こんばんは。 先ほど、東京を最後の「さくら」「あさかぜ」が出発して行きました。 昨日もすごかったのですが(行ったと言う事デス^^;)今日はテレビ・新聞・ラジオ (ウワサのニッポン放送もいた)の報道陣も居り、まぁアホかというくらいの 人でありました。どこかは女子アナまで来てましたね。 「さくら」は今日は鳥栖行きになっており、サボは電幕の白地部分に紙を貼って 表示しておりました。昨日までは、LED案内板は「寝台特急さくら 長崎行」と 「寝台特急はやぶさ 熊本行き」を交互に掲示しておりましたが、本日は 「寝台特急はやぶさ・さくら 熊本行き」とのみ表示されていました。 さて、最後の「あさかぜ」は反対側新幹線20番ホームから見物していたのですが MAXたにがわと同時出発でして南側2号車あたりで待っていたところ、 ギリギリで出発風景を眺められました。さようなら・・・・・ ・・・・・ところが、なんと出発したはずのMAXが20番線を出きっていないの です。多分、1〜3号車あたりまでホームにかかっていたはずです。 むろん、マグロを想像しましたが・・・幸いそうはならなかったようです。 後で警備員に聞くと「30代くらいの男性が、押されて落ちた。列車に接触した のではない。軽いケガですんだようだ」とのこと。MAXは東京6分延発で 出て行きました。 押されて落ちるようではテツとは言えませんな(怒 押すバカタレはもっと問題。 そもそも鉄道・一般乗客に迷惑を掛けるのは言語道断です(激怒 新幹線ホームが撮影禁止になるのは非常に困りますし。 さくら発車の時、小学生がカメラもってなんとか先頭へ出ようとして非常に 危険だった為、当方は襟首ひっつかんで「あきらめい!」と一喝致しましたが。 もう発車してたのですから。 多分似たような感じで落ちた(落とされたが正しい?)のかも・・・・
EF58が青15号(風邪引きマスク)になったのは、昭和40年1月の塗装規定改正以後(一部浜松工場では昭和38年頃より先行的に塗装)で、 同規定において、直近の甲検の際に実施とされた。 しかしながら、昭和43年末時点では、60,61及び73号機以外は、新塗装に移行している。 甲検(ただし42年以降はA検)は、走行距離の関係で前倒しにした例外を除き、5年周期で実施していることから一部は、丙検(概ね1年おき)の際に塗り替えられたことになる。 そこで質問です。 62号機は、32年6月に甲検を実施し、その後、39年10月に臨検(昇降ステップ欠き取り工事)、昭和40年5月に丙検(大宮工場)を実施しし、同年10月に東京区から下関運転所に配置換えになる。 40年1月の時点では、ぶどう2号であったことは確認されている。 62号機の塗り替えの実施時期を承知されておられる方がおられましたらご教示いただきたい。
以前、浜松区が担当していた大船工場に行く試6991レ〜試6992レですがEF58は工場まで牽引していたのですか?それとも入り口まででその後はクモハ12とかクモハ22とかが牽引していたのですか?試客自体は撮影したのですが一度も見ずじまいでした。 どなたか当時見た方いらっしゃいますか? 自分の家は横浜駅近くに在り暇な時はいつも線路ぎわで電車、機関車を見てすごしました。EF58はもちろん新鶴見のEF12、EF13、EF15や東京区のEF10、吹田稲沢のEH10、157系あまぎ、東急車輌の公式試運転でのあらゆるタイプの直流電車、大船工場入場の身延線の旧型国電などなど、ここを発見してから色々思い出してしまいました。今後もちょくちょくと思い出話をさせて下さい。
宇都宮まで 上野←EF64-1001+旧客+EF55-1→宇都宮 宇都宮→日光→終点迄 EF64-1001+旧客 です。雑誌にでてます。
