ELECTRIC LOCOMOTIVE EF58  Vol.5
EF58 35〜39

Last Update 2016.11.3

Index EF5835 EF5836 EF5837 EF5838 EF5839

 新EF58

日米講和条約の締結により、ドッジラインで4年間凍結されていたEF58の製造が再開されることになり、その際車体を新設計として客車暖房用の蒸気発生装置を搭載することになりました。そうして登場したのが現在も見ることができる流線型の新EF58です。なお、SG1形は開発期間が約1年と短く、様々なトラブルがあり、その後、改良型のSG1A形に全機交換されています。SG1形搭載機(第1次〜第8次増備車)は、SGの排煙口が1エンド側屋根上にガーランド形の物がLR2カ所に設けられていました。

※印…主な特徴です。画像をクリックすると大きなものが表示されます。

 第1次増備車(35〜39号機)

昭和27年4月の高崎線電化用として製造されたグループで、流線型の新EF58として初めて登場しました。そのため、旧車体の部品を流用した点など形態的にも多くの特徴がありました。特に最初の35,36号機は製造途中だった箱形の旧車体に流線型の運転席部をくっつけるという大改造の上誕生しています。これは、ドッジラインによりEF58の製造が凍結される前に旧車体として製造が進んでいた為でした。
登場時は、前面窓は大窓で、水切り、つらら切り、前面手すり、前面ステップ、誘導踏段に握り棒もない姿でした。足周りは全機旧EF58と同じ形態で登場しており、前端バリが狭く可動式雪かき器の取付座も持たない姿でしたが、全機上越線に配置された関係で可動式雪かき器取付台座の設置が行われています。また、屋根上の主抵抗器室カバーが1・2位側共同じ大きさでモニタールーフの大きさも第2次増備車以降の物よりも若干小さい物でした。パンタグラフはPS14を装備しています。全機、新製配置は高崎第二で、配置後につらら切り、汽笛カバーの取付が行われています。なお、このうち、35号機のみはSG1形の開発が間に合わず、当初SGが未搭載のまま落成しています。さらに同機のみは雪かき器の固定化に際し前端バリを標準サイズに改修しています。
 EF58 35〔長岡(転)〕

EF5835 「能登」
「能登」の推進回送を押し鶯谷を通過する35号機。本機は流線形EF58の最初の製造機として有名です。製作中の箱型の旧車体の前後に流線形の運転席部をくっつけたというもので、その為、側面の窓配置が旧車体2次形のもの(EF15標準形EF18と同じ)と同じ7枚となっています。20系「北陸」牽引のために昭和50年(1975年)にP形改造されており、P形ゴハチの最若番。しかしながら、ヘッドマーク取付座は未装備です。

※側窓変形機 側扉変形 運転室側窓変形 前部標識灯掛け変形 P型 電暖 上越型 ヘッドマーク取付座無し 旗竿取付ボルト 前部標識灯掛け変形 昇降手すり短縮改造(変形)
回3606レ「能登」  鶯谷 1980.9.21
製造年月日:S27.3.9
製造:東京芝浦電気
廃車:S56.6.9〔長岡(転)〕

