ELECTRIC LOCOMOTIVE EF58  Vol.7
EF58 48〜59

Last Update 2024.12.4

Index EF5848 EF5849 EF5850 EF5851 EF5852 EF5853
EF5854 EF5855 EF5856 EF5857 EF5858 EF5859

 第3次増備車(48〜68号機) その1

昭和28年7月の東海道本線・名古屋電化用として製造されたグループです。製造時の形態は、第2次形とほぼ同じで前面窓が大窓、水切り、誘導踏段、握り棒が無い姿でパンタはPS14でした。第2次形との差異は側窓の第1・第5が開閉可能となった点です。また、このグループには御召列車専用機として特殊装備を付けて製造された60・61号機も含まれます。

※印…主な特徴です。画像をクリックすると大きなものが表示されます。

 EF58 48〔宮原〕
EF5848 臨時「銀河」を牽く48号機。宮原区の大窓機の多くは早くから更新改造が施されていました。外蓋式標識灯に白Hゴムの前面窓、幅広の水切りが上寄りに付いた独特の表情です。

※更新改造 白Hゴム 昇降手すり短縮改造(機関士側のみ)
6102レ「銀河52号」  大森―大井町 1980.8
製造年月日:S28.3.18
製造:日立製作所
廃車:S59.11.26〔下関(転)〕
EF5848 20系「銀河」を牽き横浜駅に到着。20系とEF58の組み合わせは実に良く似合います。
本機の側扉横の昇降手すりも機関士側のみ短縮改造されています。
104レ「銀河」 横浜 1978.5.3
kk0630-EF5848 当時はファンから嫌われた更新改造機ですが、今にしてみればこの姿にも長年生き続けてきた味があるようにも思えます。(私、結構好きなんです。ある面、この姿があるからこそ原型機の美しさが引き立つとも言えますし…。^^;)
撮影:kk0630さん 名古屋 1983.3.29
mamupi-EF5848 荷レの先頭に立ち東海道本線を快走する48号機。
撮影:まむぴさん  荷31レor荷33レ  清水付近 1984.3
teru-EF5848 晩年、回送ながらブルトレの先頭に立つ姿を見ることが出来ました。長編成の列車を牽く姿はやはり良いですね。ゴハチはやはりこうで無いと…。(^^)
撮影:てるさんOutdoor.site  回5006レ「つるぎ」回送  吹田―東淀川 1983.3.26
ohno-ef5848 荷35レの先頭に立ち横浜駅に進入する48号機+164号機。隣の横浜線の103系?も懐かしい…。ふと、気付けばこの日、私も横浜駅で荷35レを見送ってます。写真はズタボロですが…。(^^;)
撮影:ohnoさん  荷35レ 横浜 1978.5.3
ef5852-ef5848 「下関区で最後の活躍をする48号機ですが、前面飾り帯に無数のビス止めの形跡がありかなり疲れた感じですね。」(EF5852さん)
撮影:EF5852さん   焼津―藤枝 1984.3.12
sugi-ef5848 オリジナルの24系12連の「彗星5号」を牽く48号機。ヘッドマークが無いのが残念ですが長編成のブルトレの先頭に立つ姿は特急牽引器の面目躍如。
「こいつもヘッドマークがついておらず、大変がっかりしたのを覚えています。この日の上り彗星、あかつきは1本もヘッドマーク付きはありませんでした。」(針葉樹林鉄道研究会の杉さん)
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  42レ「彗星5号」  摂津本山―芦屋 1975.3.9
sugi-ef5848 上り「銀河」の回送を牽き神田方から東京駅に入線する48号機。白Hゴムを多用した20系客車には直流標準色に白Hゴムの更新改造機がもしかしたらベストマッチと言えるかも知れません。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  回104レ「銀河」  東京 1979.9.1
bin-ef5848 上り「銀河」の先頭に立つ。白Hゴムに外蓋式の標識燈も60系電機っぽいイメージで今になってみれば原形とは異なる魅力を感じます。
撮影:BINさん  104レ「銀河」  戸塚―保土ヶ谷 1978.1
 EF58 49〔東京〕
6348-EF5849 雑客(旧客と言うよりしっくりきます)を牽いて東海道を下る東京区の49号機。同機はかつて長岡にいたことがあり、上越型特有の前面の標識灯掛けの移設が行われています。つらら切りに小型の汽笛カバーが粋な感じです。東海道・山陽筋のゴハチがエアフィルタのビニロックフィルタ化されたなか、東北・上越方面へ乗り入れる可能性のある東京区のゴハチは雪による目詰まりを懸念して原形のヨロイ窓のままでした。同じ理由で高崎や長岡の機もエアフィルタのビニロック化がされませんでした。
何かの臨時列車の回送らしいです。かつての東海道昼行急行を思わせます。

