ELECTRIC LOCOMOTIVE EF58  Vol.20
EF58 149〜160

Last Update 2024.4.1

Index EF58149 EF58150 EF58151 EF58152 EF58153 EF58154
EF58155 EF58156 EF58157 EF58158 EF58159 EF58160

 第12次増備車(138〜145・149〜172号機) その2

昭和33年2月から4月に姫路・宇都宮電化用として登場したグループ。形態的には前グループに引き続いてワイパーの腕折り型への移行(149・150・161号機を除く)と、前面窓、及び側面中央窓のHゴム支持への仕様変更が特徴です。Hゴム支持で落成したのは156・164〜166・169〜172号機。 なお、146〜148号機は前の第11次増備車に含まれます。

※印…主な特徴です。画像をクリックすると大きなものが表示されます。

 EF58 149〔宮原〕→〔竜華〕
昭和55年に竜華区に転属するまで新製配置の宮原区を動くことの無かった149号機。後期の製造ながら鷹取工場独特の白Hゴムの更新改造姿になっています。

※更新改造 白Hゴム
荷32レ  大阪 1980.9.1
製造年月日:S33.2.27
製造:東京芝浦電気
廃車:S59.10.7(竜華)
Nobu-EF58149 こちらはのぶさん撮影の竜華区時代の同機です。前灯がシールドビーム2灯化されています。列車は新宮発、和歌山市行121レ(EF58牽引は和歌山まで)だそうです。

※更新改造 白Hゴム RSB2灯
撮影:のぶさん  121レ 紀三井寺―海南 1984.1.8
ef5852-EF58149 「更新改造、シールドビーム2灯化改造されている149号機ですが、将来、旧型客車から12系、50系客車に置き換えることを考慮してすでにP型改造工事を終えています。WP50型ワイパーが、機関士側が青色、機関助手側が原色でアンバランスです。 パンタグラフの摺り板の端が黄色塗装のカマは、少なかったのではないでしょうか? 」(EF5852さん)
撮影:EF5852さん  132レ  宮前 1983.8.25
ohno-ef58149 宮原時代の149号機を先頭に横浜駅に進入するゴハチ重連。今にして思えばこんな列車が毎日運転されていたのですから感慨深いですね。20メートル級4パンの迫力。(^^)

撮影:ohnoさん  荷35レ  横浜 1977.7.6
ohno-ef58149b 「川崎駅構内の跨線橋は、東海道本線下り列車の好撮影地でした。ただし人通りが多く、窓からカメラを外に向けるのにはちょっと勇気が必要でした。荷35列車は六郷鉄橋を渡ると、あっという間に近づき、猛スピードでホームを駆け抜けていきました。」(ohnoさん)

撮影:ohnoさん  EF58149+EF58156 荷35レ  川崎 1977.12.7
hokkyoku-ef58149 紀勢線での最晩年の姿。正直、車体の各所の疲労は隠せませんね。ところで鷹取工場で更新改造を受けた同機の水切りは幅広でかなり高い位置に取り付けられており、正面から見ると何だかびっくり眉毛みたいです。
撮影:北極ぐま閣下さん   紀伊田辺  1984
fj62g-ef58149a DD51752にエスコートされた149号機の廃車回送。
「今は無き「ヨ8000」との連結作業中に突然のスコール。複雑な気持ちで見送りました。」(FJ62Gさん)
ちなみにヨ8000は少数ながらJR各社に引き継がれ、今でも現存しているはずです。
撮影:FJ62Gさん  試8890レ  竜華機関区 1984.8.21
fj62g-ef58149b 同じく同機の廃車回送の様子です。
ヨ8000を最後尾に帰らぬ旅にでる149号機。厚く覆った雲が、この先のEF58の行く末を暗示しているようで何とも…。(;_;)
撮影:FJ62Gさん  試8890レ  竜華機関区 1984.8.21
shizuhata-ef58149 未更新、ブルトレ塗装時代の同機で、上野からの推進回送姿だそうです。側面昇降段の欠き取りもまだ未施工です。前端バリ右にステーを介して取り付けられたKE59ジャンパ連結器が、塗装と共にブルトレ牽引機の証です。
撮影:しずはたさん  尾久 撮影年月日不明
上の写真と見比べると改めてその変化に驚きます。私個人としては中途半端なHゴム改造機よりも更新改造機の方がある面、潔さすら感じて好きだったりします。<変人?
「当時白いHゴムのゴハチを嫌いかなりの番号のゴハチの写真がありません。149号機は標識灯も改造されて私的にはかなりゲテ度が高いです。(笑)」(EF5831さん)

撮影:EF5831さん  205レ「くにさき」?  大阪 1977.3.29
torisugari-ef58149 天王寺局の12系お座敷編成を牽き風光明媚な紀勢線を行く149号機。ゴハチの定期運用の晩年がこのような美しいロケーションのなか有終の美を飾れた事は、ファンにとってもゴハチにとっても幸せな事と言えましょう。
撮影:通りすがりの国鉄ファンさん  9302レ「お座敷きのくに」  岩代―南部 1984.7.28
117KM-EF58149 原形小窓、原形ワイパー時代の美しい姿の本機が牽く荷物列車でこちらは2エンド側です。本機の車体整備工事(更新改造)施工は1976年3月です。前端バリ右端にブルトレ牽引機時代の電源車制御用のKE59ジャンパ連結器がまだ取り付けられたままなのが目を引きます。
撮影:117KMさん  上り荷レ  三島―函南 1974年頃
 EF58 150〔宮原〕→JR西日本〔宮原(転)〕
EF58150 現在も保存機唯一の原形小窓、原形ワイパー機としてぶどう色姿でJR西日本に保存されている150号機牽引の「銀河」。同機のワイパーは最初から直線式のKW3Dです。

