大宮工場に.入っている。ロクイチいつ頃 出てくるのかな? 3月に.旧客(日光線)EF55+EF64(EF58)予定! ですが.西日本のEF58-150も.動きが有るらしい? 話が聞きました。こんどは.なんだろう? これから.楽しみだな…
マイテ3911の話のついでに悪のり 「さくら」に展望車がついた話 1956、1、15 C59115 スハフ42306 スロ5444 スハ43631 スハ43630 マシ385 スハ43624 スハ43633 スハ43632 スハフ42308 スイ381 マイテ3911 1958、5、16 EF5895 スハニ359 スハ4410 スハ4422 スハ4421 スハ443 マシ29107 スロ5420 スロ5421 スハフ432 マイテ3911 本編成 展望車以外 青大将
マイテ3911の話のついでに悪のり 「さくら」に展望車がついた話 1956、1、15 C59115 スハフ42306 スロ5444 スハ43631 スハ43630 マシ385 スハ43624 スハ43633 スハ43632 スハフ42308 スイ381 マイテ3911 1958、5、16 EF5895 スハニ359 スハ4410 スハ4422 スハ4421 スハ443 マシ29107 スロ5420 スロ5421 スハフ432 マイテ3911 マシ3512 ナロ1022 ナロ1020
客車の青大将 11月19日 に複数の編成が間に合ったのですが、機関車の方は、宮原の89、東京の57だけでした。 このため、初日の「はと」は、茶色の58が牽引しました。 20系「あさかぜ」、33年から2年程度、下りは東京区の青大将が、上りは浜松区の茶色の58が牽引しました。 当時、60は浜松におりましたから、運用のローテーションで牽引してもおかしくありません。 「はくつる」も東京区もちの頃、茶色の58や変わり種ですとブルトレ色が牽引しました。 OJゲージのスハ44系「はと」編成 展望車は マイテ49ー2 カシ36 青大将ではなく、ぶどう1号 熊田貿易キットと自作 牽引機は 61号機 を予定 スハ43系「なにわ」編成 特ロと食堂車マシ29 は 青大将 を組み入れようかと思っております。 日吉模型、熊田貿易、自作 シル・ヘッダーは切断機で、 雨トイはミーリング加工 窓抜きはハンドプレスで と考えております。 0、6mm厚を使う関係で、屋根の折り曲げはプレス加工を外注しようかと思っております。
EF5841さま、毎回の回答 誠にありがとうございます。 OJでスハ44系 43系を自作されているのですか? 窓抜き、車体の折り曲げ、シル・ヘッダー 雨トイの帯材の調達等、想像を絶する 作業の連続ですね。 「はと」編成の最後尾は「マイテ58」ですか マイテ49ですか? ご質問の60号機の牽引する20系「あさかぜ」ですが、私も写真等を見たことが ありません。 そもそも東海道筋の20系を牽引する60号機61号機もありませんね。 あとありそうで、見たことがないものに、茶色の58が牽引するグリーン「はと」 でしょうか? 茶色の58が牽引するグリーン「つばめ」は結構あるのですが…。
実車において、溶接により1枚物を作るのは結構大変ですよ。 このため、ウインドー・シル&ヘッダー部分において継いだのかと思います。 模型のウインドー・シル&ヘッダー付け、小生の場合、DYIショップでアルミの凹字型の部材を購入し、ウインドー・シルあるいはヘッダーの取付位置にスリットを入れた専用のジグをつくり寸法だし及びハンダ付けの取付押えをしております。 客車の場合、ごく一部の例外を除き寸法が同じですから、ウインドー・シル、ヘッダー、雨樋の3種類を作っておけば楽にかつ正確に取り付けることができます。 またその場合、予めハンダメッキをしておき、小生の場合、最初に中央、そして左右、次にそれぞれの中間、またその中間と点付けし、最後に一気にこてを引いております。 こてを当てる場合、瞬時にしないと熱で延びまっすぐに取り付けることができません。 こての当て具合ですが、素手で押さえていても熱くならない、本当に瞬間のことです。 これが OJゲージになりますとガスバーナーによるあぶり付けをすることもあります。 目下、OJゲージのスハ44系「はと」1編成とスハ43系「なにわ」1編成に同時着手しております。
旧型客車(10系客車以前)のバラキットを組んでいていつも思うのですが、 ウインドー・シル&ヘッダーは何のためにあるのか?いつも疑問に思います。 しかし全ての旧型客車(旧型電車も含めて)にこのシル&ヘッダーがあるわけで なく、オハ35には「ノーシル・ノーヘッダー車」「ノーヘッダー車」「長柱車( 張り上げ屋根)」があり、またオロ40、ジュラ客から改造のオロ42には、シル ヘッダーがありません。 どなたかご存知のかたはおられませんか? キットを組む際にはこのシル・ヘッダーを真っ直ぐに貼り付ける必要があり、 煩わしいたらありゃしない。!
国鉄車両の形式図ですと下記サイトが充実しております。 http://218.226.45.107/tecs/index.html
EF5841さま いろいろな情報をありがとうございます。 ところでマイテ39−11の展望室内部のカラー写真を掲載しているサイト を発見しました。 http://fujishirou.web.infoseek.co.jp/contents10-maite3911.htm 興味のある方はアクセスしてみてください。
「星晃氏」の回想によると 接収された展望車は、在籍していた11両及び10号御陵車のうち次のとおりである。 スイテ37ー1・2 スイテ38−1 スイテ48−1・2 スイテ49−1・2 10号御陵車 スイテ38−2 マイテ39−1・2 スイテ47−1 の4両については、戦災又は事故により車両の状態が悪く、休車扱いで接収を免れた。 戦争末期、優等列車廃止後、優等車両を疎開させていたが、マイテ39−1は B747様の記載されているとおり、銃撃によりかなりのダメージを受け、他の3両も程度は思わしくなかった。
「マイテ」 > 「スイテ」 訂正します。
「マイテ38」について、下記サイトに来歴が書かれております。 http://jnr.site.ne.jp/PC/tenbo/htm/tenbo_frm.htm
マイテ39-11のデッキがマイテ39-1のデッキの形とどうして相違しているのか 不思議であり、疑問点でした。 ニワ模型の客車カタログの中に「マイテ3911 事故前」と「事故後」という のがあり、追突事故が戦後の出来事のように書いてありました。 しかし、戦後、特急「へいわ」の下り1番列車に「マイテ39-11」が使用され そのときのデッキはマイテ58のような形であり、戦後の事故ではないと 思っていました。 EF5841さまの記述でそれが戦前の事故と分かり、私の疑問も解消されました。 私の疑問はもう一つあります。 それはマイテ39-21(スイテ38-2)がなぜ進駐軍に接収されなかったのか? という事です。 スイテ39の2両は戦時中、品川で米艦載機(F6Fヘルキャット?)の 銃撃を受け、展望室を破壊されたために接収されなかったと聞いていますが スイテ38-2については、資料がありません。 スイテ38-1は接収され 軍名称「CLYDE」が与えられましたが、スイテ 38-1はどこに留置されていたのでしょうか? EF5841さまはご存知ありませんか?
