大阪は阪神百貨店で、昨日まで鉄道模型フェスティバルという物が催されておりま した。先日行って参りましたが、天賞堂さんのブースに無塗装試作品が展示してお りました。私はNゲージOnlyの為、あまり詳しく見なかったのですが、皆さん に報告する為に、もっとしっかり見ておくんだったと反省しております。念のため そこに置いてあったビラを頂いてきましたがそれによると、EF15初期(奥羽線 復元タイプ)/EF15標準タイプ7窓/EF15最終タイプHゴム/EF16奥 羽線タイプ水タンク付/EF16上越タイプ の計5種類が出るようですね。それ ぞれの車高の違いも表現される様で、さすがにNと比べると芸が細かいですね。発 売時期に関しては‘年内お目見え’としか記されていないですね。
価格的には、3万円弱、生産数両500 各ヴェージョン合計といったところでしょう。
管理人さま、皆様、ご無沙汰いたしております。 私はどちらかといえば写真撮影派で、模型はNをボチボチという感じです。 しかし、最近はEF58の稼働率の著しい低下により、写真撮影に出陣する 機会が激減してストレス溜り気味の状態です。 そんな状況下、天賞堂のプラ製EF15に吸い寄せられそうな予感が……。 また、Nの旧型電機の製品化で定評のあるマイクロエースもHO部門に 進出とのニュースも耳にしました。 昔からHOには憧れていましたが、金銭的な面で踏ん切りがつかず今日に 至っておりましたが、価格と出来栄え次第では……と考えています。 1両でも購入したらそのままズルズルと引き込まれていきそうで、 残りの人生が大きく変わってしまうかも知れません。 ということで、私にとっては天賞堂のプラ製EF15の発売は人生の分岐点 になるほど重要な意味を持つ事になるかも……。 (ちょっと大げさかな?)
プラ製のEF15ですが、そもそも3月に発売予定のプラ製のキハ20系 ですがいまだに発売されていません。 そのキハ20系は8月以降の発売になると、聞きました。 ですから、EF15はそれから半月後、来年の発売になるようです。 しばらく鉄道関係から手を洗い、もう一つの趣味、米国ハワイ州の 観光・歴史深訪をしています。ホノルルではセスナ152の体験操縦 をしてみました。やはり実際に操縦するのとしないのとでは大違い、 「また飛びたい!!」と思っています。 ホノルルのTOY STOREを覗くのですが、以前には「リバロッシ」 のプラ製SL ELが格安で購入できたものが、全くSTOREにありま せん。プラモデルさえも5年前から消えました。(タミヤ・ハセガワ・ モノグラム等) 最近の子供はゲームばかりしていて、模型などには興味が無いようです。
管理人様 おはようございます。 <それってもしかして上巻でしょうか? はい。上巻のP148〜149にこの関係の記事が掲載されてます。 また、皆さん、天プラEF15の話題が上がってますが、かつて私も15年以上前にEF15・58の1/80ブラススクラッチにトライしていたことを思い出します。EF58は浜松の1・5・60に米原の36を、EF15は新鶴見・東京の一次型や9〜11を。エアタンクの台車への干渉から13mm化に加えて軸箱可動などとヒートアップの結果、10両もの未塗装廃車体が残っただけという惨めな結果となりました。中には窓さえ無いものもゴロゴロと! 以降、1/80模型は封印されてしまってます。プラだとやはり廂の厚みがまず気になりますね。さて、どんなものが出てくるやら!
