ELECTRIC LOCOMOTIVE EF58  Vol.4
EF18 32〜34

Last Update 2018.3.1

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 欠番のEF58 32〜34=EF18 32〜34

昭和24年にGHQによるドッジラインが施行され、国鉄の電化計画、電気機関車増備計画は強制的に中止されました。東芝では既に32〜36号機の5両のEF58の製造が側窓7枚の旧EF58の第2次形として進んでおり、なかでも32〜34号機はほぼ完成していましたが、結局それらは国鉄に納品する訳にもいかずメーカーで保留される事になりました。

およそ2年の月日が経ちドッジラインが解かれ電気機関車の増備も再開されると、今後の電化の状況を踏まえて新たに製造するEF58は蒸気発生装置を搭載した新車体とする事が決定。そうなると、保留となった旧形車体の5両をどうするかが問題となり、ほぼ完成していた3両(EF5832、33号機はナンバープレートまで付けていた)は新形EF58にするには大規模な改造が必要となるため断念され、当時不足していた貨物用に転用されることになりました。あとの2両は旧車体を利用して新形として製造、皆さんご存知の側窓7枚の変形機、新EF58のトップバッター35、36号機として誕生しました。

最初の3両は歯車比をEF15と同じに変更し、死重を積んで新たに貨物用機関車EF18として生まれ変わりました。形式名は本来ならEF15に続きEF16となるはずですが、EF58との関連性を持たせるためにEF18となったと言われています。また、将来EF58に編入することを考慮してか、番号も1〜ではなくEF58の続き番号である32〜34となっていました。

形態は旧EF58から若干の変更がなされ、同時期に製造されたEF15第2次形と同じく側窓が7枚に、屋根上にはモニタールーフ、前面には4段の通風口が左右に付けられていました。

晩年は静岡・浜松地区の小運転貨物と入換のみの運用と、最後まで華やかな活躍を続けたEF58と比べると、あまりにも地味な存在でしたが、デッキ付の旧EF58の面影を後々まで伝えてくれた意義は大きいと言えましょう。

