ネット検索で、私が先程書き込んだ内容を引いてみたところ、沼津機関区100周年 のイベントだと解りました。その時に一緒に展示されていたのはEF538とEF15184 だと解りました。が、EF15184のぱんたはPS15、EF53の方はPS22 がついていました。交換されていませんでしたので、のりくら様が書かれていた物と、 私が思った物は全く違うイベントだったようです。誤報、失礼いたしました。
のりくら様がおっしゃっているのは、沼津区でしたか、何周年かで、ブドウ色の機関 車が集められて展示されたときの事ですよね?あれっていつ頃でしたっけ(笑)。EF60 も1台ブドウ色に塗られて置かれていましたよね。たしか95号機。EF15の番号は 覚えてませんねぇ。確かに手持ちのファンの中の記事と写真は見覚えはあるんですが。
のりくら様 貴重な情報ありがとうございます。 ファンを探しておりますが、見つかりません。 いつ頃かご存知の方居ましたら教えて下さい。
機番は定かではありませんが、国鉄末期にあったようです。 とは言っても現役機ではなく、同じく展示品のEF59(EF53もどき)が 装備していたPS22BとEF15のPS15を振り替えた結果だったと思います。 結果、EF59はEF53のナンバープレートをつけてPS15を上昇させ、 PS15を供出したEF15はパン下げのまま展示されていた、と。 鉄道ファンにこの撮影会の様子が掲載されていたので、探せば 機番がわかると思います。
関係者では無いので詳細は不明ですけれども、 下で「指定席が買えない」と書き込みをした者ですが、 本日無事購入出来ましたので走ると思います。(個人的な予想です。) 僕が指定した日の残席も有りましたので、 みなさん乗車してロクイチを応援しませんか?
管理人様、みなさまこんにちは。学生時代撮ったEF15・16を何枚か投稿させていただいている札幌の佐々木です。おもわず私もビクトリア買ってしまいました。 ところで、今週末連休の奥利根号、ロクイチ牽引と聞いて、3年ぶりに撮影にでかけようと2カ月前に切符を手配したのですが、D51の調子が悪くてどうなることやら。3・4とロクイチ+秩父、ロクイチ+上越D51と計画していたのですが。 最新の情報などあれば教えてください。他の掲示板で、本日D51試運転というのもありましたが………。
以前から疑問に感じていたことですが、掲題の上下「つばめ」に使用された 記念のヘッドマークですが、11月19日のみに使用されたのでしょうか? 鉄道画報の青大将スペシャルには、関 宗博氏が「翌日からは「つばめ」 「はと」とも白地のヘッドマークと青地のヘッドマークを交互に使用して いる。」とありますが、当時ケチ(失礼)で有名だった国有鉄道がたった 1日だけのために、つばめの特製ヘッドマークを作成したとは考えぬくい のです。 そこで気になったのが、鉄道ピクトリアルNo.773号(Mar.2006) の43ページのEH1015の後ろに写っている57号機らしき機関車が このヘッドマークを使用しています。(撮影年月日1956年12月1日) ただこの撮影年月日が正確であるという前提が必要ですね。 C6217さんが指摘の49号機の撮影年月日ですが、1959年7月 ですが、これは極めてあやしいです。 59年7月には49号機は水切りが装備されていたはずです。水切りは S30年から32年にかけて装備されたはずで、現に「EF58ものが たり」には、1957年8月12日の撮影時には水切りが付いています。 同機のSG排煙口については、大型に改造後というのは大いにあり得る ことと思います。
みっく様がちらりと書いておられましたが、昨日仕事帰りに書店に寄り確認しますと、 特集が『EF58形電気機関車のすべて』になっておりました。もちろん私も即買いで す。ピクトリアルやファンは毎月発売なので、次号予告により確認できますので良いの ですが、この本は季刊ですし見たところ次号の発売日は載っていますが、特集内容は載 っておりませんので、書店に並んで初めて気付くのですね。内容的には今までにどなた かが書かれて来た事の再確認のような物でしたが、私には初見の写真も載っており、そ の面では楽しめる物でした。その内P.23の写真を見ますと青大将の49号機が載っ ていますが、大窓水切り無し、列車無線付きでどうもSGダクトが大型に見えるのです。 小さな写真ですのではっきりと断言できませんが、もしそうなら、KATONゲージの 大窓初期型青大将(ヒサシ無し)のプロトタイプになりそうと、思った次第です。
matuさま 丁寧な状況解説ありがとうございました。 連休に「DD53ばんえつ号」に乗りに行くのですが、 管理人さまのロクイチ『奥利根』話を聞き、 それならばと思い窓口で聞いてみたところ・・。 お騒がせしてすみませんでした。
EF15に短期間ですがPS22を搭載していたという話を聞きました。 ご存知の方居ましたら何号機か教えて下さい。
初めまして。matuと申す者です。 noryさまのご質問ですが、「車両不具合・・・」と言うのはロクイチの事でなく、 デゴイチが先日行われた試運転の際に動輪から異常発熱を起こしたそうで、 運転日までには復旧の見込みとの事だそうです。 一方ロクイチは先週オクシナ回送に単機ながら充当されたそうです。 こんな情報ですが、ご安心頂けたでしょうか?
