皆様、割込み失礼致します。 747-400様の仰る通りで、EF58機で100km/hはございます。 1989年3月25日上野発臨通客9129列車(牽引・EF5889機)が、宇都宮〜黒磯間で「機関士さんの勘違い」から、通客C2のところB4と勘違い、西那須野通過9分早に! 当日は「会津ムーンライトエクスプレス」(スハフ32+オハ47+オハニ36+スエ78=換算空15)でしたが、凄い加速で「のんびり在来型一般車の夜行」の目論見は何処?の状態になりました。 運転記録のスタッフが心配して「推定105(時速キロ)は出てません?スエ(7811)の台車(TR73=3軸)大丈夫ですかね?」と言われたのを覚えています。 結果、機関士さんはどうした事か黒磯手前で減速し、黒磯現着時刻は定時-2分でしたが、回復運転で運心素っ飛ばしの運転を見せる機関士は未だ多くいらっしゃいました。 全くの推測では、EF5889機ラストランの尾客欧7Bによる「わたらせエクスプレス2」でも武蔵野線内で快走し、松戸現着-2分と言う記録もあります。 もっとも「あれで無理して壊した」と陰口を叩かれましたが・・・(笑) http://www.c623.npo-jp.net/
宇都宮運転所様 貴重な搭乗体験談をありがとうございました。また日本 〜欧州のBusiness Trip 誠にご苦労様です。9.11事件以来、コクピット への招待等 皆無になりちょっと寂しいですね。 私自身はハワイ州訪問の際にNWのB747-400にお世話になっています。 ハワイ州のマウイ島にはかっての砂糖キビ列車が現在も観光列車として 蒸関列車がラハイナ〜カアナパリを往復しています。 またオアフ島(ワイキキがあるところ)には以前「オアフ鉄道」という 砂糖キビ運搬鉄道がありましたが、今年はその廃線跡を訪問してみたい と思っています。 さて話題の鉄道情景フィギュア第3弾のEF58シリーズですが、えきねっと ショッピングというサイトで注文し、昨日受領しました。 6種類あるのですが、このサイトでは5種類入りが1パックということで、 つまり1種類が欠けるということです。 ブルトレ塗装と青大将は外せないところですが、欠けていたのはNO.3 「駅停車 茶色上越仕様」だったのでホッとしています。 1/100の確率で青大将の替りに4号機が入っているとのことでしたが、 普通の青大将でした。
>>747-400様 お名前からしてひょっとしたら?と思っておりましたが、やはり「空ちゃん」だったのですね!'92年の渡欧以来、当時はMD-10、or11?,最近では帰国時の最低2年に1度は747-400のお世話になっておりますが、機内での12時間は苦痛以外の何物でもありません。昔から「鉄」の私は、やはり"鉄道"のありがたさを痛感致します。 最近では、こちらに長居している因果で、フライトの予約時に2階席をお願いして(成田-アムス線の2階席はエコノミー)いるので、1階席利用時のような朝夕のトイレの待ち時間や、他の搭乗客のざわつきもありませんが、JAL機内に足を踏み入れた途端に、「ああ、帰国したんだ!」と思うほどもうそこは日本そのものです。 アメリカテロの前まででしょうか?これも「古き良き時代」だったからなのでしょうが、子どもなど連れていると、必ずスッチーが「コックピットを見ますか?」と声をかけてくれ、息子と一緒に操縦室をお邪魔したものです。これに気を良くして、以降飛行機の乗るたびにJALのみではなく「コックピットを見たい」とお願いして見ましたが、断られたことはありませんでした。 管理人様、超脱線レス、誠に申し訳ありません。
皆様、保存機の話題で盛り上がっていらっしゃるところ、全く別の話題で恐縮であ りますが、本日発売の月刊誌『とれいん』、『RM MODELS』の2誌に、以前話題とな っておりました「天プラ EF15(16)」の写真が割と見やすい状態で掲載されて おりました。実物写真による小特集も組まれており、お好きな方にはどちらを手にす るか迷うところですね。まあ両誌とも買えるのがベストではありますが。私と言えば 基本、EF58メインのため予算の都合もあり、書店泣かせの立ち読みで済ませ、購入は 見送らせていただきました。 EF58122の特急色、是非見たいですね。現在のブドウ色にするくらいなら、特急色 にして頂きたかったですね。JR東海様に次回全検時に塗り替えて頂けるように皆でメ ールでもしてみましょうか?ついでに正面窓の小窓化も施していただきたい。昔と違 い、化学技術も向上しているので、窓の隙間埋めのパテも良い物が出てるような気が します。ただ、93号機のようにHゴムを外しただけの下辺角に丸みを帯びた状態な ら頂けませんがね。しかしあの塗り分けは青大将にしろ、ブルトレにしろヘッドマー クが付いていないとちと間延びした正面になる気がするのは私だけでしょうか?
