ELECTRIC LOCOMOTIVE EF58  Vol.21
EF58 161〜172

Last Update 2024.12.4

Index EF58161 EF58162 EF58163 EF58164 EF58165 EF58166
EF58167 EF58168 EF58169 EF58170 EF58171 EF58172

 第12次増備車(138〜145・149〜172号機) その3

昭和33年2月から4月に姫路・宇都宮電化用として登場したグループ。形態的には前グループに引き続いてワイパーの腕折り型への移行(149・150・161号機を除く)と、前面窓、及び側面中央窓のHゴム支持への仕様変更が特徴です。Hゴム支持で落成したのは156・164〜166・169〜172号機。

※印…主な特徴です。画像をクリックすると大きなものが表示されます。

 EF58 161〔浜松〕
6348-EF58161 ここから、6348レさん怒濤のシリーズが続きます。(^o^)
現在も有名な米神のS字カーブを行く161号機。残念ながら今は上下線間にロープが張られてしまっています。(;_;) 本機の屋根上の抵抗器室カバーは川崎製の特徴の1エンド側と2エンド側が同じ小さな物になっています。

※抵抗器室カバー変形 ヘッドマーク取付座無し
撮影:6348レさん  早川―根府川 1979.7.10
製造年月日:S33.2.13
製造:川崎車輌・川崎重工
廃車:S59.2.7〔浜松〕
Mr.slim-EF58161 原形小窓、直腕式の原形KW3Dワイパー姿のすっきりとした161号機。
撮影:Mr.スリムさんMr.スリムの道楽部屋  浜松 1973〜74頃
kk0630-EF58161 岐阜で発車を待つ161号機牽引の荷物列車。岐阜駅の雰囲気も良いですが、現在は高架化ですっかりイメージが変わっています。
撮影:kk0630さん  岐阜 1982.12
nijinochichi-ef58161 今となっては懐かしい光景になってしまった名所、白糸川橋梁を渡る下り荷物列車。昔は取りあえず根府川に行けば何とかなる…と言うのがありました。
撮影:二児の父さん  根府川―早川 1983.8.24
ef5852-ef58161 「団臨仕業に充当された161号機です。同機は、下関集中配置組に抜擢 されることなくこの撮影の2ヶ月後に廃車となりました。正面の飾り帯は、銅像のような色に変色し、正面窓周りの状態も良くないようですが、これがロングラン運用を持つ浜松区のカマらしい姿だったのかもしれません‥‥」(EF5852さん)
撮影:EF5852さん  荷38レ  藤枝―島田 1984.1.16
sugi-EF58161 浜松区に配置されたゴハチは150番台まではヘッドマーク取付座を装備していますが、160番台になるとなぜか未取り付けなのが不思議なところです。
オデコの肩部分が下がった川崎独特のオデコのカーブ具合が良く分かりますね。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  浜松機関区 1976.8.1
sugi-EF58161 晩年の浜松区の150〜160台のゴハチは黒Hゴムの前面窓でどれも同じ印象でした。個性が無いのが浜松ガマの特徴とも言えますが、反対にその存在ゆえに大窓機や原形小窓機が引き立つ面もあり、ある意味、主役を引き立てる名脇役と言えるかも知れません。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  荷37レ  摂津本山―住吉 1979.10.21
sugi-EF58161 川崎製独自の丸みを帯びたオデコの具合が逆光で目立ちます。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  上り荷レ  住吉―摂津本山 1980.5頃
117KM-EF58161 下り荷物列車を牽き東海道を西下する原形小窓時代の姿でこちらは1エンド側。撮影地は同氏撮影の119号機と同じく現在の三島中央自動車学校付近と思われます。ちなみに本機の前面窓がHゴム改造されたのは1975年3月です。
撮影:117KMさん  下り荷物列車  函南―三島 1973.8?
 EF58 162〔浜松〕
6348-EF58162 Hゴム支持の前面窓、機関士側WP50、助士側WP35ワイパー、上昇した水切り、ビニロックフィルタ…。この姿は晩年の浜松区ゴハチのまさに典型的な姿と言えます。本機も川崎製で屋根上の抵抗器室カバーの1エンド側が2エンド側と同じ小さな物になっています。

※抵抗器室カバー変形 ヘッドマーク取付座無し
撮影:6348レさん  早川 1980(?)
製造年月日:S33.2.17
製造:川崎車輌・川崎重工
廃車:S59.2.7〔浜松〕
nijinochichi-ef58162 こちらも上の161号機と同じ時に撮られた写真です。ゴハチ牽引の荷物列車も晩年になるとパレット車やマニ50が編成の多くを占めるようになってますね。
撮影:二児の父さん  根府川―早川 1983.8.24
ef5852-ef58162 「浜松区の標準的スタイルの162号機です。 銅像のような色の飾り帯に汚れたおでこ‥‥  この汚らしい姿が浜松区らしい味を演出していたのかもしれません。同機は、この撮影の半年後に 下関集中配置組に抜擢されることなく廃車になりました。」(EF5852さん)
撮影:EF5852さん  荷38レ  島田―藤枝 1983.7.27
fj62g-ef58162a 午後の品川駅構内ではこれから出区するゴハチの姿を良く見かけました。典型的な浜松ガマによるこの光景は、ある面、品川駅における最も日常的な光景でした。