EF5835 「能登」
同じく「能登」の推回です。こちらは1エンド側です。本機は昭和47年の新潟県植樹祭における御召し予備機整備の際に側扉横の昇降手すりが後方確認しやすい様に短縮改造されており、最初から短縮手すりの物やその後に改造された物に比べ短くなっています。また、同時に運転席側窓や可動窓のアルミサッシ化が行われており、運転席側窓の形状が他機とは異なっています。側扉は旧EF58の正面扉(35,36号機用)を利用したもので、他機とは窓の形状などが異なっています。上越形のエアフィルタは全機、雪の目詰まりを防止するため原形のよろい戸タイプのままでした。なお、前灯のケースはLP402形用の大形の物に交換されています。 オデコ部分の塗装が剥げた車体が痛々しいです。
回3606レ「能登」  鶯谷 1980.9.21
EF5835 北陸 上越形唯一の特急仕業だった「北陸」の先頭に立つ35号機。EF58のつらら切りは全て後から現物あわせで取り付けられた物でした。そのため、各機で微妙に位置や角度が異なり、それが様々な表情を醸し出していました。特に第1次、第2次増備車(35〜47号機)のつらら切りは、水切りのない状態で取り付けられているため他の物に比べて丸みを帯びた独特の形状となっています。 こちらは2エンド側。
3001レ「北陸」  上野 1980.9.23
EF5835 北陸 ここから同じ時に撮影した写真が続きます。ちなみにこれが同機最後の「北陸」牽引と思われます。これは標準レンズで撮影した物で、上の広角の写真はこの場に居合わせた方からお借りして撮影した物です。上野駅8、9番線間の様々な設置物がある面8、9番線らしい情景で、両脇に115系を従えた35号機は年老いたりとは言え上越線の王者の風格を感じさせます。
3001レ「北陸」  上野 1980.9.23
EF5835 北陸 35号機独特の側窓を強調すべくサイドから。36号機もそうですが、この窓配置だと元々長いゴハチの車体がより長く感じます。流線形の新EF58の落成1号機である本機は、車体のみでみれば最も古いEF58です。さらに浜松に1年弱居た以外、新製配置からほぼ上越を離れる事がなかっただけに長年の風雪に耐えた車体は凸凹だらけです。
3001レ「北陸」  上野 1980.9.23
EF5835 北陸 若干前に寄ってもう一枚。全てのEF58の中で35号機のみに見られる側扉は旧車体の35、36号機の物を流用しており、窓の形状、位置が他機と異なります。また、短い側扉横の昇降手すりも良く分かります。検査期限延長の為か本機はこの年に一旦休車になっており、そのまま引退かと思われましたが、長岡ゴハチ終焉前に奇跡の復活を遂げた様に記憶しております。
3001レ「北陸」  上野 1980.9.23
EF5835 北陸 本機は前述の新潟県植樹祭の折りに各部を磨き出し、旗竿まで装備した姿になっています。その名残りで正面の鼻筋下方と前面ステップ下部の左右に旗竿受け台の取付ボルトが残っています。また、正面ナンバープレート直上の前部標識灯掛けの取付方法がボルト留めで本機のみに見られる物です。上越型の特徴である前端バリに移設された標識灯掛けの形状は下部がテーパー状に太くなったタイプで、その為か前面ステップの左右の欠き取りも大きくなっています。ワイパーは機関士側WP50で助士側は原形のKW3Dです。隣は新潟から到着した183系1000番台「とき24号」。
2024M「とき24号」、3001レ「北陸」  上野 1980.9.23
EF5835 北陸 同写真のアップです。前述の前部標識灯掛けの取付方法ですが、通常の溶接ではなく標識灯掛けの下部に取り付け台座を介して2本のボルトで車体に留められています。これは新製間もない本機の写真でもこの形になっており、落成時からこの形態と思われます。 また、本機の前端バリは元々は幅狭でしたが、昭和47年の雪かき器の固定化に際し標準サイズに改修されています。
3001レ「北陸」  上野 1980.9.23
EF5835 北陸 14系寝台を従えて上野を発車する35号機を流し撮り。おそらくこれが同機最後の(自力による)上京になったと思います。 55.10(1980年10月)改正で長岡運転所のEF58と水上区のEF16は全機引退。新鋭EF64 1000番台がその後を受けて上越路で活躍を始めました。当時、私にとってその喪失感はかなりのものでした。
3001レ「北陸」  上野 1980.9.23
EF5835 北陸
釣り掛け音を響かせて眼前を通過する35号機。この日、同機は数名のファンに見送られ上野を旅立って行きました。
3001レ「北陸」  上野 1980.9.23
ef5853-EF5835 「隣は6765レを牽くEF1577[長岡]。.これもすごい場所で撮ってますが・・」(EF5853さん)
撮影:EF5853さん  9701レ 12系6連  水上 1980.8.26
ohno-ef5835 14系寝台を推回する35号機。この時間では「北陸」とは思えませんし団臨でしょうか?
撮影:ohnoさん   日暮里 1980.4.24
H-yamaguchi-ef5835 「35号機牽引の臨時佐渡です。」(山口裕志さん)
正面から見ると36号機ほどでは無いものの、かなり個性的なつらら切りです。
撮影:山口裕志さん  水上付近 1980.8.18
shizuhata-ef5835 50.3改正で急行から特急に格上げされた「北陸」の先頭に立つ。「北陸」登場時は20系客車でしたが、3年後の53.10改正で14系寝台化されています。これまで特急牽引に縁の無かった上越形ですが「北陸」登場により本機をはじめP形が誕生しました。
撮影:しずはたさん  3001レ「北陸」  上野 1975.7
長岡運転所で憩う35号機。ちなみにこちらは1エンド。
この写真で注目すべきは運転室扉に設置された解錠装置のような物。似たような物が竜華の66号機に付いてましたが、形態は若干異なるようで長岡独自の物のようです。他にも長岡のEF58の機関士側扉のみで散見されます。<扉部分のアップ>
撮影:佐々木さん  長岡運転所 1978
臨時の急行「佐渡」を牽き真夏の上越線を行く。同機最後の夏…。
撮影:佐々木さん  8702レ?「佐渡」  岩原スキー場前 1980.8
 EF58 36〔米原〕
EF5836 35号機と並んで側窓変形機として人気の高かった36号機。上越時代に付けられたグニャグニャに曲がったつらら切り(1エンド側)が独特の表情を出してました。また、同機は前端バリが標準のものよりも狭く(旧EF58形の狭いものと同じ)なっていました。上の35号機も同様でしたが、雪かき機の固定化に際して標準のものに取り替えられています。尚、36号機は東海道に転属後、汽笛カバーは外されています。
荷1043レ  大阪 1980.9.1
製造年月日:S27.3.29
製造:東京芝浦電気
廃車:S61.1.30〔下関(転)〕

