16番のEF5861としては、天賞堂の物が有名ですが、それよりもはるか過去 に鉄道模型社から完成品が発売せれていたのを、初めて知りました。 一般型と違う点は側面まで延びた、飾り帯ですが、フイルターの部分が 途切れています。また塗装もブルトレ塗装のように裾部分がクリーム色に 塗られています。 この製品を見たことはありません。 どなたかご存知の方はいませんか? http://juhorie.web.infoseek.co.jp/1no3.htm この方はいろいろな過去のモデル(OゲージのEF58やC62を含めて)を 解説していて、結構楽しめます。
1961年科学教材社刊「模型とラジオ」4月号の付録に「鉄道模型部品ものしり 帳」というのがありました。HOゲージとOゲージの部品並びに製品をイラストや 写真で紹介し、通信販売するものでした。 小学生高学年だった私もこの「ものしり帳」をバイブルの如くむさぼる様に熟読 しました。 最近オークションにてこの「ものしり帳」を手に入れたので、中身をみると当時に タイムスリップした気分になります。 因みにOゲージのスケールものの完成品価格は、ED16 ¥2,500 ED19 ¥2,600 EF58 ¥9,000 EF56 ¥8,000とありました。 当時の大卒の初任給から察すると物価は 1/20位かと思います。 この内私が製品として見たのは58が3台(584・5860・茶色の一般色) 56とED16が1台しかありません。 いずれにしても当時鉄道模型はとても高価で、同じ学校のクラスの中に鉄模を 所有していた人は一人もいませんでした。 現在の生活レベルから考えると、隔世の感がありますネ。
EH10全撮影:1〜64の写真を97枚掲載しました。2005.3.27 03:00 http://home.att.ne.jp/grape/denchu/gallery/h10_index.html
どうもこんばんは…。ご無沙汰です。 日に日に暖かくなってきていよいよ撮影日和ですね。でも撮りたい ものが…。う〜ん、日がな一日のんびりと撮影を楽しめるような 被写体を探さないと…。 さて、もう10日も前になってしまいますが、保存機のページに アップしたとおり久々にイゴマルを拝みに行きました。 現地到着後、某氏と合流して目的地へ。 朝のうちは天気が良かったものの、その後晴れたり曇ったり吹雪 になったりとめまぐるしい天候で、前夜サンライズでほとんど 眠れなかったのも災いし、往路だけ撮影してお昼には「のぞみ」で 横浜まで戻ってきてしまいました。 今度、イゴマルに会いにいけるのは一体いつになる事やら…。 それにしてもサンライズがあんなに揺れるとは思いませんでした。 電車だから仕方ないところなんでしょうが、どうもあの加減速は 体に合わないみたいです。やはり眠るには客車の方がいいかなぁ…。 >阪和線さま 鷹取工場の44(42)号機、工場閉鎖後どうなったか気になって ましたが…。解体されてなかっただけでもホッとしました。 何とか安住の地を見いだせると良いのですが…。 ちなみに当サイトの静態保存機一覧にも記述しましたが、形態 からみてほぼ42号機で間違いないと思います。 >花ちゃんさま お写真どうもありがとうございました。 停車中の姿もなかなか格好いいですね。 >北の58さま お疲れ様でした。 一生懸命になるとどうしても周りが見えなくなってしまうん でしょうね〜。今も昔もネタ物はそうゆう傾向があるように思い ます。(日本人の性ですかねぇ〜) 私も最近はどうも気が引けます。(でも、ゴハチが走ると避けては 通れないところがジレンマ…) >Denchuさま こちらでは初めまして。今後ともよろしくお願い致します。 >銀河鉄道555さま > どこの区の何号機が何を引いて来るのかドキドキワクワクした日々 > が懐かしいです。 確かにそうでしたね。私も最近は目的の列車を撮影したらすぐに 引き上げちゃうパターンが多くて、あのワクワク感を楽しむ余裕が 無くなってるような…。ゴハチを待ってて遠くから茶色いのが見えた 時なんて飛び上がるほど嬉しかった覚えが…。 腰を落ち着けて何かを追ってみるのも楽しいでしょうね。 >EF-18さま てっきり撮影に行かれたかと思ってました。 また、機会があることを祈りましょう。(^_^;)