※つらら切り 小型汽笛カバー 標識灯掛け前端バリ取付 原形フィルタ
撮影:6348レさん 早川―根府川 1979.5.12
製造年月日:S28.3.28
製造:日立製作所
廃車:S56.2.6〔東京〕
ef5853-EF5849 「この日は、185系落成第1陣の試運転があった日でもあるのですが、49の廃回を知って撮りに行ったかはもう覚えてません。DD13205に引き出されて2581レに付けられました。」(EF5853さん)
撮影:EF5853さん 品川 廃車回送 1981.2.12
Mr.slim-EF5849 49号機の特徴が良く分かるカットです。下向きのつらら切りに前端バリ上の標識灯掛けが、東海道スジのゴハチとしてはいかつい印象です。
撮影:Mr.スリムさんMr.スリムの道楽部屋   浜松 1974
ohno-ef5849 浜松区のゴハチの台検肩代わり運用で荷38レを牽く。夕闇迫る新子安を通過。
撮影:ohnoさん  荷38レ 新子安 1976.8.31
c11204-ef5849 青い旧客を従えヘッドライトを輝かせ米神のS字カーブを行く49号機。こんなシーンをもう一度見てみたいモンです…。(;_;)
撮影:C11204さん   早川―根府川 1976.8
sugi-ef5849 上野駅で発車を待つ臨時「八甲田」の先頭に立つ。年末年始輸送の応援で東京区から宇都宮区への貸出中でしょうか。
「臨時の八甲田はEF57だと期待してたのですが…」(針葉樹林鉄道研究会の杉さん)
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  6101レ「八甲田51号」  上野 1976.1.4
sugi-ef5849 東京機関区でお休み中の49号機。つらら切りに小形の汽笛カバー姿が精悍です。ゴハチの長い車体が強調されたアングルで、改めてゴハチに惚れ直してしまいます。
「電柱にかぶらず、絶好の位置で撮影できました。これでパンタが上がっていたら完璧…あっ、ドアが開いている!その時は全く気づきませんでした。 」(針葉樹林鉄道研究会の杉さん)
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  東京機関区 1976.8.6
shimoda-EF5849 長編成の14系座の先頭に立つ姿はこの頃のゴハチらしい姿ですね。列車は臨時「銀河」かと思いきや、8342レと言う列番だと違いましょうか。14系にサボが入っている様に見えるので団臨では無さそうですが…はて?
撮影:ゴハチロクマルさん  8342レ  真鶴―根府川 1979年
 EF58 50〔長岡(転)〕
ef5853-EF5850 20系「天の川」の先頭に立つ50号機。長岡区のゴハチは側窓変形機の35号機をはじめ、上越形としては若番が多くいました。なお、上の49号機同様、同機の汽笛カバーも小型(60系電機に似たもの)で、他に51,59号機の4両がそのタイプを装備していました。なお、本機は昭和31年4月の山口県植樹祭で51、71号機と共にお召予備指定を受け3月にお召予備機整備を受けています。
「これが唯一の生きた50の写真です。次に会った時には、長岡運転所で1休になってました・・・。」(EF5853さん)

※電暖 電暖表示灯新 上越型 小型汽笛カバー P形 更新改造 ヘッドマーク取付座無し
撮影:EF5853さん  802レ「天の川」 長岡 1979.3.17
製造年月日:S28.3.31
製造:日立製作所
廃車:S55.6.6〔長岡(転)〕
ef5853-EF5850b こちらはその1休中の同機です。
「EF152を撮ってふと見ると、ずーっと一番奥の、他に仲間もいないところにぽつん・・と58が1両。ゲッ!何番だ?と近づいていったら・・「1休」の札がはいった50でした。東京に戻って、「50が1休になってた」といったら「うっそー」とあわてた人間が数人いましたっけ。」(EF5853さん)
撮影:EF5853さん  長岡運転所 1979.8.11
ohno-ef5850 「みなさん同じだとは思いますが、長岡のEF58は鶯谷で撮った写真が多く、それ以外の場所で撮ったものにロクな写真がありません。気がついたときには、長岡区の運用が少なくなってました。時すでに遅し・・・・・」(ohnoさん)
撮影:ohnoさん  柏崎 1979.2.19
mt40-ef5850 更新改造が施された上越形に小形の汽笛カバーの出で立ちは、標準形のゴハチとは別形式と言った趣です。
撮影:MT40さん  大宮 1977〜1978年
 EF58 51〔長岡(転)〕
Nishino-EF5851 リンクでお世話になっている西野さん撮影の51号機。同機は昭和48年に電暖改造が行われています。更新改造も施され、外蓋式の標識灯とFRP化された側扉が上越型では異色です。なお、上越形では標識灯掛けの移設に伴い、前面ステップの両側が欠き取られていますが、同機は欠き取りが大きく、ステップが中央のほんの少ししか残っていません。汽笛カバーは小型の物です。なお、本機は昭和31年4月の山口県植樹祭で50、71号機と共にお召予備指定を受け3月にお召予備機整備を受けています。

※電暖 電暖表示灯新 上越形 小型汽笛カバー 更新改造
撮影:Y.NishinoさんY.Nishinoのホームページ)  大宮 1974.3
製造年月日:S28.4.22
製造:日立製作所
廃車:S56.9.1〔長岡(転)〕
kawasaki-EF5851 深夜の石打にて補機のEF16を待つ51号機。撮影時期と編成からおそらく「能登」だと思われます。
撮影:川崎大輔さん  石打 1979.2
ohno-ef5851 新幹線高架工事がたけなわの長岡運転所を出区する51号機。小形の汽笛カバーが良く分かります。
撮影:ohnoさん  長岡運転所 1979.2.19
深夜の長岡で顔を並べる71号機牽引の寝台特急「北陸」と51号機牽引の寝台急行「天の川」。どちらも同じPS14パンタの上越形ですが、更新改造機と未施行機で印象は随分と異なります。
撮影:佐々木さん  3002レ「北陸」 802レ「天の川」  長岡 1978.8
shocho-ef5851 「下り夜行733Mで上越線に向かう途中、高崎で733Mが「バカ停」し、「天の川」に抜かれるところを撮影しました。停車しているのは1番線で、新幹線工事が始まる前の高崎駅の駅舎の屋根が写っています。」(所長失格さん)
誰もいない高崎駅、ホームの柱や看板なども味があって良いですね。51号機の電暖表示灯が点灯している事から冬場の撮影でしょう。
撮影:所長失格さん   803レ「天の川」  高崎 1979
5860-ef5861 上り「能登」の推回シーン。こちらは1エンド側です。よく見ると車体裾のスカート前面下部に御召装備の旗竿受台を設置した痕跡が見受けられます。極端に小さい前面踏板はおそらく御召予備機に指定された際、旗竿が干渉する部分を61号機の様に部分的に欠き取るのではなくごっそり削った為かと思われます。
撮影:ゴハチロクマルさん   回602レ「能登」  鶯谷 1980.2
 EF58 52〔浜松〕
EF5852 高崎第二区時代のつらら切りを装備した52号機。浜松区のつらら切り装備機は珍しいですね。高崎から浜松へ転属後更新改造が行われ、その際汽笛カバーは外されてます。前面の標識灯掛けは車体裾から上越型の特徴である前端バリ上部へ移設されています。

