ELECTRIC LOCOMOTIVE EF58  Vol.18
EF58 131〜137, 146〜148

Last Update 2024.4.1

Index EF58131 EF58132 EF58133 EF58134 EF58135 EF58136 EF58137 EF58146 EF58147 EF58148

 第11次増備車(131〜137・146〜148号機)

姫路・宇都宮電化用として昭和32年11月から12月にかけて登場したグループ。ワイパーの腕折り型(形式は従来と同じKW3D)への変更の過渡期で131〜133号機がこれを装備して登場しています。パンタグラフは全機がPS15です。
なお、当時国鉄がメーカーへ発注する際にはあらかじめ各メーカーごとに番号を割り振ってからになっており、姫路・宇都宮電化用の第9〜第12次車にはすでに番号割り振りが終わっていました。東芝製の146〜148号機は本来、第12次車となるはずでしたが、訓練運転などで必要な機関車が早めに必要になった為、次回東芝に発注分の3両を急遽このグループに組み込んだものです。その結果、番号が飛んでいます。

※印…主な特徴です。画像をクリックすると大きなものが表示されます。

 EF58 131〔高崎第二〕
EF58131 上越線に残された貴重な昼間の客レ、8702レを牽き終着上野で181系「とき」と顔を並べる131号機。181系と上越形ゴハチは当時の上越線の名コンビ。高崎第二機関区に配属された上越形の一部(120,121,130〜137)には、当時常磐線で使用されていた列車無線のアンテナを前灯と避雷器の間に装備していました。

※上越形 電暖 電暖表示灯旧 常磐線列車無線 ヘッドマーク取付座無し
8702レ「佐渡54号」、2023M「とき23号」  上野 1980.8.1
製造年月日:S32.11.18
製造:日本車輌・富士電機
廃車:S57.6.8〔高崎第二〕
EF58131 上越形の無骨な姿は原形とはまた違った魅力があります。全検前なのか塗装がかなり荒れています。牽引している列車ですが、直前に下り「北陸」を撮っているので下りの「鳥海」もしくは「能登」と思われますが、どちらも13番線発の旧客編成なので特定できません。左隅にチラッと12系の先頭に立つゴハチの姿が見えます。16番線なので臨時の「八甲田」辺りでしょうか?
上野 1979.9.22
ohtani-ef58131 茶色時代の上越形の貴重な姿。まだ、上越線に普通客レが少数残っていた時代だそうです。この時代の上越形の特徴は、つらら切り、汽笛カバー、デフロスタは当然として
  ・通常の小窓よりも小さく四隅にRが付いた「パテ式前面窓」
  ・可動式雪かき器
と言えましょう。雪かき器の固定化前なので、握り棒取付位置の前方延長は行われてません。この写真でも屋根上の常磐線列車無線が確認できますね。また、標識灯の円盤が時代を感じさせます。また、その関係か標識燈掛けが未設置です。
撮影:Ohtaniさん  渋川 1965.5
信越線を単機で軽快に駆け抜ける。

撮影:佐々木さん  荻川―亀田 1980.10
晩年まで残った高崎・信越線普通客レ(上野〜直江津)を牽き高崎に到着。ゴハチはここまでの担当でした。
この2321レ、早朝6:14に上野発、途中特急急行の待避をしながら高崎到着が8:53と今にして思えば実に優雅な列車でした。上野発が早かったのが難でしたが…。(^^;)

撮影:佐々木さん  2321レ  高崎 1980.11
5860-ef58131 上越形ゴハチ重連の先頭に立ち12系客車を牽く…と言っても次位機は前パン下げなのでおそらく無動でしょう。何かのイベント列車との事ですが詳細及び撮影地、年月日も不明だそうです。場所は高崎線・新町〜神保原辺りで上りを撮影したものでしょうか?12系が6両か7両と短いのが国鉄時代にしてはかえって珍しいですね。
撮影:ゴハチロクマルさん   撮影地・撮影年月日不明
 EF58 132〔高崎第二〕
ef5853-EF58132 この132号機のつらら切りはかなり下向きですね。ゴハチのつらら切りは取付角度にも個性がありました。電暖表示灯は旧型。

※上越形 電暖 電暖表示灯旧 常磐線列車無線 ヘッドマーク取付座無し
撮影:EF5853さん  高崎第二機関区 1978.3.11
製造年月日:S32.12.17
製造:日本車輌・富士電機
廃車:S57.8.5(高崎第二〕
EF5852-EF58132 こちらはEF5852さん撮影の同機です。(上のEF5853さんとは別人です。)