EF58の風邪ひきマスク(通称新標準色)はやはり似合わないという意見、 大変心強いと思います。 私にとってはカッコイイー「ギンヤンマ」が「こしあきトンボ」になった ようでガッカリしたものです。 初めて新標準色の58を見たのは、昭和40年(東京オリンピックの翌年) 3月、開業間もない新幹線「ひかり」で大阪まで乗車したとき、車窓から 浜松機関区が見え、茶色の58に混じってブルーの58が見えました。 「ブルトレ塗装の58か!」と思い「ハッ」としましたが、どうも変な 感じでよく見ると前後がクリームに塗られていました。 従って「ブルトレ塗装」の58と新標準色の58は1年弱の間、混在して いました。 両車が並んだ写真があればとても貴重なんですが…。 ところでトミックスから新発売されたDF50ですが、予約して2台購入 しました。(いずれも茶色塗装) とても良い出来で、カツミ製の製品を所有していますが、全体の印象把握は カツミ製を上回り、正面からの見た感じはムサシノ製をも凌駕しています。 このDF50もオレンジ塗装よりも、ブラウン塗装が似合うと思います。 ところが、このトミックスのDF50ですが、ステップの取り付け位置に エラーがあり「リコール」の要請がありました。無償で新車体の製品と 交換するというものです。 2台のうち1台はリコールに発送しましたが、1台はこのまま記念として 保有するつもりです。 トミックスの迅速な対応には感心しています。
以前こちらの板で色とデザインについて話題になってましたが、確かに風邪ひきマスクではヒゲが台無しだと思いました。 EF6437を見るとおもく感じますがEF6557はスマートに見えます。やはりぶどう色で生まれていないロクヨンには似合いませんね。 EF65もぶどう色で生まれてませんがデザインはEF60と同じですよね。EF64やEF65PFと同じ顔のED75〜79、EF71などにはヒゲがついて いることからEF64もぶどう色で生まれていたならヒゲ付きだったかもしれませんね。 ごはちと違う話を長々と書いてしまいましたが自分の意見としてはEF58にはぶどう色、青大将、ブルトレ塗色が似合うと思います。 しかしS55〜現代までごはちを追いかけた自分が好きなのは風邪ひきマスクだったりします。 皆様の意見を拝見していたら、ごはち趣味の奥深さを再認識しました。53号機が一番!という方も当然いるとおもいますし43号機の方 が好きという方もいると思いますし、はたまたイゴマルだ!ロクイチだ!なんて方もいることでしょう。自分なんか62号機や88号機が 好きな反面146号機が好きだったりします。ごはちって色々楽しいですね!もうほとんど残ってませんが・・・
追加情報です。EF5861ではなく、EF65−1000PF と言う情報がぁ〜〜〜〜入ってきてますがぁ〜〜〜。 どうなんでしょう???58が良いです〜〜〜〜。
みなさま はじめまして iwanaと申します。 いつも楽しく拝見させて頂いております。 EF57の話題が出てましたので、書きこませていただきました。 私もEF57の最後の運用がいつだったのか?今でも知りたいところです。 1977年正月まで元気だった1・4・5・7・11・13号機は順次運用をはずれていきました。 御存知の方も多いかと思いますが、この頃東京駅テレフォンセンターでは、 「EF57本日の運用」なるサービスがあり毎日更新されていました。 その時の記憶では特休車扱いで2月・3月も1・7・11号機が残っていたような気がします。 この間に運用に復活したことがあるのか、御存知の方がおられましたら是非教えていただけないでしょうか? ちなみに私が最後に見たゴナナは、1977年1月29日の125レを牽引していた7号機です。
管理人様・北の58様・EF5853様 こんばんは。 ゴナナの話題が出ましたので、昔の記録帳を確かめましたら 昭和52年1月24日 品川駅で撮影したのが私が撮影した最後の ゴナナでした。EF5713号機12系6輌となってます。 この列車は山手貨物を上って来たものです。EF5853様カキコの 1月28日と日にちが近いので関連があるのかもしれませんネ。 私はゴナナを撮影していた時期は大宮〜栗橋が多かったので、 当時EF15と良く見間違いしてまして(笑)気を抜いて撮影の タイミングを逃した事もありました。特に冬季には大雪の為 平気で30分〜1時間遅れることは日常的で御座いました。 屋根に雪を乗せ、雪の固まりを線路に落としていく旧客車の 後ろ姿も懐かしいです。 大宮駅開業120周年記念列車情報入りました! 3月12日(日)大宮7:43→日光10:30 日光15:30→大宮18:20 高崎所のEF55-1号機と旧型客車で運転されますね。 プッシュプル牽引機はEF58-61号機(予定)変更もあるそうです。 是非61号機活躍して欲しいと思います。 撮影は行き慣れた白岡か栗橋あたりでしょうか。 まだまだ寒い時期ですので、防寒対策だけはお願いします。
