ELECTRIC LOCOMOTIVE EF58  Vol.16
EF58 117〜127

Last Update 2023.12.1

Index EF58117 EF58118 EF58119 EF58120 EF58121
EF58122 EF58123 EF58124 EF58125 EF58126 EF58127

 第9次増備車(117〜127号機)

山陽本線の姫路電化、東北本線宇都宮電化用の第一陣として昭和32年3月から4月に新製されたグループです。形態的には第8次増備車とほとんど変わりませんが、117・118・124号機のみモニタールーフ小窓のHゴム支持化がされていませんでした。また、124号機のみ先駆けて側面ナンバープレートが切り抜き式となっています。 

また、このグループから開発期間が短くトラブルの多かったSG1形の改良型であるSG1A形を搭載しています。その為、製造当初からSG排煙口が1エンドL側1個の大型の物になっています。(従来のSG1形搭載機も、SG1A形への変更に伴い88,96,98,100号機を除き、ガーランド形から大型の物に変更されています。)

※印…主な特徴です。画像をクリックすると大きなものが表示されます。

 EF58 117〔宇都宮(転)〕
EF58117 50.3改正で新設された20系特急「北星」牽引用に広島から宇都宮に転属したP形6両(65,84,85,114,116,117)の1両で原形小窓、原形ワイパー時代です。同機は新製よりPS15パンタグラフを装備していましたが、この時期1エンド側のみ、なぜかPS14Aに換装されていました。後に両側ともPS14Aになっています。また、側扉横の昇降踏み段も欠き取りなしの原形でした。この段階では避雷器のカバーも付けられていません。(それにしても、何故反対側のホームから撮らないかなー。<自分 T^T;)

※P形 電暖 昇降段欠き取りなし PS14A/PS15パンタ 屋上モニタ窓パテ式
上野 1976.8.7
製造年月日:S32.3.13
製造:東京芝浦電気
廃車:S58.6.18〔宇都宮(転)〕
morishige-EF58117 Morishigeさん撮影の下関区時代の同機です。この後昭和49年に広島へ転属しています。なお、この頃の同機には米原区のものとは異なる開閉式のワイパーカバーを装着しています。「EF58ものがたり」では広島区時代に装備された…とありますが、どうやら下関区時代のようです。また、宇都宮に転属後電暖改造されるまで、かつてのブルトレ牽引機時代のKE59ジャンパ連結器が前端バリ右に付いていました。
撮影:Morishigeさん 岡山 1973.8
EF5852-EF58117 「117号機は一時期、前後のパンタグラフが違っていたカマとして有名でしたが晩年は2基共PS14を装着していました。」(EF5852さん)
撮影:EF5852さん 赤羽―尾久 1982.11.13
「背景に大きな農家があり端午の節句の上りが翻る中、晩年の急行津軽4号がオロネ10やオハネ12の後に12系ハザという新旧混合で上っていきました。」(EF5831さん)
撮影:EF5831さん   406レ「津軽4号」  蓮田―東大宮 1981.4末〜5初
shizuhata-ef58117a 現・浦和電車区横を駆け抜けるブルトレ塗装の117号機。同機のブルトレ塗装化が昭和35年7月なので、ブルトレ塗装になってまだ間もない頃でしょうか。まだまだ新形機と言った艶っぽい車体が美しいです。 青大将塗装もそうですがヘッドマークを付けていると隠れる車体裾部分の塗り分けは一直線ではなく前面中央部分でヒゲに合わせて下に落とし込まれているのが確認できます。
撮影:しずはたさん    蕨―浦和 1961年頃
torisugari-ef58117 お馴染み単2033レです。10月の割には寒い日だったのか点灯中の電暖表示灯が印象的です。
撮影:通りすがりの国鉄ファンさん    単2033レ  品川 1982.10
 EF58 118〔米原〕
6348-EF58118 新製配置からずっと米原区で活躍した、生粋の米原ガマ。ゴハチ現役当時、米原区のカマ…と聞いただけで何故か格好良く見えた物でした。それだけ、いつ見ても綺麗だったのでしょう。同機はその後美しい姿のまま、荷物列車のEF62への置き換え前に、下関に移って最後の活躍をしています。