※つらら切り 標識灯掛け前端バリ取付 更新改造 原形フィルタ
荷 レ   根府川―早川 1980 
製造年月日:S28.5.29
製造:日立製作所
廃車:S58.4.21〔浜松〕
6348-EF5852 「出雲2号・紀伊」を牽き米神のS字カーブを駆け抜ける。
撮影:6348レさん 2004レ「出雲2号・紀伊」 早川―根府川 1979.6.24 
kk0630-EF5852 こちらはkk0630さん撮影の52号機です。前端バリに移設された標識灯掛けが良く分かります。上越地区に配属されたゴハチで標識灯掛けが移設された物は多線区へ転属後もそのまま残されていました。(36号機のみ例外)なお、同機は汽笛カバーも装備していましたが東海道転属後外されています。
撮影:kk0630さん  荷33レ  豊橋 1983.3.29 
Mr.slim-EF5852 斜光を浴びて佇む姿が印象的なカットです。
「夕方の上り荷物列車です。ナンバーがよくわかりませんが52号機に間違いありません。」(Mr.スリムさん)
撮影:Mr.スリムさんMr.スリムの道楽部屋  浜松 1974年頃
Mr.slim-EF5852 つらら切りに更新改造姿が何とも精悍なイメージです。何か新型電機を見るような洗練された感じさえしてきますね。
撮影:Mr.スリムさんMr.スリムの道楽部屋  浜松 1975年頃
EF5852-EF5852 「晩年の荷物列車仕業です。67号機亡き後、浜松区で唯一つらら切り装着機として異彩を放ってきました。残念ながら下関集中配置の1年前に同区の若番、1,5,60号機と共に廃車となりました。」(EF5852さん)
撮影:EF5852さん  藤枝―島田 1983.1
Tc153-501-EF5852 浜松区で最後の活躍をする52号機。
「所定宮原区担当の荷2033レに使用された浜松区52号機。荷2033レは青一色の新型荷物車で統一された綺麗な編成でした。」(Tc153−501さん)
撮影:Tc153−501さん  荷2033レ 二宮―国府津 1983年?
ohno-ef5852 更新改造につらら切り、デフロスタ、大形のPS14Aパンタが浜松区としては異色です。
撮影:ohnoさん  荷2033レ 辻堂―平塚 1980.7.27
H-yamaguchi-ef5852 81系お座敷(多分)の団臨を牽く52号機。普段、荷物列車牽引専用と言った印象が強かった浜松ガマも、客レの先頭に立つ姿は輝いて見えますね。
撮影:山口裕志さん  豊橋―西小坂井 1981.11.23
ef5831-ef5852b SGの蒸気をほのかに漂わせながら発車を待つ52号機。広角レンズがつらら切りや移設された標識燈掛けを強調します。
「西日本エリアで見られるゴハチのなかでも、上越からやってきた52号機は汽笛カバーこそ外されているものの原型フィルターやつららきり、デフロスタなどの重装備が厳つく、異彩を放っていました。」(EF5831さん)
撮影:EF5831さん  荷30レ  広島 1978.1.2
ef5831-ef5852 夕闇迫る?瀬野駅を通過する荷物列車。跨線橋や石積みのホームなど、古き良き鉄道黄金時代を彷彿させます。この瀬野駅も今はどうなってるんでしょう…?
撮影:EF5831さん  下り荷37レ?  瀬野 1976.8.3
sugi-EF5852 浜松機関区で昼寝中の52号機。正面から見ると外蓋式の標識燈が目立ちます。ある意味、近代的な表情と言えなくもありませんが…。(^_^;)
「EH10の左側に写っているホームは、遠州鉄道の今は無き『遠州馬込駅』と思われます。 」(針葉樹林鉄道研究会の杉さん)
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  浜松機関区 1976.8.1
sugi-EF5852 SGの送気管から漏れる蒸気と安全弁から吹き上げる蒸気がいかにも冬のゴハチですね。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん   下り荷レ  姫路 1980.4.5
sugi-EF5852 サイド気味のアングルはゴハチの長い車体が強調されるので好きなアングルです。ゴハチの魅力はやはりこの長い車体が大きいと思います。隣のEF61の姿も懐かしいです。 ゴハチの正当な後継機として登場しながらも、18両の少数派でそれほど目立った活躍もありませんでした。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん   広島機関区?  1980.4.5
sugi-EF5852 上からのアングルで取り外された汽笛カバーの取付跡が確認できます。
「広島で52号機を撮影し、その後、瀬野へ行き、瀬野駅の駅舎で野宿。翌朝からEF59を撮影。その時また52号機と出会いました。この場所は瀬野駅から上り方向へ20分程歩いた所です。そこには線路を跨ぐ陸橋があります。人だけが通れる細い陸橋で、グーグルを見ると今もあります。すぐ近くには自動車の通る踏切があり、列車が近づくと警音でわかるので、撮影には好都合な場所です。」(針葉樹林鉄道研究会の杉さん)
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん   上り荷レ  瀬野―八本松  1980.4.6
sugi-EF5852 今度は下から見上げるアングルです。つらら切りの存在感が増して格好良いですね。
「この52号機とは、急によく出会うことになりました。」(針葉樹林鉄道研究会の杉さん)
不思議とやたらと相性の良いカマってありますよね。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん   下り荷レ 摂津本山―住吉  1980.5頃
 EF58 53〔宮原〕
EF5853 「銀河」 この当時、宮原区には40数両ものEF58が配置されていましたが、その中で大窓原形機は47号機とこの53号機の2両のみで、その姿を拝める機会は非常に少ないものでした。その為、同機が上り「銀河」の牽引に当たるとたくさんのファンが沿線に繰り出してました。