>現役当時、品川客車区内で「仏壇」と呼ばれ 一般乗客の間では、「霊柩車」 このため、青大将にはそぐわないと言うことで、呼び車扱い。
マイテ39−11 確か、特急「富士」に運用されていた折、山陽本線網干駅構内で信号停車していた折に、後続列車が追突。 展望室部分まで後続列車の機関車が食い込み、大破。 その復旧に際し、展望デッキの形状が他の車と異なることになったかと記憶。
EF58牽引の特急と言えば「つばめ」が真っ先に出てきます。 この「つばめ」のラストを飾る展望車ですが、茶色時代の「つばめ」には3両の マイテ39が使用されました。 マイテ39−1(元スイテ39−1桃山式)マイテ39−11(元スイテ39−2 桃山式)マイテ39−21(元スイテ38−2 白木屋式)の3両です。 このうちマイテ39−11が青梅鉄道公園に展示されていたのをご存知の貴兄も 大勢おられると思います。 私が初めて当所を訪問したのは、今から25年程前でした。当時は入園無料で、 その中に「マイテ39」が保存・展示してあるのを見て驚きました。 展望デッキから展望室を見て、またビックリ! 何と展望室は「桃山式」といわれた黒漆塗り・隅々には金色の飾りの付いた 旧スイテ39ではありませんか。外側から見た感想は室内は暗く、現役当時、 品川客車区内で「仏壇」と呼ばれていたのも頷けます。 1等室はどうかな?と思い 近くにあったベンチをひきずり覗いてみました。 展望室と違い、内部は淡緑色に塗られて非常に明るく、国鉄式リクライニング・ シートが8脚並び、その隣 前位には固定式の向合わせのイス 6人分が確認 できました。 このマイテ39を目当てにその後、何回も訪問しましたが、行くたびに展望室 内部の荒廃が目につきました。 特に台風接近に伴う暴風雨の後は、雨漏りのため一層荒廃がひどくなりました。 (この暴風雨でマイテ39の隣に展示してあったC51が崖下に転落、廃棄され ました) その後、このマイテ39−11は出生地の大井工場に引き取られ、1度工場の オープン・ハウスの際に、展示されましたが、その時に係り員に尋ねたところ 「内部は復原されていない」という事でした。 西のマイテ49−2のように、動態保存されイベント列車の最後部を飾って くれれば と願っているのですが…。
この3月に「あさかぜ」がなくなりますが、 昭和33年に20系化した際、上りについては、浜松区持ちでした。 と言うことは、60号機が牽引してもおかしくありません。 どなたか、60号機が牽引している写真等の資料をお持ちの方おられませんでしょうか。
EF58EF15の竜華区によるものは紀勢本線はカーブが多く運転士の視認正向上のため です 一時EF5861もシールドビーム化される予定でしたが(設計図まで出来ていたそうです )大宮工場の英断により中止に成りました。
シールドビーム化は、紀勢本線入線車両等ごく一部にとどまった訳は何だったのですか?
昼間のヘッドイライト点灯は、かなり効果的なようですね。 バイクは昼間でもライト点灯を義務付けられていますが、四輪車も義務つければ 良いのではと私も思います。 米国でレンタカーを借りると、カナダ仕様の車になることがあります。その車は エンジンをかけるとライトが点灯し、消灯することが出来ません。どうもカナダ では昼間でもライト点灯が義務付けられているようです。 国鉄時代に前面警戒色という発送でなく、ライト点灯という発送があれば電機の 塗装もイキなものになったことでしょう。 少なくとも前面クリーム色ベッタリという無粋なことにはならなかったかと思います。
と言っても撮影ですが。(^^;) 先日、地元の横浜近辺で某氏と久々にブルトレを撮影してきましたが、意外な ことに同業者はいませんでした。唯一、「富士」が通過する時に撮影地の近所の 方らしい男性(40歳くらい?)がカメラ片手に現れたくらいでした。その方も 「ブルトレ無くなっちゃうんですか?」と尋ねて来られたくらいなので、普段は 鉄活動はやってないんでしょう。おそらくかつてのブルトレブームの洗礼を受け た世代なんでしょうね。 以前、鶴見線のクモハ12や急行「東海」が無くなる時にもどこからともなく スーツ姿の会社員が大量に沿線に現れましたが(私もそうでした…)、もしか したら2月末になったら今回もそうなるんでしょうかね〜? >747-400さま JR貨物の新型電機群には個人的にはエールを送ってます。どれもなかなか 格好良いですよね。残念なのは今後、彼らが旅客列車の先頭に立って表舞台 に上がる可能性がほとんど無いことでしょうか…。 EF58がいつの時代も脚光を浴びたのも、そのスマートな車体も一因でしょうが やはり「つばめ」「はと」をはじめ数々の優等列車、旅客列車の先頭に立って 活躍したからでしょうね。 数で勝る兄弟機EF15は何と地味な一生だった事か…。(;_;)もっともそこが私に とっては魅力的だったりしますが…。(^^;) > 前面警戒色の効用 確かに撮影地などで見た感じですと、それほど効果があったとは思えませんね。 警戒色がかえって周りの景色に溶け込んでたりして…。 >EF5841さま 労使の交渉…リアルですねぇ。何かホントにこんなやり取りがあっても不思議 ではありませんね。 順法闘争…懐かしい響きです。悪名高い「スト権スト」なんてのもありましたね。 その頃は学生だったので、単純に学校が休みになる〜と喜んだような。国電など 通勤通学列車が1週間運休になるなんて、とても今からは考えられませんね。 スローガンはファンからも毛嫌いされてましたが、今になってみると記録として 少しは撮っておいた方が良かったかな…なんて。(^^;) >青列車さま ヘッドライト点灯は本当に効果的ですね。撮影で線路端にいると長い直線区間など では遙か彼方から列車の存在を確認できます。 副次的な効果としては写真を撮るファンにとっても嬉しい内容でした。 国鉄時代は昼間ヘッドライトが点いた写真はなかなか撮れませんでしたから、希に 撮影地でサービスで点けてくれるとすんごく嬉しかったですね。 今は点灯が当たり前になったので嬉しい反面、電車や気動車のケツ撃ちがやり にくくなってしまった面がありますが…。(^_^;) > 9両編成の乗客が全部まとめても数十人程度 出張など観光以外の実用面で利用する人はもはやほとんど居ない…と言うことで しょうね。寂しいですがこれが現実でしょうね。かつて「動くホテル」と言われた ように最低でも今のビジネスホテル程度のアコモで時間帯さえ良ければ、需要は あるようにも思えますが…。もしくは「カシオペア」みたいな豪華列車にするか…。 4社にまたがる九州ブルトレでは各社の思惑もあってそれでも難しいんでしょうねぇ。
お邪魔します。 タイトルだけで済んでしまいそうですが、JR各社で日中もヘッドライトを点灯するようになったのは 踏切における視認性向上による事故予防対策だと聞きました。 日中のヘッドライトは案外視認性がよく、けっして「昼行灯」なんぞではありません。 (実際道路交通でも二輪車のそれは良く目立ちますよね。私も雨天曇天時にクルマを運転する時は対向車 のパッシングも覚悟の上でヘッドライトつけて走っています。万が一こちらが気づくのが遅れても、相 手が私の車に気づいて回避行動をとってくれるなら、それだけでも事故の危険が減らせるのでは?という ちょっとだけ甘えた理由ですが…)(^^); ヘッドライトの日中点灯といえば、新幹線が元祖でしょうか?もっともあちらは前照灯としての意味は殆 どなく=というより運転士が肉眼で前方の異常を認識できた時には既に手遅れですから=前部標識灯以上 の意味はないとのことです。超高速で走行する列車がこちらに向かってくるのか?去っていくのか?一瞬 の判断がつかない時、つかないまま接近してきたら危険極まりないので、瞬間的に視認できるようにとの ことです。