※P形 原型ワイパー 屋上モニタ窓パテ式
撮影:6348レさん 早川 1979
製造年月日:S32.3.15
製造:東京芝浦電気
廃車:S60.2.4〔下関(転)〕
EF5852-EF59118 「下関区集中配置当時の118号機です。元、米原区のカマと言うことでP型改造されていますが、ワイパーカバーは取り付けられていませんでした。」(EF5852さん)
撮影:EF5852さん  荷31レ  藤枝―島田 1984.3.18
H-yamaguchi-ef58118a SGの蒸気をちょっぴりたなびかせ大阪駅に進入する118号機。
撮影:山口裕志さん  大阪 1981.3.26
H-yamaguchi-ef58118b 大阪駅での米原と浜松のEF58の並びです。ゴハチ晩年の東海道スジではP形原形小窓の米原、Hゴム窓の浜松と言った印象があり、同じEF58でもファンの間での人気は前者に集中していたように思います。また、前にも触れましたが米原のカマはいつ見てもピカピカで、浜松ガマは荷物列車のロングラン運用主体でくたびれた印象だったことも大きかったと思います。
撮影:山口裕志さん  118号荷39レ  158号回5241レ 大阪 1981.3.26
hokkyoku-ef58118 大阪駅で165系「比叡」401Mと並ぶ118号機。米原区晩年の姿でしょうか。隣のクハ165がシールドビーム改造なので何だか最近の光景のようにも思えてしまいますが、165系も既にJR線上からは姿を消してしまったんですね…。
撮影:北極ぐま閣下さん  荷39レ 大阪 1983年頃
ピカピカのカニ24を従えて夜の大阪で発車を待つ「彗星」。この時期はせっかくの特急運用なのにヘッドマークが無いのが何とも残念ですね。
撮影:EF5831さん   3005レ「彗星2号」  大阪 1977.3.29
fj62g-ef58118 下関集中配置でEF62の代走を務めたEF58は、運用離脱後休車になり各地に留置されました。休車とは言えこうして機関区内に複数のEF58が居並ぶ光景は、かつての隆盛を思い起こさせます。
撮影:FJ62Gさん  岡山機関区 1984.8.20
お座敷列車を牽いて午後の東海道を下る。
「この時代随分多くの団臨が走っていました。荷物列車を待っていたら先行してやってきたお座敷列車です。」(佐々木さん)
撮影:佐々木さん  大磯 1981.2
sugi-EF58118 塒の米原機関区で休む118号機。P型改造で賑やかな前端バリは特急牽引機だった証。ピカピカに輝くヒゲがいかにも米原機です。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん   米原機関区 1976.3.18
torisugari-ef58118 米原駅で顔を並べた東芝製の118号機と川崎製の111号機。東芝と川崎のオデコカーブの微妙な違いが見て取れます。 日立などと比べてどちらも丸っこいオデコですが111号機の方がより丸い印象です。
「列番忘れましたが、確か機関車交換がここで行われていたような…」(通りすがりの国鉄ファンさん)
撮影:通りすがりの国鉄ファンさん    荷レ  米原 1982.5.2
 EF58 119〔宇都宮(転)〕
EF58119 こちらも昭和51年に広島から宇都宮に転属してきた119号機。形態は側面の屋根昇降段部分が原形(欠き取り改造がされていない)となっていましたが、前面窓下の手すり、前面ステップの取付は施工されていました。モニタの明かり取り窓はHゴム支持となっています。本機の屋根上の抵抗器室カバーは川崎製の特徴の1エンド側と2エンド側が同じ小さな物になっています。

※抵抗器室カバー変形 電暖 電暖表示灯新 屋根昇降段未欠き取り
回402レ「津軽2号」  鶯谷 1980.9.23
製造年月日:S32.3.4
製造:川崎車輌・川崎重工
廃車:S57.12.8〔宇都宮(転)〕
ef5853-EF58119 こちらもEF5853さん撮影の原型小窓時代の姿です。 
「この日の58牽引の下り夜行列車は記録では15本以上(発車時刻がだぶっているのも多く、全部は撮っていません)あり、[宇]、[高二]、[長岡]総動員であったと思います。」(EF5853さん)
撮影:EF5853さん  6103レ「八甲田54号」 上野 1977.3.18
ef5852-EF58119 「この当時の上野口には、津軽2本、八甲田、鳥海、高崎線普通列車(旧客)などのゴハチ牽引客レが発着していました。 田端機関区には、ゴハチの配置はありませんでしたが、夜行列車や荷物列車仕業の合間に休息するゴハチの姿を多数見ることができました。」(EF5852さん)
撮影:EF5852さん 「津軽2号」?  尾久 1982.6.20
yamaguchi-ef58119 広島区時代、「あかつき」の先頭に立つ同機。当然EG改造はされていません。可動式雪かき器のロッドに61号機同様のカバーが付けられています。
撮影:山口正洋さん (75茶屋)    大阪 1974.4.1
117KM-EF58119
1972年3月から1973年10月という短期間の所属だった浜松区時代の姿でこちらは1エンド側です。区名札挿には「浜」とその右には「松」と入っている様に見受けられます。(そんな挿し方をどこかで見た記憶が…)本機はこの後下関に転属しています。前端バリの右端にはかつてのブルトレ牽引機時代のKE59ジャンパ連結器がまだ残っています。
撮影地は現在の三島中央自動車学校付近と思われ、光線状態から夏場の早朝の撮影でしょうか。客車に列車愛称板やサボが挿されている事から団臨では無さそうなので、座席車主体の編成からもおそらく臨時の「銀河」、それも早朝到着の51号ではないかと思います。
撮影:117KMさん  8112レ「銀河51号」?  三島―函南 1973夏
 EF58 120〔高崎第二〕
ef5853-EF58120 ちょっと上向き加減のつらら切りの120号機。つらら切りの取付角度は各機まちまちで、それがゴハチの表情のバリエーションの多さにつながっています。それだけに模型化も難しいでしょうね。(^_^;)上越型はこれぐらいの構図で見ると実に格好いいです。なお、日立の銘板は前ロットの切り抜き文字から統一規格の長方形になっています。
「酒田区にEF81が投入されだしており、日本海縦貫線を走る[東新]のEF15最後の姿を撮りに行ったときのもの。」(EF5853さん)