皆さんこんばんは。PCの方の修理はまだあがってきません。う〜ん、更新できない…。(T_T) そんなわけで久々にMacをいじり倒してますが、やっぱり使っていて気持ち良いですね。 ここんところHPの関係などでPCばかり使っていたんで、この感覚忘れてました。(^_^;) Tiger入れちゃおうかな〜。(^^) >EF59素朴な疑問 皆さんのレスを見て、思わず目からウロコでした。今まで疑問にも思っていませんで、言われて みれば不思議ですね。 EF60登場の由来はC6217さんの見解が一番しっくりくる感じですね。文献でも当時ED60形の 系列としてEF60/EF61が計画されたとあります。 プレスのEF59ですが、図面を見るとSGは付いて無く、大きなMGらしき物が付いています。その為 車体は旧EF58より1600mm長くなっています。 これに関して電気機関車研究で有名な日高冬比古さんが検証しており、回生ブレーキ用でこのEF59は 上越線のスピードアップに計画されたものでは無いかとしています。 >747-400さま > 戦後の57のようにパンタを前方に突き出して、逃げるという > 発想はなかったのでしょうか? 57のようにパンタを突き出したEF15。なかなか勇ましそうですね。(^^) ただ、実際のところ57はパンタ台を100mm低くするのにSGの煙突が干渉する為ああなった ので、パンタ台を前に出せば低くなるわけではありませんね。 ちなみに、EF57と車体高さが同じEF15車体<高>のパンタ折り畳み高さは3961mmと パンタ台改造後の57よりも130mm低く、57に比べもともとパンタ台が低かったのが分かり ます。ゆえに車体とパンタとのクリアランスを得る為、車体自体を低くせざるを得なかったの でしょうね。 >タケチャンマンさま 「日本電気機関車特集集成」を御覧になったようですが、それってもしかして上巻でしょうか? (うちにある下巻を見てみましたがどこにもそれらしい記事が無かったもので…)(^_^;) >EF5853さま 見ました見ました。皆さんやりたい事は一緒だなぁ〜と思わずニヤリとしてしまいました。 58や15はやっぱり微妙に形態が異なるのがぞろぞろと沢山いないと寂しいですよね。 ところで天賞堂の15はどうなってんでしょうね〜?
今月のとれいんにちょっとですが58の特集が組まれています。 16番モデルですが、58の各号機(特定機ではないのもありますが)の力作が 掲載されています。 ボナやさいどらいんの活躍もあり、昔より特殊パーツは入手しやすくなったせいも あるのでしょう。 KATOの58が再生産されてベースには問題有りませんし。(例によってそう動きは 早くないし) すっかり模型とは御無沙汰してしまっている私・・・・
C6217様&タケチャンマン様、詳細な教示、誠にありがとうございます。 プレスアイゼンバーンの「EF59」の図面ちょっと見てみたいですね。 私の推測ですが、旧58に暖房用のボイラ&水タンクを搭載するために、 車体を延長した案が考えられたのではないでしょうか? 台車関係には手をつけず、15並みの短いデッキを付ければ結構様になる スタイルになったことでしょう。 53から改造の59ですが、定格速度が42kmなのに、平坦線で特急に引っ張られ て90kmで走行するから、50番台の番号とは国鉄の変なこじつけとしか 思えませんネ。 その際は電動機を開放して走行するのでしょうか? 素直に53からの改造車はEF17、56一次型からの改造車はEF19、二次型 からの改造車はEF20とすればスッキリ収まると思うのですが… それにしても「58」という数字はとても良い数字ですね。 機関車の中で1番悪い数字は54でしょうか? ED54・EF54・C54・DD54 どれも不遇をかこった機関車ですね。 EF58バンザイ!!