ただ、実際問題、通常は営業列車運転時間帯に地上作業員が線路敷に入ることはないそうです が… ヘッドライトの効能は程なく各鉄道会社に伝わり、JRのみならず民鉄でも採用する会社が多くなりまし た。私が通勤利用している京成電鉄でも数年前から採用されています。 (踏切を多く持ち単線区間も多々あり路線総延長も関東民鉄ではトップの大手民鉄では何故かまだ採用さ れていないようですが…導入してみては如何?>東武鉄道さん) 追記 先日実家の母親見舞いに行ってまいりました。1月12日に胆石除去で開腹手術した71歳の婆でしたが、な んと18日朝には退院することになってしまいました。心配して損した!って感じです(爆) ちなみに今回利用した「あさかぜ」ですが、乗ってみて愕然としてしまいました。 17日19時東京駅発5列車。6号車の乗客はなななななんと!東京〜徳山間で私一人だけ!34人乗れるオ ハネ25をたった一人で貸切利用! 18日18時26分徳山駅発6列車。こちらも6号車の乗客はその時点で私一人!ただ、おそらく姫路あたり で乗ってきたのか?朝にはもう一人女性客の姿がありました。 9両編成の乗客が全部まとめても数十人程度…いくら1月の平日とはいえあまりといえばあまりの実態! かつて編成の半分以上がロネ・ロザだった時代・寝台券がプラチナチケットだった時代・この列車に乗 った!といえばクラスで自慢できた時代!大都会への憧れを感じさせてくれた列車・そしていつか都会 に出て、盆暮れ正月にはあの列車で帰省する!という夢を田舎の少年に見せた栄光の特急列車の、それ が今の現実…かつてこの列車に憧れ、「鉄」スピリットの原点をこの列車に持つ当時の鉄道少年=そして そのまま「乳離れ」もせず、中年ロートルとなった今でも「鉄」=には脳天かち割られた以上の衝撃の事実 でした。 急行「津軽」が廃止になった時、秋田県や青森県津軽地方の人々が感じたであろう気持ちが痛切にわかる 気がする今日この頃です。
ヘッドライトの件、気がつきませんでした。 マーカーライトと同じ意味合いで点灯させてるのでしょうね。 私鉄ですと各駅停車と通過列車との区別のためにマーカーライトを点灯させている線区もありますね。
「順法闘争」が死語になって久しくなりましたね。 撮影に行き、煙室扉やテンダーに白ペンキでスローガンを書かれた日には、もう撮影中止。
EF5841さまの警戒色制定の推論はなかなか信憑性がありそうですね。 何しろ、当時は泣く子も黙る「動労」「国労」が健在でしたから。 JR化後 春闘の悪名高い「スト」がなくなったことは、我々利用者に とっては万々歳です。 ところで、JR化後だと思うのですが、昼間でもヘッドライトを点灯する ようになりましたが、あれも視認性の向上、あるいは「テールライトを点灯 するのだから、先頭を示すヘッドライトも点灯しよう」という発想なので しょうか?
少し、本題から脱線しますが、国鉄の場合、脱線事故が起きてもなかなか事故復旧しない思いが多々ありましたね。 実は、当時の国鉄は、そのような事態でも、事故の復旧に係る職員の労働条件を団体交渉で決めてからやおら復旧作業に携わったと言われております。
>前面警戒色の効用? 実効性というより国鉄労使の団体交渉の賜物かと思います。 組合(K)「青15号に塗ると空の色等に溶け込み、視認性が悪いと認識するが当局の見解如何。」 当局(T)「ご指摘のとおり、空の色に溶け込むものと認識している。」 K 「当局としての対応策如何。」 T 「車体前面に視認性の高い色彩を塗装することとしたい。」 K 「組合として了解する。」 というのが本当の顛末ではないだろうか。
EF58のカラーリングに対し、種々の意見があるようですが、それはやはり各人の 思い出・思い入れ・好みが反映されるもので、10人十色(といろ)であり 色々な意見が述べられるのは、大変歓迎されるべきであると思います。 これほどまでに色々な年代の方々に愛されているEF58は「機関車冥利に尽きる」 と本人も思っている事でしょう。 58の全盛期は知っているオールドファンの私にとっても、とても嬉しく思います。 新型電機の未来は決して明るくない事を考慮すれば、今後このような機関車が出現 することはないでしょう。 ところで、ふと思ったのですが、「電機・電車等車両の警戒色は一体誰のため?」 という疑問が沸きました。 考えられるのは保線作業員の方々だと思うのですが、乗務員は乗務前に運転指令 から当日の保線工事個所、通過速度等を事前に伝達・指示されると想像されます。 現場通過時にはホイッスルを吹鳴し、接近を伝え徐行すると思います。 保線側にしても、現場監督が接近車両を watch しているはずです。 国鉄がJRとなり JR貨物の電機を中心に電機の塗装変更が進み、EF65や EF66もかなりアカ抜けた感じになったと思います。 最新型の電機も警戒色というより、アクセントとして、前面に巾の狭い白色の帯 を配色しているように見えます。 以上を勘案すると、果たして鉄道車両における前面警戒色はどの程度効果があるの でしょう??
やはり青い警戒色のゴハチです。 こればっかりはその時代しかリアルタイムで知らない者の性ですね。 >EF5841さま 581系の場合、実用面とデザイン面の双方から導き出された形態と言う 感じで国鉄電車の中では好きなものの一つです。確かに優雅さでは ボンネットに劣るとは思いますが、車両限界一杯の車体の重厚さは 何とも言えません。 路線別カラーは確かに秀逸でしたね。最近は私鉄も含めどれもステン レスになってしまって、そう言った面からはサービス低下かも…。 > 前面を金太郎塗りとして、乗務員ドア後方位で下がり、後は、61号機 > のような髭と面一のラインで結ぶ それなら確かにヒゲをスポイルしませんね。 以前、ゴハチの写真をEF65Pのような特急色に冗談で仕立てて見たことが ありますが、塗り分けとヒゲが干渉してどうにも無様な出来になってしま いました。やはりあの塗装はEF60500の時に良く考慮して塗り分けたものだ と納得してしまいました。 > デザインの悪化は衰退の証 確かに色んな面で余裕が無くなってくると真っ先にデザインが犠牲に なる気がします。反対に機能からの必然としてではなくデザイン過多 になってしまうのもどういったモンなんでしょう。 >747-400さま 最近のロクイチはそれほどでも無いですが、両毛御召し前くらいまで 同機の色はかなり黒に近い茶色でした。沿線でロクイチを撮影してると、 遠くから真っ黒でギラギラした塊が迫って来るので「ゴキブリ」…と 形容したくなる気持ちも分かる気がします。 実際、沿線でファン同士の会話などでたまぁ〜にそう言った表現を聞く ことがありますが、決して嫌いだからと言うのではなく、愛するゆえの 警戒色、イギリスやドイツなんかでありませんでしたっけ?確かドイツの 有名な103型が真っ赤な車体に白の警戒色という出で立ちに変更されて、 地元のファンにはやはり不評とか…。(^^;) >青列車さま > ゴキブリ 神出鬼没でしぶとい生命力…確かにそうかも。(^^;) 先にも書きましたが、結構撮り鉄の間では冗談半分でそんな風に言うこと もあるかも。嫌いと言うより愛を持って言ってるんだと思いますが…。 今晩、出発ですね。お名残乗車…寂しいですが、満喫できると良いですね。 >碧電宮さま 初めまして、今後ともよろしくお願いします。 130号機の旗開きの写真を見ると、正直かなり汚れていて既に廃車と言って もおかしくない姿ですね。この状態でとても御召しを牽引できるとは思われ ませんし、実際予備機の指定は無かったようなので(当時、61号機にはあえて 予備機を設定していなかった)あくまでファンへのサービス、もしくは130号 機への餞として高二独自にやったんではないかと思います。 にしても廃車日後に動いているとは…。履歴簿の記録間違いか資料の誤記で しょうかねぇ(・・;)? 「はと」のヘッドマークですが、お褒めに預かり光栄です。 ちなみにフォトショップで傷を消して各文字と縁飾り?部分のマスクを それぞれ作って個別にトーンカーブ、色相・彩度をいじってあげました。 >Hゴム派さま 私も60,61号機以外は青!と言うの思いが強いですね。実際に様々な塗装を その時代に見ていると、また印象は異なってくるんでしょう。
