ELECTRIC LOCOMOTIVE EF58  Vol.19
EF58 138〜145

Last Update 2023.12.1

Index EF58138 EF58139 EF58140 EF58141 EF58142 EF58143 EF58144 EF58145

 第12次増備車(138〜145・149〜172号機) その1

昭和33年2月から4月に姫路・宇都宮電化用として登場したグループ。形態的には前グループに引き続いてワイパーの腕折り型への移行(149・150・161号機を除く)と、前面窓、及び側面中央窓のHゴム支持への仕様変更が特徴です。Hゴム支持で落成したのは156・164〜166・169〜172号機。

※印…主な特徴です。画像をクリックすると大きなものが表示されます。

 EF58 138〔宮原〕
6348-EF58138 原型の腕折れ型のKW3Dを装備した138号機。この腕折れワイパーは同時期の国鉄機関車に多く採用されていました。(ED60、ED61、DF50など)
この形態が各窓がHゴム支持される前のもっとも完成された姿でしょうか。

※原形小窓 原形ワイパー(腕折れ型)
撮影:6348レさん  「銀河51号」  早川 1979
製造年月日:S33.2.22
製造:日立製作所
廃車:S60.7.2〔下関(転)〕
kk0630-EF58138 同機は晩年、シールドビーム2灯化されましたが、原型小窓、原型ワイパー姿は変わらず残されていました。

※原形小窓 原型ワイパー(腕折れ型) RSB2灯
撮影:kk0630さん  朝霧―舞子 1984.2
mamupi-EF58138 まむぴさん撮影の138号機。既に運用を外れた後なので、撮影会での姿でしょうか。
撮影:まむぴさん  米原機関区 1984.7
ef5852-ef58138 「東海道、山陽本線最後の冬を迎えたゴハチ牽引荷物列車を追って雪中走行シーンを撮影するために関が原まで出張しました。」(EF5852さん)
撮影:EF5852さん  荷36レ  関ヶ原―垂井 1984.3.22
H-yamaguchi-ef58138 50系甲種回送の先頭に立つ138号機。前燈はまだ原形です。
撮影:山口裕志さん  8107レ 東京 1982.1.23
H-yamaguchi-ef58138b 前燈原形時代の美しい姿。パンタを上げ、これから出区するところでしょうか。
撮影:山口裕志さん  東京機関区 1981.3.18
c11204-ef58138+ef5860 次位に浜松区のエース60号機を従えて、夕闇迫る根府川を渡る138号機。夕陽に赤く染まった姿が美しいです。
撮影:C11204さん  荷35レ  根府川―真鶴 1977.5
fj62g-ef58138and101 下関集中配置による転属間近の138号機と101号機。138号機は2月1日、101号機は1月31日付けで下関運転所配置となっています。
撮影:FJ62Gさん  宮原機関区 1984.1.16
fj62g-ef58138 米原機関区撮影会に展示された姿で1エンド側です。同機は新製配置から下関転属まで一貫して宮原区に所属した宮原生え抜きの一両です。
撮影:FJ62Gさん    米原機関区 1985.4.28〜4.29
EF58138 ブタ鼻改造前の美しい姿はやはり精悍ですね。 青色の直流標準色のゴハチと12系客車の組み合わせが良く似合います。こちらは2エンド側。
「このころ(1979年秋)になると、関西ブルトレ(あかつき、彗星、明星)、14系急行(阿蘇・くにさき・雲仙・西海)はEF651000番台になり、広島担当の荷物列車はEF61になってしまい、EF58をキャッチしにくい状況になって来ました。とはいえ、今までゴンパチばっかりだったので、EF65はそれなりに新鮮に感じたのを憶えています。」(針葉樹林鉄道研究会の杉さん)
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  8203レ  摂津本山―住吉 1979.10.9
EF58138 こちらもシールドビーム2灯化前の美しい姿。こちらは1エンド側です。日立ならではの角ばった車体が分かりやすいです。後ろに連なる10系寝台、スハ44系、スロなどの客車群が東海道、 山陽夜行急行全盛時代を偲ばせます。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  1208レ「日南3号」  摂津本山―芦屋 1974.12.22
taki10450-EF58138 こちらもシールドビーム改造前の姿で2エンド側です。日立製の特徴の角ばったオデコの具合が分かります。前面窓周りの平らな面が東芝や川崎製に比べると広くなっています。
「牽引している客車がさっぱり見えないのですが、記録によると丹後ビーチ1号となっています。」(タキ10450さん)
撮影:タキ10450さん(『タキ10450』の国鉄時代の記録)  「丹後ビーチ1号」  大阪 1981.8.9
 EF58 139〔竜華〕
morita-EF58139 紀勢線で最後の活躍をする139号機。紀勢線のEF58はEF15と共に前灯のシールドビーム化が積極的に行われていました。同機もその例に漏れませんが前面窓は原型小窓でワイパーは原型のKW3D腕折れ型のままです。ただし、標識灯は更新改造機と同様の外蓋式になっています。

