クモイ103様 アドバイスをありがとうございました。早速質問をしてみました。
皆様、お久しぶりです。以前青大将ゴハチのことでお世話になりました。 747-400様、20系の電源車のことなら、詳しく研究しておられる方の HPをご紹介しますので、そちらの掲示板へ質問されては如何でしょうか。 運が良ければ、そのものズバリの写真か図面が出てくるかもしれませんよ。 HP「客車空気調和装置資料室」 管理人:中村光司氏(HN「竹客」) ピクトリアル誌の客車関係の号にたびたび執筆されている方です。 URL:http://cu1.web.infoseek.co.jp/index.htm トップページ左フレームの「両用掲示板」をクリックするとBBSへ行けます。
EF58の牽引する1961年頃の特急「はやぶさ」14両編成をKATO製 の20系で再現すべく、必要なナロ20・ナロネ22・マニ20をKATO製 から改造し、ナハフ20・21はKTM製を使用します。 ところで「はやぶさ」用に製作されたカニ22は熊本以南の速度制限の為に 使用できず、カニ22→さくら カニ21→あさかぜ マニ20→はやぶさ となったようです。 カニ22は4両製作されましたが、日立製のカニ22−51はマニ20の予 備車として、無電装で出場したようです。この車輌が実際に「はやぶさ」で 使用中の動画を発見しました。「国鉄時代」Vol.3の付録のDVDの中に 瀬野〜八本松を下る58の牽引する「はやぶさ」がありますが、機関車の次 位の電源車はあきらかに「カニ22」ですが、パンタがありません。 このカニ2251をKATOのカニ21から改造する予定ですが、屋上の 様子がわかりません。どなたかこのカニ2251の写真が掲載されている雑誌 等をご存知ないでしょうか?
C6217様、レスどうもありがとうございます。 今ちょっとイカロス出版の「東海道線の名列車」という本を見てみました。 C6217様がおっしゃっておられるものと同じであろう形態のステップのものがありました! なかなか魅力的な形態ですね。 しかし、ゴハチは奥が深いですねぇ・・・。 ご返答どうもありがとうございました。 購入を前向きに検討します。 これからもどうぞよろしくお願いいたします。
久々の新形態の58、嬉しいですねぇ。 さて、日野森様のおっしゃるL形誘導員ステップ付きというのは、箱形車体から新型 の車体に載せ替えられた物で、しかも小窓仕様だった物ではないかと推察いたします。 前端梁の下部のスノープラウ取り付け台座(いわゆる金太郎の前掛け)が無く、前端梁 左右に直接誘導員ステップの取り付けられていた物ではないでしょうか?1〜31号機 の中で、小窓の車体に載せ替えられた物はおおむねその形態だと思います。 ウチにある古い【鉄道ファン】誌にまさに『かもめ』のヘッドマークを付けた、茶色い 1号機の写真が載っております。当然他の列車にも使用されていたはずですよねぇ。
こんにちは。 お伺いしたいことがございまして書き込みさせてただきます。 今度、KATOから、10系「かもめ」製品化に伴い、 「茶色・前面小窓・先台車のL形誘導員ステップがついたタイプ」 のゴハチが製品化されるようですが、L形誘導員ステップというのがどんなものかわかりません。 このタイプは、「月光」「彗星」「銀河」などの東海道夜行急行にも使用されたタイプなのでしょうか。 もしよろしければどなたかお教えいただけませんでしょうか。 どうかよろしくお願いいたします。
既に書き込みが何回かされていますので今更で恐縮ですが、私もたまたまジャーナルの取材の前日である、1982年9月16日の2326レの編成をチェックしており、2326レの高崎−上野間はEF58174(高二)が牽引していました。ジャーナルに記載されている9月17日の2321レの編成と16日の2326レで違っていたのはオユ10とマニ37の車番のみで、それ以外の12系の車号はすべて16日の2326レと同じでしたので、高崎線の12系普客を高二のEF58が牽引したていた事は間違いないと思います。但し、同じ年の10月11日の2321レはEF6219が牽引しており、EF58が12系を牽引した時期は短かったものと思われます。
管理人、皆様、ご無沙汰いたしております。 久々にこちらの掲示板を拝見させていただいたら私の高崎線普通客レの 撮影コメントの件が話題になっていて驚いています。 手元にある「華麗なる特急電機EF58」によりますと、当時の高崎二区 の運用状況の中で「本来はEF62の仕業である上野−高崎間の各駅停車 2321・2326列車も引き続きEF58が牽引している」との記述が あります。 (昭和56年12月10日発行) 私は几帳面な性格でないので当初から撮影記録すら残してないのですが、 高崎線沿線に居住していたわけではないのでこの列車を撮影するには その都度上京していました。 撮影順にネガ整理していくと、旧型客車から12系に変更されたのは 昭和57年7〜8月くらいではないか?と推測されます。 また、昭和57年3月くらいにはこの列車を撮影するたびに宇都宮区の 154号機が充当されていたようです。 (高崎線沿線に居住していたわけではないので連日なのかは不明) 上野−高崎間限定であれば冬場でもスノウプラウ未装着の154号機でも 問題なかったということなのでしょうか? 当時の高崎二区はEF64-1000の新製配置を控えていた時期なので、 検査切れのEF58から順次運用離脱していったのでしょうか?
先ほど高崎線車内から確認出来ました。大宮のパックが再び茶色塗装にされました。てっきり青色のまま博物館入りすると思ったので驚きでした☆再び茶色に戻ったことは賛否両論かもしれませんが、茶色時代しか知らない私にとってはかえって懐かしいような…でも青の方が好きだし…ほんとに難しいところですね(^_^;