※上越形 電暖 電暖表示灯新 常磐線列車無線 ヘッドマーク取付座無し
撮影:EF5853さん  荷2044レ 長岡 1979.8.11
製造年月日:S323.26
製造:日立製作所
廃車:S58.8.5〔高崎第二〕
EF5852-EF58120 「東北本線を走る高崎第二機関区の120号機牽引の荷物列車です。この角度からだと確認できませんが、121号機と共に短いつらら切りが特徴でした。」(EF5852さん)
撮影:EF5852さん  東大宮―大宮 1982.10.31
sasaki-ef58120 20系「天の川」の先頭に立つ120号機。55.10で長岡区のゴハチが撤退してからは、高崎のゴハチが「天の川」牽引にあたりました。
撮影:佐々木さん  803レ「天の川」  上野 1981.3
shizuhata-ef58120
ブドウ色時代の姿で2エンド側です。前面窓は合わせガラス化に伴い窓下辺が上昇し四隅にRが付けられた当時の長岡区、高崎第二区のゴハチ独特の仕様です。雪かき器は原形の可変式、側面昇降段も原形、避雷器はLA12です。また、昭和37年7月の信越線横川電化に合わせて高崎第二区のEF58の1エンドL側、2エンドR側の側面扉のガラス下部に取り付けられたタブレット保護板が確認できます。 機関車次位の荷物車はマニ32でしょうか?
撮影:しずはたさん  推回   尾久―上野(現・西日暮里付近) 1963.12
 EF58 121〔高崎第二〕
19810505-ef58121-2 上越形のスノウプロウは可動式の原形タイプではなく、小型の固定式のものを装備していました。同時に通常は車体に付いている標識灯掛けが前端バリに移設され、誘導握り棒取付位置も前方へ移動しています。

※上越形 電暖 電暖表示灯新 常磐線列車無線 ヘッドマーク取付座無し
荷44レ  東大宮―蓮田 1981.5.5
製造年月日:S32.4.3
製造:日立製作所
廃車:S58.5.17〔高崎第二〕
EF58121 12系客車を従えて早朝の上野駅で発車を待つ121号機。下向きのつらら切りが精悍な印象です。早朝、深夜の上野駅は上越形の檜舞台でした。 当時の時刻表を見ても該当する列車が無く、団臨か回送かと思います。
上野 1980.9.23
Nishino-EF58121 西野さん撮影の121号機。後ろに続く10系客車が懐かしいです。
国鉄時代、常磐線直流区間では全国に先駆けて列車無線が実用されており、原則として同区間を走行する機関車は、その搭載機に限定されていました。
(前灯と避雷器の間にアンテナが付けられています)
EF58では120,121,130〜,137の一部の上越型に装備されました。
撮影:Y.NishinoさんY.Nishinoのホームページ)  尾久―赤羽 1975.8
ef5852-ef58121 「短いツララ切りヒサシが特徴の121号機ですが、この角度からだと確認しづらいですね。後方の入替機DD13もあまり注目されることなく消えていきました。」(EF5852さん)
撮影:EF5852さん 田端(操) 1982.9.15
ef5831-ef58121 「赤羽が旧駅時代に荒川橋梁よりに踏切がありその脇から撮っています。列車は編成から上り寝台急行鳥海と思います。反対からの方が光線がいいのですが京浜東北線に邪魔されるため光線を無視した撮影です。」(EF5831さん)
撮影:EF5831さん   804レ「鳥海」  赤羽付近 1982年頃
上野にて発車を待つ121号機。こちらは2エンド側です。
後ろの客車が旧客なので、おそらく2321レでしょうか。
撮影:佐々木さん  上野 1980.11
こちらは1エンド側です。このアングルで見る上越形は実に精悍です。一般形とは印象が全く異なります。この姿の保存機が1両も無いのが何とも残念。
撮影:佐々木さん  大宮 1980
sugi-EF58121 上野駅地平ホームで発車を待つ121号機。ストロボの使用でビシッと通った鼻筋が強調されています。この鼻筋の通った凛々しいマスクこそゴハチ本来の美しさです。 撮影時間は午前10時前後の様ですが、該当列車が分かりません。上越形の旧客だと2321レ、2325レが考えられますが時間帯が異なります。臨時の帰省臨でしょうか。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん   上野 1976.1.4
sugi-ef5858 珍しくスユ16の前に珍車マニ30が連結された「天の川」です。
「撮影当時、旧型荷物車を駆逐していたマニ50系には興味が無かったので気が付きませんでしたが、今になって良く見たら現金輸送車マニ30がEF58の次位に連結されていた貴重な写真です。」(わんぱく号さん)
撮影:わんぱく号さん  回802レ「天の川」  日暮里 1981.8.5
 EF58 122〔宇都宮(転)〕→JR東海〔静岡(転)〕
EF58122 JR発足後もJR東海で動態保存機として活躍をした122号機。これは国鉄時代、宇都宮運転所配置時の姿で、この時期は前面窓のHゴムが左右で色が異なっていました。JR東海移行後、電暖表示灯は腐食により取り外されましたが電暖自体は搭載していました。