※原形小窓 原形ワイパー(腕折れ型) P形 シールドビーム2灯 外蓋式標識灯
撮影:森田さん  那智―紀伊天満 1983.4
製造年月日:S33.2.25
製造:日立製作所
廃車:S61.3.31〔竜華〕
ef5853-EF58139 荷35レの先頭に立つ宮原時代の139号機と米原区のEF65534。139号機の改造前の美しい姿が印象的です。
「このように米原のFとの並びが撮れました。(今の方は58より65F?)」(EF5853さん)
撮影:EF5853さん  荷35レ 品川 1978.9.15
kk0630-EF58139 kk0630さん撮影の139号機。一見、更新改造機のようですが、前面窓は原形で側扉は原形の鉄製です。外蓋式の標識灯に原型小窓原型ワイパーが面白いです。
撮影:kk0630さん  紀伊田辺(OISHIさんご指摘ありがとうございます。) 1985.3.11
timebokan-ef58139 「この日はゴハチパニック!まず、黒江ー紀三井寺で121レのEF5866を迎えたあとすぐに移動して海南ー冷水浦でEF58170の上り「きのくに」、つづいて126レで戻ってくるEF5866を撮影し、すぐさままた黒江ー紀三井寺まで移動、EF58147の下り「きのくに」を撮ると10分くらいでこのEF58139の(「サロンカーなにわ」ならぬ)「サロンカーきのくに」がやってきました。電車に飛び乗り、撮影地までダッシュ!〜根性ありましたねー。」(タイム母艦さん)
撮影:タイム母艦さん  9113レ  黒江―紀三井寺 1985.11.3
waki33-EF58139 宮原区時代の前燈、標識燈改造前の姿が精悍です。
「駅で見た列車の編成をノートに記録していましたが、この列車はすぐに発車したのか、何の記録もありません。43系客車が旅情を呼びます。」(ワキ33さん)
撮影:ワキ33さん  大阪 1974年
ohno-ef58139 「多くの方がご存知の品川駅横須賀線ホームです。隣の東海道線ホームでよくうどんを食べました。(おかか・わかめ・揚げ玉・ねぎ入れ放題でよく鉄っちゃんがたむろしてました。)」(ohnoさん)
今でも有名な「常磐軒」ですね。確かにお腹が減ったときの腹ごしらえにはあれが一番でした。(私はそば派でしたが…)ちなみに今でも上記のサービスは健在です。
撮影:ohnoさん  荷35レ 品川 1977.1.16
hokkyoku-ef58139 臨時「きのくに」を牽く姿でしょうか?それにしても上の2枚と比べるとその表情の違いが明白です。普通の原形小窓機だった頃に比べて何とも個性的。模型でバリエーションを増やすには恰好でしょうか。
撮影:北極ぐま閣下さん    百舌鳥―上野芝  1985
ef5831-ef58139 臨時「銀河」を牽引して終着大阪駅に滑り込む同機。これも改造前の姿です。P形改造は竜華に転属してからになります。
撮影:EF5831さん  「銀河51号」  大阪  1976年夏
fj62g-ef58139 竜華機関区にて姉妹機EF15(184号機)と憩う。原形小窓と原形ワイパーに豚鼻ライト、外蓋式標識燈がある意味絶妙なバランスです。
撮影:FJ62Gさん    竜華機関区 1985.8.4
EF58139 宮原時代のスッキリとした姿の同機が牽く臨時「あかつき」。青色の直流標準色姿のゴハチと新系列客車の組み合わせは良く似合っていると思います。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  8046レ「あかつき51号」  住吉―摂津本山 1975.4.29
 EF58 140〔宮原〕
EF58140 銀河 原形小窓に腕折れ式のKW3Dワイパーを装備の140号機牽引の「銀河」回送。上り「はやぶさ」とすれ違う。