廃車後、2013年10月まで車体3分の2が広島市佐伯区三宅の二井田工産に保存されていました。現在は前頭部のみにカット、整備のうえ個人に引き取られて保存されています。
EF5836 前端バリが狭い上にP型改造でジャンパ連結器が未改造機より2つ多いため、とても賑やかな連結器周り。P型改造は昭和47年の関西ブルトレ対策整備で行われています。なお、鷹取工場製の更新改造では通常つらら切り装備機はそれを取り外し、新たに幅広の水切りが上寄りに付けられましたが、同機は唯一の例外となっています。その為WP50ワイパーのグリップエンドがつらら切りに干渉する部分が欠き取られています。
荷1043レ  大阪 1980.9.1
EF5836 運転席側窓の前部が固定化されHゴム支持となった36号機。鷹取工場では窓のHゴム支持化に際し白Hゴムが使われ、独特の表情に。同機もそうですが更新改造されたゴハチの側扉はFRP製の物に交換されています。窓の部分が原形の物より大きく、扉の下部に欠き取り式の取っ手が付いており、判別は容易です。

※側窓変形機 前端バリ狭 P型 つらら切り 更新改造 白Hゴム 運転室側窓Hゴム化
荷1043レ  大阪 1980.9.1
EF5836 36号機最大の特徴である側窓部分です。同じサイズの抵抗器室モニタも確認できます。ほぼ同時に落成した35号機のボロボロの車体に比べると、やはり早くに上越を去った本機の車体はまだまだ綺麗です。
荷1043レ  大阪 1980.9.1
6348-EF5836 おもちゃの35or36の画像をお送りいただいたのに合わせて実機の写真を頂きました。サイド気味のアングルで見ると、窓配置がもたらす独特の印象が良く分かります。それにしても、この窓配置だと車体がより長く見えますね。

