EF58&EF15の掲示板 過去ログ(2005年7月)

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Re:112号機 飾り帯
投稿日 7月27日(水)02時50分 投稿者 まーる
>大ミハ様
ここ十数年の疑問が解けました
(といっても、最近まですっかり忘れていましたが)
有難うございます。
58年というと廃車の前年ですが
それでもきちんと修理をしていたんですね。

参考にします
投稿日 7月26日(火)21時47分 投稿者 東オク
クモイ103さん、ありがとうございました。
早速拝見したいと思います。
EF58特急色の画像って、ネットで検索しても簡単にはありませんね〜・・・。

Re:カニ22画像求む
投稿日 7月26日(火)00時29分 投稿者 クモイ103
>東オク様
 カニ22を含めて、客車関係のマル秘画像その他のディープな(?)情報は、下記サ
イトの掲示板で、そこの管理人様やその筋の人たち(^^;にコンタクトをとってみら
れてはいかがでしょうか。抜けられなくなっても知りませんが(笑)…。

・HP名:客車空気調和装置資料室
・URL:http://cu1.web.infoseek.co.jp/index.htm
 (トップページ左側フレームのメニュー「両用掲示板」へどうぞ)

>kobaneko@管理人さま、皆様
 その節はお世話になりました。現在、某Nゲージガレージメーカーから発売予定の
「幻の客車・マイテ30」で、幻の特急列車編成を計画中です。牽引機には、こちら
でご教示いただいたゴハチの情報を活かしたいと思っております。

カニ22画像求む
投稿日 7月24日(日)23時05分 投稿者 東オク
C6217さん、ありがとうございました。
先程HPに掲載していた148号機の画像を拝見しました。
一般色では見事に撤去していましたね。
特急色とカニ22、全盛期には壮観だった光景が晩年には寂しい光景だったのですね。
趣向とは違うかもしれませんが、カニ22画像が見たいですが、どなたかありませんか?

カニパンのジャンパ栓
投稿日 7月24日(日)17時41分 投稿者 C6217
>東オクさま
カニパンのジャンパ栓は昭和49年頃から撤去が始まったようです。従って大部分の
ブルトレ色経験機は一般色になってもジャンパ栓を付けたままでした。撤去完了がい
つ頃かは存じませんが、だいたい2年程で全て撤去されてしまったようです。ちなみ
にこのHPで一般色になった148号機に付いているジャンパ栓が「6348レ」さん
の写した写真で確認出来ますよ。

112号機 飾り帯
投稿日 7月24日(日)12時00分 投稿者 大ミハ
皆様 はじめまして。
先日話題になった 112号機2エンド側の飾り帯ですが、
昭和58年頃(記憶あいまい) 米原駅構内で北陸線からの臨時列車(確か12系)に連結する際に
接触事故を起こしたはずです。確か上り方面(名古屋向き)牽引予定でしたので、下り方エンド
(2エンド?)の前面を破損しています。
推測ですがその当時すでに廃車予定、もしくは廃車発生のカマから飾り帯を移植したのでは...

お礼です
投稿日 7月23日(土)21時20分 投稿者 東オク
C6217さん、管理人さん、どうもありがとうございました。
KATO EF58特急色のナンバーに148号機があったので質問しました。
148号機は、はくつる牽引した事がありそうなので黒台車にして再現したいと思います。
ちなみに特急色20両は一般色に塗装変更しても、カニパン制御ジャンパ栓はあったのですか?

148号機の履歴
投稿日 7月23日(土)04時38分 投稿者 kobaneko@管理人
皆さん、こんばんは…と言うかお早うございます?


148号機の履歴について、私もちょっと調べましたので、取りあえずその件のみ。

同機の新製配置は「EF58ものがたり」、プレスアイゼンバーンの「EF58」、鉄道図書刊行会の
「電気機関車特集集成」で東京になっています。「EF58ものがたり」には廃車年月日も出ています。
ちなみに、これら3誌で92号機は31.10.28に宮原に転属しており、プレスのブルトレ塗装の項の
説明と矛盾しています。他のブルトレ塗装機の配置も各誌で調べましたが、92号機が宮原、
148号機が東京となっており、この2両を取り違えてプレス「EF58」の記述が間違ったのでは
無いかと思えます。そうすれば148号機が浜松工で特急色になったのも納得できます。

