今春から愛知県人@EF-18です。 引越し後、150の動きが活発で嬉しい限りです(ぬおおおおお〜)。 最近TMSのピノチオ広告にお召し機再生産の文字を見つけました。 お召し編成牽引に相応しい。。。。。 ん、ってか、昨年発売の61の仕様では公式お召しは未牽引だで? でりゃ〜ちょんぼする予感がしていかんわ、と思うのは文句付け @EF-18だけでしょうか? 一体誰がアドバイザーなんだか。。。。。(大きく溜息)
本日、16:45頃に豊橋で列車を乗り換えたのですが、 その時、EF58-157が飯田線のホームに入線してきました。 EF58-157はすぐ(16:50頃)に出発していきましたが、 あれは工臨等の運用に入った場合の所定の動きなのでしょうか。 豊橋駅には、撮影者が6−7人くらい。 今日の動きはあまり知られていない感じでした。 見ただけでしたが、夕日に映えるEF58-157は やっぱかっこよかったです。
こんにちは、先ほど大宮工場のイベントから帰還しました、気になる61ですが 新幹線高架下の先の方に正面プレートが外された形で 放置とも思える姿で 置いてありました、イベントの方はEF5889&93が見れて良かったですがパン下げは 残念でした、当分61はあのままでしょうね!
はじめまして、山手工場と申します。 長年に渡りこちらをROMさせていただいておりますが、その資料性の 高さにはいつも感心しています。 当方、70年代後半以降、主に東海道筋のゴハチに入れあげていました。 こちらにEF5853さまが1979年6月20日東京駅で撮影された29号機の写真が 掲載されていますが、同じ場所に居合わせた一人でした。 さて、先日静岡のグランシップで行われたトレインフェスタで模型による ゴハチ大集合というイベントが行われ、私もカトー製品の大改造を行って 参加してきました。 工作中に手持ちの写真で形態を調べるうちに、最近こちらで話題になって いる主抵抗器室カバーの形態が変則のものをあらたに発見しました。 12・83・125・126号機の4台です。 これらは1位側にも2位側と同じ小型の主抵抗器室カバーが装着されている 姿が手持ちの写真で確認できました。 また、プレスアイゼンバーン刊「EF58」P.241並びに同社刊 「視録 国鉄電気機関車II」P.99には、13号機の同様の写真が掲載されています。 12・13号機は63−65号機とほぼ同時期である昭和28-29年に川車で新車体に 乗せ変えられており、83号機は昭和30年川車製、又125・126号機は昭和32年 川車製ですので、川車製に共通する特徴との推測が成り立ちます。 そう言った視点で本の写真を見ると、「EF58ものがたり−上」巻頭 カラーグラフの110号機も手前が1位側ですので同様に見えないこともなく、 同機も川車製であることを考えるとますますそのような気がしてきます。 こうなると、廃車になったゴハチの2位側に装着されていた主抵抗器室カバーが 振替えられたという説には疑問がわいてきます。どうせ振替えを行うので あれば、正規の1位側のカバーを持ってくるのが自然ですし。 同時に、主抵抗器室カバーの上に乗る大型のガーランドベンチレーター ですが、これも線路方向に稜線が2本入ったタイプと、べたっと広がった タイプの2種類があることが分りますが、これもゴハチの形態分類としては 残された課題だと思います。 今回は当方手持ち写真を中心に判明した事実をお伝えするとともに、 まだまだ変則機は存在するかもしれないということが分かりましたので、 皆さんお手持ちの写真をもう一度点検されては如何でしょうか。
です。さて、ここ最近の掲示板利用について少々感じることがありますので 記します。 >747-400さま、EF5841さま いつも書き込みありがとうございます。 ただ、本掲示板の趣旨であるEF58とEF15から外れる内容が多く、正直 板違いであると感じます。(^^;) 書き込みされる前に良く内容を吟味して頂き、より相応しい掲示板を ご利用されることをお奨め致します。 上記の件、ご理解頂きますようお願い致します。 それでは、今後ともよろしくお願い致します。
ナッパ服からブレザーに変わったのは、ちょうど、蒸気が全廃となった50年頃かと記憶しております。 考えてみれば、昔、「こだま」の乗務員もナッパ服で乗務していましたね!!
昭和39年(東京オリンピック開催年)大阪から東京へ転居した際、東京駅で EF53を見たのも驚きでした。 それも確かEF5316で東京→上野 上野→東京 間の回送列車用でした。 戦前の古豪、EF53を東京駅で見られるとは思ってもいませんでした。 また昭和40年代前半の山手貨物線はEF13が、大歯車にバネがないため、一際 (ひときわ)大きなモーター音を響かせて走っていました。 当時、機関士と助手は中国(China)の国民服みたいな、制服を着ていましたが、 現在のようなブレザー風の上着にネクタイとなったのは、いつ頃なんでしょう?
