中の同機の1エンド側です。
撮影:BINさん  新鶴見機関区 1978.11.4
bin-ef133 例の丸い蓋つきの突起物部分の拡大です。 1号機同様、紐かチェーンの様な物で蓋が繋がっている様子が確認できます。
撮影:BINさん  新鶴見機関区 1978.11.4
sugi-ef133 新鶴見機関区構内に留置中の姿で1エンド側です。
「架線の無いレーンにEF1328(区票有り)とEF154(区票無し)に挟まれています。」(針葉樹林鉄道研究会の杉さん)
本機は少なくとも1978年夏までは運用されているので、検査周期の調整などによる特休中でしょうか。手歯止めが使用されています。後ろのEF154はこの数日後に甲府区に転属しており区名札が無いのはその為でしょう。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん    新鶴見機関区 1977.7.24
 EF13 4〔八王子〕 車体:旧EF5827(川崎車輌・川崎重工製)
EF13 4 いきなりこんなアングルで何ですね…。(^^;)新鶴見機関区で昼寝中の4号機でこれは2エンド側です。EF13特有のデッキ部分の主台枠の形状が良く分かります。車体は川崎車輌・川崎重工製のEF58 27の物です。この頃の新鶴見にはEF13,EF15,EF60,EF65,EF66,EH10とたくさんの機関車がいました。(もう少し前だとEF10,EF12も…^^;)

※車体断面低 エアフィルタ小 第1・第5側窓中央 デッキステップ位置後 前面窓原形 ドアノブ縦

新鶴見機関区 1977?
製造年月日:S20.3.12
製造:日立製作所
改造年月日:S31.3.6
改造:東京芝浦電気
廃車:S53.10.8
ef5853-EF134 プレート式先輪が独特の雰囲気です。こちらも2エンド側ですね。
「まるで面影がありません。自分のアタマでは「ついこの間・・」という感じですが、こういう写真をみると、「遙か昔」という感慨を受けてしまいます。」(EF5853さん)
撮影:EF5853さん  5461レ 新宿 1977.3.14
ef5853-EF134b 「これも、密かにお気に入りの1枚です。このアングルですと、このカマは車体高が低いタイプなので、印象がずいぶん違います。」(EF5853さん)
この辺りの雰囲気は今でもそれほど変わりが無いのでは?もっともこの当時の中央線はまだまだ木製の架線柱が多かったです。これも2エンド側です。
撮影:EF5853さん  992レ 西国分寺 1978.7.20
inage-EF134 こちらも2エンド側。先輪がプレート式からスポーク式に交換されています。パンタの台枠部分がグレーに塗られています。
「ご存知のことと思いますが、新宿駅の特急ホームは当時EF13、15を撮影するにはもってこいの場所で、毎回、何号機がいるかとわくわくしながら階段を上って行った記憶があります。」(N.Inageさん)
撮影:N.Inageさん  新宿 1978.8
ohno-ef134 南武線の名物、セキを連ねた貨物列車を牽く4号機。これも2エンド側です。
「ナンバープレートの取り付け位置が上に寄っている4号機はいつも遠くから判別できました。気のせいかプレートはいつも磨き上げられていたような気がします。」(ohnoさん)
撮影:ohnoさん   5178レ  向河原 1977.5.21
ohno-ef134b これも2エンド側です。光線の具合でシワシワの外板が一層強調されています。それにしてもこれは凄い…。元のEF58 27は昭和23年製ですから、工作はそれほどひどかったとは思えませんが…。EF15一次形で触れましたが、車体断面が低い物は通常よりも台枠を100mm削っているとの事なのでそのせいでしょうか。
撮影:ohnoさん   新鶴見―尻手 1978.1.16
sugi-ef134 こちらも2エンド側です。プレート式の先輪が凸形時代を偲ばせます。EF13独特の主台車担いバネの補助バネが省力された足回りも良く分かります。 また、こちら側のデッキステップ後位側が欠き取られ、同箇所の手すりのステップとの結合部が上寄りになっているのが確認できます。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん    八王子機関区 1975.12.25
sugi-ef134 同じく2エンド側。デッキステップ手すりのステップ部分との接合箇所の高さが前位と後位で異なっており、後位側が高くなっています。 車体載せ替え時に新造されたデッキには、デッキステップの取付位置に車体に近い物と遠い物の2種類あり、前者は2エンド側デッキステップの後位側のブレーキ装置と干渉する箇所が欠き取られています。その為、車体側のデッキステップ手すりとステップとの接合位置が前位側に比べ高くなっています。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん    八王子機関区 1975.12.28
bin-ef134 南武線を単機で行く4号機。秋の高い空が気持ちいいですね。武蔵小杉付近での撮影ですが、この辺りは高架化され現在とは随分と雰囲気が異なります。
撮影:BINさん  5164レ  武蔵中原―武蔵小杉 1977.11.23
bin-ef134 同じカットの機関車部分の拡大です。こちらは2エンド側でこちらの先輪はスポーク式に交換されています。
撮影:BINさん  5164レ  武蔵中原―武蔵小杉 1977.11.23
bin-ef134 こちらは1エンド側です。 こちらの先輪はプレート式のままです。パンタグラフの台枠はやはりグレーに塗られている様です。大宮工場が検査を担当するEF13やEF15は黒く塗られた物が多い印象なので珍しいのかも知れません。
撮影:BINさん  5164レ  武蔵中原―武蔵小杉 1977.11.23
 EF13 5〔新鶴見〕 車体:旧EF58 5(日立製作所製)
6348-EF13 5 つらら切りが角張った形状が独特の5号機。旧EF58の日立、東芝製と12号機は落成時につらら切り未取付で後に設置されましたが、5号機の元車体の旧EF58 5はワイパーを避けてかなり上方に取り付けられ、それがそのまま本機に引き継がれたものです。それにしても特異な表情です。