風邪ひきマスクを含め、58に対する皆様の思いはそれぞれにお有りかと思い真す。 ぶどう2号、4号機、16/18号機、31号機、青大将、ブルトレ、それに風邪ひきマスクの実車をまじかで見てきた者としてのデザインに対する一般論的な見解を述べたものに過ぎません。 風邪ひきマスクをはめるならば、デザイン的には、お髭は不要かと思います。 65の場合、単に60のデザインを踏襲したに過ぎず、当初から風邪ひきマスクをはめた64等にはお髭はありません。
ゴハチの色で話題になってますけど、実車が関西ブルトレを牽いてた頃に 生れた私としては、お召以外は青こそゴハチにとっての国鉄標準色です。 風邪引きマスクというのは、言われてヘンな感じです。 現存機では茶が主流になってしまいましたが、個人的にはEF65でいえば 貨物更新色…つまりJR化後の塗色変更機みたいであまり好きにはなれません。 デザイン的には、青は窓下の警戒色のお蔭で明るい印象になって好きです。 青大将や4号機試験色も、センス的にはいいと思います。ただ、同じ塗り分けでも ブルトレ色はヘッドマークがないと地味すぎて不気味な印象がします。
初めまして。以前より度々拝見はしておりましたが、書き込みさせていただくの は初めてです。よろしくお願いします。 高二最後のゴハチ、EF58130の予定がEF641000に差し替えられた団臨「新緑の奥 只見号」について、もし130が入ったらマークが付けられたかが気になり、それを 知るにはこちらで拝見するのがいちばん早いと思い、お邪魔しました。結果は130 にはマークステイがありません。もしやマークが用意されているのに130では付け られないから64に変更などということがあったのでしょうか? その130号機ですが、どこの資料を見ても廃車日が58.10.5となっています。しか し、現車はそれ以降にも稼働しているのは間違いありません。私は10.7に運転さ れた「あかぎ国体お召」の訓練運転を撮影しています。 10.16には高二区でEF58130の旗開きを撮影させて下さいましたが、公式な予備機 ではないとは言え、万一61が故障していたりしたら、廃車がお召列車を牽くなど と言う事態になっていたかも知れません。なぜ10.5廃車にされてしまったのかが 今も不思議です。 「新緑の奥只見号」は弊サイト4周年企画として国鉄時代を中心に特製マーク付き 列車を連載しているもので、ゴハチもありますのでご案内させていただきます。 http://www.ne.jp/asahi/hekkai/rail/index.htm 最後になりますが、管理人様、トップページのヘッドマークのレタッチ、お見 事ですね。文字が「磨き出されて」いるところが自然な感じに仕上がっています。
61がゴキブリというのは一寸何ですが、”しぶとい生命力”と言う点においては 何か妙に理解できるというか、納得出来るというか。。。^^;
お邪魔します。 EF5861に関しては随分と「無礼極まりない」仇名があるようで…(^^); さて、この「チャバネゴキブリ」の名前の由来ですが…色や形もさることながら… 神出鬼没でどこにでも現れ、しぶとい生命力を持っている…のだそうで ものの本によるとそうゆうことらしいです。 (なんちゅーこじつけだよ。よっぽどゴッパーが嫌いなヤツが言い出したんだろうなぁ〜) 幼い頃からゴッパーを身近に見て、青大将以外の色は全てリアルタイムで実物を見て育ち、 EF5861には直接その世話にもなった(乗った列車の牽引機だった)事もある私には口が裂け ても呼べない表現です>チャバネゴキブリ (その割には書いてるじゃんか!>オレ)(^^); 閑話休題 17日の下り、18日の上り、あさかぜに乗ります(東京〜徳山間) 田舎の71歳のお袋の胆石手術入院の見舞いに行きます(というのは口実=表向き) (本音はもちろんお名残乗車です)
そうか、 染めぞこないの「藍染」ですか?
それにしても ひどい表現ですね!! 全体のデザインを見ずして、単に色彩だけで 言い得ているようで・・・。 確かに、その頃、80系湘南型、26系こだま型、20系あさかぜ型等、国鉄車両がカラフルになり出したし、44系青大将もしかありであり、デザイン的に少し旧式化したのですか。 その著者ならば、風邪ひきマスクの警戒塗装のEF58をどのように表現したでしょうか。 足回りの旧式性等をとらまえ、チンドンヤのバアサンの厚化粧とでもいったのでしょうか。
デザインの優れている工業製品は、機能も優れる。 デザインが劣るにつれ、機能も劣る。 このことは、歴史的に証明されている。 飛行機の話で恐縮ですが、 世界初の飛行は周知のライト兄弟 しかし、実用性の面で先進国となったのは、ドイツ・オーストリア、フランス及びイタリアである。 WW1の飛行機、ニューポール、モランソルニエ、モーリスファルマン等(以上フランス)やフォッカー、アルバドロス、ローランド、ファルツ、ハンザブラン デンブルク等(以上ドイツ・オーストリア)、ズバ、マッキ等(以上イタリア)はスマートな機体であり、機能性も優れていた。 一方、カーチス、ライト等(以上アメリカ)は不細工であり、機能的にも劣っていた。 ドイツはその後も名機を生み出すことになるが、30年代になるとフランスやイタリアは失速し、デザイン的に不細工な代物を作り出すにいたり、航空機先進国から脱落した。 一方、アメリカは30年代以降、P51、B29等の名機、デザイン的にも、機能的にも優れた物を生みさすに至り、一躍航空機先進国に踊り出た。 このことは、鉄道についても当てはまるのではないだろうか。 昭和30年代、湘南型、EF58、こだま型、そして0系新幹線に至るまでのデザインは綺麗であり、機能的にも優れていた。 40年代に至り、デザインがおかしくなるのと、鉄道の衰退というものは偶然の一致なのだろうか。 アメリカでも大陸横断鉄道 F3等の流線型DLまでが鉄道の最盛期で、その後デザインがおかしくなるのと鉄道の衰退は一致する。 この見解、小生の独り善がりですか?
学研の「電気機関車全史」の冒頭に「何となくゴキブリに似てる」という編集者の コメントが「5861」と「5889」が並んだ写真に対して掲載されていました。 61号機ファン並びに89号機ファン、そして本人(本車?)が聞いたら激怒する に違いないコメントですが、この著者にはそのように見えるのでしょう。 デザインに対する評価は、各人の好みによるところが大であるので、何とも言えませ んが、そのように見える人がいるのは驚きですね。 前面警戒色ですが、果たしてどの程度効果があるのかも良くわかりません。 薄暮時に視認性が悪化するというのなら、ライトを点灯すれば良いとおもいます が、当時そのような発想はなかったのでしょうか? 最新鋭といえるEF200電機の前面は殆どブルー1色ですし、無粋なクリームべったり の警戒色というのは、最近の電機にはみられませんね。 58の試験塗装等に係った国鉄の黒岩さんがデザインしたら、もっと粋(イキ)な 警戒色になったに違いありません。 諸外国の電機の塗装ならびに警戒色はどうなんでしょうか? フランスの「げんこつスタイル」の電機は格好いいと思いますか? スタイルや塗装のセンスではドイツでしょうか。ドイツのグッドデザインは電機 のみならず、第二次世界大戦の戦艦・巡洋戦艦(ビスマルク、グナイゼナウ等) や戦車(パンサー・タイガー、現在のレオパルト2)航空機もデザインから先に 決めたのではないか?と思うほどほれぼれします。 ドイツで日本人とみると、老人がこう話しかけるそうです。 「今度はイタ公ぬきでやろうぜ!」 ところで一体何をやるんだ?