管理人さま: レスありがとうございます! 37年の時点で既にカバーが小さかったと云う事実が 掴めただけでも収穫は『大』です。 本当にありがとうございました。 その後、ネットや趣味誌などを漁って調べてみたところ 確信は持てないのですが、1次増備車の川崎電機・川崎重工製 (63〜65号機)に限ってカバー小さいと云う事が分かり、 メーカーサイドの何らかの理由で1エンド側も小さいサイズのカバーが 取り付けられたのかと…。 それにしても謎が残ります…。
展望車だけの方向転換ならば、ターンテーブルに載せた方が早いかと思います。 44系の曲者は、スハ44が一方向に椅子が固定されているために編成ごとの転換をしております。 戦前、「櫻」のハザも一方向への固定であったために東京口では品鶴の三角線で方向転換しましたが、大変だったのが下関口です。 三角線がなかったので1編成分、1両ごとにターンテーブルに乗せて方向転換しておりました。
客車時代の「つばめ」「はと」は展望車等があり、3角線での方向転換が必要 でした。 大阪地区での方向転換は 大阪→尼崎→福知山線 塚口→尼崎→宮原 といった 経路で、グリーンの58も福知山線 塚口まで行っています。 東京口では 東京→品川→山手貨物線 大崎→推進運転 蛇窪→品鶴線 品川 という経路ですが、茶色時代の「つばめ」のこの仕事にはEF57が就いていますが、 「EF57ものがたり」には奇妙な写真があります。それは品川寄りに茶色小窓の EF58(つばめのヘッドマーク付き)+EF57+マイテ391というものです。 本務機の58が57の前位についているのは、ちょっと奇妙ですね。品川まで の回送でしょうか?
皆様、こんばんは。相変わらず忙しくなかなかレスも出来ずにおり申し訳 ありません。<(_ _)> 何か最近はすっかり模型板と化してますが…。実車が走らないと仕方ない ところでしょうか…。(^_^;) 取り急ぎ、かいつまんでレスを入れたいと思います。 >KPY30さま すみません。ちょっと直ぐには分かりかねます。丹念に本などを探せば 該当列車に当たるかも知れませんが…。1984年6月28日と言うと木曜日で すね。平日と言うこともあって記録には残りにくいかも…。 >747-400さま > 水切り・庇(つらら切り) 国鉄電機で正面窓に水切りが付いた物はパッと考えるとEF58しか無いように 思えます。「EF58ものがたり」にゴハチの場合、前頭部の形状から雨水の 流水が多く取り付けた…とあります。 屋根上雨樋が運転室扉手前までしか無く、その上傾斜の付いたオデコです からさもありなん…と言う気がします。 旧EF58の一部や、EF151次形は当初つらら切り無しでしたが、上越や奥羽線配置 時に整備されているのであくまでつらら切りとして取り付けられたのだと 思います。(EF10やEF12、EF13も?) その結果としてつらら切り効果以外に日除けや仰るとおり窓の汚れ面でも 有効だと認識されたのかもですね。 それにしてもなぜEF15が全機つらら切りを取り付けたのかはちょっと不思議 ですが…。転属時にいちいち取り付けるのは面倒…と言うことでしょうかね。 >EF5841さま > ヘッドライト庇 あれも上越時代に取り付けられたようですので、奥羽のEF15(EF16)と同じ く前燈保護が目的だったんでしょうね。ちなみにEF58ものがたりの37号機 以外は拝見したことありません。 >Denchuさま EF16、EF5861のお写真拝見しました。走行や形式写真だけでなく、しっかり 細部写真も押さえてあるあたりは流石ですね。ピカピカ61もしっかり鼻スジが 通っていてまだまだ凛々しいですね。 >藤沢さま 64号機の抵抗器室カバーですが、晩年は確かに両エンドとも小さいものになって ますね。私も気になって資料を調べましたが、記事として明記した物はありま せんでした。 取りあえずプレスアイゼンバーンの「EF58」の88ページに青大将時代、昭和37年 5月の同機の写真を見つけましたが、この時既に両エンドとも小さくなってました。 例によってはっきりとした回答が出来ず申し訳ありません。(^_^;)
砲弾型ヘッドライト モハ50用のパーツです。 結構感じが良いので小生もEF58用に使用しております。
先ほど記載しましたが、日立製との作り分けでしょう。 如何せん、EF58については、うるさ型が非常に多いので後発としてその辺のところを意識しているのでしょう。 現にセッテが作り分けをしております。 当然、FEMも作り分けをしました。