※つらら切り変形 車体断面高 エアフィルタ大 第1・第5側窓中央 デッキステップ位置前 前面窓原形 正面ナンバープレート左寄り 正面昇降段増設 ドアノブ1エンド横・2エンド縦

撮影:6348レさん  赤羽 1977?
製造年月日:S20.3.26
製造:日立製作所
改造年月日:S32.3.28
改造:日立製作所
廃車:S53.9.13
ef5853-EF135 この5号機の車体は高い断面ですが、これを提供した旧EF58 5(S22.7.17落成)に続いて製作されたEF15 1(S22.7.31落成)では車体が既に低くなっており、この辺りの車体の変遷も興味深いです。(直接EF13には関係ないですが…^^;)なお、この1エンドの前面扉のドアノブは横形です。
「スカ線内の小貨物運用についたEF135。ホント異様な面構えですね。」(EF5853さん)
撮影:EF5853さん  569レ 横須賀 1978.5.4
ef5853-EF135b この表情を見ると、ゴハチばかりでなくデッキ付きの旧形電機においても、前面の印象につらら切りの与える影響が大きいことが理解できます。また、見えづらいですが機関助士側つらら切り上に昇降段が増設されています。 この2エンドのドアノブは1エンドと異なり縦形です。
撮影:EF5853さん  569レ 横須賀 1978.5.4
ohno-ef135c 田浦駅で小休止中の5号機。こちらは1エンド側です。暑いのでしょう、正面扉が開け放たれています。
撮影:ohnoさん  田浦 1977.9.10
ohno-ef135b カマの横では機関士さんが一服中…。のどかな光景です。こうして横から見るとつらら切りも普通の形をしています。デッキステップの位置が前寄りなのが良く分かります。デッキ上の渡り板は一枚の縞鋼板を折り曲げただけのシンプルな構造です。EF13の足回りはEF15やEF58とは異なり、ブレーキ装置などは戦前の省形電機に近いものです。
撮影:ohnoさん  田浦 1977.9.10
ohno-ef135 根岸線を行く5号機。トンネルからこんな顔がいきなり出てきたらびっくり! ドアノブの形態からこちらは1エンド側です。
撮影:ohnoさん  山手 1977.9.18
bin-ef135 特異な表情の 5号機の貴重なカラー写真でこちらは2エンド側です。前面窓が原形な事とつらら切りを除き2、3号機とほぼ同じ形態ですが随分と印象は異なります。 角ばったつらら切りの影響で、何だか車体まで角ばって見えてきます。 左端の側窓(R側第5側窓)の上下にタブレット保護柵の取付跡が見られます。
撮影:BINさん  279レ  入江 1977.7.12
bin-ef135 同じく2エンド側の運転室部分です。車体の角の塗装が剥がれ錆が浮いていたり荒れた車体が痛々しいです。滑り止め鋼板を曲げただけの前面扉の渡り板が何とも言えません。EF15ではもう少し凝った形状なのにEF13は随分と簡素です。大宮工の全検標記は昭和50年8月。
撮影:BINさん  279レ  入江 1977.7.12
bin-ef135 同じくBINさん撮影の5号機です。上の写真と同じ2エンド側です。
撮影:BINさん  279レ  入江 1977.9.27
bin-ef135 同じく2エンド。 正面から見ると特異な表情が強調されます。角ばったつらら切りの形状だけでなく取付位置もかなり上方になっているのが分かります。左の機関助士側のつらら切り上方に増設された昇降段、前面扉ノブの下部には新鶴見のEF13に良く見られる矢印が確認できます。
撮影:BINさん  279レ  入江 1977.9.27
bin-ef135 同じく2エンドです。ホキ(2200?)に連結。出発を待つ5号機。
撮影:BINさん  279レ  入江 1977.9.27
bin-ef135 こちらは1エンド側です。こちらサイドも左端の側窓(L側第1側窓)の上下にタブレット保護柵の取付跡が見られます。こちら側の前面扉のドアノブにも矢印のペイントが確認できます。それにしてもなぜ1エンドと2エンドで前面扉のドアノブ形状が異なるのか理解に苦しみますね。
撮影:BINさん  279レ  入江 1978.3.23
bin-ef135 こちらも1エンド側ですが上とは別の日の撮影。EF13特有の補助バネが無く台車台枠に直接繋がれた担いバネのバネ吊りの状態が良く分かります。独特の形状のつらら切りですがサイドから見ると日立製の初期のEF15に見られる物と良く似た丸っこい形です。顔を出した機関士のパーマ姿に時代を感じます。
撮影:BINさん  279レ  入江 1978.9.2
bin-ef135 5号機のナンバープレートと銘板。EF13の特徴である補助コイルバネを省略した担いバネを支える独特の台車台枠の形状が確認できます。
撮影:BINさん  279レ  入江 1977.2.14
sugi-ef135 EF65Fと共に新鶴見機関区で昼寝中です。こちらは1エンド側。
「角ばったひさしが上の方にあり、独特な表情を作り出していて、『なんじゃこりゃ!』と思って撮ったのを思い出します。」 (針葉樹林鉄道研究会の杉さん)
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん    新鶴見機関区 1977.1.5
sugi-ef135 同じく1エンド側の正面です。見れば見るほど個性的な顔つきです。私は残念ながら実機を見る事は叶いませんでしたが、撮影地でこの顔に出会ったら思わず声を上げてしまいそうです。本機の正面扉のドアノブは1エンドが横で2エンドが縦なので、どちらのエンドか判別しやすいです。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん    新鶴見機関区 1977.1.5
 EF13 6〔新鶴見〕→〔立川〕 車体:旧EF58 28(日立製作所製)
ueno-stn-20-EF136 車体断面が低く、エアフィルタも小さい6号機。南武線の石灰輸送で余生を過ごす姿ですね。同機の第1・第5側窓はちょっと分かりにくいですが外寄りの様です。 また、通常、EF58時代に増設された屋根上の雨樋が未設置です。