「東海道の東京口に米原区の定期運用がまだなかった頃、臨時の荷物列車に米原区の58が充当され短期間でしたが楽しませてくれました。」(6348レさん)
撮影:6348レさん  9047レ 早川 1977.12
m-ito EF5836 リンクでお世話になっている「国鉄型車輌ファイル」の伊藤さんより、引退後の36号機の形式写真の使用許可を頂きました。36号機独特のフォルムが良く分かりますね。ピカピカの車体もとても現役引退後とは思えません。米原機関区の方の愛情の深さを感じます。
ちなみに、この36号機。現在も広島の某所に車体半分の姿で保存されているようです。
撮影:伊藤正宏さん(国鉄型車輌ファイル)  米原機関区 1985.8.3〜8.4
Mr.slim-EF5836 金谷付近を行く36号機。つらら切りのワイパー部分の逃げ具合が良く分かります。
撮影:Mr.スリムさんMr.スリムの道楽部屋  金谷駅付近  1975年頃
EF5852-EF5836 「晩年の下関集中配置時代の下り荷物列車を牽引する36号機です。当時、日中にヘッドライトを点灯するのは機関士さんのプレゼントでした…。静岡では米原時代の下り荷物列車は深夜の通過でしたから撮影できませんでした。36号機の下関集中配置により下り荷物列車を順光で撮影することが出来ました。36号機のつらら切りは1エンド側と2エンド側では形状が多少違っていました。」(EF5852さん)
撮影:EF5852さん  荷31レ  焼津―藤枝 1984.2.14
suzuki-ef5836 米原機関区撮影会で「つばめ」のヘッドマークを付けた36号機。
撮影:クモユニ143さん  米原機関区 1984.8.3〜8.5
ohno-ef5836 特徴ある側窓ばかりクローズアップされがちですが、正面顔も充分個性的な36号機。ワイパー除けの欠き取りのある変形したつらら切りにデフロスタ、申し訳程度に残った前面ステップ、幅狭の前端バリ、P形改造、更新改造と実にアクの強いこと…。この時点では汽笛カバー取付台座が残っています。
撮影:ohnoさん  8114レ 新子安―鶴見 1977.7.25
H-yamaguchi-ef5836 大阪駅での米原と浜松のEF58の並びです。片やこれ以上個性的なゴハチは無いと言える36号機、片や個性が無いのが特徴とも言える典型的な浜松ガマの162号機と言う何とも対照的な顔合わせです。
撮影:山口裕志さん  36号:荷39レ 162号:回5241レ  大阪 1981.3.24
fj62g-ef5836a 国鉄時代晩年、米原機関区では度々ファン向けに撮影会が行われ、36号機は毎回目玉として展示されたようですね。かつて米原区で担当したブルトレのヘッドマークを各種付けた姿が凛々しいです。これは「日本海」。
撮影:FJ62Gさん  米原機関区 1985.8.4
fj62g-ef5836b 大きくひしゃげた1エンド機関士側のつらら切りがご愛敬です。これも上の写真と同じ撮影会時のもので、白地の「つるぎ」マークがよく似合います。
撮影:FJ62Gさん  米原機関区 1985.8.4
fj62g-ef5836c これも同じ撮影会時のものです。これは「日本海」。
撮影:FJ62Gさん  米原機関区 1985.8.4
ef5836-ef5836a これは上の撮影会とは別の時ですね。36号機の他に74,96,1381が展示されていたようです。(この頃って鉄道趣味から離れていたんでどの撮影会がいつかが良く分かりません…)
撮影:EF5836さん  米原機関区 1984.8.3〜8.5
ef5836-ef5836b 36号機の真骨頂、変形側窓部分。窓の数だけではなく窓サイズも標準形とは異なっています。ここだけ見るとEF18、EF15標準形と同じです。それにしてもこの窓配置だと標準形に比べ車体が長く見えるのが不思議です。
撮影:EF5836さん  米原機関区 1984.8.3〜8.5
 EF58 37〔下関〕
6348-EF5837 こちらも前端バリが狭い37号機。上越線時代のつらら切りと更新改造された外蓋式標識灯が独特の表情です。同機は昭和34年より47年まで高崎第二、長岡(転)に配置、その後広島区に転属した関係で、つらら切り取付、車端部裾の標識灯掛けの前端バリ上移設が行われ、側面のエアフィルタも東海道・山陽筋のゴハチとしては珍しく原型となっていました。なお、汽笛カバーは取り外されています。