初春に大阪から名古屋に引越し、あれほど撮影を待ち焦がれたなにわも 引越し直後にありがちな(?)家庭内の不安定状況で150どころでは ありませんでした。。。。。 ToT;
レス有難うございます。本当に逃した魚は・・・・ですよぉ〜〜。 次、いつ動くか分かりませんし・・・大勢の人の中には行きたくないのが 本音ですし。そうですね。58の来ない、東北線も寂しいですよ。 でも、東海道は荷物列車も長編成で凄いですね。東北線も昔は長かったの でしょうけれど・・・私がカメラを持ち出した頃は、もう終焉が近くなって いました。待ってる間は確かにどきどきですね・・・。 でも、今は昔程の情熱はありません・・・。残念ですが・・・。
記念列車残念でしたね。マナーについてですが自分も同じことを思いました。最近特にウンザリですね。昭和59年2月EF58東海道定期荷物列車からの引退と共に自分は鉄から遠ざかってました。あさかぜ廃止の話を聞き12月位からブルトレ&貨物の66を中心にまた鉄を始めました。しかし58が来ない東海道は寂しいです。毎日時間があれば6344レ、8102レ、6348レをチェックしに行ってどこの区の何号機が何を引いて来るのかドキドキワクワクした日々が懐かしいです。ほとんど誰もいなかったし・・・
1976年8月17日の早朝、新潟から天の川で大宮に下車しました。 牽引機はEF58−35でした。 そのころは新潟から帰るときはこのパターンが多かったのですが、 理由は早朝から上り列車が撮影できるからでした。 この日、おが2号をEF57−1が牽引してきました。 EF57の撮影記録にはこれ以降の日付はないのです。 6枚写真をとりました。 この朝は、58−89、15−161、15−70、15−125、 58−108、58−73、15−124、58−90、58−120、 58−174、15−97、15−1 等が撮影できました。 EF15−1は石打で2回、赤羽で1回写真を撮っています。 下記は今年の2月7日に開設したホームページです。 http://home.att.ne.jp/grape/denchu/ ここに、EF58のパンタグラフに関する原稿と関連写真が載っています。
お久しぶりです。ガーン、宇都宮高二様がお教え下さった、記念列車・・・ 時間間違えて逃してしまったぁぁぁぁ。前日(土曜日に)筑波でお遊びレース に参戦後、そのまま、宇都宮スーパー銭湯に・・そのまま車内泊(車が大きいので) で起きたら撮るつもりが・・・いくら待っても来ない・・・。体は冷えて・ 日光線の方を見ても・・・はぁ〜。すでに行ってしまった後だったようでした。 しかし〜。友人(高校時代の)から、ユーロライナーが宇都宮〜黒磯まで 回送扱いで来てるよとの事・・・丁度その時、黒磯近くに居たので、 そのまま、駅に入場券買って(何と15〜6年ぶり)撮りましたよ〜。 カマは65、1000番台でしたが・・・ 鉄道ファンとおぼしき15.6人いたかな?の合間を縫って写真を撮りました。 しかし、最近は礼儀が無いね。自分の事で精一杯なのか分からんが・・・ 人の前に来てしゃがんでは、いる物の・・・前を失礼しますとか無いのかい。怒。 おまけに電車が入ってくるホームでも白線の外側でギリギリの人・・・ 駅員さんもあきれ顔。私も当然呆れて物も言えませんでした。 注意しても、何処かに行ってしまうし。 ちょっと、考えた1日でした・・・。まあ、人が少ないから良かったけど。 まあ、碓氷峠廃止以来ぶりの撮り鉄でしたが・・・暫くもう、いいかなあ。
倉敷で41分停車しました。 管理人さんに送ります。 僕のHP↓にも載ってます。 http://www.hi-net.zaq.ne.jp/hanatetsu/
初めまして、こんばんわ。 阪和線と申します。よろしくお願いします。 ただ今発売中のRM誌に鷹取工場に展示されていた旧竜華区の44号機のカットモデルの現状が紹介されています。 写真で見る限り、あまり状態は良くないようでいつスクラップされてもおかしくない状況に見えます。 鷹取工場廃止後、売りに出されてたのは知ってますが現在の所有者等の詳細は一切分かりません。 私としてはかなり馴染みの深い旧竜華区唯一の生き残りの(顔だけですが)ゴハチであり、なんとか整備して どこかに保存して欲しいものです。 (ニセ158号機もなくなったし、交通科学博物館あたり保存してくれたらなぁ) ちなみに実は42号機だと言う噂もありますよね・・・・