※車体断面低 エアフィルタ小 第1・第5側窓外寄り デッキステップ位置前 前面窓原形 運転席側窓水切り原形 雨樋未設置 正面ナンバープレート左寄り ドアノブ1エンド横・2エンド縦
撮影:上野駅20番線さん  西国立 1977.3.21
製造年月日:S20.5.10
製造:日立製作所
改造年月日:S28.10.27
改造:日立製作所
廃車:S53.5.29
kawasaki-EF136 車体外板の荒れ具合が、戦後の混乱期の製造を物語ります。同機も1号機同様、運転室側窓水切りが旧EF58原形となっています。こちらは2エンド側で先輪がスポーク式になっています。また、こちら側の前面扉のドアノブは縦向きです。
「南武支線の旧国を撮影中、ゆっくりと単機で現れた6号機」(川崎大輔さん)
撮影:川崎大輔さん  川崎新町 1977
ohno-ef136 石灰貨物を牽き南武線を行く姿でこちらは1エンド側。標識燈の外側に丸いカバーが見えます。
「立川区のEF10が甲府区へ転属後、3両のEF13(6,10,24)が新鶴見区より転入してきました。運用が決まっており、撮りやすかったので本数はかなり稼いだのですが、いつも同じような場所でつまらないものが多くなってしまいました。もう少し考えて丁寧に撮っていれば・・・・」(ohnoさん)
撮影:ohnoさん  矢向 1977.3.9
ohno-ef136b これも同じく1エンド側です。原形前面窓のEF13は随分と窓が小さく見えます。これはEF15についても言えますが、他の旧形電機(EF57やEF12など…)ではそうでもないのは窓の縁飾りがある為でしょう。
撮影:ohnoさん  尻手 1977.3.12
bin-ef136 中原電車区を横目に単機で南武線を下る6号機。こちらも1エンド側です。屋根上の雨樋が未設置なのが確認できます。
撮影:BINさん  9163レ  武蔵新城―武蔵中原 1977.12.29
sugi-ef136 新鶴見区時代の姿です。本機の立川区への転属日は手元の資料でははっきりしませんが1977年3月31日付の車両配置表では立川になっています。こちらも1エンド側でこちら側の先輪はプレート式です。また、雨樋の無い屋根上、旧EF58の原形の運転室側窓の水切りが良く分かります。前面扉のドアノブに新鶴見機に良く見られる矢印らしき物が見られます。 ちょっと分かりにくいですが、標識燈の外側に小さな丸いカバーの様な物が付けられています。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん    新鶴見機関区 1976.3.28
bin-ef136 1エンド側の俯瞰です。屋根上の雨樋が未設置なのが確認できます。 屋根の中央部に何やら丸い点検蓋の様な物が二つ並んでいます。EF58時代からあったのかそれとも後年の改造かは分かりませんが、他のEF13でも設置された物があるかも知れません。
ちなみに撮影場所は現在のプラウドタワー武蔵小杉辺りのビルからでしょうか。バックの公園の辺りはかつて建ち並んでいた社宅の物でしょうかね。現在は線路は高架化され周囲は巨大なタワーマンション群に囲まれ、面影はありません。
撮影:BINさん  5178レ  武蔵中原―武蔵小杉 1978.4.15
sugi-ef136 「機関庫の奥に居て暗いので、正面からストロボ発光しています。この頃から立川機関区にはEF13をよく見かけるようになりました。」(針葉樹林鉄道研究会の杉さん)
立川機関区に居ると言う事は既に同区に転属後でしょうか。連結器解放テコの右側が若干高くなっている事から1エンド側と思われます。私もこの倉の中に入った事がありますが、木造のレトロな雰囲気が大正生まれのED16にとてもマッチしていました。ただ、昼間でも中は本当に暗かったですね。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん    立川機関区 1976.12.28
sugi-ef136 立川区に転属後の姿で1エンド側です。前面昇降段の両サイド上面に上の写真には無い滑り止めの様な物が確認できます。立川区転属後の10、24号機にも見受けられる事から、立川区独自の改造と思われます。1976年3月の姿からパンタのスリ板が2号機同様アルミ製から鉄製に戻っています。
「拝島には駅の東京寄りに操車場(?)があり、その中を一般の人が普通に利用できる細くて長い踏切がありました。その踏切の警報器を頼りに撮影したのを覚えています。青梅線本線上をEF1512と重連で走って来ました。」(針葉樹林鉄道研究会の杉さん)
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん    拝島 1977.4.1
 EF13 7〔新鶴見〕 車体:旧EF58 30(日立製作所製)
harada-ef137 昭和50年前後はまだまだ多くの旧形電機が新宿駅に集っていました。埼京線の開業などでこの辺りの様相は一変しており、当時の光景はとても想像できません。全検後間もないのかEF13にしては珍しくピカピカです。こちらは1エンド側。