はじめまして
投稿日 7月23日(土)00時59分 投稿者 アドバン
アドバンと申します。初めまして。宜しくお願いします。
天賞堂プラのEF15/16楽しみですね。
憧れの釜がやっと手に届く感じがしますw

事故廃車0は立派
投稿日 7月22日(金)22時58分 投稿者 まーる
>管理人様
レス有難うございます。
112号機ですが「EF58ものがたり下巻」の246ページの
101、83号機と並んでいる写真では2エンドの飾り帯が
「|」つなぎになってるみたいです。(ちょっとよくわかりませんが)
もしそうならこの写真が'79年撮影ですから
変化があったのはそれ以降のことみたいですね。

青列車さんも書かれていますが
本線を高速で走るのに事故廃車が無いのは
立派なものだと思います。
現場の方々の日々の努力の結果かと。

EF58148の履歴
投稿日 7月22日(金)21時30分 投稿者 C6217
製造:昭和32年12月13日(東芝、製番302501-3)
使用開始:同上
移動:32.12.13 東京区
43.11.29 新鶴見区貸
43.12.10 東京区返
44.12. 5 新鶴見区貸
44.12.25 東京区返
46. 7.30 宇都宮運転所貸
46. 8.21 東京区返
49.12.29 宇都宮運転所貸
50. 1. 8 東京区返
   廃車年不記載
手持ちの資料によるとこのようになっています。しかし疑問ですね。35年に浜松に
て特急色になったとなっていますが、特急色時代は宮原のはずなんですが。138〜
151号機は148号機を除き全て新製配置が宮原となっているので、他の資料とごっ
ちゃになっている可能性有りですね。この辺りご存じの方はいらっしゃいますか?

EF58 148
投稿日 7月22日(金)06時34分 投稿者 東オク
皆様、回答ありがとうございます。
一般・茶色のカマも牽引したそうなのでバラエティーがありますね。
さて、また質問で失礼します。
EF58 148号機は特急色であるのはわかるのですが、
色々な資料を見ると、宮原時代と東京時代とあります。
正確な所属は何処だったのでしょうか?
また、最初から最後まで細かい配置年代が知りたいです。
よろしくお願いします。

【EF58】それでも事故廃車0はご立派かも…
投稿日 7月22日(金)00時39分 投稿者 青列車
連続書き込み失礼しますm(_ _)m
>>管理人様
浜松区にあって数少ない上越型ヒサシ装備車(他には52号機ぐらい?)で、鉄道ファン誌の
75年4月号でしたっけ?巻頭グラビアページに、急行1101レ(桜島・高千穂)をエスコート
し颯爽と東海道を走る雄姿が大きく載っていた67号機には、そんな大変な時期もあったの
ですね。ただ、いずれも致命傷にならなかったのは不幸中の幸いでした。

EF58の事故と言えば、後に竜華機関区一の器量良し?として名を馳せたEF5866も被災して
いますね。客車ファンの間では、その事故復旧車が特異な変形車として有名な東田子の浦
での踏切事故、その時被災した列車を牽引していたのがこのカマだった由。よりによって、
ガソリンやペイントを満載していたトレーラートラックが踏切で立往生していたところに
突っ込んでしまい、弾かれたトレーラーが3両目のスハ32の床下に巻き込まれ、不幸にも
引火してしまったからさあ大変!とはいえ、事故現場付近にはたまたま国鉄職員達の官舎
があり(官舎か否かは覚えていませんが、保線関係の職員の住宅があったとのこと)、事故
発生を知った在宅職員(含む家族)諸氏が馳せ参じ救助活動を行った結果、被災規模が大き
かった(客車数両が炎上)割には奇跡的に犠牲者を出さずに済んだとの事(被災列車が修学
旅行の臨時列車だっただけに、乗客の生徒に犠牲者でも出ようものならどれだけメディア
に叩かれたやら…丁度紫雲丸の悲劇もこの年にあっただけに…。

この時もしもEF5866が火焔に包まれていたら?或いは後の紀勢線での人気は出なかったか
も知れません。否、青大将カラーになって特急運用に就く事も叶わなかったかも知れませ
ん。もっとも、当時増備が続いていたEF58のこと、運用に余裕が無い時は無理してでも修
理したのかも知れません(代替新製?)。