※大窓 原形ワイパー PS15パンタ 昇降手すり短縮改造(機関士側のみ)
104レ「銀河」  真鶴―根府川 1980.2.10
製造年月日:S28.6.24
製造:日立製作所
廃車:S56.6.1〔宮原〕
EF5853 「銀河」 「銀河」の牽引機は昭和55年10月改正でEF651000番台へ変更になっており、この日が同機の最後の「銀河」牽引となったようです。この日は「53が入る」と聞いて学校サボって撮りに行きました。時効…と言うことで。(^_^;) ちなみにこの時のネガには35号機「北陸」、61の御召し試運転が一緒に写っており、非常にテンションが上がってました。
104レ「銀河」  大森―大井町 1980.9.24
EF5853 「銀河」 上の写真を撮影後、速攻で大森駅に戻って神田まで行き、今は無き神田の引き上げ線で機回し作業中の姿を捕らえることができました。この辺りの情景も新幹線、上野・東京ラインの開通ですっかり変わっています。後ろの平和相互銀行のビルは三井住友銀行に名を変えて今も健在ですね。
104レ「銀河」回送  神田 1980.9.24
EF5853 パンタグラフのPS15化やエアフィルタのビニロックフィルタ化はされていますが、ワイパーが左右とも原形のKW3Dということもあり、とてもすっきりとした表情です。なお、同機の側扉横の昇降手すりは機関士側のみ短縮改造されています。ちなみにこちらは2エンド側。後ろのナハネフ22の「銀河」のバックサインは絵入りの物になっています。
神田 1980.9.24
EF5853 こちらは1エンド側。本機の最終全検は車体の標記を見るとこの写真の1年半ほど前の昭和54年1月ですが、その割には既に大分くたびれた様子です。ところで、本機の「日立」の銘板は小形の楕円形ですが、次に落成したお召機61号機から105号機(昭和32年3月6日落成)まで特徴ある切り抜き文字式になっています。
神田 1980.9.24
EF5853 同じく神田駅での機回し風景です。転線して東京方に移動中、「銀河」の絵入りバックサインを掲げたナハネフ22と一瞬顔を並べました。「銀河」のバックサインはこの年の7月25日の104レから掲出されました。それまでは単なる「急行」の文字のみの味気ない物だっただけに、こうしてゴハチと絵入りのバックサインを一緒に撮影する機会が得られたのは、ファンとしてはとても嬉しい事でした。この日は同機最後の上京と言う事で、神田駅のホーム上は平日にも関わらず多くのファンで賑わっていました。
神田 1980.9.24
EF5853 出雲3号・紀伊 上の「銀河」と同日、下り「出雲3号・紀伊」の回送を牽いて今は無き東京駅13番線に進入する53号機。東京駅12、13番線はブルトレブーム世代にとっては想い出深いホームですね。夕方4時過ぎの「さくら」から始まるゴールデンタイムには、両ホームから立て続けにブルトレが発車し、ホーム上は長距離優等列車独特の華やいだ空気に包まれていました。
回2003レ「出雲3号・紀伊」  東京 1980.9.24
EF5853 出雲3号・紀伊 同じく下り「出雲3号・紀伊」の回送です。到着後すぐ切離し作業が行われるのでその前に一枚。53.10(ゴオサントオ)改正(昭和53年10月改正)以降、宮原区のEF58は上り「銀河」〜下り「出雲3号・紀伊」と荷30レ〜荷2033レでしか上京して来ず、減ったとは言え30数両のゴハチの中で、当時高校生だった私にとっては53号機に出会えるチャンスはまれでした。それだけに同機が私にとって一番思い入れのあるEF58です。この後、同じく大窓の47号機と共に特にお別れ運転等も無く、ひっそりと姿を消していきました。
回2003レ「出雲3号・紀伊」  東京 1980.9.24
EF5853 出雲3号・紀伊 列車から切り離され一旦神田方に引き上げてから東京駅11番線を通過中です。こうした機回し作業も「富士・はやぶさ」の廃止ですっかり過去のものになりました。この後、私は横浜へ移動しました。
東京 1980.9.24
EF5853 出雲3号・紀伊 横浜駅に滑り込む53号機牽引「出雲3号・紀伊」。併結だったとは言え他の東京発のブルトレにはヘッドマークが取り付けられていただけに、看無しが何とも残念…。
2003レ「出雲3号・紀伊」  横浜 1980.9.24
EF5853 出雲3号・紀伊 14系14両の「出雲3号・紀伊」を従えて横浜駅の長いホームいっぱいに停車。老いたりとは言え長編成のブルトレの先頭に立つ姿は特急牽引機の風格が漂います。三脚無しの手持ち撮影なので露出が厳しいです。現代の機材であれば余裕で撮れるでしょうね…。
2003レ「出雲3号・紀伊」  横浜 1980.9.24
EF5853 出雲3号・紀伊 微妙にアングル違いをもう一枚。この日、この場所で53号機を見送ったファンは数名だったように思います。もしこれが現在だったら大変な事になるでしょうね。
機関車次位のスハネフの上に看板が光ってますが、これは横浜のコーヒーメーカー「三本コーヒー」の物。今でもM.M.Cコーヒーのネオンが同じ場所に見られます。
2003レ「出雲3号・紀伊」  横浜 1980.9.24
EF5853 出雲3号・紀伊 前燈をハイビームに切り替えて、ゆっくりと横浜駅を離れる53号機。これが私にとって53号機とのお別れとなりました。(T_T)
2003レ「出雲3号・紀伊」  横浜 1980.9.24
ef5853-EF5853 こちらはEF5853さん撮影の53号機。ハンドル名でもお分かりのように、同氏はたくさん53を撮られているようです。(羨ましいー。)
「当然この後は荷35レに入り、EF5853+EF58159となりました。」(EF5853さん)
撮影:EF5853さん  104レ「銀河」  保土ヶ谷 1978.7.17
ef5853-EF5853 荷35レ 上の「銀河」牽引の続きで荷35レの先頭に立つ53号機。次位は浜松の159号機。隣のEF65522も懐かしい…。
「このとき、EF5853が大窓であることには全く気づいておりませんでした。この為、むしろ隣のEF65522[米]の方をメインにした写真になっています。」(EF5853さん)
撮影:EF5853さん  荷35レ  品川 1978.7.17
ohno-ef5853 荷35レ先頭に立つ53号機。パンタグラフがまだPS14です。
「新子安は自宅から歩いて行けたので、手ごろな撮影場所でした。当時、ここで数多くの列車を撮影しましたが、他の方と一緒になるのは稀で、53号機の荷35レや67号機の臨レも他に撮影者はいませんでした。良い場所だったのですがねえ・・・・・」(ohnoさん)
今は何か特別なものが走るとなるともの凄い人だかりになります。隔世の感が…。
撮影:ohnoさん  荷35レ  新子安 1976.8.30
ohno-ef5853b 同じくohnoさん撮影の荷35レ先頭に立つ53号機です。53号機は晩年、宮原の大窓機として人気がありましたがパンタグラフはオリジナルのPS14からPS15に交換されていました。その為、避雷器取付位置が前に移動しています。(同じくohnoさんが同アングルで撮影された42号機の写真と比べると良く分かります。)
撮影:ohnoさん  荷35レ  鶴見―新子安 1977.5.19
ohno-ef5853c 宮原の大窓53号機と浜松の161号機の重連が牽引する荷35レ。荷35レがEF58重連となったのは50.3改正から53.10改正までの3年半ほどの間でした。
撮影:ohnoさん  荷35レ  新子安 1978.3.4
nakagawa-ef5853 品川駅構内で待機する53号機。これから荷物列車仕業に向かうところでしょうか。本機は多くの大窓機が改造や廃車で姿を消していくなか、晩年まで東海道でその美しい姿を見せてくれた貴重な存在で、ファンから絶大な人気を得ていました。
撮影:中川さん  品川 撮影年月日不明
mmrelax-ef5853 急行列車を牽くぶどう色標準色時代の同機。可動式雪かき器姿が精悍です。
この場所は現在の保土ヶ谷〜東戸塚の大仙寺踏切付近だと思われますが、周囲の光景は大分様変わりしていますね。左端に見える通称ハエたたきが時代を感じさせます。