※車体断面低 エアフィルタ小 第1・第5側窓外寄り デッキステップ位置前 前面窓原形 正面昇降段増設 正面ナンバープレート左寄り ドアノブ横

撮影:原田さん  新宿 1975.9.14または12.27
製造年月日:S21.1.7
製造:日立製作所
改造年月日:S31.4.13
改造:日立製作所
廃車:S52.7.5
ohno-ef137 夏のトップライトを浴びて佇むEF13牽引貨物。これだけで何となくのどかな光景に感じてしまうのはなぜでしょう。 こちらも1エンド側です。
撮影:ohnoさん  上中里 1977.6.4
ohno-ef137b 東海道貨物線(現在の横須賀線)を行く7号機。後ろに続く貨車は何でしょう?なかなかの編成美です。こちらは2エンド側です。
*高沢さんよりこの貨車について「セメント専用貨車のホキ3500では…」とお教え頂きました。
撮影:ohnoさん  東神奈川 1977.5.30
saccho-ef137 中央東線の普通列車牽引に活躍する7号機。この頃既に珍しくなった暖房車を繋いだ姿は冬の中央線客レの名物だったようですね。この光景はEF64に交代する昭和46年(1971年)まで見られました。
撮影:サッチョさん  西八王子―高尾 1970.12
bin-ef137 入江駅で入れ換え中の姿で、こちらは2エンド側です。先輪はプレート式です。標識燈の脇にEF16等でも見られる丸い蓋の様な物が確認できます。前面扉ノブ下に例によって新鶴見区独自の矢印が記されています。左の機関助士側のつらら切りがへこんでますね。
撮影:BINさん  279レ  入江 1977.4
bin-ef137 同じく入江駅で入換え後発車を待つ姿でしょうか。当然こちらは1エンド側です。こちら側の標識燈脇にも丸い蓋状の物が見られます。 また、こちら側の機関助士側のつらら切りも2エンド側ほどではありませんが少々潰れています。
撮影:BINさん  279レ  入江 1977.4
bin-ef137 同じく1エンド側です。プレート式先輪だと重厚なイメージになります。こちら側の前面扉ノブにも矢印が書かれています。 上の写真より少し後の撮影ですが、何の意味があるのか担いバネのバネ吊りやブレーキテコの支点部分に赤色が塗られているのが目立ちます。
撮影:BINさん  279レ  入江 1977.5.6
sugi-ef137 「架線の無いところに、EF1320(区票無し)+EF137(区票有り)+EF139(区票無し)の順に留置されていました。」(針葉樹林鉄道研究会の杉さん)
7月5日に廃車されてから間もない姿です。ちなみに20号機、9号機も全て同日付けで廃車になっています。まだまだ艶の残る車体や区名札が挿さっている姿はとても廃車体には見えません。こちらは2エンド側で助士側の凹んだつらら切りが目を引きます。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん    新鶴見機関区 1977.7.24
sugi-ef137 上の写真の反対側でこちらは1エンド側。廃車後とは言えナンバープレートと改造銘板もそのままで、区名札が挿さる姿は現役そのものです。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん    新鶴見機関区 1977.7.24
bin-ef137 入江駅で発車を待つ姿でこちらは2エンド側です。前面扉のドアノブの矢印が確認できます。左の助士側のつらら切り上部が大きく潰れています。また、機関士側も上部が平らなので1エンド側とは表情が異なります。
撮影:BINさん  279レ  入江 1976.12.8
bin-ef137
今は無き新鶴見操車場で入れ替えにいそしむシーン。こちらは1エンド側。2エンドほどではありませんがこちら側のつらら切りも左が若干潰れていて、左右で形が異なるのが良く分かります。ナンバープレートの文字部分のメッキが剥がれて、砲金の地肌が見えています。前燈のLP402がD51200など最近のJR西の復活蒸機の前燈の様に中にシールドビームが入っているかの様に見えますが、内部の凹面鏡とレンズによるいたずらだと思われます。
撮影:BINさん  1763レ  新鶴見 1977.3.13
 EF13 8〔新鶴見〕 車体:旧EF58 11(三菱電機・三菱重工製)
ohno-ef138a 旧EF13形からの車体載せ替え1号機。車体は昭和23年7月三菱製のEF58 11号機のものです。こちらは2エンド側でデッキステップ欠き取りに伴うステップ手すりのズレが見られます。本機は7号機、9号機と同じ日に廃車となりました。本機は日立で車体載せ替えを行なった機体で唯一、デッキステップの位置が後ろ寄りとなっています。