※原形小窓 原形ワイパー
104レ「銀河」  横浜 1976.4.29
製造年月日:S33.3.11
製造:東京芝浦電気
廃車:S61.3.31(吹田)
車籍復帰:S62.3.6
廃車:H23(2011).3.31
現在、JR西日本 京都鉄道博物館にて静態保存
EF58150 青色の直流標準色姿が20系とよく似合います。ちなみにこの150号機牽引「銀河」が私が初めて写したEF58です。それがゴハチ最後の現役機になり現在も保存されていると言うのは、何とも感慨深いものがあります。
正面ヘッドマーク取付座の下にボルトが二つ見えますが、これはかつて御召予備機に指定された際に旗竿取付の為に設けられた物です。
104レ「銀河」  横浜 1976.4.29
EF58150 曲線を主体にしたナハネフ22の優美な姿と80系電車譲りの流線形とヒゲが美しいゴハチの競演。急行に格下げされたとは言えナハネフの外板もまだまだ美しい姿を保っています。この横浜で上り「銀河」は「あさかぜ2号」に道を譲ります。この時点では「あさかぜ」は20系を使用しており、ホームの両側に20系が並ぶ姿は壮観でした。しかし、利用者的には同じ車両で片や特急、片や急行と言うのはバランス的が悪かったかも知れません。
104レ「銀河」  横浜 1976.4.29
kk0630-EF58150 「猛虎号」を牽く150号機。阪神タイガース関連の団臨だそうですが、ヘッドマークの旗が何とも言えませんね。この列車に関して「草津に住む大阪人」さんから次のような補足を頂きました。
「連結されている宮原区12系客車10両の運用番号は大虎臨1と言う凝りようでした。この列車は阪神タイガースファンを乗せて大阪―姫路に運転されたもので、一行は姫路セントラルパークへ虎等を見に行かれた様に記憶しています。この列車が運転された御利益かどうかは定かではありませんが、この翌年タイガースが21年ぶりに優勝したのです。」
撮影:kk0630さん  9923レ 須磨 1984.12.2
to198403-EF58150 「薄ら寒い画像ですみません。一見何の変哲もない末期のゴハチ33レですが、150が牽いてます。東海道客線を行く33レは、当時は下関その前は浜松。一生宮原住いの150は牽かないはずですが…。下関赤紙組のピンチヒッターで上京した折のようです。」(To198403さん)
撮影:To198403さん  荷33レ 保土ヶ谷−東戸塚 1984.3.20
shinohara-EF58150b 「撮影場所は大阪駅の11番線ホーム西の電留線?です。陽のあたっている方(1エンド?)の台形上のヘッドマークは、1985年3月24日に運転された「さよなら宮原区EF58」で使用された物です。」(篠原さん)
撮影:篠原さん  大阪 1986.1頃
shinohara-EF58150a 「日陰の方の丸いヘッドマークは、ちょうど梅田コンテナヤード跡で催されていた、「インポートエキスプレス大阪」のPR用の物だったと記憶しています。確かここへ留置される前、1984年の夏の宮原区の撮影会で、お召装備で展示された為、この写真の様に各部に銀が差してあった思います。当時このイゴマルはかなり長い間ここに留置されていました。当のイゴマルもまさか車籍復活、本線復帰など夢にも思っていなかったでしょう。おそらくほとんどのファンも、イゴマルより66の復活の方が、可能性ありと思っていたのではないでしょうか?(私もその一人です)なんかこういうところにもドラマを感じさせてくれるところがゴハチらしいですね。」(篠原さん)
撮影:篠原さん  大阪 1986.1頃
EF5852-EF58150 「ミハ座を牽引する宮原区の150号機です。このミハ座に冬場に蒸気暖房を供給する関係から昭和59年2月改正後も126,127号機と共に宮原区に残りました。」(EF5852さん)
撮影:EF5852さん  藤枝―島田 1984.3.5
EF5860-EF58150 宮原機関区で催されたイベントで、御召し装備を披露する150号機。
撮影:EF58-60さん  宮原機関区 1984.8.26
EF5860-EF58150 「撮影会の前日、吹田機関区の人に頼んで撮影させてもらいました。めちゃめちゃきれいな150。茶色もいいけど、ブルーのほうが素敵です。」(EF58-60さん)
撮影:EF58-60さん  吹田機関区 1986.8.22
packman-EF58150 イゴマルのさよなら運転「Super HIRO EF58号」。(正しくはHERO)この150号機の姿はさすがにちょっとやり過ぎのような…。(^^;)
「本命のフィルムをどっかに落として来てしまい、こんなのしか残っていませんでした。(;_;) 」(パックマンさん)
撮影:パックマンさん  9247レ 南彦根 1985.3.24
timebokan-EF58150 「茶色になってしまった事で、かなりテンションが下がっていました。今思えば、まじめにやっておけば・・・・・。」(タイム母艦さん)
撮影:タイム母艦さん  9926レ「好きやねん国鉄ご愛顧感謝号」  高槻―山崎 1987.3.29
EF5860-EF58150c 茶色姿で御召し装備を披露する150号機。同機は昭和34年10月に伊勢湾台風で中止になった御召し列車の予備機に指定され、国旗掲揚装置などが取り付けられています。幻の御召し姿の再現…と言ったところ。
「宮原機関区で行なわれた撮影会。当時たびたびお召し装備が施されました。」(EF58-60さん)
撮影:EF58-60さん  大阪運転区宮原派出所 1987.4.26
ef5860-ef58150d 「吹田機関区にて。撮影会前日に許可を得て撮影。山型の富士のヘッドマークです。似合う?のかな。」(EF58-60さん)

けばけばしい化粧と言い、似合うとは言い難いような…。(^_^;)
撮影:EF58-60さん  吹田機関区 1986.8.22
timebokan-ef58150b 黄昏時の神戸に到着した宮原区特製の「迎春」マークを付けた150牽引の臨客。こうした駅撮りも後になって見ると当時の雰囲気が伝わってきて良いものですね。
撮影:タイム母艦さん  神戸 1985.1.2
timebokan-ef58150c こちらも同じくタイム母艦さん撮影のイゴマル牽引の臨客。何の変哲も無い12系が今となっては珍しいですね。
撮影:タイム母艦さん  塚本 1985.1.5
H-yamaguchi-ef58150 グリーン帯が消えた姿がスロとしては寂しいですが、この感じも旧客っぽくて今見ると良いものですね。普通の宮原原形小窓機の1両に過ぎなかった同機も、今となってはその普通さが茶色とは言え貴重な存在になってしまいました。
撮影:山口裕志さん   富士付近  1981.11.8
ef18-870316 その150号機がJR化直前、茶色で登場して間もない姿です。後ろに続く旧客+マイテが良い味出してますね。今はもう望むべくも無いのが悲しい…。
「確か150出場試運転だった様な・・・。関西独自の信号機が懐かしいです。(今はもう無い筈)」(EF−18さん)
撮影:EF−18さん   試9446レ 高槻―山崎(草津に住んでる大阪人さん ご教授ありがとうございます)  1987.3.16
shuriya-ef58150 JR発足後、イゴマルは各種臨時列車の牽引に活躍しました。これは上りムーンライトの京都から向日町への回送です。後ろの客車については「草津に住む大阪人」さんから教えて頂きましたがJR四国の「ムーンライト高知」用四コチ12系で、機次位よりスロフ12、スロ12×2だそうです。1995年4月に12系一般色に塗色変更され、今はこの姿を見る事はできないそうで…。(車両自体は残ってるそうです。)