EF58の掲示板から脱線しますが、私がEF57を最後に見送ったのは、北大に行く 友人が乗る列車101レで、1977年1月上野駅、牽引はHゴムの11号機でした。 その後も八甲田は1978年、12系化される迄、よく被写体となっていました。 当時急行牽引はEF58がスタンダードで、私の家(浦和)から夜になると独特のジョイント 音が遠くに響き、それを聞きながら床に就くのが当時の日課でした。 ところでEF57の最後の3両(1,7,11)、EF58の国鉄→JR引継車(61,89,122)、更に 蒸機ではC59(161,162,164)、C62(2,3,15,16)と私の好きな機関車は偶然か H製作所製が最後迄残っておりました。 我が家にH社製の家電品が多いのもそれと若干関係ありそうです。
西のゴハチ動きが.あるらしいですが?(サロンカ-なにわ)カン付き! いつ頃でしょうか?わかりません… 早く.ロクイチ工場から.出てきて欲しい!ロクイチは. 何のために.工場入場したのかわかりません? 本線から.走る姿見たいです。
情報有難う御座いました。27両ですか〜。 結構な大所帯だったのですね。私はまだ小学生の頃ですね。 部活に明け暮れていた頃ですね。もったいないような・・・・。 幼稚園位のときに、そう言えば、デッキ付の茶色の機関車に 乗せてもらった記憶があります。(国鉄のおじさんに・・・) あれはEF57だったのだろうか?懐かしいです。 兎にも角にも情報いつも有難う御座います。 聞いてばかりで本当申し訳ございません。 模型で頑張るぞ〜(何年計画でしょうか???)
こんばんは。 Jtrain2003/12によれば、最後の運用は1977/昭和52年1月28日の日光線団臨 で13号機の牽引であったとのことデス。 私の場合は76年8月のお盆時期の撮影が最後でした。 当時、常磐線や東北線沿線から通ってくる連中が「今日のXXはゴーナナだった」 という話をよくしていたものです。 カメラを持って西日暮里や鶯谷、上野といった駅のホームで待ちかまえて 居る時に、青が来るか、茶が来るかでドキドキしていました。 大抵は青い色が来るのですが(フィルムに余裕がない時は見送りましたw) 茶色いものが見えた時はそりゃブルブルものでした(爆 「やったー、ゴーナナだぁ!」 ・・・ロクイチが来るってことはありませんからね(w →キハ181の転属回送に61が使用された例もありますが。
訂正します:EF57は昭和51年に全機運用から引退し、機関区内に7号機を含む 最後のカマが数輌休車(11号機)でいた時期でした。7号機は昭和54年10月14日に 同区構内で撮影会があり。その後現在地に保存されました。失礼いたしました。
皆様お久しぶりです。 いつもロムってばかりで、なかなかカキコ出来ずでおりました。 本当に皆様の情報力には脱帽で御座います。 北の58様のご質問の件ですが、 昭和53・54年時代の27輌が最大と思います。 (10.58.65.70.73.84.85.89.102.103.108.109.114.116.117.119 122.123.141.144.145.151.152.153.154.168.172号機) まさに【個性の塊】大集合で御座います。 (ここまでの個性派は他区では類を見ないかも) ご存知かと思いますが、この頃の宇都宮区のゴハチは、皆様も大好きな EF56・EF57を皮肉にも追い出すかたちの時期でした。 最後のゴナナが牽引のはずの【八甲田】先頭に【あっ!ゴハチィ〜】と 人々の声が…聞こえた頃です。笑 また、上野駅名物?【帰省客の新聞紙を敷いて列をなす】の最後頃 でもあるかと記憶しております。 今回模型化という挑戦で御座いますが、是非頑張って下さい。 旧客・荷物・12・14・20系・品川名物の浜松区との重連など バリエーション一杯の楽しさかと存じます。 追伸:品川名物の重連=10.58.65.70号機は休車の為、運用に入れませんでした。 堪らなく残念ですが、模型で実現してあげて欲しいです。