747-400様 C6217様 瀬野八の補機についてはD52の置き換え時にEF60・EH10・ED60なども候補に上ったようですね。しかし主にコストの兼ね合いからEF53に白羽の矢がたったようです。 さて、形式番号ですが、当初は最高速度が85km/h以下のためEF20を予定していたそうです。(EF17や19ではなかったんですね) しかし補機連結が広島であり、広島〜瀬野間の平坦区間で特急列車が90km/hとなるため、50番台唯一の空き番の59があてがわれたようです。 以上、鉄道図書刊行会「日本電気機関車特集集成」より EF59の改造が始まった1963年には既にEF60は誕生していたし、「半流線型の新58は本来EF59だから次に登場した電機はEF60」;ということは無いと思います。
プレスアイゼンバーン刊の『EF58』のP.229にデッキ付きで、旧形EF58の車体を 少し伸ばした様な形式計画図(昭和24年1月28日作図)が載っており、それの 形式が『EF59』となっております。有名な幻の蒸機、『C63』の様な物でしょうか。 それを考慮して、次に計画された機関車は『EF60』となったのでは?と思います。 それに『EF60』が登場した時には既に、先台車を廃止し新型の電動機を積んだ新機 軸の機関車『ED60』が活躍しており、その機関車をF級にした機関車ということも関 連づけて『新系列の電気機関車は60番台で行こう』と言った話が内部で在ったので は無いでしょうか?と言うのが私の見解です。 あくまで私の想像ですが皆さんのご意見はどうでしょうか?色々なご意見を伺いたい ですね。
旧58や15の100mm低いボディーですが、台枠を削るのは大工事だった事 でしょう。戦後の57のようにパンタを前方に突き出して、逃げるという 発想はなかったのでしょうか? さて掲題の件ですが、昭和35年岡山在住時、それまでC62 C59 D52の 独壇場だった山陽本線に、EF58やEF15が電化完成によって大挙して やってきました。旅客列車は全て58、貨物は全て15でした。15のむき出し の先輪はあまり格好が良くなかったですね〜。 やがて58や15に混じって栗色のEF60やEF61が姿を現しました。 「あれっ!59が抜けている!」そう思いました。 当時新系列の電機は60番台という発想はなく、1時間定格速度が65KM以上 の電機は形式番号50〜99となっていたはずです。 この疑問の対しクラスメートの一人はこう言いました。 「半流線型の新58は本来EF59だから次に登場した電機はEF60!」 なるほどと思いました。形態が全く同じでも、モーターの出力が変更に なっただけで形式が変更になった例(EF568以降とEF571)もあるので この説はかなり説得力があります。 昭和38年(1963年)、かっての東海道のクイーンEF53が歯車比を変更し 定格速度が42KMになったにもかかわらず、なんと59という番号が付けられ ました。 本来ならば、EF17もしくはEF19となるのが筋だと思うのですが…。 私の素朴な疑問です。 です。
>747-400さま > それにしても、15の調査結果はすごいですね!その探求心には脱帽です。 何と言うか、EF58はともかく15に関しては自分でやらないと誰もやってくれそうに無かった ものでして…。(^_^;) 車体の高低、車体の長いEF58では高い方が堂々としていて良いかもしれません。 私の場合、どうしてもEF15(EF13)のイメージがあるので、車体が低い方がスマート に見えてしまいます。 旧EF58についてはまとまった資料が少なく、模型化に際しては非常に困難が伴うのではと 思います。それを逆手にナンチャッテ仕様にしちゃうのも手かもしれませんが…。(^^;) 5号機のデッキってデッキ下全周が鋼板で覆われたタイプですよね?確かに独特な 形状ですね。 旧58のデッキは第1次改装前のデッキ(初期の高デッキも含む)、改装後の標準デッキ ともに、細かいところは各メーカごとに異なった形態なのでは?と推察しております。 この辺は初期のEF15も同様ですので、おそらくデッキ部などは基本的な数値だけを示して 細部の設計は各メーカに任せていたんじゃないかと思います。ちなみにEF15一次形だと こんな感じです。http://ef58.pos.to/EF15/15keitai/ichijikei-deck.html その他にも不思議なのが川崎製の前面昇降段に通常の1列のものと2列のものが混在して いるところです。資料で写真を見ると昭和22年5月落成の24号機が1列で昭和23年7月落成 の26号機は2列になっており、同じ川崎製のEF15一次形が昭和22年7月からの落成で全て 2列になっており、おそらく最初のEF15が登場するまでに仕様が変更されたのだと想像して おります。 この辺り、旧EF58全機の写真を網羅して比較検証してみれば色々と判明する事も多いと 思いますが、過去にも、まとまった資料としては無いようですねぇ。現物が残っていない 以上、写真だけが頼りなんですが…。 EF15は基本的には廃車時まで製造時の形態が残っていたのに対し、旧EF58は昭和32年までに 全機第2次改装(車体乗せ換え)を受けた為に旧車体時代が非常に短かく、また戦後の混乱期で 世の中が落ち着く前だっただけに写真があまり残っていないんでしょうね。