撮影:FJ62Gさん   品川 撮影年月日不明
「京都駅1番線に渡り線を編成をくねらせながら進入してくる162号機。氷雨の中、SGから勢いよくスチームを吐きながら颯爽と走るゴハチがとても好きです。コダックのネガカラーでの撮影で経年による退色が激しいです。山陰ホームのキハ58急行丹波や153系新快速などで賑わう古き良き国鉄時代です。 」(EF5831さん)
撮影:EF5831さん  下関 1976.3
taki10450-EF58162 「春浅い日で寒かったのでしょうね、激しく蒸気を吹き上げています。残念ながら、例によって掴み棒が尾灯に掛かってしまっています。163号機も、他の浜松区のカマと同様に飾り帯が錆びています。ヘッドマーク掛けが無く、鼻すじがスッキリしています。現在の駅構内では考えられませんが、ホーム上には荷役のためのターレットが停められています。当時は、ターレットに台車を何両も繋げて、大量の荷物を運んでました。」(タキ10450さん)
撮影:タキ10450さん(『タキ10450』の国鉄時代の記録) 上り荷レ  大阪 1981.3.31
kato-ef58162
品川駅構内で待機していた荷物車編成と連結。屋根上の安全弁からは盛大にスチームを噴き上げています。こちらは2エンド側です。前面ワイパーのWP50とWP35での大きさの違いが良く分かります。
撮影:加藤重義さん  荷35レ?  品川 1979.3.5
kato-ef58162
連結作業が完了し作業員が引き上げています。発射準備も整ったのか安全弁のスチームも止まっています。隣には吹田第二区のEF65516が牽く貨物が到着です。このシーンからおそらく162号機の荷レは荷35レだと思われます。
撮影:加藤重義さん  荷35レ?  品川 1979.3.5
 EF58 163〔浜松〕
6348-EF58163 浜松区の150番台、160番台のゴハチは、ほとんど目立つことなく黙々と過酷な仕業をこなしていました。本機も川崎製で屋根上の抵抗器室カバーの1エンド側が2エンド側と同じ小さな物になっています。

※抵抗器室カバー変形 ヘッドマーク取付座無し
撮影:6348レさん  早川 1979.8
製造年月日:S33.2.21
製造:川崎車輌・川崎重工
廃車:S59.5.2〔浜松〕
EF5852-EF58163 「団臨を牽引する浜松区の163号機です。」(EF5852さん)
こちらは1エンド側です。
撮影:EF5852さん  藤枝―焼津 1983.11.10
Tc153-501-EF58163 「1983年頃、「頼れる奴!」というフレーズの国鉄荷物の中吊り広告がありました。この広告には163号機のドッアップ(半身)写真が刷られていました。(今でも大切に保管中)このときから「あれナンバーがおかしい?」と思っておりましたが、後にこの記述が何処かの本(車両の視点?)にあり、妙に納得した覚えがあります。「F」に「5」が近寄り過ぎなんですね!」(Tc153−501さん)
どうやらこの2エンド側だけそうみたいですね。
撮影:Tc153−501さん  国府津 1982年
kitagawa-ef58163 名古屋駅はずれの機留線でEF64 9と顔を並べる。こうして見ると車体に関しては60系電機がゴハチから正常進化していったことが分かります。 それからこの1エンド側のナンバーの並びはおかしくありません。
撮影:北川さん  名古屋 1981.7.26
c11204-ef58163 小田急5200系甲種?を牽いて小田原に到着した163号機。隣に見える小田急の電機も良い感じです。
撮影:C11204さん  小田原 1979.6.4
sugi-EF58163 サイド気味のアングルで川崎製独自のオデコカーブが良く分かります。
ちなみに上の針葉樹林鉄道研究会の杉さん撮影の161号と荷物列車の編成が同じです。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  上り荷レ  住吉―摂津本山 1980.5頃
taki10450-EF58163 「中学1年から2年に上がる時の春休みに大阪駅へ行ったものです。EF58が好きで、到着したEF58はスタイル問わず撮影したので、浜松区のみすぼらしいカマも撮影しています。飾り帯は錆びて、車体のツヤも無く、汚れるに任せた浜松区らしいカマです。ヘッドマーク掛けが無く、のっぺりした顔立ちです。まだ春浅く、小雨日和で寒い日だったのでSGを使用しています。貴重なフィルム1本を大事に使っていたので、1車両1カットが基本でしたが、何故だか163号機は2カット撮ってます。」 (タキ10450さん)
撮影:タキ10450さん(『タキ10450』の国鉄時代の記録)  大阪 1981.3.31
taki10450-EF58163 同じくタキ10450さん撮影で2枚とも1エンド側です。川崎製らしいまぁるいオデコカーブの具合が良く分かるカットです。 自慢のヒゲの錆具合や車体側面の色褪せが激しいですが、車体の外板自体は歪も無くしっかりしているので、ロングラン運用で酷使された浜松ガマならではの問題でしょうか。
撮影:タキ10450さん(『タキ10450』の国鉄時代の記録)  大阪 1981.3.31
 EF58 164〔浜松〕
6348-EF58164 川崎車輌・川崎重工製の後半の3両は最初から前面窓、側窓中央がHゴム支持で登場しました。また、本機も川崎製で屋根上の抵抗器室カバーの1エンド側が2エンド側と同じ小さな物になっています。

