150 |
こんばんは、私も地元で久々の58ということで日根野電車区へ150を見に行ってきました。 展示場所が気になりましたが、他の電車とは隔離されたところに置いてあったので無事に形式写真を撮ることができました。パン上げはもちろん撮影位置や竜華の66さん持ち込みの「くろしお」マーク取り付けOKなどJR−Wにしてはサービスが良かったです。電車区のトップの人が58が好きな人かも知れませんね。やはり家族向けのイベントということで150周辺は人も少なく楽勝でした。撮影に行かれた皆さんお疲れ様でした。 参考HP http://homepage2.nifty.com/RYUUGEno66
プレスアイゼンバーンEF58 |
プレス58、初版1500部、通し番号が打ってあり、私のはNo.215です。 前回書きこみの時に当然履歴の部分も確認しましたが、ヒサシの件は未記載です。 移動にS48.10.2広島区、S50.3.31宇都宮運転所、S53.11.17 1休指定・・・ 改造もS47.7のHS臨検 引き通し管改造の次はS52.3.23〜4.7 大宮要検・ワイパー 改造、窓Hゴム化・・と飛んでいます。
日根野電車区、150雑感 |
本日、日根野電車区に150を見に行ってまいりました。
展示状況は、パン上昇、前照灯点灯でした。パン上げは期待してなかったんで嬉し
かった(^^)。あと、「ポェ〜ッ」という何とも独特なホイッスルも聴けました。
#ホイッスルも聴けて良かった・・・(^^)。
あと、確認はしていなかったんですが、展示場所に行くまでの道に停めてあった、
軽四に、「竜」の区名札があったのでひょっとしたら取り付けられていたかもしれ
ません。また、誰かが持参した、現行デザインの「くろしお」のヘッドマークの取
り付けも行われたようです。
以上、日根野区の報告でした。
わたしも今のところやはり広島説派です。 |
こんばんは。相変わらずハードな仕業が続行中です。うーん、しんどい。(^^;)
で、65号機のひさしの件だけちょっと…。
改めて「EF58ものがたり」のつらら切りの項を見ると全検の担当工場についてや
工事件名など、おそらく履歴を参照して記述したと思われる内容で、他の記述に比べ
て客観的、かつ具体的に思われます。その点でどうも広島工場説が私には有力に感じ
られます。以下、引用です
>昭和50年3月、広島工場に全検入場した広島区の65号機には左右一体型のつらら切りが
>取り付けられた。同機は出場後すぐに宇都宮運転所へ転属したが、同一タイプのものが昭和
>50年から52年にかけて広島工場で7両に対して取り付けられた(8・15・16・17・
>20・62・81号機)。さらに広島工場では、昭和51年に63号機に上越タイプ(左右
>独立形)のつらら切りを取り付けている。63号機のみノーマルなものとなった理由は特に
>ない。これら広島工場における9両の工事件名は「ひさし整備」となっており、明らかに
>つらら切りとは異なる目的で取り付けられたものである。……
思うに、大宮工場説は当時のファンの間での噂や推論がそのまま定説となって広まったよ
うに思われるのですが…。(もし、具体的な資料があったらご免なさい。)また、同誌の
巻末あとがきには「企画スタートから今日に至るまでには、新しく発見された写真や資料
などにより、従来の定説を覆す事柄も多数ありました。」とあり、もしかしたらこの件も
その一つかも知れません。別に「EF58ものがたり」を擁護するわけでは無いのですけ
ど、のりくらさん同様、どうも大宮工場と言うのは無理があるように思えます。(^_^;)
プレスアイゼンバーンの「EF58」には全機の履歴が載っていると思うのですが、そこに
おそらく全検入場日、担当工場、ひさし整備の実施日、担当工場について記載されていると
思いますが、それがどうなっているのか興味ありますね。どなたかお持ちじゃないでしょう
か…。
それでも広島説を信じる理由 |
こんにちは。のりくらです。65号機のヒサシの件です。大宮説に疑問です。
どうしても引っかかるのが先にも書いたHゴム化をしなかったこと。
大宮工場改造だとして、その後上越型タイプのひさしも含め一切ひさし取付改造がなかったこと。
上越型タイプひさしの場合は各区所にて取り付けも行われたこと(一体型ひさしの場合、
水切を撤去しなければならないが、上越型タイプは水切の延長などもあって改造が平易であるから、
→もし宇都宮の現場からひさしの要求が高まったなら、区所で平易な改造をするのでは?)
大宮は上越型タイプで取付実績があるのに、新たに図面を起こして設計するのか?
真柳哲也さんの記事が変遷していること(わたしは75年10月号のファンを持っていませんが、
EF58ものがたりの記述を見ると、改造後すぐに転出、とあります。ゆえに、
一体型つらら切をつけた65号機が広島でほとんど目撃されることなく
宇都宮に来たことも考えうるのはないでしょうか)。
ところで、EF66初期車のひさし改造(国鉄時代)は広島でしたっけ? 幡生でしたっけ?