撮影:修理屋さん   回9937レ「ムーンライト高知」回送 京都 1989.12
ef18-900818 EF65PFと重連で20系回送を牽く。JR化後も残ったゴハチとして大活躍の頃でしょうか。
「此のアングルも、バックのスッキリさも、もう2度と戻らないのですねえ〜。」(EF−18さん)
撮影:EF−18さん  回9225レ  山崎―高槻 1990.8.18
ef18-910106 同じく20系回送を牽くイゴマル。車体側面に結構錆が出てますね。(^^;)
「百山は激パと思い、此処で撮影しましたが、今一・・・。」(EF−18さん)
撮影:EF−18さん  回9225レ  山崎―高槻 1990.8.18
ef18-19920105 「年々減少する運用に昔を懐かしみ、今回1枚写真をお送りします。この頃は当たり前の様にあった12系金光臨、12系が稀少車種になるなんて思いもしない時代でした。」(EF−18さん)
撮影:EF−18さん  9325レ  須磨―塩屋 1992.1.5
ef18-930402 下の昔鉄ちゃんさんの写真と同じ列車です。
「丁度掲示板で岡サロの件がありましたので、写真をごそごそと探しましたら山崎〜高槻間で撮影した写真がありましたのでお送りいたします。ネガ撮影はだめですね〜。褪色が激しくて。。。。。日付と列車番号は多分昔鉄ちゃん様同様となる筈です。」(EF-18さん)
撮影:EF−18さん  回8102レ  山崎―高槻 1993.4.2
mukashi-tetsu-930402 2004年現在、イゴマル最後の上京時の貴重な写真です。
「この列車はweb上や雑誌等では余り見たことが有りません。私ともう一人の二人での撮影でした。当日一緒に撮影されたFC乗りの方は、まだ鉄健在でしょうか?今の所、私自身最初で最後の150です。」(昔鉄ちゃんさん)
撮影:昔鉄ちゃんさん  回8102レ  三島―函南 1993.4.2
shin-san-ef58150 宮原区に最後まで残った原形小窓トリオの揃い踏み。左から127,126,150号機。各機に付けられた正月ヘッドマークのデザインも良い感じです。個人的には150号機は茶色よりこちらの姿の方が好みです。イゴマルはこの頃からヘッドマーク取付に支障する前面踏板中央が大きく欠き取られています。
撮影:床屋のシンサンさん   宮原操車場  1985.1
hokkyoku-ef58150 お召しに準じた色差しが行われた150号機の美しい姿。やっぱりイゴマルは青ですねぇ…。(^_^)
撮影:北極ぐま閣下さん  吹田機関区 1986.8.23
爽やかな塗装が印象的な長野のお座敷客車「白樺」を牽いて山崎付近を行く。「白樺」登場が1983年で塗装変更が行われたのが1986年なので、少なくともその間の撮影になりますね。150との組み合わせは何だか新鮮に感じます。
撮影:DD54-11さん  高槻―山崎  撮影年月日不明
sugi-EF58150 14系座席車12連の臨時「明星」の先頭に立つ。現在もこの青い姿で京都鉄道博物館に保存されているのは嬉しい限り。旧形電機ながら新形機と同じ直流標準色を許されたゴハチ。ゴハチ晩年世代の私にとって、ゴハチと言えばやはりこの青色塗装です!
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  6030レ「明星5号」  住吉―摂津本山 1976.5.5
sugi-EF58150 24系25形の「あかつき」を牽き朝の東海道本線を上る150号機。
「このカマが晩年有名になるとは思いもよりませんでした。」(針葉樹林鉄道研究会の杉さん)
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん   44レ「あかつき2号」  住吉―摂津本山 1979.5.28
torisugari-ef58150 81系シナ座を牽き横浜駅に到着するレアなシーン。ホーム上屋に溜まるSGの蒸気が良い感じです。
「客車は西東臨101として1/23に立川〜名古屋、1/24に名古屋〜立川と運転されています。機関車は1/23 東京機関区臨A825でEF58指定の仕業で名古屋まで牽引しています。ところがこの機関車は翌1/24には8806レで大阪まで下っておりシナ座の復路には入れず。そこに出てきたのが宮原のEF58(150号)でした。EF58150の前運用は不明ですがわざわざ持ちかえて上京してくれたのはラッキーでした。EF58150は翌日品川から大阪まで単機で帰ったようです。」(通りすがりの国鉄ファンさん)
撮影:通りすがりの国鉄ファンさん    8312レ  横浜 1985.1.24
 EF58 151 〔宇都宮(転)〕
19801231-ef58151 宇都宮のゴハチも晩年はそのほとんどが前面窓のHゴム支持化が施されていました。ワイパーも機関士側WP50と助士側KW35に交換されています。電暖表示灯は新型の内側交換式。

※電暖 電暖表示灯新
大宮 1980.12.31
製造年月日:S33.3.18
製造:東京芝浦電気
廃車:S60.4.15〔田端〕
EF5852-EF58151 「荷物列車を牽引する晩年の151号機です。」(EF5852さん)
撮影:EF5852さん  浦和―赤羽 1984.10
nijinochichi-ef58151 12系化された「津軽」を牽く151号機。
撮影:二児の父さん  蓮田―東大宮 撮影日不明
117KM-EF58151
原形小窓、原形腕折ワイパー時代の美しい姿でオール10系ロネの団臨を牽き早朝の東海道を上るシーン。こちらは2エンド側。晩年の宇都宮時代のHゴム前面窓にデフロスタ、電暖改造された姿と比べると同じカマとは思えません。
「122km付近です。」 (117KMさん)
撮影:117KMさん  6102レ   沼津―三島 1973.9頃
 EF58 152 〔宇都宮(転)〕
yokoyama-EF58152 リンクでお世話になっています「国鉄客車名鑑」の横山さん撮影の152号機です。つらら切りの付いた姿は、北のゴハチにふさわしい面構え。