kobaneko@管理人様 早急なるご教示、誠にありがとうございます。 それにしても、15の調査結果はすごいですね!その探求心には脱帽です。 低いタイプの車体がお好きのようですが、私には「ノートルダムの○○男」の ようでずんぐりむっくりに見えるのですが。(C57も同様) さて旧58の5号機ですが、車体はほぼ完成しました。デッキですが、日立製の デッキは独特な形をしています。他のメーカーのよりもずっと格好いいですね。 ただこれを模型化するのは大変です。天賞堂のものを改造しようとしたのですが、 大工事となるので断念しました。自作するつもりですが、もし失敗したら同じく 全面ひさしが上方についている、2号機にするつもりです。(せっかく以前に 調達した「ホビーショップ ケン」の先台車が無駄になります) ただしナンバーがありませんので、5821の1をギリギリのところで切って 使用するつもりです。(ピノチオ製) それにしても日立製のデッキはどうして他のメーカーと相違しているのでしょう?
>747-400さま 仰る通り旧EF58をはじめ、同時期に製造されたEF15、旧EF58の車体を譲り受けたEF13も車体断面の高低が あります。これは新電化区間(奥羽本線)のトンネル断面に合わせる為に途中から車体台枠を100mm削ったと 言うものです。奥羽線とは関係ないEF58もなぜ?と思いますが、御存知のとおり旧EF58とEF15は車体は同じ なので、両者共通に低くなったものと思われます。 ちなみに車体の高低とエアフィルタの関係は、EF15では一致していません。 見分け方も含めてこの辺りの詳細については弊サイト内のEF15のページの「EF15一次形 形態解説」 (http://ef58.pos.to/EF15/15keitai/EF15-type01.html)の「車体断面の高低」をご参照下さい。 また、EF13、EF15については各機の紹介ページで車体の高低、エアフィルタの大小について紹介して います。EF13をご覧いただければ該当する旧EF58の車体の高低もお分かり頂けます。 ちなみに私は車体断面が低い方が精悍な感じがして好きだったりします。(^^;)
現在天賞堂の下回りとひかり模型の上回りを利用して、旧58の5号機を製作中 ですが、旧58を調査すると、車体の高さが2種類あるようです。 車体が高いものは側フィルタ−が大、車体が低いものは側フィルタ−が小で、 高いものと低いものとの差は100mmだそうです。 識別点はデッキ上の正面ドア−下のステップの高さです。車体低のものは正面から 見ると横長で格好良くありません。なお5号機は車体が高いタイプです。 混乱期に製作されたせいでしょうか? EF15も同様に高いものと低いものがあるようです。
うーっ…。ネット関係を中心に使ってるWindowsマシンが壊れました。 正確に言うと自分で壊したんですけど…。(^^;) 今は久々にMacから書き込んでます。 HPの更新も終わって後はアップだけ…と思った矢先でした。前面のジャックにヘッドホーンを 刺したまま移動する際にヘッドホーンケーブルに足を引っ掛けてジャックを破損。それだけ なら大したこと無かったんですが、自分で何とかしようと中をいじくっているうちに電源スイッチ とマザーボードを結ぶコネクタを損傷! 電源がはいんなくなっちゃいました。(T_T) データ類は外付けハードディスクに全てバックアップを取っているので問題無いんですが、 修理に2週間くらいはかかりそうなのでHPのアップはしばらくお預けです。(;_;) >パックマンさま トロッコ撮影お疲れ様でした。1日で1000kmとは…。かつての浜松荷物列車運用みたい ですね。 トロッコ、涼しくなったら一度くらいは行きたいところですが、その頃はまたぞろ仕事が 忙しくなる頃なんですよねぇ〜。それはそうとトロッコはぜひ一度乗ってみたいところです。 >単回もなかなかさま お久しぶりです。 私もすっかり鉄分0パーセントの日々が続いております。