初めての書き込みで失礼します。 先ほどJR西日本の窓口で『奥利根号』の指定席を照会したのですが、 「車両の不具合により運休の可能性が・・。」と言われました。 ロクイチの状態が良くないのでしょうか? 何らかの手違いであればいいのですが、 どなたか状況をご存知の方教えていただけないでしょうか?
ご無沙汰の管理人です。(^^;) 相変わらず出張その他で忙しく、なかなか書き込みできませんでした。 最近は模型ネタが多いのも、これだけゴハチの運転が少なくなった昨今では 致し方ないところでしょうね。 私は基本的には模型にはまだ?手を出していないので、皆さんの書き込みを 拝見しながら色々と勉強させて頂いております。 さて、その中で昇降段のサイズについての書き込みがありましたが、手すり 自体は元の物をそのまま使用したと考えるのが妥当かと思います。ただし、 その取付位置ですが、改めて見てみると上下だけでなく、左右についても も原形よりも若干センター寄りに移設しているように見受けられます。 >鉄道ピクトリアル12月号 皆様のご指摘通り、恥ずかしながら私が撮影した写真も5点ほど掲載されて います。他の方のお名前を拝見するとガイドブック等で有名な杉田肇氏を はじめ、ベテランの方々の作品ばかりで何だか場違いな気が…。(^_^;) 特集自体は概略的な内容で、形態まで突っ込んだ内容では無かったのが 少々残念ではありましたが、EF13やEF15の全盛期の貴重な写真の数々は、 さすが雑誌ならではですね。 松本氏が書かれた現場ならではのエピソードの数々は、実に興味深く 読ませて頂きました。特に102号機の最期の姿は何とも言えません…。(;_;) ひとつ気になったのが、大先輩である杉田氏の記事中「EF15初期形のうち EF15 16〜19、26〜29は車体中梁の補強で車体高さが3,690mmから100mm増して、 3,790mmになっている。」とありますが、これは過去の文献や落成日から 言っても反対で、設計変更により車体が低くなった物では無いかと思われます。 (同誌のEF13形式集の改装後の説明では旧EF58は設計変更で車体が低くなった と記載) なお、EF15 9〜11の車体高さや側窓配置の変形について紙媒体で紹介され たのは初めてと言えましょう。惜しむらくはお召し牽引のEF154とEF166 や試験塗装機の紹介が無かったことでしょうか。 ともあれ、地味な存在であり続けたEF13やEF15にスポットが当たった事は、 手放しで喜んでいます。これを機会に多くの方々が興味を深めるきっかけに なってくれれば、EF13、EF15好きにとっては嬉しい限りです。(^^) >高槻さま ちなみに私は40初めになってしまいました。気持ちだけは若いつもりでも 体がついていかない今日この頃…。(^^;) ゴハチに限らず、電機の屋根はすぐに汚れてしまって全検直後とかで無いと 良く分かりませんよね〜。 模型に関しては、その人が納得できればそれが例え「タイプ」であっても 良いように思えますが、知ってしまうとなかなか難しいところでしょうね。 >みっくさま 過日はろくに話も出来ずすみませんでした。結構テンパっていたので…。(^_^;) >C6217さま 京阪神と首都圏では、国鉄時代からも結構差があったようにも思えます。 関東在住の私が関西に行くと、新快速の117系なんて羨望の的でした。 あ〜…、来週の三連休はロクイチ「奥利根」ですね。真ん中の4日が出社な のでどうしたものか…。
従弟の結婚式に参加のため、数年ぶりに上京いたしました。同じ通勤型とはいえ、山 手線の231系や京浜東北線の209系と京阪神緩行線の321系。同じ様な作りの はずなのに、何か違う雰囲気。JRになって10数年で、それぞれの土地柄が出てく るんですね。一応カメラを持参しましたが、あまりシャッターを押す気にもならず( 最近は自分で撮すより、雑誌の写真の方がよい物が多数在りますし)、結局鉄道の写 真は1枚も撮らずに帰阪してしまいました。余談でした。
こんにちは、みっくです。 昨日鉄本買いに本屋に行ったらいつの間に鉄道画報が もちろん、早速買ったのは言うまでもありません。 ただ、鉄ピクがなかったのは残念・゚・(ノД`)・゚・。ウワァァン!! kobanekoさま、ロクイチ浪漫で久しぶりに行き会って 嬉しかったです。 ではでは