※印…主な特徴です。画像をクリックすると大きなものが表示されます。

 EF18 32〔浜松〕
かつくらさん EF1832 晩年、浜松近辺の小運転で過ごしたEF18。
この32号機は先台車の担いバネが通常の板バネではなく、コイルバネとなっていました。また、3両のEF18の中では唯一廃車時まで前面窓がHゴム未改造で原形が残っていました。撮影は相互リンクでお世話になっているかつくらさん(鵠沼光芸舎)です。
撮影:かつくらさん(鵠沼光芸舎)  天竜川 1978.2.1
製造年月日:S26.5.31
製造:東京芝浦電気
廃車:S54.1.12〔浜松〕
namiki-EF1832 「金谷駅の待避線で大井川からの貨物を待つ」32号機。
この写真は掲示板の常連さんから教えていただいた並木美太郎さんのページに掲載してあったものを、氏のご好意で転載させていただいてます。
撮影:並木美太郎さんMitarow's Rail)  金谷付近 1976.7.21
namiki-EF1832b こちらも並木さんのページより、32号機の先台車部分のアップ。担いバネの形状に注目。
撮影:並木美太郎さんMitarow's Rail)  金谷付近 1976.7.21
ef5853-EF1832 こちらはEF5853さん撮影の32号機です。
「静岡駅で夜明かしして、EF18の走りを撮って、さあ豊橋機関区へ行こう・・・というところで感度を間違えてたのに気づき、またUターン。電車をおりて構えたら機関士さんが入ってしまって「あっ!」・・・パンタおろされちゃいました…。」(EF5853さん)
撮影:EF5853さん  藤枝 1977.7.28
ef5853-EF1832c こちらも同じくEF5853さん撮影の32号機です。上の写真の前の物ですね。
「曇天で夜明けというきつい条件。そこへもってきてフィルム感度設定ミスが
加わって(ASA100のところ400で撮っていた)むちゃくちゃですが・・・。
静岡で徹夜して(ホームのベンチで寝ていた)静岡駅進入を撮って、始発で
焼津で追いつき(5:28!)撮ったものです。」(EF5853さん)
撮影:EF5853さん  1683レ 焼津 1977.7.28
ef5853-EF1832d 「焼津で追い越し、藤枝駅から約1キロ弱戻って撮ったもの。」(EF5853さん)
最近のカメラと違って感度設定の間違いって結構ありましたね…。(^_^;)
撮影:EF5853さん  1683レ 藤枝―焼津 1977.7.28
hojikurin-EF1832 「父親の転勤で浜松に引っ越してから、初めて降り立った磐田駅で撮影。「珍しい機関車だ」と聞いており、興奮しながら撮影したのを覚えています。」(hojikurinさん)
撮影:hojikurinさん  磐田 1976
sugi-EF1832 浜松機関区の庫内でお休み中。こちらは1エンド側です。
「機関庫内は暗く、露出を少しずつ変えて撮りました。その内の最も良く写せた1枚です。隣にいるゴンパチは記録しておらず、何号機かわかりませんが、側面にHゴムがあるので、150番台か160番台でしょう。」(針葉樹林鉄道研究会の杉さん)
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  浜松機関区 1976.8.1
sugi-EF1832 同じく浜松機関区の庫内の姿で こちらは2エンドです。当然の事ながら車体だけ見ればEF15の3次形、中でも川崎製とは通風口の形状も含めてほぼ同一です。運転席側窓の水切り形状が旧EF58と1次形EF15の三菱製以外と2次形日立製同様、下面まで達していなかった物を延長したのが見て取れます。 また、本機の特徴である先台車の担いバネのコイルが確認できます。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  浜松機関区 1976.8.1
sugi-EF1832 同じく2エンド側の正面です。長く突き出た幅の狭いデッキが独特の表情です。単純な板状の先台車の端バリが、旧EF58と同じで存在感がありますね。隣のゴハチはトリミング前の物に写っているナンバーと銘板からEF58166でした。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  浜松機関区 1976.8.1