※電暖 電暖表示灯新 原形フィルタ
品川 1981年初夏?
製造年月日:S32.4.16
製造:日立製作所
廃車:H18(2006).6
解体:H21(2009)年1月
kk0630-EF58122 国鉄時代晩年の122号機。正面窓のHゴムは左右とも黒色になっています。青色塗装が懐かしい…。
撮影:kk0630さん  上野 1984.3.24
Mr.slim-EF58122 こちらは原形小窓、SG仕様の浜松区時代の同機です。機関士側ワイパーはWP50化されているようです。
撮影:Mr.スリムさんMr.スリムの道楽部屋  浜名湖橋梁 1973年
JZA70-EF58122 「これは武蔵野操車場のイベントで、他にはDD13,DD51,EF65501,EF8063などがいたと思われます。新三郷の駅から随分歩いたのを憶えています。茶色の122もいいのですが、やはり[宇]の青色のほうが・・・いいですね」(JZA70さん)
撮影:JZA70さん  武蔵野操車場 1985年
ef5852-ef58122 「正面窓が、機関士側が白Hゴム支持、機関助手側が黒Hゴム支持という異様な形態の122号機です。後に同機が、静岡運転所に転属し、更にJR東海に継承されて飯田線を安住の地として生き延びて今日のスーパースターになろうとは…。この当時、誰も予測できなかったでしょう。」(EF5852さん)
撮影:EF5852さん   田端(操)―隅田川 1984.3
ef18-870325 1987年4月1日の国鉄分割民営化を目前に「いこい」を牽引する122号機。
「この時は122と知らず行ったので感激ものでした。未だ中坊の頃です。」(EF−18さん)
撮影:EF−18さん  8106レ  岸辺 1987.3.25
H-yamaguchi-ef58122 宮原の143号機の次位に付き品川を発車する。輝く電暖表示灯が印象的です。これも4パン上がっていますね。次位のパンタは日によって上がったり上がらなかったりだったような気がします。
撮影:山口裕志さん  単2033レ  品川 1981.10.27
ef5831-ef58122 東北本線普通列車?を牽き元荒川橋梁を行く。旧形客車との組み合わせはやはり似合います。
「編成から普通列車(上り)で時間は早朝です。120レか122レ辺りですかね。」(EF5831さん)
撮影:EF5831さん     蓮田―東大宮 1978.8
ef5831-ef58122b この頃は前面のHゴムは両方とも黒ですね。機関士側白Hゴム時代はそれほど長い期間では無いかも知れません。(1全検周期?)
撮影:EF5831さん     撮影地不明 1978.8
packman-ef58122 塗装変更前の「白樺」を牽く122号機。天候のせいもあるんでしょうが、全体にくすんだ車体がいかにも現役時代の宇都宮ガマと言った感じです。(^_^;)
撮影:パックマンさん     小山 1985.6.23
fj62g-ef58122 最後の現役機として宇都宮運転所庫内に憩う。後ろには89号機の姿も確認できます。同機は同じ宇都宮の89,141号機と共に宇都宮運転所の機関車無配置化に伴い書類上、昭和60(1985)年3月14日付けで田端へ転属しています。(実際は同所に常駐) 翌年10月に静岡運転所に転属、その後ぶどう色姿になり現在に至っています。
撮影:FJ62Gさん    宇都宮運転所 1985.3.21
「今は無き武蔵野機関区の一般公開で撮影した122号機です。当時は宇都宮から田端に所属が変わっておりましたが、相変わらず宇都宮常駐で運用されておりました。
撮影の時期は既に引退が決まっていると言う噂が流れており、これでお別れだとしんみり撮影した事を覚えております。実際はJR移行でまさかの静岡転属だったのですがこの情報は本当にうれしい出来事だった事を思い出します。
この後私は鉄道趣味から一時遠のいた事もありまして、電気暖房(EG)の表示灯のある姿を見た最後の機会だったと思います。」(品川丼さん)
撮影:品川丼さん  武蔵野機関区 1980
66号機が関西から参加した事で有名な1986年10月の高崎運転所で開催された「歴代ブルトレ機関車大集合」に展示された122号機。本機はブルトレ塗装で20系の先頭に立った過去があり、そういう意味では実にタイトルに適った選択と言えましょう。
区名札は「田」。この10月に同機は静岡に転属しているので、田端区時代のほぼ最後の姿でしょうか。
撮影:FJ62Gさん  高崎運転所 1986.10.12
せっかくのお披露目と言うのにくたびれた車体が痛々しいですね。この場に居合わせたファンも、本機がこの後20年現役を続けるとは誰も予想しなかったでしょうね。これは1エンド側。
撮影:FJ62Gさん  高崎運転所 1986.10.12
2エンド側にはEF57牽引時代の大きな「はと」のマーク。
撮影:FJ62Gさん  高崎運転所 1986.10.12
国鉄最後の日、ものすごいファンでごった返す東京駅で「旅立ちJR東海号」の先頭に立つ122号機の晴れ姿。その割には汚れた姿が122号機らしいと言うか何と言うか…。この日から20年、同機が現役で居続けた事は考えてみれば凄いことです。
当日は東京駅から「旅立ちJR号」が九州・四国・西日本と運転され、この「東海号」がトリを務めました。あまりの人出にホームへの入場規制も行われたそうな。今でもさよならイベントなどでこのような光景が話題になりますが、今に始まったことではなく、その昔、SL時代から何度も繰り返されて来た光景ですね。
撮影:FJ62Gさん  「旅立ちJR東海号」9115レ  東京 1987.3.31
国鉄からJR東海に継承された122号機。イベントなどの華やかな運用以外にも御殿場線の霜取りや工臨など、これぞ現役と言う姿を見せてくれました。
「関東でなじみだった122号機。再会のため、御殿場線(?)の霜取りの任務に就く姿を見に行きました。EG灯を撤去されています。この後、茶色の姿は新幹線から一度だけ豊橋運転所の片隅で休車になった姿を見ただけで、最後までカメラに収めることはありませんでした。まさか解体されるとは夢にも思っておりませんでしたので…。」(FJ62Gさん)
撮影:FJ62Gさん  沼津 1988.1.9
沼津運転所にてEF65111と一休み。普通のEF65と青い普通のEF58の並びが国鉄時代を思わせます。青いゴハチ、良いですねぇ〜。
「一仕事を御終えた後、機関区で佇む122号機。沼津運転所の方が、快く入れてくださったのがうれしかった思い出があります。」(FJ62Gさん)
撮影:FJ62Gさん  沼津運転所 1988.1.10
sugi-EF58122 東北本線の普通列車の先頭に立ち上野駅13番線で発車を待つ。1980年頃には前面窓のHゴムの色が左右で異なっていましたが、この時期は左右とも黒Hゴムですね。
上野駅13番線ホームもかつての荷物ホームが四季島専用ホームになったりとすっかりおしゃれに様変わりしましたが、この地平ホーム独特の雰囲気はまだまだ残っています。

撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  125レ  上野 1976.3.28
国鉄からJR東海に幸運にも移管され、動態保存機として同じJR東海所属の157号機と共に同社のイベント列車や工臨牽引などに近年まで活躍しました。これは茶色に塗装変更後の姿で電暖表示灯は撤去されています。この時が私にとって10数年ぶりのゴハチとの対面でした。
同機は2006年6月に現役を引退。JR東海浜松工場内で保存されていましたが2009年1月に同工場内にて残念ながら解体されました。 JR東海設立の記念列車を牽いた本機があっさりと解体されてしまったのは何とも哀れです。
函南 1994.6.19
 EF58 123〔宇都宮(転)〕
EF58123 前面窓がHゴム化される前の123号機。機関士側ワイパーがWP50に交換されていますが水切りは交換されておらず、ワイパーのグリップエンドがあたる部分のみ、かつての61号機などと同様に湾曲させてあります。なお、この後、前面窓のHゴム化に合わせて水切りの幅広化と共に直線に直され、取付位置の上昇がなされています。

※電暖 電暖表示灯新 原形フィルタ
103レ「八甲田」  上野 1980.2.16
製造年月日:S32.4.19
製造:日立製作所
廃車:S58.3.11〔宇都宮(転)〕
EF58123 窓回りのアップです。(トリミングですが…。)右側の機関士側の水切りのみ、WP50のグリップエンドを避けて湾曲させてあります。左の原形KW3DもWP50に合わせて銀色に塗られています。
103レ「八甲田」  上野 1980.2.16
murakichi-EF58123 こちらは前面窓がHゴム支持化され、デフロスタも付けられたすっかり印象の変わった123号機です。
「大きく顔が変わった晩年の123号機。東北本線川口付近にて。荷36レかな?」(Murakichiさん)
撮影:Murakichiさん  川口付近 1982.8.29
ef5853-EF58123 東京区時代の123号機が牽く20系回送?です。機関車次位のナハネフ20が何とも言えません。もしかしたら「あさかぜ51号」に使用した物の回送かも知れませんね。
「私が1番最初に撮影した機関車です。後ろの20系には「あさかぜ」と入っていたので、この日の「あさかぜ」はEF58が牽引したのだと思ってました。まだKE59ジャンパがついていますね。」(EF5853さん)
撮影:EF5853さん  回1940レ 東京 1973.8.23
Hゴム窓、ワイパーのWP50化による水切りの大形化と取付位置変更、更にデフロスタ取付後の姿です。同様の改造も上越形だとそれほど違和感無いのですけど、準寒地形仕様?だとどうも違和感を感じてしまいます。原形小窓時代と比べると窓まわりがゴハチの全面の印象に与える影響の大きさを改めて感じます。
「急行「八甲田」をけん引して上野を目指す同機。」(hojikurinさん)
撮影:hojikurinさん  102レ「八甲田」  久喜―栗橋 1982
 EF58 124〔東京〕
EF58124 同区の88号機とともに最後まで原形の可動雪かき機を装備した124号機。原形小窓時代です。同機の機関士側ワイパーも上の123号機と同様にWP50に改造されていますが、グリップエンドが小型化され水切りに干渉しなくなったため、水切りには手は加えられていません。また、誘導踏み段は可動式雪かき器を装備しているため前端バリ側面に取り付けられていますが、88号機同様、前端バリと踏み段との間にスペーサーを挟んだ独特の形状です。近代化改装後の青い旧客も今となっては懐かしい…。
多分8102レ 横浜 1978.5.3
製造年月日:S32.3.22
製造:東京芝浦電気
廃車:S59.2.7〔東京〕  
EF58124 原形小窓時代の同機は、かつて大形雪かき器姿も颯爽と東海道の王者として君臨したゴハチ黄金時代を彷彿させました。同機の前面左側の標識燈掛けにかかっているコードは、かつて「つばめ」「はと」牽引時に取り付けられた列車無線連結栓が残っていたもの。

※原形可動式雪かき器装備 屋上モニタ窓パテ式 側面ナンバー切り抜き式1号機 原形フィルタ
多分8102レ 横浜 1978.5.3
今は無き、東京駅11番線(ホームは無し)を発車する124号機。露光中に出発してしまい顔が若干ブレています。隣の10番線にはSM分離前の横須賀線113系の姿が見えます。ちなみに本機が最初の側面ナンバープレートの切り抜き文字採用機でもありました。