タケチャンマン様の指摘で今一度じっくり見直すと・・・。確かに管理人様のお名前が! 写真はじっくり見るのに、撮影者のお名前は全く気にしていませんでした。このような特 集ですから、確かに投稿されていても不思議はないのですがね。
今日、市内で人手が多くて、大きな店に行きました。 残念ながら、首都圏や大阪圏で発売の本がありませんでした。少し悲しかったです。 ところで、話題が少し遅れますがEF58の細部の詳細については難しいですね。 私が取りまくった頃は末期でしたが、写真を見てましたが、実際に走行していているゴハチの屋根は 赤錆色ですね。(もうしわけありませんが、私の写真を見る限りでわ。) 清掃の範囲では、発煙筒とホイッスル、前照灯を繋いだ曲線で掃除されています。 屋根の足場は、掃除の加減も有りますが、パンタグラフの碍子付近が少し黒くなり、そこから遠くなるにつてグラデーションになってます。 私が写したのは、宮原機関区、米原機関区、そして竜華機関区のゴハチがメインになりますが、全検明けでなければ、色等は判断は」難しいと思います。 モデルで製作するなら、時期を明確にして資料を集めなければ納得のいくモノはできへんと思います。 さくらさんやEF5844さん等の話では有りませんが、有る程度のごまかし等が必要では ちなみに、44号機は大窓からHゴム小窓への改造機になるため、全面窓の位置が他のと少し(数mm単位ですが。)違います。 また、この番前後は、つららだけを切ったものがあるとのことです。 本当に、バリエションが多いのが、このカマの魅力ですね。 ところで、私は30代のど真ん中過ぎ(T T)ですが、皆様はおいくつ位なのが、なんとなく分かり合えたいと思います。
本掲示板はよく拝見させていただいてます。C6217 様の投稿にある鉄ピク12月号、昨日購入いたしました。EF16の項にはこの「想い出の日本国有鉄道」で見慣れた写真が2枚(でいいのかな?)載ってました。おかげで、管理人こと"kobaneko"様のお名前が判りました(笑)。まさにこのサイトにうってつけの特集ということで、御協力されたのですね。御苦労様でした!
【特集 EF13・15・16】本日発売でしたね。 EF58に関しては素人に毛の生えた程度は知っているつもりですが、兄弟機と言う のに、貨物機は殆ど何も知らない私。 このサイトに来て、EF15(16)の奥深さを知りました。 早速隅から隅までじっくり読んで、諸兄様達の足下にまで届けばと思っております。
今月の鉄道画報(誠文堂新光社)、特集EF58です。 小特集ED18/19です。 確かピクトリアル特集はEF13/15/16の筈です。 あかん、仕事なのに頭の中に茶釜が走る^^;
今、ダクトについての議論が彷彿しているが、ヘッドライトについても注目する必要があるし、T字型アンテナや塗装の塗り替え時期についても考証する必要がある。 下回りが濃緑か黒かダクト以上に目立つのだが・・・。 いずれにしても、何年何月時点というように、時代を特定しないと細かい相違をどうこう言っても結果的にはチョンボしますからね。
>C6217様 丁寧な解説ありがとうございます。ようやく理解しました。 SGダクトですか。それなら、半ガラに交換するという選択肢もあるわけですね。 そう思って見れば、その後「はと」セット(スロ54入り)と同時に発売された 初期型大窓ヒサシ付青大将機も、大型ダクトですね。 ダクトの改造時期はいつ頃だったのでしょうか? もし昭和32年12月以降であれば、スロ54とは時代的に合わないことになりますが。 # もっとも私は客車がメインで、カマについては許容範囲が広いので、 今のところダクトの違いには目をつぶっておこうと思います。 ここの常連の方々には怒られそうですけど…(^^;
10/9に私が『ぼやき・・・』に書きましたが、要はKATOのEF58初期型 大窓青大将(ヒサシ無し)は正面窓上に水切りの表現がないのに、SG−1の大型 ダクトになっていると言うことですわ。つまり、もともとのSGのダクトはKAT Oの旧製品のような半ガラベン型が原型だったのが諸般の事情で大型のダクトに改 造されたんですな。その改造時期が水切りが付いた後の改造っていう事の様なので す。つまりは水切りがないならダクトは半ガラベン型、大型ダクトなら水切りが必 要ってことです。まあ当時は私はまだこの世に存在していない年齢ですので、今あ る写真などの資料に基づく考察ですので、実際にはそういった時期があったのかも 知れませんが。これで解りましたでしょうか?