sugi-EF1832
用宗駅に佇む同機の2エンドL側です。
「1976年に初めてEF18を撮影しに静岡方面へ行き、幸運にも3機とも撮影できたのですが、32号機だけは庫内での写真になってしまい、是非とも庫外で全景を撮りたく、2回目の撮影を1年後の夏休みに実施しました。2回目の撮影は順調に進みましたが32号機には未だ会えません。会える可能性は残るは用宗駅です。いました!32号機、ばっちりです。単機で、しかもパンタを上げて!私を待っていてくれていたかのようでした。」 (針葉樹林鉄道研究会の杉さん)
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  用宗 1977.7.21
sugi-EF1832
1エンドL側です。本機の埋込改造された標識燈は34号機よりも内側に寄っています。改めて見るとEF1543〜45とほぼ同じ車体にゴハチ譲りの長いデッキと先台車が不思議な印象です。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  用宗 1977.7.21
sugi-EF1832
1エンドL側前端。本機の先台車担いバネは通常の板バネからコイルバネに改造されていました。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  用宗 1977.7.21
sugi-EF1832
R側側面のナンバープレートと製造銘板です。銘板の周囲など、塗装が大分荒れています。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  用宗 1977.7.21
 EF18 33〔浜松〕
かつくらさん EF1833 3両のEF18の中で唯一引っかけ式標識灯を有していた33号機。旧EF58のイメージを最も残していた車輌です。ただし、エアフィルタは同じ浜松区のEF58同様、ビニロックフィルタに交換されています。この頃は珍しかった緩急車の付いていない短い編成が晩年のEF18らしく魅力的なたたずまいです。
私は残念ながらEF18は一度も見ることが出来ませんでした。(;_;)
撮影:かつくらさん(鵠沼光芸舎)  焼津 1978.2.1
製造年月日:S26.5.16
製造:東京芝浦電気
廃車:S54.7.16〔浜松〕   
ef5853-EF1833 33号機は標識灯は引っ掛け式ですが、晩年は前面窓がHゴム支持に改造されていました。
撮影:EF5853さん  単584レ 磐田 1977.7.28
Mr.slim-EF1833 Mr.スリムさん撮影の33号機。前面窓のHゴム支持化がまだ行われていません。
撮影:Mr.スリムさんMr.スリムの道楽部屋  天竜川 1973
ohno-ef1833 「EF18は浜松-静岡間の区間貨物と入換えに使用されていたのですが、よく運休になりました。金谷近辺で2度ほど走行写真の撮影を試みたのですが、2度とも運休になってしまい結局ホームでの撮影のみです。焼津、島田、用宗、金谷によく止まってました。効率が悪いので、走行中の貨物列車を撮影されている方は少ないかもしれませんねえ。」(ohnoさん)
撮影:ohnoさん  金谷 1976.9.15
「上りブルトレ撮影の合間に撮った一枚。6時頃到着の「あさかぜ2号」と6時半頃到着の「富士」の間に、EF18の単機回送運用が設定されていました。」(hojikurinさん)
やはり引っ掛け標識灯のEF18は格好いいですね〜。同じ二軸先台車付きのEF57などとは異なるスリムなデッキがスマートな印象です。
撮影:hojikurinさん  浜松 1976
f-ichiro-ef1833 前面窓及びエアフィルター原形時代の姿です。上の写真と比べると差異が良く分かります。ワイパーは機関士側もKW3D。窓下の外側隅と中央にそれぞれ小さな突起が見られます。隅の物は手動式ワイパー取付跡と思われますが、中央の物は何でしょうね。
「辻堂駅中線に停車中の上り貨物です。これは2エンド側のデッキになると思いますが今思えば角度を変えてもっと写しておけば良かったと、悔やんでいます。折角、停まっていたのですから。 」(Fのイチロさん)