※電暖 電暖表示灯旧 つらら切り 原形フィルタ
撮影:横山 淳さん国鉄客車名鑑)  蓮田 1982
製造年月日:S33.3.27
製造:東京芝浦電気
廃車:S58.2.18〔宇都宮(転)〕
akira-EF58152 今は無き上野駅18番ホームで「八甲田」の先頭に立ち出発を待つ152号機。19・20番線に続き、この18番線も1999年9月で無くなってしまいましたね。
撮影:akiraさん(AKIRA STATION)  「八甲田」 上野 撮影年月日不明
yamaguchi-EF58152 こちらは「75茶屋」の山口さん撮影の前面窓のHゴム改造前の姿です。同機は昭和36年に宇都宮に転属するまで高崎第二におり、その間に大宮工場における前面窓の合わせガラス工事を受けており、同工場独自の変形小窓となっています。それは、小窓機においても窓の下辺を上に上げ、角にRを付けるという物でした。同機は更に元の窓枠と小窓化した窓枠が一致していないと言う変形機でした。(この写真でも何とか確認できます。)
撮影:山口正洋さん (75茶屋)  「津軽」? 西那須野 1972.12
Tc153-501-EF58152 「当時、現役活躍中の152・153号機とはとても相性(?)が悪く、152機に至ってはこの写真が私にとって最初で最後の撮影となってしまいました。宇都宮区の特徴的機関車であっただけにとても残念です。(89・102もおりますが・・・)」(Tc153−501さん)
撮影:Tc153−501さん  102レ「八甲田」 蓮田―東大宮 1983年頃
ef5852-ef58152 「正面からのアングルで解りづらいのですが、この当時の急行津軽には10系寝台も連結されていたようです。 牽引する152号機は、比較的に車齢が新しかったのでこの撮影の半年後に廃車になるとは思いませんでした。」(EF5852さん)
撮影:EF5852さん 「津軽4号」 東大宮―大宮 1982.10.31
「1978年8月で福岡から上京して関東圏での撮影旅行での一齣で黒磯駅です。ED71他を撮影に来ていました。確かお盆前で、下り臨時急行ざおうだったと思います。この列車も当駅でED75に機関車交代する前に撮影しました。懐かしい駅弁売り子がホームに居ます。」(EF5831さん)
1970年代は定期急行の座席車は旧客で、臨時が冷房付きの12系と言うのがほとんどでしたね。駅弁の立ち売りも窓が開く車両が停車してこそ。乗客も席に座ったまま弁当や飲み物が買えたので、その点に関しては現在よりも便利でしたね。
撮影:EF5831さん  下り臨時「ざおう」?  黒磯 1978.8
bin-ef58152 茶色のマニを連ねた姿が良い感じです。 つらら切りが付いた姿だと前面窓がHゴムでも水切りに比べて何故か格好良く見えるんですよね。それだけつらら切りの印象が強いという事でしょう。 なお、この時点では前面窓にデフロスタは取り付けられておらずスッキリした印象です。
撮影:BINさん  荷1032レ  品川―新鶴見 1978.12.17
sugi-EF58152 上述の変形小窓時代の同機の貴重なカットです。二重になった前面窓の窓枠がお分かり頂けるでしょうか?
「臨時の八甲田ならEF57でしょ!なんでゴンパチ。本当にがっかりしました。 」(針葉樹林鉄道研究会の杉さん)←それでも撮影されていたお陰で同機の貴重な姿を拝見できました。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん   6104レ「八甲田55号」 上野 1976.1.4
sugi-EF58152 窓枠の二重部分が分かりにくいのでアップで。窓の下隅を見ると直線的な窓枠とRの大きな窓枠が二重になっているのが確認できます。ワイパーは原形の腕折り式のKW3Dです。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん   6104レ「八甲田55号」 上野 1976.1.4
torisugari-ef58152 「他の方の写真にEF58153の避雷器が中心からずれているとのご指摘がありましたが152号機も同様のようです。」(通りすがりの国鉄ファンさん)
153号機同様、本機のこの2エンド側の避雷器も車体中央から左にずれているのが確認できます。正面からでないと判別は難しいので、152、153号機以外にも同様な例はあるのかも知れません。
撮影:通りすがりの国鉄ファンさん    406レ「津軽」  上野 1982.8.10
5860-ef58152 12系15連を使用した臨時急行の推回でこちらは1エンド側です。臨時の「おが」との事ですが、1979年の時刻表を見ると臨時の「おが」はA寝台・B寝台を組み込んだ「3・4号」しか見当たりません。もしかしたら臨時の「八甲田」「ざおう」あたりかも知れません。
撮影:ゴハチロクマルさん    臨時「おが」?  鶯谷 1979年
 EF58 153 〔宇都宮(転)〕

EF58153
臨時「八甲田」を牽き上野地下ホームで90号機牽引「天の川」と並ぶ153号機。つらら切りを装備した姿はHゴム前面窓にデフロスタ姿の宇都宮機と比べると精悍な顔つきです。メッキの剥げたヒゲの錆が凄いですね。ちなみに本機はゴハチで最初の電暖改造機でした。
この頃EF641000の進出で上野口でもゴハチ牽引列車は少なくなってはいましたが、まだまだ上野駅では多客期の早朝などにゴハチの並びを見る事ができました。

※電暖 電暖表示灯旧 つらら切り 原形フィルタ 電暖改造1号機
6106レ「八甲田60号」 左は802レ「天の川」  上野 1981.1
製造年月日:S33.4.8
製造:東京芝浦電気
廃車:S58.3.11〔宇都宮(転)〕
EF58153 荷物列車を牽いて山の手貨物線を行く。153号機側面の落書きを消した後がいかにも国鉄時代らしい姿です。(^_^;) 当時、スト前後の機関車はひどいのが多かったんです。もし、国鉄時代に戻ったとしてもあれだけは止めてもらいたいものです。
荷2634レ  原宿―渋谷 1980.3
EF58153 臨時「八甲田」の推回です。この153号機も結構相性が良かったのか何度も撮ってますね。宇都宮では89号機や102号機と共に好きなカマでした。 この時はまだ前面窓にデフロスタは未設置です。
回6106レ「八甲田60号」回送  鶯谷 1980.9.21
EF58153 臨時の「八甲田」と言えど12系10両以上(12両?)の長編成。左端に見える架線柱が木製でこの右端も木製でした。(上の写真の153号機の横)この当時、こんな都会の真ん中で何故かここだけ木製ポールが残っていました。
回6106レ「八甲田60号」回送  鶯谷 1980.9.21
19810505-ef58153-2 久々にコダクロームをスキャンして発掘しました。機関車次位のスニ41が特徴の「八甲田」を牽く153号機。

102レ「八甲田」  蓮田―東大宮 1981.5.5
hiramatsu-EF58153 「山の手貨物をゆくEF58も今思えば夢のようです。この153号機は、駒込のカーブを車体をきしませながら、ゆっくりと通過していったのを思い出します。」(S.Hiramatsuさん)
撮影:S.HiramatsuさんPassenger Cars Room  駒込―田端 198?
ohno-ef58153 原形小窓時代の153号機。良く見ると向かって右側の運転士側のつらら切り上方に欠き取りが見られますが、これはワイパーのWP50化に際してグリップエンドがつらら切りに干渉するため、36号機と同様にその部分だけ逃げが付けられたもの。また、上の写真と見比べると前面窓のHゴム支持化に伴いつらら切りも水切り同様左右幅が広げられている事が分かります。同時に欠き取り部分も平滑にされ、つらら切り自体の取付位置が上方に移動して取り付けられているのも確認できます。