さくら様にご教示いただいたボナファイデのパーツを早速入手。「ディティールアップパーツ」 と銘打つだけあって、ステップだけでなくいろいろなパーツの詰め合わせですが、私はとりあえ ず安直にも昇降手すりのみを速攻で取り付けました。位置決めの治具がついていてたいへん親切 ですね。そして本日めでたく70号機が落成しました。さくら様、あらためてありがとうござい ました。 また、やはり旧製品の小窓茶色機を青大将に塗り替えただけの95号機も同時に落成、これで当 鉄道の青大将機は全部で5両に。これだけあれば「つばめ」「はと」「さくら」に充当した上に、 一般列車も牽かせられます(^^)。 ところで、今さらの初歩的な質問ですが、KATOの原型大窓青大将機(T字アンテナ付き)に 該当する実車は、全く存在しなかったのでしょうか? 当該製品が発売された当時「考証に問題有り」との評判が出たことから、そのような印象を持っ ていましたが、よくよく情報を整理すると、同時に発売されたKATOの「つばめ」編成がナロ 10を組み込んでいるので、それと時代が合わない…というだけで、スロ54の時代ならOKな のでしょうか? まだよく分かっていない小生に、どうかご教示お願いしますm(_ _)m。
こんにちは。のりくらです。 知ってはいけないことを知ってしまうと、模型は泥沼にはまりますね。かといって、 実物のことを知らないと間違いだらけの模型になっちゃうわけで、ここら辺のさじ加減が難しいところです。 でも、わたしの場合、ゴハチはどうもイケナイ一線を超えてしまったようで(^^);;; あと、模型雑誌で時々見かけますが、徒に細密化に拘った結果、再塗装が必要になって その塗装が汚かったり、真鍮線配管が垂直平行が出ていなかったりで、 これなら何にも加工しなかったほうがマシじゃん、って例もあります。 自分の例も含めて「模型は自己満足」という面を如実に現す例ですね。 前に上越型なら何号機にしますか、って訊かれて、ヘッドマーク取り付け座に やたら拘ったのは、ボディの再塗装を嫌がったためです。 避雷器の移設は避けられないし、屋根の黒一色は塗装しやすい、でも、 なるべくならメーカーのきれいな塗装をいじりたくないという考えです。 という観点から考えると、KATOのNゴハチの場合、DF50みたく エアフィルターをメイクアップパーツで交換可能にして、 前面窓を原型とHゴムと替えられるようにする(ホントはRが違うんですけどね)、 SG煙突も両面テープで交換可、あたりを実現すると手頃で喜ばれるのではないでしょうか。 それ以上を求める方は、それなりの技術と覚悟?があるんでしょうから もちろんやっていただいていいわけです。 個人的には、ほとんど閉塞状態にある16番のゴハチでこれを実現して欲しいですね。 ・バリエーションは、大窓・小窓原型・小窓Hゴム。 ・SGハッチはなし。SG仕様にしたければ付属パーツのハッチを接着。EGなら電暖表示灯。 ・SG煙突もなし。半ガラ・改良型・EGタイプを選択する ・氷柱切りは足をつけて、ボディ裏にあるガイド穴を貫通させて水切りの延長とする ・電暖ジャンパ栓は端梁裏のガイドあたりで接着面積を増やして接着 ・屋上モニタは2種類同梱 ・スノウプラウ取り付け座と固定式スノウプラウは選択式 ・ヘッドマーク取り付け座もボディ裏ガイド穴を貫通させてつけたい人がつける ・エアフィルタはNのDF50と同じように選択式。 随分盛り込んでいますが、今時のプラ16番、これだけのパーツをユーザーに 付けさせるのは全然珍しくないから許されると思うんですがねぇ。
Nゲージ、DF50のノリですね。いっそのこと『レジェンドコレクション』として (181系も通常品と、レジェンド品がありますし)、ボディは〈青列車〉様のおっ しゃるようにして、DF50や43系のようにパーツを『メイクアップパーツ』とし て出すなんていかがでしょう?