こんばんは…。何かここへ来て怒濤の忙しさ…。う〜ん…。(^^;) で、明日の今頃は「サンライズ」車中だったり…。(^_^;) でも、月曜は朝から会議だったり…。(-_-;) >青列車さま 私が「あさかぜ」に乗ったのは20系時代末期と修学旅行で乗った2回だけでした。 なかでもナハネフ22の展望窓から流れ行く夜景を満喫できたのが良い想い出です。 母方の田舎が松江だったこともあり、「出雲」や「いなば」には何度も乗っている のですが、九州ブルトレは意外と少なかったり…。そう言えば先の修学旅行の往路 は「さくら」だったような…。今は修学旅行も海外や飛行機なんでしょうね〜。 > いつの日か、再び「あさかぜ」の走る姿を見られる日が来ることを祈っています。 かつて20系「あさかぜ」がデビューした時のように人々が憧れるような列車として 再生して欲しいですね。 >宇都宮運転所さま う〜ん…何とも凄いお値段ですね。それだけゴハチに思い入れのある方が多いと 言うことでしょうね。(^^;) >源さま お久しぶりです。リンクではお世話になっております。 URL変更の件、承知致しました。次回更新時に直しておきます。 583系もすっかり少なくなってしまいましたね。西の583が国鉄色だったら…。 クハネは583より581の方が好きなんですよね〜。 >寿司 太郎さま 何やら色んな噂があるようですが…。私も詳しいことは分からないので…。(^_^;) 走ることは確かなので、現地に行けば何とかなるかも? >浦和のファンさま え〜と、私も知りませんです。雑誌に載ってませんでしたか? では、イゴマル撮影に行かれる皆様、お気を付けて。
何時に、日光駅に入線するか教えてください。
寿司太郎さんへ 某HPでダイヤが紹介されましたが、 主催者から削除依頼があったそうなので、紹介できません。 スミマセン。 往路は、前に書いたとおりです。
13日の(折り返し)の時間 お願いします。 なにわ・あきカン付き!!(呉線)経由 らしいです。
3月も半ばとなり、少しずつ暖かな風を感じられる季節になりました。 春を迎える今日この頃、いかがお過ごしでしょうか。 私は花粉症との戦いで、日々疲労を重ねております(笑)が…。 さて、この度、URLを統合する事となり、583系記念写真館もURL変更となります。 昔作ったページにおいては、先端のブラウザで見るととても耐えられない品質の写真も多く、膨大な作業となっています。 一気に仕上げることは難しいですが、少しずつでも作業して参りますので、URLの変更を宜しくお願い申し上げます。 今後も末永いお付き合いができますよう。 新URL→http://www.itsukushima.net/JNR/
毎度紹介される58についての情報は、本当に奥が深くて幅広いものだといつも 痛感しております。これほど注目を集める機関車も最初で最後?でしょう。 既に諸兄の皆様もご存知の通り、昨年末に売りに出たEF5838号機のナンバープレート と○芝の銘板のセットが400万円にて落札されました。私が驚いたのは、300万円を越える 金額をつけた方が4人もおられたことです。ちょっとした自動車が新車で買える金額ですよね(笑) 国鉄末期の昭和59年から、法規を改正して直接車輌部品を販売できるようになったと記憶しておりますが 当時売りに出された144号機や113号機の運転台部分は一体いくらだったのでしょうか? 大宮工場で抽選にて購入できたプレートは、13/15/58どれもが7万円(税別)だったと記憶しております。 38号機セットを購入する予算があれば、おそらく1両丸まる購入できたことと思います。もちろん輸送費や 保管場所?その他の問題を考慮すれば、金額の問題を除いても1両の機関車を買える条件をクリアできる人など そう多いとは思えませんが、、、。各地で販売された58のプレートですが、末期?の大宮工場で販売されたもの については、OM(おそらくOMIYAの略)と販売された「年月」が裏側下部の枠部分に刻印されております。また、 EF13の途中までは、解体時にガスバーナーによって取り外されていたプレートもその後の人気を見込んでかプレートの 取り外しも固定しているビスを取り外す方式に変更された為に、58については4隅のビス穴付近が焦げたものは今まで 見たことがありません(もしありましたらどなたかご教授お願い致します)。そういった綺麗なプレートが多いという意味でも 幸運な機関車といえるかもしれませんよね!
