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昭和から平成、そして令和へと年号が変わったばかりの2019年の8月。みなかみ町で保存中のEF1628号 機の改修記念講演会と特別内覧会が開催されました。その日、私は早目に水上駅に赴き、39年前にEF16が行き来していた当時の面影を探索してみました。 61号機の撮影やEF1628の訪問などでEF16引退後も何度か足を運んではいましたが、じっくりと駅構内を眺めるのは久しぶり。中線や引き込み線が撤去されていたり、跨線橋が一つ無くなっていたりはしましたが、思ったよりも当時の面影が残っていて嬉しい驚きでした。 例によって備忘録的な内容なので、他人様が見ても面白いものでは無いかも知れませんが、当時を知る人に懐かしんで頂ければ幸いです。 撮影日は特記以外は全て2020年8月20日。例によって写真クリックで大きなサイズが別画面で表示されます。また、文章中の色の変わったところをクリックすると別画面で画像が表示されます。 |
高崎から乗車した水上止まりの211系を降り、約4ヶ月振りに水上駅ホームに降り立ちました。(前回はこれまた再塗装の終わったEF1628を見に来たとき) これは1番線の宮内方から高崎方を見たところで、撤去された中線を除けば1980年当時とそれほど変化はありません。ホーム上の右端に見える上越線でお馴染みの緑色に塗られた従来の架線ビームが途中で切られて、撤去された中線上に新たにコンクリート製の架線柱が2本新設されています。ホームの上屋は1番線側も2、3番線側も昔のままですね。 |
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ホームの右に目をやると国鉄時代からある引き込み線が見えます。これらは全て行き止まりになっていて一番手前のホームに面した所には、かつて翌日の始発になる115系が夜間滞泊していました。その1線のみ架線も残り架線断路器の「入」表示もされているので現在も現役で使用されている模様です。その右にあった引き込み線は2本撤去されています。3つ並んだ建屋の手前2つは国鉄時代からあった物で、昔と全く変化ありません。その隣の物は後年に建てられた物です。(と言っても結構年数経ってそうですが) |
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同じ場所で宮内方を向いています。こちらでも従来のビームが切られて中線に架線柱が2本新設されています。ホーム上はコンクリートのタイル張りからアスファルト敷きに変わっています。 |
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同じく1番線ホームからかつての水上機関区方面を見ています。奥に見える赤茶色に塗られた建物は水上機関区の詰所だった物です。当時はこんな派手な姿では無かったと思いますが現在もJR職員の詰所として使用されている模様です。一番手前と奥の間にあった引き込み線が1本撤去されています。 |
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ホーム上を宮内方に移動して同じく水上機関区跡を見ています。詰所の右側には機関区の研修庫がありました。右にチラリと見えるSLは水上機関区検修庫跡に置かれたD51745。 |
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再び高崎方を見やっています。2番線にはE129系の姿も見えます。一番奥の3番線の脇にある雪よけは、1980年当時は部分的にあるだけでこんなに連なってはいませんでした。いつ頃増設されたんでしょうね。 |
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宮内方を見ると延長された幅の狭いホームとその脇の小さな木造の詰所の姿。この佇まいは国鉄時代からほとんど変わっていませんね。思わず懐かしさで何枚も撮影してしまいました。 |
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詰所部分をアップで。室内には電話機や機材が置かれ、今なお現役で使用されている様です。それにしても木造の建物がよくぞそのままの形で残ったものです。この詰所の右側でかつて補機の連結作業が行われていました。画面左で手前に直角に曲がっている構内踏切は、以前はそのまま真っ直ぐ左の線路を横断していたと思います。 |
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ホームの宮内方から駅本屋方向を見ています。ホーム側の引き込み線の真ん中2線が撤去され、手前の1線以外は架線も無くなっていますがそれ以外はほぼ昔のままです。 |
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眼の前には旧水上機関区の詰所。そのすぐ右にあった検修庫内でEF16が休憩していた姿が思い浮かびます。 |
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更に右へ視線を移すと、宮内方の木造の詰所から伸びる構内踏切が詰所方向へ続いています。 |
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ホーム端から宮内方を望みます。山並みは変わりませんが、上り線脇の樹木は随分と成長しています。真ん中の構内踏切は昔のままですね。かつてこの辺りからEF16を撮影された方もおられるのではないでしょうか。 |