※原形小窓 原形ワイパー(腕折れ式)
回104レ「銀河」回送  田町 1980.4.26
製造年月日:S33.3.1
製造:日立製作所
廃車:S59.3.30〔宮原〕
EF58140 銀河 20系「銀河」を牽き東京駅に到着した140号機。この後、神田方に引き上げて機回しを行い、折り返して上の回送シーンになります。機関士側の腕折り式ワイパーが窓の外に飛び出しちゃってますね。
104レ「銀河」  東京 1980.4.26
EF58140 茶色いマニで組成された荷32レを牽き横浜に到着する140号機。上屋の影が思いっきり当たっていてひどい写真ですが、茶色いマニと屋根上からほのかに漂うSGの蒸気が良い感じだったので当時の当たり前の情景の紹介と言う事で。可動式雪かき器のロッドがこの時はまだ取り付けられています。
荷32レ  横浜 1977.3.26
EF58140 上と同じ列車です。これも懐かしい155系の下り「東海2号」と顔を並べる140号機。この写真も少々手ブレしてますね。腕折り式のKW3D装備機はワイパーの存在感が希薄で前面窓回りがとてもスッキリしています。ゴハチに限らずワイパーが前面の印象に与える影響は大きいですね。
荷32レ  横浜 1977.3.26
kk0630-EF58140 ところで、ゴハチのおでこのRの取り方はメーカーによって微妙に異なっていて、日立製の本機は角張った印象です。
撮影:kk0630さん  京都 1982.7.25
kk0630-EF58140b 「廃車寸前にもぐりこみました」(kk0630さん)
既に区名札・銘板を外されており解体を待つ姿でしょうか…。

撮影:kk0630さん  鷹取工場 1984.3頃
ef5852-ef58140 「KW3D形(腕折形)ワイパ―が左右いっぱいに開いた状態で走行する140号機です。乗務員の前方視界確保という意味ではこのワイパ―装着機がいちばん優れていたのでは?」(EF5852さん)
撮影:EF5852さん  荷2033レ  焼津―藤枝 1983.5

sugi-ef58140
14系「あかつき・明星」の先頭に立つ140号機。せっかくのブルトレなのにヘッドマークが無いのはやはり残念です。昭和50年当時はポストSLで雑誌等でしきりにブルトレ特集を組んで新たなファン層の開拓に力を入れてました。その甲斐あってその後見事に小中学生を中心にブルトレブームが巻き起こる訳ですが、私もまんまと乗せられた一人です。(^_^;) ファン誌では14系や24系はニューブルートレインなんて呼んで啓蒙してましたね。でも、私は20系が好きでした。
「雨上がりの早朝で、シャッター速度1/500、絞り全開です。」(針葉樹林鉄道研究会の杉さん)
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  44レ「あかつき2号・明星3号」  住吉―摂津本山 1975.8.18
sugi-ef58140 向日町運転所で次の仕業に向けて待機中。こちらは2エンド側です。仕業札挿には2〜8の仕業番号札が挿されています。腕折りワイパー独特のスッキリした前面窓周りが印象的です。日立製EF58の特徴でもある角ばったオデコ周りが良く分かりますね。可動式雪かき器のロッドの姿も確認できます。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん    向日町運転所 1976.3.18
bin-EF58140 20系「銀河」を牽き横浜駅に進入する。転属回送なのか機関車次位とナハネフ22の間にナハネ20が挟まっています。
撮影:BINさん  104レ「銀河」  横浜 1977.11.12