お邪魔しますm(_ _)m >>管理人様 トップページのお写真拝見しました。ノーブルな青を纏った長い編成を颯爽とエスコートするロクロクの鼻先に燦然と輝く「あさかぜ」のヘッドマーク。やっぱりかっこイイ!です。 歴代の「サラブレッド」達の鼻先を飾った栄光のヘッドマークをもう2度と本線上では見ることが叶わない…未だに信じられません。というか、頭では理解していても心の底では現実を拒絶しています。高貴な印象の20系時代。編成の半分以上がロネだった特別急行列車。セレブなどという言葉が軽々しく使われたりしなかった時代、居住まいを正して利用する「特別急行」の香りを色濃く残した最後の列車の一つでした。特にハネ車の居住性では格段に向上した14系や24系の時代になっても、編成中のロネの多かった博多(殿様)「あさかぜ」は、やはり特別な存在でした。物心ついた頃からずーっと憧れていたこの列車、しかし実際に乗れたのは最盛期を過ぎてからのことでした。 20系時代は1度しか体験できませんでした。(1976年3月。高校入学前の春休み) 本格的に利用したのは高校・大学時代。もっぱら受験や就職活動での上京で幾度お世話になったことやら。徳山駅から利用するには都合のよい時刻設定でした。ナシ20と比べると、いささか安っぽいオシ24でしたが、当然食堂車が現役でしたから、それもまた利用の動機でありました。 (食堂車のない下関あさかぜの利用頻度はそれ故に博多あさかぜよりかなり少ないのです) 今となっては返す返すも残念で悔しいのが、C62とEF58の牽く「あさかぜ」の記憶がないことです。 (C62の牽く特急は、「さくら」は徳山駅に到着する上り列車を見ているのですが…亡父が…「さくら」が来たぞ」…と言うので振り向いた時には既に遅く、給水温め器の前にヘッドマークらしいものをつけたC62の「横顔」は見たものの…マークそのものの模様は見損ねてしまいました。また、ウチの田舎あたりが架線の下になった時には、既にEF58はブルトレ運用を後輩に譲って自らはエースの座を降りた後でした。ブルトレ58は後に、関西発着の「あかつき」「彗星」で、ヘッドマークも凛々しい姿を見ることができましたが…) 確かに、スピードでは新幹線や航空機には勝てませんし、値段では夜行バスには勝てません。所要時間でも高速道路を飛ばすバスを大きく凌駕できているわけではなく寧ろ不利な立場ですが…そのいずれの手段でも得られない、独特の味わいがあったのが夜行列車。安全且つ正確に、地べたにしっかり足をつけ、昨日までとは何かが違う明日に向かって走る夜汽車。その安心感はやはり、他の交通機関では得られない至宝であると認識しています。 いつの日か、再び「あさかぜ」の走る姿を見られる日が来ることを祈っています。否、信じています。
ご無沙汰です。 今年も早いもので3月ですね〜。それにしても「あさかぜ」「さくら」の 廃止は予想以上に多くの人の心に昭和の終焉を感じさせるものだったよう で、翌日の新聞一面に記事が載っていたのには少々驚きました。 私も最終日、会社の帰りに時間が合えば横浜で最終列車をひっそりと 見送ろうかと考えてましたが…残業で敢えなく頓挫。結局、翌朝の 上り最終「あさかぜ」を出勤前に地元で出迎えました。(その後、普通に 出勤しました。) 時代の流れで仕方ないとは言え、実際、最後となってみると何とも寂しい ものがありますね。 >747-400さま ブルトレ塗装の手すりの塗り分けの違いにそんな意味があったんですね。 ところで、青大将でも道部分が車体裾スカートにあわせて黄色の物と緑 一色のものとがあり、疑問に思ってましたがもしかしたら同じ理由なの かもしれません。 > トミックスのDF50 ネットでその出来を見て、「おぉ〜なかなか…」と思ってましたが…。 そんなエラーがあったんですね。