「急行鳥海を牽引する上越形の132号機です。正面から見るとつらら切りが下向きであることが確認できます。」(EF5852さん)
撮影:EF5852さん  上り急行「鳥海」  赤羽―尾久 1982.6.13
kawasaki-EF58132 132号機の側面のスローガンが時代を感じさせます。
「スト真っ最中の上野駅9番線。やさしい運転士さんが運転席に招待してくれました。私のはじめて乗った?(座った)58は、132号機です。」(川崎大輔さん)
撮影:川崎大輔さん  上野 1977
ohtani-ef58132 上越路の王者として君臨していた時代の132号機。とは言えこの頃から既に昼間の定期客レは無くなっていました。ワイパーが左右ともまだ原形のKW3D腕折り形です。
撮影:Ohtaniさん  上り臨時急行  渋川 1974 12 31
H-yamaguchi-ef58132a 12系臨客を牽いて山手貨物線を行く。この辺りの情景も今では全く違ってしまってます。
撮影:山口裕志さん  恵比寿 1981.11.17
H-yamaguchi-ef58132b 81系お座敷(シナ座)を牽く。上越形と81系との組み合わせはあまり見る機会は無かったような…?
撮影:山口裕志さん  大宮 1981.9.8
ef5831-ef58132 夏の日射しを浴びて東北本線を行く上越形。周りの情景も古き良き日本の田舎と言った感じで、茶マニ主体の荷物列車にはぴったり。この辺の光景は今も変わらないのでしょうか?
撮影:EF5831さん   荷46レ 蓮田―東大宮 1978.8
shizuhata-ef58132 132号機は高崎第二区に昭和32年12月19日に新製配置後、翌33年3月8日に宇都宮に転属、昭和36年4月に再度高崎第二へ転属しています。上越地区に導入されたEF58には原則として区に回着後つらら切りの取付が行われており、同機の水切りのみの姿は新製からおよそ3年半ほどの期間と思われ、非常に珍しいと思われます。
撮影:しずはたさん    上野―尾久 1960冬
kazu460さんの父君が撮影された132号機。上写真と同様、同機の新製配置直後の貴重な姿です。次位のC62の姿からゴハチ信者さんが以下の考察をされています。「この列車は、1958年4月14日の東北本線大宮〜宇都宮電化開業に伴う乗務員訓練のための電蒸運転だと思います。132号機が高崎第二区から宇都宮区に転属したのが同年3月8日ですので、この作品は 1958.3.8〜1958.4.13の間に撮影されたものと思われます。」

また、前面に標識燈掛けが無い変形機ですが、資料をひっくり返して調べると131、132、133、160、169、170、172号機で同形態が確認できました。サンプル数が少ないので確定はできませんが、いずれも標識燈に折り畳み式赤円板を取り付けた姿なので、おそらくその関係で新製時から未設置、もしくは撤去されたものと思われます。
写真所蔵:kazu460さん    赤羽―川口? 1958.3〜1958.4
 EF58 133〔高崎第二〕
ef5853-EF58133 高崎第二機関区でしばしの休息をとる133号機とEF6222。余談ですが上越型にはヘッドマーク取付座を持たない物が多く(と言うよりほとんど)なっています。これは上越線ではヘッドマークを掲げて特急列車を牽引する機会がなかったためです。もう少し早くヘッドマークが復活していれば「北陸」のヘッドマークを掲げた彼らの姿を見ることができたかと思うと、少し残念です。(関門のEF30にまでマークが付いたことを思うと、EF16にも付いたかも知れませんね。(;_;))
撮影:EF5853さん  高崎第二機関区 1979.3.18
製造年月日:S32.12.25
製造:日本車輌・富士電機
廃車:S58.12.6(高崎第二〕
akira-EF58133 リンクでお世話になっていますakiraさん撮影の大宮駅で発車を待つ133号機。