撮影:mmRelaxさん(鉄道写真と切符)   戸塚―保土ヶ谷 1962頃
mmrelax-ef5853-3 同写真のカマアップでこちらは2エンド側です。側面の屋根昇降段の欠き取り施行済みで、パンタがPS14Aで雪かき器を装備している以外は塗装を除きぱっと見後年とそれほど印象は変わりません。が、良く見ると避雷器がLA12で側面フィルタが原形です。
後ろの客車2両目に10系寝台車が見られるので、この当時頻繁に走っていた夜行急行でしょうか。10系の後ろは片扉の様なのでスハネ30??

撮影:mmRelaxさん(鉄道写真と切符)   戸塚―保土ヶ谷 1962頃
bin-ef5853 上のmmRelaxさんのブドウ色時代の写真と架線柱数本程度の違いで、ほぼ同じ地点での撮影です。上の写真と比べてみると塗装の違いや雪かき器の有無以外にもパンタグラフ、避雷器、側面エアフィルタが異なり、十数年で結構変化している事が分かります。
撮影:BINさん    104レ「銀河」  戸塚―保土ヶ谷 1977.3.20
sugi-EF5853 金光駅で125号機と顔を並べる53号機。125号機が停まっているのは現在は撤去された4番線と思われ、パンタを下げて留置中のところを見るとおそらく金光臨でしょう。
「もう少し早く(遅く?)シャッターを切れば12系客車を従えるゴンパチの並びが撮れたのに、と悔やまれます。左のゴンパチは125号機と私のメモには書かれてあります。」(針葉樹林鉄道研究会の杉さん)
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  上り臨客  金光 1979.11.11
sugi-EF5853 颯爽と東海道を下る53号機。正面勝ちのアングルで見る大窓機はやはり優雅です。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん   8203レ  摂津本山―住吉 1980.1.7
sugi-EF5853 こちらは「きたぐに」を牽く姿で1エンド側です。宮原のゴハチが「きたぐに」を牽く姿には違和感を感じましたが、この当時の運用を見ると501レは米原区で502レは宮原区持ちだったんですね。編成も53.10まではオユの次位にグリーン車が連結されていたんですね。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん   502レ  大阪 1975.4.29
bin-ef5853 荷32レを牽き横浜に到着。こちらは2エンド側。普段は汚れてなかなか分かりずらい屋根上の青色が印象的です。良く見るとこの2エンド側の助士側の前面手すりの取付位置が何やら窓と平行になってませんね。バックには建設中の高島屋と相鉄ジョイナスの姿が見えます。
撮影:BINさん    荷32レ  横浜 1977.4.29
 EF58 54〔宮原〕
6348-EF5854 更新改造ですっかりイメージが変わってしまった54号機。パンタグラフは原形のPS14Aのままです。大窓機は前面窓のHゴム化と同時に小窓への改造もされているため、その印象は改造前と大きく異なります。
さて、本機の製造日は55号機よりも遅くなっていますが、これは日立と東芝にそれぞれ割り振られた54号と61号のナンバーを入れ替えた事から生じています。本来なら日立製お召機のナンバーは54号になるはずでしたが「お召機は連番が望ましい」と言うことで、東芝に割り振られていた61号が日立製お召機のナンバーとなり、東芝製61号になるはずだった本機は54号機として落成したのです。