(^^;) でも、あのスノウプロウを付けた姿は私にとって山陰で一番見慣れた姿なの で、素直に格好良い〜と思ってました。それにしても誰も気付かなかった んですね〜。写真見なかったのかしらん? http://ef58.pos.to/DL/19760820a-df50572b.jpg >北の58さま 宇都宮のゴハチ最盛期については既に宇都宮 高二さんの回答が出ています ので…。大宮駅120周年号ですが、東北本線内だと光線が厳しそうです ね。人が集まりそうなのは日光線の今市〜日光間でしょうから、それ以外は それほどでも無いのではないかと…。<甘いかも >宇都宮 高二さま > ご存知かと思いますが、この頃の宇都宮区のゴハチは、皆様も大好きな > EF56・EF57を皮肉にも追い出すかたちの時期でした。 私はまだ小学生でしたが、76年8月、上野駅でゴナナに出くわし、その迫力に 圧倒され、一気に惚れてしまいました。でも、ゴナナを目撃したのはその時 が最初で最後でした。(;_;)その際、123レ牽引機の1号機の運転席に座らせ てもらったのが良い想い出です。 > 大宮駅開業120周年記念列車 61牽引だったら何を差し置いても駆けつたいところですが…。 今頃バラしているところでしょうね。(^^;) >EF5853さま 当時、ゴハチのスマートさはどちらかと言うと新形電機のそれに近い感覚で 見ていたように思います。大きなデッキに迫力のパンタを振りかざしたゴナナ の姿(除く1号機)は旧形電機の雄と呼ぶにふさわしいものがありましたね。 上野駅で特急を撮ってる時にゴナナが現れると「ゴナナだ!」と興奮して 舞い上がっておりました。 3/1はお疲れ様でした。前日の状況は凄まじいものだったんですねぇ…。 >寿司 太郎さま イゴマル、そろそろでしょうか? ロクイチもSLが出場したようなのでいよいよこれからでしょうか。 >宇さま 1970年代はまだまだ直流区間の客車列車と言えばまだまだ「ゴハチ」の 感が強かったですね。東京機関区や田端機関区を覗くとゴハチがズラズラ… と言う光景が懐かしいです。 >銀河鉄道555さま 時代によって好きなスタイル、思い入れのある番号が異なってくるところが ゴハチの面白いところであり今もって多くの世代に支持者がいるところで しょうね。 私が一番好きなゴハチは…う〜ん、難しい…それぞれに個性がありますから ねぇ…。61号機を別格にして強いて挙げればやはり53号機でしょうか。 形態だけでなく、やはり当時の追いかけた思い入れが一番強いところが決め手 でしょうか。 >ご〜に〜さま 情報、ありがとうございます。(^^;) >EF5841さま > 62号機の塗装変更時期 まず、「EF58ものがたり」によると検査時期は甲修(全検)で48ヶ月(4年) となっていますね。同誌では新塗装への変更は甲修時となっていますので、 それを前提に昭和28年8月製造の同機に単純に検査時期で当てはめて甲修時期 を算定すると32年8月、36年8月、40年8月…となりますが、履歴では若干ずれ ていますね。 手持ちの資料では48年3月に要検(検査時期全検後2年)を受けていますが、 そこから遡ると全検(甲修)は46年3月、42年3月、38年3月となります。 検査時期はご指摘の通り実際には走行距離でより短くなる場合がありますので、 40年5月の丙修(検査時期1年)の2年後の42年中頃に全検(甲修)を受けてい るのでは無いかと思われます。そうするとぎりぎり塗装変更時期内に入りそう です。 これは単なる机上での推理ですのでもしかしたら丙修時に塗装変更が行われた 可能性も否定できませんが、当時のお堅い国鉄が特急色のような特例でも無く、 甲修時以外に塗装変更を行ったかどうかは可能性が低いようにも思えます。(^_^;) さてさて、明日から久々に出張です。嗚呼…また忙しい日々が…。