実用性とデザイン性の両面を実現したのは、この板から少し脱線しますが、101系(小生やB747様ですと90系)ではないでしょうか。 路線別カラーを採用した最初かと思います。 色で路線を提示することはかなり誤乗に対する効果がありますね。 当時、田端ー品川間現在のように山の手線と京浜東北線が分離していませんでしたから・・・・。 誤乗防止のためにドア上に「山の手」、「京浜東北」のプレートがありましたが標記が小さく分かりずらかったですね。
直流機で、当初から警戒塗装となったのは、EF64以降ですね。 それ以前の出場機はぶどう色の時代がありました。 このため、クロームの帯はデザインを考えて付けられていました。 20−30年代の国鉄時代、かなりデザインに力点をおいていましたね。 40年代になってから、デザインより実用本位が前面に出ました。 警戒塗装もその所産ですね。581系月光型(通称「棺桶」)や483系(拳骨)が出場したときには唖然としました。 161系の「赤フン」も評判が悪いですね。まあ、481系「赤ひげ」くらいが許せる許容範囲ですかね。 EF58を警戒塗装にせざるを得ない事情ならば、4号機のような金太郎塗りを残してもらいたかったですね。 前面を金太郎塗りとして、乗務員ドア後方位で下がり、後は、61号機のような髭と面一のラインで結ぶようなセンスが欲しかったですね。
いやぁ…早いもので今年ももう十日を過ぎました。やっと正月 気分から覚めてきた感じです。 >花ちゃんさま イゴマル、茶色でしたか。青い直流標準色姿を見慣れている 私にとってはやはり残念です。 >青列車さま う〜ん、やはり結構色んな映画に登場しているんですね。<ゴハチ 「張り込み」は私もレンタルで見ました。ゴハチはあまり出なかった 印象ですが、当時の列車内の雰囲気を感じられる映像が多かったよう な記憶が…。 1970年代に入ると新幹線の登場やSLブームの影響か、電機はあん まり登場していないんでしょうか。と言うより日本映画の衰退で作品 数自体が減ったからかも知れませんが…。 >EF5841さま ゴハチの前面警戒塗装…と言うか直流新標準色自体、デザイン的には どんなものか…とは思います。登場したての60系電機の写真や最近茶色に なったEF65を見ても、ヒゲが光って良いアクセントになっていてすっきり した印象です。 ただ、音もなく高速で近づいてくる車両が茶色や青一色ではやはり視認性 が悪く危険だったんでしょうね。とは言え実用一辺倒な感じで、それが 変にデザインに走って無くて国鉄らしくて良かったりしますが…。(^_^;) 私は生まれた頃には既に新標準色が採用されており、現役機として60系 電機やゴハチの茶色塗装は見られませんでしたので、直流新型電機は青色に 前面警戒色…としっかり刷り込まれています。前面に何もない姿はかえって 寂しく見えてしまいます。(^^;) >747-400さま それぞれの世代で求める物は変わってくるでしょうね。自分が一番思い入れ を持っている時代の姿を見たいと思うのは当然だと思います。 ゴハチに限らず、保存車両なども一体どの時代の姿を再現するか、意見が 割れるところでしょうね。 EF58122をブルトレ塗装に…と言うのは、今、現役機として走るならやはり 無理があるかなぁ〜と思います。機関車の場合、やはり後ろにそれ相応の 車両が無いと珍どん屋みたいな状態になりそうです。(^^;) > 鷹取工場製モックアップ 交通科学館時代の写真を送って下さったEF58-60さんによると、解体され たとの事でした。 > EF58154前頭部 多分工場内に移動してあるんだと思いますが…。工場公開時に敷地内で EF15やEF60などの首と一緒に展示されている写真を見たことがあります。 >EF5853さま 今年も模型の濃いお話をよろしくお願い致します。 天のEF15はどんな具合なんでしょうねぇ。 >Stebia28さま う〜ん、羨ましい。当然DD54もご覧になられたでしょうね。 DD54は憧れの機関車でしたが、まともに撮影する前に廃車になってしまい ました。(;_;) >みっくさま お久しぶりです。今年もよろしくお願いします。 >単回もなかなかさま 私も昨年はどうにも消化不良状態でした。今年は果たしてどうなる事 やら。(^_^;)
今晩は(^^)/747-400さま タイトルだけで済んでしまいそうですが… ご指摘のモックアップですが、もしかして大阪の交通科学博物館にあったそれではないでしょうか? もっとも、小生がそれを見たのは学生時代のこと。かれこれ20年二昔は経っていますので今もそこに 同じようにあるか否かは判りかねますが… 不確かな情報でまことに相済みません。
新年明けましておめでとうございます。 本年もよろしくお願い申し上げます。 昨年のロクイチは3/末のブライダルのみの撮影で、 鉄活動復帰以来、もっともロクイチと出会えない一年でしたが、 それにもめげず、65P、SL、ブルトレなどと細々と活動致しました。 あっ!11月には東海ゴハチの重連もありましたね。(もうひと月以上 経ったなんて信じられません。。) それにしても、青い61画像を私も拝見し、 やわらかい印象を受けました。 61はやはりブドウ色でしょうが、2両ロクイチがいたら(←いないよっ!)、 これはこれで魅力的かも。。(みなさまから石を投げられそうな発言。。かな?) 157の去就が注目されているという話しもちはりほらりですが、 122は茶以外がいいかな? 茶であるのなら、原型小窓にして! とにもかくにも、今年はたくさん61の勇士を拝めますように! 今年も健康で楽しく、ゴハチライフを過ごしましょう!
遅れましたが新年明けましておめでとうございます。 去年は娘が誕生してなかなか鉄活動できない1年でしたが 旧型電気絡みだとGWに北海道の鉄仲間が栃木に来た時 EF57-7案内したぐらいでした。 今年もゴハチさまが活躍して(出撃)できればなあと 感じます。 てなわけで今年もよろしくお願い申し上げます。 >747-400さま はじめまして、ゴハチの前頭部だけを勝手に助清なんて呼んでますが 去年大宮に久しぶりに行った時、助清がいなくなっていつのまにか スポーツクラブが(´・ω・‘) 申し訳ありませんが自分も行方がわからないです。 鉄道博物館に保存する為一旦倉庫などの保管していればいいのですが
EF58は172製造され、試験塗装を含めて7つのコスチュームをまといましたが、 どの58も1度はブドウ色に塗装されています。 ところで1度もブドウ色にならなかった58があります。正確にいうと58の モックアップですが...。 姫路電化記念のイベントの際、鷹取工場で製作された58前頭部のモックアップ ですが、後に大阪の「交通科学館」に納入されました。 当初は「ブルトレ塗装」で非常に格好よかったですね〜。前頭部のみとはいえ 正面からブルトレ塗装の58を撮影できたのが、うれしかった。 EF58158というナンバーが若干、不満でした。 内部の運転席に座ると、マスコン・ハンドルも「直列・直並列・並列」と ガチャ・ガチャ操作できて、とても楽しいものでした。 ところが昭和39年以降(年月は不明)このモックアップは新標準塗装の カゼひきマスクに塗装されました。雑誌の広告でこのEF58158の写真を 見た時はもうガッカリしました。 前頭部だけのせいもありますが、ブルトレ塗装に較べて全くサマにならない のです。 この掲示板でこのモックアップも撤去されたとききましたが、その後どう なったのでしょうか? また、大宮工場の脇、旧16号線を岩槻方面に抜ける道路からちらっと見えた 青大将塗装にされた実物の前頭部、もいつの間にか無くなりましたが、あの 前頭部もどこに行ったのでしょう?