※車体断面低 エアフィルタ小 第1・第5側窓中央 水切り三菱タイプ デッキステップ位置後 正面ナンバープレート左寄り ドアノブ横

撮影:ohnoさん  上中里 1977.6.4
製造年月日:S21.2.19
製造:日立製作所
改造年月日:S28.3.14
改造:日立製作所
廃車:S52.7.5
ohno-ef138b こちらも2エンド側です。ちょっと分かりにくいですがデッキステップ後位側が欠き取られています。ご他聞に漏れず車体中央が大分下がっています。これも車体断面の低いEF13、EF15に良く見られます。
撮影:ohnoさん  尻手―矢向 1977.6.11
bin-ef138 1エンド側です。本機のデッキステップの取付位置は後ろ寄りで車体に近くなっています。プレート式先輪姿が厳めしいです。
撮影:BINさん  279レ  入江 1976.12.18
bin-ef138 同じく1エンド側。前面扉のドアノブと鍵穴に回す方向の矢印が書き込まれているのが面白いです。反対に回してしまう事がよほど多かったんでしょうね。
撮影:BINさん  279レ  入江 1976.12.18
bin-ef138 L側のナンバープレートと銘板です。外板の凸凹や表面の荒れも少なく比較的綺麗な車体です。
撮影:BINさん  279レ  入江 1977.2.15
bin-ef138 カラーで撮影された1エンド側です。本機の運転席側窓の水切りは旧EF58と一次形EF15の三菱製の一部に見られる全周に渡り奥行きが同一になった物です。本機の元車体のEF5811は昭和23年7月と一次形EF58の中では後期の落成ですが、本機の車体を見ると溶接の継ぎ目が散見されたりとまだまだ戦後の混乱のなか誕生したことが伺えます。
撮影:BINさん  279レ  入江 1977.5.12
bin-ef138
夕陽を浴びながら新鶴見操車場付近を行く姿です。デッキステップ手すりの前後のズレが見られないのでこちらは1エンド側です。前面扉のドアノブと鍵穴部分の矢印が目立ちますね。EF15もそうですが、前面窓がHゴム改造された物は、原形窓の物と比べて正面から見るとお目めぱっちりで可愛い印象になります。(私だけ?)
撮影:BINさん    新鶴見 1976.10.11
 EF13 9〔新鶴見〕 車体:旧EF58 12(三菱電機・三菱重工製)
ohno-ef139a 8号機と同じく三菱製のEF58 12号機より車体を譲り受けた9号機のサイドビュー。車体は当然の事ながらEF15の1次形と区別はつきませんが、補助コイルバネを省略した担いバネを配した戦時形独特の台枠形状、省形電機の伝統を受け継ぐメタル軸受けと両抱き式ブレーキ装置など、EF15とは随分と異なっています。

※車体断面低 エアフィルタ小 第1・第5側窓中央 水切り三菱タイプ デッキステップ位置後 側窓タブレット保護柵
  ドアノブ縦
撮影:ohnoさん   入江―鶴見 1976.7.31
製造年月日:S21.2
製造:日立製作所
改造年月日:S28.3.25
改造:川崎車輌
廃車:S52.7.5
bin-ef139 2エンド側です。荒れた車体が痛々しいです。デッキステップの後位側の欠き取りが確認できます。第1・第5側窓にタブレット保護柵が取り付けられています。30号機と同タイプなのでおそらく甲府区時代に設置されたものと思われますが、30号機は本機と異なり第1側窓のみとなっています。
撮影:BINさん  279レ  入江 1976.12.16