撮影:ohnoさん   鶯谷 1977.1.6
ef5852-ef58153 「この153号機のツララ切りヒサシは、正面から見るとかなり下向きであることが確認できます。この半年後に、同機と102、152号機の3両が、ほぼ同時に廃車になったことにより、上野口のゴハチでツララ切りヒサシを装着しているのは89号機だけということになり、パック伝説が誕生することとなったのは誰でも知るところです。」(EF5852さん)
撮影:EF5852さん 「八甲田」 赤羽―尾久 1982.6.20
H-yamaguchi-ef58153 上野駅地平ホーム独特のアングルです。前面窓のHゴム支持化と助士側ワイパーのWP35化がされています。つらら切りも左右の幅が拡充され取付位置も上方に移動し、つらら切り上部の欠き取りも平滑に直されています。
良く見るとこの2エンド側避雷器の取付位置が車体中央から若干左にずれています。上のEF5852さん撮影の1エンド側はほぼ中央に見えます。こうしたケースは他にもあるかも知れません。
撮影:山口裕志さん  上野  1981.5.4
宇都宮運転所で休む原形小窓時代の同機。つらら切りの付いた原形小窓はHゴム窓につらら切りよりも精悍なイメージです。
「152号機と同じときで帰りに宇都宮機関区に静態保存されていたEF577号機を撮りに行った際に近くで休んでいた同機を撮影。」(EF5831さん)
撮影:EF5831さん  宇都宮運転所 1978.8
sugi-EF58153 上野駅地平ホームに到着した原形小窓時代の153号機。機関士側ワイパーはWP50に交換されていますが、助士側は原形の腕折り式のKW3Dのままです。 列車はおそらく上り「津軽1号」と思われます。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん   上野 1976.1.4
shizuhata-ef58153 蕨駅を通過して一路上野を目指す153号機。こちらは1エンド側。10系ハザを連結した旧客編成は東北本線の普通列車でしょうか。上の写真と同じく原形小窓にLA15避雷器にカバーが無い姿から、1976年頃の撮影と思われます。 WP50ワイパー化された機関士側のつらら切り上部の欠き取りが確認できます。
撮影:しずはたさん   蕨―西川口  1976年頃?
 EF58 154〔宇都宮(転)〕
EF58154 電暖にデフロスタの付いたHゴム前面窓、ワイパーは機関士側WP50、助士側WP35という宇都宮区のゴハチ末期の標準的スタイルの同機ですが、かつての東京区ブルトレ塗装機の1両です。

※電暖 電暖表示灯新 原形フィルタ
402レ「津軽2号」  上野 1982?
製造年月日:S33.4.17
製造:東京芝浦電気
廃車:S60.9.12〔田端〕
現在、JR東日本大宮工場内に前頭部のみ保存
ef5853-EF58154 こちらはEF5853さん撮影の東京区時代の姿です。同機はかつてのブルトレ塗装機で、この時点ではカニ22用のKE59ジャンパ連結器が前端バリ右側面に残っています。面白いことにSGのホースがつなぎっぱなしになっています。
撮影:EF5853さん  回1940レ 東京 1975.3.9
6348-EF58154 こちらは6348レさん撮影の154号機です。上のEF5853さん撮影の物から少し後の姿で、ワイパーの交換、Hゴム窓改造が行われています。この写真で面白いのは、可動式雪かき器が取り付けられ、誘導踏み段が前端バリ側面取付になっていることです。6348レさんが同時期に撮影された同じ東京区の88号機には雪かき器が付いておらず、この頃は東京区で本機が雪かき器装備機だったのかも知れません。同機の転出に伴い88号機に雪かき器が常設されたのではないでしょうか。雪かき器が付くと、前面の印象が平面的に見えるのが面白いですね。なお、同機は宇都宮へ転属後、電暖改造されてからもしばらくは可動式雪かき器を取り付けた姿だったようです。
撮影:6348レさん  横浜 1976春
kk0630-EF58154 「154号機も左右のHゴムの色が違っていました。」(kk0630さん)
122号機の方は有名?でしたが154号機もこんな時期があったとは知りませんでした。
撮影:kk0630さん  宇都宮 1984.3.24
nishino-EF58154 宇都宮に転属後、電暖改造された154号機です。誘導踏み段はまだ前端バリに取り付けられています。
撮影:Y.NishinoさんY.Nishinoのホームページ)    
ef5852-ef58154 「可動式スノープロウ装着に対応するために誘導踏段が主台車前端梁に取り付けられていますが、形状が初期型や143号機等とは異なっているようです。 しかも取り付け位置が左右で異なるため高さに違いがあるのが確認できます。 この個性的な誘導踏段も、晩年は他車の廃車流用部品に交換されることになります。」(EF5852さん)
この段違い誘導踏段はおそらく電暖改造時にジャンパー栓を避けて移設したものでしょうね。

撮影:EF5852さん  406レ「津軽4号」  東大宮―大宮 1982.10.31
jm1xsj-ef58154 「新鶴見機関区東機待で撮影したものです。パンは下がってますが、全検出たてかな?」(jm1xsjさん)
足周りを良く見ると動軸の軸箱守控が磨き出されたような感じです。なお、ゴハチ信者さんより「当方の記録では1981年9月に大宮工場で全般検査施行となっています。なお、これが同機最後の全検です。」とのご指摘を頂きました。