※上越形 電暖 電暖表示灯旧 常磐線列車無線 ヘッドマーク取付座無し
撮影:akiraさん(AKIRA STATION)  大宮 撮影年月日不明
T.F-EF58133 T.Fさん撮影の急行「鳥海」を牽く同機です。
「この日北陸は露出失敗で番号不明、天の川はナンバーが光ってしまい判読不明、能登は51番でした。鴻巣では夏ならば夜行列車が撮れましたが皆、ブレ、ボケ、露出不足で(腕不足が一番の原因)お見せできる写真が限られているのが悔しい限りです。」(T.Fさん)
撮影:T.FさんくらはやしみのるのB級HP)  鴻巣―吹上 1980.8
ef5852-ef58133 「この当時は、上越型ゴハチ牽引の20系寝台が定期で上野駅に乗り入れていました。しかし、早朝の上野駅到着のため、日照時間の長いこの時期でも、快晴でないと走行写真を撮影するのは難しかったという記憶があります。 当時も高感度フィルムが存在したのですが、粒子が粗くて満足できるレベルではありませんでした‥‥」(EF5852さん)
撮影:EF5852さん  尾久 1982.6.20
ohtani-ef58133 雪をいっぱい付けた上越形はさしずめ雪国からの使者。この姿は冬の風物詩とも言えました。
撮影:Ohtaniさん  8702レ 臨急「信濃川52号」 渋川 1976 12 31
信越線の荷物列車を牽引する。東海道と比べて上信越線の荷物列車はコンパクトな編成でした。この写真の段階ではパンタのスリ板がまだ鉄製です。

撮影:佐々木さん  荻川―亀田 1980.9
mmRelax-ef58133 ぶどう色標準色時代の133号機が牽く急行列車。前面窓は原形小窓の様に見えますが、上越独特の窓の上下サイズが小さくなっているタイプです。窓の下辺が上昇し、同時に下隅に上側と同じくらいのRが付けられているのが特徴です。この写真では上のぶどう色時代の132号機同様、標識燈に折り畳み式赤円板が付いており、車体側に標識灯掛けが存在しません。避雷器は原形のLA12です。
撮影:mmRelaxさん(鉄道写真と切符)   上野 1961年頃
 EF58 134〔高崎第二〕
20系「天の川」を牽いて終着上野を目指す134号機でこちらは1エンド側です。これも撮りづらい列車でした。早朝で雨も降ってる為、TRI-Xで50mmF1.4開放の撮影。

※上越形 電暖 電暖表示灯新 常磐線列車無線 ヘッドマーク取付座無し
802レ「天の川」 鶯谷 1980.9.30
製造年月日:S32.11.15
製造:日立製作所
廃車:S59.1.6〔高崎第二〕
ef5853-EF58134 こちらもEF5853さん撮影の134号機。上越型のゴハチもその活躍が夜行列車中心のうえ、運転区間がそれほど長くないこともあって、早朝、深夜発着が多く写真を撮りづらかったですね。 
撮影:EF5853さん  回804レ「鳥海」 鶯谷 1979.2.11
akira-EF58134 「上野駅で出発を待つ134号機。確か鳥海でなかったかと思います。流れているのは、109号機です。」(AKIRAさん)
こちらは2エンド側です。
撮影:akiraさん(AKIRA STATION)  上野 撮影年月日不明
nijinochichi-EF58134 旧客1両を従えて高崎線を行く134号機でこちらも2エンド側です。
撮影:二児の父さん  川口 1983.11.14
ef5852-ef58134 「上野発、直江津行きの旧客を使用した普通列車を牽引する134号機です。本来、この列車は、高崎二区のEF62仕業なのですが、なぜか毎日高崎二区のEF58が充当されていました。残念ながら上野発が早朝のため順光で撮影できませんでしたから 薄曇になるのを期待するしかありませんでした‥‥」(EF5852さん)
撮影:EF5852さん  尾久―赤羽 1982.6.20
tc153-501-ef58134 「牽引を終えた2321レの横を機回し中の134号機。」(Tc153−501さん)
撮影:Tc153−501さん  高崎 撮影年月日不明
torisugari-EF58134 東北本線の荷物列車を牽き、ヒガハスを行く。こちらは1エンド側です。上越形の精悍な姿は暖地形には無い魅力があります。返す返すも上越形の保存機が1両も無いのは残念でなりません。
撮影:通りすがりの国鉄ファンさん  荷レ  蓮田―東大宮 1982.10
5860-ef58134 20系「天の川」を牽き上野に到着。雪をまとった姿が上越形に良く似合います。 正面から見てもつらら切りの下向き加減が分かります。
撮影:ゴハチロクマルさん   802レ「天の川」  上野 1979
 EF58 135〔高崎第二〕
EF58135 高崎線の普通客車列車を牽く135号機。

