試験塗装機はいずれも出力が弱いMT41主電動機を当時搭載していたので、「つばめ」・「はと」の運用には原則として充当しない様になっていた様です。16号が青大将編成「つばめ」を牽引したのは例外的措置とおもわれます。18号は電化直前に浜松に転属したので、青大将編成を牽引したことはないものと思われます。
16番でのEF58の塗装試験機は「天賞堂」さんと「ピノチオ」さんから 発売されましたが、どちらも人気がなく永い間売れ残っていました。(現在でも ピノチオさんの584は新品で購入できます。) また中古市場でも人気がなく、天賞堂の584でさえ安値取引(約半値)されて います。 58新の人気機種は「青大将塗装」「ブルトレ塗装」「60号機」「61号機」 「172号機」といったところで、中古でも「ピノチオ製」の青大将機・ブルトレ 塗装機・60号機・172号機はなかなか出てきません。 最近の高値は天賞堂製の「旧EF58」で最初期の製品(MH7モーター)でも 4万円位の値がついています。 私自身の試験塗装機の所有は天賞堂さんのTAの584ですが、中古で半値で手に 入れました。同社の58の製造は「アダチ」さんと思いますが、前面窓がやや下に 付いているのが欠点ですね。 584もご多聞に漏れず、印象把握は今一歩です。
試験塗装機 昭和32年3月末 京都駅構内跨線橋から梅小路方向の引き上げ線に留置されていたのを現認しております。 裾がオレンジでしたので、31号機だったのを記憶しております。 つばめの運用は、「A1」運用ですが、大阪からの帰りは「夜行急行」となっておりました。 はとの運用は、「A3」運用ですが、米原行の普通列車、米原から米原発330列車東京行普通列車を牽引し、翌日夕刻に東京に到着します。 予断ですが、330列車は名古屋ー大府間において、武豊線回送のC11を最後部に連結します。 青大将とC11の組み合わせ見たかったなぁ!!
皆様、お忙しい中いろいろ調べていただきありがとうございます。 JTBから今月発売される写真集の広告チラシには手すり付きの 試験塗装の31号の写真があります。 過渡期の変化にはいろいろ興味がつきませんね。 これからもよろしくお願いいたします。
うちにある主立った資料をひっくり返してみましたが、4、16、18、31それぞれ 茶色の『つばめ』、『はと』は牽引している写真が見つかったのですが、みどりの客車 を牽いている写真は【青列車】様が書かれている物のみでした。撮影時期も東海道線全 線電化完成以前の物しか見つかりませんでした。しかも16、18号機はKATOのモ デルと違い端梁に誘導員手すりが付いているのです。Assyのグレー先台車パーツが まだ店頭に残っているなら交換したくなってきました(汗)。 >青列車様 『2006−2 鉄道ファン』誌P.144/145に列車編成記録が載っていますが、 P.145の最上段、昭31/11/21の4列車『はと』の編成中に『スロ60』が 使用されております。ご確認下さい。
連続投稿失礼致しますm(_ _)m さて、鉄道ファンvol.538、2006年2月号ですが、141ページ中段に、青大将編成の「つばめ」を エスコートする16号機の写真(試験塗装)が掲載されていました。また、旅と鉄道vol.159、2006 年冬号87ページには、1956年11月21日の東京発「つばめ」は、まだ茶色塗装の編成の先頭に立つ16 号機の写真がありました。察しますに、少なくとも16号機は試験塗装姿で青大将機と並んだこと はあったものと推測されます(ただ、今ほどカメラの普及していなかった当時、果たして誰かのア ルバムにその写真があるのか否か?はわかりかねますが…) ただ、他の試験塗装機(4、18、31)がどうしていたのか?は不明ですが…或いは青大将機と並ん だ可能性は否定できません。しかし、ブルトレ塗装とは残念ながら時代が合わないようですね。 (個人的には4号機のカラーリングを正式採用して欲しかったと思います。カマだけあの色であっ たとしても、青大将編成をエスコートすれば似合っていると感じるのは私だけでしょうか?) さて、古い鉄道ジャーナルにあったのですが、1956年11月20日の3列車「はと」大阪行きの牽引機 はEF5857であった由。