お久しぶりです。相変わらず皆様の行動力&情報には感謝致します。 なかなか撮影にも行けなくて・・・・。ストレスが溜まっています。 所で、またまた質問なのですが、北の58(宇都宮運転所)時代に 最高何両くらいの58が居たのでしょうか? 私が撮り始めたときにはもう残りが13両位だったと記憶しております。 今月カトーからまた58が出ますので、それを機会にNスケールではありますが 全ての車両を製作しようかな?と考えております。(あまり細かい部分は腕が無いので 無理ですが・・・)お教え下されば幸いです。 いつも、教えて頂くばかりで申し訳ございません。 あと、大宮駅の記念の列車ですが、区間内で人が少なく撮影できる場所ありますか? ここでは言いにくいですよね??教えて下さい〜〜〜。 宇都宮から先ならなら良いのですが〜・・・。
下記のブルトレ塗装の58の所属機関区に誤りがありましたので 訂正します。 参考にしたのは、「EF58ものがたり 下」ですが、148号機は 東京機関区所属で92号機が宮原機関区所属です。 従って、例外は128号機の1963年となります。
昭和35年に電源車制御装置を装備された58は20両、特急塗装を施され 東京区(92・114・115・116・117・119・122・123・124・154号機) 宮原区(97・101・128・138・139・142・143・144・148・149号機) に10両づづ配備されブルートレインの牽引に活躍しましたが、ナンバー を見なくてもどちらの所属機か、簡単に見分ける方法があります。 それは乗務員用の「手すり」の塗装の仕方が相違しているからです。 東京区(浜松工場施工)のてすりは、車体すそ周りのクリーム色に合わせて 塗り分けられていますが、宮原区(鷹取工場施工)の手すりは「ブルー」 一色で塗り分けられていません。 ただし、例外があります。それは148号機で東京区のように塗り分けられ ています。また128号機も晩年は塗り分けが施されています。 理由は148号機は浜松工場で施工されたのでしょうか。また128号機 は1963年以前の手すりはブルー一色だったので、1963年に浜松工場 で全検を受けたのでしょうか? なお、58の電源車制御装置は「カニパン・スイッチ、MGの起動・停止、 負荷の選択(冷暖房・一般)、給電接触機の投入等」が可能で後のEF60 500やEF65500・1000にはカニパン・スイッチのみで電源車を 制御できたのはブルトレ塗装のEF58のみでした。
2007年オープン予定の鉄道博物館ですが、HPの掲示板にちょっと 嬉しい書き込みがありました。(今頃気付いたのですが…^^;) 車両展示線について > [102] 鉄道博物館Web管理人 2004-12-14 17:09 > 鉄道博物館の車両展示線は、博物館に隣接する線路を経由して本線に接続 > する計画としています。また、歴史ゾーンで展示する車両は車両移動機を > 用いて移動が可能で、ホール中央のターンテーブルを使用して入れ換えが > できる計画となっております。 本線に繋がっている…と言うだけで嬉しいですね〜。保存されている車両も いつかは本線に…なんて夢が広がります。(*^_^*) >昔鉄ちゃんさま ロクイチは高架下ですかぁ。 パックと積もる話でもしてるんでしょうかねぇ。 大宮での全検もSLが詰まってるみたいで、まだまだでしょうか? >EF5831さま 大宮駅開業120周年、今回は是非とも東北本線を爆走する旧客に 乗りたいと販売開始日にみどりの窓口へ行きましたが…敢えなく 惨敗でした。以前の駒子のように運転日が多ければ比較的取りやすい んでしょうけど、旧客人気はますます高まってるようです。 > EF5837の件 手元の資料で履歴を調べてみましたが、37号機の宮原への貸出に 関しては記述無しでした。資料に全てが載っているとは限らないの で何とも言えませんが、念のため他の30番台の履歴も見てみまし たがいずれも該当期間の宮原への貸出はありませんでした。唯一、 38号機が昭和46年10月に2ヶ月ほど下関から宮原へ貸出され てます。 う〜ん、謎ですね。 >EF5841さま う〜ん…格好いいですね。60号機以上に艶やかな客車に思わず目が 行ってしまいます。このサイトの他のページにあった90号機の麗姿 にも思わずため息が…。若かりし頃のゴハチの端正な顔つきはやはり 晩年には無いものですね。 >747-400さま > 岡山でカメラを抱えてブルトレ塗装の58の「かもめ」を見送っていた > 私ですが、あの時1枚でも撮っておけば...と今思ってもどうにもなり > ません。 それは残念でしたね。でも、他にも色々とお宝写真を撮られてるんでは? EF5841さんにもお願いしたいところですが、ぜひ当時撮影されたお写真 を拝見させて頂きたいです。(^^) インフルエンザが流行っているようですが皆さんお体にお気を付けて。