bin-EF58140
上の写真の続きで横浜駅7番線に停車中の「銀河」が後続のEF65505が牽く「あさかぜ2号」を退避するシーンです。この光景が見られたのは九州ブルトレ牽引機がEF66に変更されるまででしょうか?
それにしても、終点東京まで後わずかの所でわざわざ急行を追い抜くところに、当時の特急の格の高さが感じられます。65Pの脇に見える「ノザキのコンビーフ」の琺瑯看板も懐かしいです。
撮影:BINさん  104レ「銀河」、10レ「あさかぜ2号」  横浜 1977.11.12
bin-EF58140 「あさかぜ」を見送り終点東京めざし発車を待つ140号機。本機は日立製なのでおでこ部分の側面が運転席側窓に沿って直線的になっています。また、前面窓周りの平らな面も広い為、全体に角張った印象です。
ちなみにこの時点の「銀河」の横浜着は9時1分で発車は9時7分です。ラッシュのピークは過ぎたとは言えこの時間帯の東海道線上りホームが6分間に亘り優等列車に占有されていたんですから、通勤客からすれば迷惑な事だったでしょうね。
撮影:BINさん  104レ「銀河」  横浜 1977.11.12
 EF58 141〔宇都宮(転)〕→〔田端(転)〕
EF58141 14系座席車の臨時「あけぼの」を牽き黎明の上野に到着する141号機。個人的に宇都宮のゴハチはくたびれたカマが多かった印象があるのですが、浜松ガマの様に走行距離が多い訳でもなく、しかも水を使用しない電暖機なのに何故かちょっと不思議でした。

※電暖 電暖表示灯新
9002レ「あけぼの52号」  上野 1979.8.17
製造年月日:S33.3.6
製造:日立製作所
廃車:S61.6.30〔田端(転)〕
EF58141 同じく臨時「あけぼの」の推進回送待ちです。
上の140号機と同一の仕様で生まれた本機ですが、前面窓のHゴム支持化、及び機関士側ワイパーのWP50型化による水切りの上昇で顔つきは随分変化しています。ゴハチの前面窓周りがいかに外観に影響するか良く分かります。この段階ではパンタのスリ板が鉄製です。
9002レ「あけぼの52号」  上野 1979.8.17
totsukaku-EF58141 電暖、Hゴム、WP50ワイパー姿は晩年の宇都宮運転所EF58の典型的スタイルと言えましょう。

撮影:戸塚区友の会−会員−さん  品川 撮影年月日不明
ef5852-EF58141 「141号機は、形態的には晩年の宇都宮区の標準的なカマでしたが、昭和33年3月6日落成ということで 私の誕生日と同じであるため個人的には親近感がありました。 この時期の大宮工場整備車は、側面のナンバープレートが白ペンキで塗られているものが多数見受けられました。」(EF5852さん)

撮影:EF5852さん  浦和―赤羽 1984.11
宇都宮運転所に憩う141号機。他の仲間が次々と運用を離れるなか、89,122号機と共に宇都宮最後の現役機として活躍した頃です。この時点で書類上は田端区に転属しています。同機が廃車になった日付ですが、長らく不明でしたが「鉄道ファン 86年12月号」の記述から1986年6月30日だそうです。(ゴハチ信者さん、ありがとうございます。)
撮影:FJ62Gさん    宇都宮運転所 1985.3.21
「当時東大宮の広々としたヤードに東北・上越・信越・常磐各方面から夜を徹して上ってきた列車たちが一同に集い、その牽引機も側線に休みその日の下り運用まで暫し羽を休めていました。山陽系統のゴハチを見慣れていた私にとって、やはり電暖の耳(?)やデフロスタで武装した北のゴハチは新鮮でした。願わくばパンタが上がっていたら・・・と。」(EF5831さん)
撮影:EF5831さん    東大宮操車場 1981.5
大宮工場解体線脇でチキに載せられたゴハチの首。ロクイチさんがニューシャトル車内から撮影した物だそうです。気になるナンバーですが、この写真だけでは何とも分かりませんが、下の写真を撮影したFJ62Gさんによると右側が141号で左側が154号との事です。
撮影:ロクイチさん(Turn Table)    大宮工場 1987夏
同じくチキに載せられたゴハチのカットボディです。こちらの方が1年ほど前に撮影された物です。右の141号機は前面ガラス、ワイパーや側扉も無く、かなり状態が悪いことが伺えます。そのためかどこにも引き取り手が無かったのかもしれません。
ちなみに後ろの154号機は現在大宮工場入り口にいるやつでしょうか。

