ELECTRIC LOCOMOTIVE EF58  Vol.22
EF58 173〜175

Last Update 2024.9.1

Index EF58173 EF58174 EF58175

 第13次増備車(173〜175号機)

東北・上越用として昭和33年7月から8月にかけて落成した、EF58の最終製造グループ。これにて12年あまりに及ぶEF58の製造は終了、新時代の60系列電機に後を譲ることになりました。

形態的には173・174号機が前面窓と側面中央窓がHゴム支持で登場したにも関わらず、ラストナンバー175号機は従来のパテ式の窓で登場しています。

※印…主な特徴です。画像をクリックすると大きなものが表示されます。

 EF58 173〔高崎第二〕
EF58173 赤羽付近を行く173号機牽引の「鳥海」。どうもうちのスキャナだとアンダー目のポジのスキャンがうまくいかず、暗部が潰れてしまいます。(;_;) 昭和33年8月落成の同機がEF58形の最終落成機となりました。これにて昭和21年10月に落成した21号機から12年弱に及んだEF58の製造に終止符が打たれました。

※新製Hゴム窓機 上越形 電暖 電暖表示灯新 ヘッドマーク取付座無し
804レ「鳥海」  赤羽付近 1981.4
製造年月日:S33.8.29
製造:東京芝浦電気
廃車:S57.11.22〔高崎第二〕
murakichi-EF58173 Murakichiさん撮影の173号機のサイドビュー。数ある国鉄電機の中でもゴハチのサイドビューの美しさは格別ですね。優雅な車体と無骨な足周りの絶妙のハーモニー。
撮影:Murakichiさん  荷33レ? 東大宮―蓮田 1982.5.30
EF5852-EF58173 こちらは1エンド側。
「荷物列車を牽引する上越形の173号機です。側面、中央の機械室窓が白Hゴム支持となっています。つらら切りが下向きであることが確認できます。」(EF5852さん)
撮影:EF5852さん  赤羽―田端(操) 1982.11.13
H-yamaguchi-ef58173 「EF58173+EF58重連牽引の鳥海です。当時広角レンズを持ってなくてたまたまそばに居た方に35oレンズを借りてやっと2両とも入りました。」(山口裕志さん)
次位は無動かと思いきや、何ときちんと両パン上がってますね。電暖供給の関係でしょうか…。
撮影:山口裕志さん   「鳥海」  上野 1980.12.29
「大学入学後、クラブの数人で横軽に撮影に行く途中上野から信州1号を待つ間に撮影した1コマです。当時の上野駅と言えば5時から6時にかけて東北、常磐、上信越の各方面からの夜行列車が頻繁に到着するゴールデンタイムです。到着ホームを忙しく写真を撮ってまわりました。あまりの本数の多さで三脚など立てている暇がありません。この写真も135mmを手持ちでスローシャッターを切っています。長旅を終えてホームに降り立つ乗客の姿もまた絵になります。8番線に到着のこの列車ですが編成からして臨時列車でしょうか?寝台車の連結があるのかどうか判別できません。時間で調べると八甲田54号あたりかと思われます。 」(EF5831さん)

撮影:EF5831さん  上野 1981.12中旬
k53taka-EF58173 可動式雪かき器、SG時代です。SG管にホースが繋いだままになっているのが面白いです。ワイパーは原形の腕折り式のKW3Dで前面ステップの左右はまだ欠き取りされていません。避雷器はLA13です。切り抜きナンバーの下にボルトの様な物が4つ見られます。上2枚の写真でも確認できますが、どれも2エンド側です。これは28号機に見られるタイプのヘッドマーク取付座の跡かと思ったのですが位置が少々低すぎる様です。一体何の跡なんでしょう?
撮影:k53takaさん(新潟の蒸気機関車)   新潟 1967.3.21
sugi-EF58173 多くの帰省客を乗せた「鳥海」が上野駅13番線に到着。 左側の助士側ワイパーはまだ原形の腕折り形のKW3Dです。乗客の荷物にビニールカバーのかかった紙袋が見られますが、最近はほとんど見なくなりました。これも昭和のアイテムでしょうか。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  804レ「鳥海」  上野 1976.1.4
117KM-EF58173
「鴻巣−吹上(当時は北鴻巣駅はありませんでした)下り普通列車だったと思います。次位は174号です。撮影していたら、近所のおじさんに家によってスイカを食べていくように勧められました。撮影後麦茶をもらい、スイカをいただきました。」(117KMさん)
次位の174号機は前パンが下がっているので回送でしょう。こちらは2エンド側ですので、前面ナンバーの下方に例の謎の4つのボルトが確認できます。173号機の左に現在は「フジタ鴻巣マンション」に建て替わっている「鴻巣スターレーン」の姿が見えるので、撮影地はこの辺でしょうか。列車は光線の具合から、この時期2往復残っていた普通客車列車の2325レと思われます。