言われてみれば本当に、175両(EF18も含めて)同じカマが二つとないと言っても 過言ではありませんね(^^);>EF58。逆にナンバーが読めない位置から機番特定 が可能とも言えますが(^^);さくら様が取り憑かれたと仰るお気持ちも判ります。 ただ、EF5841様の仰る通りあまりにも其処に拘ると最早量産品ではなくカス タムメイド品になってしまい、お財布の中身の捨て場に困るような立場の方ならと もかく(そんな身分になってみたいですね)(笑)、そうでない私のような貧乏「鉄」に は手が届かない代物になりそうです。 (貧乏人の分際で「鉄道模型」なんて身の程知らずだ!というお叱りもありましょうが… この際それは棚上げします)(爆) 個人的には…原型大窓・小窓・Hゴム窓の3種類のボディに、簡単に交換できるオ プションパーツとして、庇・エアフィルター・スノープロウ座・エアホース・ジャ ンパ栓・汽笛・ヘッドライトのケース(大・小・「鉢巻」)・テールライト・ドア・パ ンタグラフ・避雷器・ベンチレーター・ダクトなどがあると嬉しいのですが… あ?でも屋根を黒くするか車体色のままにするか?もあったなぁ〜… う…これじゃ完成品と言うよりキットですね…(脱力) 個人的には原型窓にビニロックフィルタの増圧型が欲しいです。
あまりバリエーション展開を要望すると高額化して客離れしたHOのにの前になりますから程々にされた方がよろしいかと思います。 ガレージメーカーから改造パーツや改造を委託する方が全体として望ましい方向ではないでしょうか。
本当にモデラー泣かせだと思います…1輌ずつのバリエーション、年代ごとの バリエーション…1台作ってもまたあれ作りたいって気にさせられるのですよ。 泥沼です… 自分も特急色ベースで、青大将の小窓の発売を密かに期待していたのですが 86,89,90,99号機と確認できたものだけでも、青大将になった小窓機7輌中 半数以上が半ガラベン型のSGダクトであったことを考えると、4号機ベースの ボディーというか半ガラベン型のSGダクト製品化してもらいたいのが心中ですね… どちらにせよ、避雷器の移設は免れそうもないですが… できたら…ここまゴハチのバリエーションをKATOさんは増やしたのなら、最後に 後期型というか鎧戸フィルターで原型小窓機を製品化してもらいたいですね…
厳密に言うと、車体裾のスカート(?)のサイドが通常の途中で切れた物ではなく、 台車枕バリの所まで伸びているのが正解なんですよね。ゴハチって本当にモデラー泣 かせですよねぇ。でも1輛ずつが微妙に違うバリエーションの多さがEF58の魅力 でもあるんですよねぇ。
ひさし付き青大将のボデーを使って、鋳鋼製先台車作って、 45号機出してほしいなぁと思うのりくらでした。
4号機のボディを使わずとも、小窓特急色のボディとHゴムになっていない中央モニ ターとの組み合わせですぐに該当機が出来るので、いつか発売されないかと期待して いるのですが。でも半ガラベン型のダクトの方が多いかな?それなら登りの初列車を 牽いた89号機にも出来ますね。KATOにリクエストしてみようかな? あと、後期型大窓機のエアーフィルターは鎧戸にしておいて欲しかったのと、初期型 大窓機のダクトも半ガラベンにしておいて欲しかったですね。 KATOの考証は昔から詰めが甘いんですが、最近はちょっと気合いが入ってきたかな?
新参者ですが、自分もぼやかせてもらうと… 青大将ひさし無しを手に入れて、さて何号機にしようか随分悩みました… やはり水切り無しとSGダクトの件で…さらに言うと無線アンテナの存在も… 水切り無しでいけば、57号機か58号機なんでしょうけど…結局悩んだ末、自分は せっかく綺麗な塗装の製品に手を入れることにした次第です… なんだかんでKATO新・旧製品、トミックス製品と合わせて80両以上ありますが 製品のままでそのままというのは1両も無いのが現状です…おかげで社外品のアフター パーツとKATOのASSAYパーツが自分の机周りはあふれかえっている始末… 拘らなければいいのでしょうけどね…自分の性分が恨めしく思っています… できたらKATOさん!40周年に出した4号機のボディーを活かして、青大将小窓を製品化 してもらえませんかね…等々と思う今日この頃です。 駄文で失礼しました。
KATO、NゲージのEF58青大将ヒサシ無し。水切りをモールドしていてくれるか、 もしくはSGのダクトを半ガーランド型にしていてくれれば該当機が多数在るのに、SG −1ダクトに水切り無しとは・・・。果たして該当機はあるのでしょうか?この疑問が解 決されなかったので、当鉄道には旧製品、新製品併せて18輛のKATO製EF58が所 属していますが、今現在も青大将ヒサシ無し機は配備されていません。
青列車さま、クモイ103さま、そのほかのみなさま ゴハチ牽引の「さぬき」について、いろいろお気遣いいただきありがとうございました。 客車が完成するのがまだまだ先なので、牽引機のゴハチについても おいおい調べていこうと思います。またいつか、ご教示をお願いするかもしれませんが、 その際はよろしくお願いします。ありがとうございました。