撮影:Fのイチローさん  辻堂 1965.6〜7
f-ichiro-ef1833 こちらも原形窓、原形フィルター時代です。
保土ヶ谷駅構内の様子は現在からは想像できませんね。
「東海道下りローカル貨物を牽き、雨の保土ヶ谷駅で後続の通過待ちをしています。 」(Fのイチロさん)

撮影:Fのイチローさん  :保土ヶ谷 1964.10.18
f-ichiro-ef1833 上の写真と同じ時の撮影です。前燈後ろの避雷器がLA12です。一見迷彩塗装の様に見えますが雨のいたずらです。この時代の電機の写真を見るとほとんど艶の無い姿が多く感じますが、塗装自体がそうだったのか単に汚れていただけなのか気になるところです。
「シャープな感じのデッキ。この角度で見るのが気に入っています。東京近くでは、EF18にあまり出会えませんでした。 」(Fのイチロさん)

撮影:Fのイチローさん  :保土ヶ谷 1964.10.18
sugi-EF1833 金谷駅に佇む姿です。前面窓はまだ原形です。こちらは1エンド側です。前面窓の外側の下隅には落成時に取り付けられていた手動式ワイパーの取付跡が残ります。これはEF15の初期形やEF16にも数機見られます。(EF15 10、11、EF16 22、25、26、31)
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  金谷 1976.8.1
sugi-EF1833 同じく1エンドR側の側面です。EF18は性能的には大差ないEF15と比べても地味な存在に終始したのは何とも可哀相な気がします。
EF58のHT60台車とEF15のHT61台車の台枠は共通なので、台枠にボルト留めされた前端バリをEF15の物と交換、バネ装置などをEF15と同様にすれば見た目も性能も使い勝手も EF15と全く同じになるので、効率を考えればEF15を増産していた時代にそうした方が良かったのではないかとも思えます。とは言え旧EF58の面影を伝える存在が後々まで残った事はファンとしては嬉しい事だったと言えましょう。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  金谷 1976.8.1
sugi-EF1833 同じく金谷駅に佇む姿でこちらは1エンドL側です。
「1976年夏の金谷駅と言えば、大井川鉄道のSL復活で大いに盛り上がっている時です。右端にそのC11227急行かわね路が写ってます。EF18を撮影してる人は私ぐらいでした。」(針葉樹林鉄道研究会の杉さん)
そのC11から始まった現在の復活蒸機界の活況ぶりを見ると、消えていった電機達が少々哀れに思えます。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  金谷 1976.8.1
sugi-EF1833 こちらは2エンドR側です。前面窓の脇の落成時の手動式ワイパーの取付跡が確認できます。また、前面窓の下部中央に見える突起は、その手動式ワイパーが窓から脱落しないように設けられたストッパーです。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  金谷 1976.8.1
sugi-EF1833 上の写真のアップです。脱落防止ストッパーがL字状の帯板を溶接した物だと分かります。このストッパーは手動式ワイパーを取り付けていた旧EF58やEF15には付けられていた物ですが、自動式ワイパーへの交換や前面窓のHゴム支持化の際に取り外され、廃車時まで残っていたのはEF1511号機のみだと思います。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  金谷 1976.8.1
sugi-EF1833 上の撮影から1年後の姿ですが、この間に前面窓のHゴム支持改造、及び機関士側ワイパーのWP35形化が施工されています。車体がピカピカですが前回の全検は昭和50年(1975年)3月なので、おそらく要部検査時に前面窓のHゴム支持化と共に塗装も行なわれたのだと思われます。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  磐田 1977.7.21
sugi-EF1833 ご覧の通り前面窓のHゴム支持化と共に機関士側ワイパーがWP35に交換されています。 原形窓時代に残っていた手動式ワイパーの取付跡とそのストッパーも撤去されています。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  磐田 1977.7.21
sugi-EF1833 前面窓のHゴム化がされたとは言え、引っ掛け式標識燈姿は旧EF58のイメージそのままです。実際、ほぼこの形態のまま旧EF58の2次形として登場する可能性もあったわけで当然と言えば当然ですが。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  磐田 1977.7.21
 EF18 34〔浜松〕
かつくらさん EF1834 細長いデッキのEF18(旧EF58)の特徴が良く分かります。こちらは第2エンド。車体だけ見ると同時期に製造されたEF15の2次形とまったく同じと言って良いほど似ています。(前面手すりはEF15第1次形、通風口は3次形の一部ですが)旧EF58とEF15の車体が共通設計だった証でもあります。
撮影:かつくらさん(鵠沼光芸舎)  金谷 1978.2.1
製造年月日:S26.4.23
製造:東京芝浦電気
廃車:S54.2.1〔浜松〕
namiki-EF1834 こちらは第1エンド側です。この頃はまだ正面窓のHゴム支持化がされていません。
撮影:並木美太郎さんMitarow's Rail)  金谷 1975.8.8
ef5853-EF1834 「後ろにオハ47[静シミ]が付いてまして、てっきり大井川鉄道に買い取られた
と思ってましたが、どこにもその話が出ていませんので、「貸し出し」だったのかもしれません。」(EF5853さん)
撮影:EF5853さん  1681レ 金谷―菊川 1977.7.28
Mr.slim-EF1834a デカ目の113系と並ぶ。前面窓が原形で、ワイパーも窓の下にWP35が取り付けられています。
撮影:Mr.スリムさんMr.スリムの道楽部屋  藤枝 1974
Mr.slim-EF1834b 同じくMr.スリムさん撮影の浜松機関区で憩う姿です。後ろの特急色のEF60 500番台の姿が良いアクセントですね。
撮影:Mr.スリムさんMr.スリムの道楽部屋  浜松機関区 1973
satomi-EF1834 こちらは引っ掛け式標識灯時代の貴重な同機の姿です。
「完全逆光の真っ黒写真でしたので、かなり補正を施しています。EF18が大垣で寝そべっているシーンは珍しいのではないかと思いまして。 この頃は34号機も引っかけ式の標識灯をつけてたんですね。」(里見純一さん)
写真所蔵:里見純一さん北総レール倶楽部  大垣 1961.4
ohno-ef1834 これは第2エンド側です。この姿で客車を牽いた姿が見てみたかったですね。
撮影:ohnoさん  島田 1977.9.2
当たり前ですが、埋め込み標識灯姿のEF18の車体は、メーカーは異なりますがEF15の2次形の一部(34〜36)とそっくりです。前面窓のHゴム改造後の姿。
「見学に訪れた浜松機関区にて。当時は事前予約もなくフラッと訪れれば、誰でも見学をさせていただける良き時代でした。」(hojikurinさん)