撮影:117KMさん   2325レ?  鴻巣―吹上 1973.8
 EF58 174〔高崎第二〕
EF58174 急行「鳥海」を牽く174号機。最初から各部の窓がHゴム支持となっています。電暖表示灯は電球内側交換式の新型です。

※新製Hゴム窓機 上越形 電暖 電暖表示灯新 ヘッドマーク取付座無し
801レ「鳥海」  大宮 1980.12.31
製造年月日:S33.7.25
製造:東洋電機・汽車会社
廃車:S57.12.23〔高崎第二〕
EF58174 下り「北陸」の先頭に立ち上野で発車を待つ。14系客車化以降、「北陸」牽引は長岡のゴハチから高二に変更になっていましたが、おそらくこの年の10月改正から再び長岡のゴハチがになっています。下り「北陸」の8番線停車位置は、障害物が多くて撮りづらい場所でした。この写真でも色々車体に被ってますが、当時の記録と言うことで…。
3001レ「北陸」  上野 1979.9.22
EF58174 発車までのひととき、運転室では機関助士が煙草を吸ってくつろいでいます。今では考えられないですが当時はこれが当たり前。と言うか眠気防止のため推奨されていたそうな…。運転室にも灰皿ありましたしね。手前のホーム柱にも吸い殻が見えますが、これが各駅、各ホーム柱毎に当たり前に付いていた時代です。機関車右側に見えるホームで座り込んで列車を待つ人の姿も、帰省シーズンの上野駅では当たり前の光景でした。
3001レ「北陸」  上野 1979.9.22
EF58174 同じく「北陸」です。まだ新車の雰囲気が漂う14系と上越形ゴハチの顔合わせ。こうして見ると、ゴハチ正面の後退角が結構大きい事が分かります。 「高二」の区名札がしっかりと差さっています。なので長岡区に貸し出されていた訳ではなさそうです。
3001レ「北陸」  上野 1979.9.22
EF58174 同じく「北陸」の先頭に立つ姿。せっかくのブルトレ、やはりヘッドマークが無いのが残念です。この2エンド機関士側のつらら切りがかなり上向きに設置されていますが、機関士側ワイパーをWP50に交換した際に移設されたのかも知れません。1エンド側はそれほど気になりません。本機は製造からたったの24年で廃車になっています。JR化後も長く活躍したEF65などと比べると何とも哀れな気もします。これも、エリート急客機故の悲劇でしょうか。
3001レ「北陸」  上野 1979.9.22
EF58174 1980年前後の田端操車場の日常風景。入れ換え用の一つ目DD13や常磐線の主EF80の姿も懐かしいです。
田端操車場 1980.4.26
EF58174 上り「鳥海」の推進回送です。上野方のマニ3両が特徴の「鳥海」編成。10系ロネとハネ、それに旧客を連ねた13両編成は堂々とした物ですが、上りだと一見荷物列車の様に見えてしまうのが玉に瑕。
回804レ「鳥海」  日暮里 1980.7.29
EF58174 お馴染み高崎線の普通客レ、2321レを牽き鶯谷を通過。機関車次位には珍しくマヤ34を連結しています。2エンド側ですが機関士側のつらら切りの上向き加減が分かります。この時期は10月改正で長岡のゴハチが引退と言う事で、ここ鶯谷には多くのファンが集っていました。
2321レ  鶯谷 1980.9.21
EF58174 これも上り「鳥海」の推回です。鶯谷のこのアングルだと客車が見えずまるで荷物列車の様です。何故か174号機とは相性が良くやたらと何度も出会いましたが、ラストナンバー175号機には出会えずじまいでした。(-_-;)
回804レ「鳥海」  鶯谷 1980.9.23
EF58174 上野駅13番線に到着した20系急行「天の川」。後ろに見えるブルトレは14系の「北星」です。
802レ「天の川」  上野 198011
EF58174 同じく同機牽引の「天の川」です。荷物ホームのターレット、爆音上げて地下ホームを駆け回る光景が想い出されます。
802レ「天の川」  上野 198011
ohno-ef58174 高崎線普通客レ2321レを牽く。田圃以外何も無い長閑な風景が懐かしいですね。この辺も今では宅地化が進んで随分と印象が変わっていることでしょう。
撮影:ohnoさん  2321レ  神保原―新町 1980.2.10
ef5852-ef58174 輝く電暖表示灯が印象的です。しかし、この174号機、よく見るとこの2エンド機関士側のつらら切りが上にひん曲がっているような…。
「当時の大宮―東大宮の連絡線は魅力的な車両が行き来していましたが、障害物が多くてすっきり撮影できるポイントは皆無でした…。財源がなくて淋しいような気もしますが、この区間ではかえって単回のほうが良かったかもしれませんね」(EF5852さん)
撮影:EF5852さん   大宮―東大宮(操) 1982.10.31
ほぼ完成した新幹線高架をバックに高崎を出発する上り列車。
はて?一体この列車は何でしょうね。EF5831さんのコメントでは「荷物列車」とのことですが、昼間の時間帯に上越・高崎線の荷物列車は無かったはずですし「鳥海」?にしても編成がちょっと違うような…。どちらにせよこんな昼間なのはおかしいのでダイヤが乱れていたんでしょうね。
撮影:EF5831さん  上り荷物レ    高崎 1981.3下旬
 EF58 175〔高崎第二〕
ef5853-EF58175b EF58のラストナンバーですが、実際の最終落成機は同年8月落成の173号機です。この最終グループは全機上越形だった為、上越線からのEF58撤退と運命を共にし製造からわずか24年余りで廃車されてしまいました。近年のEF65やEF81などの国鉄形電機が車齢40年を越えて現役で活躍しているのを見ると少し可哀想ですね。2両目のナハフ11?や隣のクモニ83?クモユニ74?の姿も懐かしいですね。
撮影:EF5853さん  2325レ 川口 1978.10.1
製造年月日:S33.7.28
製造:三菱電機・新三菱重工
廃車:S57.11.9〔高崎第二〕
ef5853-EF58175c 「やっと出て参りました。(の割には大したことがない)ようやく安心して?お見せできる写真です。」(EF5853さん)