http://ktke28to.fc2web.com/index.html 幼い頃は大阪の福島区、それも大阪環状線と東海道本線に挟まれたところに住んでいて、 東海道本線のEF58、福知山線のDF50をよく見ました。 夕涼みで淀川沿いまで出掛けた時には「彗星」の先頭に立つEF58が好きでした。 今はNゲージで7台のEF58があります。
皆様あけましておめでとう御座います。 本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。 58のプレートナンバーですが、ボナから全号機(もち、切り抜きタイプは無し) 発売されています。エッチングパーツなので茶でも青大将でもブルトレでも 青でもなんでもOKです。
EF5841様の意見にまったく同感です。 私には前面警戒色の58は58ではありません。 前面のクロームのひげが台無しだと思います。 それはやはり「全盛期のEF58」を実見しているせいだと思います。 茶色塗装の58(58ばかりでなく60・61も茶色)の中で見る 特急用特別塗粧(青大将)やブルトレ塗装の58は特別の存在でした。 茶色の58も大変品があり、それなりの存在感がありました。 模型の世界でも私は、近年の前面警戒色の58は1両も所有していません。 ですからEF58150が茶色のままで良かったと思います。 EF58122をブルトレ塗装にするのは大賛成ですが、EGをSG仕様 に戻さないと意味がありません。(勿論、電源車制御装置のジャンパー栓も 形だけでも復活させての話です)
個々にお集まりの皆様の多くは、警戒塗装のものを見慣れた方かと思います。 それぞれ、見慣れたものが一番と思うのは人間の心理として判ります。 ただ、EF58のデザイン的な面からしますと、警戒塗装はせっかくの美人さんが風邪引きマスクをかけているようなものです。 警戒塗装と蛾眉の銀の髭が喧嘩してしまい、デザイン的に馴染めないと思うのは小生ぐらいでしょうか。
花ちゃんさま イゴマルの情報ありがとうございます。ぶどう色2号のままでしたか… 個人的には一応茶塗りがデフォルトだった時代をギリギリ知っていますので、それはそれで 悪くはないのですが、ゴッパーは青塗り時代も長いだけに、新系列電機ヴァージョンの青塗 り復活についつい期待してしまいました。(^^); ブルトレカラーは今となっては断言はできませんが、1966年頃、山陽線ローカル客レの先頭 に立っていたカマに、青色の印象の強いものがありました。もしかしたらそれが該当するの か?しかしいかんせん小生当時6歳の保育園児(小学校入学前)故イマイチ確信がありません。 そういえば以前NHKアーカイブスで放送された1965年のドラマ「駅」。当時の上野駅が舞台 でした。当時まだ10代の青年だった石立鉄男氏が出演してました。後のトレードマーク?の アフロヘアではまだありませんでしたが、独特の大きな目は当時から(^^); さて、このドラマ、当然当時の鉄道風景が出てきます。炎天下の上野駅に入線してくるのは EF57。真夏故に乗務員氏も白の半そでシャツ姿でノッチとブレーキハンドルを握っています。 マニ車のドアも開けっ放し。おそらく東北筋の長距離列車。だんだん近づいてくる列車とカ ットバックで移り変わる画面は登場人物の一人の老人。彼は熱射病か?強い日差しに体力を 奪われたのか?やがてホームに崩れるように倒れ込んでしまいます。 (もっともその時彼の脇を通過する列車の先頭に立っていたのはEF58でした。あれ?東北線 系統も高崎線系統も同時入線できたっけ?(^^);あとで編集したのがばればれですね。スタ ッフとしては別の日であっても同じ列車を狙ったつもりだったのでしょうが、カマがゴナナ もゴハチも共通運用だったとは知らなかったのでしょうね。あ?57と58の違いが一目で わかるのは我々「鉄もの」ぐらいで堅気の衆には気づかないことでしょうか?)(^^); ドラマの終盤に出てきた東北線系の長距離急行の発車シーンはEF58135でした。このカマは 既に青塗りになっていました。 (ドラマ自体はモノクロですが…塗り分け線がはっきり出ますから…このカマはこの後上越 線で長く活躍したカマです。ツララ切も当然ありました。) しかし、車内のシーンがオハ61系だったのは…?でした(爆) (確かに当時臨時急行にはオハ61系の入った列車もあるにはありましたが…当時としてもこ のクルマじゃ「いくらなんでもそりゃないよ〜」な存在でした。別の列車ではしっかりナハ10 =一瞬映った照明が円形でしたから。ナハ11なら蛍光灯は直線状です=の車内シーンだった のに…) 以前レンタルビデオで見た映画「霧の旗」の冒頭部分、ヒロインが上熊本から東京まで上京す るシーン、未明の上熊本駅からC59(C61?)のローカル列車でスタート。博多駅から東京行 き急行(「筑紫」?)に乗り換え、ED72の出番。やがて列車は本州に入りEF58の出番。大阪では 夜の帳が降り未明の由比〜蒲原界隈の走行シーン。都内に入りなぜか一瞬20系みずほの映像 が出て、画面奥から手前に向かって疾走してくるEF5894の雄姿。このカマも青塗り? (塗り分け線があって、ナンバーやヒゲの周りだけ妙に白っぽく見えたのですが…映画の封 切りが1963年だったとかで、そうなると時期が???)(^^); 既出ネタなら恐縮ですが、映画「張り込み」にも、冒頭のシーンで深夜を走る青大将機が出 てきました(路線地図とオーバーラップさせた映像でした。小窓の宮原所属機か?) あと、題名はわからないのですが、やはり1960年前後の映画で、ラストシーンにEF58の印 象的なシーンのあるものがありました。確か石原裕次郎・北原三枝コンビの映画で悪の組 織に囚われの身となった盲目の少女を裕次郎が救い出し、彼女の目を治してやるという内 容だったかと(田舎のUHFテレビが夕方放送していた邦画を上映する番組で、当時小学生だ った私が帰宅後たまたまテレビを入れたら放送していたので前半はわかりません)。 ただ、海の中の鉄橋?(と思ったのはおそらくまだ隣に新幹線の軌道のない頃の浜名湖橋梁 と思われます)を渡る茶塗りのEF58がエスコートする急行列車。目の治った彼女と裕次郎が 二人で旅行するということで、彼らは東海道線の急行列車の乗客になったのでした。どう やら食堂車もつないだかなり格式の高い列車だったようです。 映画のラストシーンは、由比あたりを走る上り急行列車。先頭はEF58。以下43系座席車に始 まって10系寝台車に特ロ。そしてロネ。青帯車が3両に最後尾にはダブルルーフのマニ車。 列車が走り去って「終」の文字が浮かびました。 10系ハネがいた以上少なくとも1956年以降、そして、新幹線がないから1964年以前。あ、 少なくとも地上設備は1963年頃には形をなしていたからそれ以前のはずです。惜しむらく は…当時のカラーフィルム。ロザロネの帯の色が水色だったのか?淡緑色だったのか?非 常に判別し辛いものでした(30年前に一瞬見ただけなので今でも自信なし)。 色といえば、今JR東海に残っている122号機。こやつは寧ろブルトレカラーにしてみたい! と思うのは私だけでしょうか?