先日はパンタの件で色々と貴重なご意見をありがとうござました。 実は先週、64号機をオークションに出品した際、 『1エンド側の主抵抗器室カバーが、 廃車になった他機の2エンド側カバーを使用していた』 とのご指摘をいただきました。 その後、気になって手持ちの資料(心許ないですが…)を 片っ端から調べてみましたがそのような記録が見当たらなく その件が引っ掛かっております。 交換元のカマや交換時期など もしご存知の方がいらっしゃいましたら どうかご教示いただけたらと思います。 いつもすみません…。
PEMの58はフクシマさんだったのですか! フクシマさんのパーツで No.2052 砲弾型ヘッドライトというのが ありましたが、最近全くみかけません。これがその58のヘッドライト に使用されていたものなんでしょうか? しかも住所は元私の守備範囲の練馬区中村北なんですね。 KATOのプラ製の58はヘッドライトが大すぎるので、このパーツに 変えると大変良い感じになります。 有用なパーツなのでどこかの模型店で見つけたら買い置くことをお薦め します。 FABの58ですが、キャブの天井が別部品なのは、今はやりのサン・ ルーフにするつもりでしょうか?(ジョーク!) しかしここを別部品にすると、相当な精度がないと見苦しくなるで しょうね。 ミズノさんのEF56がこういう方法でオデコを表現していましたが、 装着面の線がクッキリ出ていました。
PEMのEF58を製作したのは、フクシマです。 黒岩氏が存命中で、その監修にあたり、かなり良い線をいっております。 フクシマには、それなりの実績があるのですが、型の問題や模型原図の問題から製作に踏み切れないのは残念です。
FABのEF58 オデコの部分が別パーツになっていますね。 日立製と東芝製を作り分ける考えなのですかね?
EF5841様が13ミリゲージを指向していた30数年前、ちょうど「とれいん」誌 が創刊された頃かと思います。当時、同雑誌ではさかんに13ミリゲージを推奨 していましたが、その後どうゆう訳か1/87 12ミリゲージになりましたね。 実物も模型もカーブ通過には、トレッド(車輪と車輪の幅)が広ければ広いほど 有利なのは自明の理です。 福知山線も、もし1435ミリの標準軌間を採用していれば、カーブ通過が楽だった でしょう。 私は昭和30年代の後半に、宝塚市に在住していましたが、当時福知山線の旅客 列車はC57が牽引していました。 対する阪急電鉄は1435ミリです。
ファインスケール、それぞれの思いの内にあり、この論争不毛の議論になるのではないでしょうか。 小生もかれこれ30年位前、故倉持氏(乗工社設立者)と大論争をしたことがあります。 当時、小生、13mmゲージを指向しておりました。 結論から言いますとHOに戻りました。 アメリカ型、ヨーロッパ型も同一の線路を走らせることの楽しみがファインスケール化よりも超越しました。 13mmにしてもHOn3-1/2 にしても、タイヤの厚みはどうしようもなく、所詮、HOと50歩100歩といったところですね。 ファインスケールで狭軌感を求めるならば、OJサイズ以上のゲージでないと無理ではないでしょうか。 小生、最近、OJにはまってしまいましたが、実感を求めるならば最小のサイズかもしれません。 OJでもタイヤ厚は満足できても、フランジがまだ高い感があります。
747-400 様 下記サイトのEF58ですね!! http://www.thefab.jp/main.html FABは、50代の脱サラ等の仲間により設立されたショップです。 最近、HOn3-1/2 を立続けに製品化しております。 つい最近もWルーフのスハ32を製品化しました。
http://www.thefab.jp/main.html
今月号の「とれいん誌」の広告欄にFAB (Finest Art of Brass)という 聞きなれないメーカーの広告に、HOjのEF58を新発売するという、 広告がありました。前頭部(屋根部分は別部品で青空状態)の写真ありま した。 聞きなれないメーカーですが、PEMの58の製造を担当したメーカー でしょうか? 1/80サイズの模型を13mmにしたり、HOjという1/87 12mmの モデルは実際運転をすると、重心が高いので脱線し易くなるのではない でしょうか? 軌間をファインスケールにすることよりも、良いモデルとは快調に走行 する事だとおもうのですが…。 皆さんはどうおもいますか?
85'Expoサイエンストレイン(保土ヶ谷駅(保線用の引き込み線)で留置)を牽引。 このときカラーは撮らなかったので白黒で色々な角度から撮影した写真を載せています。 http://www.geocities.jp/tnk_ko/gallery/ef5861sc.html
37号機については、ヘッドライトに庇がある旨、レポートしましたが、ほかに庇を取り付けた車両があるのでしょうか?