※新製Hゴム窓機 抵抗器室カバー変形 ヘッドマーク取付座無し
撮影:6348レさん  国府津 1979.5.27
製造年月日:S33.3.3.19
製造:川崎車輌・川崎重工
廃車:S59.9.25(下関)
kk0630-EF58164 車体に少し付いた雪が何とも言えず良いですね。この時点では既に両側のワイパーがWP50になっています。
撮影:kk0630さん  荷37レ  神戸 1983.3.11
morishige-EF58164 こちらは浜松機関区の撮影会時の同機です。
撮影:Morishigeさん 浜松機関区 撮影年月日不明
karashima-EF58164 「大阪駅における、荷2031レの機関車交換風景です。 宮原ガマが一旦並んで停車し、浜松ガマが逃げてから追いかけていって構内外れで また並ぶという、何かとんでもない運用?だったと記憶しています。(ファンサー ビス?)
浜松ガマはともかく、宮原ガマまでが44号機なのが不満でしたが、それは贅沢と いうものだと自分に言い聞かせながら撮影した事を覚えています。」(辛子真緑さん)
撮影:辛子真緑さん  荷2031レ  大阪 1983.12.31
ef5852-ef58164 「晩年の164号機ですが、正面Hゴム支持窓の周りにコーキングしたような形跡があります。雨漏り対策だったのでしょうか?」(EF5852さん)
撮影:EF5852さん  藤枝―島田 1983.6.12
shin-san-ef58164 宮原区でパンタを上げて待機中。こちらは1エンド側です。正面から望遠レンズでとらえた姿でゴハチ独特の車体前後の絞り具合が分かります。ワイパーは左右ともWP50ですが、左は1972年から登場したグリップエンドが小型化されたタイプで、これだと取付位置を低くできるので水切り位置を上昇させる必要が無い事が分かります。WP50が最初からこのタイプだったら、晩年のWP50を付けたHゴム改造機の顔のイメージも大分変わっていた事でしょう。 上のEF5852さんの写真同様、Hゴム支持窓の周りにコーキングしたような形跡が見られます。
撮影:床屋のシンサンさん  宮原機関区 1983〜1984年
 EF58 165〔浜松〕
6348-EF58165 こちらも最初からのHゴム仕様機の165号機。その為か窓周りの改造がされておらず、原形のKW3Dワイパー(腕折り型)を装備しています。もちろん、水切り位置も原形のままなので、他のHゴム窓機とは少し変わった表情です。本機も川崎製で屋根上の抵抗器室カバーの1エンド側が2エンド側と同じ小さな物になっています。 こちらは2エンド側。

※新製Hゴム窓機 抵抗器室カバー変形 ヘッドマーク取付座無し 1エンド側前面踏板取付位置変形
撮影:6348レさん  早川 1978(?)
製造年月日:S33.4.12
製造:川崎車輌・川崎重工
廃車:S60.2.4〔浜松〕
Mr.slim-EF58165 50.3改正前まで見られた東京〜西鹿児島間の急行「桜島・高千穂」を牽く。こちらも2エンド側です。
「ここは国鉄浜松工場への引込み線(後ろに見える茶色の電車)もあり、珍しい電車や試運転列車も見られた場所です。特に、日本車両豊川工場よりの新幹線の搬入では飯田線よりEF10が新幹線車両を台車に乗せて浜松まで引いて来ていました。」(Mr.スリムさん)
撮影:Mr.スリムさんMr.スリムの道楽部屋  下り急行「高千穂・桜島」 浜松―高塚 1974年頃?
Tc153-501-EF58163 下り荷物列車を牽き国府津駅に進入する165号機でこちらも2エンド側です。ワイパーは機関士側WP50、助士側WP35に交換されています。
撮影:Tc153−501さん    国府津 1982年?
J.satomi-EF58165 こちらは北総レール倶楽部の里見さんからお送り頂いたぶどう色2号時代の165号機でこちらも2エンド側です。屋根上の避雷器は後期型の原形のLA13です。標識燈に折り畳み式赤円板が取り付けられています。ちなみにEF58の塗装が新標準色へ切り替えられたのは昭和39年(1964年)から42年(1967年)の間でした。
写真所蔵:里見純一さん北総レール倶楽部 大阪 1962.6 
morishige-EF58165 こちらは浜松機関区の撮影会時の同機でこちらも2エンド側です。ワイパーのWP50、WP35化こそされていますが水切り位置は変わっていません。
撮影:Morishigeさん 浜松機関区 撮影年月日不明
sugi-EF58165 荷物列車を牽き東海道を行く。こちらは1エンド側。登場時からHゴム窓で落成した同機は、ワイパー交換前のこの姿は顔つきは原形そのもの。ある意味EF58の最も完成された姿と言えますね。 機関士側の腕折り式ワイパーが窓の外に飛び出していて、これでちゃんと機能するのか心配になります。腕折り式ワイパーではちょくちょく見かける気がします。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  荷40レ  住吉―摂津本山 1976.7.24
sugi-EF58165 京都駅の外れで待機中の姿で2エンド側です。ワイパーは原形の腕折り式のKW3Dです。2003レ「いなば」の牽引機は同日夜の2004レ「いなば」までこの場で昼寝です
「米原機関区へ撮影しに行く早朝の移動中、京都駅で撮りました。この頃、京都駅の北側ホームの東端にはいつもEF58が1台停まっていました。」(針葉樹林鉄道研究会の杉さん)
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  京都 1976.3.18
taki10450-EF58165 SGの蒸気を出しながら京都駅1番線に停車中。こちらは1エンド側です。この写真を見るまで気が付きませんでしたが、この1エンド側のみ前面踏板の取付位置が通常よりも上になっています。また、機関士側ワイパーのWP50化に伴い水切りのワイパー取付部分が上に曲げられています。
「荷物列車を牽引して京都駅に停車中でした。寒い時期で蒸気を吹き上げています。(中略)隣には草津線の客車列車が留置中です。窓幅や窓と窓の間隔が特徴的でオハ41と思われます。」 (タキ10450さん)
撮影:タキ10450さん(『タキ10450』の国鉄時代の記録) 上り荷レ  京都 1979.12?
taki10450-EF58165 上写真の拡大です。通常、前面踏板は車体とスカートを接合する帯板の下側に取り付けられていますが、ご覧の様に上側になっています。また、踏板本体も上向きに取り付けられている様です。これはおそらく全EF58で本機のみに見られる形態だと思われます。 1エンドと2エンドで踏板の形態が異なっているのかは謎ですが、もしかしたら事故復旧などでこうなったのかも知れません。ちなみに前面手すりと踏板の取付は昭和36年(1961年)12月に浜松工場にて施工されています。その当時の1エンドの姿を確認できれば設置当初からの形態か後年によるものかは分かるところですが、なかなか難しいですね。(上の方にある里見純一さん所蔵の写真が1エンド側だったら…。残念。)
撮影:タキ10450さん(『タキ10450』の国鉄時代の記録)  京都 1979.12?
taki10450-EF58165 こちらも同じく1エンド側です。遠目に見ても前面踏板の位置が高いのが分かります。踏板だけ浮いて見えて妙な感じです。 それにしても、ラストナンバー近くになってこのような変形機が存在するとは…。やはりゴハチは奥深いです。背景の建設中の大手前女子大学は現在は男女共学の大手前大学に変わっています。
撮影:タキ10450さん(『タキ10450』の国鉄時代の記録)  上り  芦屋―西宮 1979年
 EF58 166〔浜松〕
EF58166 前面窓、側窓中央が最初からHゴム支持で登場した166号機。こちらはワイパーのWP50、WP35化はされていますが、やはり水切り位置の変更はされていません。本機も川崎製で屋根上の抵抗器室カバーの1エンド側が2エンド側と同じ小さな物になっています。 編成の3両目の白っぽく光っているのはスニ40かワキ8000あたりでしょうか。