(表向きは) 「彗星」も廃止が決まり、いよいよ東海道・山陽ブルトレ全廃も現実味が増してきましたねぇ。 何とも寂しい限りですが、現状を考えると存続は厳しいかもしれませんね。 >ひろさま 初めまして。今後ともよろしくお願いします。 山陽本線でEF15貨物があった頃と言うと、かなりのベテランさんでしょうね。 EH10は登場時からその個性的な姿から結構ファンが多かったようですが、晩年は意外と雑誌の 特集もあまり無く資料に恵まれない印象がありますね。(この辺、EF15はもっと寂しい) かくいう私もEH10に関しては真面目に撮った写真は皆無に近かったりします。その頃は 15・58を追っかけるので精いっぱいで、フィルムを節約するために撮影しなかった事が 多かったかも知れません。 そういう訳でやはり思い入れのある方にぜひお願いしたいところであります。 >M4-Pさま 飯田線、お疲れ様でした。 走る風景や牽く車両は異なっても、あの音と匂いはまぎれも無く現役当時と同じなんです よねぇ。その辺りは映像や資料ではなかなか伝わらない部分だと思います。そういった意味でも 今の時代に現役である事の意義は大きいと感じます。オールドファンには懐かしく、若い方には 旧形電機の魅力を発見してもらう良い機会ですね。(これは蒸機や旧客にも言えますが) >kitakamiさま 20系に限らず、資料は一つだけだと不明な点や間違いがあったりでなかなか難しいですね。 私もできるだけ複数の資料を参照するようにしていますが、時代によって記述が異なっていたり で何とも…。(^^;) そこから時代背景などを加味して色々推理していくのもある意味楽しく、趣味の 醍醐味とも言えますが。
>C6217様 ご回答ありがとうございます。私も判断に迷ったところだったので、 助かりました。ピクトリアルのNO444(85−3)「20系特集」には、 記載頂いた文章の前半(落下式から外開き式に変更)の記述でしたので、 新しい方に詳しく載っていた訳ですね。20年経っていますから、 再編集したところでしょうか。 落下式では、確かに気密性に難がありそうですね。 今後とも宜しくお願い致します。
20系の非常扉の改良、改造の理由は、気密の上で問題があったからのようです。
>kitakami様 EF58についで私の大好きな20系寝台車についての質問ですね。ピクトリアルbV63 (2005/7月)のP.31の左側下部に非常口についての記載があります。『「はや ぶさ」用増備車・・・・非常口を落下式から外開き式に改めた。その後、「あさかぜ」 「さくら」用も外開き式としたほか、ロネに対しても改造された。』つまり、初期の車 輛に関しても外開きに改造されたと私は解釈しております。因みに、当方所蔵の『鉄道 ファン/bQ01/特集:20系ブルートレイン』のP.20に非常口の改造された〔ナロネ 202〕の写真が載っていて、間違いないようです。
kobaneko@管理人さま ご回答ありがとうございます。59号機の写真をお送りさせて以来になるかと 思います。。祖父は90も過ぎて、まだ元気にやっております。 さすがに目が悪くなっていて写真を見ていないのに、写真のことを聞いた時には、 工場内なので、輸出用(?)の機関車用に3本敷設(狭+標準)されていることを 覚えているなど、私も驚いた覚えがあります。 床下グレーは確かにいつの製造から変わった等の記載がなく、順次変わって いったということになるのでしょうね。 「はくつる」の頃は黒ということで再現してみようと思います。。 質問になってしまい恐縮ですが、20系客車で「はやぶさ」製造分から非常口が外開きに なった旨の記載がありました(ピクトリアル)が、それ以前の落下式であった ものは、その後外開き式に改造されたのか、機能は問題ないので、初期型は 改造されずに使用されていたのか、ご存知の方がお見えでしたら ご教授頂ければ幸いです。 皆様、残暑お見舞い申し上げます。。
本日出撃して参りました。 全く土地勘の無い路線、昨日からの徹夜明けにも関わらず、気分良く撮影が楽しめました。 ファインダーの中で走る58を見るのは何年ぶりかは忘れましたが、レールの軋みやジョイントの通過音は当時のまま。 近いうちに再訪するつもりです。
58&15型が丹念に丁寧に取り上げられていて最高ですね! 個性的な両機が山陽本線で貨物や、団体列車を牽引していたころ 魅了されたものです。 さらに、EH10なんかも取り上げていただければありがたいです。
>C6217様 70号機…?といえば…そうだ!側面の昇降手すりが短いことが特徴でしたね。と 思って見れば、くだんの被写体はまさしく手摺りが短いタイプで、70号機に間違い ないようです。ありがとうございました!