ある程度は、想定しておりましたが、死角が大分できますね。
昭和29年製作の記録映画「つばめを動かす人たち」(ビデオ化済み) 主演 東京〜名古屋 試験塗装のEF5831 名古屋〜大阪 C6218 助演 マイテ391 では、機関庫から出庫する31号機に、誘導係員は キャブのドアーを開けてそこに乗り、旗を振っています。
流線型原型車の場合、誘導員のステップがありませんが、どうしていたのでしょうか?
大型の電池箱を設置していますが、停車中はかなり苦労されているのではないでしょうか。
EF5841様、大変有用なサイトをご教示頂き、誠にありがとうございます。 以前からKM式冷房装置には興味があったのですが、構造等が良く分かりまし た。走行中は涼しかったかもしれませんが、停車中はどうだったのでしょう? 昭和20年代の冷房車は1等車と食堂車が殆どで、通勤用電車でさえ冷房車と いう現在とは隔世の感がありますね。
接収された展望車のうち、マテイ491は、一番連合軍によりいじくりまわされましたから・・・。 この辺の経緯は、「回想の旅客車」の著者である星晃氏が一番詳しいですね。 展望車以外に坊主となったものには、マイネ40(マロネ40)、マイネ41(マロネ41)、マイネ49(マロネ49)のような冷房化された車両がそうですね。 昭和20年代の場合、冷房装置、稼動する「夏場」のみ搭載し、それ以外の時期はいちいち取り外していました。 この件については、下記の中村氏のサイトの「客車関係資料」 > 「客車空気調和装置資料室」に記載されております。 http://cu1.web.infoseek.co.jp/index.htm
イヤー、マイテ58−2の進行方向右側のドアが無いとは知りませんでした。 接収時代に改造されたのでしょうか? またマイテ58−1の屋根はグリーン時代坊主(ベンチレータ−が無い)なのは どうゆう理由なんでしょう? マイテ49−1 −2も同様ですが、−1と−2では冷房の調和畿(冷気と外気 を交ぜて適温にする装置)の取りつけ方、位置が相違しているのが原因でしょうか?
奥野氏の写真をご覧になられた方はお気づきかと思いますが、マイテ582のデッキ、片側が眼くらです。 今まで製品化(HO、N)されたもの全てが、このことに気づかず造られております。 恐ろしいですね・・・!! ○天は、おもちゃですので論外ですが、モアやニワまでもが間違いを犯しております。
「奥野利夫」さんの写真はすごい「お宝写真」ですね。 マイテ39−11と他の2両の39との識別点はデッキで確認できますが、 −1 −21の識別点はテールライトの位置です。内側に付いているのが−1 外側が−21です。その他屋根を見れば一目瞭然ですが(種車が違うので) この写真の中には混同しているものが何点かあるようです。
T字型列車無線アンテナのサイトの紹介で補足します。 「奥野利夫氏」の展望車の写真で、撮影時期が1957−58年のものです。
展望車に対するT字型列車無線アンテナの設置状況につきましては、その一部が下記サイトの写真にて確認することが出来ます。 http://cu1.web.infoseek.co.jp/index2.htm また、H型の張り線ですがラジオ用アンテナではないでしょうか。 ちなみにマイテ48(スイテ37020)の場合、戦前から戦後にかけて屋根の上に角状のラジオ用アンテナが確認できます。
マイテ39-21のアンテナですが、16番のモデルでは、モア製(製造 KOREA AJIN)のグリーン39-21に、丸型の避雷器のてっぺんに丸い皿が 付いたような形のアンテナが2個、そして中央にH型の張線の表現が あります。 実物写真ではいろいろ探したのですが、鉄道ファン誌No271 展望車特集 のマイテ582(撮影年月1958年1月)のものにこの丸型のアンテナが (かなり細い)2個確認できます。 レイルロード社刊の「SIDE-VIEW JNR-PC.1」には昭和34年代(1959 年)のマイテ39-1 マイテ49-1 -2 マイテ58-2のサイドビューが ありますが、アンテナは全く確認できません。 従ってEF5841様のご指摘の通り、短期間の試用に終わったのではないで しょうか?