※新製Hゴム窓機 抵抗器室カバー変形 ヘッドマーク取付座無し
荷35レ  小田原 1980.8
製造年月日:S33.4.18
製造:川崎車輌・川崎重工
廃車:S59.5.2〔浜松〕
EF5852-EF58166 「デビュー間もないナコ座を牽引する浜松区の166号機です。」(EF5852さん)
撮影:EF5852さん  藤枝―焼津 1983.9.11
Tc153-501-EF58166 当時の最新鋭、50系客車の新車回送を牽引する166号機。この50系もいよいよ終焉間近のようで、つくづく時の経つのは早いものだと感じます。
撮影:Tc153−501さん  7111レ  国府津 1983?
sugi-EF58166 原形の腕折り形KW3Dワイパー姿の同機が牽く下り荷物列車。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  下り荷レ  芦屋―摂津本山 1975.2.11
sugi-EF58166 真夏の明るい日差しを浴びて颯爽と東海道を行く。上の写真から5か月後の姿ですが、機関士側ワイパーがWP50に交換されています。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  荷42レ  住吉―摂津本山 1975.7.29
sugi-EF58166 新製時よりHゴム窓仕様の本機は、改造Hゴム窓機と比べ水切りの位置が若干低く、浜松160台のゴハチの中では微妙に表情が異なっています。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  下り荷レ  摂津本山―住吉 1980.5頃
 EF58 167〔浜松〕
EF58167 いなば・紀伊 寝台特急「いなば・紀伊」を牽く167号機。同列車の牽引は晩年の浜松機にとって数少ない晴れ舞台でした。ネガが見つからずサービス版の絹目プリントのスキャンなので悲惨ですが…。(^_^;) パンタの鉄製の集電舟への色入れが独特です。

※ヘッドマーク取付座無し
2004レ「いなば・紀伊」  横浜 1977.3.26
製造年月日:S33.2.18
製造:東洋電機・汽車会社
廃車:S59.6.6〔浜松〕
6348-EF58167 この167号機は落成時の前面窓は従来のパテ式でHゴムではありませんでした。こうした製造時の仕様変更では、多くの場合メーカーにより反映される時期にずれがあり、ゴハチに限らずEF15などでも増備次形ごとにすっきりと形態を区別できない原因となっています。
撮影:6348レさん  早川 1979
Mr.slim-EF58167 原形小窓、腕折り式原形ワイパー時代の167号機。ヘッドマーク取付座が無いためか、とてもすっきりして見えます。周りのEF60やDD13の姿も懐かしいですね。
撮影:Mr.スリムさんMr.スリムの道楽部屋  浜松機関区 1972年頃
ef5852-ef58167 「翌日の4月1日に運転された浜松区のEF58のさよなら列車の前回送です。この時、晩年の浜松区で活躍していたゴハチの半数は下関区へ転属していますので 浜松区に残されたゴハチの中から この167号機が抜擢されました。もちろん これが同機のラスト仕業となりました。」(EF5852さん)
撮影:EF5852さん    静岡 1984.3.31
torakichi-ef58167 「ミステリー401」と浜松機関区の「さよならEF58」を兼ねて運転された列車だそうです。上の写真の翌日ですね。
「ヘッドマークステーが無いはずの167号機ですが、なぜか大型ヘッドマーク付きです。」(とら吉さん)
撮影:とら吉さん  沼津 1984.4.1
「1978年1月2日山陰旅行からの帰りに下関駅で撮影したものです。すでに山陽ブルトレからEF58が引退との噂があり、この頃しばしば下関駅に出かけてバルブ撮影をしています。
運転所から上がってきた機はすでにSGから濛々とスチームを吐き、荷物列車の運用の準備万端といったところです。」(EF5831さん)
撮影:EF5831さん  下関 1978.1.2
「もうひとつ別カットで、EF81301号機が関門トンネルをくぐりエスコートしてきたマニやスニなどの先頭に立ち、夜の山陽路へと旅立つ同機で、より勢い良くなったスチームのベールに包まれたところです。 」(EF5831さん)
撮影:EF5831さん  下関 1978.1.2
 EF58 168〔宇都宮(転)〕
TK89-EF58168 TK89さん撮影の荷レを牽く168号機です。同機は登場時はパテ式の前面窓でしたが、その後の改造でワイパーが機関士側WP50、助士側WP35で水切り上昇の黒Hゴムにデフロスタ…という晩年の宇都宮のゴハチの典型的なスタイルとなっています。