客車はまだ塗り替えが間に合わず、茶塗りの編成だったとのことですが、 ココで不明点が出てきました。 EF5857は前日の1列車「つばめ」を担当したカマです。記念マークも凛々しく颯爽と、くす玉を割 り、紙ふぶきを浴び勇躍帝都東京を後にし大阪までのロングランを行いました。言うまでもあり ませんが、折り返しで「はと」をエスコートして東京に戻ってくる事は出来ません(おそらく愛知県 内か岐阜県内で擦れ違ってしまう)。すると?どうやって東京に戻ったのでしょう?夜行急行でも 担当したのでしょうか?電機ですから特急牽引機と雖も、蒸機に比べれば折り返しの整備時間は 短く済みそうですが遅くとも11時30分までには東京機関区に帰り着いていて欲しいところです。 大阪を20時以降に発車する東京行き急行であれば何でも良さそうにも見えますが(^^); もう一つ…EF58の話題から少しずれますが…客車時代のつばめ・はと。青大将編成は特ロがスロ60 からスロ54(後にナロ10)、食堂車がマシ35からオシ17へ変更になっていますが、全線電化後しばら く運転された茶色のままの編成の場合そのあたりはどうだったのでしょう? 前述の雑誌の写真ではカマと前よりの客車と最後尾の展望車は写っていましたが、ロザや食堂車の 部分は写っていませんでした。 どうでもいいことかも知れませんが、少し気になります。 もしご存知の方がいらっしゃるならご教示いただけますと望外の慶びに存じます。
お邪魔しますm(_ _)m かつて蒸機の時代の情景を見事に再現して話題になった「鉄道情景フィギュア」シリーズですが、 本日(12月21日)発売の鉄道ファンvol.538、2006年2月号によると、シリーズ第3段として、 なんとEF58が登場するとの事です。 茶塗り、青塗り、青大将、ブルトレカラー、そして御召し機ロクイチ、更にはシークレット?で 4号機の試験塗装があるとか…! (詳細は同誌の当該記事をご一読下さい)。 以前のSLシリーズでは、第1段で3回連続ターンテーブルのC11が出てしまい挫折(^^);第2 段はC57が出たところで挫折してしまいました。また、「タイムスリップグリコ」シリーズで、豆 本が付いた時は、鉄道ファン84年4月号が欲しくて挑戦したものの、これだけが当たらず、他の 雑誌は皆2冊以上(3冊になったものも)コンプリートしても中々当たらず焦りました(^^); (やっとこれがあたった時は小躍りしてしまいました)。 今度はEF58です。ゴッパ−ファンとしては無視できません(爆)。コンプリート目指して… (っていくつ買えばコンプリートできるやら…) 皆様!忘年会・新年会・クリスマス・お正月の費用は多少切り詰めてでも(?)お小遣いのご準備 お忘れ無きように(^o^)/(って余計なお世話。お節介ですか?)(^^);
4両の試験塗装晩年の写真(昭和31年11月以降)というのは、無いかと 思います。 宮澤 孝一さん(元鉄道友の会 会長)が4号機を、昭和31年(1956年) 12月に浜松町の駅端(田町寄り)から撮影していますが、この時の4号機は 当初グレーだった部分(エアータンク・台車・連結器台座)が黒く塗られて おり、ちょっとイメージが変化しています。 青大将機との2ショットの写真はありません。また青大将機とブルトレ塗装機 との2ショット写真もありません。
BT46Bと申します。 試験塗装は具体てきにはいつまでつづいたのでしょうか? 東海道全線電化後も試験塗装のまま運用されてたのでしょうか? 文献によると登場後3〜4年後続いたとありますが、掲載写真は昭和31年 ごろまでのもので、青大将、ブルトレ塗装と並んで写ってるものは皆無の ような気がします。 ご存知の方、ご教授下さい。
今日のシナオクは、EF5861単機です。 明日の先送りかと思われます。
ここに書き込むのはお久しぶりです! 管理人さんお風邪などひかれてませんか? 今日は主人が休みだったので試験塗装機買ってきました(^O^) 高かったので主人はためらっていたのですが… 私が思い切って買いました(笑) 主人大喜びで喫茶店でまちきれずに開けて眺めてましたε=( ̄。 ̄ ) それから私のギックリ腰を治療するため温泉へ〜 これは関係ないか(^-^; 今、手持ちの58を全部出して来て並べてます… また主人も書き込みにくるように言います(^o^) 私のような鉄道の事がわからない者が書き込みしてもうしわけありませんでしたm(__)m 管理人さんも風邪などひかれませんように気をつけてくださいね… では失礼します。