T字型列車無線アンテナは マイテ391、マイテ3921 マイテ491、マイテ492 マイテ581、マイテ582 以上6両に取り付けられました。 時期的には 昭和32年2月頃から昭和33年中頃までです。
58からそれますが、展望車のことで質問します。 青大将時代にT字アンテナの付いたものは?マイテ3921は、カトーの模型 でわかりますが、他の展望車は?取り付け時期も知りたいです。 又、展望車にT字アンテナが付いた編成のけん引にはT字アンテナの付いた EF58じゃないとだめなんですか? よろしくお願いします。
EF5841さん 遅くなりました 過去のものですが EF58青大将にT字列車無線アンテナが付いたナンバー の一覧がありましたが 44号機が抜けてましたので報告しときます。
現物を見ていないので、正確なことをいえませんが、エンドビームの幅が狭いということであるならば、37,38号機の選択しかありませんね。 そうしますとクモイ103様の改造方によらなければなりませんね。 37号機の場合、ヘッドライトに庇がつきますのでなおさら厄介ですね。
皆さんこんばんは。模型ネタですみません。 前にEF58の角形避雷器カバーの話題が出ましたが、Nゲージでは、TOMIX の73系電車の避雷器はいかがでしょう?実物が同じものかどうかは判りませんが、 試しに交換してみたら、けっこういい雰囲気になりました。 TOMIX製73系の避雷器は、丸形と角形をユーザーが選択して取り付ける方式 なので、丸形を使用すれば角形は余剰となります。取り付け脚の形状がKATOのゴ ハチと異なるので、削って修正する必要がありますが、べつに難しい工作ではなく、 また、削りすぎてスカスカになってもゴム系ボンドなどで固着すれば良いので、気楽 に出来ますよ。 ところで、今度発売された大窓庇付きの青大将機ですが、なんとカバー付きの汽笛 パーツも入っているのですね。Hゴム派様ご指摘のように前端バリが狭幅である事か ら、結局私は汽笛カバー付きとし、避雷器は上記のTOMIXパーツに交換して、め でたく当鉄道に38号機が入線と相成りました(^^)。
T字型列車無線アンテナの取り付けについては、プレスアイゼンバーン社刊行「EF58」に以下のくだりが記載されている。 「・・・T字型列車無線アンテナの取り付けは2エンド側・・・」としているが、疑問に感じている。 T字型列車無線アンテナの取り付け工場は、浜松及び鷹取の2工場で施工している。 前にも書きましたが、青大将のすべてに取り付けられたわけではなく、32年頃、EF58の定期点検修繕の施工工場は上記工場以外に大宮が担当しており、大宮工場入りした号機は未施工でした。 ところで、2エンド側のみとの記載ですが、当時の写真を確認したところ68号機は、両エンドともに取り付けられております。 ちなみに、68号機は、浜松で施工しております。 施工工場により、鷹取では2エンド側のみということも考えられるのですが、先般、鷹取で施工された89号機には両エンドとも取り付けられている写真を発見しました。 どうも2エンド側・・・というくだりは誤記又は 2エンドとも の誤植の可能性があります。 こればかりは、当時の写真を見ての判断でしかないように思えますが、この辺の事情を承知しておられる方が折られましたらご教示いただきたいと思います。
中村橋には、大手都市銀行が交差点を挟んで2行ありましたね!! 現在は○○銀行のみです。 前出の「轄H進精工所」は、池袋線の連続立体交差事業に伴い用地の一部がかかり移転しましたね。
三十数年前にはC5755様は練馬でアルバイトをしていたのですか? 同じ頃、私は某都市銀行の新入行員で中村橋に勤務していました。 私の担当地区は池袋線の南側で、轄H進精工所の下請け工場が結構ありました。 この支店の在職中、「新額堂」さんと新規取引が成立しました。この会社の 名前を聞いた時、額縁を作っている会社かと思いました。 上司から「747-400君の好きなものを作っている会社だよ」と言われました が、ピンときませんでした。 転勤後、「とれいん誌」の広告でこの会社がアメリカ型の蒸関を製作して いるメーカーと分かりました。 時々、入出金の手続きで銀行のロビーに顔を出していたあの上品な感じの おカミさんは元気なのでしょうか?
