>EF5841様 いつも別板でお世話になっております。青大将ゴハチの形態分類を分かり易く示し て下さりありがとうございます。 …勝手に41号機を話題にし、失礼しましたm(_ _)m。
1 配属状況 31年11月(一部32年3月)から33年3月まで 東京 38、44、45、49、57、59、63、64、66、68 宮原 37、41、46、47、52、58、70、86、89、90、99、100 33年4月から 東京 37、38、44、45、46、47、49、57、59、63、64、66、68 宮原 41、52、58、70、86、89、90、99、100、140 2 ひさし付 37、38、41、44、45、46、47、(52) 3 T字型列車無線アンテナ付 41、46、49、52、64、68、70、86、89、90、99、100 33年中頃以降撤去 4 角カバー避雷器 37、38、41 5 汽笛カバー 38 6 前燈改造時大型ライトカバー(33年以降) 41、46、52、58、64、70 7 全面窓 Hゴム(33年2月以降、当初は水きりもなし) 58 8 エンドビーム短 37、38 9 鋳造台車 45
皆様はじめまして。(一部の方々には客車系の掲示板でお世話になっております) 客車系Nゲージャーのクモイ103と申します。 昭和30年代を中心とした客車優等列車に興味を持って調べていると、いろいろな 場面でEF58が関係してきます。こちらのサイトの情報には、たいへんお世話にな っております。 ゴハチに詳しい皆様にご教示いただきたいことがいくつかあり、カキコしました。 1.お召し用61号機の側面昇降ステップに欠き取りが設けられたのは、いつ頃だっ たのでしょうか? 昭和36年5月に運転されたロクイチ牽引の国賓専用列車を模型で再現したいので すが、当時の細かい仕様がわかりません。機関車も客車もスーパーディティールに拘 るつもりはないのですが、ステップ欠き取りの有無くらいは遠目でも目立つので、正 確に再現したいと思っています。 2.「つばめ」電車化から1年後の昭和36年5月頃、東海道筋で青大将塗色のまま 残っていたゴハチはどのくらい居たのでしょうか? 「ザ・ラストランナーズ Vol.1 北のEF58ストーリー」に、高崎線列車 を牽引する青大将塗色のEF58 41および52の写真があり、いずれも1962 (昭和37)年撮影(前者が7月、後者が3月18日)となっています。他の掲示板 でご教示いただいた情報によれば、両機の高二区転出はいずれも昭和36年12月と のことで、5月には東海道筋にいたことになります。 その頃の東海道線を走る急行列車をいくつか模型化しようとしており、牽引機にも バリエーションが欲しいので、上記2両以外の青大将機の「その後」が知りたく、お 伺いした次第です。 3.昭和32〜33年の一時期、一部の青大将機に搭載された「T字型無線アンテナ 」ですが、個別の各機について、搭載〜撤去の詳しい時期は判りませんでしょうか? その時期、青大将特急の客車編成は、スロ54→ナロ10の置換や不定期「さくら 」の運転などで変化のある時期でした。機関車の変化と照らし合わせた時代考証をし たいのです。 いきなりの長文で恐縮ですが、情報がありましたらご教示いただければ幸いです。 ※追伸 青大将様、はじめまして。青列車様、あちら(笑)ではお世話になっております。 41号機は、のちの更新改造で庇が撤去されたそうですが、元々は上越組で庇があ り、青大将時代を経て再び上越線に戻った昭和37年時点までは少なくとも庇があっ たことが、いくつかの写真から確認できます。 なお、52号機は青大将(東海道)時代には庇なしでしたが、昭和36年に高二区 へ転出した際(?)青大将塗色のまま庇が取り付けられたという、異色の経歴がある ようです。
今晩は(^o^)/青大将さま お訪ねの庇付き青大将機ですが、私の知っている範囲では38号、44号、45号、46号が 該当するはずです。(37〜39、42、43も可能性がありますが…) 取り急ぎ (詳細はこのサイトに各機の画像があります。古い時代の写真もありますのであるいは そこに回答があるかと思います。ご参考までに)
58の青大将仕様なのですが、47号機のように大窓、ひさし付仕様は他に 何号機がありましたでしょうか? 台車の狭幅先端ばりは除きます。 よろしくお願いします。
発売が延び延びになっているセッテのEF58 先般、社長と会う機会があり、伺ったところ・・・、 以前指摘した「日立製」と「東芝製」の違い、具体的にいうと正面(妻から屋根にかけた肩部)の「R」の違いを造り分けているとのことでした。
管理人様、はじめまして。 兵庫のまりんかぐらと申します。 今、「復刊.com」というHPで、交友社刊「EF58ものがたり」の復刊の投票を募集しております。 このHPでは、投票数が100に達すると、出版社と復刊の交渉をしてくれるかも、というページです。 どこでも、「EF58ものがたり」が入手できないので、このような手段をとっている次第です。 いろいろ登録手続きとかややこしいですが、皆様の清き一票をお願いします。 なお、企画室ネコの「華麗なる特急電機"EF58"」に対する復刊の投票も、他の方が募っておりますので、同時にご協力をお願いします。 投票していただける方は、以下のリンクよりお願いします。 http://www.fukkan.com/vote.php3?no=28742 よろしくお願いします。
ロクイチっていつごろ出場予定なのですか?