後に東海道線で大きな踏切事故に遭遇し、乗務中の機関士が殉職してしまうほど運転席を
大きく損傷したEF65502はその後復旧され今もJR貨物更新色を纏ってはいるものの現役
を続けていますがこのカマも当時(1967=昭和42年)運用が逼迫していただけに復旧された
のでしょうね。逆にC624やクロ151-7などは、踏切事故のあと復旧されずに結局「殉職」し
てしまいました(前車は運用に余裕があった。後車は復旧させても間に合わない=復旧が終
わる頃には東海道特急は新幹線に置き換わっている=被災時期が1964=昭和39年7月で復
旧まで約4ヶ月後即ち11月頃)。

あとは…確かEF5851でしたっけ?上越線か高崎線で踏切事故に遭遇した写真が、新聞の年鑑
に掲載されていたのを見た記憶があります。

ブルトレ色、台車グレーのEF58と20系
投稿日 7月22日(金)00時16分 投稿者 kitakami
こんばんわ。こちらでは始めましてということになります。
kitakamiと申します。
Nで20系「はくつる」を再現しようといろいろ調べていますが、
最近の鉄道ピクトリアル(2005/7)の20系特集等を見ても、
当初は床下を灰色2号とした旨(新製時(「あさかぜ」用)の概略)
部分に記載がありますが、その後の年度ごとの記載には色彩についての
記載がなく、EF58の特急色の台車色と合わせて、グレーか黒かで
分からなくなってしまっています。
写真も汚れているのか、黒なのか、、判別が困難で。。
上記特集のP59には特急色「はくつる」、148か149に見えますが、
次がパンタ撤去のカニ22に見えます。1964/11/1撮影とあり、
カニ22−51(1963以前)カニ22−52・53(1965−10)、
カニ22−1〜3(1968−10)、、ということはカニ22−51?
ちょっとEF58からはずれましたが、当初は、特急色=グレー台車、
ネットでは順次黒になったとの記載もあり、「はくつる」運転開始の頃は
どうであったのか、何か情報をお持ちの方が見えましたら、
ご教授頂ければ幸いです。
また、鉄道ファンの93−11「20系特集」では124号機の
「はくつる」写真があります。

【20系】P型限定はヨンサントオからでは?
投稿日 7月22日(金)00時11分 投稿者 青列車
お邪魔しますm(_ _)m
>>C6217様
横レス失礼しますm(_ _)m
さて、ご発言にあったP型限定はもしかしてEF65-500などの、所謂増圧型ブレーキの事でしょうか?
(20系の場合AREBブレーキ)
これは確かヨンサントオ(1968年=昭和43年10月)改正から20系がAREBブレーキを使用して最高時
速110キロ運転を行うようになったため、MR管引き通しが必要となり、機関車運用が限定されたもの
です。EF65の500番台、1000番台、ED75、ED76、EF70の各1000番台などが該当します。それ以前は、
20系客車をたとえEF65の500番台で牽引して、東海道・山陽線を走る場合であっても、最高時速は95
キロに抑えられていました。

所謂ブルトレカラーのEF58の最大の特徴はカニパンスイッチですから、カニ22を使う列車には、最優先
で充てられましたが、マニ20(カニ21?)が所定のはくつるの場合、その必要は無く、茶塗りのカマでも
堂々と牽引していたものです。
(カニパンスイッチのみならず、連絡用電話の都合もあったとは思いますが、そちらはあまり重きを置か
れていなかったのでしょうか?)
尚、文献でその写真を見た記憶があるだけの事ですが、ブルトレカラーの124号も、はくつる牽引経験車
のはずです。

=閑話休題=
重箱の隅をつつくにも程があるような話ですが…
21日発売のRailMagazine誌、39ページ上段、青大将EF58の牽く急行銀河の写真キャプション…
説明文ではEF5890とありましたが、写真のカマは原型大窓です(EF5890は確かに青大将カラーで
したが、原型小窓でした。或いはEF5870とあったのが手書きメモか何かで見間違えたのか?=EF
5870なら青大将時代は原型大窓でした。EF5850だと青大将になってないですし、EF5860は言わず
と知れたお召し予備機でしたから当然違いますよね)(^^);
あ?35ページ下段の九州内を走る特急彗星の写真のキャプションも、新大阪を目指す3002レとあ
りますが、ED76の次位にカニがいるのでこれは新大阪発の下り列車では?