※更新改造 白Hゴム
撮影:6348レさん  荷32レ  早川 1979
製造年月日:S28.7.13
製造:東京芝浦電気
廃車:S58.1.29〔宮原〕
kumoyuni143-EF5854 宮原区の81系お座敷を牽く54号機。更新改造機も今見るとなかなか味がありますね。 こちらは1エンド側。
撮影:クモユニ143さん  7111レ  富士 1980年頃
ef5852-EF5854 荷物列車を牽き東海道を下る。こちらも1エンド側。
「宮原区に配置されていた若番の典型的更新改を受けた54号機です。WP50型ワイパーを装着していますが、機関士側が原色シルバーで機関助手側が青色です。同機は、翌年に同僚の46号機と共に廃車になりました。」(EF5852さん)
撮影:EF5852さん  荷2033レ  焼津―藤枝 1982.8
sugi-ef5854 14系座席車12両と荷物車1両の13両編成で組成された急行「雲仙・西海」を牽き東海道を駆け抜ける。こちらは2エンド側です。ゴハチにはやはり荷物列車よりも長編成の客レの先頭に立つ姿の方が似合います。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  202レ「雲仙・西海」  住吉―摂津本山 1976.5.5
bin-ef5854 荷32レを牽き横浜駅に進入する。こちらは1エンド側です。前面の誘導握り棒が銀色に塗られています。
撮影:BINさん    荷32レ  横浜 1978.3.4
bin-ef5854 名古屋駅の留置線で一休みの姿でこちらは2エンド側です。上の写真と同じく握り棒が銀色に塗られているのが分かります。この2エンド側の水切りですが、更新改造時に幅を広くした水切りの取付位置をWP50ワイパー化に合わせて上に移動したものの、実際にはそれでは足りなかったのか、良く見ると前面窓水切りのワイパー部分に微妙に逃げが設けられているのが確認できます。
撮影:BINさん    名古屋 1981.2.18
 EF58 55〔宮原〕
6348-EF5855 こちらも更新改造後の元大窓機。パンタグラフもPS15に換装済みです。西のEF58を担当していた鷹取工場では白Hゴムを使用しており、前面窓がHゴム化されるととても目立ちます。珍しくナハネフの前にオマケが付いてますね。なお、同機の昇降手すりも機関士側のみ短縮改造されています。

※更新改造 白Hゴム 昇降手すり短縮改造(機関士側のみ)
撮影:6348レさん  104レ「銀河」  早川 1979
製造年月日:S28.3.11
製造:東京芝浦電気
廃車:S56.6.1〔宮原〕 
Mr.slim-EF5855 更新改造後の姿ですが、パンタグラフはまだ原形のPS14Aです。
撮影:Mr.スリムさんMr.スリムの道楽部屋  下り荷レ 浜松  1974年頃
ohno-ef5855 お馴染みの荷35レで重連先頭に立つ55号機。
撮影:ohnoさん  荷35レ  鶴見 1976.12.23
f-ichiro-ef5855 大窓茶色が美しい55号機。東京区時代の姿ですね。機関車次位はスハフ32でしょうか。
線路と脇の砂利道を隔てる柵も無い長閑な光景。奥に見える踏切にも警報機すら無さそうですし古き良き…と言う言葉がピッタリですが、現在の姿からはとても想像できませんね。
「1962年9月頃の一コマです。列車は東京発名古屋行335列車と思われます。わずか7両ですが1等車が組まれています。」(Fのイチロさん)

撮影:Fのイチローさん  335レ  辻堂―茅ヶ崎 1962.9頃
sugi-ef5855 12系のみで組成された夏の臨時急行「屋久島51号」を牽く55号機。パンタはPS14です。更新改造機と12系などの新系列客車の組み合わせはなかなか似合うと思います。定期の「屋久島」はこの年の3月改正で廃止になっています。ハネとロネが無くなったとは言え定期時代のハザは非冷房だったので、ある意味サービスアップとも言えましょうか。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  8204レ「屋久島51号」  住吉―摂津本山 1975.8.9
sugi-ef5855 12系客車を牽き地上時代の浜松駅に進入する55号機。パンタはPS15になっています。ただでさえ高い鷹取工場の更新改造機の水切りの取付位置が、本機の場合同じ更新改造の56号機と比べても更に高い様に見受けられます。水切りの位置や大きさがゴハチの正面顔に与える影響はやはり大きいですね。 何気に手前の柱のすいがら入れの姿が懐かしい。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  下り?団臨   浜松 1977.7.21
 EF58 56〔宮原〕
EF5856 当時、ファンから嫌われていた白Hゴムに外蓋式標識灯の姿が今となっては印象的。この56号機は更新改造機ながらワイパーが両側ともWP35で、水切りは幅広の物に交換されていますが取付高さはそれほど変わっていません。WP50取付で水切り位置が上昇した他の更新改造機とは異なった表情。同機の昇降手すりも機関士側のみ短縮改造されています。