EF66の場合はオリジナルが左右一体型ですが、時期的にもなんか繋がるものを感じます。
あれは前面ガラスの汚損防止だとか。
それと、63号機。これはほぼ間違いなく広島工場の取り付けでしょうが、
これはなぜ上越型タイプなのでしょうか?
一方、65号機のみつらら切りが山なりになっているのは大宮説の
強力な根拠になりそうですね。
皆様の賛同、批判、お叱り、指摘等御待ちしております。
新製回送他 |
品川丼様 昔は新製回送や疎開なんか沢山あって、61が50系回送やキハ47新製回送 なんかに充当されると根府川なんかに通ったものですね。61も下関まで通しで 行ったりして。山口線にC571が復活したのが1979年8月1日、その翌日に 呉線にEF5861の団臨が走ったのを知っていながら初日に引き続きC57撮ってたん ですが、今では悔やんでます。
ヒサシは解決? |
65号機ヒサシの謎調査隊のみなさま、こんにちは。
航くんパパさんの紹介していただいた記事がそのものズバリでもっとも
詳しいようですね。
これが正解でしょうか。
もっとも、「EF58ものがたり」とは正反対の記述であり、どちらか
微妙なところではありますが...
>品川丼さん
>>EF65と言う機関車も私は好きなんですよ。
>>もちろんFですけど・・・・
私もEF65F好きです。スカート周りがごちゃごちゃしているのが
かっこいい。撮影時にFが来ると嬉しかったです。ただ、後ろの貨物
がワムやワラばっかりで、情けない感じでしたが。
また、もっと昔はPFも好きでした。
昭和50年前後に関西に住んでいましたが、近く(西宮−芦屋間の夙川
橋梁)によくブルトレを見に行っていました。もう、ヘッドマークを付
けたゴハチのオンパレードです。
そんな中、たまに下関のPFが「あかつき」を牽いてやってくることが
ありました。定期運用なのかも知りませんでしたが、大変魅力的だった
です。
その後、どこでも見られるようになってからは興味がなくなって行きま
したが...
150回送 報告 |
初めまして。西宮在住の「鉄の親子」です。 今まで、ROMばかりで、初めてカキコ致します。 さて、本日13時頃、15日の日根野展示のため、宮原から向日町への次無動回送 がありました。牽引はDD511109(うろ覚えです・・・ご容赦!)。 塚本、大阪、岸辺の3箇所で撮影しました。 平日のためか、ご同業者は少なく、塚本:約20名、大阪:約15名、岸辺:ゼロ です。 なお、展示情報は、JR−Wの公式HPをご覧下さい。 http://www.westjr.co.jp/kou/press/4press/n001006b.html です。
65号機続報? |
航くんパパ さん
品川丼と申します。
よろしくお願いします。
65号機のひさしですが、やはり広島の物より山型に取りつけられてる様に
見えますね。
他の一体ひさしは真っ直ぐに見えます。
しかし、50系の新製回送ですか・・・・
懐かしいですね。
鶴田に疎開された10系ハネ・ロネの回送で151号機が走った事を
思いだしました。
色々・・・ |
管理人殿、お世話になります。
>品川丼さま
>確かにあれだけ個性溢れる機体が多い機関車も、ゴハチが最後でしょうね。
>もっとも最近のEF65などでも、大分バラエティが存在するようですが、
>やはりゴハチほど顕著な差異は無いようです。
>パンタがシングルアームに換装されたりしたらファン的には
>面白いかも知れませんね。(^^;)
今後はあるのかも知れませんね。
58にPS22が載るようなもんですね。
EF65と言う機関車も私は好きなんですよ。
もちろんFですけど・・・・
鉄道ファン誌に相当前になりますが、特集ではなくシリーズで
EF65Fの魅力と言う面白いのがありました。
今でも単行本にして欲しいと思うくらいの内容です。
高速貨物牽引用に生まれながら、本来の目的で使用されたのは
ほんの僅かでその後転々と流用されて行く悲運の名機。
好きですね。
また関西のEF58との微妙な絡みも大変興味がありました。
高二で余生を送ってますが、「米」板を差し、ぴかぴかの車体を見て
他の新型電機にない何かに引かれたものです。
>多くの若いファンにとって、ゴハチは既に昔々の機関車…なんでしょうね。
>私たちくらいの世代で言えば、復活したEF55を見るようなものかも知れません。
55の復活、私は渋川で迎え撃ちしました。
もう何年前でしょう。
懐かしいです。
ご無沙汰です。そして乗り遅れ!? |
ども。ご無沙汰してます。
皆様研究熱心で模型派の私としても大変貴重な資料となっています。
私の気付いた点が一つありまして
ゴハチの屋根の黒塗装ですが、塗り分けラインが3種類あります。
まず、KATO製上越型と同じライトの後ろでやや鋭角に結ぶライン。
そして、左右の雨樋を直線で結ぶライン。
最後に雨樋のやや上を通り台形で結ぶラインの3種類だったと思います。
各機、それぞれがありますので「どれがどう」とは言えませんが、
黒塗装が始まった時期はKATOのタイプが標準ではないかと思います。