撮影:FJ62Gさん    大宮工場 1986.7.24
EF58141 14系座席車12連の臨時「明星」の先頭に立つ宮原区時代の同機です。原形小窓、原形ワイパー、電暖改造前のスッキリとした姿が印象的です。それにしても簡易リクライニングシートの14系座では寝心地は悪かったでしょうね。
「夜行列車ですが、オール座席、しかも特急。ちゃんと寝れるのかしらと余計な心配をしたものです。」(針葉樹林鉄道研究会の杉さん)
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  6030レ「明星5号」  住吉―摂津本山 1975.3.16
 EF58 142〔浜松→下関(転)〕
kk0630-EF58142 古巣の浜松区から下関運転所に配置され、荷物列車牽引で最後の活躍をする142号機です。典型的な浜松スタイルで、ワイパーは機関士側WP50、助士側WP35です。
撮影:kk0630さん  荷2031レ  朝霧―舞子 1984.3.23
製造年月日:S33.3.8
製造:日立製作所
廃車:S59.11.30〔下関(転)〕 
EF58142 寝台特急「出雲2号・紀伊」を牽き早朝の大森付近を行く浜松区時代の142号機。原形小窓、原形腕折りワイパー姿の頃です。夜明け前と言った感じで、ひどい写真ですね。(^_^;)
2004レ「出雲2号・紀伊」  大井町―大森 1979.11.4
kumoyuni143-EF58142 たなびくSGは冬季のゴハチ牽引列車の風物詩でした。
撮影:クモユニ143さん  荷32レ  富士 1981?
ohno-ef58142 名物列車、荷35レの先頭に立つ。
撮影:ohnoさん  荷35レ 鶴見 1977.7.17
fj62g-ef58142 下関集中配置後、使命を終えて静かに解体を待つ142号機。2両の機関車には新旧、用途の違いはあれど、幹線輸送を担う誇りのようなものさえ感じられます。くたびれて車輪も錆び付いた142号機にピカピカのEF6570がまるで「後は任せてくれ。」とでも言っていそうです。
撮影:FJ62Gさん  岡山機関区 1984.8.20
「この団臨を撮影した前後に142号機単回のコマがありました。 当時の沼津客車区にはヌマ座と14系座席車が配置されており浜松区のEF58が運用に充当される際の典型的パタ−ンでした。。」 (EF5852さん)
撮影:EF5852さん    藤枝―焼津  1983.7.31
f-ichiro-ef58142 小桜マークも誇らしげに「さくら」を牽き辻堂を通過する特急牽引機時代の142号機。標識燈に折り畳み式赤円板が確認できます。駅向かいの電気屋さんなど、昭和30年代の情景も良い感じです。ホームには白線すら見当たりませんね。
「東京発長崎行第1列車。ホームの砂塵を巻き上げて通過して行きました。電源車のパンタも見えています。」(Fのイチロさん)

撮影:Fのイチローさん  1レ「さくら」  辻堂 1961.4
EF58142 原形小窓、原形ワイパー時代の同機です。腕折れワイパー独特のスッキリした窓が印象的です。この腕折れワイパー、同時期製造の国鉄機関車に多数採用されました。視界の確保という面ではメリットはあったのでしょうが、結局定着しませんでした。オデコ部分の角ばった日立機の特徴が強調されるアングル。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん   荷2031レ  摂津本山―住吉 1980.1.11
 EF58 143〔宮原〕
EF58143 原形小窓に腕折れ型ワイパー装備。変わっているのは通常、可動式雪かき器取付座に付いている誘導踏段が前端バリの側面に取り付けられている点でした。(上越形の階段状の誘導踏段とは別形状) これは、最後まで可動式雪かき器を装備していた88、124号機と同様、冬季の雪かき器取付に支障しないように143〜145号機に対して昭和36〜37年に鷹取工場で施工されたものです。後ろの客車は宮原の81系お座敷(ミハ座)。
大井町 1981年初夏?
製造年月日:S33.3.14
製造:日立製作所
廃車:S59.3.30〔宮原〕
EF58143 米原機関区にて一休み中の143号機。前端バリ側面に取り付けられた誘導踏み段は、88号機や124号機とは事なり、スペーサーを介さず直接前端バリに取り付けられています。

※原形小窓 原形ワイパー(腕折れ式) 誘導踏段前端バリ取付
米原機関区 1980.8
EF5852-EF58143 「ミハ座を牽引する宮原区の143号機です。晩年には同区の101,138号機と共にヘッドライトがシールドビーム2灯化されました。スノウプロウ取付座が付いているのに前端梁にステップが取り付けられた変形機でした。」(EF5852さん)