※上越形 電暖 電暖表示灯旧 常磐線列車無線 ヘッドマーク取付座無し
2321レ  鶯谷 1980.9.23
製造年月日:S32.11.19
製造:日立製作所
廃車:S57.6.8〔高崎第二〕
EF57135 上越形の特徴あるサイドビュー。それにしても、これは一体どこでしょう?田端??と思っていたら、DAYTONAさんより「田端駅の京浜東北線南行ホームから田端操を撮影したもの」とのご指摘を頂きました。(^^)
田端 1981年初夏?
ef5853-EF58135 「53.10ダイヤ改正の前日です。東北本線上野口から客車普通列車が消えた改正でした。この日、3002レ「北陸」は車両故障で(58?)大宮打ち切りとなってしまいました・・・。」(EF5853さん)
高崎線の普通客レも2年後の55.10で残った1往復が消え、首都圏から普通客レが消えてしまいました。
撮影:EF5853さん  回814レ(鳥海の東大宮回送) 川口 1978.10.1
H-yamaguchi-ef58135 東北本線を行く荷物列車。東北本線でも高崎のEF58牽引の荷物列車を見ることが出来ました。
撮影:山口裕志さん   栗橋―久喜 1980.10.11
ef5831-ef58135 大宮停車中の夜行列車。こんな列車に乗ってのんびりと旅をしてみたいものです。(でも実際は大変でしょうね〜) 高二で次位が荷物車(マニだそうです)なのでおそらく「鳥海」でしょうか。
「スニかマニでしょうか、TR23が渋くて・・・後追い写真です。」(EF5831さん)
撮影:EF5831さん    大宮 1978.8
急行「鳥海」の先頭に立つ。135号機が2エンド先頭、機関車次位が座席車なので多分下りです。暗闇に浮かぶ上越形のシルエットが実に格好良い〜。

撮影:佐々木さん  801レ「鳥海」  高崎 1980.8
上の132号機と同じくkazu460さんの父君が撮影された135号機です。同機は宇都宮電化用として落成後、昭和35年12月(実質的には11月)には高崎第二区に転属しています。水切り姿はわずか3年ほどだったと思われます。
手前の線路を歩く鉄道員の姿、機関車次位のオハニ61、その後ろのダブルルーフのスハ32?に時代を感じます。
写真所蔵:kazu460さん    川口―赤羽 1958.3〜1960.11
sugi-EF58135 雨で車体が濡れているのでしょうか。車体の輝きが美しいですね。 鼻筋がくっきりした姿と相まってまだまだ新しさを感じます。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  3604レ「能登」  上野 1976.1.4
 EF58 136〔高崎第二〕
EF58136 上り「鳥海」を牽き上野駅9番線に到着。上越形は上野駅の顔と言った印象だっただけに、一両も保存機が無いのは寂しい限り。 ホーム上のファンのアルミバッグに時代を感じます。(ご多分に漏れず私も持っていました)

※上越形 電暖 電暖表示灯旧 常磐線列車無線 ヘッドマーク取付座無し
804レ「鳥海」  上野 1980.11
製造年月日:S32.12.3
製造:日立製作所
廃車:S57.7.1〔高崎第二〕
EF58136 上越線の昼のプレゼント、8702レを牽き岩原スキー場麓のΩカーブを行く。
8702レ「佐渡54号」  越後湯沢―越後中里 1980.8.2
EF58136 岩原スキー場をバックにカーブを駆け抜ける136号機。撮影記録の紛失で何号機かずっと不明でしたが、枕バリ端面の形状、旧タイプの電暖表示灯などから日立製の135か136号機と推定、この時期の2エンド側区名札の差し位置から136 号機と判断しました。
8702レ「佐渡54号」  越後湯沢―越後中里 1980.8.2
Nishino-EF58136 荷物列車を牽き東北本線を行く136号機。雨に煙る姿が渋いです。
撮影:Y.NishinoさんY.Nishinoのホームページ)  東那須野? 1975.9
T.F-EF58136 T.Fさん撮影の2321レを牽く136号機です。上越形の精悍な姿を今一度見てみたいですね。
撮影:T.FさんくらはやしみのるのB級HP)  2321レ 鴻巣 1981.5
Tornadosakai-EF58136 トルネードSAKAIさん撮影の136号機。雪の付着した姿がいかにも上越形らしいですね。この136号機は高崎第二のカマなので、列車は多分「天の川」でしょうか?
撮影:トルネードSAKAIさん鉄道模型と鉄道写真のステーション)  上野 1980.3
こちらは東北本線の荷物列車を牽引する136号機の美しいサイドビューです。
上越形独特のシルエットが良く分かります。
撮影:川崎大輔さん  白岡 1978
sugi-EF58136 大形のつらら切りに小形の固定式雪かき器の上越形はやはり格好良いですね。下向きのつらら切りだと更にカッコよさ倍増です。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  田端機関区 1976.8.6
 EF58 137〔高崎第二〕
EF58137 品川区の81系お座敷を牽引して上野に到着した137号機。下向きのつらら切りと固定式雪かき器が精悍なイメージです。上越形はこれぐらいのアングルが一番格好良く見えるように思います。