さくら様 パーツのご教示ありがとうございます。早速行きつけの店に問い合わせてみます。 ひさし無し青大将機に水切りを取り付け…さすがですね。私はきれいに仕上げる自信が 無く、頭に浮かんだところから一歩も進みません(笑)。 私の場合、昭和35年の青大将特急廃止後もしばらくそのままの塗色で運用に就いてい たゴハチに興味があり(あまのじゃくですね)、昭和36年夏頃にまだ青大将のままだっ た70号機の写真が雑誌で散見されることから、製作を思い立ちました。完成の暁には、 マロネ・スロ・ナハネ・オシなどを連ねた九州急行の先頭に立たせるつもりです。
クモイ103様 恥ずかしながらゴハチ好きが興じて、下手くそながらも模型制作に勤しむ さくらといいます。自分も70号機は制作しましたが、自分は無線アンテナ 付きを再現したく、ひさし無し青大将をベースに水切りを2.5のしんちゅう線 を付けて作りました。 昇降ステップの横幅の違いに関してははっきりと分かりませんが、パーツに 関しては「ボナファイデプロダクト」から「EF58 ディテールアップパーツ」 なるものが出ていて、それには昇降ステップだけでなく前面窓下手すりや ヘッドマーク下部ステーなど入っていて、自分自身もかなり重宝させてもらって います。またカワマタからも同じ様な内容でディテールアップパーツは出ています。 こちらは更にマニアックな内容で、ホイッスルカバー取り付け基部や電暖改造時に 給水ハッチの跡が残った152、153号機の改造パーツが入っています。ただ… このところとんと店先に置いてある姿は見かけないのですが… 以上です。参考になればと書き込みさせていただきました。
青列車様、お世話になっておます。レス有難うございます。 やはり蹴込み有りタイプと幅は同じですか。確かにそのよう にも見えますが、手元にいいアングルの写真が無く、自信が 持てませんでした。 模型では、KATOの「初期型」のプラモールド表現に 合わせれば良いという考えもあります。ただ、せっかく作り 直すのだから寸法にこだわってみようと思った次第でして、 銀河モデルのHPもあたりましたが、そのようなパーツは 見あたりません。こちらでも情報が得られなければ、妥協して KATO製品の寸法で作りますが…。
UNO様、先日は失礼しました。 クモイ103様、毎度お世話になっております。 ご指摘の通り、「さぬき」の上り側は確かにオハネフ12(ナハネフ10?)ですね。 しかし映画のシーンでは、EF61の次位にいたのはおそらくオハフ45の200番台かオハフ46。或いはスハフ42の400番台。 もしかしたら「さぬき」ではない違う列車だったのかも知れません。 (定期の特急ならヘッドマークやヘッドサインが一目で列車名を教えてくれますが、急行以下の列車では一部を除いてそれが なく、識別点は編成内容と小さなサボだけ。ほんの一瞬の映像だけでは判別つかないのが難点です) 遠い昔ではなくつい30年程前の事でも、いざ調べるとなると大変な苦労が伴うのですね。 追記 >>クモイ103様 ステップの幅ってもしかして蹴込み改造の前後で変わっていないのではないでしょうか? 広島区にいた連中はその改造を受けていないものも多々ありました。直接測ったことは ありませんが(^^);おそらく其処は変えていないものと愚考します。
たいへんお久しぶりです。以前、青大将機に関することでたいへんお世話になりました。 また「ゴハチ教えて君」で恐縮ですが、模型のことでご相談があります。 EF58の乗務員扉のすぐ後ろにある屋根昇降ステップで、 改造前の「蹴込み無し」タイプ(とでも呼べばよいのでしょうか)の横幅は分かりますか? また、Nゲージで使えるパーツは発売されていますか? 青大将時代の70号機を作ろうと、KATOの大窓・庇無し(旧製品)の蹴込み部分を 埋めたのですが、新たに取り付けるべきステップの寸法が分からず工事が停まっています。 情報がありましたら、何卒ご教示お願いしますm(_ _)m。 # UNO様をご案内しておいて、私も来てしまいました(^^; 確かに「さぬき」は寝台専用列車でしたよね。
青列車さま、ご丁重なコメントありがとうございました。 宮原区のゴハチのどれかが牽引機であることは間違いはなさそうですね。 ただ、仰せの53号機は40年8月から広島所属になっています。 手持ちの資料が乏しいのですが、少なくとも43年3月末時点では、 まだ広島所属です。もっとも、広島所属のゴハチが牽引機だったことも 確認されているので、広島所属時代の53号機が牽いていた可能性も 大いにあります。最終的に何が何でも突き止めようとまでこだわっては いませんが、いろいろな方のお知恵を拝借しながら、あれこれ考えを めぐらすのも、私にとっては楽しいものです。ともかく、コメントを いただけたことに感謝申し上げます。 ちなみに43系座席車が連結されているのは、急行時代の「瀬戸」では ないでしょうか。