…そう思うなら出版社に言わんかい>ぢぶん(殴)

お目汚し失礼しましたm(_ _)m

度々済みません
投稿日 7月21日(木)22時51分 投稿者 C6217
122号機もはくつるを牽いていますね。多分他にも多数在るでしょうね。

ブルトレ色のゴハチ
投稿日 7月21日(木)22時41分 投稿者 C6217
>東オク様
お尋ねの件ですが、手持ちの資料によると、東京区配置でブルトレ色になったゴハチは
92,114〜117,119,122〜124,154の計10両です。ちなみに宮原区では97,101,128,138,
139,142〜144,148,149の同じく10両が塗り替えられました。塗色変更は1960年4月頃
から始められ、1963年12月には一般色に順次塗り替えられていきました。この頃ちょうど
EF58はブドウ色から青15号にクリーム1号の前面警戒色への変更期に当たったので、ブルー
の一般色にされていった様です。1966年頃には全て塗り替えられてしまった様です。もう一
つの件ですが、今手元にある資料を見ると154号機が牽いている写真の載った本がありました。
しかし宮原区所属であるはずの148号機が牽いている写真も見つけましたし、ブドウ色ですが
当時宇都宮配置の58号が牽引している写真も見つけましたので東京区のEF58の限定運用では
無かったようです。また『はくつる』登場時には20系客車はP型限定運用は解除されていまし
たから、ブルトレ色の限定運用ではないので、ブルーの一般色の152号機が(もちろんヘッド
マーク付きで)『はくつる』を牽いている写真もありましたよ。

初めまして、質問します
投稿日 7月21日(木)11時46分 投稿者 東オク
皆様、初めまして。
最近EF58に興味を持ち、検索してここに辿り着きました。
知りたい事がありますので質問します。
1964年(昭和39年)10月ダイヤ改正で「はくつる」が誕生しました。
その時東京機関区EF58特急色が牽引したのを知りました。
「はくつる」を牽引した特急色のカマは何番だったのでしょうか?
それと当時東京機関区に特急色のカマは何番が在籍していたのでしょうか?
よろしくお願いします。

鉄道ラーメン
投稿日 7月16日(土)00時29分 投稿者 M4-P
http://page.freett.com/anotoki_kokutetu/myweb/seshun18.html

例の車両の現在の様子がレポートされています。

レス
投稿日 7月14日(木)02時22分 投稿者 kobaneko@管理人
皆さん、お久しぶりです。
またぞろ忙しくなって参りました。(^^;)

>C6217さま
ご報告、ありがとうございます。

件のクエですが、元の客ドアは残っていたようで、それを閉じて屋根を足した
ような感じですね。

>やんこさま
ついにNゲージ大手メーカーから試験塗装機の販売ですか…。何とも感慨深い
ですねぇ。(小ロットの16番ではありましたが)

各種手すりやつらら切りの有無、ランプケースの大小など、一体どこまで当時の
姿が再現されるか興味あるところです。

>まつさま
願わくば、そうした保存機やカットボディも末永く残って欲しいと思います。

>TMFさま
う〜ん、どうなんでしょうねぇ。
写真を見る限り、どちらも正常?のように見えますが…。

>200SXさま
初めまして。今後ともよろしくお願いします。

お尋ねの件ですが、残念ながら私もそこまでは分かりません。
物心付いた頃にはもうそうなっていたように思います。

>タケチャンマンさま
こちらでは初めましてですね。いつもお世話になっております。

高崎のEF65国鉄色もそろそろ終焉でしょうか?
国鉄時代の面影が少しずつ消えていくのを見ると、少々寂しいですね。

>Denchuさま
う〜ん、凄い量ですねぇ。お宝画像もちらほらと見受けられ、いつもながら
感心させて頂きました。(^_^)

>まーるさま
111号機の抵抗器室カバー、解答が出て良かったですね。

> 112号機のヒゲ
確かに<になってますね。
おそらく事故による復旧か何かでそうなったのではないか…と思いますが、
新製当初の写真を見てみないと何とも分かりませんね。(^^;)