次の雨樋を直線で結ぶラインですが、これは今現在のロクイチとパックに
該当します。(いずれも最近のものだと思います。)
最後の台形は、今の雨樋ラインになる前のロクイチが有名なタイプです。
ざっとですが、塗り分けラインの説明?でした・・・・
それにしても細部にわたってまで1台たりとも同じものがいない
ゴハチっておもしろいですよね。
65のヒサシ |
プレスアイゼンバーンのEF58の補遺版に拠れば、広島工場のヒサシが 取り付けられたのは8,15−17,20,62,81の7両。 この改造とは「全く別に」1975年春に大宮工場において65号機に 対し同様の改造が行われた。一体型ヒサシの登場は広島地区より 宇都宮の方が若干早かったが、宇都宮では全く普及しなかった。 とあります。 ちなみに私は1976年1月5日に宇都宮区ではじめて撮り、同年8月 6日に黒磯で荷物列車のゴハチ重連の先頭に立っている姿を写しています。 その後Hゴム化されてからは50系客車の新製試運転を1978年3月28 日に、その新製回送の回8104レを同年3月10日に大宮で撮ったのが 生きてる65の最後でした。
連続仕業充当中〜。(;_;) |
こんばんは。今日から1週間、ぶっ続けでハードな仕業に突入です。<仕事です。(^^;)
>T.Fさま
どうもお呼びだてしまして…。お答えいただきましてありがとうございます。
そうですか、ゴハチに関しては別巻だったですね。残念です。
>品川丼さま
確かにあれだけ個性溢れる機体が多い機関車も、ゴハチが最後でしょうね。
もっとも最近のEF65などでも、大分バラエティが存在するようですが、やはり
ゴハチほど顕著な差異は無いようです。パンタがシングルアームに換装されたりし
たらファン的には面白いかも知れませんね。(^^;)
多くの若いファンにとって、ゴハチは既に昔々の機関車…なんでしょうね。
私たちくらいの世代で言えば、復活したEF55を見るようなものかも知れません。
>MT42F-3さま
宇都宮と言えば57があまりに有名で、同区のゴハチはファンからも一番冷遇されて
いたように思います。形態的にも早くにHゴムにデフロスタ姿になってしまいましたし、
つらら切りの付いたもの以外は皆、同じ顔でバラエティが無かった事もあるんでしょう。
いやはや・・・・ |
そんな時代なんですね。> たしかに自分が一番熱中していた時代は中学生のころで荷36レに36号機が入ったなんて情報が入ると学校帰りの夕方に八丁畷まで繰り出していました。そんなころは宇都宮のカマなんて目もくれなかったんですがねぇ。 でもいまだに半現役で活躍している姿を見ることが出来るのは本当にありがたい事ですね。
RE:うーむ…。 |
>品川丼さま
>すみません。何だか茶々を入れてしまいまして…。
>お手数お掛けいたします。(^^;)
いえいえ、この時代にこの様な話で盛り上がれるなんて
嬉しいですよ。
58はこの手のネタが多いので今後も楽しみです。
>ラストランナーズの初版というと「58ものがたり」と同時期の出版でしょうか。
>雑誌などの記事も諸説がこもごもですね。(^_^;)
言えてますね。
>履歴で全検の日付・担当工場が分かればおそらくはっきりするのでしょうが…。
検査記録までとなると難しいかも・・・・
>それにしてもこうして引退から数十年経っても、話題に上る65号機は何とも
>幸せなカマですね。そう言えば同機は以前にもこの掲示板上で大宮に現存する
>しないで話題になったことがありました。その時は一応、解体された…と言う
>ことに落ち着いたんですけど、つくづくミステリアスな話題が尽きないカマで
>あります。
65号機は資料が少ないですね。
58物語にも1枚しか写真がないくらいですからね。
最近のカマと違い、号機ネタで盛り上がれるなどこの代位まで
ではないでしょうか?
以前、たまたま61が走ると聞いた時に撮影にでかけました。
カメラバックにたまたまアルバムが入っていて、それを見ていた
のですが、若いファンが「これいつのイベントですか?」と122
の引く荷物列車の写真をさしましたが・・・・・
そんな時代なんですね。
ご無沙汰してます |
管理人さま、みなさま、このところ読むだけで、失礼しております。
>管理人さま
残念ながら、EF58は別刊です。ちなみに例の本というのは、プレスアイゼンバーン刊の
『電気機関車Vol2』です。EF58は同社からそのまま『EF58』が出てますが、私が
ゴハチに興味を持ったのは、このHPを見始めてからでして…。残念ながら未入手です。(^^;)
お持ちの方は、フォローをお願い致します。お役に立てませんでゴメンナサイ。
うーむ…。 |
>品川丼さま
すみません。何だか茶々を入れてしまいまして…。お手数お掛けいたします。(^^;)>
ラストランナーズの初版というと「58ものがたり」と同時期の出版でしょうか。
雑誌などの記事も諸説がこもごもですね。(^_^;)
履歴で全検の日付・担当工場が分かればおそらくはっきりするのでしょうが…。
(T.Fさま〜!例の本に載ってませんかぁ?)