UNO様、あちらではお世話になっております。 さて、お尋ねの件ですが、昭和42年に封切られた映画「喜劇 急行列車」の中に、 まだ茶塗りだったEF61の牽引する青い43系編成の列車が出てくるシーンがあ りました。 (創刊間もない頃の鉄道ジャーナル誌にこの映画の書評があり、それによるとこ のシーン、急行「さぬき」である由。本来なら特急「富士」が映っていて然るべき シーンです。そういえばこの映画、他の場面でも本来「さくら」のはずが「はやぶさ」 が出てくるシーンもありました。「鉄」の目で見るとどうしても細部の些細な差異まで は見えてしまいますが、20系特急のバリバリ現役時代の雄姿が見られるだけで十分 価値のある映画であります) この頃のEF61は確か宮原所属でしたので、もしかしたら所定で宮原区のカマが 担当していたのではないでしょうか?そして、EF58とEF61が共通運用だった 可能性も考えられます。 (瀬野八を抱えた山陽区間では特に重量急行列車にEF61を専任させる意味はあ りましたが、関が原も含め牽引定数上の問題のない東海道筋では両機を共通運用 させるに支障はないものと愚考します)。 察しますに長く宮原にあり晩年は宮原区随一の器量良しと称えられた53号機など は牽引実績があるものと愚考いたします。 (ただ、それが何年何月何日、上り或いは下り、そしてその日の編成車番となると 最早私如きの手に負えません)m(_ _)m 元発言にはタイピングミスがありましたので削除訂正いたします。
みなさま、初めまして。岡山在住のUNOと申します。 いきなりの質問で恐縮ですが、お許しください。 表題の通り、S39.10改正から43.10まで東京−宇野を結んでいました 「さぬき」の牽引機を調べています。模型化が目的です。 雑誌の編成表、ゴハチ特集などを参照しますと、 東京の148、広島の18、114、宮原の126か128が 牽いていた記述は確認できました。 ただ、手持ちの大窓原型(日立48〜53、東芝54〜59に該当)の模型を 生かしたく、これらの番号のゴハチが「さぬき」を牽いた実績がわかる 資料があればご教示いただけると幸いです。よろしくお願いします。
私の重箱の隅を突っつくような稚拙な質問に対し、真摯に回答いただき 感謝の念を隠しきれません。 再度私も手持ちの資料をひっくりがえし確認しましたが、やはり45号機に 関してはホイッスルカバーの取り付け部のレールは、上越線(長岡区)から 東海道への転属時に、他の転属機とは違いレールから全て撤去したとの結論に 達しました。プレスアイゼンバーン刊の「EF58」の中に東京駅にて「はと」 を牽引し出発待ちの写真からもうかがえます。しかし何故に45号機だけレール から全て撤去したのか疑問は残りますが… またパンタ下の塗装ですが、のりくら様がおっしゃるように、新型直流機の様に 確かに絶縁シートが張っている様子はないので車体色のままで良いとの結論に 自分で結論づけました。ただ11号機のランボードの件ですが、このネタ元は、 確か鉄道ジャーナル系の本の特集で、東京機関区巡りなる特集のカラー写真の中に 全検上がりの綺麗な11号機の屋根部が出ていたのがネタ元です。その写真をみて本当に 驚きました。まるでEF651100の様な屋根上の塗り分けじゃないかと…この資料は 持っていますが、いかんせん整理能力に欠ける性分でして…わかり次第お伝えします。 質問ついでにもう一点…50号機なんですが、いつ頃ヘッドマークステーの撤去を行った のかわかりません…またその原因も。一番に考えられるのは事故復旧の際でしょうが、 手持ちに事故の記録まではないものですから…どなたかご存じでしたらよろしくお願いします またまた長文になってしまい申し訳ありませんでした。そして諸先輩方いろいろなご教唆に 本当に感謝いたします。
ありがとうございました、C6217さま、と書こうと思っていた矢先に メガトン級の質問が来ちゃいましたね(^^);;; いやいやC6217さま、わたしは大したことありません。 ほとんどがEF58ものがたりか、このウェブでの知識の受け売りみたいなものです。 この掲示板を読んでいて、ときどき「はぁ〜」って溜息が出るほどご存知の方が いらっしゃいますよね。わたしもそのレベルに追いつきたいものです。 ワタクシ、汽笛カバーの取り付けレールにまで目を光らせたことは なかったので、それについてはよくわからないのですが、 屋根についてわたしの想像の範囲で。 11号機はランボードがグレー、となっておりますが、 このころの電気機関車のランボードは木製なのではないか、と想像します。 少なくとも、EF65Pは木製です(JR貨物の更新車はFRPです)。 どこらへんで切り替わったかは不明ですが、PFの後期型はFRPです。 FRPのランボードには屋根布が張ってあります。だからこれは間違いなくグレーです。 で、ハテ木製はどうか。たぶん屋根布は張ってありません。じゃあ塗装? 全検出て時間が経ったら塗装は剥げちゃう?剥げちゃったら何色だろうか? 防腐剤が染み込ませてあれば茶色とは言い切れません。 表面が風化してグレーになっていることも考えられ、さくら様がご覧になった11号機の 写真は恐らくそういう状態でしょう。