※前端バリ狭 つらら切り Hゴム前面窓変形 標識灯掛け移設 更新改造 原型フィルタ 昇降手すり短縮改造(機関士側のみ)
撮影:6348レさん  早川 79.3.26
製造年月日:S27.4.19
製造:東京芝浦電気
廃車:S54.10.6〔下関(転)〕
ohno-ef5837 また、前面窓のHゴム支持化は昭和42年と早く、本格的なHゴム改造の第1号でした。その為か、他の大窓からのHゴム改造機に比べて、若干窓位置が低くなっています。(58号機と標準位置の中間くらい)また、側面の昇降手すりの短縮改造(機関士側のみ)が行われています。
写真は20系を牽き早朝の横浜駅に進入する同機。
撮影:ohnoさん  8108レ  横浜 1977.10.28
ohno-ef5837b 「下関区に配置されていた4両のEF58の内、30・37号機が上京して来る確率が高かったような気がします。しかしながら、朝夕の運用に入ることが多くロクな写真がありません。」(ohnoさん)
撮影:ohnoさん  9101レ  鶴見―新子安 1978.7.22
ef5831-ef5837 「下関のゴハチ4兄弟29号機、30号機、31号機、37号機は定期運用が無いため滅多に走行シーンに出くわすことができず、私にとっては幻の機たちでした。辛うじて37号機だけは、この団臨スジで新下関〜長府間で遭遇したのと、大阪で1回阿蘇を牽いているのにであっただけです。」(EF5831さん)
撮影:EF5831さん  上り団臨  新下関―長府 1977.8.21
このアングルで見る同機は、東芝機独特の丸っこいオデコ、低めのHゴム窓、外ばめ式の尾灯、幅狭の前端バリなどからか、何となく一昔前の模型の姿が思い浮かびます。何か可愛い?
「見学に訪れた浜松機関区横を颯爽と通過する臨レを撮影。10両を超える12系客車の長大編成は見応え十分でした。」(hojikurinさん)
撮影:hojikurinさん  浜松―高塚 1977
 EF58 38〔広島〕
shindo-EF5838 同じく前端バリの狭い38号機。正面寄りのアングルで見ると通常機と違い左右の握り棒の間隔が狭いのが良く分かります。同機は側面の屋根昇降段の欠き取りも未施行でした。更新改造に広島区独自のPS22Bパンタグラフが異色です。ちなみに、この2エンド側は正面ナンバープレートが通常位置よりかなり下に取り付けられています。

※前端バリ狭 正面ナンバー下ずれ(2エンド) P型 つらら切り 大型汽笛カバー 昇降段欠き取りなし 更新改造 PS22B
写真所蔵:shindoさん
製造年月日:S27.4.30
製造:東京芝浦電気
廃車:S59.1.18〔広島〕
timebokan-EF5838 「この38号機は朝方東海道を順光で12系を引いて上がって来たのですが突然の団臨でみごと失敗!がっかりしていると後ろから単機でかっ飛ばしてきました。今思うと50mm一本で4線の東海道に撮りに行ってたんですから若かったですねー。」(タイム母艦さん)
撮影:タイム母艦さん  山崎―高槻 1983.5.5
morishige-EF5838 Morishigeさん撮影の「あかつき」の先頭に立つ38号機の晴れ姿。幅狭の前端バリに20系牽引に先立ち増設された元空気ダメ管ジャンパ類が非常に賑やかです。同機はかつての特急牽引機で青大将塗装になっており、こうして特急牽引に返り咲いたのも何か運命的なものを感じてしまいます。
撮影:Morishigeさん  大阪 1973.8頃
morishige-EF5838b こちらも同じくMorishigeさん撮影の38号機ですが、更新改造前の美しい姿です。既にP型改造が行われているので下関区から広島区へ転属後の姿かも知れません。
撮影:Morishigeさん  大阪 1972頃
EF5852-EF5838 「広島区に63号機と共に最後まで残った38号機も、晩年はPS22Bパンタグラフに交換されました。前端梁の狭い変形機であるため、P型のエアホースが所狭しと前端梁横に取り付けられています。2エンド側のみ正面ナンバーの位置が低かった…。」(EF5852さん)
撮影:EF5852さん  静岡 1983.10.19
ohno-ef5838 更新改造後の姿ですが、パンタグラフはまだ原形のPS14Aとなっています。
「EF5838は13とともに荷37レ牽引のため、広島機関区から出区して来たところです。この頃広島区のEF58は、若番を中心に半分くらいが廃車になったり、運用から外れていました。」(ohnoさん)
撮影:ohnoさん   広島 1979.8.17
H-yamaguchi-ef5838 こちらもPS14Aパンタ時代の同機です。下ずれのナンバープレートとつらら切り、汽笛カバー、更新改造と独特の表情。
撮影:山口裕志さん  保土ヶ谷 1981.3.20
ef5831-ef5838b 「38号機は広島のカマですが、汽笛カバーまでついた寒地装備が好きでした。前端バリが狭く、また正面ナンバーの位置も下目でユニークな顔つきですよね。下関駅での写真は52年2月に20系特急あきを牽引して到着した同機です。広角レンズでツララきりを強調してみました。HM時代の写真を撮り損ねた私としては、これにSL急行時代のHMがついていたらと思ったりしました。」(EF5831さん)
撮影:EF5831さん  1001レ「安芸」  下関 1977.2
ef5831-ef5838 朝の山陽本線を荷物列車を牽き下関目指し駆け抜ける38号機。
撮影:EF5831さん  荷33レ  新下関―長府 1977.8
fj62g-ef5838a ゴハチの長い車体が強調されるアングルです。抵抗器室カバーが両エンドとも大きいのが良く分かります。
撮影:FJ62Gさん  京都 1983.7.26
fj62g-ef5838b 東芝機独特のオデコのカーブ(側面部分のカーブが運転室側窓中央上あたりから始まる)が良く分かります。初期の物は特に激しいような感じですね。
撮影:FJ62Gさん  京都 1983.7.26
 EF58 39〔竜華〕
nobu-EF5839 こちらも前端バリの狭い39号機です。P型改造されていますが、この時点では既にホースが外されています。つらら切りは健在ですが、汽笛カバーは東海道転属後、更新改造時に取り外されています。また、運転室の側窓前側が、昭和57年に36号機と同タイプのHゴム固定窓化されています。
「後ろが“サロンカーなにわ”なので多分、何かの臨だったのでしょう。」(のぶさん)
撮影:のぶさん  9105レ「初笑い新春サロンカーの旅」  紀三井寺―海南 1984.1.8
製造年月日:S27.4.28
製造:東洋電機・汽車製造
廃車:S61.3.31〔竜華〕
kk0630-EF5839 闇に浮かぶ標識灯が印象的な姿。かつての夜汽車の雰囲気が甦ってきますね。なお、同機の側扉左右の昇降手すりは、機関士側のみ短縮改造されています。