※更新改造 白Hゴム 水切り位置原型 昇降手すり短縮改造(機関士側のみ)
真鶴―湯河原 1981.7.26
製造年月日:S28.3.27
製造:東京芝浦電気
廃車:S60.2.4〔下関(転)〕
EF5856 荷物列車を牽いてかつての名所、白糸川橋梁を渡る56号機。 同じ更新改造機でも水切りの位置で表情が異なりますが、流線形EF58において前面の水切り及ぼす影響がいかに大きいか感じられます。
荷32レ  真鶴―根府川 1980.2.10
ef5852-EF5856 「宮原機関区時代の56号機牽引の12系団臨を早朝に撮影しました。
当時、同区のゴハチは、定期運用の荷物列車仕業や夜行急行仕業の合間に
このような団臨仕業にも充当されていました。新型テールライト化、正面窓白Hゴム化等の更新改造を受けていますがPS14パンタが迫力ありました。同機は、この数ヶ月後に下関運転所に転属することになります。」(EF5852さん)
撮影:EF5852さん  島田―藤枝 1983.10.2
ohno-ef5856 「このアングルは横浜線直通の京浜東北線発車時刻とかぶり、いつもどきどきでした。川崎よりのホーム先端が一番良かったのですが、たいがいかぶりそうになり、戸塚よりに走ってました。(きっと変なやつに見られていたでしょうね。)」(ohnoさん)
横浜駅のホームの雰囲気はこの頃からあまり変わってませんね。駅周辺は随分と変わってますが…。(^_^;)
撮影:ohnoさん  荷35レ(EF5856+EF5827)  横浜 1977.9.9
ef5831-ef5856 「白Hゴムと外嵌め式の標識灯で典型的な宮原の標準機です。当時私もこのタイプのゴハチにあまり食指を動かされず、特にこの宮原と浜松のカマについては撮りそこなったナンバーが多いと思います。写真は大阪駅で下り急行くにさき号の先頭にたつ同機で面白いことに次位に回送の12系を一両従えています。検査上がりたてか、エアタンクや足回りの所々が黒ペンキ塗りたてでした。」(EF5831さん)
撮影:EF5831さん  205レ「くにさき」  大阪 1977.3.29
karashima-ef5856 下関集中配置で最後の活躍をする56号機。各部から漂うスチームがゴハチらしさを強調しています。それにしても元大窓機が最晩年まで本線系で残れたのは、やはり更新改造に依るところが大きいのでしょう。
撮影:辛子真緑さん  荷2031レ 京都 1984.2末
sugi-ef5856 更新改造を受けながらも少々くたびれた印象です。こちらは1エンド2位側ですが車体の運転席側窓上付近の肩のラインが乱れています。1・3・4位側には見受けられないので後天的に何かで凹んだのかも知れません。
「隣りに写っているのは501M「立山1号」です。この日、私はこの立山1号に乗り、廃線間近の尾小屋鉄道の撮影に向かいます。」(針葉樹林鉄道研究会の杉さん)
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  204レ「阿蘇」  大阪 1977.3.16
sugi-ef5856 14系座席車の急行「阿蘇・くにさき」を牽く。近代的な姿の14系には白Hゴムの更新改造機の方が原形機よりもお似合いでしょうか。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  202レ「阿蘇。くにさき」  住吉―摂津本山 1979.5.28
sugi-ef5856 20系「銀河」を牽き、根府川橋梁を渡る。白Hゴム姿の本機は同じく白Hゴムを多用している20系とはある面ベストマッチ?
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  104レ「銀河」  真鶴―根府川 1979.8.25
 EF58 57〔宮原〕
ef5853-ef5857 「呉線のお立ち台といえる場所です。夏みかんの畑がありました。穏やかな瀬戸内海はすばらしい景色でした。」(EF5853さん)

※更新改造 白Hゴム 水切り位置原型 PS15パンタ
撮影:EF5853さん  荷32レ 安芸幸崎―須波 1978.3.19
製造年月日:S28.4.9
製造:東京芝浦電気
廃車:S54.9.20〔宮原〕
下り東海道線から見た品川の機関車溜まりです。この頃はEF65に混じってまだまだEF58やEF15も沢山いました。左から156号機、EF651098、57号機で右端は鋳鋼製先台車の5号機です。 左端のEF65PFの後ろに繋がっているEF15は窓配置とエアフィルタの位置からおそらく29号機でしょう。
新橋―品川 1979.5.3
ohno-ef5857 ピカピカの24系25形を牽く57号機。新製回送でしょうか。この時点ではパンタグラグがまだ原形のPS14ですね。
撮影:ohnoさん   8111レ  大船 1977.7.26
kitazawa-ef5857 PS15パンタに変わった姿です。更新改造機としては56号機同様、同機の水切り位置も上昇していない模様です。
撮影:kitazawaさん   大阪 1979.9.20
sugi-ef5857 本機も更新改造機にも関わらず昭和54年(1979年)9月と比較的早くに廃車になった為か、意外と晩年の記録が少ないですね。東海道前線電化時の下り「つばめ」記念列車を牽いたカマですが、あっさりと廃車になってしまいました。ちなみに上り「つばめ」記念列車を牽いた89号機は現在も鉄道博物館に保存されています。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  向日町運転所 1976.3.18
 EF58 58〔宇都宮(転)〕
6348-EF5858 EF58独特の絞り込まれた前頭部の形状が良く分かる一枚。
この58号機は前面窓のHゴム小窓化の第一号で、東京区で青大将姿で「つばめ」「はと」を牽引していた昭和33年に改造されています。それも、通常の大窓の下辺を切り上げて小窓化したのではなく、上辺、下辺とも切りつめた独特の形状でした。パンタグラフはPS15に換装されています。