私も本日入手しました。 綺麗な出来栄えに感激!! それにしても、嗚呼4号機!! 20年ほど前にプレスアイゼンバーン(だったと思う)で初めて見てうっとり・・・。 手元にあったKATO(というより当時はまだ関水金属)のEF58茶色を塗り替えしました。 といっても塗装に関する知識も無く、伊豆急ペールグリーンに東急グリーンを塗ったような気が(笑) その後、ホビーセンターKATOの塗り替え品4号機発売にも購入! 自作4号機は新しいボディを入手して89号機に変わりました。 ホビセン4号機は、先台車をスノープロー取り付け台座の無いタイプに改造し、今日まで在籍していました。 都合現在は2両の4号機が所属しています。 さて、ホビセン4号機をどうしようか・・・。
本日無事入手して参りました。皆様ももう手にされたでしょうか?それぞれの特徴が きちんと再現され、予想以上の出来映えに感動すら覚えた次第です。例えば18号機 のみ前面窓下辺にもRが付いていたり、16,18号機の1位側抵抗器カバーが2位 側同様小型になっていたり、極めつけは4号機のみ大型になっているヘッドライトケ ーシングの再現などです。つばめ、はとのヘッドマークと唯一の後付部品であるホイ ッスルが同梱されております。
122号機についてですが、先月交検を受け豊橋に回送され、先週4日にメモリアルトロッコ (北部入線)をけん引し豊橋〜伊那松島間を往復しました。また、先月19日から20日にかけて 飯田線内でチキ工臨もけん引してます。交検後、たしか90日は使えるはずなのですが、 なんと今日、豊橋から静岡へ単機回送されるそうです。 これが、廃車回送と言われているものですが、かなり信憑性が高いので、本当ならばとても 残念です。ただ、年々その活躍の幅が減りつつあった東海の58ですが、操配用客車の全滅 中京地区のECの高速化や取り扱い乗務員の減少 また、EF58に対する信頼性の低下やアー バンネットワーク化でのダイヤの過密化等の理由にJRWの米原乗り入れの拒否され、なかな か飯田線以外での、運用の取り回しがし難いことと全般的に機関車の所用定数の見直しで、 EF65ですら、今年度で全廃を予定しているので、致し方ないことなのかもしれません。 EF64も1両減の2両体制になるようですし、さびしい限りです。 また、122号機は、157号機に比べ車重が軽く比較的空転しやすいと言うのも 今回の決定に少なからず影響を与えているのかもしれません。 今日の回送は、浜松(高塚)ではないので、即解体と言うことではなく検査切れ まで保管か、はたまた別の奇跡が起きるのか、僅かな期待をしたい所です。 思い起こせば、ビタミン静岡の時、1年限定で茶塗りと言う話だったのに… 結局、茶のままなんて…
>kiriko様 手元に当該のカタログが有りませんので詳細が判らず、断定は出来ないのですが、 本日模型店にて写真を見てきての推察ですが、一番右(先頭)のEF58を見るとナン バーは見えませんが形態から東北、上越タイプのゴハチと思われます。そしてこの 写真のメインであろう冷改後のオユ10が続き、左端にコキフの車掌室に似たもの が写っていますね。しかし当然旅客用のゴハチがコキフを引く事は何らかの回送列 車であったとしても考えにくく、そうするとよく似た乗務員室の付いた荷物用の客 車だと思われます。そこで手持ちの資料をひっくり返してみたのですが、この列車 の3両目が写っていないので厳しいのですが、もし3両目以降に客車列車が続いて いるのならば、オユ10+ワサフ8000+雑客の急行『八甲田』が有力ではない かと思います。また、3両目以降も荷物車が続く事も考えられ、それならば東北、 上越筋の何らかの荷物列車という事だと思います(この場合2両目の車輛形式は断 定しかねますが、乗務員室の形状からやはりワサフ8000ではないかと思います)。 ただこの編成の並びから私は『八甲田』と見るのが正解ではないかと思うのですが。 当方の調査ではコレが限界ですがいかがでしょう、お役に立ちましたでしょうか? どなたかもっと詳しく判る方はいらっしゃいますか?