※上越形 電暖 電暖表示灯新 常磐線列車無線 ヘッドマーク取付座無し
上野 1979.9.22
製造年月日:S32.12.4
製造:日立製作所
廃車:S59.2.7〔高崎第二〕 
19801231-ef58137 稼働率も高く(と言うより私とやたら相性が良かった?)良く見かけたカマでした。それにしても上越形の小振りなスノウプロウはゴハチによく似合っていました。北のゴハチの冬の風物詩、電暖表示灯も点灯中です。
大宮 1980.12.31
EF58137 上越線、昼のプレゼント・8702レを牽き水上橋梁を渡る。14系座席車で運転される列車には水上〜石打間でもEF16の補機はまず付きませんでした。137号機の背後に見える建物はこの当時から既に廃墟の雰囲気で、撮影するうえで邪魔物扱いでしたが、40年近く経った今でも朽ちずにその場で頑張っている姿を見ると、何だか愛おしさすら感じてしまいます。(^_^;)
8702レ「佐渡54号」  湯桧曽―水上 1980.5.3
EF58137 早朝の上野駅に到着した「北陸」。1978年10月の14系客車化後は高崎第二区のEF58が「北陸」牽引を担当しましたが、おそらくこの年の10月改正で再び長岡区の担当に変更されており、わずか1年ほどの短い期間でした。
3002レ「北陸」  上野 1979.9.1
EF58137 同じく上野駅にて推進回送を待つ「北陸」です。上野駅高架ホームの象徴でもあった古レールを利用した構造物も現在はほとんど見られなくなりました。写真を撮っていた当時は邪魔で仕方なかったですが、今となっては懐かしいですね。
3002レ「北陸」  上野 1979.9.1
EF58137 下向きのつらら切りが精悍です。やはりつらら切りは下向きがカッコいいですね。137号機の右奥にレ荷物車を待つ駅員の姿も懐かしい情景です。
3002レ「北陸」  上野 1979.9.1
EF58137 同じく「北陸」です。横から見るとつらら切りの下向き加減が良く分かります。本機のつらら切りは水切りに溶接で継いだ形態です。それにしてもゴハチのつらら切りはホントに大きいですねぇ。
3002レ「北陸」  上野 1979.9.1
EF58137 黄昏時の上野駅で推進回送を待つ137号機と12系。スジ的には8702レっぽいのですが、当時の時刻表を見ると季節臨の運転は無いので団臨かこの日の「小出スキー3号」の送り込み回送かもしれません。
上野 1980.2.15
EF58137 20系「天の川」の推進回送です。「天の川」編成の特徴でもあるスユ16ですが、せっかくの20系の編成美が崩れてしまっているのがちょっと残念でした。このアングルだとそのスユ16に隠れて20系がほとんど見えてません。(^_^;)
回802レ「天の川」  鶯谷 1980.9.21
Tc153-501-EF58137 「まだこの頃は、上野駅を6:30頃に発車する高崎区58牽引(所定EF62)の高崎線普通列車が走っておりましたが、撮影時間的にはこちらの荷物列車の方が、確実に高崎区のカマを狙うことができる列車だったと記憶しております。」(Tc153−501さん)
撮影:Tc153−501さん  荷38レ  蓮田―東大宮  1983頃
nijinochichi-ef58137 高崎線を旧客を牽き疾走する137号機。これは何かの回送か2321レでしょうか…。
撮影:二児の父さん  川口 1983.11.14
ohno-ef58137 常磐線と共に上野口に最後まで残った旧客使用の普通列車、高崎線2321レを牽く137号機。こんなのが定期で走っていたんですから、今にして思えばもっと乗っておけば良かった…。(;_;)
撮影:ohnoさん  2321レ  日暮里 1980.4.24
H-yamaguchi0ef58137 多客時に定期「佐渡」の補完として運転される機会が多かった12系「佐渡」。早くから電車化が推進された上越線では数少ない昼間の客レでした。
撮影:山口裕志さん  8702レ「佐渡52号」  水上―湯桧曽 1980.8.18
ef5852-ef58137  「古河―栗橋の大カーブを行く137号機ですが、正面から見るとツララ切りヒサシが下向きなのが確認できます。 当時はこのポイントまで駅から歩いて行ったのですから……若かったですねぇ」(EF5852さん)
撮影:EF5852さん  荷44レ 古賀―栗橋 1982.5.3
sugi-EF58137 上の私が撮った「北陸」と同じ日に針葉樹林鉄道研究会の杉さんが撮られた137号機。この日この場所でおそらくすれ違うくらいはしていた事でしょう。お陰様で正確な撮影日が判明しました。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  3002レ「北陸」  上野 1979.9.1
 EF58 146〔宮原〕
DAYTONA-EF58146 DAYTONAさん撮影の荷33レを牽く146号機です。下関運転所で最後まで原形小窓、原形ワイパー、さらに東海道スジのゴハチでは珍しかった原形フィルタで活躍したカマですね。