60号機の牽引する「かもめ」もなかなか良いですね。 その下に掲載されているブルトレ塗装の58もとてもNICEですね。 58牽引のオハニ36を先頭にした下り「かもめ」の写真は少なからず ありますが、58牽引のナハフ11を先頭にした上り「かもめ」の 写真は見たことがありません。 理由は岡山でC62から58に付け替えられた上り「かもめ」は間もなく 日没にかかるからです。 岡山でカメラを抱えてブルトレ塗装の58の「かもめ」を見送っていた 私ですが、あの時1枚でも撮っておけば...と今思ってもどうにもなり ません。 走行中の車両にどうやってピントを合わせるのか?小学生の私には分かり ませんでした。
あるサイトに EF5860 の牽く「かもめ」の写真を見つけましたので貼っておきます。 http://poppo.plala.jp/new_page_204.htm
管理人様、皆様こんにちは。久々に書きこします。61号機の入場後も気になりますね。 そういえば、来る3月12日の大宮駅開業120周年記念列車の大宮〜宇都宮はやはり EF55の一人旅になるのでしょうか?さて本題に入ります。管理人様のHPにも一枚 貼り出していただいている37号機ののお話です。私が撮影した仕業中の37号機の もう一枚の写真は大阪駅で77年3月ごろ撮影しました。ずっと下関の37号機の写真 と思って疑っていませんでしたが、最近自宅パソコンのメモリ容量を倍の512KBに 上げ、2400dpiで再スキャンしたところ区名票をよく見ると「宮」になっているでは ありませんか!!!それで再度37号機かどうかという問題ですが、宮原区の30番台 の外嵌め標識灯で庇付Hゴムなどいないはずです。仮に竜華の39号機かとも思いまし たが、その特徴はやはり下関の37号機だと思います。残念ながら反射も手伝ってサイド プレートが良く読み取れません。管理人様かどなたか77年頃同機が宮原に貸し出しに なっていたかどうか教えてください。
12月末現在のお話ですが、ナンバープレートなどを外されたまま、高架下に 放置してあったそうです。 工場の順番待ちとか・・・。 2月に入って全般検査行っているのでしょうか・・・? EF65-57が茶塗りになって出てくるのも本来より10日ほど遅かったらしいので、 まだそのままかも・・・。 なんにしても早く元気な姿を見たいものです。
うう…寒いですねぇ。何か北の方は凄いことになってるようですが…。 遅くなりましたが恒例の遅レスです。 >747-400さま > 国鉄時代に前面警戒色という発送でなく、ライト点灯という発送があれば電機の > 塗装もイキなものになったことでしょう。 終日ライト点灯によるライトの消耗を嫌ったのかもしれませんね。 > マイテ39-11 青梅鉄道公園は一度も行ったことありません。(^_^;) そんな貴重な 車両が保存されていたんですね。今は機関車と新幹線だけでしょうか? かつては食堂車も置いてあったんですね…。今は解体されちゃったん でしょうか…。 横川もそうですが、やはり屋外展示は車両にとっては厳しい環境なん でしょうね。静態保存でも普段は屋内で展示して、たまにイベントで 屋外に引き出してあげる…なんて環境が日本でできたら素晴らしい ことですが…。大宮の交通博物館は一体どうなるのか興味あります。 鉄道発祥の地、イギリスでは保存鉄道が多く存在しているようですね。 また、かつて鉄ファンに「機関車大行進」のタイトルで保存機関車の 大パレードが紹介されていたこともありましたが、保存車両と言えど 走らせられる状態で残すことが「保存」の最も理想的な姿だなぁ…と 子供心にも感じたものでした。 