※電暖 電暖表示灯新 更新改造 Hゴム前面窓変形 原形フィルタ
撮影:6348レさん  荷2935レ 上野 1979.3.28
製造年月日:S28.5.2
製造:東京芝浦電気
廃車:S57.2.4〔宇都宮(転)〕
nishimura-EF5858 こちらは西村さん撮影の急行「十和田」の先頭に立つ同機です。独特の前面窓が良く分かります。
撮影:西村暢彦さん日本国有鉄道礼賛  上り「十和田」 上野 
ef5858-EF5858a 「福島発上野行き122レを引く58号機。」(EF5858さん)
新幹線開業前にはこうした光景もまだまだ多く見られました。機関車次位のオユ10も懐かしい…。締め切った揺れる車内での郵便仕分け作業はさぞかし過酷だった事でしょう。その為か他の一般形客車に先駆けて冷房改造が施されています。
撮影:EF5858さん  122レ  宇都宮―雀宮 1977年頃
ef5858-EF5858b 前面窓の上下を狭くしてHゴム化された58号機。合わせてつらら切りの取付位置も若干下に移動しているようです。
撮影:EF5858さん  宇都宮運転所 1977年頃
ef5858-EF5858c 「上野発郡山行き121レを牽引する58号機。堂々13両もの客車を引き連れている。」(EF5858さん)
もう一度こんな列車にのんびりと乗ってみたいですねぇ…。
撮影:EF5858さん  121レ  宇都宮―雀宮 1977年頃
okuno-ef5858b 青大将姿で「はと」を牽く58号機。よく見ると何とも異様な姿。何と水切り無しのHゴム姿です。「EF58ものがたり」によると同機は1958年(昭和33年)2月11日に鷹取工場でHゴム改造が行われおり、水切りもてっきり同時に取り付けられたと思っておりました。同誌にも昭和33年4月に撮られた写真では既に水切りが付いており、この姿は長くても僅か2ヶ月間ほどだったと思われます。水切り無しと低めの窓位置が相まってオデコの広さが強調され、青大将ならぬ海坊主と言った風体です。
写真提供:Q太郎さん 撮影:奥野利夫さん  京都付近 1958年頃
ef5831-ef5858 今もファンで賑わう蒲須坂の有名ポイントを行く。真夏と言うのに冷房車は機関車次位のオユ10のみ…。でも、開け放った窓から入る風は格別でしたね〜。(停車中はたまりませんでしたが…^^;)
撮影:EF5831さん  102レ「八甲田」  蒲須坂―片岡 1978.8.12
sugi-ef5858 田端機関区で休憩中。通常のHゴム小窓改造機に比べ低い位置に付けられた前面窓につらら切り、おまけに更新改造の特異な表情です。本機は元々は大窓機なので窓位置が低いと大窓機特有の前面計器パネルが視界の邪魔にならなかったか気になるところです。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  田端機関区 1976.8.6
 EF58 59〔高崎第二〕
EF5859 団臨の推回で上野をめざす59号機。上越形のゴハチは、暖地型とはまた違った魅力がありました。正面窓上のつらら切り、固定式の雪かき器、汽笛カバーなど、ここまで完成されているとまるで別形式。Hゴムや更新改造もかえって精悍に見えてきます。なお、固定式雪かき器は可動式雪かき器の取付座をはずして取り付けられています。なお、本機の汽笛カバーは数少ない小型の物です。(他に49,50,51号機)

※電暖 電暖表示灯旧 上越形 小型汽笛カバー 更新改造
回8703レ「わんぱく号」  日暮里 1981.7.18
製造年月日:S28.5.28
製造:東京芝浦電気
廃車:S57.9.10〔高崎第二〕
EF5859 上と同じ団臨です。列車は「わんぱく号」。上越形にヘッドマークが付くのは定期列車は元より臨時でも珍しかったですね。(取付座を持たない物が多かったですし…。)ミラー系の素材で作られた結構しっかりしたヘッドマークです。上越形が「北陸」のヘッドマークを付けた姿を見てみたかったですね。
8703レ「わんぱく号」  上野 1981.7.18
198104-ef5859-2 20系客車急行「天の川」の先頭に立つ。機関車次位のスユ16も懐かしい…。
かつての夜行などの長距離列車には荷物・郵便の輸送を担うという重要な使命がありました。
   赤羽付近 1981.7.18
ef5852-ef5859 「当時、高崎第二機関区所属のEF58の中で唯一PS14パンタを搭載していたのがこの59号機です。さらに外蓋開閉式標識灯と極端な上向きツララ切りヒサシといういでたちで異彩をはなっていました。個人的には、この1枚が最初で最後の撮影となってしまいました‥‥。」」(EF5852さん)
撮影:EF5852さん  尾久―赤羽 1982.5.5
takahashi-ef5859 つらら切りがワイパーのWP50化で上方に移設されている様子が良く分かります。こうして見るとまるでびっくりまゆげですね。
1970年代まで、国鉄の機関車にはこのようなスローガンが殴り書きされた姿を多く見かけました。59号機の後ろには初期形のEF10が見えます。
撮影:takahashiさん  田端機関区 1972年頃?
kitakami-ef5859 東芝府中工場で落成直後の公式写真。これはkitakamiさんの祖父君が同工場でEF58やEF15の製造に関わっていた際に譲り受けたものだそうです。水切りや手すり類など何も付いていないオリジナルのすっきりした顔が印象的です。可動式雪かき器の後退角が最大になっているのは公式写真ならでは。
写真所蔵:勝又 均さん 提供:kitakamiさん データ化協力:S.NISHIKAWAさん  東芝府中工場 1953.5
kitakami-ef5859b 同写真の前頭部のアップです。晩年の姿を見慣れているせいか、余りにもすっきりし過ぎていて何だかディテールの付いていない模型の様に感じます。でも、これがゴハチ本来の美しさ。
写真所蔵:勝又 均さん 提供:kitakamiさん データ化協力:S.NISHIKAWAさん  東芝府中工場 1953.5
sugi-ef5858 一番上の写真と同じ団臨です。お陰様で列車番号が判明しました。
「日暮里駅ホームで管理人様と並んで撮影した思い出の写真です。ほぼ同じ構図でも私が白黒で管理人様がカラーなので違って見えますね。管理人様がホーム線路側で撮影されたみたいです。」(わんぱく号さん)
撮影:わんぱく号さん  回8703レ「わんぱく号」  日暮里 1981.7.18
kato-ef5859
12系11連の上り臨客を牽き高崎線を南下するシーンでこpちらは1エンド側です。12系に愛称板が挿さっている事から、おそらく臨時の急行で「佐渡54号」かスキー臨でしょうか。撮影地は行田駅の吹上方の不動踏切付近と思われます。
撮影:加藤重義さん  上り臨客(8702レ?)  行田―吹上 1979.1頃
Vol.8に続く

注)お召し列車…天皇皇后両陛下及び皇室関係者がお乗りになる特別列車。昭和天皇時代には数多く運転されましたが、
平成になってからは今のところ7回しか運転されていません。

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