※電暖 電暖表示灯新 ヘッドマーク取付座無し
撮影:TK89さん  北浦和―浦和 1980.2.11
製造年月日:S33.3.4
製造:東洋電機・汽車会社
廃車:S60.9.12〔田端〕
Mr.slim-EF58168 浜松区時代の168号機が珍しく大物車の臨時貨物列車の先頭に立つ姿です。前面窓が原形小窓でワイパーも原形のKW3D腕折り形の時代です。
撮影:Mr.スリムさんMr.スリムの道楽部屋  臨時貨物 浜松 1974年頃
ef5852-EF5852 「定期運用の荷物列車仕業最後の冬を迎えた168号機です。 後ろの荷物列車の足回りや屋根の上に雪が付着しています。」(EF5852さん)
撮影:EF5852さん  浦和―赤羽 1984.12
H-yamaguchi-ef58168 山手貨物線を行く168号機牽引の団臨。
撮影:山口裕志さん  高田馬場―目白 1981.9.26
sugi-EF58168 何故か区名札が入っていませんが浜松区時代の姿ですね。本機は1977年4月に宇都宮区に転じていますが、浜松区時代に既にHゴムにワイパー交換が施工されていた事が分かります。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん   米原機関区 1976.3.18
sugi-EF58168 Hゴム前面窓にヘッドマーク取付座の無い姿は、晩年の浜松機の典型的な姿ですね。この無個性感が今となっては浜松機の個性と言えるかもしれません。 助士側の塗装されたWP35ワイパーに対して、機関士側の無塗装のWP50が目立ちます。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  荷41レ  摂津本山―住吉 1976.7.24
sugi-EF58168 「ゴンパチの定期運用はすっかり減ってしまい、いつもの場所で冬の夕暮れ時の撮影です。」(針葉樹林鉄道研究会の杉さん)
夕陽を背に走る姿は、今後のゴハチの運命を感じさせ少々感傷的な気分になります。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  荷30レ  住吉―摂津本山 1980.1.15
torisugari-ef58168 「サロンカーなにわ」を牽き日光線の東北本線との並走区間を行く。
撮影:通りすがりの国鉄ファンさん  列番不明  宇都宮―鶴田 1984.10.25
 EF58 169〔浜松〕
6348-EF58169 上の168号機同様東洋電機・汽車会社製ですが、既に前面窓、側窓がHゴム支持で製造されています。この169号機以降は175号機を除き全機Hゴム仕様となっています。その為か同機の水切り位置は、他のHゴム改造&ワイパー交換の浜松ガマよりも低くなっています。(168号機と比べるとその差はあきらか!)もしかしたら原形位置のままかもしれません。

※新製Hゴム窓機 ヘッドマーク取付座無し
撮影:6348レさん  早川―根府川 1978(?)
製造年月日:S33.3.19
製造:東洋電機・汽車会社
廃車:S60.2.4〔浜松〕
murakichi-EF58169 「6348レさんの写真の比べて、水切りの位置が少し違うような気がします。1エンドと2エンドで少し違うのでしょうか。それとも見る角度のせい?」(Murakichiさん)
確かに表情が違って見えますね。多分、光線の具合だとは思いますが…。
撮影:Murakichiさん  荷2032レ 西宮―芦屋 1982.3.22
Mr.slim-EF58169 原形ワイパー時代の169号機。腕折り形の取付位置に直線式のものが付いているのが面白いですね。
撮影:Mr.スリムさんMr.スリムの道楽部屋 上り荷レ 浜松 1974年頃
kk0630-EF58169 HM取付座の無いものは、正面気味の光線状態だと陰が出ず、顔にアクセントが無くなってしまいます。何とも間延びして見えますね…。運用を離脱して廃車を待つ哀れな姿には哀愁が…。
「この頃EF62に代わったはずですよね。廃車直前の58がたくさん留置されていました」(kk0630さん)
撮影:kk0630さん  浜松機関区 1984.3.31
EF58169 品川駅構内に佇む169号機。製造から21年少々の姿ですが、浜松ガマの過酷な運用の為か、水を嫌う電機にSGを積んだ為か、はたまたその双方が原因なのか外板など随分とくたびれた印象です。側扉の下部に手掛けが増設されているのが確認できます。
品川 1979.11.4
 EF58 170〔宮原→竜華〕
6348-EF58170 こちらも各窓がHゴム仕様で製造された170号機。そのためか更新改造を受けているにも関わらず、165号機同様、窓周りには手が加えられておらず独特の表情です。(Hゴムは白Hになっていますが。)この時点では機関士側のワイパーはWP35、助士側は原形の腕折り式のKW3Dです。通常前面下隅にある標識灯掛けがありません