回1943レ  東京 1979.4(?)
Mr.slim-EF58124 可動式雪かき器を未装備時代です。
「下り臨時回送列車。 浜松はほとんど雪が降らないので、12系客車の屋根の雪には感激でした。」(Mr.スリムさん)
撮影:Mr.スリムさんMr.スリムの道楽部屋  浜松 1972年頃
ef5853-EF58124 こちらは前面窓がHゴム化された同機です。
「南シナのスロ81系初列車を牽引する124。今だったらヘッドマークが付くンじゃないでしょうか?」(EF5853さん)
撮影:EF5853さん  列車番号不明  品川 1980.5.1
kumoyuni143-EF58124 土砂降りの雨の中、身延線の創臨を牽く124号機。
撮影:クモユニ143さん  沼津 撮影日不明
Tc153-501-EF58124 「落成したばかりの「白樺」を牽引する124号機です。同日に撮影されたと思われる写真(白糸川橋梁)がどこかの雑誌に掲載されていたと思います。この「白樺」塗装は一部で人気があったみたいですが、個人的には大嫌いでした。」(Tc153−501さん)
撮影:Tc153−501さん  平塚  1983年頃
nijinochichi-EF58124 正面がちのアングルが特徴の大型の可動式雪かき器を一層強調します。
撮影:二児の父さん  品川  1983.11.21
H-yamaguchi-ef58124 後ろに続くのは81系お座敷でしょうか。広々とした京都駅構内も今となっては懐かしい光景になりました。
撮影:山口裕志さん  京都 1981.3.29
H-yamaguchi-ef58124 東京機関区でEF15、EF65PFに混じって憩う。カーブで同機の特徴のスノウプラウが変位しているのが面白いですね。
撮影:山口裕志さん  東京機関区 1981.3.18
ef5852-ef58124 「124号機は2エンド機関士側のつかみ棒だけなぜか先端の形状が違っていました。過去に他機のものと交換された経緯があるのでしょうか?」(EF5852さん)
撮影:EF5852さん   伊東 1983.4.30
f-ichiro-ef58124 西鹿児島行の急行「高千穂」の先頭に立つブルトレ塗装時代の124号機の貴重な姿。EF60 500の登場で既にブルトレ運用から外れています。
「15両編成の先頭に立つゴハチ。颯爽と駆け抜けていきました。」(Fのイチロさん)

撮影:Fのイチローさん  35レ「高千穂」  辻堂―茅ヶ崎 1964.2.29
f-ichiro-ef58124 同じく西鹿児島行の急行「桜島」の先頭に立つブルトレ塗装の124号機。ヘッドマークが付いていると隠れてしまうので見落としがちですが、クリーム1号の帯は青大将塗装と同じく前面の飾り帯の合わせ部分で下に落とし込まれています。前端バリ右側に20系客車用のKE59ジャンパ連結器が確認できます。
「東京発西鹿児島行1031列車。1等車の帯が1、2両見えています。」(Fのイチロさん)

撮影:Fのイチローさん  1031レ「桜島」  小田原―早川 1964.8
 EF58 125〔宮原〕
morita-EF58125 大阪口で最後まで残ったゴハチ牽引の特急、「明星6号」の先頭に立つ125号機。同機は末期に下関運転所で最後の活躍をしました。屋根上の抵抗器室カバーは川崎製の特徴の1エンド側と2エンド側が同じ小さな物になっています。廃車後も原形小窓、原形ワイパー姿で大宮工場内で茶色に塗装され保存されていましたが、残念ながら2001年11月に解体されました。

※原形小窓 原形ワイパー 抵抗器室カバー変形
撮影:森田さん  6032レ「明星6号」  大阪 1979.7.21
製造年月日:S32.3.22
製造:川崎車輌・川崎重工
廃車:S60.9.30〔下関(転)〕
JR東日本大宮工場にて保存
H13(2001)年11月に解体
kk0630-EF58125 下関運転所に転属し、EF62に置き換え直前の東海道・山陽線の荷物列車の先頭に立つ125号機。SGのスチームをくゆらせる姿が郷愁を誘います。それにしても、そのEF62も既に本線上に無く、ゴハチの方が長生きするとはよもや思いませんでした。
撮影:kk0630さん  荷38レ  大阪 1984.3.18
to198403-EF58125 現在も茶色に塗装されて大宮工場に保存されている同機ですが、その状態は楽観できるものではないようです。個人的にはこの青塗装の方が好きですが…。
「下関集中により残存機全てに運用が回ってくる確率のあった荷33レです。特急旅客機本来の仕事場(?)だった東海道客線を走る姿がよかったです。」(To198403さん)
撮影:To198403さん  荷33レ  保土ヶ谷―東戸塚 1984.3
morishige-EF58125 昭和59年(1984年)の夏休みに行われた浜松機関区の撮影会に展示された姿です。右端のクモル(ですよね)の姿も懐かしいですね。
撮影:Morishigeさん  浜松機関区 1984.8.1〜8.31
Tc153-501-EF58125 「小田原駅では荷2033レ到着の数分前に、小田急の荷電が東海道ホーム(中線)まで乗り入れていました。係員が荷2033レ積込用荷物を慌しく降ろすと、荷電は逃げるように引上げて行くのです。この間わずか4〜5分、この荷電とゴハチがホームで顔を合わせることは決してありませんでした。この荷電(ローズピンクに白帯・形式不明)もちゃんと撮影しとくべきでした。」(Tc153−501さん)
撮影:Tc153−501さん  小田原 撮影年月日不明
ef5852-ef58125 「夏場はミハ座への暖房供給の必要がありませんでしたが、当時の東海道本線ではほとんど宮原区のEF58が牽引していました。」(EF5852さん)
撮影:EF5852さん   藤枝―島枝 1983.6
hokkyoku-ef58125 濛々とSGのスチームを吹き上げる勇姿。こうした光景はかつては冬の客車列車の風物詩でしたが、今では想像もつきませんね。
「寒い雨の日で、SGの煙を濛々と上げ、入線時にはSLか?なんて思ったほどでした。」(北極ぐま閣下さん)
撮影:北極ぐま閣下さん   荷39レ  大阪 1984.2.26
sugi-EF58125 SGをたなびかせ荷物列車を牽く。編成も旧形のマニやオユで渋いです。
「列車番号が不明です。ネガを確認すると、前に上り「はまかぜ1号」2024D、後に下りEF65501牽引の「しおじ54号」が写ってます。この場所は、現在は甲南山手駅になっています。」(針葉樹林鉄道研究会の杉さん)
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  下り荷レ  芦屋―摂津本山 1975.2.11
bin-EF58125 朝陽を浴びて茶色のマニが主流の荷物列車を牽き湯河原の大カーブを行く。パンタのホーン部分の赤色が目立ちます。
撮影:BINさん  荷32レ  湯河原―真鶴 1975.12.20
 EF58 126〔宮原〕
20系団臨の先頭に立つ126号機。実はこのとき、台風の影響で九州線内、山陽本線は不通でした。(新幹線は何とか動いてましたが)おかげで予定がすっかり狂ってしまって大変でした。(EF59も取り損ねた…)
宮原区の小窓機は正面窓、及びワイパーの未改造機が多く残っていました。(更新改造機も多かったですが…。)