>単回もなかなかさま ご無沙汰しております。 さて、問題のトロッコですが、8/16日までは毎日運転で、偶数日がEF58122で、 奇数日がED182です。 しかし、ED182は8/5に故障したとの事で、その後はどうなっているかは不明 です。16日以降の運転日は、8月一杯は毎週末土日、9月は17〜19、23〜25 の両3連休が予定されています。16日以降のカマは今月のダイヤ情報に掲載 されるでしょう。 と、言う事で、私が訪れた日は茶色のカマが入っておりました。 カマによっては9月の3連休のどちらかに、もう一度遠征したいと思ってい ます。 ロクイチが大宮に入ってもうすぐ1年、58見たさの禁断症状が抑え切れなく なってきているようです。(^^;
管理人さま、皆さま、大変ご無沙汰しております。 61が本線を走るかもしれない、という少しばかりの緊張感さえない日々が かれこれ11ヶ月程度も続いているので、最近はすっかり一般人と化しています(?) と言いつつも、今朝は近所で4レ出雲を!と意気込んでフラッと出掛けていたりして。 でも通過直前の現着のため、見る鉄。。(ゴハチネタでなく、すみません) >パックマンさま ご無沙汰しております。 トロッコは私も最近気になっていたのですが、 ゴハチがどのくらい当番しているのかが全くわからず、悶々としておりました。 実際のところどんな感じなのでしょう??(ダイヤ情報もあまりまともに 見ていない今日この頃。。) パックさまが行かれた日の色は茶と青のどちらだったのでしょうか? あぁ、ロクイチの走行をファインダー越しに見たい。。
懐古話で盛り上がってる所へ恐縮ですが・・・ 先週末の土曜日に、飯田線へトロッコファミリー号を撮影に行って来ました。 なにせ北関東から自家用車での遠征ですので、疲れたのなんのって。 走行距離は自宅ー中部天竜往復で1,000Kmを超えました。走行時間も往復12時 間と、なんとも・・・ 肝心の撮影報告ですが、人出も首都圏でのパニパニと比べ雲泥の差。 実にまったりとしていて、本当に58が来るんかいなアと言う感じです。 トロッコの方も観光列車と言う事で、のんびり走って来て、場所によっては このまま止まってしまうのでは?という場面もありました。 中部天竜での機回しも、実に普通に行われていて、牽く客車こそトロッコで すが、実に現役っぽくて良かったです。 真夏の遠征と言う事で、中部天竜での蒸し暑さ、沿線の下草に少々悩まされ ましたが、また訪れたいと思わせるロケーションでした。
>クモイ103さま 大窓って言う事で、私はその正体は70号機だと思っております。10,20,30 ,40,50,80号機は青大将になっていませんし、60号機は言わずと知れたお 召し予備機ですし、大窓で青大将で二桁番号でしかも1の位が0なら70号機しかい ないはずです。90号機はご指摘通り小窓ですからね。
皆様こんばんは。いつも質問ばかりで恐縮ですが、またゴハチのことでご教示を仰 ぎに来ました。 Rail Magazine 2005年9月号のP.39に、青大将色ゴハチの走行写真があり、キャプ ションに「EF5890牽引…(中略)…'61.7.20」とあります。これが本当なら、以前ご 質問させていただいた「青大将特急廃止後の青大将ゴハチ」の貴重な証拠写真!とい う事になるのですが、被写体のゴハチは大窓車で、90号機というのはおかしいです。 この写真のゴハチのナンバーを特定できないでしょうか? >kobaneko@管理人様 幻の展望車を連結するのですから、その他にも戦後の客車史で「幻の…」といわれるものをいくつか盛り込んで製作するつもりです(^^)。