※新製Hゴム窓機 白Hゴム 更新改造 水切り位置原形 標識灯掛け無し ヘッドマーク取付座無し
撮影:6348レさん  104レ「銀河」  早川 1979.8
製造年月日:S33.4.10
製造:東洋電機・汽車会社
廃車:S61.3.31(竜華) 
kk0630-EF58170 竜華区に転属後、P型改造、シールドビーム2灯化、さらに誘導握り棒が労研の指導により前端バリ側面との間にスペーサーを入れ取付位置を外側に張り出させてあります。(同タイプに同じく竜華の99号機)また、標識灯掛けも車体の腰の部分に設置されていますが、このタイプは本機だけではないでしょうか?これだけ改造されていながらワイパーは上の写真と同じ状態で水切りも原型と、何かかえって新鮮に見えます。

※更新改造 水切り位置原形 P型 RSB2灯 誘導握り棒取付位置移設 標識灯掛け位置変形 ヘッドマーク取付座無し
撮影:kk0630さん  紀伊田辺 1985.8.25
ef5853-EF58170 「熊野灘の脇を走る58.ここは新宮行きの方が山の上から俯瞰できるので
もっと良く撮れるのですが・・。実はこのへんまで釣りの方のクルマに乗っけてもらってきました。帰りがしんどかったような・・・。」(EF5853さん)
撮影:EF5853さん  121レ 紀伊田原―古座 1980.3.2
ef5860-EF58170 哀れ、解体される同機です。
撮影:EF58-60さん  鷹取工場? 1986
EF5860-EF58170 上の解体作業開始直前の姿だそうです。このアングルで見ると、おでこのラインが独特ですね。ゴハチの場合、製造メーカーや製造時期によって微妙にこの辺のラインが異なるようで、結構印象が異なってきます。そのため東洋電機製の車体は窓周り部分が広く見えますね。
撮影:EF58-60さん  鷹取工場? 1986
EF5860-EF58170c 紀勢線で最後の活躍をする170号機。
撮影:EF58-60さん  御坊  撮影日不明
timebokan-EF58170 「170号機にテールライトの内側近くに標識灯かけのようなものが取り付けられる前のものです。旧客から変わってまだ間がなく、12系の横帯もまだ揃っています。」(タイム母艦さん)
撮影:タイム母艦さん  126レ  紀三井寺―黒江  1985.6.9
ohno-ef58170 宮原時代の170号機と浜松の3号機が重連で川崎を通過。このアングルだと更新改造を受けているにも関わらず、水切り位置が低いのがお分かり頂けるかと思います。また、ワイパーが左右とも腕折り式のKW3Dです。
撮影:ohnoさん  荷35レ  川崎 1977.12.1
hokkyoku-ef58170 前面中央に取り付けられた標識燈掛けや窓周りなど、同機独特の表情が強調されるアングルです。う〜ん…これもまたゴハチ現役時の姿です。ここまで行くとかえって模型化には良いかも知れません。(^_^;)
この列車についてゴハチ信者さんより解説を頂きました。
「最後尾にマニ50が連結されているので、1985年の秋臨で運転された時の8102レです。170号が牽引したのは11月3日だけでした。」
撮影:北極ぐま閣下さん  8102レ「きのくに54号」  百舌鳥―上野芝間 1985.11.3
f-ichiro-ef58170 米原区独自のワイパーカバーを付けた170号機。「EF58ものがたり」によると同じ米原に配置された171,172も同様に腕折り形のKW3Dにワイパーカバーを付けていたそうです。この写真撮影時は米原所属ですが、この半年後には3両揃って宮原に転属しています。また、標識灯に折り畳み式赤円板を取り付けており、この段階で標識灯掛けが未設置な事が分かります。
「米原駅での一コマ。カバー付きのワイパー、ずいぶん端に寄っているようで…。列車番号不明ですが下り列車です。」(Fのイチロさん)

撮影:Fのイチローさん    米原 1968.3.15
 EF58 171〔宮原〕
6348-EF58171 宮原時代の170号機と同様のスタイルの171号機。こちらは機関士側のワイパーも原形の腕折りワイパーです。同機は新製時から前面窓がHゴム支持でした。一見更新改造機に見える標識燈の外蓋改造は単独で施工されています。細かいところで変わっているのはヘッドマーク取付座の下部取付座が前面ステップの取付に伴い撤去されている点でしょうか。(ヘッドマーク取付は不可能)