手元の資料に昭和42年頃までのEF58の事故記録があるのですが、112号機は
載ってませんでした。ただ、それを見ても結構「大破」とか「中破」、
「台枠折損」…などの記述が各機に見られますので、幹線を高速走行
する機会の多かったEF58の事故は結構多かったのでは…と思います。

ほぼまんべんなく各機の入場加修の記録が載ってますが、中には一度も
事故や故障にあっていない(載っていないだけかも)カマもいれば、
やたらと事故に遭遇しているカマもいて、カマにも運、不運と言うのが
あるのかな?と思ってしまいます。中でも67号機は

 S28年9月25日 パンタグラフ大破
 同年10月10日 踏切障害で前頭部大破
 S29年7月3日 保温体焼損
 S31年1月29日 追突、大破

とわずか2年4ヶ月くらいの間に4回も事故で入場しているようで、なかなか
の強者?です。 

111号機の変則主抵抗器室カバー
投稿日 7月13日(水)04時35分 投稿者 まーる
>管理人様
111号機の変則カバーについて書き込みした者です。
返事をいただきましてありがとうございました。
さてその後、色々持っている本などを読み返していましたが
エイムック「EF58『セピア色の流線型』」の82ページに
俯瞰の111号機の写真があるのを見つけました。
1エンド先頭で変則カバーの様子がよく分かりました。

ところでDenchuさんのページにおじゃまして写真を見ているうちに
昔いだいた疑問がまた思い起こされましたので
ここで質問させていただきたいのですが
何故112号機は三菱製なのにも関わらず
2エンド正面の飾り帯は「く」つなぎになっているのでしょうか?
1エンド側やほぼ同時期に製造された113号機の両エンドは「|」つなぎなので
後天的なものかとは思うのですが…

EF58のページ公開しました
投稿日 7月8日(金)18時54分 投稿者 Denchu
とりあえず、画像を見られるようにして公開しました。
未撮影は13、17、18、21、23、24、28、31、37、62、64、81号です。
全部で1273枚掲載しています。これから、内容を充実して行きたいと思います。
枚数はばらつきがあります。1枚があり、84枚がありです。
HTMLのサイズが203KBあります。画像のサイズは横が1024ピクセルです。
http://home.att.ne.jp/grape/denchu/
http://www.geocities.jp/tnk_ko/gallery/ef58_index.html

EF15168
投稿日 7月7日(木)19時27分 投稿者 まつ
>タケチャンマン様
はじめまして!EF15168、私も浜松機関区の一般公開で見ましたよ。
恥ずかしながら初めて見たEF15です。あの公開ではのちに恵比寿でブル
トレ塗装で保存されることになる91号機や、下回りを外されたものの日の
丸を掲げた169号機、そしてわざわざED601号機やEF59、初めて
余剰廃車が出たEF63やED62、115系もどきの旧国62系(クハ6
6のカットボディーが佐久間レールパークでJR東海色で展示されています)
や豊橋機関区の事業用車まで持ってきて楽しいものでした。あいにくフィル
ムが足りなくて、お金はあっても売っていなかったのでたくさんあったEF
60の保留車を全く撮影できなかったのが残念でした。修学旅行で小郡駅に
行った時にも真っ先にEF58100号機を撮りに行きましたが、時間が無
くてこれまたたくさん留置してあったEF60やEF61まで手が回らなか
ったのも心残りです。
話をEF15168に戻しますが、「1977 鉄道少年の旅」とかいう写
真集に売りに出されているカットボディーの写真が載っており、著者が「国
鉄も金が無くてこんなものまで売りに出すのか。」とかコメントしていまし
た。そういえばその本の中に解体されて頭だけつぶれた状態のEF587号
機の写真がありましたが、それもショックでした。

見つけました の返信
投稿日 7月6日(水)23時50分 投稿者 タケチャンマン
管理人様、皆様はじめまして。
いつも参考に覗かせていただいてますが、書き込みするのは初めてです。やはり、EF15やEF58のことを調べたい時には、このホームページは欠かせません。
C6217 様
EF15168の前頭部ですが、大阪に行っていたのですか。かつて浜松工場の一般公開で出会い、大宮工場に前頭部のみ保管されている情報は見たのですが、知りませんでした。
ちなみに、クエ28の方は三鷹を最後に廃車になったクエ28000の非パンタ側の前面ですね。