撮影:jm1xsjさん  新鶴見機関区 1981.9
「これは1981年大学入学後鉄研の同期に案内されて高崎界隈を撮影したときに撮ったものです。倉賀野の近所にある鉄橋で撮影ポイントを探している途中に突然やってきたのであわてて、こんなアングルになってしまいましたが、高崎線下りの旧客列車で編成も長く、まるで昔の東海道時代の優等列車を彷彿とさせてくれます。」(EF5831さん)
撮影:EF5831さん  2321レ  新町―倉賀野 1981
東京区から宇都宮に転属した直後の姿。ちなみに同機の宇都宮転属は1976年8月1日付けです。
「小田原から朝一番電車で上野に行ってホームを走り回っての撮影ですから疲れるやら、驚くやら、がっかりするやらで、気合が入ったり抜けたり。なにより、時刻表を相手に一日の撮影予定を考えるのが大変だった思い出があります。
この画像では、前述の横浜での同機のコメントにある”同機は宇都宮へ転属後、電暖改造されてからもしばらく可動式雪かき器を付けた姿だったようです。”を証明していますね。電暖工事は終わっていますが、雪かき装着のままで、デフロスタ無し。この後に Y.Nishinoさん の撮影の姿になるのでしょうか。フィルム代と現像代が高いので、1列車1枚と決めていましたし。ブレがくやまれます。」(6348レさん)
撮影:6348レさん  上野 1976.8(1977.8?)
EF58154 東京区時代の雪かき器を付けた姿です。 雪かき器上面?に手すりの様な物が確認できます。車体裾の標識燈掛付近にかつて「つばめ」「はと」牽引機に付けられた電話線と連結栓が確認できます。
「この日は冬休みで立川機関区でED16を、八王子機関区でEF13、EF15、ED61などを、そして東京機関区へも行き、1日で3箇所も回りました。」(針葉樹林鉄道研究会の杉さん)
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  東京機関区 1975.12.28
torisugari-EF58154 寝台、座席共に14系化された「津軽」を牽く。いつも汚れていた印象の宇都宮のゴハチとしては綺麗ですね。後ろの雪の付いた14系と良く似合っています。朝陽を浴びて行く姿が格好良いです。
撮影:通りすがりの国鉄ファンさん  402レ「津軽」  蓮田―東大宮 1985.1.5
 EF58 155〔浜松〕
EF58155 こちらは浜松区の155号機が牽く荷物列車です。ワイパーは機関士側WP50、助手側WP35です。 Hゴム前面窓にPS15パンタ姿の標準的な浜松機と言ったところで、強いて言えば特徴が無いのが特徴でしょうか。編成中の茶色の旧形マニやテルハの姿も懐かしいです。大きな駅では当たり前にあったテルハも、荷物列車の終焉と共に姿を消していきました。
荷2033レ  沼津 1979.9.23
製造年月日:S33.4.25
製造:東京芝浦電気
廃車:S61.1.31〔下関(転)〕
EF58155 荷物列車の牽引が主体だった浜松区のゴハチの運用のハイライト、「出雲・紀伊」を牽く155号機。同じカマでも寝台特急の先頭に立つ姿は、また違った印象です。ちなみにこれが上り「出雲2号・紀伊」のEF58牽引最終列車か?
2004レ「出雲2号・紀伊」   大井町―大森 1980.9.30
EF58155 このHゴム窓とビニロックフィルタの容姿は、晩年の東海道スジでは最も標準的なゴハチの物と言えます。主要な駅と荷物列車の組み合わせも、国鉄時代には当たり前の光景でした。
荷2041レ?  大阪 1980.9.1
上と同じ列車だと思いますが誘導掛が乗って入れ換え中? 夏にも関わらずきちんとネクタイを締めた誘導掛の姿が印象的です。
荷2041レ?  大阪 1980.9.1
Mr.slim-EF58155 次位に懐かしい10系客車を連結した上り臨時列車を牽引する155号機。前面窓が原形です。
撮影:Mr.スリムさんMr.スリムの道楽部屋 浜松 1972年頃
nijinochichi-ef58155 「米原駅では、米原機関区が駅構内から撮影できるのでは?と淡い期待をもちながら途中下車した記憶があります。(結果、非常に遠くの山の麓に機関区構内らしき配線が見えただけでした)結局、浜松の155及び当時廃止直前の455系(457系?)の北陸急行を撮影してあえなく帰途につきました。」(二児の父さん)
撮影:二児の父さん  米原 1982.10.3
「1981年春大学合格後の東北旅行帰りに寄ったセノハチでの一齣です。確か信州から夜行ちくまで新大阪に出て新幹線で三原まで行き、在来とバスを乗り継ぎ、午前中からセノハチ三昧をしていました。列車は昼前後の下り荷物列車ですが列車番号が不明です。大カーブを長い編成で本線系統の威風堂々の同機です。 」(EF5831さん)
撮影:EF5831さん  荷37レ  八本松―瀬野 1981春
 EF58 156〔浜松〕
EF58156 本機が前面窓、側窓中央が落成時からHゴム支持になった最初になります。改造で前面窓がHゴム支持となったカマは、側窓中央はパテ式のままでHゴム支持になっていないので判別が可能でした。ワイパーは他の浜松区の多くの仲間と同様、機関士側WP50、助手側WP35に交換されています。この写真では可動式雪かき器のロッドにカバーが取り付けられています。