茶色のまま出場したそうです。 残念です。
新年明けましておめでとうございます。今年も何とぞよろしくお願い致し ます。<(_ _)> 年末から世の中何やら騒然としていますが、今年はどうか良い年に なることを祈る次第です。 さて、新年いきなり恒例の遅レスから…。(^^;) >747-400さま EF15の最高速度ですが、私も実際何km出せるのかはっきりとは知りません。 ただ、EF58の運転許容速度が120kmなのに対し、確かEF15のそれは最大運転速度 と変わらず75kmとどこかで目にした覚えがあります。(もしかしたら文献の 間違いかも?)なので相当無理な運転になるのかも知れません。 私も中央線などで臨客を牽いて走るEF15の姿は見ましたが、お世辞にも早いとは 言い難かったような気もします。ただ、今回の件での可能性としてはやはり 15が最有力候補でしょうか。東海道を長大編成を牽いてフルノッチで駆け抜ける 姿は普段地味な彼らの一世一代の晴れ姿だったのかも知れませんね。(^^) 旧EF58 5号機製作中ですか。できあがったら是非拝見したいところです。 同機の例のヒサシ(つらら切り)、車体を譲渡されたEF13 5にしっかりと引き継 がれてますね〜。デッキが短い分、EF13の方が衝撃的な表情に見えますが…。(^^;) >EF5841さま 国鉄時代は機関車の運用範囲も頑なに守られていましたね。それを考えても EF53というのはやはり無理がありますね。 ゴハチの模型化はメーカーさんも頭を悩ますところでしょうねぇ。 細かいパーツの違いはもとより、生まれつきあの「おでこ」の形が各機で微妙に 異なってるようで、その辺りも人によって印象が異なってくる原因のように 思えます。 私もいつかは模型…と思いますが、細かいところが見えすぎてなかなか難しそう です。まぁ、あくまで模型ですから自分が好きなものを好きなイメージで作れば 良いんでしょうけど。資料に拘りすぎると木を見て森を見ず…になってしまいそう です。 >シンガポールの(秀)さま 64のブロア音も迫力ありますよね〜。仕事で八王子に行ったときなど、夜、 あの音を響かせながら山を登っていく姿に思わず見入ってしまいました。 >EF5853さま 鉄ファンのEF15特集にも赤ナンバーで急行貨物を牽く15の姿(と言っても白黒) が載ってますね。急行貨物の最高速度って何kmなんでしょう? > 大宮の鉄道博物館の車輌の発表がありましたが、EF15が消えています。 えー??戦後復興の立役者なのに…。(;_;) >さっちゃんさま 普段、貨物しか牽かないヤツが客車を牽いてるのを見るといつもとは違って 随分と颯爽とした印象でしたね〜。 今で言えばEF210とかが客車を牽くような感じかも? トップは昨年はほとんどゴハチの写真撮ってなかったので苦し紛れだったり します。(^_^;) >EF5831さま EF5881の標識燈にそんな話があったのは初耳です。 広島地区で赤いケースと言うとやはり113系でしょうか?まさか103とか? >hitomi♪さま 今年もよろしくお願いします。また、良い旅が出来るといいですね。 >もーたーまんさま お久しぶりです。今年もよろしくお願いします。 > 東海の58もどうやら廃車を間逃れたとか・・・ それは新年早々嬉しい話題ですね。 今年こそトロッコに乗りに行かないと…。(^^;) >パックマンさま 今年もよろしくお願いします。 青のロクイチ、年末のやっつけ仕事になってしまい風邪引きマスク部分が 今ひとつですが、まぁ雰囲気は伝わるかと…。やはり青にメッキは似合わない 感じですね。(見慣れてないだけかもしれませんが…) >ぺぺさま 今年もよろしくお願い致します。 > 個人的には青から茶色に変わった122や150が青くなったら撮影意欲が より一層増すのですが・・・。(^^;) 私もそうだったりします。(^^;)ゞ >EF-18さま 今年もよろしくお願いします。 転勤ですか。名古屋だったらちょっと足を伸ばせば関東も…。なんて。 >源さま こちらこそお世話になりました。 今年もよろしくお願い致します。 >EF58-52さま こちらこそご無沙汰してます。 そうですよねぇ。今年は年末年始恒例だったそれが無いんですね〜。 その分?上越方面は大変な事になってたみたいですが…。 ブルーの大窓、見てみたいですねぇ…。返す返すも66号機が残念…。 >花ちゃんさま イゴマル青…の噂はあるみたいですね。果たして真相はどうなるか…って もう明日出場ですね。(^^;) 個人的にはその方が何十倍も嬉しかったりしますが…。 >青列車さま > 風邪引きマスク あの塗装になった当初、ファンの間でそう呼ばれたそうですね。 今も昔も鉄ちゃんは新しいものには手厳しいようで…。 確かに60号機はいつ青塗りになってもおかしく無かったでしょうね。 それを守り抜いたのはやはり現場の方もひとかたならぬ思い入れがあった んではないでしょうか。 1号機や35号機など、もう数年残っていたら運命が変わったかも知れませんね。 1980年頃まではゴハチも注目されはじめてはいましたが、まだブームにまで なってませんでしたので…。 > プラレール う〜ん、明らかに狙ってますよねぇ。今後の少子化高齢化時代を見据えれば、 当然とも言えるでしょうね。と言うことはこれからも私たちオジサンを喜ばせて くれる商品やサービスが各方面で展開されるかも? 宇都宮で現役時代そのままの姿で眠っているゴナナの復活! なんて…。(^^;)
青列車 様 プラレール よいですね!! 小生も、おじさん狙いの「C53と展望車」、「キ600(ロータリー除雪車)とC12」、「都電6000系」を所有しております。 スケールものもよいですが、如何にして、プラレール車両の基準の車体寸法の中でモデルとする実写のイメージを掴むか、正にデザインセンスの問題です。 Oゲージで、B型電関を作っておりますが、実車のイメージを崩さずにつくるか苦慮しております。 スケール物を作るより難しく、最近はまっております。 何処の個所で寸法をつめるか、窓配置や省略すべきものは何かと図面を何枚も書き直し、ペーパーでテストモデルを作り、また、図面を引き直すの繰り返しです。 時として、先入観にとらわれない思い切ったデザイン化が求められます。
またまたお邪魔します。青列車と申します_(_ _)_ さて、事は昨年の年末に遡るのですが…所要で出かけた際の帰り道、運転に疲れてふと立ち寄ったのが街道沿いのトイザらス。 非鉄系趣味との兼ね合いで時々利用していたのですが、そこで見つけたトミーのプラレールシリーズにあったのが、EF5861! このシリーズ、従前より青塗りのゴッパーがあったのは存じておりましたが、最近とんと見かけなくなっていました。久方ぶ りに見てみると、なかなか、たかがおもちゃなどとは侮れません。単品売りのこのカマの隣には、これまたスハ43型客車まで! これまで手を出したことはなかったのですが、このラインナップにはとうとう降参!EF15の貨物列車セットと、曲線レール、 直線レールのセットともに、セルフかごに入れ、レジへ… そういえば最近のラインナップは、どう見ても単純に「お子ちゃま」狙いとは思えない、明らかに「パパ鉄」を意識してるんじゃ ないか?って感じの車種が多数出ています。いあ?中々財布の紐の堅いママパパより、孫のためなら財布の紐も簡単に緩めて しまう爺婆世代を狙ったのか? かつてのSLブームの頃、奥中山で、上目名で、布原で、青井岳で、田原坂で、カメラを構えた諸先輩方も、そろそろ実社会 では第一線を退き、後進の指導あるいは悠悠自適の日々に入られる頃。当然その中には、元気盛りのお孫さんのある方もおら れる事でしょう。そういった「ジジ鉄(失礼!)」諸氏をも納得させうるような車種まで(^^); (もしも自分が順当に結婚して子供がいたら…今頃はプラレールやリカちゃん人形やゲーム機などではなく、三社面談、進路 指導で事あるごとに学校に呼び出されているはず…趣味予算はすべて、子供の塾の月謝と、「カミさん」の授業参観日用の「コ スプレ」費用に消えている生活に陥っていた…?) 箱の中でぶーたら文句垂れてるKATOのNゲージEF58や、同社16番EF58を尻目に、この新参者、スハ4両の「臨時急行」をエス コートして、テーブルの上を元気に走っています(爆) (40代半ばのおっさんがやることか…>ぢぶん)orz お目汚し失礼しました_(_ _)_