※原形小窓 原形ワイパー 原形フィルタ
撮影:DAYTONAさん  荷33レ 蒲田 1984.2.22
製造年月日:S32.11.20
製造:東京芝浦電気
廃車:S59.11.5(下関運)
kk0630-EF58146 下関(転)で最後の活躍をする146号機。冬にSGの蒸気に包まれる姿は58の真骨頂ですね。
撮影:kk0630さん  荷37レ  大阪 1984.3.18
JZA70-EF58146 現役ゴハチ末期まで、原形小窓、原形フィルタ姿が残ったのは幸いでした。
撮影:JZA70さん  大阪 1985.8
Tc153-501-EF58146 午後の東海道を行く146号機。後ろに続く青い荷物車が軽快な印象です。
撮影:Tc153−501さん  荷2033レ  平塚 1981年?
H-yamaguchi-ef58146 「146号機牽引のキハ40系甲種回送です。」(山口裕志さん)
撮影:山口裕志さん   大井町 1981.7.25
ef5852-ef58146 当日のメイン撮影ネタがこの宮原区のEF58牽引のつるぎ回送でしたが、113系に被られてしまい撃沈……。 しかし、今にして思えば非冷房の113系も関西地区を走っていたという記録写真になりました。」(EF5852さん)
撮影:EF5852さん   回5006レ 高槻―山崎 1983.8
c11204-ef58146 荷35レ先頭に立つ146号機。4パン上げたゴハチ重連はやはり良いですね〜。後ろに連なる茶マニも良い雰囲気です。
撮影:C11204さん   荷35レ 小田原 1977.6
hokkyoku-ef58146 夕陽を浴びて出発を待つ。漂うスチームが良い感じです。
撮影:北極ぐま閣下さん   荷2033レ 沼津 1983.12.27
taki10450-EF58146 前頭部をアップで見ると前面踏板の形状が結構いびつになっている物が多いのが分かりますね。本機の1エンド側もヘッドマーク取付座との干渉を避けてか左側は中央付近、右側は全体に下がり気味です。
撮影:タキ10450さん(『タキ10450』の国鉄時代の記録) 7804レ「ちくま6号」 大阪 1981.8.9
 EF58 147〔宮原〕→〔竜華〕
EF58147 「銀河52号」を牽く147号機。宮原区のゴハチは原形小窓機の数も多かったですが、後期のカマでも更新改造された物が本機と128号機の2両いました。本機のパンタグラフの摺り板は、この時点では2エンド側は鉄製の原形、1エンド側はアルミ製です。本機はその後竜華区に転属、シールドビーム2灯化されています。今見るとすれ違う113系とのツーショットも味がありますが、よくぞカマだけ被らずに撮れたもんです。