bin-ef139 単機で新鶴見を行く。デッキステップの手すりの形状が前位と後位で同じなのでこちらは1エンドです。ワイパーは左右ともWP35です。 正面からのアングルで運転席側窓の水切りが旧EF58と一次形EF15の三菱製の一部に見られる奥行きが同一になったタイプなのが良く分かります。
撮影:BINさん  単8980レ  新鶴見 1976.10.3
bin-ef139 ナンバープレートと改造銘板です。ひび割れだらけの荒れた外板が凄いですね。
撮影:BINさん  新鶴見 1977.2.13
sugi-ef139 上の同氏撮影の1号機と同じくEF1211と連なって新鶴見区構内の架線の無い所に留置される哀れな姿です。こちらは1エンド側。側窓の大きなタブレット保護柵が目立ちます。先輪に手歯止めが噛まされ、その踏面も錆びており、休車の札は挿さっていませんが区名札も無く、既に休車か休車前提の留置と思われます。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん    新鶴見機関区 1977.3.25
sugi-ef139 「1エンドと比べると、ナンバープレートの大きさが違うことに気がつきました。」(針葉樹林鉄道研究会の杉さん)
上の写真の逆エンドです。この2エンド手前のデッキステップには補強がされています。EF13のナンバープレートは大きな物と小さな物が見られますが、上の1エンドの写真と見比べると1エンド前面のみ小さく、他は大きな物となっているのが確認できます。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん    新鶴見機関区 1977.3.25
sugi-ef139 上と同じく新鶴見の架線の無い所に留置中の姿ですが、こちらは7月5日に廃車後間もない姿で1エンド側です。車体の塗装もあちこち剥げた哀れな状態ですがナンバープレートと改造銘板はまだ外されていません。ちなみに手前は7号機です。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん    新鶴見機関区 1977.7.24
sugi-ef139 上の写真の反対側でこちらは2エンド側です。7号機もそうですが、3月の写真と比較すると留置場所が変わっています。4か月が経過し塗装の傷みが進行しています。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん    新鶴見機関区 1977.7.24
 EF13 10〔立川〕 車体:旧EF58 29(日立製作所)
ohno-ef1310 1エンド側を前に東海道貨物線を颯爽と行く。
「当時東海道線の貨物はEF60・EF65・EH10が中心でしたが、1日2-3本新鶴見区の旧型電機が混じってました。貨物列車の本数も多く、時たま岡山のクイルや広島のPFなんかもあがってきたんですよ。普段見なれない機関車が来ると、とてもうれしかったです。しかし列車本数が多すぎフィルムがもったいないため、EF60/65(時にはEF15も)はほとんどシャッターを押しませんでした。
(今考えると撮らなかったことの方がもったいないですが)荷物列車がなくなり、貨物列車や旅客列車も少なくなり、東海道線もさみしくなったでしょうね。」(ohnoさん)
撮影:ohnoさん  戸塚―保土ヶ谷 1976.8.21
製造年月日:S21.3.30
製造:日立製作所
改造年月日:S29.3.16
改造:日立製作所
廃車:S53.2.20
ohno-ef1310b 車体断面が低くエアフィルタが小さい10号機の立川区時代です。本機は昭和52年の1月に同区に転属しています。 こちらは1エンドL側です。