撮影:EF5852さん  藤枝―島田 1982.11.19
Tc153-501-EF58143 「私が荷2033を狙う場所はほとんど決まっておりました。写真にある平塚駅、国府津、そして形式写真は小田原駅での撮影でした。これらはほとんど高校からの帰宅途中に撮ったもので(おもに土曜日)、学生服を嫌らい、わざわざジャンパーを持参して撮影しておりました。もともと大好きだった153系廃止をきっかけに撮影をはじめたのですが、いつの間にやら「ゴハチ」にはまっておりました。・・・書籍「EF58ものがたり」「ブリリアントEF58」を購読したせいもありますが・・・「下校途中にちょっと撮影!」、今にして思えば、なんとも贅沢な時代でした。」(Tc153−501さん)

撮影:Tc153−501さん  荷2033レ  国府津付近 1981年?
H-yamaguchi-ef58143 東戸塚付近のトンネルを行く。原形前燈時代の末期でしょうか。
撮影:山口裕志さん  荷2033レ  横浜羽沢―東戸塚 1981.10.20
fj62g-ef58143 戦前派の大先輩、EF59を横目に瀬野を発車する143号機牽引の荷物列車。瀬野の機関区も無くなってしまい、ここは今、どうなっているんでしょう?
撮影:FJ62Gさん  荷30レ  瀬野 1983.4.3
shizuhata-ef58143 155系「ひので」とすれ違うブルトレ塗装の143号機牽引「あさかぜ」。電車に昼行列車の主役を奪われたとは言え、新幹線開業前のまだまだEF58黄金時代の姿です。
撮影:しずはたさん   4レ「あさかぜ」  大船―戸塚 1963.10
yamamoto-EF58143 京都駅構内に佇む143号機。前端バリの右側にかつてのブルトレ牽引機の名残のKE59ジャンパ連結器が確認できます。
撮影:山本敏夫さん  京都 1971年頃
taki10450-EF58143 シールドビーム2灯化後の姿で2エンド側です。日立製の角ばったオデコの具合が分かります。
「京都駅の端っこで単機で停車中でした。」(タキ10450さん)
撮影:タキ10450さん(『タキ10450』の国鉄時代の記録)  京都 1982年
 EF58 144〔宇都宮(転)〕
EF58144 下り「津軽」の先頭に立つ144号機。前面窓のデフロスタが印象的です。本機も143号機と同様、誘導踏み段が前端バリ側面に取り付けられていましたが、「EF58ものがたり」によると昭和50年に標準の可動式雪かき器取付座への取付に戻されています。こちらは2エンド側。

※電暖 電暖表示灯新
401レ「津軽1号」  上野 1980.9.23
製造年月日:S33.3.20
製造:日立製作所
廃車:S59.8.24
現在、栃木県那須郡那須町「レストラン蒸気機関車」にて前頭部のみ保存
EF58144 上り「津軽」を牽き今は無き上野駅19番ホーム(新幹線ホームはありますが)に到着した144号機。前面窓にデフロスタはまだ設置されていません。ワイパーは左右ともWP50ですが、グリップエンドの長さの違いで取付位置が異なっています。前面ステップはヘッドマーク取付座下部が抵触する部分を避けて取り付けられています。
402レ「津軽2号」  上野 1979.8.17.
kk0630-EF58144 車輪の踏面の錆び具合から見て、既に運用を外れた後のようです。そう思うと何となく物寂しげな印象です。

撮影:kk0630さん  宇都宮運転所 1983.3.24
Hiramatsu-EF58144 大宮工場独自の屋根の黒色塗装が良く分かるアングルです。隣の恵比寿ビールの引き込み線も今となっては想像できないですね。
「恵比寿付近をゆく144号機ですが、横のエビスビールの看板は時代を感じさせます。 また、白Hゴム時代のもあったんです。」(S.Hiramatsuさん)

撮影:S.HiramatsuさんPassenger Cars Room  恵比寿―五反田 
packman-EF58144 「荷34です。運転室をまじまじ覗いていたら運ちゃんが「ぼーず、 早く前へ行け」と言って一瞬だけ前照灯をつけてくれました。 」(パックマンさん)