>のりくら(コロンボ警部)さま
> でも、大宮工場でひさしをつけるとき、なんでその時点で
> Hゴム化しなかったんでしょう?
うーん、確かに言われてみればそうですね。
調べてみると、大宮で上越形以外のHゴム改修が始まったのが昭和50年の2月から
で、大宮で全検を受けていれば時期的に見るとHゴムになっててもおかしくなさそうで
すが、ちょっと時期が微妙すぎるかも知れません。うーん、何とも…。(^^;)
それにしてもこうして引退から数十年経っても、話題に上る65号機は何とも幸せ
なカマですね。そう言えば同機は以前にもこの掲示板上で大宮に現存するしないで
話題になったことがありました。その時は一応、解体された…と言うことに落ち着
いたんですけど、つくづくミステリアスな話題が尽きないカマであります。
新作刑事コロンボ「遮られた太陽」 |
こんにちは、あたし、コロンボ警部です。
65号機のヒサシの件ですが、皆さんの証言を元にすると、
以下の手がかりがわかれば結構強いと言うことですね。
Hゴム化された要検の前の全検が、いつ、どこでおこなわれたか
全検と転属の時間関係(前か、後か、タイムラグはどのくらいか)
そして、宇都宮転属直後あるいは広島転出直前の写真
何せ、投稿しているのが職場のパソコンでは、画面を見ながら
資料をあたると言うことができないんですね。
近いうちにパソコンは買いますんで…。
でも、大宮工場でひさしをつけるとき、なんでその時点で
Hゴム化しなかったんでしょう?
あれだけ窓周りに手を加えておきながら…。
何とも申し訳なく・・・・ |
家の中を引っ掻き回して資料探ししてますが・・・・
取りあえず出て来た資料から、また訳が分らなくなりました。
ラストランナーズの初版本。
宇都宮のカマの紹介をしておりまして、広島から宇都宮に転属の途中に
大宮に全検入場して、その際取り付けられたと記事があります。
それでは、私が見た雑誌は見間違えなのかも・・・・
おはずかしい。
しかし、西のゴハチと言う本の中に1972(昭和47)の姿があります。
この時はさすがに原形大窓、ひさしなし。
でも下関時代ですし、当たり前かも・・・・・
翌年の1973(昭和48)の10月に広島に転属。
そして転属途中に・・・・・と言われる宇都宮転属は昭和50年3月30日。
微妙な感じです。
ちなみに廃車は昭和54年2月。
もっと調べる必要がありそうですね。
新事実? |
皆様、こんばんは。
>Murakichiさま
鉄ファンの75/10は私も所持しており、その記述は存じておりました。
その後に発売された「EF58ものがたり」の伊藤久巳氏による形態分類の中に
65号機は広島工式一体ひさしの取付第1号で、施工後すぐに宇都宮に転属した…
との記述があります。鉄ファンの記事を書いた真柳氏も同誌の編集に参加してい
るので、そう言うことだったのか…と納得していました。(^_^;)
>MT42Fさま
お久しぶりです。150行かれたんですね。羨ましいです。
元気そうでしたでしょうか?
>品川丼さま
Murakichiさんへのレスにも書いたとおりでして、ずっとそう信じてました。
65号機が宇都宮へ転属した当時の事は、残念ながら詳しいことは知らないの
ですが、その辺り実際はどうだったのか興味があります。ノーマルの宇都宮
時代の姿が確認できれば…。
ちなみに同機がHゴム化されたのは「EF58ものがたり」によると昭和52年
4月7日大宮要検となってました。
65号機 |
Murakichiさん、フォローありがとうございます。
その通りなんです。
一体ひさしは広島工式があまりにも有名なんですが、登場は宇都宮運転所の
発案を、大宮で施したのが最初なんです。
転入後しばらく運用されて全検入りするしばらくの間の活躍の写真で、ノーマル、しかも大窓の65が雑誌
に出ていたの見て友人と驚いた覚えがあります。
Hゴム化をいつされたのかがいまだにわかりませんが、大窓の一体ひさし。
東北線では目立ったのではないでしょうか。
ちなみに私が一番好きな広島型は16号機でした。
一体ひさし、PS22B、1次型正面手すりなし、スノープロー取り付け台座なし、大窓・・・・ありゃ凄かっ
た・・・・・
150撮影してきました |
ご無沙汰しています。 6日は休暇を取って150の単機回送に行ってきました。 電車での追いかけで4回撮影するつもりでしたが、地震の影響で、 白市を88分、三原で160分遅れとなり、結局宮原へは明け方到着だったとか。 私自身も新幹線を使ってやっとのことで帰阪しました。 明けて7日はSH400氏と飯田トロッコに。 天気予報は晴れなのに、毎度のことながら現地は薄雲が多く後半は真っ暗でした。 撮影地はススキが伸びてこの時期になっても草刈するハメになりました。
65号機のヒサシ |
みなさんこんにちは。Murakichiです。
最近ご無沙汰しておりました。
さて、65号機の一体型ヒサシの件ですが、私が所有している数少ない
資料「鉄道ファン'75年10月号」の真柳哲也氏の記事の中に、宇都宮区
の説明で、
「最近転属してきた65号機に左右一体の大型のヒサシを付けたのは当区
独自の改造と言えよう。この改造の理由は今のところ良くわかっていな
いが、大窓のために光線が入りまぶしいから取り付けたとの説もあるが、
これがツララ切りでないことだけはたしかである。」
との記述があります。
この文章では、『一体型ヒサシを付けた65号機が転属』ではなく『転属
してきた65号機に左右一体の大型のヒサシを付けた』とあります。
おなじ記事の中で、広島区の説明の中には一体型ヒサシについては触れて
おらず、形態分類でも一体型ヒサシは65号機しか見あたりませんので、
まだ広島区の一体型ヒサシへの改造は実施されていないと推測されます。
私自身が確認したわけではありませんので、真相は不明ですが、こういう
記事もあった、と言うことで...
