昭和24年にGHQによるドッジラインが施行され、国鉄の電化計画、電気機関車増備計画は強制的に中止されました。東芝では既に32〜36号機の5両のEF58の製造が側窓7枚の旧EF58の第2次形として進んでおり、なかでも32〜34号機はほぼ完成していましたが、結局それらは国鉄に納品する訳にもいかずメーカーで保留される事になりました。 およそ2年の月日が経ちドッジラインが解かれ電気機関車の増備も再開されると、今後の電化の状況を踏まえて新たに製造するEF58は蒸気発生装置を搭載した新車体とする事が決定。そうなると、保留となった旧形車体の5両をどうするかが問題となり、ほぼ完成していた3両(EF5832、33号機はナンバープレートまで付けていた)は新形EF58にするには大規模な改造が必要となるため断念され、当時不足していた貨物用に転用されることになりました。あとの2両は旧車体を利用して新形として製造、皆さんご存知の側窓7枚の変形機、新EF58のトップバッター35、36号機として誕生しました。 最初の3両は歯車比をEF15と同じに変更し、死重を積んで新たに貨物用機関車EF18として生まれ変わりました。形式名は本来ならEF15に続きEF16となるはずですが、EF58との関連性を持たせるためにEF18となったと言われています。また、将来EF58に編入することを考慮してか、番号も1〜ではなくEF58の続き番号である32〜34となっていました。 形態は旧EF58から若干の変更がなされ、同時期に製造されたEF15第2次形と同じく側窓が7枚に、屋根上にはモニタールーフ、前面には4段の通風口が左右に付けられていました。 晩年は静岡・浜松地区の小運転貨物と入換のみの運用と、最後まで華やかな活躍を続けたEF58と比べると、あまりにも地味な存在でしたが、デッキ付の旧EF58の面影を後々まで伝えてくれた意義は大きいと言えましょう。
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