国鉄形電気機関車

Last Update 2022.9.22

このページでは主にトップページに掲載したEF58、EF15、EF13形以外の国鉄形電機の紹介をしたいと思います。
データで不明な点も多々ありますが、手元に資料がないのと元来いい加減な性格故、残っていないものが大多数。どうかお許しください…。もし、間違いなどを見つけましたら、ご連絡下さい。 m(_ _)m

※画像をクリックすると大きなものが表示されます。


EF581 EF8181(田端)

1985年に茨城県つくば市で開催された「科学万博・つくば '85」に際し運転された御召列車を牽引するEF8181。本御召は4月と6月の2回運転されています。これは4月26日に下館〜原宿に運転された復路です。この頃は鉄道趣味からは遠ざかっていた時期ですが、たまたま新聞でお召し運転を知り撮影に赴いたものです。
つくば万博御召   新大久保 1985.4.26
EF581 EF8181(田端)

同じく連写(死語か)で撮影した81号機のアップです。この運転に合わせて本機には大宮工場にて御召整備が行われ、各部の磨き出しや銀差し、側面の銀帯の取付など美しく装飾されました。
つくば万博御召   新大久保 1985.4.26
EF581 EF8181(田端)

これはDAYTONAさん撮影の上と同じ日の御召列車で東北本線を行く姿です。当サイト草創期にその他のページにて公開させて頂いていた画像です。
撮影:DAYTONAさん    つくば万博御召   東大宮―蓮田 1985.4.26
EF581 ED1614(立川)

所属の立川機関区に入区するED1614。ED16は全機1931年(昭和6年)裂造で、中央線、上越線、阪和線での活躍を経て1965年(昭和40年)には18両全機が立川区に集結していました。この写真を撮影した1980年で裂造からおよそ半世紀、まさに走る骨董品の風格が漂っていました。この頃はまだED16への前面窓のHゴム改造施工前で、標識燈の埋め込み化を除けば全機がほぼ原形の美しい姿を保っていました。なかでも14号機は当時立川区に集桔したED16のうち、唯一上越時代のスノウプラウを残したカマで、他のED16に比べ下回りの引き締まった武骨な姿はファンの人気を集めていました。 ちなみに立川機関区は西国立駅に隣接しており、ホームから気軽に撮影ができました。
西国立 1980.2
EF581 ED1614(立川)

ED16と言うと晩年の青梅線、五日市線、南武線のイメージが強いですが、もともと中央線と上越線用として製造された勾配用機関車です。なかでも上越線に配置された物は清水トンネル完成により全線関通した上越線、水上―石打間(開通当初から電化)で使用された最初の機関車であり、豪雪地帯で便用された国内初の電気機関車でもあります。戦後、水上区にはEF16が配置され上越国境のシェルパとして活躍しますが、大先輩ED16と同じ16の数字を持つのも何かの縁を感じてしまいます。ところで、本機の製造銘板ですが戦中に召し上げられでもしたのか何故かR側のみとなっていました。
西国立 1980.2
EF581 EF6228(高二)

上野駅17番線に到着の「越前」。「越前」はマニ37に10系ロネ、ハネ、スロ62に旧客を繋いだいかにも急行らしい渋い編成でした。EF62も信越線の主として君臨していて、この当時はよもや山を下りて東海道、山陽で活躍することになろうとは夢にも思いませんでした。この頃の上野駅17番線は18番線との間にあった荷物ホームが徹去され、今は無き向かいの18番線から編成写真を撮るのに実に都合が良くなっていました。
606レ「越前」   上野 1980.9
EF581 EF121(高二)

高崎市制80周年を記念して運転されたミステリー列車を牽くEF12の1号機。確か高崎〜長野原(現・長野原草津□)間の運転で、これは終点長野原で入れ換え中のシーンです。戦前の傑作機関車と言われたEF12もこの頃は淘汰が進んでおり、吾妻線用としてこの1号機、5号機、16号機、そしてラストナンパー17号機の4両が高崎第二機関区に残っていただけでした。それでもトップナンバーとラストナンバーが残っていたのが嬉しかった覚えがあります。個人的には貨物用旧形電機にヘッドマークは今一つ似合わないと思いますが、当時流行のミステリートレインと言う事で高崎局でも気合が入っていたんでしょうね。
8531レ「高崎市制80周年記念ミステリートレイン」   長野原 1980.8.3
EF581 EF6434(甲府)

早くから電車化が進んでいた中央東線ですが、この当時、昼間に客車列車を見る事ができる数少ない機会に臨時急行の存在がありました。基本的に新宿発着で下り夜行、上り昼行という運転スタイルで、下りは早朝から山を目指す登山客で混みあった様ですが、上りはいつ見てもガラガラ。実質的には回送が主目的だったと言えるかもしれません。運転区間により愛称が「アルプス」だったり「たてしな」だったりしましたが、晩年は「アルプス」に固定されていたと思います。この撮影時は旧客8連でしたが2ヵ月後の8月に同列車を撮影した写真では12系8連に変更になっています。いつから変わったのか記憶にありませんが夏を前に冷房のある12系に変更されたのかも知れません。 左端にすれ違った165系「アルプス9号」の姿がチラリと見えています。 ここはトンネル手前の上下線が離れた場所ですが、この当時はこんな所で撮っていても特にお咎めはありませんでした。
8402レ「アルプス54号」   相模湖―高尾 1979.6.2
EF581 EF6651(下関(転))