すくなくともグレーに「塗装した」というのは 考えにくいと思います。 パンタ下の屋根。新型直流電機では屋根布が張ってありますよね。 旧型電機ではどうでしょう。RM MODELSのbird's eye viewという連載の 初期のころにEF58がありましたが、屋根布はどうも張っていないようです。 というか、新型電機にしたって、通電中に人が屋根に登るということは あるのでしょうか?屋根布が張ってある範囲の屋根を、上昇状態のパンタに触れず に立つ、ということは至難の業のように思いますが。大体薄っぺらい布1枚で 1500ボルトの電流を絶縁できるとは思えません。 鷹取や広島はパンタ下も車体色でいいと思うんですけどねぇ・・・ 先輩諸氏はいかがお考えでしょうか? (最近毎度毎度長文ですみません)
ウチにある少ない資料を見る限り、レールのようなものは写っていない模様。 但し、或る写真を見ると、取り付け用のボルトのような物(4隅)が見える物があります。 あと、ランボードは基本的にEF58の物は木製のため、わざわざ絶縁シートを貼らなくても 電気伝導性がありませんので、車体色と考えておいて、支障はないと思いますが。 更新改造などで、他の材質に変われば、グレーの絶縁シートを貼った物があるかも知れませんが。
>>青大将塗装時の45号機のホイッスルカバーレールの有無 昭和31年、上越から東京区へ転出した際、一般的にホイッスルカバーの取りつけ部分は撤去されていません。
はじめまして。私、EF58の固定ナンバー機をNで再現したく、 こちらのサイトはいつも制作上の参考にさせてもらっています。 またEF58に関する書籍、資料に関しても読みあさって模型制作上の参考にしているのですが、 何点かどうしてもわからない点がありまして、今回書き込みさせていただきました。 できましたら、その点につきましてご教唆いただきましたら幸いです。 @屋根上の塗装について 一点目ですが屋根上の塗装についてです。大宮工場出場機に関しては、 こちらサイトの144号機の写真の様に、モニタールーフを含め黒塗装、 パンタ台下部を絶縁ビニール張りの関係からか、ダークグレーといった 塗装(何処かの雑誌で11号機は渡り板もグレーに塗っているのは確認)なのは 確認していますが、鷹取工、広島工出場組の屋根上塗装が判明しません。 基本的には車体色と同じというのはわかっているのですが、問題はパンタ下の 塗装です。なかなか屋根上を撮した資料はあるのですが、白黒であったり 汚れで判別不可能なのが現状です。 A45号機のホイッスルカバーレールの有無 青大将塗装時の45号機のホイッスルカバーレールの有無に関してもわかりません。 更新前の標準色時代の資料から最末期の36号機の様に、70年代初頭には 根こそぎ撤去されたのは確認済みなのですが、どうにも青大将時代が判明しません。 B67号機のホイッスルカバーレール有無と取り付け方法 ホイッスルカバー流れで、67号機のホイッスルカバーレールの取り付け方法及び 浜松区所属時代にレールが残っていたか否かがわかりません。資料あさると幾つか の取り付け方法があったみたいです(初期上越配置車前後に足つき、89号機等に見られる台座を 車体に設けてレールをボルトの4点止め、130番台に見られるレールを車体への直付け) C133号機の謎 タクト・ワンから出版されている「EF58型 黄金時代写真集」中に133号機の 宇都宮区時代の黒磯での写真が載っているのですが、どうにもこうにも片方の 窓の四隅にRがついているようにしか見えないのですが…年代的にもまだ大宮工の 変形小窓への改造時期ともリンクせず…自分の目の錯覚なんでしょうかね?! まだまだあるのですが、今回は以上です。こちらから聞く立場なのに、 ダラダラと簡潔に質問事項をまとめる事ができなく申し訳ありませんでした。 屋根上の話が主になってしまいましたがどなたかご存じの方がいらしたら よろしくお願いします。
思い出の日本国有鉄道様、皆々様 はじめまして、泰茅轍道(Njゲージ 1/150 6.5mm)織田と申します。 幣hp開設以来から閲覧させて頂いており、参考にさせていただいております。 此の度、Nゲージ(カトー)のEF58で、狭軌の台車の奥まりを表現出来ましたので 投稿させて頂きました。Nゲージでも実車の雰囲気が楽しめます。宜しかったらご覧下さい。 http://vivant.jp/ef58.htm
僕なんかが足元にも及ばないほどお詳しい。全く脱帽です。 因みに、私の所に配備されているEF58上越型は121号機になっています。 Nゲージなら 〜あまり細かい所にこだわりすぎず、雰囲気を楽しむ〜 って 事で良いんではないかと思うのは私だけでしょうか? 私は付属のナンバーの中で、出来るだけ実車に近いディテールを持っている物 にするようにしています。 KATOのEF58上越型は、当時現役でブドウ色になり人気急上昇の89号機 をプロトタイプに作られたために上越型の一般的な形からずれてしまったんでしょうね。 ブルーの上越型は茶色の製品の副産物といった所ですね。