現在、ひかり製を製作中(もう5年越し)ですが、41号機とした理由は単純 1 だるまやのナンバープレートが存在 2 青大将牽引機 3 資料が少ない ということで、特に「3」が最大に理由です。 資料が少ないということは、いろいろと雑音に悩ませられることなく、自分流のものを作ることができるということです。 といいつつも、時代設定は昭和32年3月工場出場時点を念頭に置いております。 大窓、ひさし付き(多分にごまかしが利く)、T字型列車無線アンテナ、小型ライトケース、角形避雷器カバー、汽笛カバーなし といったポイントさえ押さえておけば、41号機になります。 並ばない点を修正すべきか否か思案しております。 最近はOJゲージに転向したためHOのEF58として最後のものになるかと思い力んでおります。 EF58 蒸気機関車以上に摸型化するのは難しいですね。 それぞれの人により思いが違いますので 特に正面の印象、完成品ではKATO キットでは珊瑚、ひかりをベースにとことん手を加えるのでしょうか。
私のミステリー列車に関し、EF5841様 EF5853様 助言をありがとうございます。 本命はEF15、そして思わぬ伏兵にEF18が登場しました。 このEF18ですが、最近ヤフオクで天賞堂の製品に¥136,000.という価格で 落札されていましたが、新品同様とはいえ異常価格ではないでしょうか? EF5841様・EF5853様、41号機 53号機の思い出話を是非聞かせてください。 さて私の16番工作ですが、現在旧EF585号機を製作しています。 この旧車体の5号機ですが、他の旧車体の58とはかなり相違があります。 まず、鋳鋼製の先台車・前面窓上の庇も他機と違ってかなり上について います。・デッキも日立製の独特の形をしています。 車体はひかり製のキットを使用し、特徴ある庇は自作して取り付けました。 特徴のあるデッキは帯板等を駆使して製作中です。 先台車はかなり前に「ホビーショップケン」の製品を購入、ナンバーも同社 のものを購入してありましたので、そのまま利用します。 下廻りは天賞堂製品の余ったものをそのまま利用します。 現在の工事状況は50%位です。何とか春までには完成させたいのですが…。
お邪魔します_(_ _)_。 いやいやいや、管理人様。このたびは度肝を抜かれました(^^);>青いEF5861。 確かに、世が世であればありえない話でもないですね。個人的には、最後まで大窓を 守っていた、広島区の18、64、69あたりを思い出してしまいました。 (晩年はPS22Bを頭に乗っけてましたが…) 幼き頃実家で読んだ、「平凡社 国民百科事典」の機関車の項には、蒸機、電機、ディ ーゼル其々の図解イラストが載っていました。車種はC62、EF58、DF50。1960年 版としては妥当な車種選択でしたが、そのEF58のイラストが青塗り塗装(といっても後 の新型電機カラー=誰よ?あれを風邪引きマスクって呼ぶのは!(爆)=ではなく、18 号機や31号機に採用された試験塗装風)で、ナンバーがなんとなんとなんと!EF5860! (おいおい!鷹司さーん?狙ってやったんかい?)(^^); (鉄道関係の項目には、故鷹司平通氏が執筆されたものが結構ありました。DF50をして、 「火力発電所を積み込んだ電気機関車」とは、なるほどその通り) 早くにお召し指定を解除された60号機の方が、青塗りにされてしまう可能性が高かった ように思えますが、前面窓がHゴムにされても、最後まで茶塗りと飾り帯は守り通した のは、やはり特別な経歴を持つカマということで、浜松区の皆様に可愛がられていたの でしょうか? (EF58のトップナンバーもいたのに…しかし、ゴハチ一族の栄えあるトップナンバーで ありながら、この長男さんは意外と影が薄い。総領の甚六じゃあるまいし…何分、兄貴 も真っ青な個性豊かで強いキャラを持つ弟分がぶちようけ…もとい、たくさんいたため 相対的に影が薄くなったのでしょうか?EF65も花形の特急色グループがいるため、一般 型の1号機の存在感が希薄ですが…)(^^);
この正月休み、何かと立て込み、時間が取れないので、お手軽工作ということでカトーのEF58(HO)の小改造に着手しました。 大窓ひさし付青大将仕様にしました。 ひさしの取付、昇降ステップかき取りの埋め、フロントステップの削り取り、避雷器の付け替え等塗装を含めて1日で完成しました。 皆様の工作の状況はいかがですか!!
明けましておめでとうございます。 今年もよろしくお願いします。 イゴマルが5日まで下関に入場中ですが、出場時に青色になるという噂があるのですが、本当でしょうか? もし、この投稿がだめでしたら削除してください。
管理人様、皆様、あけましておめでとうございます。 というよりもご無沙汰いたしております?でしょうか。 近年の年末年始は「EL&SL浪漫」「みなかみ物語」に充当される 61号機の撮影で忙しかったのですが、今年は家で静かな正月を迎えています。 個人的には寂しい思いをしているのですが、家族には好評のようで…… なんとも複雑な心境です。 >管理人様 新年早々やってくれましたね「EF58−61ブルー塗装!」。 ブルー塗装だと側面まで廻りこんだ飾り帯が目立たず、 大窓がさらに強調されて雰囲気が変わりますね。 そういえば、KATOのNゲージ大窓ブルーにEF58−61の ナンバープレートが選択できるようになっていたような気がします。 EF58のブル−塗装の大窓機、また実物を見てみたいものです……。
旧年中はもとより、遥前よりお世話になりながら、随分とご無沙汰をしてしまい、大変失礼を致しました。 本年も良き1年でありますよう、心からお祈り申し上げます。 http://www.geocities.co.jp/MotorCity/6419/index.html
管理人様・皆様、あけましておめでとうございます。 本年も模型ネタ9.9割、実物ネタ0.1割で盛り上がりたいと存じますw 今年は春に名古屋へ転勤が決まり、東海58に没頭出来るかもしれない 淡い期待に旨膨らむ新たな年。 ってか、大阪の持ち家をどうしたものか。。。。。
あけましておめでとうございます。 管理人様> 旧年中はゴハチ画像掲載・リンク等させて頂きまして 本当にありがとうございました。 私もパックマンさん同様青いゴハチ画像拝見させて頂きましたが、やはり茶色に銀帯 が似合っていますね。 個人的には青から茶色に変わった122や150が青くなったら撮影意欲が より一層増すのですが・・・。(^^;) 今年もどうぞ宜しくお願い致します。 http://peperony.hp.infoseek.co.jp/
明けましておめでとうございます。 本年もよろしくお願い致します。 昨年はここ数年では最低な鉄稼働(ロクイチの稼働と同じ?) に終わりましたが、今年はどうなるでしょうねえ・・・ ロクイチの出場をきっかけに忙しくなる事を祈るばかりです。 >管理人さま 青のロクイチ、晩年のイゴマルのようで違和感ありありで すね。(--;
本年もよろしくお願いいたします。 SLもなく東京湾太平洋Fもなく羽田も基地もなく、ゴジラもまだ見ず1/32B−29もタナザラシのまま家で過ごしております。うーん…… トップの写真、「そうきたか!」という技ありモンですね。
かなり久々のカキコですが・・・ 本年も宜しくお願いいたします(^^; 東海の58もどうやら廃車を間逃れたとか・・・ 楽しみが減らずよかったです http://homepage3.nifty.com/motorman/