※前端バリ狭 P型 つらら切り 更新改造 白Hゴム 運転室側窓Hゴム化 前面手すり・ステップ未取付 昇降手すり短縮改造(機関士側のみ) RSB2灯 

撮影:kk0630さん  天王寺 1985.3.11
timebokan-EF5839 こちらは掲示板で話題になった元空気ダメ管ホースの付いた39号機です。
「「P缶」のところを見てください。のぶさん撮影のものから2年弱、kk0630さん撮影のものから1年弱ですが、ホースがついてるでしょ〜???謎が一層深まってきました!当時は924で天王寺から新宮まで行き、各駅停車で戻りながら
撮影していくなんてことをよくやってました。(我ながらすごい!)」(タイム母艦さん)
撮影:タイム母艦さん  和佐付近 1986.1.4
shinohara-EF5839 竜華機関区での撮影会で撮影された39号機。
撮影:篠原さん  竜華機関区  1985年頃
kawasaki-EF5839 闇に浮かぶSGのスチームが幻想的です。
「冬休みは、紀勢線へいきました。私の乗る「はやたま」は、39号機が牽引」(川崎大輔さん)
撮影:川崎大輔さん  新宮  1979.1.3
timebokan-EF5839b 「この924レに乗車してました。雨が降っていましたが、かまわず駅の方にお願いして、バルブさせていただきました。あまりの熱心さに機関士の方も呆れてました。槍が降ってもバルブするのです。」(タイム母艦さん)
撮影:タイム母艦さん  924レ  紀伊田辺 1986.1.14
timebokan-EF5839c 「久宝寺から関西線を経由して、機関車だけが天王寺まで回送されていましたが、きのくにの臨時などがあると重連単機で回送されます。1/2日に根府川でEF5861の踊り子を撮って、その夜の大垣夜行で米原へ出て、EF5836(休車中)を撮影、そのまま久宝寺に来てバルブです。この後924レに乗って新宮に行きます。」(タイム母艦さん)
撮影:タイム母艦さん  単253レ EF5839+EF58170 久宝寺 1986.1.3
timebokan-EF5839d その39号機と170号機の連結面のアップです。なお、この列車について「草津に住んでる大阪人」さんから詳細な解説を頂きました。