P.S. EF15などの旧型電機や旧型電車引退後は、ずっと休鉄でしたが、最近、地元近くの高崎機関区詣ででEF65一般型などの最後の勇姿を眺めています。

入換時のテール点灯について
投稿日 7月6日(水)19時54分 投稿者 200SX
管理人様、皆様はじめまして。
早速の質問で恐縮ですが、機関車の構内入換時に両エンドの片側(向かって左側?)を点灯させているようですが、いつ頃からこのようになったのでしょうか?
また、青大将の時代(昭和30年代)はどうだったのでしょうか?
色々と調べているうちにこちらにたどり着きました。
御存知の方いらっしゃいましたら御教授ください。
どうぞよろしくお願いいたします。

EF58 16・18号機の質問
投稿日 7月6日(水)03時12分 投稿者 TMF
>管理人様
いつも拝見させて頂き、勉強させて頂いております。
EF58 16・18号機の質問なのですが、両機は主抵抗器室カバー変則機だったのでしょうか?
ぜひご存知の方は、お手数ですがお教え頂けますよう(出来れば、記述・写真掲載書籍名も)よろしくお願い申し上げます。
>C6217様
KATOの問屋経由の発表ですと、KATO 40周年記念セットということで、気合いが入っているみたいで、
細かく作り分けをしてくるみたいです。ちなみに先台車はスノープロウ取り付け座が無い2種類(4・31号機
用,16・18号機用)を新規制作するらしいですよ^^
詳しくは7月6日更新予定のKATOのホームページで発表するらしいです。
期待しても良いのでは?11月発売予定で値段は4輛セットで27,000円するらしいですが・・・^^;

すごいですね
投稿日 7月5日(火)22時33分 投稿者 C6217
>やんこ様
すごい情報ですね。ただ気になるのがKATOのやることですから、『ラウンドハウ
ス』からの発売にして、しかも『タイプ』として出すのでは?と言う事ですね。
ボディーは現行品の『初期型大窓』と『初期型小窓』を塗り替えで行けそうですが、
実はSG排気口が製品のダクト型ではなく4機とも半ガーランド型なのですが、私の
想像では直さない様な気がします。なので『タイプ』です。ちなみに私の所有の初期
型大窓機はプラ板から削りだした自作の半ガーランド型の排気口に改造してあります。
だって水切りの付いていない時期にはダクト型になっていないはずですから。KAT
Oの重大なエラーですね。先台車もスノープロウ取り付け座が無いのが正しいですが
どうなるのでしょうか?4号機、31号機は握り棒もいりませんよね。

レスありがとうございます。
投稿日 7月5日(火)19時33分 投稿者 まつ 削除
>管理人様
確かに60号機や66号機のように完全に解体されてしまうよりはましかも
しれないですね。私はEF58と同時に全廃されたEF61の0番台も好き
で、跡形もなく消え去ったと思っていたら数年前に広島機関区の一般公開で
4号機のカットボディーが残されているのを見つけ感動したことがあります。

>やんこ様
はじめまして。それはすごいですね!私は4号機と16号機は塗り替え品を
購入し、18号機はJAMのマイクロエースの限定品を購入し、31号機は
自分で塗り替えて製作したので複雑な心境ではありますが。昔は61号機さ
えも小窓を大窓にしたり銀帯を貼り付けたりして改造したものですがここま
で特定ナンバーにこだわって製品化されるとは思いませんでした。

【N】「EF58 試験塗装4両セット」
投稿日 7月4日(月)23時36分 投稿者 やんこ
KATOから11月の新製品として
Nゲージ製造40周年記念製品「EF58 試験塗装4両セット」
が予定されているそうです。

内容は ・EF58-31・EF58-16・EF58-18・EF58-4

しばらく先のことですが楽しみです。

見つけました
投稿日 7月4日(月)03時01分 投稿者 C6217
大阪府の山中にあるEF15168のカットボディーの写真を投稿させて頂きましたが、横に並んだクエ28の事を勉強しようとネット検索していると、
東工大鉄道研究部の[鉄道研新歓合宿2000]と言うページに行き当たりました。そこには京都府亀岡市内に保存されていた当時の2両の写真がUPさ
れていました。私は車で通りすがりに見ただけだったので、配置などは細かく記憶していませんでしたが、人の記憶とはいい加減だと改めて感じた次第で
す。クエ28の方は移転してから車体がドア後方まで伸びている様で???です。亀岡にある時には運転台などが残っていたようですが、現在は私が見た
限りでは全て撤去してあったようです。
www.18.big.or.jp/~fujiwara/ikki/photo/mountain/に行くと見る事が出来ます。尚アドレスは無断転載なので、関係者から苦情等ありましたら削除い
たします。