レス、ありがとうございます。 |
大宮黒色塗装についてお答えいただいた皆様、ありがとうございます。
私は1981年頃から鉄道趣味を離れていたのですが、その頃の記憶ではゴハチの
屋根が黒色だった記憶があまり無いのです。もっとも普段屋根上にそれほど注意を
払っていたわけではないので、単に見落としていただけかも知れませんが…。
>阪和砂川さま
どうもご返答ありがとうございます。
15日ですか。うーん、私は催事(仕事)のまっただ中です。
いつか元気に走る150の姿を拝みたいものです。
> いっそのこと、ここに来られてる人みんなで、研究してみるってのもいいかもしれ
> ませんね。んで、同人誌にするの(笑)。
で、ビッグサイトで売るんですかぁ?(^^;)
それはそれとして、いつかまとめて本かCD-ROMにでもできたら面白そうですね。
>齋藤さま
お久しぶりです。情報ありがとうございます。その後61はどうなってるんでしょう
ね。気にはなるものの、私は暫く仕事で動けそうになさそうで、動きが無くて心配な
ような嬉しいようなちょっと複雑な心境です。(^_^;)
>パックマンさま
家族サービスお疲れ様でした。
61田端速報ありがとうございます。その後、どうなんでしょうねぇ。
61のことですから、きっと大丈夫だと思いますが…。
>品川丼さま
初めまして。こちらこそ今後ともよろしくお願い致します。
早速のレスありがとうございます。ぜひ、よろしくお願いします。
65号機ですが当HPに掲載したTK89さん撮影の哀れな姿を見ると、何となく
屋根上に黒色塗装の後らしきものが見えますが、あの状態ではちょっと分かりませ
んね。ところで、いきなり重箱の隅をつつくようで何なのですが、同機の一体ひさし
は確か広島工場改造だったような…。(改造後すぐに宇都宮に転属したと「EF58
ものがたり」に出てたように思います。)
>MT42F-3さま
どうもお気遣いすみません。以前に初代MT42Fさんと二代目MT42Fさんをてっきり
同一人物かと勘違いしてしまったことがありまして…。(^^;)
改めて今後ともよろしくお願い致します。
>EF−18さま
150情報ありがとうございます。
短区間だとしても元気な姿を見られれば良いですね。
ところで、当の150は今いずこでしょう。もう、宮原にいるんでしょうか…?
>のりくらさま
レスありがとうございます。ゴハチ学会…良い響きですね。毎年、その年の学会の
成果をまとめて発表したりして…。
それにしても、パンタ塗装の件も含めて屋根黒塗りのゴハチの一覧でもまとめてみ
たいですねぇ。模型をやる方にとっては有意義な情報になるでしょう。でも、この
辺も今となっては写真が頼りですが、ただでさえ屋根上が写った写真が少ない上に、
すぐに汚れてしまう部分なのでカラー写真でも一体何色なんだか判別できない場合
が多くて困りものですね。(^_^;)
模型(製品)は細かいところはあまりあてにならないようですね。最も実車でも
時期によって細部の色が異なっていたりしますし、なかなか難しいのでしょうね。
あと、大宮工と言うとパンタの碍子の色も白と緑がありますね。うーん、複雑。
89の銀色モニタは、茶色になったときからだと思いました。
おそらく温度上昇を避けるため何でしょうが、車体がシックな茶色なだけにあれは
頂けなかったですね。
>EF5853さま
お帰りなさい。
例のプレスアイゼンバーンのゴハチですが、まだ、見に行っておりません。
でも、やはり屋根が黒…と言うのはどうにも納得できないものがあるので今回は
見送りになりそうです。
>黒いチューリップさま
> 中にはランボードの部分だけ淡緑色or灰色?に塗られたのも(番号不明)
> 本の写真で見た事があります。
そんな機もあったんですねぇ。うーん、ますます奥が深いです。<屋根上
あと、KATOのEF58が再生産ですか。いっそのこと車体を新規で作って
欲しいですね。
さて、ここで学会員の皆様(笑)にお願いなのですが、これらの屋根上について
今後まとめていきたいと思いますので、その点が確認できる写真(非公開にします
ので、雑誌等に掲載されたものでも可)と一緒に随時ご報告いただければと思いま
す。HP上に形態一覧表を設けて、確認できた箇所を潰していこうかと思います。
それでは、また。
学、というほどの物ではありませんが(^^; |
どもです。まだ会社です。
阪和砂川様)いいHPを教えて下さいましてありがとうございました。
ま、生きてる時は、鷹取工場仕上げですから、まず間違いなく茶色でしょう。
問題は、今、科学館に保存されているカマがホントに屋根が黒塗装なのか?