皆さん、お久しぶりです。やっと仕事の方も一段落です。 と言うことで溜まったレスを…。(^^;) >M4-Pさま ラーメン屋さん?が購入されたんですね。今後、どういった形で保存される のか興味深いところです。 >東オクさま お尋ねの件は既に解決ですね。 ちなみにカニパンジャンパ栓(KE59)付きの一般色機ですが、他にも当サイトに EF5853さん撮影の123号機があります。 EF58特急色に限らず、1950年〜1960年代くらいの写真はあまり見かけませんね。 探せば結構あるんでしょうが、個人個人のHPでチョコッっと紹介されていたりで、 資料としてまとまった形になったものが無いためでしょうね。 >C6217さま いつも書き込みありがとうございます。 東京区のEF58による「はくつる」牽引は列車登場後1年間、20系の受け持ち区が品川だった からで、それ以降は宇都宮の担当になっていますね。58号機牽引の写真が1965年10月以降 だったら担当が変わってからの物かも知れません。 >kitakamiさま お世話になっております。 台車のグレーから黒への切り替え時期ってゴハチをはじめ、20系、151系ともに はっきりしないような気がします。常識的に考えれば検査の時に順次塗り替えた んでしょうけど…。151系では昭和35年登場のクロ151は黒で落成してますね。 20系では「はやぶさ」用として昭和35年に登場したカニ22はグレーですので、 恐らく「みずほ」用から黒くなって登場しているのではないでしょうか? 多分、「はくつる」登場の昭和39年10月にはEF58、20系共に黒くなってるんでは 無いかと思いますが…如何でしょう? それにしても床下グレーに関しての記事を見ると、いつも「保守側からの反対で 黒にした…」と言う記述を見ますが、ホントに保守する上で不具合があったん でしょうかねぇ…。汚れてしまえば一緒の気もするんですが。(^_^;) >青列車さま 66号機にもそんな逸話があったんですね。 EF58の事故廃車ゼロには当時の国鉄の置かれた状況もあったんでしょうね。 今のように客車列車の減少が激しい頃であったなら、事故後の復旧も少なかった かも知れませんね。 >アドバンさま 初めまして。 天賞堂プラEF15・EF16、楽しみではあります。が、過度の期待は禁物かも。 と言うのも先輪軸箱が内箱式で前端バリが先輪内に納まった形状のEF15は、16番 ゲージであの雰囲気を表現するのはかなり困難と思えるからです。 ブラス製の初期形EF15(福米形)を所有していますが、その辺りはやはりちょっと 厳しい物があります。でも、雰囲気は充分EF15してるので充分ですが…。 天賞堂ならではのアレンジに期待ですかね。 >大ミハさま 初めまして。 112号機にそんな事があったとは…。おそらく真相はその辺りでしょうね。 貴重な書き込みありがとうございました。 >クモイ103さま > 「幻の客車・マイテ30」で、幻の特急列車編成を計画中です。 それは楽しみですね。一体どんな編成になるんでしょう? >宇都宮 高二さま 私は車のナンバー見ると、ついついカマの顔を思い浮かべてしまいます。(^^;) 58-61や58-89はあまりにメジャーなので驚きませんが、まれに58-31とか58-53とか 見つけると「オォッ!マニアック!」とか叫んだりして…。でも、運転してる人は どう見ても鉄では無い人と…。(^_^;) >オルセンさま お尋ねの件、青列車さんの書き込みにあるとおりです。個々の番号ごととなると これはもう当時の検査入場記録でも見ない限り分からないかと思います。 当時の工事記録、私も見たいです。