※更新改造 白Hゴム
6102レ「銀河52号」  大森―大井町 1979.5.4
製造年月日:S32.12.10
製造:東京芝浦電気
廃車:S61.3.31(竜華)
kk0630-EF58147 竜華に転属後の姿です。竜華区のご多分に漏れず前灯のシールドビーム2灯化が行われています。また、既にホースは外されていますがP形改造によりジャンパ連結器が増設されています。

※更新改造 白Hゴム RSB2灯 P形


撮影:kk0630さん  竜華機関区 1984.3.18
shinohara-EF58147 竜華機関区の撮影会時に撮影された台検中の同機。ジャッキアップされた姿やリフトの周辺に置かれたエアフィルタが面白いですね。
撮影:篠原さん  竜華機関区 1985年頃
Tc153-501-EF58147 通い慣れた東海道を離れ竜華区で阪和線の客レを牽く147号機。
撮影:Tc153−501さん  126レ 新宮付近 1983.8
timebokan-EF58147 「夏の夕日を浴びる147号機。左に写っている113系に乗車してました。交換中の撮影ですが、今なら走行を撮ってるのに、当時は147だとこんなモンでした。157号機で感動するご時世になるとは・・・。」(タイム母艦さん)
駅でのこうした何気ない情景も、後世になってみれば当時の雰囲気を知る良い記録ですね。113系の阪和色が何とも懐かしい…。
撮影:タイム母艦さん  126レ  白浜 1985.8.25
timebokan-ef58147a こうして見るとローカル色溢れる紀勢線で余生を過ごす姿も悪くないですね。私も訪問しておけば…。
撮影:タイム母艦さん  126レ  紀三井寺―黒江 1985.4.29
timebokan-ef58147b 「THE阪和線ってな感じで、1985年当時でもED60やEF15が検査でカマが足りなくなると実現していました。個人的にはED60との重連がアンバランスで目玉でした。」(タイム母艦さん)
本列車についてゴハチ信者さんより補足を頂きました。
「所定はED60重連の列車でしたが、運用の都合により6日と8日はEF58147が先頭に立ちました。なお次機はED606です。」
撮影:タイム母艦さん  5365レ  浅香―杉本町 1985.8.8
EF58147 宮原時代の同機のお召予備装飾を残した貴重な姿でこちらは1エンド側です。昭和50年(1975年)5月、滋賀県植樹祭におけるお召運転に伴って、本機は米原区の77号機と共に61号機の予備機に指定されました。その際の装飾の名残が誘導握り棒、解放テコ、連結器、運転席側窓、側扉の昇降手すり、エアータンク取付帯に見られます。同じ予備機ながら77号機とは若干装飾が異なっています。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  9603レ「但馬53号」  摂津本山―住吉 1975.8.18
shin-san-EF58147 14系座席車の「西海・雲仙」を牽き大阪に到着。こちらは2エンド側。まだまだ歪も無い綺麗な車体の147号機が印象的です。
「臨時の特急だと夜行でも座席の14系もあったりしたのですが、11番線の時計から
急行「西海・雲仙」と分かりました。」(床屋のシンサンさん)
撮影:床屋のシンサンさん  204レ「西海・雲仙」 大阪 1978年頃
117KM-EF58147 1975年5月に車体整備工事(更新改造)が施工される前の原形小窓、原形ワイパー姿の美しい姿。こちらは1エンド側です。機関車次位に狭窓のスハフ43とスハ44を連結した20系化前の「銀河」の重厚な編成が、東海道客車急行全盛期を偲ばせます。
撮影:117KMさん  104レ「銀河2号」  三島―函南 1974年頃
 EF58 148〔東京〕
EF58148 試6961レで旧客、20系、12系という珍編成を牽引する148号機。当時、東京区に配置されていたゴハチは、冬季の上越線への貸し出しを考慮して側面エアフィルタのビニロックフィルタ化は見合わされていました。