※車体断面低 エアフィルタ小 第1・第5側窓外寄り 側窓タブレット保護柵 デッキステップ位置前 正面ナンバープレート左寄り ドアノブ横

撮影:ohnoさん  矢向 1977.3.13
kantera-ef1310 のどかな武蔵野の風景を行く10号機。この当時の南武線はまだまだ田舎の雰囲気が色濃く残っていました。 こちらはL側です。
撮影:KANTERAさん旧型電気機関車の宝庫)   稲城 1977.9
saccho-ef1310 暖房車を連結し客車列車を牽く。暖房車の営業列車での運用は、この中央東線のEF13牽引列車が最後でしょうか。
「当時、EF13牽引の新宿発長野行きの夜行425レには小海線のC56撮影のため良くお世話になりました。暖房車の釜焚きのお兄さんと仲良くなり内緒で添乗させてもらいました。SL2120のボイラーだけあって中は暑かった。」(サッチョさん)
撮影:サッチョさん  小淵沢 1970.12
bin-ef1310 南武線武蔵小杉駅付近を行く10号機。1エンド側です。第1・第5側窓に設置されたタブレット保護柵が側窓全体をカバーした他には見られない形態です。
武蔵小杉駅手前の線路端からの撮影だと思いますが、いかにもローカル線と言った雰囲気は高層マンションが林立する現在のこの周辺からは想像できません。
撮影:BINさん  5178レ  武蔵中原―武蔵小杉 1977.11.27
sugi-ef1310 新鶴見機関区でお昼寝中。2エンド側ですが、本機のデッキステップは前寄りの為、ステップの後位側の欠き取りはありません。本機独特の側窓全体をカバーしたタブレット保護柵が良く分かりますね。また、尾燈脇に6、7号機にもある丸いカバーの様な物が確認できます。他にはEF1631にも位置と形状は異なりますが似た物が見受けられます。いずれも何の為の物かは分かりません。エンドプレートの位置が随分と内側に寄っています。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん    新鶴見機関区 1976.8.17
sugi-ef1310 上の写真と同じ2エンド側で立川区転属後の姿です。前面の昇降段の両サイド上面に滑り止めの様な物が新たに設置されているのが確認できます。立川区転属後の6、24号機にも見受けられる事から、立川区独自の改造と思われます。ナンバープレートがEF15等の標準的なサイズ(約76×20cm)に比べ随分と大きいのが目立ちます。幅はそれほど変わらなさそうですが高さは5cmほどは高そうです。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん    立川機関区 1977.4.1
VOL.2に続く


Back Next