なのです・・。(模型のヤツはしかも碍子が緑ではなかったか?ということ
もありますが。まあ、まるで似てないのでマイクロの旧型電機は買うつもり
はないのですけど。)
自分の模型は、EF15は2両とも屋根は黒く塗装してます。半光沢黒でも
艶出過ぎなので、上から艶消しをかけています。
当然EF10、12、13、16、18、56,57、58の一部も黒くしなければ
ならないのですが、なかなか決心がつきません・・・・。
これでは単位がとれない |
すみません。のりくらです。忘れていました。
EF5889を最近の姿で再現しようとすれば、製品のままでは誤りです。
モニターはなぜか銀色になっていました。
これは一体なんででしょうか?
わたしはあまり好きになれませんでした。
では。
ゴハチ学(屋根) |
こんにちは。のりくら(専攻ゴハチ学)です。
黒いチューリップ様、現行のカトー製品の屋根の色は製品のままで正しいです。
上越型のゴハチについても、電暖化後の姿が製品化されているため、
時代的にも明らかに屋根の色は黒いと思います。
なお、上越型については、避雷器の位置が89号機(及び同ロットの日立製EF58)
のみの独特な位置にモールドされています。これの位置の修正がてら、わたしは
製品のままではあまりにも艶のありすぎる屋根にタミヤのマットブラック
を吹き付けました。とても落ち着いていい感じになります。
大窓2タイプについては車体色のままでいいと思います(HO製品の黒屋根が
間違いと言うことがわかったので・・・EF5853様ありがとうございます)。
トミーのEF58も製品の色で正しいです(Hゴム茶色は持っていないので不明です)。
ただし、157号機は国鉄時代は受持ちが大宮工場だったので、分割民営化後の
姿になります。
ちなみに、わたしの模型機関車の屋根の塗装は、実物を構成する素材が何かを考えています。
大宮工場の機関車・・・屋根の鉄板(雨どいの内側、以下同様)→マットブラック
新性能電機のパン下やランボードなどの屋根布→ジャーマングレイ
その他の直流機関車・・屋根の鉄板→車体色のまま
パン下やランボード→ジャーマングレイ
交流・交直流機関車・・屋根の鉄板(もちろんパン下も含む)→マットブラック
ランボード→ジャーマングレイ
ただし、排気ダクトの熱風を避けるためランボードの一部が鉄板張りになっている
所は(EF62,EF63,EF64,EF81など)ねずみ色1号
EF62のパン下のFRPについては、クりームに塗るのが素材重視の塗り方で正しい
のですが、目立ちすぎるし、実物は汚れているのでジャーマングレイに塗り、
わたしの機関車の番号が高崎(つまり大宮持ち)なので、パンタを支える
棒をつや消し黒に塗りました。
トミーのEF81は雨どいのモールドが非常に細かく、縦どいにつながる部分の突起が
きちんと表現され、その内部もきちんと凹になっています(カトーは
凹は表現されていません)。ここの凹をつや消し黒に塗るととても
感じがよくなります。
こんなところでやっていますが、他の学識経験者(^ ^;;;)の皆様、
間違っていたり、こっちの方がいいというのがあれば教えてください。
(大宮工場の黒屋根は模型でも嫌う人がいますし)
ゴハチ学会 |
いっそのこと、ここに来られてる人みんなで、研究してみるってのもいいかもしれ
ませんね。んで、同人誌にするの(笑)。
あくまでジョークです(笑)。
ゴハチの屋根の色 |
黒いチューリップです。
皆様この話題で盛り上がっているようですが。。
私もこの件については前々から気になっていまして。。
KATO製品(Nゲージ)での話ですが
上越型(青・茶)の屋根は黒で製品化されています。
後期型大窓青の屋根は青です。。
初期型大窓茶の屋根は持ってないのでわかりません。。
(この12月に再生産されます)
自分が持っているKATO製上越型は86(青)、89(青・茶)、110(青)、121(青)で、
110と121はとりあえず屋根を青色に塗り直して、他は黒のままです。
屋根が黒く塗られているゴハチの車番は?、時期は?