EF5841様,747-400様,こん**は。 管理人様,ご無沙汰しております。 パンタグラフの話題が出てきて思い出しました。 もう30数年前の話ですが,学生時代に練馬の材木屋さんで アルバイトをしていた時,富士見台のパンタグラフ工場に出か けて,パンタグラフの木枠梱包を行ったことが有りました。 確かに「工」のマークが付いていましたが,色が銀色だった かどうかは定かではありません。
EF58(新・旧とも)・EF15は製造当初水切りや庇を付けずに出場 していますが、この水切りや庇は単に雨水の水はけのためでなく、屋根に 堆積したパンタ等の油分が雨天時に雨水に溶けて、前面窓を汚すので 取り付けたようですね。 その他の機種、EF56は生涯を通じて、またEF57は上越線転属時 まで付けられなかったのは、パンタの位置に関係があるのでしょうか? またEF10のペロンと丸い車体のものには庇等がないのは、実害が 無かったのでしょうか? それにしも、小学生時代大阪駅で「はと」牽引のEF5846を見たとき は、その巨大な庇に度肝を抜かれました。 富士見台にあったパンタ屋さんですが「轄H進精工所」といって、今は 狭山市に移転をしています。西武鉄道の電車はその当時全てこのメーカー のパンタを使用していましたが、(パンタの枠に「工」というメーカー ズプレート」が付いていました)現在はそのメーカーを使用していない ようです。 大阪から西武沿線に転居した当時、西武線の本線上を「ED10」や 「ED11」「ED12」が走行しているのを見て目を疑いました。 特にスイスのブラウンボベリーのED12は異彩を放っていました。 E851も良かった(これもいまや全滅)ですが、これら旧国鉄の電機 は塗色が変更されたとはいえ、正に動態保存といった感じでした。
下記内容・・・×定通 ○定数 ×ワカ座 ○竜座です。 失礼致しました。
御存知の方がいらっしゃいましたらと思い書き込みさせていただきます。 先日、某オークションにて下記の「スタフ」を落札いたしました。 天通達第187号 臨ELB 第554仕業 施行日 昭和59年6月28日 紀伊田辺9:17〜〈9125レ〉〜和歌山10:47〜11:38〜〈9126レ〉〜紀伊田辺13:30 EF58定通28両 竜臨ELA586 座6〈12系〉22.0 EF58〈お座敷列車〉という内容です。 ここで言う〈お座敷列車〉とは線区からして「ワカ座」だとは思うのですが、 上りが「回」ではない割りに、一般の団臨にしては和歌山での折り返し 時間が短いような気がいたします。 一体どんな趣旨の団臨であったのか、また、何号機の牽引だったのか等、 御存知の方がおいででしたら、ご教授願います。 宜しくお願い致します。
水切りが取り付けられた時期ですが、昭和33年度下半期頃です。 工場入場時というより、現場施工も多いので、各号機ごとの取り付け時期の記録は残っておりません。 初めて、前面窓がHゴム支持化された 58号機も 工場出場時は水切りがなく間抜け顔でした。 後に取り付けられましたが、取り付け時期は不明です。 当時の写真とその撮影時期から推測する以外にありません。
はじめまして さっそくですが大窓原型に水きりが付いたのは何時なのか教えて下さい できればナンバーごとにお願いします。 カトーの大窓原型青大将に列車無線アンテナって本当に存在したのですか?
EF5841さま 管理人さま: パンタの件について懇切丁寧にご指導いただき感謝しております。 お陰で模型づくりに一層拍車がかかりそうです。 全機コンプリートが夢ですが、一体いつになることか…。 温かく見守っていただけたら幸いです。
EF16(1970年代の上越線)を公開しました。 写真を117枚を載せています。しばらくしたら、少し整理します。 http://home.att.ne.jp/grape/denchu/ http://www.geocities.jp/tnk_ko/gallery/ef16_index.html
皆様、こんばんは…と言うか、お早うございますですね。 >Hゴム派さま ナンバー決まって何よりです。 今回の庇付き青大将機って幅狭前端バリ仕様なんですか…。 知りませんでした。元々のモデルは37,38なんでしょうねぇ。 気になる人は手を加えてね…と言うことでしょうか。(^^;) >クモイ103さま お役に立てずにすみません…。 61に限らずこの辺の細かい工事履歴は各工場に資料としてあった そうなので、どこかで閲覧できないものかと思います。でも、 果たして現存してるのやら…。(-_-;) この辺りの情報が明るみになれば皆さんの疑問も随分解決しそう ですが…。 >藤沢さま リンクではいつもお世話になっております。 パンタ台座と擦り板って言うとこの部分ですよね? http://ef58.pos.to/EF58/gazou/ef58vol1/Ef5836d-panta.JPG 晩年はグレーか銀が多かったと思いますが、新製当初はどうだったんでしょう? ちなみにkitakamiさんに提供頂いた落成直後の59号機の写真だと台座は 黒で擦り板は銀?に見えます。 http://ef58.pos.to/EF58/gazou/guest/EF58/kitakami-ef5859-2-panta.JPG >アストルさま 初めまして、今後ともよろしくお願い致します。 宮原のEF15ですが、最近はトンと話題を聞きませんね。解体されたと言う 話は聞いてないので、今でもどこかに残っているのでは…と思います。(^^;) 車籍の残る唯一のEF15ですから走らないまでもせめて公開時に姿だけでも 拝めると良いのですが…。 >Denchuさま おお!遂にEF15の掲載ですね。早速拝見させて頂きましたが、垂涎ものの お写真が…。 やっぱり1号機は格好いいですね〜。あの変形デッキが何とも言えません。(*^_^*) 35号機の中日本重工の銘板も押さえてある辺り、流石です。 差し支えなければ当サイトに転載させて頂きたいお写真があるのですが…。 EF16も楽しみにお待ちしてます。
EF15(1947年度製、1951年度製)のページを公開しました。 http://home.att.ne.jp/grape/denchu/ http://www.geocities.jp/tnk_ko/gallery/ef15a_index.html EF15の写真を97枚載せています。 銀色に光っているパンタグラフが写っている機関車もあります。 EF16(上越線)も平行して作成中です。 これを載せるとgeocitiesの枠いっぱいになります。
EF5835の竣工時の写真を見ますと銀地です。 昔、西武池袋線の富士見台に工進精工(正式名称は記憶が不確か)というパンタグラフを製作している会社がありましたが、昭和30年代前半では銀色でした。
EF5853さま: アドバイスいただき感謝してます。 早速参考にさせていただきます。 ありがとうございました。
グレーになったと思います。 関東と関西では違うのではないかと思いますが、私がテツをしていた頃、 昭和58年、1983年くらいまでは関東のパンタはアルミ地色のままではなかったかと。 上野駅で見る485系や583系は逆に銀色を吹き付けていたように記憶しています (アルミ地色ではなく、明らかに塗装した銀色) パンタが黒色なのは、戦前時代と模型では一般に言われてますが、戦後相当後でも 黒だったのではないでしょうか?