※原形小窓 原形ワイパー 抵抗器室カバー変形
下関 1980.8.30
製造年月日:S32.4.11
製造:川崎車輌・川崎重工
廃車:S60.9.12〔吹田〕
一番上の写真と同じ時に撮ったもの。晩年の宮原の標準的な原形小窓機スタイルです。 本機も屋根上の抵抗器室カバーは川崎製の特徴の1エンド側と2エンド側が同じ小さな物になっています。
下関 1980.8.30
19850106-ef58126 久々にポジを発掘しました。ご存知、名所山崎―神足を行く126号機。下の127号機を撮影した後ですが、これまたゴハチが来るとは知らずに撮ってました。この時、まだゴハチが現役で残っているとは思わなかったのでとても驚いた覚えがあります。隣を併走する低運転台の103系も懐かしいです。
  山崎―神足 1985.1.6
ef5853-EF58126 こちらはお馴染みEF5853さん撮影の名所、金谷〜菊川を行く126号機のキハ甲種です。
「緑に青に茶に赤と色とりどり。ちょっとシャッターを切るのが早かったようです・・・・。」(EF5853さん)
撮影:EF5853さん 8101レ マニ35+キハ48x5[名ミオ]  金谷―菊川 1981.7.25
kk0630-EF58126 「サロンカーなにわ」を使用した団臨を牽く126号機。原形小窓、原形ワイパーが美しい…。
撮影:kk0630さん  須磨 1984.3.29
EF5852-EF58126 「デビュー間もないお座敷列車『白樺』を牽引する宮原区の126号機です。早朝の関ヶ原走行時に付いたと思われる雪がスノウプロウ取付座と前端梁に残っています。」(EF5852さん)
撮影:EF5852さん  藤枝―焼津 1984.2.7
karashima-EF58126 宮原のゴハチはブルトレ運用から撤退した後も「つるぎ」の24系25形の回送を担当していました。回送とは言え長編成のブルトレの先頭に立つ姿は、急客機として生まれた誇りを感じさせます。
撮影:辛子真緑さん  回5005レ 大阪 1983.8
karashima-ef58126b 同じく辛子真緑さん撮影の126号機。
「これは、大阪駅10番ホームにいる『荷34レ』汐留行きで、ここ大阪で浜松のカマに引き継ぐ運用でした。(ネタばれ?(笑)) 撮影は、S59年1月某日ですが、このあと私は『本山支線』のクモハ42の撮影&乗車に行っています。あの頃は、早晩新性能車に置き換えられる・・・との噂しきりだったのですが、まさか21世紀も残っているとは!今にして思えば、後ろに写っている583系も、もっと撮っておけば・・・と、後悔しきりです。(T-T)」(辛子真緑さん)
撮影:辛子真緑さん  荷34レ 大阪 1984.1
timebokan-ef58126 「サロンカーなにわ」を牽引して夕暮れの大阪に佇む126号機。綺麗に化粧された姿は最後の晴れ姿と言ったところでしょうか…。
撮影:タイム母艦さん  大阪 1985.1.5
H-yamaguchi-ef58126 荷物列車を牽き山陽本線の名撮影地を行く。晩年の荷物列車牽引仕業はゴハチ最後の牙城とも言えましょう。
撮影:山口裕志さん  荷2031レ  須磨―塩屋 1981.3.26
ef5831-ef58126 「いわずと知れた関西のブルトレ撮影名所山崎です。今となっては懐かしい14系ハザの急行阿蘇です。当時は急行料金で特急車両に乗れるため周遊券で旅行の際頻繁に利用しました。」(EF5831さん)
撮影:EF5831さん   回204レ「阿蘇」回送  山崎―高槻 1978.8
fj62g-ef58126 宮原機関区で交番検査中の126号機。本機は下関集中配置を127,150号機と共に免れ最後まで関西地区で波動輸送に活躍しました。ちなみにこの3両は新製から昭和60年に吹田に移動するまで一度も宮原区を離れたことのない同区生え抜きのゴハチでした。
撮影:FJ62Gさん  宮原機関区 1984.1.16
fj62g-ef58126 「米原の撮影会の帰り大阪まで足をのばしたのですが、吹田あたりで「吹田信号所のゴハチ達はどうなったかな…?」と思って車窓を眺めていたら、留置中のDD51に混じってEF58を発見したため急遽向かいました。」(FJ62Gさん)
上の姿から1年2ヶ月あまり後の姿ですが、何とも哀れな雰囲気に…。既にナンバーを外されて赤錆びた隣の初期形DD51は7号機だそうです。
撮影:FJ62Gさん  吹田信号場 1985.3.31
shin-san-EF58126 新年を記念した宮原区特製のヘッドマークを掲げて顔を並べた127,126,150号機の宮原の原形小窓3兄弟。
「保線職員として宮原操車場に勤務していた当時、北方貨物線の線路巡回から帰ってくると機関区にて職員の人達が何やら記念撮影をしていたので、慌てて事務所からカメラを持ってきて撮影しました。」(床屋のシンサンさん)
撮影:床屋のシンサンさん   宮原機関区 1985.1
 EF58 127〔宮原〕
19850106-ef58127-2 宮原区のお正月ヘッドマークを付け金光臨の先頭に立つ127号機。本機も宮原区に最後まで残っていた一両です。パンタグラフの摺り板が鉄製の原形。この頃既に鉄道の写真はほとんど撮っていなかったのですが、山陰への旅行時にたまたま撮影したカット。(^^;) お正月の晴れ姿なのでしょうか、連結器解放テコが銀色に塗られているのが面白いです。