想い出…
投稿日 7月4日(月)01時40分 投稿者 kobaneko@管理人
皆さん、こんにちは。何だか西の方は大変な事になっているようですね。
何だか最近の天気って極端ですね〜。(^^;)

EF-18さんの書き込みを見て、私もゴハチに出会った当時の事が
思い出されました。

子供の頃に見た光景って、妙にリアルに頭の中に残っていたりしますね。

私も小さい頃から鉄道にはとても関心があったんですが、家にあった模型
のカタログや保育者のカラーブックスを見ていたぐらいでした。その頃は
横浜に住んでいたんですが、その後小学校高学年で東京の多摩地区に転居、
クラスメートの影響で雑誌を読み始めて一気に鉄道熱がヒートアップ、
地元の中央線で終焉間近の181系「あずさ」などを撮り始めました。

雑誌で見ていたEF58のすらりとした長い車体は、東海道のブルトレと共に
中央線では見られないだけに憧れで、意を決して始発電車に乗って友達と
横浜駅へ行きました。前夜は興奮してなかなか眠れなかったなぁ…。

東京から153系(大垣夜行の返し)に乗り、東京機関区を初めて(意識して)
見た時の光景は今でも脳裏に焼き付いてます。そして、横浜駅で次々にやっ
て来るEF65Pのブルトレ群…それに混じって「銀河」や荷レを牽いて登場
するゴハチ…。EF65には無い気品の様なものを子供心にも感じて身震い
してました。20系をはじめ長い編成の先頭に立つ姿はホントに格好良
かった…。(*^_^*)

その後、走行写真を撮るようなってからは「今日は何号機が来るか?」と
ワクワクしながら線路端で列車を待ったのも懐かしい思い出です。
外れも多かったけれど目的のカマが来た時はそれこそ声を上げて喜んで
たっけ…。

今は当時と比べて情報量が飛躍的に増え、そういった無駄は無くなった
ものの、反面、本来、趣味の持つ「無駄を楽しむゆとり」が無くなって
しまった様な気もします。もう一度新鮮な気持ちで鉄道と向き合って
みたいところです。

以下、レスです。

>品川530さま
ご無沙汰しております。相変わらず精力的に活動されてるようで…
凄いですね。私の方はすっかり撮影からは遠ざかっている今日この頃
です。(^^;)

144号機、「レストラン蒸気機関車」の方も未だ健在で安心しました。
となると、宇都宮運転所さんの見られた物はさいたま市の別エンドだと
言うことになりますね。

>まつさま
初めまして。今後ともよろしくお願いします。

例のオークション、終了したようですが今後の展開はどうなるんでしょうね。
そのうちテレビで放送するんでしょうか?

カットボディですが、綺麗な状態ならともかく荒れてくると何とも哀れな
印象になりますね〜。もっとも、それは完全体の保存車でも同様なんです…。

私も以前はカットボディに関してはあまり好きにはなれませんでしたが、
最近は例え一部であっても残されている事に意義を感じています。
やはり映像や資料だけでは伝わらないものがあると思います。

>EF-18さま
書き込み内容、とても共感しました。
また、何か思いで話でもありましたらよろしくお願いします。

>Denchuさま
お久しぶりです。1680枚スキャンとは…お疲れ様でした。
EF13のページも拝見させて頂きました。いつもながら様々なアングルが
素晴らしいです。

主抵抗器室カバーですがEF58・EF15であれば基本的には
・1エンド側 大(幅約1500mm)
・2エンド側 小(幅約1200mm)
で、片方の端が切り妻になった物です。
この変則で有名なのは35〜39号機で、両エンド共大きい物です。
他の最近この掲示板で話題になった変則機と言うのは1エンド・2エンド共小さい
タイプになった物です。