はじめましてアストルと申します。早速質問ですが、宮原総合運転所にE F15はまだ現存しているのでしょうか? ご存知の方いらっしゃいまし たら教えてください。お願いします。
みなさま、こんにちは。 模型づくりの際に参考にさせていただいております藤沢総車セの藤沢です。 「EF58ものがたり」を超える資料性の高さにいつも関心しながら拝見させて いただいております。 模型ネタで大変恐縮ですが、諸兄方にご教示いただけたらと思う件がありまして こちらに書かせていただきました。 ゴハチを含む旧形機製品のパンタ台座(名称が分からず…不勉強でスミマセン)と擦り板を見ると、 黒色成型になっているかと思いますが、実際には模型のとおり黒色でよかったのかどうだったのか、 もしご存知の方がいらっしゃいましたらご教示のほど宜しくお願い致します。 色々と調べてはみたのですが、確証が得られず仕舞いでして。 ちなみにいつ頃からパンタがグレーになったんでしょう…。
37号機 34年11月に前照灯が250Wになるまでの間、上越のEF15等のそれに見られるように 58としては珍しく「ひさし」付でした。 上越時代に取り付けられ、青大将として東海道を走ってた時もついておりました。
諸先輩の皆様レスありがとうございます。 参考になりました。
管理人様。どうもありがとうございます。 まだ取りかかってないとすれば、出場はまだまだ先でしょうね・・・
>EF5841様 T字アンテナのデータ、ありがとうございます。取り付けの時期が集中しているの に対し、取り外しの時期はやや幅があるのですね。 この時期の青大将客車の変化と照らし合わせますと、T字アンテナ登場時にはスロ 54が使用されており、半年後の32年10〜11月にナロ10に置き換えられてい ます。32年10月改正から1年間は不定期「さくら」も青大将で運転されており、 T字アンテナの有無と組み合わせれば、いろいろバリエーションが楽しめますね。 # 52号機の東海道時代・T字アンテナ撤去後を作れば、33年夏頃の「さくら」と 36年頃の急行列車のどちらも牽かせられるかな…?。 >kobaneko@管理人様 資料をお調べ下さり、ありがとうございます。 61号機の件、37年4月に欠き取りがあったという事で、とりあえず完成品(欠 き取り有り)のままにしておきましょう(^^)。もっとも、肝心の国賓列車の客車編成 がまだ出来ていないのですが(爆)。配置状況もたいへん参考になり感謝感激です。 今後ともよろしくお願いします。
管理人様、EF5841様 ありがとうございます 昨日の時点では、ヒサシつき青大将に付けるナンバーは41か44にしようと 思っていましたが、避雷機の関係で44に決めました。 製品の先台車は前端バリが幅狭ですが別パーツで交換可能なので、 他のゴハチのパーツとトレードします。 その分、今まで36には実車と違って幅広の前端バリが付いていたのが、 正規の幅狭に出来ます。 実は今回のヒサシつき青大将は2両買っていて、もう1両は幅狭前端バリと 切り欠きなし側面ハシゴを活かして晩年仕様の38に改造予定です。
どうも皆様お久しぶりです。GWに入ってやっと仕事も一段落…。 ほっと一息ついてます。 久々の超遅レスであります。(^_^;) >Denchuさま EH10の全機掲載、凄いですね。個性派でファンの人気もそれなりに あったように思いますが、意外と撮り潰しをしていた方は少ない のでは? 良いもの見せて頂きました。 >747-400さま > いずれにしても当時鉄道模型はとても高価で、同じ学校のクラスの中に鉄模を > 所有していた人は一人もいませんでした。 今はNゲージの普及で鉄道模型の裾野も随分広がったんでしょうね。とは言え、 16番のブラス製機関車などは今でも相当な高値ですね。 鉄道模型社の御召し機は初めて拝見しました。この塗装、完成品だったのか 気になりますね。もしかしたらキットかも? >さっちゃんさま CONTAXも遂に撤退ですかぁ…。一時期本気でCONTAXへの移行を 考えた事もありましたが…。結局EOSに行っちゃったんですよね。(^^;) >240Zさま 初めまして、今後ともよろしくお願いします。 お尋ねの件は既に回答が得られたようで何よりです。 