※原形小窓 原形ワイパー
9325レ  大阪 1985.1.6
製造年月日:S32.3.14
製造:東洋電機・汽車会社
廃車:S60.10.14〔吹田〕
to198403-EF58127 「掲示板ですこしお話した重連です。次位は確か96でした。慣れない場所での撮影で、結局列車通過までに側面に日が回らなかったのが悔しいです。小学生のころ見た荷35レ以来、そして私にとって最後に見たゴハチ重連です。(パンタ4つ上げてほしかった…)」(To198403さん)
撮影:To198403さん  関が原付近 1983.11.23
timebokan-EF58127 「この写真は昭和60年8月24日の吹田機関区の撮影会の時のものです。127号機はこの年の3月まで東海道をSGの煙をたなびかせながら走っており、私がゴハチのSGを見たのも同機で引退以来、久々に吹田で見た同機は相変わらず美しい姿のままでこの日が最後の出会いとなってしまいました。」(タイム母艦さん)
撮影:タイム母艦さん  吹田機関区 1985.8.24
EF5852-EF58127 「原形小窓の美しい宮原区の127号機牽引の団臨です。124号機を除き、この127号機までが側面ナンバーがプレート式でした。」(EF5852さん)
撮影:EF5852さん  焼津―藤枝 1984.1.27
kumoyuni143-EF58127 御殿場ファミリー号のヘッドマークを付けた127号機とEF65PFが仲良く顔を並べた姿。
「この時は、静岡と東京から同名の列車が運転されました。静岡から来たEF58127牽引のファミリー号と東京から来たEF651112のファミリー号を側線に並べてチョツトした撮影会になりました。御殿場駅の職員さんのおかげで貴重な写真が撮れました。今はファミリーランドもアウトレットになってしまいましたが・・・。」(クモユニ143さん)
撮影:クモユニ143さん  御殿場 1984.3.4
c11204-ef58127 一般形客車で組成された急行「銀河2号」を牽き根府川橋梁を渡る127号機。機関車次位にはせ狭窓のスハフ43、スハ44の姿が見えます。この頃の「銀河」はこの「2号」と「紀伊」と併結の「1号」の2往復でした。
撮影:C11204さん  104レ「銀河2号」  根府川付近 1974.11.23
karashima-ef58127 「京都駅の電留に、パンタを下げて留め置かれていました。パンタが下がっているとはいえ、こんな真正面から撮影できることはまず滅多になかったので、嬉しがって撮影したものです。(笑) 」(辛子真緑さん)

望遠系で撮られた姿が図面の正面図に近い雰囲気ですね。

撮影:辛子真緑さん  京都 1984.2中頃
shin-san-EF58127 新製時から1985年3月に吹田へ転属するまでのネグラだった宮原区で待機する姿で2エンド側です。連結器解放テコと握り棒の銀塗装から最晩年の姿ですね。良く見ると先輪の踏面にかなり錆が浮いているので、しばらく動いていなかったのが見受けられます。
撮影:床屋のシンサンさん   宮原機関区 1985年頃
shin-san-EF58127 同じく宮原区で待機中の姿で1エンド側です。日立製ほどではありませんが本機のオデコも上の川崎製に比べて角ばっています。鉄製のパンタの擦り板の端部が赤く塗られているのが目を引きますが晩年の宮原ゴハチでは結構目にする姿です。
「宮原操車場勤務時代の写真が出てきたので送らせて頂きます。この日も線路巡回から帰ってきたところ、パンタが下がったっ状態で停まっていたのですが撮影をしていると機関区の方が来てパンタを上げてくれました。」(床屋のシンサンさん)
撮影:床屋のシンサンさん   宮原機関区 1985年頃
taki10450-EF58127 下り臨時列車を牽いて大阪駅に入線する姿でこれも1エンド側です。パンタの擦り板は1エンド側が端が赤く塗られた鉄製で2エンド側は手前がアルミで奥がやはり端が赤く塗られた鉄製の様です。ホーム上の家族連れの姿に時代を感じます。
「記録が無いので団臨牽引かと思ってましたが、12系には愛称板が刺さっているように見え、黄緑っぽいラインが見えるので「○○ 指定席」とでも書かれているのでしょうか?」(タキ10450さん)
撮影:タキ10450さん(『タキ10450』の国鉄時代の記録) 下り臨レ  大阪 1981.8.9

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