※前面窓、側窓中央Hゴム支持の第1号機
品川 1978.5.3
製造年月日:S33.4.30
製造:東京芝浦電気
廃車:S61.1.30〔下関(転)〕
EF58156 かつての名所、白糸川橋梁を行く。ナンバーは読めませんが側窓中央の白Hゴムから156号機と断定しました。
根府川―真鶴 1980.2.15
ef5853-EF58156 こちらはEF5853さん撮影の156号機。
撮影:EF5853さん  広島運転所派出 1980.8.9
Mr.slim-EF58156 原形小窓、原形ライト時代の4号機と並ぶ156号機。左後方にはEF18の姿も見えますね。
撮影:Mr.スリムさんMr.スリムの道楽部屋 浜松機関区 1972年頃
ef5852-ef58156 「浜松区時代末期の156号機牽引の下り荷物列車です。側面の中央の機関室窓が白Hゴム支持となっているのが確認できます。 同機は、この撮影の2ヶ月後に下関区に転属して東海道、山陽本線最後のゴハチ牽引荷物列車仕業で活躍することとなります。」(EF5852さん)
撮影:EF5852さん  熱海―函南 1984.1.7
inayuki-ef58156 「ミステリー329号」を牽引する156号機。浜松のゴハチが団臨の先頭に立つのは珍しかったように思いますが…。荷物列車牽引の影に隠れて目立たなかっただけ?
撮影:急行伊奈ゆきさん  撮影地不明  1983.3.29?
sugi-EF58156 上のMr.スリムさん撮影の姿を同じく、腕折り式のKW3Dワイパー取付位置に直腕式のKW3Dを取り付けた姿です。一見、助士席側のワイパーブレードが外れている様にも見えますが、光線の加減の様にも思えます。いずれにしても機関士側は窓からワイパーがはみ出しちゃってますが…。(^_^;)
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  荷37レ  摂津本山―住吉 1976.5.5
sugi-EF58156 ワイパーは他の浜松区の多くの仲間と同様、機関士側WP50、助手側WP35に交換されています。良く見ると機関士側の水切りのみワイパーのWP50化に伴い取付位置が上に変更されているのが分かります。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん   上り荷レ  住吉―摂津本山 1980.5頃
shin-san-ef58148 荷物列車を牽き下関に到着する姿でこちらは2エンド側です。機関士側の水切りが助士側に比べ若干上に位置しているのが良く分かります。
「この年に走り始めた「やまぐち号」撮影の為、高1の夏休みにEF58牽引の「西海・雲仙」で下関まで行き、大阪では深夜帯で見れないHD付きの東京発ブルートレインの撮影に合間に撮ったものです。」(床屋のシンサンさん)
撮影:床屋のシンサンさん  下り荷レ  下関 1979.8
taki10450-EF58156 高架化前の加古川駅に進入中。こちらは1エンド側で2エンド側よりも機関士側の水切り位置が助士側に比べ高くなっています。
「加古川線の気動車を撮りに友人と加古川駅へ行った時のものです。キハユニ15が目的でしたが、入線してきた荷物列車を牽引していたEF58も撮影していました。浜松区のカマで、飾り帯は錆びて汚れています。」 (タキ10450さん)
撮影:タキ10450さん(『タキ10450』の国鉄時代の記録)  上り荷レ 加古川 1980.1
taki10450-EF58156 同じく加古川駅に停車中。手前の65は一般形最終グループ。こうして並ぶと鼻筋の通った前面形状や2枚窓に輝くヒゲなど、ゴハチの特徴が65に進化して継承されているのが分かります。
「荷物列車は本線上に停車しましたが、しばらくしてEF65 124が牽引する貨物列車も入線し横に並んだので、こちらも撮影しています。」 (タキ10450さん)
撮影:タキ10450さん(『タキ10450』の国鉄時代の記録)  上り荷レ 加古川 1980.1
 EF58 157〔浜松〕→JR東海〔静岡(転)〕
EF58157 JR化後も直流標準色で動態保存機として活躍したイゴナナこと157号機です。この頃はまだ前面窓のHゴムは黒色でした。なお、本機は新製当初はパテ式の前面窓でした。 現在は引退し原形に近い姿に復元され茶色姿でJR東海のリニア・鉄道館にて展示中です。
早川―根府川 1981.4.19
製造年月日:S33.2.25
製造:三菱電機・新三菱重工
廃車:S60.9.30〔下関(転)〕
車籍復活:S63.3.30〔静岡(転)〕
廃車:2008年?
現在、JR東海リニア・鉄道館にて静態保存
suda-EF58157 こちらはすだっちさん撮影の、荷物列車を牽く157号機です。
撮影:すだっちさん  掛川−磐田間(たぶん) 1983年? 
Mr.slim-EF58157 原形小窓時代の157号機。ワイパーも原形の腕折り式のKW3Dです。
撮影:Mr.スリムさんMr.スリムの道楽部屋 浜松 1974年頃
ef5852-ef58157 「今でこそスーパースターの157号機ですが、現役当時このカマが充当されて喜んだ人は皆無だったのではないでしょうか?」(EF5852さん)
撮影:EF5852さん  荷31レ 藤枝―島田  1984.2 
karashima-ef58157 「まさか21世紀でも走っている存在になるとは、この汚れた車体からは想像が付きませんでした。背景は、ちょっと暗いですが、127号機です。 」(辛子真緑さん)
撮影:辛子真緑さん  荷2031レ  京都 1984.2.20
「他の[東][浜][米][宮]の僚機とともにEF62との入れ替え準備で廃車前提で[関]集中配置になっていたころの姿です。まさか浜松標準スタイルの何の変哲もなかった157が、この後20年以上も生き延びることになるとは、このとき思いも及びませんでした。」(To198403さん)
撮影:To198403さん  荷2033レ  保土ヶ谷―東戸塚  1984年2月か3月
sugi-ef58157 原形小窓時代の157号機。現在はリニア・鉄道館にて原形に近い姿に復元され保存されている同機ですが、ワイパーや水切りの形状、側面の昇降段の配置など原形と異なる部分もあり中途半端な姿になっています。せっかく手を入れているのに何とも残念。結果的に間違った姿を後世に残すなら現役最後の姿のままで良かった様な…。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  上り荷レ  大阪 1975.5.26
sugi-ef58157 こちらも針葉樹林鉄道研究会の杉さん撮影の原形小窓時代のイゴナナです。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  荷42レ  住吉―摂津本山 1976.5.5
sugi-ef58157 同じく針葉樹林鉄道研究会の杉さん撮影の原形小窓時代のイゴナナのカラーです。なので、青色の157号機と後ろに続く荷物車の茶色のコントラストが目立ちます。それにしても本機が茶色になって現在も保存されるとは、国鉄時代には考えられませんでした。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  荷40レ  住吉―摂津本山 1976.3.6
 EF58 158〔浜松〕
6348-EF58158 新製配置から、晩年の下関転属までずっと変わらず浜松区で働いた158号機。
撮影:6348レさん  早川 1980(?)
製造年月日:S33.2.26
製造:三菱電機・新三菱重工
廃車:S60.2.4
EF5852-EF58158 「浜松区時代の158号機の牽引する荷物列車です。この1ヶ月後に下関集中配置されるわけですが、既に後ろの荷物列車にはマニ60は連結されていないようです。」(EF5852さん)
撮影:EF5852さん  焼津―藤枝 1984.1.9
Mr.slim-EF58158 158号機は前灯のシールドビーム化の最初の試験機で、RSB-250W 1灯式に改造されました。その後4号機がRSB-250W 2灯式に改造され、その結果おそらく後者の方式が正式に採用されたようで、同機は原形ライトに戻されています。「EF58ものがたり」によると同機がこの1灯式シールドビーム姿だったのは1974年6月から1975年10月のわずか1年4ヶ月間となっています。
撮影:Mr.スリムさんMr.スリムの道楽部屋  浜松 1974
EF5860-158mockup これは大阪の交通科学館に展示されていたモックアップ。おそらく昭和30年代に鷹取工場で製作された物と思われます。ちなみに前頭部しかありません。
「昔は展示があったのですが、惜しげも無く解体されてしまい、現在は見れません。訓練用に作られていたのか、実物大の模型でした。外装はオリジナルペイントでピカピカで前面の手すりやヘッドマークの台座などはありませんでした。」(EF58-60さん)
撮影:EF58-60さん  交通科学館 撮影年月日不明
yamaguchi-ef58158 原形小窓、原形ライトの158号機牽引の「桜島・高千穂」。浜松区のゴハチにとって数少ない優等列車仕業です。
「こちらは浜松区の158号。桜島・高千穂ではなかったかと思います。ブルトレと違ってSGからの白煙が魅力的でした。」(山口正洋さん)