撮影:パックマンさん  宇都宮 1982年
荷物車、ロザ、ロネ、ハネ、ハザを連ねた一般形客車編成はやはり重厚。急行列車としての威厳を感じさせます。
「蓮田駅を少し下った踏み切り傍のアパートの2階通路から上りの404レ津軽2号だと思います。宮原のゴハチと違いHゴムが黒でまだ目立たないのが救われます。」(EF5831さん)
撮影:EF5831さん   404レ「津軽2号」  蓮田―東大宮 1978.8.10
宮原区時代の144号機。原形小窓に腕折れワイパー、誘導踏段前端バリ取り付けと143号機とほぼ同じ姿。こちらは1エンド側。
「76年の春の日に銀河を牽いて横浜に入線するところです。この画像では誘導踏み段が前端バリ側面についてますね。これも変遷の一コマということで。ところがです。HPの144の説明に”誘導踏み段が前端バリ側面に取り付けられていましたが、昭和50年に標準型に戻されています”とあります。76年は昭和51年。あれれ。正直、私の記録と記憶を証明するものがないので不安が。」(6348レさん)
ちなみに「EF58ものがたり」では「昭和50年に鷹取工場で標準形に再交換された…」との記述がありますが、「銀河」の20系化が1976年2月ですからそれが間違っている可能性が高いですね。昭和51年の誤記としても同機が宇都宮に転ずるのが同年10月ですからこの写真撮影後数ヶ月の間に交換されたんでしょうか…。
撮影:6348レさん  104レ「銀河」  横浜 1976春
こちらは宇都宮転属後の144号機。原形小窓に腕折れワイパーですが、EG化され誘導踏段は既に雪かき器台座取付に変更されています。
ちなみに同機の電気暖房改造が昭和52年5月25日〜7月1日の大宮臨検なので、この写真はそれ以降の可能性が高そうです。

撮影:6348レさん   上野 1976.8(1977.8?)
yamamoto-EF58144 臨時の急行「ゆのくに」を牽き京都駅構内に停車中の同機の1エンド側。宮原区の原形小窓時代で、この時点では前端バリ側面にブルトレ牽引機時代のKE59ジャンパ連結器が確認できます。前端バリへの取付方法やケーブルの取り回し具合も分かります。
撮影:山本敏夫さん  臨時急行「ゆのくに」  京都 1973年頃
yamamoto-EF58144 同じく臨時急行「ゆのくに」を牽く同機の2エンド側。実はこの2枚の写真のゴハチの番号は不明でしたが、宮原所属、前端バリ取付の誘導踏段、KE59ジャンパ連結器から144号機か145号機のどちらかに絞り込み、さらに側面のビニロックフィルタの形状を見ると両機で中央2列の段数が異なっていた為144号機と特定できました。こんな事が可能なのがゴハチの面白いところです。
撮影:山本敏夫さん  臨時急行「ゆのくに」  京都 1973年頃
bin-EF58144 荷1032レを牽き品鶴線を行く姿でこちらは1エンド側です。 茶色のマニを連ねた編成が渋いですね。
撮影:BINさん  荷1032レ  品川―新鶴見 1979.2.4
117KM-EF58144
10系ハネを連ねた綺麗な編成の団臨を牽く原形小窓、原形の腕折式のKW3Dワイパー時代の姿でこちらは2エンド側です。誘導踏段も当然ですが前端バリ側面取付です。前端バリの右端にブルトレ牽引機時代に取り付けられたKE59ジャンパ連結器の取付座のみが残っています。
撮影:117KMさん  上り団臨  三島―函南 1974年頃
 EF58 145〔宇都宮(転)〕

EF58145
上の141、144号機と同様、新製配置は宮原区だった宇都宮の145号機。こちらは2エンド側です。昭和52年(1977年)に宇都宮に移り東北筋で活躍しました。もともと姫路・宇都宮電化用として製造されたので、充分にその使命を全うしたと言えましょう。後ろはかつての同僚、宮原区の128号機。なお、本機の誘導踏み段は前端バリ取り付けですが、昭和58年(1983年)に標準の可動式雪かき器取付座への取り付けに戻されています。正面ヘッドマーク取付座の下の2つのボルトは御召牽引時の旗竿を取り付ける台座用の物と思われ、記録には残っていませんがお召予備機に指定された事があると思われます。