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構内踏切の突き当りには線路脇に左に向かって真ん中の架線柱の手前まで幅50cmほどの細い道(柵がある部分)が続いており、架線柱の先から一部がアスファルトで舗装された幅5〜6mほどの道が坂の上の丘まで続いていました。草木に覆われていますがその面影は残ってますね。坂の上にはコンクリート2階建ての立派な詰所が建っていました。 |
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1980年5月に撮影した写真で、左端に坂の上にあった詰所の姿が確認できます。立派な建物ですが、駅や乗務員、保線関係者の為の物だったんでしょうか。撮影場所は水上駅前の道を湯檜曾方面へ行った先の第三水上踏切の手前から水上駅方面を向いて撮影したもの。(グーグルマップだとこの辺り) |
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構内踏切の突き当りにある小さな柵。大分剥がれて分かりにくいですが黄色と緑?の警戒塗装も当時のまま。この辺りからEF16やEF15を撮影した事が想い出されます。当時この場所へ行くには駅の改札を出てぐるりと回って水上の鉄橋手前の踏切を渡って坂の上を通ってここまで降りて来てました。この場所から撮影したのが下の写真です。 |
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線路脇の小道から39年前の1980年8月2日に撮影した20系寝台急行「天の川」です。補機はEF1626〔水〕で本務機はEF58174〔高二〕です。線路を横切る構内踏切の姿は今も変わりません。手前には上の写真にある警戒塗装の柵が確認できます。この当時から少々傾いていますね。右端にはこれまた現在も変わらぬ姿で同じ場所にある詰所と手すりの姿が確認できます。 |
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再び宮内方の詰所と延長ホーム部分です。右の構内踏切は上の物と同じです。左にD51745が見えますがその辺りまでがかつての水上機関区検修庫があった所です。 |
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詰所と共にこの部分のコンクリート製のホームや左の手すりも昔のままですね。 ホーム上の白線を示すタイルも今や懐かしい存在。左のスロープ部分の四角のコンクリートタイルが、昔はホーム上に敷き詰められていました。 ところで、やたらと宮内方の写真が多いですが、私にとって水上駅と言うとEF16補機付の下り列車撮影時の印象が大きいので、どうしてもこちら側に想い入れが深いからです。 あとは何と言ってもやはり水上機関区周辺ですね。 |
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宮内方のホーム端からの眺めです。昔はもっと濃い緑でしたが、上越線の代名詞とも言える緑色に塗られた架線ビームが健在です。画面の中央やや右に切通しの上から構内踏切の手前まで、前述の舗装道が続いていました。今はすっかり草や土に覆われてしまっています。 |
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同じく宮内方のホーム端からの眺めです。中央右の下り本線の先で左に分岐しているのがかつての水上機関区への出入庫線に向かう線路で、現在もSLの機回しやターンテーブル使用に使われています。画面右の坂の途中にかつて道だった事を示す手すりが見えています。坂を上がった先に詰所がありました。 |
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1980年5月3日撮影の写真です。左隅の撮影者がいるのが上の写真の舗装道で、その道を登った坂の上から撮影しています。舗装道の先には構内踏切に続く線路脇の小道も見えています。補機は現在もみなかみ町で保存されているEF1628〔水〕で本務機はEF15151〔長岡〕です。 |
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拡大して見ると線路脇の小道部分もコンクリートか何かで舗装されている様に見えます。画面手前の光った道の様な物は構内の融雪口へと続く水路です。 |
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同じく宮内方ホーム端から高崎方見たところです。先ほどの詰所の反対側は随分と色褪せています。こちら側は北向きなので日に焼けたとは考えられませんので風雪のせいでしょうか? |
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同じく宮内方のホーム端から高崎方の全景です。 |
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詰所のアップ。昔、水上駅で撮影したバルブ写真の背景に写っているそのままです。 |