時代は一気に進んでJR化後の九州ブルトレ「さくら」で定番の三島〜函南の富士山バックです。1980年前後のブルトレブーム世代のファンにとっては長年の夢だった?EF66のブルトレ牽引が国鉄時代晩年の1985年に実現。車体の大きなEF66とブルトレはよく似合っていましたが、特急貨物列車を高速で牽引する事が本来の使命のEF66にとって、ブルトレ牽引は役不足と言えるかもしれません。それにしてもその当時はよもやEF65PやEF65PFをはるかに越える24年と言う長きにわたりブルトレの先頭に立つ事になるとは想いもよりませんでした。
この写真の撮影時(1996年)、既に九州ブルトレは「みずほ」と「博多あさかぜ」が廃止となっていましたが、この「さくら」以外に「下関あさかぜ」「はやぶさ」「富士」がまだ単独列車で健在でした。

4レ「さくら」   三島―函南 1996.3
EF581 EF6646(下関(転))

さらに時代は進んで上り「あさかぜ」最終列車です。ヘッドマークは2005.2.28の文字が入ったこの日だけの特別の物が下関運転所の手により作成されています。ブルートレインの元祖「あさかぜ」の廃止は、その終焉がいよいよ迫ったことを否応なく感じさせました。もっとも本当の意味でのブルトレ元祖と言える博多「あさかぜ」は、この10年前の1994年12月に廃止されています。 編成の中間に連結されたパンタ付きのスハ25が確認できます。
9016レ「あさかぜ」   戸塚―東戸塚 2005.3.1
EF581 EF6646(下関(転))

同じく上り最終「あさかぜ」。真新しいヘッドマークを朝陽に輝かせ、一陣の風を残し目の前を通過する姿はまさに「あさかぜ」。シャッター速度1/500秒で若干被写体ぶれしてます。1956年の誕生から列車としては49年、ブルートレインとなってからは47年というおよそ半世紀にわたる活躍にこの日をもって終止符が打たれました。
9016レ「あさかぜ」   戸塚―東戸塚 2005.3.1
EF581 EF651102(田端)

早朝の米原駅に停車中の下り寝台急行「銀河」です。隣に停車中の223系の姿が時代を語ります。「銀河」はこの年の3月改正で廃止されましたが、新幹線が2時間半で東京〜大阪を走破する時代によくぞここまで生き残っていたと思います。この写真はお別れ乗車でオロネ24に乗った際に撮影した物です。寝台列車のどこに魅力を感じるかは人によって様々だと思いますが、私にとっての一番は何と言ってもその車窓に尽きます。深夜、暗闇にポツンポツンと流れる家々の灯りや運転停車の駅の誰もいないプラットホーム。そんな非日常な光景を眺めていると、寂しいような愛おしいような不思譲な感情が湧いてきます。そんな体験を日常的にできるのも、もはやサンライズのみとなってしまいました。
101レ「銀河」   米原 2008.1.18
EF581 EF6653(下関(転))

東京発着最後の九州ブルトレとなった「富士・はやぶさ」です。一路九州に向けて東京を後にするEF66と14系客車。14系は白帯と銀帯が混じり編成も12両と全盛期と比べると寂しくなったとは言え、それでも個室寝台が4両入った堂々とした編成は九州ブルトレの最後を飾るにふさわしいものでした。
1レ「富士・はやぶさ」   田町 2008.7.6
EF581 EF651107(田端)

同じく平成になりますが、故障したEF6646の代走でEF651107がヘッドマークを付けて「富士・はやぶさ」を牽き東京〜下関を往復した際の姿です。ヘッドマークを掲げてブルトレの先頭に立つPFの姿は1980年代のブルトレブームの頃を偲ばせるものでした。ちなみに当時の東京区のPFはスノウプラウ未装着だったのでプラウ付きの1107号機は黒Hゴムの前面窓や屋根上のクーラーなども含めてその頃とは細部は異なっています。私的にはPFはスノウプラウ付きの姿の方が好みなので、嬉しい記録になりました。
2レ「富士・はやぶさ」   戸塚―東戸塚 2008.12.15
EF581
EF65502(下関)


上り「はやぶさ」を牽き横浜駅に進入する姿です。P形からPFへのブルトレ牽引機の交代が間近に迫り、ゴールデンウィーク中の横浜駅には早朝から多くの少年ファンが集っていました。(かくいう私もその一人でしたが…)
ブルトレ牽引機としてはこのEF65Pが電機では先輩のEF58や後輩のEF65PF、EF66を抑えて最も似合うと個人的には思います。それだけにこの当時、東京口のブルトレがPFに変わると知った時はとてもがっかりしたものでした。
4レ「はやぶさ」   横浜 1978.5.3


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