※電暖 電暖表示灯新 誘導踏段前端バリ取付(後に標準化)
単2033レ  品川 1981年初夏?
製造年月日:S33.3.25
製造:日立製作所
廃車:S60.4.15〔田端〕
EF58145 昼間の山手貨物線のプレゼント、荷2634レを牽く145号機。これは1エンド側で2エンド側に見られたヘッドマーク取付座下の2つのボルトは見えません。
正直、宇都宮区に多かった準寒地形とも言えるデフロスタにHゴム、電暖改造スタイルはあまり好きではありませんでしたが、これにつらら切りが付くだけで俄然格好よく見えるのがゴハチの面白いところでしょうか。(^_^;)>
荷2634レ  原宿―渋谷 1980.8
ef5853-EF58145 原形小窓、原形ワイパー時代の145号機。 
「宮原から宇都宮へ転属したばかりでまだSGのままのもの。原型小窓はやっぱり美しいと思います。」
撮影:EF5853さん  回9124レ 黒磯 1978.8.1
packman-EF58145 誘導踏み段の取付位置が前端バリから標準的な可動式雪かき器取付台座に移された後の姿です。こちらは1エンド側。

撮影:パックマンさん  102レ「八甲田」  宝積寺―岡本 1983年
ef5852-EF58145 こちらも1エンド側です。
「荷物列車を牽引する晩年の145号機です。同機は、スノープロウ取付座装着済で主台車前端梁にステップが付いた変形機として有名でしたが、晩年は、廃車部品を流用してスノープロウ取付座にステップの付いた標準型に形態統一されたようです。」(EF5852さん)

撮影:EF5852さん  浦和―赤羽 1984.7
fj62g-ef58145a 区名札も外され他の仲間と連なって宇都宮運転所に留置される同機。
撮影:FJ62Gさん    宇都宮運転所 1985.3.21
fj62g-ef58145b 車輪の踏面も赤錆び何とも寂しい姿。後ろは同じく留置中の151,154号機。 今でも車齢40年近くの国鉄電機が活躍している事を思うと、誕生から27年で廃車は可哀相に感じます。これも急客機ゆえの運命と言えましょう。 この2エンド側正面ヘッドマーク取付座の下に61号機同様の2つのボルトが見られます。
撮影:FJ62Gさん    宇都宮運転所 1985.3.21
sugi-ef58145 10系寝台と44系時代の「銀河」を牽き大阪到着の宮原時代の姿です。当然の事ながら原形小窓、原形ワイパー、誘導踏段前端バリ取付の姿です。こちらも2エンドで正面の2つのボルトがやはり確認できます。
「この日はゴールデンウィークの初日で、天王寺へ81系『くろしお』(通称:ぶたしお)を撮りに行くついでに大阪駅で撮った1枚です。 」(針葉樹林鉄道研究会の杉さん)
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  103レ「銀河」  大阪 1975.4.29
sugi-ef58145 同じく針葉樹林鉄道研究会の杉さん撮影の原形小窓、原形ワイパー時代の145号機です。 これも2エンド側。臨時急行とは言え12系6両は国鉄時代にしては短い編成ですね。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  9603レ「但馬53号」  摂津本山―住吉 1975.8.9
sugi-ef58145 雨の向日町運転所に憩う原形小窓、ワイパー時代の同機。製造から18年、まだまだ若々しい姿です。 これも2エンド側です。正面ヘッドマーク取付座の下の2つのボルトが良く見えます。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん   向日町運転所 1976.3.18
sugi-ef58145 14系座席車の臨時「あかつき51号」を牽く原形小窓の145号機。これは1エンド側です。列車の号数が奇数ですが1978年10月改正以前なので上り列車です。153系の新快速姿も懐かしいですね。
「新快速とデッドヒート中です。複々線ならではの光景です。この手のデッドヒートは、ディーゼル82系『はまかぜ』 vs 新快速がよく見られました。速度ではいつも新快速が『勝ち』でした。」(針葉樹林鉄道研究会の杉さん)
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  8046レ「あかつき51号」  住吉―摂津本山 1976.5.5
Vol.20に続く

EF58 Top Page Back Next