もちろん静態保存でも大変ありがたい事なんですが、鉄道に限らず車や 飛行機でも、元々動いていたものはやはり動く事が一番だと思います。 >EF5841さま 60号機牽引の「あさかぜ」の写真は見たことありませんね。 そもそも資料などでも「あさかぜ」を牽くゴハチの姿は青大将姿に比較 してあまり見かけないような気がします。 61号機に限らず、今、動態で保存されている車両に対しては、ファンと しては出来る限り応援してあげたいところです。手間暇をかけて保存 車両の維持、管理をしている方々の為にも…。 ゴハチが今でも絶大な人気を誇るのも、やはり4両の現役機の存在なくして あり得ないと思います。例え現役時代の姿を見たことがなくても、今、 本線を走っている姿を見てその魅力に目覚めた若いファンも多いと思います。 仰ることも分かりますが年相応の無理無い範囲で末永く走り続けて欲しい なぁ…と思います。 > 61号機の車令は既に50年を超えています。 > 保守点検整備が他の車両よりまてにされているとはいえ、ぼろぼろです。 以前、とある番組で古い旅客機の紹介をしたものがあり、その中でその 飛行機の整備をしている人が「飛行機は手をかけてあげればいつまでも 現役なんだ」みたいな事を言ってました。 老朽部品の交換など、車齢が高くなればなるほど性能の維持は大変になって くると思いますが、ロクイチよりもずっと年上のC57やD51も現役で頑張って いる訳ですから、走れる間は頑張って欲しいところです。その辺りの最終 判断は所有者たるJR東日本さんの腹ひとつでしょうが…。(^_^;) 保存…と言うことでは鉄道に限らず日本人の保存に対する意識の低さは 色々なところで感じられます。 私の住む横浜では「赤レンガ倉庫」と言う歴史的な建造物がありますが、 かつては古びた独特の雰囲気を醸し出していたものを、周囲を今風に綺麗 に整備して内部もどこにでもあるようなお店をたくさん並べた、ただの 観光スポットにしてしまいました。古い物をそのままの姿で後世に伝える 事こそ本来意義があるような気がするのですが、なんで観光地にしないと いけないんでしょうねぇ…。(-_-;) 外観だけでも残ったことで良しとしないといけないんでしょうが、好きな 場所だっただけに変わり果てた姿は結構ショックでした。 そんななか鉄道車両の保存も、なかなか社会的には認知されにくいでしょう ねぇ。あっても機関車だけは古くて車両は妙なレトロ車両とか…。ホントは 文化遺産として編成ごと当時の車両で揃えるべきなんでしょうが…。 >LA15Bさま フォローありがとうございます。 「EF58ものがたり」によると美観の観点からライト前面にガラスを入れた ものだったとか…。と言うことはやはり国鉄内部でもブタ鼻は格好悪いと 言う認識があった訳ですね。 >寿司 太郎さま 春の便りが聞こえて来る頃、また現役ゴハチたちにも動きがありそうで 楽しみですね。 >R32GT-Rさま 初めまして、今後ともよろしくお願いします。 確かに保存されても屋根無し屋外展示だとかなり厳しいですね〜。 年々塗装が褪せて雨だれが濃くなっていく姿を見ると、ちょっと複雑な 思いにかられます。それでも横川の車両はまだ良い方なんでしょうが…。 > 保存車両として展示されて、何も価値観がわからんガキや家族連れなどに > 手垢などつけられボロボロになる方がよっぽど傷物だと思いますがなにか? 流石に屋内展示でそこまで悲惨な状態にはならないでしょうけど…。(^^;) あと「ガキ」はちょっと言い過ぎ…。思い返せば私も子供の頃は公園なんかに 保存されている蒸機に触ったり登ったりした覚えが…。子供にとっては無性に 嬉しいモンです。(部品壊したりとかはもっての他ですが) 日本でも戦後間もない頃は今では到底考えられないような危険な車両が走り 回っていたようです。旧客が現役で残っていた頃でもデッキの扉解放なんて 当たり前でしたね。列車の最後尾デッキで銀箱を椅子代わりにしてドア全開で 解放展望室を楽しむのは最高でした。 車両に限らず、回転ドアや公園の遊具の件など、最近は社会全体が過保護に なっているような気がします。(危険なものには何でも蓋をしろ…と言う風潮) >青列車さま > ゴッパー大好きオジ鉄としては寂しさを禁じ得ませんが、「Xデー」は遠くない > のは事実でしょうね。 