青列車様 貴重な体験談をありがとうございました。 自動進段装置の付いたEF65が58よりも扱い易いのは分かりますが、平坦線での 加速力が大きい事は確かな様で,軽い荷を引けばかもしかの足、「平坦線の♪カ〜 モシカ♪」というところでしょうか? 最高運転速度ですが、これは制動距離と関係があるようで、58でも120km 以上は出せる性能はあるはずです。 ただ、関西ブルトレ牽引復活の際、最高運転速度は110kmでしたが、蒸気機関車 時代の名残のある台枠構造では保線区の悪評がありました。 曰く「ゲージを広げる」「内側スパイクが浮き上がる」というものでした。 宇都宮運転所様 もブルトレ塗装機ファンということで、大変心強く思います。 岡山在住時に、上り「かもめ」の牽引に活躍していた宮原区のブルトレ塗装の 58の姿が今でも目に浮かびます。 かって恵比寿駅にEF5891がブルトレ塗りにされてビアホール列車の先頭 に付いていましたが、当時「鉄ちゃん」休止中で(「空ちゃん」をしていました) 実見できず残念でした。 ブルトレ塗装時代の122号機の写真は少なからずありますが、全20機のうち 余り見ないのが 139 149号機です。 122号機には是非「ブルトレ塗装」にして将来保存して欲しいですね!!
>>747-400様 ブルトレ塗装、個人的には一番好きです(笑)。現役時代に纏ったか否かは別にして、唯一現存していない塗装ですよね。そういう意味でも、青列車様の言うように122号のブルトレ塗装は是非見てみたいものです。素人目には、原形小窓の復元はさほど難しくはないように思えますが、やはり動態機の場合はその後の水漏れ等の問題が懸念されるのでしょうか? もう少し正確に個人的考えを表現するなら、原形小窓のブルトレ塗装が58には一番似合うように思います。よって、138号機のブルトレ塗装、僕も期待しておりましただけに残念でした。 賛否両論だとは思いますが、89号機について、廃車後に現在の姿に塗り替えられた当時、「茶色から青大将時に、そして新塗装から茶色に2度の塗装変更で話題を集めた89もまたこうして宇都宮時代の普通のカマと同様に新塗装に戻され、心なしか安心したような表情に見える」というような記事が紹介されていましたが、私も全く同感です。
お邪魔しますm(_ _)m 横レス失礼します。 >>747-400様 ご指摘のブルトレ塗装、現有機では今JR東海さん在籍の122号機が、かつてこの色を纏った経験のあるカマですので、 このカマを塗り替えてみたいです(ただ、正面窓はHゴム支持を何とか元の原型小窓に復元できないものでしょうか?) 高崎保存予定のカマ達の顔ぶれを見ると錚錚たるお歴々といったところでしょうか?実現しなかったのは諸般の事情が あってのこととは思いますが、かえすがえすも残念です。 >>747-400様 国鉄時代晩年、確かに中には(心情的には鉄道会社贔屓な)我々が見ても「?」な職員さんも皆無ではありませんでしたが、 確かに撮影などで車輌基地を訪ねると、結構気さくに応対してくれ、何かと便宜を図ってもらえたものでした。推測す るにこれは、当時何かとマスメディアに叩かれ世間の風当たりの強かった中で、鉄道に興味と好意をもって接してくれ る青少年鉄道ファンは、特に現場の心有る職員諸氏には心強い存在だったのではないでしょうか? 停車時間の長い列車 など、時々乗務員氏と世間話を交わしたりすることもありましたが、そうすると相手が覚えてくれていて、後日声をかけ てもらった事もありました。SL時代はあんなカマに乗ってたよ。こんな話もあったよ。と、とても貴重な話を教わった りもしました。 EF58のことを聞いてみると、「古いカマだし、使い辛いよ」というご意見もあれば、「やっぱり新しいカマの方がいいよ。 