撮影:hojikurinさん  浜松機関区 1977
sugi-EF1834 真夏の陽を浴びて磐田駅に待機中。こちらは1エンドL側で原形前面窓時代です。標識燈を埋込改造された姿は32号機とほとんど同じに見えますが、良く見るとワイパーや先輪の担いバネの形状などが異なっています。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  磐田 1976.8.1
sugi-EF1834 同じく1エンド側正面です。32号機もそうですが、埋込式に改造された標識燈の取付位置が、EF15の標準形と比べると中央に寄っています。 WP35に交換されたワイパーは、その際に取付位置がつらら切りに干渉するので下方に移設したと思われます。その後、前面窓のHゴム改造に伴いつらら切りもそれに合わせて改造と移設が行われた為、再び上方に移設されています。
「田舎の駅ではホームから降りて線路内に入っても全く平気ないい時代でした。 」(針葉樹林鉄道研究会の杉さん)
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  磐田 1976.8.1
sugi-EF1834 これはR側のナンバープレートと製造銘板です。塗装が随分と荒れているのが分かります。
「ナンバープレートを留めるマイナスボルトの溝が几帳面にすべて縦向きにそろえてあります。取り付けした人のこだわりでしょうか。」(針葉樹林鉄道研究会の杉さん)
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  磐田 1976.8.1
sugi-EF1834 同じく磐田駅に停車中。1エンドR側です。埋込標識燈に改造された姿は車体だけ見ると印象は標準的なEF15そのものなだけに、細長いデッキとの組み合わせは何とも違和感を感じます。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  磐田 1976.8.1
sugi-EF1834 同じく1エンドR側です。EF58では車体に隠れてなかなか見えないHT60台車の細長い前端バリが確認できます。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  磐田 1976.8.1
sugi-EF1834 再び1エンドL側です。
「磐田駅のホームから線路に降り、運転手がいても何も言われない時代でした。」(針葉樹林鉄道研究会の杉さん)
今は地方でもそんなことしようものなら大変な事態になるでしょうね。(^_^;)
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  磐田 1976.8.1
sugi-EF1834 上の写真の1年後の姿で2エンドR側です。33号機同様前面窓がHゴム支持に改造され、ワイパーも上部に移設されています。ところで、このR側の車体前面裾のスカートに見られるL字のパイプは、かつて取り付けられていた直流電気暖房の配管の名残です。この直流電気暖房は旧EF58にも取り付けられいた物で、両エンド前端バリのR側にKE1形ジャンパ連結器が設置されていました。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  金谷 1977.7.21
sugi-EF1834 同じく1エンドR側です。車体裾スカート部の直流電気暖房の配管がこちら側でも確認できます。32、33号機ではスカート部の穴だけ確認できます。
撮影:針葉樹林鉄道研究会の杉さん  金谷 1977.7.21

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