※原形フィルタ
試6961レ  大井町―大森 1980.9
製造年月日:S32.12.13
製造:東京芝浦電気
廃車:S59.3.12〔東京〕
6348-EF58148 「49号機と同じ列車の上り。列車番号不明。この日には31号機が8111レで下り、82号機が6348レでこの148のあとにのぼっています。今ならきっと大騒ぎですね。」(6348レさん)
この時点では後に取り外されたかつてのブルトレ牽引時に付けられた、カニ22用のジャンパ連結器(KE59)が残っています。
撮影:6348レさん  早川 1979.5.15
Nishino-EF58148 「夏の帰省臨の回送?」(Y.Nishinoさん)
撮影:Y.NishinoさんY.Nishinoのホームページ)  駒込―田端(操) 1976.8
ef5853-EF58148 「田町へ行ったら、怒濤の人混み。こんなアングルが精一杯でした。慶応の女子大生いわく、「鉄道ファン?ああ、田町駅のホームの端っこに固まってるヒトたち?」・・・・。自分もそうでしたが、端から見るとほんとアホそのものでした。今はほんとに少ないですね。(あの人々はいまいずこ?)」(EF5853さん)
最近は何故か新子安に異様にたかってますね…。165系「東海」引退時には田町にも随分人が集まってましたが…。
撮影:EF5853さん 回1941レ スロ81系6連+スロフ62[金フイ]  田町 1982.6.19
ef5853-EF58148b 「転属回送です。東京駅から出ることと、10番線発車が珍しいかな・・・。(気動車の密着自連の強度が弱いため、機関車による牽引時は間に控車が、ほとんどの場合は客車が入りました。)」(EF5853さん)
撮影:EF5853さん 8107レ スハフ42+キハ28x2  東京 1980.10.16
jun-ef58148 「東京機関区では148号機はあまり目立たないカマでしたがHM付+シナ座という組み合わせが気に入っています。旧型客車を使用した最後の特急列車ではないかと思います。」(JUNさん)
撮影:JUNさん   東京 1983.8
H-yamaguchi-ef58148 スロ62系(?)5連を牽く148号機。国鉄時代の定期列車はいずれも長大編成が多く、団臨などで6連以下の短編成を見ると新鮮に感じたものですね。
撮影:山口裕志さん  根府川―真鶴 1981.11.14
ef5852-ef58148 「大宮工場で整備を受ける東京区のEF58は正面窓が黒Hゴム仕様なのですが、この148号機だけは転属前の宮原区時代に改造された白Hゴム仕様のままの姿で晩年まで走り続けました。」(EF5852さん)
撮影:EF5852さん   熱海―函南 1984.1.7
inayuki-ef58148 50系客車の新製回送を牽く148号機。50系とEF58の組み合わせは結局定期運用では実現しませんでした。それにしても今やオリジナルの50系が全滅というのも何とも…。
撮影:急行伊奈ゆきさん   豊橋―西小坂井 撮影年月日不明
shin-san-ef58148 81系お座敷客車と昔の趣のある京都駅に佇む姿が良い感じですね。本機は比較的晩年まで残っていた割には、あまりネット等でも写真を見かけませんね。当時の東機のゴハチの中ではあまり人気が無かったんでしょうか・・・。)
前端バリにブルトレ塗装時代に取り付けられたカニ22制御用のKE59ジャンパがまだ残っています。また、「つばめ」「はと」用の列車無線の連結栓とケーブルも前面左の標識灯掛け付近に確認できます。
「高校の鉄研で一筆乗車で京都乗り換えの時に、お座敷列車の客車だけ停まっているのを見つけました。機関車は何が来るんだろう?と待ち構えていると148号機がやって来ました。下り6番ホームに停まっていたので、京都観光の後大阪にでも行ったのでしょうか?」(床屋のシンサンさん)
撮影:床屋のシンサンさん   京都 1978〜1979年頃
taki10450-EF58148 ホームの売店や無造作に転がった新聞?雑誌?など1980年代の懐かしい駅の情景が良い感じですね。後々になってこうした写真がその時代を伝える貴重な資料になります。
「80号機と同様に、飯田線の旧型国電を撮影しに一人旅した時のものです。昼間、駅でうろうろしていたところに7番線に入線してきました。12系客車を牽引しており、団臨ではないかと思われます。」 (タキ10450さん)
撮影:タキ10450さん(『タキ10450』の国鉄時代の記録)  豊橋 1982.4.1
117KM-EF58148
原形小窓、原形ワイパー時代の貴重な姿でこちらは2エンド側です。前端バリ右端にかつてのブルトレ牽引機時代のKE59ジャンパ連結器が確認できます。本機は晩年の白Hゴム窓スタイルの印象が強いので何だか新鮮ですね。
「118.8km付近です。撮影は1973年夏ごろで回送列車だったと思います。」(117KMさん)
撮影:117KMさん  下り回送?   三島―函南 1973年夏頃

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