※上越形 電暖 電暖表示灯新 ヘッドマーク取付座無し
撮影:EF5853さん  14系6連 9734レ 水上―湯桧曽 1980.2.10
「高崎線から客車列車が無くなると知って、わざわざ上野から高崎まで通しで乗ったのを覚えています。その時も175番でした。その後、無くなる直前に同じく鴻巣駅に撮りに行ったらEF62の列車でした。」(T.Fさん)
撮影:T.FさんくらはやしみのるのB級HP)  2321レ 鴻巣 1982.8
ohno-ef15175b 赤羽を発車するラストナンバー。赤羽駅も今ではすっかり変わってしまい、この頃の面影はありませんね。
「つまらない写真ですが、赤羽駅を上野に向けて出発するところです。いまではここもすっかり変わってしまいましたが、この頃は京浜東北線だけが高架になっていました。この写真は、自分にとっての最後のゴナナ(東北本線普通列車125レ EF577)を見送ったすぐ後に撮影したものです。」(ohnoさん)
撮影:ohnoさん   赤羽 1977.1.29
ohno^ef15175a 長編成の旧客の先頭に立つ姿はゴハチの真骨頂。
「大宮駅進入の高崎線の普通客車列車です。川越線ホームから撮る
このアングルが結構好きでした。」(ohnoさん)
撮影:ohnoさん   大宮 1977.9.25
ef5852-ef58175 望遠レンズによる正面からのアングルで、つらら切りの下向き加減が伺えます。
「上野発直江津行き高崎線の旧型客車鈍行も晩年は12系化されました。しかし、12系化後まもなく高崎ニ区のEF58は全廃されたので、この組み合わせは短期間で終焉を迎えたというように記憶しています。」(EF5852さん)
撮影:EF5852さん   倉賀野―高崎 1982.9.15
shocho-ef58175
この区間だとEF16の補機が付いていないのが惜しいですが、 融雪溝から撮ったアオリ気味のアングルが上越形ゴハチのカッコ良さを引き立てています。
撮影:所長失格さん(所長、失格になりました)   8702レ「佐渡54号」  越後湯沢(岩原スキー場前)―越後中里 1979.8?

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