私も是非知りたいです。。
中にはランボードの部分だけ淡緑色or灰色?に塗られたのも(番号不明)
本の写真で見た事があります。。
模型の場合、走らせていると上から眺める場合が多いので
屋根は目立つのです。。だからこだわりたい。。
EF15の常磐無線アンテナの質問をしたのも、その理由なんです。
こういった類(屋根の色・パンタ等)のまとまった資料って私は知らないですね。。
断片的な情報しかありませんから、、
う〜ん。。やはり「ゴハチ学会」は必要かもしれません(^^;;;;;
では。
RE:屋根色 |
>EF5853 さん
>EF52はそうですか
http://www2h.biglobe.ne.jp/~hiro129/02/1001-09.htm
ここのページにあったカラー写真で見る限りは茶色のようですねえ。若干斜め下か
ら見上げるようなアングルではありますけど。
マイクロキャストの屋根とパンタの色 |
すみません、とっくに帰国してましたがご挨拶してませんでした・・。
のりくら様)
マイクロキャストの屋根については「ただの間違い」です。
さる模型店で息子さんとお話したとき、「EF52の屋根を屋根をどうして
黒く塗ったのか?」と聞いたら、「保存機がそうだったので」とのことでした。
(科学館のEF52はそうですか?関西の方々どうなんでしょう?)
塗り屋サンへの指示書が直ってないのか、以降のモデルは全て屋根が黒く
なっております。EF53・59・60、ED60・61・62全部です。
ED60シリーズはマイクロの電機シリーズの中で唯一「似ている」
カマですが、屋根の黒塗装で全てぶちこわしです・・・・・。
言ってるのに直らないのはホント困りものです。
さて、パンタの色ですが、ブルトレ写真ではEF65Pは明らかに銀です。
但し、シュー先端、関節に赤の警戒色はありません。
同じ東京区のEF10も銀ですが関節に赤の警戒色があります。(記憶ですが)
5861も82年頃までのお召し装備では銀塗装で関節部、シューいずれにも
警戒色はなかったはずです。(関節外側だけだったか?)
宇都宮の65PFには何もなし、田端の81にはシューのみ赤?
広島のEF61は銀にシューが黄色、瀬野のEF59はシューが黄色で
シュー位置指示マークが三角マークではなく細い白線2本・・
これもこだわると山のようにネタが出ますねー・・・。
黒い屋根の疑問 |
kobaneko様、こんにちは。のりくらです。
「ゴハチ識者」っていい言葉ですね(^_^;;)。
そのうち「ゴハチ学会」が開催されたりして。
わたしは識者というほどの者でもないですが、調べた結果を。
電機機関車展望第1巻を見ると、EF57(1969年)やEF11(1972年)はすでに
屋根が黒いです。一方、第2巻は1975年以降の写真が多いのですが、
EF65Pはすでに黒くなっています。1976年10月号の鉄道ファンを見ても、
EF65PやEF63は屋根が黒いです。
が!
わたしが混乱しているのは模型の屋根です。
たとえば、最近発売されたマイクロキャスト水野のEF60茶色は屋根が黒いです。
EF10の初期タイプも黒です。
初期型の茶色のEF58(ピノチオ)も黒だったと思います。
一方、天賞堂の茶色い機関車(の初期形態タイプ)はあまり黒はないと思います。
電機機関車展望第2巻に写っている茶色のEF60も屋根が黒いような茶色いような…。
すみません。わたしの結論は「この掲示板をちょくちょく見よう」=他力本願に
まかせよう、というものになりました。
で、これに関係しているかどうかはわかりませんが、
私が気にしていることがあります。
大宮工場出場の電気機関車のパンタの色のことです。
すなわち、台座が黒、それより上の枠や舟が銀色、これは1975年くらいを境に
オールグレーに変わったような気がするのですが、これはどうでしょうか?
他の工場はどうでしょうか? だれかご存知の方、教えてください。
品川丼様、あの黒い塗料に砂が入っているのははじめて知りました。
ありがとうございます。
では。
150〜 |
EF−18 さん
>向日町から天王寺経由、日根野送りです
おお、日根野に来るんですね?これは是非行かないと。地元の意地にかけて(笑)。
#自宅は大ヒネから自転車で15分程度なので・・・(^^ゞ。
150は |
聞いた話だと残念ながら無動回です。宮原操から一旦向日町操に入り、
向日町から天王寺経由、日根野送りです。 全区間DD51牽引です。
ひょっとしたら宮原操から向日町操まで自単だったらいいんですが。
あらら? |
管理人さん、すみません。ここは1年くらい前から拝見していたのですが・・・。と言うわけで三代目MT42Fを名乗らせていただきます。 ところで今日は61のオクシナの話題が聞けるかと思っていたのですが、やはりブレーキなんでしょうかねぇ?
続・どうした61? |
61様は田端の倉の中で何やら修繕を受けているようだ・・・
という、一報が友人より入りました。
一体どうなっているんでしょうかねえ。心配だなあ。
RE:黒屋根 |
>ところで、ゴハチ識者の皆様にちょっと質問なのですが、
>>大宮工場の屋根の黒色塗装の実施時期はいつ頃か、ご存知ないでしょうか?