機関車よりも先に牽かせる客車が無くなりそうです。(;_;) 本線上を最後まで残る客車は旧客…なんて事もあながち夢では無さそうな予感が します。 > 新世代車輛たちもそれぞれみんな個性的でいいところもいっぱいあるにはあるんだけど… > 国鉄時代の、否、ゴッパーや新性能第一世代の各種車輛たちのように、強く > 憧れ萌える!という感じが乏しくなったのは何故? 今、現役でこれらの車両を見て育っている人にとっては、やはり一番魅力的 な車両なのではないか…と思います。 私も復活SLを見て凄いなぁ…とは思いますが、思い入れという点ではやはり ゴハチや当時の国鉄車両に軍配が上がりますから…。(^^;)
お邪魔します。 そういえば、EF58も最終増備車ですら1958年の生まれですから、一番若いヤツでも車齢40年を遥かに越えてますよね まして、61号機は1954年生まれですから齢51歳。 人間なら、まだまだ働き盛りですが車輛としては…?還暦どころか古希、喜寿あたりに相当するかも知れません。 仮にも機械ものであるからには、メンテナンスをしっかり行い、消耗部品を取り替えていけば、思いのほか長く生きる ことも不可能ではないでしょうが、そのための経費は?実情はともあれ、利潤追求が第一目標たる営利社団法人(民間 企業)である今のJRにとって、けっして無視できるものでもないでしょう。 また、たとえメンテナンスコストの問題が解決できたとしても、現実に本線走行をさせるとなると? 貨物列車や客車列車が激減し、高加減速性能を誇る新世代電車によって編成された列車が雁行する本線路上を、その立 ち上がった「スジ」に影響を与えずに走ることができるのか?確かにEF58は定格速度がEF66についで高く、高速域での出 力はEF65をも凌駕するとはいえ… ゴッパー大好きオジ鉄としては寂しさを禁じ得ませんが、「Xデー」は遠くないのは事実でしょうね。 ただ、たとえ現役を引退したとしても、直ちに見学者にべたべた触られ傷んでしまうという事態にはならないのではないか? と半分楽観しています。要はクルマの周りに柵を作って直接的には触れられないようにしてしまえば大丈夫…かな?(^^); 新世代車輛たちもそれぞれみんな個性的でいいところもいっぱいあるにはあるんだけど… 国鉄時代の、否、ゴッパーや新性能第一世代の各種車輛たちのように、強く憧れ萌える!という感じが乏しくなったのは何故? (単に私が老境に入ったってことなのか…?あと3ヶ月もしたら45歳…切実にトシを感じる今日この頃)(爆)
それほど61がボロボロでしたら、旅客牽引で本線を力走する ということが、国土交通省より認可がおりないと思いますがなにか? くだらない話しですが、世界レベルで考えると、 日本の車両はかなり過保護に思えますね。 まあ、自分は61が172のように、なんも知らない観光客によって ベタベタ触られて塗装がおちたり、ドアノブがすり減ったりと 悲惨な状態になってほしくないですなぁ。 いろいろな視点からのヲタもいますから、それぞれが 正義だとは思いますけど?
61号機の車令は既に50年を超えています。 保守点検整備が他の車両よりまてにされているとはいえ、ぼろぼろです。 名鉄の芋虫は、戦前の車両ですが昭和40年代に大々的な更新工事が行われました。
初めまして。いつもたのしく拝見しております。 ちょっと気になったので書き込みをさせていただきます。 機関車とは走ってなんぼだと思います。 動かなかったらただの飾り物。 保存車両として展示されて、何も価値観がわからんガキや家族連れなどに 手垢などつけられボロボロになる方がよっぽど傷物だと 思いますがなにか? 鉄路上で職員に守られている方がよっぽど安全だと思いますがなにか? 文化村の172がいい状態でしょうか?かつてのお召し機とは 思えないぐらい悲惨で立派な傷物ですけど、 61もああなってもいいと? 鉄道博物館と言えど、最初は盛り上がるでしょうけど、 この経済状況で何年もマニアックな物に修復費などに金を 使えるのでしょうかね。 失礼しました〜。
58ファンならば、61号機、そろそろ成仏させてあげようではなでしょうか。 現役として頑張って頂くのも結構ですが、大宮での保存当確であるならば、傷物にならないよう余生を過ごさせてあげようではないでしょうか。