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これは1980年8月1日に前述の構内踏切から撮影したEF1629〔水〕とEF651025〔宇〕の重連貨物の写真の一部です。(全体はこちら)EF16の奥に上の写真の詰所と手すりが変わらぬ姿で写っています。手すりの塗装は現在の白とは異なっています。上越線らしく緑色だったでしょうか?それにしても40年近く前の物がよくもほぼ変わらぬ姿で残っていたものです。 |
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移動してホームの中ほどから高崎方を見ています。丁度上り高崎行き211系3000番台が発車しE129系と顔を並べたところです。ご覧の通り右側の引き込み線は駅本屋に突き当たり行き止まりとなっていますが、これは昔からこの形で以前はその隣にもう1本引き込み線がありました。右隅に見える手前と奥の2本の架線柱は引き込み線撤去前と同じです。古レールを使ったホーム上屋は国鉄時代から変わりませんね。 |
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1番線から2番線に停車中の長岡行きのE129系を撮影。走る列車の姿はすっかり様変わりしましたが、ここから見た駅構内の雰囲気は1番線との間にあった中線が撤去された以外は、レトロな作りの跨線橋と共に国鉄時代と印象はほとんど変わっていませんね。と思いきや、ホームの高崎寄りにあった跨線橋がいつの間にか姿を消しています。 |
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1999年8月撮影の写真で、「駒子号」を越後湯沢から牽引してきたEF5861が水上到着後、機回しで1番線を通過するシーンです。 現存している方の跨線橋から高崎方を撮影した物ですが、奥に別の跨線橋の姿が確認できます。 また、この時点では架線は撤去されてはいますが、中線のレールはまだ残っていました。 |
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残った跨線橋です。上の写真はこの跨線橋の中ほどから撮影したものです。こちらは昔と変わりは無さそうです。撤去された跨線橋ですが、過去の写真を見ると2001年1月にはあったのが2006年8月には無くなってました。それだけ乗降客が減ったという事なんでしょうが、いつ頃撤去されたんでしょうね。 |
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同じく現存する跨線橋を高崎方から見たところ。 |
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そのアップです。少々妙な色で塗られてはいますが、新鋭E129系のピンク色とはうまくマッチしています。鉄骨を組み合わせた構造とレトロな窓の組み合わせが良い味を出しています。 |
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長岡行きE129系の全景を高崎方から。かつての上越線の栄華を感じさせる長いホームの真ん中に遠慮がちにチョコンと停まる4両編成が可愛らしいです。新幹線開業前は昼夜を問わず、特急や急行がバンバン走っていた頃を思うと、何とも寂しい光景です。撤去された中線部分に新たにコンクリート製の架線柱が2本建てられいます。ところで、E129系の前面塗装の塗り分けが、かつての80系などの金太郎塗りっぽくて、個人的には気に入りました。 |
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これは2001年1月7日の撮影で列車は「ELSLみなかみ物語号」です。上の2019年の撮影位置より50mほど高崎方からの撮影になりましょうか。中線の架線は既にありませんが雪の下にはまだ線路は残っています。高崎方の跨線橋も健在で駅構内の架線柱もこの頃はまだ昔のままでした。ちなみに新EF58の2枚窓の前面デザインや飾り帯も当時大流行した80系電車譲りです。 |
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これは上とほぼ同じ位置から2006年8月に「EF58奥利根号」運転時に撮影したカットで、上の写真にあった手前の跨線橋が撤去され、その部分のホーム上屋が新設されている様子が分かります。撤去された跨線橋の階段部に接続されていた架線ビームも同時に撤去され、同じ位置に中線のスペースを活用して新たに架線柱が設置されています。その奥の架線柱は以前のままの状態です。オリジナルカラーの115系と12系の組み合わせは国鉄時代を彷彿させます。 |
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最後に2019年現在の情景をもう一度。 カーブした独特の水上駅構内の情景は、昔とそれほど印象は変わりません。しかしながら、2010年には定期の特急「水上」も無くなり、ここ水上駅に顔を出す優等列車は無くなってしまいました。2017年には駅構内のキオスクも無くなり、休日や祝日にSLが走る時以外はひっそりと静まりかえっているんでしょうね。実際、この日も平日とは言え夏休み中にも関わらず、水上駅に降りたった観光客らしき姿は数人でした。 新幹線開業前やバブル期の賑わいを思うと、現在の駅周辺も含めての衰退ぶりは何とも寂しい限りです。魅力的な観光資源はたくさんある地域なので、いつかまた、多くの人で賑わう日が来ることを願うものです。それと共にいつまでも国鉄時代の面影も残っていて欲しいものです。 さて、今度は水上機関区跡へでも行ってみましょうか。 |