>70年代後半から順次…
>だとは思うのですが…。
あの砂を混ぜた独特の奴ですよね。
調べて分かるか見てみないと分かりませんが・・・・・
東大宮の関東鉄道学園教習車の65号機(大宮工場改造の一体ひさしを持つ)は、
最終の全検が資料を見ないと分かりませんが、黒塗りではなかった記憶があります。 分かるようでした
らお知らせします。 それでは。
すみません |
設定に気がつきませんでした。
変更します。
ご迷惑をお掛けしました。
はじめまして |
はじめまして。 品川丼と申します。 いやー、良いHPですね。 目頭が熱くなりました。 国鉄からJRに変わり10年以上の時間が過ぎて、国鉄型と呼ばれる車両も どんどん姿を消してしまい寂しい限りです。 そんな状況もあり、いつしか鉄道趣味から離れてしまい、過去に撮影した機関車 や列車たちを眺めるだけになってます。 58が57を追い出し、天下を取りその58がPFに場を追われ、そのPFで すらどんどん消えて行く状況を見ていられないのかもしれません。 たまにFを見かけてホッとするこのごろです。 今回はご挨拶。 今後とも参加させていただきますので、よろしくお願いします。
夏休み〜 |
ども、パックマンです。
今週は、少々遅めの夏休み〜(管理人さま、ゴメンナサイ)
という事で、10/1,2,3で東北方面へ小旅行(鉄抜き)に行っ
てきました。
10/1はサワ座と重なり、蒲須坂や矢板のメジャーな撮影地に
は、早朝よりたくさんの方々が集結されていました。
皆様の姿を横目に見ながら(みっくさま、矢板付近で確認致
しましたよ(^o^))一路東北へ向かいました。
>齋藤さま
61の試単があったそうですね。と、言う事は明日のオク
〜シナに・・・???
大宮付近にでも出撃したいのですが、3日で1000キロ近く車
を運転したものですから、疲れが・・・う〜ん 歳には勝て
ないなア(^^;ゞ
61試単走る! |
大変ご無沙汰しています。
友人からの情報ですが,本日61の台検後試単(久喜まで)があったそうです。
私は残念ながら出張で撮れませんでしたが,61はなかなか綺麗だったようです。
天気も良かったようですし,撮りたかったなぁ。
出張途中で,東京駅八重洲北口にある松栄堂書店で「EF58ざんまい」入手し
て来ました。まだいっぱい有りましたよ。>管理人様
値段の割には内容充実で,素晴らしい写真が沢山あり,得した気分です。著者の
方は私より1年先輩ですが,「はじめに」を読んでいると共通するところが沢山あ
り共感しました。この掲示板はご覧になっていないのかなぁ?
「58&SL写真館」http://www1.plala.or.jp/TASAITOH/
RE:イゴマルがんば! |
>Kobanekoさん
>「日根野電車区」の公開っていつなんでしょう?
今月の15日です。ですから、未確認情報とは言え、足慣らしがてらに日根野まで
150が下って来るというのもあながちあり得ないことではないとは思ってるんで
すけどねえ。
例年はそれなりに情報が出て来るんですけど、今年は日付以外の情報が掴めてない
んですよね、これが。<日根野
今年は阪和線全通70周年なので、その記念という意味では150が下ってくる可
能性もなきにしもあらずとは思っているんですけど。
>58ざんまい
私も天王寺の旭屋で見ました。
竜華の写真が少なくて、はやたまがなかったので、予算と相談の上見送りました。
そのうち、補正予算を執行したいなあと(笑)。
イゴマルがんば! |
みなさま、ご無沙汰しました。無事に出張より帰って参りました。
でも、すぐに仕事がハードスケジュールに突入で、更新もままなりません。
どうも10月後半まではこの状態が続きそうです。(;_;)
>パックマンさま、高二さま
「ええっ?」とビックリしましたが、高二さまの書き込みを見て一安心しました。
ここのところゴハチにとっては明るい話題があまり無かったので、どうなるかと
思いました。良かった良かった。
>MT42Fさま
初めまして。
えーと、過去にもMT42Fさまはお二人おられたので、3代目ですね。(^_^;)
58&15がらみの掲示板なので確率が高いとは思われますが…。
何にせよ今後ともよろしくお願い致します。
>高二さま
今年の大宮公開は28日ですか!それなら行ける!!久々に89の姿が拝めるか
しらん…。(青に戻ってからは一度も見てないんです。)
>EF5852さま
「58ざんまい」GET、良かったですね。
それにしても、事実上の現役引退から早14年、動態保存機が居るとは言え、
それでもゴハチの人気が衰えないのを見ると、つくづく幸せな機関車だなぁ…
と感じます。それに比べて15は…。(;_;)もっともそれが15らしいところ
かも知れませんが…。
>EF−18さま
157は良い意味でとても地味な存在ですね。ゴハチ晩年の浜松、宇都宮のカマ
を彷彿させる…と言ったら語弊がありますが…。
改行ですが、「入力した通りに表示」をチェックすると自分で意識して改行し
てあげないと、蛇みたいになってしまいます。(^^;)
>阪和砂川さま
嬉しいニュースですね!早く元気な姿を拝みたいです。
ところで「日根野電車区」の公開っていつなんでしょう?
ところで、ゴハチ識者の皆様にちょっと質問なのですが、大宮工場の屋根の黒色
塗装の実施時期はいつ頃か、ご存知ないでしょうか?70年代後半から順次…だと
は思うのですが…。