※新製Hゴム窓機 更新改造 原形ワイパー 水切り位置原形
撮影:6348レさん  104レ「銀河」  早川 1979.8
製造年月日:S33.4.28
製造:東洋電機・汽車会社
廃車:S60.4.16(下関)
Mr.slim-EF58171
標識燈改造前の171号機です。同機の新製時のHゴムは黒のはずですが、既に同区の他のカマと同じく白Hゴムとなっています。
撮影:Mr.スリムさんMr.スリムの道楽部屋 上り荷レ 浜松 1972年頃
EF5852-EF58171 「ミハ座を牽引する宮原区の171号機です。更新改造を受けていますがワイパーは原形のKW3D(腕折形)を保っています。」(EF5852さん)
撮影:EF5852さん  藤枝―焼津 1983.9.11
c11204-ef58171 荷35レの先頭に立つ171号機の標識燈の改造前の美しい姿。原形ワイパーの為、水切りは移設されておらず他のHゴム改造機に比べて引き締まった表情です。
撮影:C11204さん  荷35レ  小田原付近 1975.4.29
fj62g-ef58171 京都駅構内にて171号機単機とその脇を駆け抜けるEF65518。EF65F形は同じ特急塗装のP形に比べ旅客列車の先頭に立つ機会が殆ど無く、東海道ではゴハチよりも目立たぬ存在でした。

撮影:FJ62Gさん   京都 1983.7.26
sugi-EF58171 標識燈改造前の姿で、やはり前面窓は白Hゴムです。それに対して側窓の中央は落成当初の黒Hゴム支持になっているのが確認できます。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  上り単機  住吉―摂津本山 1976.5.5
sugi-EF58171 同じく標識燈原形時代です。 固定窓にHゴムを使用しPS15パンタのこの姿がEF58落成時のスタイルとしては、ある意味最も完成された姿と言えます。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  上り荷レ  住吉―摂津本山 1975.7.31
jm1xsj-ef58171 新製時からのHゴム前面窓ゆえに水切りとワイパーもそのまま手を加えられなかったと言えましょう。更新機と同様の外蓋式の標識燈ですが、窓周りの違いで更新機とは印象は若干異なります。また、原形の側扉が更新機ではない事を示しています。
撮影:jm1xsjさん    名古屋 1982.6.27
jm1xsj-ef58171 屋根上にSGのスチームを漂わせ、荷物列車の先頭に立ち通い慣れた東海道を行く。
撮影:jm1xsjさん  下り荷レ  戸塚―大船 1983年頃
taki10450-EF58171 臨時「ちくま」を牽き大阪駅に到着の姿でこちらは1エンド側。本機は1968年10月に宮原に転属してからは晩年の下関集結まで同区で活躍しています。ヘッドマーク掛けが上部のみで下部が無いのはやはり妙な感じです。パンタの擦り板がこちら側のみ鉄製でその端のみ赤く塗られているのが面白いですね。 晩年の宮原カマは鉄製擦り板のみそうなっている様です。
撮影:タキ10450さん(『タキ10450』の国鉄時代の記録)  9808レ「ちくま52号」  大阪 1981.8.9
117KM-EF58171 標識燈改造前の同機が牽く「銀河2号」でこちらは1エンド側です。前面窓は白Hゴム化されていますが、側面はまだ黒のままです。44系2両とずらりと並んだ10系寝台による編成が壮観です。本機のヘッドマーク取付座は下の部分がありませんが、おそらく前面踏段取付時に支障する為に取外されたのでしょう。171号機の屋根と次位のスハフ43の足回りからスチームが漂っている事から、撮影は冬場と思われます。
撮影:117KMさん   104レ「銀河2号」  三島―函南 1974年
 EF58 172〔宇都宮(転)〕
6348-EF58172 宮原区時代の172号機。EG化される前の姿ですね。ワイパーがまだ原形の腕折れ式のKW3Dで、水切りは幅広になっているものの高さは原形と変わらず独特の表情です。変わっているのが通常車体前面下隅に設置されている標識灯掛けが未設置な点です。これは過去に標識燈に折り畳み式赤円板を取り付けていた号機に多く見られます。SGのスチームがいい感じですね。
撮影:6348レさん  小田原 1977(?)
製造年月日:S33.3.28
製造:日本車輌・富士電機
廃車:S60.5.17〔田端〕
現在、「碓氷峠鉄道文化むら」内に保存
EF58172 色々とネガをひっくり返していたら出てきたので…。(^_^;) まぁ、宇都宮時代の普段の顔と言うことで見て下さい。牽いているのは荷物列車で旧形のマニを連ねた編成は53.10(1978年10月)改正までEF15が牽引した事で有名な荷2935レで、この年の10月改正に廃止され上野を通過する荷物列車は無くなりました。