「この列車は天王寺23:00発の新宮行924レの牽引機の回送でした。阪和線の客レは天王寺⇔竜華操車場は牽引機と客車を必ず別々に回送しました。非電化の竜華客車区より竜華操車場駅の電化されているこの線にDLで客車を移し、ELに付け替えて天王寺駅に回送する事はしなかったのです。この日は天王寺22:36発の冬臨9922レ新宮行(列車名は「いそつり」だったかな?)が運転されたので、その牽引機が次位に連結されたのです。」
撮影:タイム母艦さん  単253レ EF5839+EF58170 久宝寺 1986.1.3
ohno-ef5839b 「ブタ鼻になったとはいえ、EF58が客レを何本も引く紀勢本線は大きな魅力がありました。都落ちした彼らは編成も短くスピードも押さえ気味で、往年の迫力は
ありませんでしたが、1日でも長く生き延びてくれることを祈りました。」(ohnoさん)
撮影:ohnoさん   三輪崎 1979.2.22
ohno-ef5839a このロットの特徴である抵抗器室屋根上カバーが1位・2位側で同サイズなのが判別できます。
撮影:ohnoさん  128レ  加茂郷―冷水浦 1981.8.30
hokkyoku-ef5839b 串本駅で発車を待つ924レ。夜行列車独特の雰囲気が伝わってきます。
撮影:北極ぐま閣下さん   924レ  串本 1985.3.31
hokkyoku-ef5839a マニ50と12系で組成された臨レの先頭に立ち阪和線を行く39号機。
前端バリの狭い流線形EF58の最初のロットである同機が、ゴハチの定期運用消滅寸前まで生き延びるとは誰が考えたでしょう。同じ竜華の44号機なども更新改造が幸いしたのは言うまでもないでしょう。
撮影:北極ぐま閣下さん   8102レ「きのくに54号」  百舌鳥―上野芝 1985.11.4
fj62g-ef5839 僚友機と共に竜華機関区に佇む姿です。たまたま休車中だったのか車輪の踏面が錆びています。
撮影:FJ62Gさん  竜華機関区 1983.7.24
fj62g-ef5839 竜華機関区ラウンドハウスに集う新旧電機。その後のF級の直流新形電機(いわゆる60系電機)の基礎ともなったEF60ですが、その後続々と登場した後輩達の陰に隠れ、最後まで陰の薄い存在だったのが少々哀れです。個人的にはこの地味さ加減がEF15に共通していて嫌いではありませんでした。
撮影:FJ62Gさん  竜華機関区 1985.8.4
sugi-EF5839 「彗星」のヘッドマークも良く似合う、大窓つらら切り時代の39号機。う〜ん、やっぱり格好良いですね。なお、本機が車体整備(更新改造)は1973年10月となっています。
「撮影当時、私は中学3年生。高校受験勉強中の夏休みに、自転車で5分のこのゼロ地点へ行きせっせと写真を撮っていました。先頭しか写っていないへたくそな写真で申し訳ありません。」(針葉樹林鉄道研究会の杉さん) いえいえ、貴重な記録であります。(^_^)
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  46レ「彗星4号」  住吉―摂津本山 1973.7.21
sugi-EF5839 原形大窓から更新改造ですっかり印象の変わりました。竜華転属後ですが前燈はまだ原形です。良く見ると同機の前面スカート部にお召用の旗竿受台の様な物が取り付けれています。ちなみに上の大窓時代の写真でも確認できます。「EF58ものがたり 下」255Pに1955年12月撮影の高崎第二時代の写真に国旗掲揚装置一式を取り付けた姿を確認でき、1955年11月の高崎線お召運転時に予備機になったのかも知れません。
「向日町での撮影の帰りに、39号機が複々線区間の外側線路を単機で走っているのを、内側線路の快速電車乗車中に追い越したので、摂津本山駅の東側ホーム端で待ち伏せしキャッチしました。工場から出てきたばっかりなのか、ピカピカの塗装でした。一緒に写っている踏切は、当時、まだ踏切番がいたように思います。 」(針葉樹林鉄道研究会の杉さん)
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  下り単機   摂津本山 1976.3.18

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