確か最後に装備した機関車はEF18でした。貨物用機関車でしたがEF58で製作したさいに装備してそのまま出場したのでしょう。 電暖といえば東海道の58を取り替える案にEF70直流化案てのがありましたね。そしてEF5861の後継機にEF651111にお召し装備をしてぶどう色化するって噂も有ったような・・・まあ噂ですが
青列車さま、EF5841さま御解答ありがとうございます。 初歩的な質問ですが、丁寧にお返事いただきありがとうございまいした。
電機の向き 戦前は固定していました。 といいますのは、意外かもしてませんが湘南列車には電機暖房装置が導入されており、そのジャンパ線の引き回しが山側でした。 このため、EF52,EF53,EF56,EF57ほかは1エンドが沼津側を向いていました。 EF55の場合は、方向転換しますので2エンドにジャンパ線を左右に設け対応していました。 >模型社のEF5861の存在知りませんでした。 写真から察するに昭和30年代半ば過ぎのように見受けました。 鳥飼氏の趣味的に若干作られたうようですね。
今晩は(^o^)/>240Zさま お訪ねの電機の向きですが、東海道〜山陽線系統では特段固定されてはいませんでした。 (例外は登場当時のEF65F型。重連運転の際にエンド固定が必要だったとか。またEF59の 補機運用も重連総括制御の関係から?エンドは固定されていて、広島側=単機回送時に 先頭になる側=は独特のトラ縞塗装が施されていました) 日本を代表する動脈幹線ですから列車単位も大きいのですが、基本的に単機運用ですし、 向きが変わったからって運転に直接支障が出るわけでもありません。蛇窪や宮原など、 簡単に向きが変わってしまう区間もあります。 向きが変わると検修の際支障が出そうですが、カマがどっち向きであっても対応できる ように工場の施設や治具が用意されているとの事です。 (旧ニフティサーブの鉄道フォーラム=FTRAINにおいて、JR東海にお勤めの現役運転 士の方のご発言にその旨紹介されていたのを読んだ事があります)
はじめまして。いろいろわからないことがあり、ご教授お願いします。 1.東海道本線上において、EF58の向きは一定してたのでしょうか? 写真をみるかぎりSGのあるほうが東京向きのもあればそうでないのもある ようですが。一般常識かもしれませんがよろしくお願いします。 2。昭和38年度(広島電化後〜新幹線開業前)の宮原区所属のEF58の 担当優等列車(特に東海道線上)をご存知の方はおられませんでしょうか? EF58とペアで担当してたであろうEF61の担当優等列車が知りたく 思ってますのでよろしくお願いします。 上りの霧島、下りあさかぜは確かなようですが。
「コンタックスクラブ会員各位 (中略) CONTAX事業につきまして、本年9月をもって出荷を終了し、京セラにおける同事業を終了することとなりましたので(後略)」 ひと月前のデジカメやめるってニュースでは、最後に一文「フィルムカメラは続ける」とあったのによお…… 防湿庫のCONちゃん軍団、まともに鉄したのがないよお……583だけだったなあ、まともに撮ったのは。58なんぞ一度もファインダーに入ったことねえぞ。(自爆)