また、何かありましたらご利用下さい。 >青列車さま、EF5841さま いつもながら迅速かつ明快なご回答ありがとうございます。 >銀河鉄道555さま > EF651111にお召し装備をしてぶどう色化するって噂も有ったような・・・ そんな噂があったんですか。知りませんでした。私が鉄を離れていた時期 でしょうかね。それにしても65PF御召し機…もし登場していれば栗色のボディ に銀帯巻いたりしたんでしょうかね。何となく見てみたい気も…。(^^;) >花ちゃんさま ロクイチですが、一体いつになるんでしょうね。 まだ、事実上取りかかってないようですが…。 >まりんかぐらさま 初めまして、今後ともよろしくお願いします。 「EF58ものがたり」、ゴハチに関して言えばまさにバイブルと言っても 過言ではないかと思います。 少し前までは下巻のみ新品で販売されていたので中古市場でも比較的見かけ ましたが、上巻は流石にあまり目にしませんね。 早速投票させて頂きました。 >EF5841さま オデコのRを造り分けですか…。いやはや凄い拘りですね。 >青大将さま もう皆様から回答がありましたが、幅狭前端バリ機と47号機を除けば 41,44,45,46です。また、EF5841さんが触れてますが、 45〜47のスカート部分の側面は枕バリ端面まで達した変形です。 >クモイ103さま 初めまして、今後ともよろしくお願い致します。 61号機の側面の昇降段の欠き取りですが、資料を見てもはっきりしません でした。ちなみに「ラストランナーズ4」では昭和33年7月に欠き取り無し、 昭和37年4月に欠き取り有りの写真が確認できました。他の資料もひっくり 返したんですが、お尋ねの昭和36年の写真は残念ながら確認できませんでした。 昭和36年5月の<元>青大将機の配置は 長岡第二:37 東京 :38,44,45,46,47,49,55,57,59,63,64,66,68 宮原 :41,52,58,70,86,89,90,95,99,100,140 このうち果たして何両がこの時点で青大将だったかは残念ながら分かりません。 「つばめ」「はと」撤退後の青大将機の写真は書籍でもほとんど見かけませんね。 この時代の事になるとなかなか明確な資料が無いのがもどかしいところですね。 >Hゴム派さま Nゲージの青大将、製品付属のナンバーでは厳密には再現が難しいですね。 37,38は前端バリが幅狭、45,47はスカート変形、さらに45はご指摘のように一体鋳鋼 先台車…。(^^;)
Hゴム派様 Nゲージのパーツについて詳しくありませんが、37、38、41の避雷器のパーツでてないように思います。 LA12でも43号機以前のカバーは角形で、一般型と形状が異なる点に注意が必要です。 あえて書きませんでしたが、45、46、47の日立製は前部カバーの裾はボルスターのところまで直線である点も注意して下さい。 汽笛カバー、ひさし付きのもの全て、東京区移籍以前の上越時代にカバーがあり、このため、カバーの台座は残されております。
私は、Nでヒサシつき青大将が製品化されナンバーをどれにするか迷っていました。 製品付属のナンバーは、37,38,45,47,52 このうち47は晩年仕様で使用済み、52は東海道時代はヒサシなし、 45は鋳鋼製先台車のため再現に難あり、残る37,38は晩年仕様で使いたい。 重複ナンバーは避けたいので、製品付属のナンバーは使わず41か44にしようと 思ったがホイッスルカバーの有無が分からない。 でも、EF5841氏によれば、41,44ともになしでよさそう。 謎が解けました。 晩年の44はホイッスルカバーつきなので、つばめ・はと運用終了後に つけられたと解釈すればよさそうですね。
T字型列車無線アンテナ付期間 41 32年2月 ー 33年11月 46 32年3月 ー 33年6月 49 32年3月 ー 33年 (?) 52 32年3月 ー 33年4月 64 32年3月 ー 33年5月 68 32年3月 ー 33年 (?) 70 32年2月 ー 34年5月 86 32年3月 ー 33年8月 89 32年2月 ー 34年4月 90 32年2月 ー 33年9月 99 32年2月 ー 33年7月 100 32年3月 ー 33年 (?)