(果たしてどこまで記録してあるのかは不明 ですが…) 「EF58ものがたり」執筆時には各工場の工事記録を詳細に調べたと聞きましたので、 当時、編集に関わった方、もしくは鉄道ファン編集部内にはもしかしたら当時の データが残っているかも知れません。もしあれば、多少、高価になっても構わない ので是非出版して欲しいですね。 >銀河鉄道555さま 「ザ・ラストランナ−ズ4」の73号機の宇都宮時代の写真は昭和47年5月ですね。 当サイトに掲載のY.Nishinoさん撮影の青色の同機の写真の撮影が昭和47年8月なので その間に塗り替えられた事になりますね。 そう言えば「ザ・ラストランナ−ズ4」に東京区時代の昭和41年1月に撮影された 一時青色になった73号機の写真も載ってましたね。
EF5873ですが確か宇都宮区に移動後もしばらくは、ぶどう色だったみたいですね。ザ・ラストランナ−ズ4に電暖化後もぶどう色の写真が載ってました。
訂正します。EF5873の塗装変更は1871年の東京区→宇都宮区への異動の際に行われた とのことです。このサイトに回答がありました。 お詫びついでに申し上げますと、早い時期に塗り替えられたカマとしては94号、135号 を挙げておきます。94号は映画「霧の旗」の冒頭で、また135号はNHKのドラマ「駅」で それぞれ新塗装で画面に登場しています。前者は昭和38年、後者は昭和40年、の作品で いずれもモノクロですが…(って塗り分け線がはっきり出ますから間違いありません)。 塗り替え作業そのものは、検査入場の際順次行われたものと思われますが、何号機が いつ頃塗り替えられたか?となると各工場の履歴を調べる必要がありそうです。40年 前の工事記録が今も残っているとは考え辛いですが…どなたか資料をお持ちの方があ ればご教示いただけましたら光栄です。
お邪魔しますm(_ _)m >>オルセン様 お尋ねの件、タイトルだけで済んでしまいそうですが、確か昭和42(1967)〜43(1968)年頃まではかかったものと思われます。交友社刊行のEF58ものがたりには、1967年撮影とある、茶塗りの上越型の写真がありました。尚、EF5873は、EF5861の予備扱いとされ、もうしばらく茶塗りのまま残っていました。とはいえ、それも1970年頃までには青塗りになっていたのでは?このカマの色の変わった時期については寡聞にして存じません。
はじめまして。オルセンと申します。 突然質問ですが、EF58の一般色化は昭和40年(1965)には完了したのでしょうか? よろしくお願いします
皆様・管理人様お久しぶりです。いつもウヲッチだけはさせて頂いてます。 皆様からの生きたゴハチ情報には本当に感銘しております。 さてさて久々にカキコが無いようなので、最近思う事をカキコ させて頂きます。 49年前の本日8月3日 日立で89号機は落成しました! これは人間で言うと誕生日?となりますね。 私事で恐縮ですが、私も今日誕生日なんです。 そんなことを学生時代から知っていたので 89号機には愛着や親しみがあったりします。 そして私の上司は昭和28年の7月生まれで、 61号機と生まれがピッタリ! 私の心の中では現役バリバリのうるさい61号機(上司) まだまだ若いじゃん!そう連想してしまう私が居ます。 また、ゴハチファンの方って数字暗記強いかと思います! いかがでしょうか? 皆様、頭の中に175号機迄の個性を把握されてるでしょうから〜 例えば【100154】と単純な数字でも100宮+154宇 荷2033レ う〜んカッコいい!なんて連想しちゃったりしませんか? 私はいつまで経ってもゴハチが頭に焼きついてるって仕事中実感します。。 すみません!こんな内容ですが、 共感して下さる方いらっしゃいますでしょうか?^^