旧EF58・新EF13・EF15初期では両エンドとも幅約1500mmで両端が斜めになっています。
通風器(ベンチレータ)の大きさは、サイズは同寸ながら少なくとも高さに
2種類ありそうですが、この辺はまだ調査不足です。

EF58のページ作成、他、主抵抗器室カバー変則機
投稿日 7月3日(日)01時57分 投稿者 Denchu
現在、EF58のページを作るべく、写真をスキャンしており、1680枚ほどスキャンしました。
撮れなかったのは下記ですが、1970年代は下関、広島にいたカマです。
13関、17広、18広、21広龍、23広、24龍、28広龍、31関、37関、62、64、81
ゴハチを撮るために遠くへ行ったのは1984、85年頃阪和・紀勢線だけでした。
このとき、銀河に乗って帰るために大阪駅へ行ったら、150号がホームの隅に
留置されていました。ピカピカだったと思います。そこで写真を撮っています。
 きりがないので、スキャンは止めて58のページを作成する予定です。
なお、本日(7月2日)、EF13のページを公開しました。
http://home.att.ne.jp/grape/denchu/
不勉強で申し訳ありませんが、主抵抗器室カバーですが、どういう形体があるのでしょうか。
 1側の幅>2側の幅
 1側の幅=2側の幅
 通風器の大きさ 

思い出
投稿日 7月3日(日)01時24分 投稿者 EF-18
小学生低学年の頃、腎障害の回復の為、実家の柏原市から吹田の治療所
に毎土曜日通い始めた頃、関西線に乗車するときは必ず進行方向右側、
つまり竜華機関区を見ることの出来る席に陣取り、時には久宝寺駅では
竜華操貨物出発線で発車待ちのED60,EF15に感動したものです。
冬場には腎障害のせいなのか両足指全てがしもやけで丁度八尾辺りから
座席ヒーターで温まった足先が鬼の様に痒くなる中、”カッコいい〜”
夏場は夏場で冷房なんて縁の無かった関西線101系の窓を全開にして
”カッコいい〜”と心底思ったものです。

その後、兄が大阪の私学中学に通学、一気に竜華マニア?と化して撮影
に明け暮れる頃、続いて中坊となった私は奈良方面の馬鹿私学に入学、
カメラがペンタSPと55o一本のみでは兄弟で撮影するわけにも行かず、
馬鹿私学故のエロ学友のお陰で撮影はお預け、中坊が毎日悶々状態。
兄も気を使ってくれたのかわざわざカメラを購入しても撮影意欲無。
何より天王寺向きの定期のある兄は交通費はタダ、そんな今から考え
ると馬鹿みたいな理由でだらだらと撮影しない毎日が続きました。

そして迎えたさよなら58・15重連の旅の運転。さよならは撮影でも
しとくか、と安易な気持ちで望んだその日、ロケハンなんて言葉が似合
わない中坊兄弟が陣取ったのは御坊辺りの踏切脇、陣取った場所の奥が
たぶんもっと良い場所だったのか何人かが横を通り過ぎて行きます。
中には”こんなアングルで構えてよ〜田舎モンがよ〜”と聞こえよがし
に大声を上げる方もいました(今思い出しても殺意がこみ上げます)。

そしてその場所で迎えた66号機、何より純粋に”カッコいい〜”。
毎週通いがけに見た竜華の釜、その時のドキドキ感が復活。
ああ、58ってこんなにかっこいいんだ、15もかっちょいい!なんて
さよならの日に改めて思うなんて今思っても唯の馬鹿でした。返しは
無理して冷水浦へ、でもあの撮影地で55o1本で一体何が出来たと。
(あの時、誰かが”カメラ落とした!”って叫んでましたっけ)

今はペンタ67に交換レンズ諸々、かっちょいい〜との気持ちも
ありながら何処かに”いかなければならない”義務感・危機感のような
あまり認めたくない気持ちもあります。足先を掻きたくても掻けなくて
仕方なくもう一方の足で踏みつけながら竜華を見るのが楽しみで仕方
なかった頃の自分がとにかく懐かしい。

久し振りにアップされておられる写真を見ていて、突然そんな思い出が
沸き起こってしまいました。何事も斜に構える今の姿勢は当時の自分から
みるととっても嫌な大人なんだろうな、って思います。
ああ、今日はアルコールの力が無いと眠れないかも^^;

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