※新製Hゴム窓機 電暖 電暖表示灯新 白Hゴム 一般形唯一の御召牽引機  標識灯掛け無し 
荷2935レ  鶯谷 1979.5
EF58172 同じカットのカマ部分の拡大です。電暖改造がされワイパーもWP50化、それに伴い水切りの取付位置も上に移動、前面窓にはデフロスタが設置されています。この頃の同機にはヘッドマーク取付座は付いておらず、御召し牽引後しばらくしてから設置されたようです。ワイパーは機関士側、助士側共にWP50に換装済みです。御召機指定前なので区名札差しの横に乗務員名札差しはありません。
荷2935レ  鶯谷 1979.5
EF58172 20系化された急行「新星」の先頭に立つ。(と言っても推回ですが)早朝で薄暗く当時のフィルムと機材では露出不足で画面が荒れてます。ワイパーは助士側もグリップエンドが小型化されたWP50の様ですね。一番上の原形ワイパー時代と比べて水切りの取り付け位置が上昇しているのが分かります。
回1102レ「新星」  鶯谷 1980.9.21
EF58で60,61号機以外による唯一の御召牽引となった172号機による日光線での新1号編成御召列車。61号機とは異なるブルーのお召し機の美しい姿が印象的です。
ところで私は関係ありませんがWikipedia のEF58の項目で、何やらこの写真が使われています。
撮影:EF5853さん  日光―今市 1982.5.21
packman-EF58172 「ミステリー列車のハシリでしょか?ラジオで車内の模様を中継していて、自称鉄道博士の小学生に行き先の予想を聞いた所、「とりやま」と答えてたのが印象的でした。実際も烏山でした。」(パックマンさん)
撮影:パックマンさん  「上野駅100周年記念列車」 宇都宮―雀宮 1983年
1982年に一般機による最初で最後の御召列車を牽引した172号機。解体を免れて長く高崎に留置されていましたが、このたびめでたく横川行きが決まりました。いつまでも綺麗な姿を残して欲しいと思います。
撮影:みっくさん  宇都宮運転所 1986.5
Mick-EF58172 横川の「碓氷峠鉄道文化むら」にめでたく保存された同機の近影です。正面窓のHゴムが白Hから黒Hへ変更され、印象がちょっと変わっています。1982年の御召し時に準じた仕様になっていますが、誘導握り棒が金色に塗られているのはご愛敬。(^^;)後ろにつながるオハネ12がいい雰囲気です。
撮影:みっくさん  碓氷峠鉄道文化むら 1999.6
packman-ef58172b 「宇都宮駅110周年記念の催しで、宇都宮運転所で撮影会が行われた時の模様です。 同年3月に廃車になり、仕方がないといえばそれまでですが、日の丸を掲げるのならばせめて洗浄くらいはしてほしかった・・・ これではあまりにも172が可哀想ですね。」(パックマンさん)
撮影:パックマンさん  宇都宮運転所 1985.7.28
ohno-ef58172a 御召し本番の大役を終え、日光線を回送で行く172号機と新1号編成。
「この頃はすでに熱も冷めており、付き合いで撮影に行きました。」(ohnoさん)
撮影:ohnoさん  撮影地不明 1982.5.21
ohno-ef58172b 宇都宮運転所に帰区後行われた旗開き。
「宇都宮機関区は昔から鉄道ファンに親切で、快く撮影を許可してくれました。」(ohnoさん)
撮影:ohnoさん  宇都宮運転所 1982.5.21
ef5852-ef58172 「綺麗に整備されて日光線内のお召列車牽引の大任を果たした172号機ですが、その後は特別扱いされることなく一般機と同じ運用に従事してきました。写真のように晩年は、かなり汚れが目立ちました。」(EF5852さん)
撮影:EF5852さん  浦和―赤羽 1984.12
mt40-ef58172a 「大宮機関区煉瓦庫80周年の文化祭で、あちこちから機関車を借りたときの画像です。お召しに使った直後なので、きれいでした。自連と手摺の銀は勝手に塗り直しました。この後はあまり使われずに、高崎に送られたようです。」(MT40さん)
白桜のマークがブルー塗装によく似合ってますね。
撮影:MT40さん  大宮機関区 1982年頃
1986年10月に高崎運転所で開催された「歴代ブルトレ機関車大集合」と題したイベントで展示された172号機。廃車後1年5ヶ月にしては車体の荒れが結構大きいですね。1986年3月に書類上田端に転属になっていますが、実際はどうだったんでしょう。高崎に移ったのはこのイベント時でしょうか?
撮影:FJ62Gさん  高崎運転所 1986.10.12
宮原時代のワイパーが原形の腕折れ式のKW3D時代の姿。水切りは幅広になっているものの高さは原形と変わらず独特の表情です。
「山陽本線の荷物列車と言えば、ロングランの浜松か広島のカマが 主流でしたが、この列車は宮原の172号機が任務に就いていました。 3月下旬とは言え朝晩はかなり寒かったことを覚えています。172号機からはSGのスチームが上がっています。記憶では、昼過ぎの下り荷物列車です。 」(EF5831さん)

撮影:EF5831さん  岡山 1977.3.22
宮原から宇都宮に転属し電暖仕様になった姿です。ワイパーはまだ原形で水切り位置も変化ありません。
「東北本線で125レの先頭に立つ172号機。 ちょっと前には、EF57を廃車に追いやった悪者扱いされていました。 私はスマートなボディのゴハチのほうが好きです。 」(EF5831さん)
撮影:EF5831さん  125レ  蓮田付近 1978.8.9
bin-ef58172 茶色のマニを連ねた荷1032レを牽き品鶴線を行く。ワイパーがまだ原形でデフロスタも未取り付けのスッキリした顔ですが残念ながら随分汚れています。宇都宮のゴハチはどういうわけか前面が汚れたカマが多かった印象でした。
撮影:BINさん  荷1032レ  品川―新鶴見 1979.1.15
kato-ef58172 53.10改正で山貨に登場したゴハチ牽引の荷物列車で荷1032レです。真ん中の踏切は長者丸踏切で、背後の煙突は今は恵比寿ガーデンプレイスに様変わりしているエビスビール工場の物です。山貨をオーバークロスする山手線のガーダー橋も現在はコンクリート構造物になっていますが、右側の小さな鉄橋やその土台部分は今もそのままですね。(この場所の現在
撮影:加藤重義さん  荷1032レ  恵比寿―目黒 1978.11頃
kato-ef58172 上写真の機関車部分のアップです。宮原から宇都宮へ転属して1年余り。EG化はされながらも屋根上はまだ青色塗装のままなのが分かります。
撮影:加藤重義さん  荷1032レ  恵比寿―目黒 1978.11頃

EF58 Top Page Back Next