何か色々と噂が出てますが、今現在122は何処にいるのでしょうか? 豊橋・静岡<貨>・浜松工入場?・ 東海には若手で機関車を運転できる人がいないとか? 何せ客車無いですよね! 61の影でひっそりと消えてく運命なのでしょうか? では・・・・・
初めまして。女鉄道ファンです。EF58は好きです。 これからよろしくお願いします。 いきなりですが、トミックス2004ー2005カタログの写真についてです。 359ページの一番下に白黒写真がありますよね。 1両目がEF58ですよね。この編成について誰か知っていませんか。
なにやら122が廃車になるのではないか、などと不穏な事を 臭わせる輩がポツポツと出てきている昨今、切ない限りです。 辛うじて竜華の現役運用を写真に収め、未だに58の撮影行き になんとか現役の姿をダブらせようとする自分が空しくもあり 後ろばっかり振り向いている様な気もします。 今始まった方には唯の親爺回顧録みたいでしょうけど^^; 完全に出てきた下っ腹をなでなでしながら思う次第であります。 でも、結構雑誌とかには”現役時代を偲ばせる編成”とか、 ”往年の威厳復活”みたいな字が躍ってるってことはやっぱり 皆過去に囚われた”おやぢ”世代なんですかね?
待ちに待った(僕だけ?)KATO(N)のEF58試験塗色4両セットの出荷日が13日に 決まりましたね。14日の午後には店頭に並ぶのでしょうか。発売が発表されてす ぐに(まだJANコードも決まっていないのに)予約を入れ、キリンより首を長くして 待ち続けていました。早く日が過ぎてくれないものでしょうかね。遠足前日の子供の 様に今からそわそわしております。あぁ、待ち遠しい!!!
K.Aです。先日の尾久イベントで61展示で日章旗つきは定番だと思いましたが 期待したものは逆エンドでどんなHMがついているか気になったが、何と昭和 20年代風?の銀河のHMでよかったです。 日章旗と並ぶ定番のHM、つばめを付けるより全検出場したばかりの61としては 銀河のHMは新鮮に感じました。 だが私が期待したものは、2年前の禅の源流号(過去2回はHM展示あり)が 取り付けられず、しかも今年は展示までないことは残念だし、また22年前、 撮り逃した平和、あるいは旅立ちJR号などでも取り付けてくれれば感激した と思いました。 2週間前の61運転に感動した人は多くいましたが、私にとって、禅の源流号 挽回(その間、ああ上野駅号や信越線は撮っている)を2年間も求め、HMを 期待した私にとっては残念な一年でした。 最後に18日、高崎線での運転が予定されていますが、仕事かもしれないの で尾久が今年最後になるかもしれないので尾久で最後となれば、HMつき61を 求めた私にとって、今年撮り逃しが目立ったため鉄道趣味全体として不本意 な一年に終わったといえます。 来年こそは61のHMを撮るように努力します。また、今までの失敗を深く 反省しながら鉄道写真活動をしたいと思います。 今年一年ありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。
>EF5853様 わたしもオクの公開をいってきました。 ほんの10分ほどしかゆけませんでしたが、旗付きとは... ましてや両方の旗が日章旗。何年ぶりにみたでしょうか。 転車台にあるので、確かにパンタも上がっていませんし、残念な点は多かったのですが、 EF5853様の言う通り、夕方だったのでピカピカでした。 「このまま、走ってくれないかなー」と想像したのは、私だけでしょうか!?
こんにちは。 オクの一般開放から戻って参りました。 本日は61が転車台パフォーマンスのネタになっておりますが、日章旗つきであります。 残念ながら、センターには菊の紋章ではなく金ピカの"JR"マークではありますが。 また、区名表示は[田]ですが、[お召]表記は入っております。 台車のグリスは落とされてはおりませんが、まぁそんなものでしょう。 朝一の転回時は雲が切れていたためド逆光でしたが、その後曇って参りましたので あまり露出には気を遣わなくてすみそうです。 まだ開催されておりますので、お近くの方如何でしょうか?