そらEF58よりEF61、EF61よりEF65、EF65よりEF66がいいよ」というご意見もありました。かと思うと、「私は慣れもある が寧ろEF58の方がやりやすいな」とうご意見もあり、興味深く感じました。 鉄道ファン誌上で「870,000キロの軌跡」を連載された宇田賢吉氏のサイトに以前質問メールを出した事があるのですが、 氏のウェブサイト上で御回答を頂きました。それによると… 担当区間に50キロ制限区間が数ヶ所あったりすると、制限解除後の加速に於いてはEF65の方が加速力が大きく、EF58に はとても真似できないとのこと。しかし、90キロ制限を抜けて再び100キロまで加速する…といった条件では今度はEF58 の方が勝っているとのことでした。 停車駅の少ない優等列車を、徐行区間の少ない条件で走らせるなら、EF58の本領発揮なのですね。 ところで、EF58の最高速度って時速100キロでしょうか?時速95キロでしょうか? (C51以降の2軸先台車を持つC型旅客用蒸機の1750ミリ動輪が毎分300回転した時、概算で時速98.96キロ位になります。 この数値を概数化すると時速95キロとも時速100キロとも解釈できますね。最高時速95キロとされる旧型客車なども、時 速100キロで走ったとしても直接の問題は無さそうに見えます)。 取りとめも無いレスで失礼しましたm(_ _)m
Rail Magazine 1986.7月号 No.31に高崎第2 機関区セールスセンターの小井土 英一氏が「電機機関車館」の夢として 夢を語っていました。 曰く「現在当方で計画している電気機関車館は「東の梅小路」として全国 から全機種を集め、出来れば動態保存としたいと願っている。」というもの で、保存予定機関車リストは 1.EF15200 2.EF5910→EF531に改造 3.EF551 4.EF5921→EF562に改造 5.EF5866 はと・つばめ塗装にする 6.EF58138 ブルー トレイン塗装にする 7.EF58172 8.EF591 9.EF60501 10.EF625 11.EF621 12. EF631 13.ED1610 14.ED601または ED605 15.ED6215 または ED6218 16.EF302 17.D51745 というものでした。 このうち何両かは、現在他所で静態保存されています。 私個人としては 6.のEF58138 ブルトレ塗装に期待したのですが 実現しませんでした。 EF58にはブルトレ塗装が最も似合うと思います。 宇都宮運転所さんもそう思いますよね? いました。
岩崎安房守義将様 -当時の北局転総とEF57機の争奪をしたとかしなかったとか。 そんなに欲しかったのなら、白Hゴムの11号機もとっておけばよかったのに(笑)。確か1/7/11の3両が最後まで残っていましたね。 確かに57は、あのパンタの位置と長いデッキのせいでしょうか?凄く“威圧感”のある機関車で、私も大好きでした。 話がそれましたが、確かにあの当時は熱い人間が多い「古き良き時代」でした。マニアを快く受け入れてくれたくださった国鉄マンも多く、停車中に運転台を見せてくれたり写真を撮らせてくれたりと数限りなくお世話になりました。岩崎安房守義将様のおっしゃるように、そんな熱い国鉄マンたちの存在も我々マニアにはありがたい存在でした。但し、スローガンを電車や機関車の車体に書き込むことは解せませんでしたが、、、(笑)。 今でも、アムステルダムのトラムなどでは、運転手さんが休日やスクールホリディには自分の子どもを助手席に座らせていたりする光景を良く見かけます。そういう経験をしているうちに、きっと将来は自分も運転手になろうと思うのでしょうね!