撮影:山口正洋さん (75茶屋)  大阪 1974.4.1
yamaguchi-ef58158b 「ちょうど隣に485系雷鳥が到着しました。スカート周りが原型の485系で、こちらも今見ると新鮮です。」(山口正洋さん)
この光景を見るとしみじみ「あぁ…、大阪だなぁ…。」と思います。
撮影:山口正洋さん (75茶屋)  大阪 1974.4.1
sugi-EF58158 貴重な1燈シールドビーム姿の158号機です。本採用にならなかったとは言え、手間と予算をかけて改造した物をわざわざ原形に復さなくても…と思ってしまいます。保守を考えての事でしょうけどそれならRSB2燈にしても良かったのでは…。もっとも見た目は原形の方がよろしいですけど。(^_^;)
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  上り荷レ  住吉―摂津本山 1975.7.17
sugi-EF58158 冬晴れの陽射しを浴びて東京機関区で出区を待つ158号機。奥に見えるのは96号機で隣のヘッドマークを付けたEF65Pの姿も懐かしいです。上の7月の撮影からおよそ5か月後の姿ですが、正面窓がHゴム支持に、ワイパーが機関士側WP50、助士側がKW3Dの腕折り式から直腕式に取付位置をわざわざ移動して交換されています。また、前燈はRSB1燈から通常のLP402に復されています。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん   東京機関区 1975.12.28
sugi-EF58158 この時点で助士側のワイパーが平行腕のWP35に交換されています。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん   荷35レ  八本松―瀬野  1980.4.6
 EF58 159〔浜松〕
EF58159 下関を東京に向けて発車する159号機。ワイパーが機関士側のみWP50で助士側は原形のKW3Dとなっているのがアンバランスな印象です。薄汚れて大分くたびれた印象ですが、毎日1000キロあまりを走破する荷物列車の運用は、浜松区のゴハチにとって過酷なものだった事が感じられます。
荷34レ  下関 1979.8.15
製造年月日:S33.3.15
製造:三菱電機・新三菱重工
廃車:S59.3.12〔浜松〕
ef5853-EF58159 EF58159[浜]+EF58139[宮]の重連での機回し作業。これから荷35レに連結するところだそうです。
「荷35レ、重連での入れ換え風景です。」(EF5853さん)
撮影:EF5853さん  荷35レ  品川 1978.9.15
yamaguchi-EF58159 山口さん撮影の原形小窓時代の同機です。スピード感たっぷりの作品はさすがですね。
撮影:山口正洋さん (75茶屋)   清水 1970.1
karashima-EF58159 「浜松のカマは、もう特徴のないものばかりになっていましたが、言い換えれば、宮原ガマのように『あたり・はずれ』がないとも言えるかもしれませんね。何れにせよ、当時はもう『あたり・はずれ』を言える時期ではありませんでしたが・・・。」(辛子真緑さん)
撮影:辛子真緑さん  荷34レ 大阪 1984.1
ef5852-ef58159 「この当時は各地で12系、14系ベースの個性豊かなジョイフルトレインの落成ラッシュでした。159号機の後ろの旧客ベースのお座敷(どこの所属か不明)は最後の力走だったのでしょうか?」(EF5852さん)
この客車についてゴハチ信者さんより解説を頂きました。
「この客車は、お座敷に相違なければ長野の81系です。「鉄道ファン」1983年10月号P.119によりますと、この年の8月5日が最終運用となっていますので、最後の力走に近づきつつある頃の作品です。」
撮影:EF5852さん  藤枝―島田 1983.6.19
大宮工場を出場したばかりの同機。これから浜松まで回送されるところでしょうか。ピカピカの車体に比べ、錆びたヒゲが少々もの感じです。
撮影:jm1xsjさん   新鶴見機関区 1981.1.16前後
sugi-EF58159 オデコカーブの肩部分が直線的なのが良く分かります。本機の正面左下端に見えるケーブルは、かつての「つばめ」「はと」牽引時代に取り付けられた列車電話用の物で、最後まで栓受けが残った機は結構多いのですが、ケーブルまで残っていた物は少なく、こんなに長く伸びている物は私は初めて見ました。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  浜松機関区 1976.8.1
 EF58 160〔浜松〕→〔東京〕
EF58160 典型的な浜松区スタイルの160号機。本機は東京区最後の3両のゴハチの1両で、東海道筋で最後まで残ったゴハチの1両でもありました。
荷38レ  早川―根府川 1980.8
製造年月日:S33.3.27
製造:三菱電機・新三菱重工
廃車:S61.2.10〔新鶴見〕
TK89-EF58160 こちらはTK89さん撮影の160号機です。SGのスチームを身にまとった姿が懐かしいですね。後ろはシナ座だそうです。(これ又懐かしい…^^;)
撮影:TK89さん  田町 1985.2.17
k3hensei-EF58160 掲示板でもお馴染みのK3編成さん撮影の160号機。東京区時代の姿ですね。
撮影:K3編成さん  品川 1985?
To198403-EF58160 「東京時代の160です。「みずほ」がなくなるなど、夢にも思わなかった当時、当
然160を優先してシャッターを押しました。「みずほ」がなくなることがわかっていればもう少し早くシャッターをきってもよかったのですが(^^;)160・シナ座・「みずほ」…今となってはどれも存在しません(;_;)」(To198403さん)
撮影:To198403さん  保土ヶ谷―戸塚 1984.3
murakichi-EF58160 天高くSG安全弁からスチームを吐く160号機。絵になりますねぇ…。(*^_^*)
「品川駅で出発を待つ160号機。冬のシナ座と言えばSG。期待通りの結果でした。」(Murakichiさん)
撮影:Murakichiさん  品川 1984.12.12
DAYTONA-ef58160 「踊り子」の先頭に立ち、東海道本線を行く晴れ姿。最晩年を東京区で過ごした同機は幸せな1両と言えるでしょう。
撮影:DAYTONAさん  保土ヶ谷―東戸塚 撮影年月日不明
karashima-EF58160 「浜松時代末期の、160号機です。 ツリー掲示板で話題?の、鉄道ファン・275号の発売前だったので、まさか彼 (彼女?)が東京区生き残り組になるとは、思ってもみませんでした。今となっては実現不可能?な、SG安全弁が吹いている写真です。」(辛子真緑さん)
撮影:辛子真緑さん  荷2030レ  塚本  1984.1
yoneyama-EF58160 原形小窓、原形ワイパー時代の160号機と181系特急「しおじ」の並びです。思わず原形スカート、運転席ヘッドライト付き、ひげ無しのクロ181(クロハ?)に目が行ってしまいますが、原形小窓の160号機も美しい。
撮影:YUJIさん  大阪  1973?
「定番の運転所からの連絡線を上がってきてこれから本線に転線し本務につく前の停車中のところです。浜松区の所属ですから、荷物列車の運用に就くところだと思います。」(EF5831さん)
夜行列車の窓からふと目を上げると構内灯に照らされた青い長い車体の姿。深夜の駅の構内に佇む青いゴハチの姿は印象的でした。そんな記憶が甦ります。
撮影:EF5831さん  下関 1979.6頃
sugi-EF58159 車体側面の筋状の汚れ(色褪せ?)はSGへの給水中などに満タンになった水が屋根上の水タンク点検ハッチから溢れ出しますが、それが繰り返されてこのような筋状の汚れになるのかと思われます。 ハードな運用だった浜松区のゴハチで良く見られた印象があります。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  荷2032レ?  住吉―摂津本山 1980.5
sugi-EF58159 本機は浜松の160台のゴハチでは唯一ヘッドマーク取付座を有していました。それだけで同じ様な姿の浜松カマの中で格好良く見えるから不思議です。かつて特急を牽引したというイメージからでしょうか。奇しくも「踊り子」牽引で再び特急列車の先頭に立つ事になるとは、カマの生涯も人生同様何があるか分かりませんね。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  上り荷レ  住吉―摂津本山 1980.5頃
torisugari-EF58160 1985年に開催された「科学万博つくば '85」の宣伝で12系改造の「サイエンストレインエキスポ号」が各地で展示されました。これは160号機による回送シーン。
「保土ヶ谷駅では2月23日、24日の二日間展示がありました。23日は160号機、24日は61号機が牽引にあたっています。」(通りすがりの国鉄ファンさん)
撮影:通りすがりの国鉄ファンさん   回9844レ  横浜―保土ヶ谷 1985.2.23
Vol.21に続く

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