現在は東大阪市の某所に仮置きされているようです。写真を見ると、やはり先台車は 見あたらず、無くなってしまったのでしょうかね。在阪の身としては、近々偵察に訪 れたいと考えております。詳しくは下記ホームページにアクセスしてみて下さい。 http://prime-model.main.jp/
1981(昭和56)年頃から高崎鉄道管理局運転部総務課が活発に運動を展開していましたよ。 当時の北局転総とEF57機の争奪をしたとかしなかったとか。 後日、端機のEF80が移りましたが、これも「高崎機関車館」の企画関係で移送されたもので、最終的には在来型一般客車も集めて「高崎鉄道車両博物館」としたかったそうです。 北海道のC623機復活が小樽築港機関区存続と職員の救命を原点とした事と同じで、職員の一人でも多くの「存続」が本義だったと高鉄転計で伺った事があります。 但しそれは運転部長に懐の大きい人物が居たから出来た事で、全国にそんな熱い人間が多く居た事、それが国鉄、国鉄マン魂だった事も是非御承知置き下さいませ。
先週末、鉄道F誌3月号をやっと入手いたしました。毎月、実家の母から郵送されるゆえに、通常は皆様方より1ヶ月程度送れて購読しております。その中で、「選ばれしゴハチたち」斉宮則仁著、今日に至るまで現役機として生き残ったゴハチたちの半生についての記事、大変興味深く読ませていただきました。61号機以外、生き残った3両は偶然と強運によって今日まで生き長らえており、今や何号機が残っていれば、、、とかいっている時代ではなく、姿をとどめる物を、とりわけ動ける機関車をいかにこれから先も大事に見守ることが必要かを説いていらっしゃいました。確かにおっしゃる通りで、静態保存機に至っても125号機の例もあるように、いかにこれから先もその数を減らさない努力が必要かを痛感いたしました。 ところで、58の引退も時間の問題となりつつあった頃、1985(昭和60)年頃でしょうか?思わず耳を疑いたくなるようなニュースが広まりました。それは、西の「梅小路」蒸気機関車間の電気機関車版が「高崎第二」機関区内に建設されるというものです。当時の高崎第二機関区長が何でもそういった機関車を大事にされる方で、合理化によってスペースに余裕ができる空間を利用して、できれば各形式の1号機を各1両づつ、お召し機等は特例としてエキストラとして保存し、基本的には動態保存を目指す。というものでした。その発端に、休車だったEF60501に特急塗装を復元させ、わずかでしたが両毛線の団臨仕業に充当させたように記憶しています(間違えていましたらゴメンなさい)。その後、ゴハチの172号機やDD511号機をはじめ、あれよあれよという間に機関車が集められたのは周知の通りです。 生憎、その後の時代の流れで、動態保存も「電気機関車館」建設もかないませんでしたが、幸運にも多くの機関車が「碓氷峠鉄道文化むら」の展示機として保存されております。 私は、当時の高崎第二機関区長殿の当時の英断に、改めて敬意を表したいと思います。彼の判断と実行力があったからこそ、今でも多くの機関車がその姿を留めております。今後その偉大な意志を無駄にしない為にも、末永く我々みんなで大切にしていこうじゃありませんか!
はじめまして。66と申します。 いきなりのしつもんですみませんが,予定臨8303の徳山の時刻を教えていただけますか? 教えて君ですみませんが,ご存知の方がおられましたら情報お願いします。
今年もよろしくお願い致します 明日、主人と余部鉄橋に出雲を撮る下見に同行してまいります。 また報告させていただきます(≧▽≦) では、まだまだ寒いのでお風邪など引かれませんように御身体御自愛下さいませ_(._.)_