1980年12月31日 夜の大宮駅
 
Update 2017.11.1



当時、私は東京郊外に住んでいて、夜遅く発車し早朝到着する上野口の夜行列車の撮影は、高校生だった私にとって始発、終電の関係でなかなか難しいものでした。そんななか、大晦日から正月にかけての国電や私鉄の終夜運転は私にとってそれらの列車を撮影する絶好の機会でした。そんな訳で何度か大晦日の大宮駅に足を運んでいます。

ここでは1980年の大晦日の夜に大宮駅に発着した上信越関係の列車を中心に時間に沿って紹介したいと思います。
この年の10月に長岡運転所のEF58は新鋭EF64 1000番台に置き換えられ、「北陸」はEF64一般形、「能登」はEF641000の牽引になりましたが、「鳥海」、「天の川」にはまだまだ高崎二区のゴハチが頑張っていました。また、EF62や新製間もないEF641000が旧形客車主体の夜行急行を牽引する姿は今見るとなかなか新鮮です。

記憶ではこの日は特別ダイヤは乱れていなかったと思うので、参考までに定時の発着時刻も記載しました。
例によって写真クリックで大きなサイズが別画面で表示されます。それでは、1980年大晦日の大宮駅の夜へ出発〜。





21:00頃? 「ひたち」回送 485系12連
いきなり良く分からない列車が登場です。おそらく21時前後だと思いますが最初に登場したのは「ひたち」の愛称板を付けた485系でした。当然、常磐線特急の「ひたち」が定期で大宮に来ることはありませんので東大宮操車場への回送でしょう。12連の編成から見ておそらく上野19時50分着の「ひたち20号」の回送でしょうか。


21:18〜21:19 603レ「越前」 ハザ5+ロザ+ハネ2+ロネ+荷
上信越夜行のトップバッターは福井行きの急行「越前」です。牽引機のEF6236〔高二〕は2次形の標識燈の形状が小判形から大形になったタイプ(29号機〜)です。60系の新形電機でも標識燈の違いで顔の印象は結構変わり、これだけでちょっと垢抜けたイメージに感じます。客車の屋根に残った雪が雪国へ行く列車を感じさせます。

「越前」は昭和40年(1965年)に上野〜福井に新設された夜行急行で、この頃の編成は前からハザ5両、ロザに続き10系ハネ2両、ロネに荷物車の10両と碓氷峠を通る為、上越の夜行急行に比べて身軽な物でした。ハザは今でこそ旧形客車と呼ばれますがこの当時はまだまだ現役バリバリで、12系以降の新系列客車に対して10系も含めて一般形とか在来形、それに所謂雑形(厳密には間違いなんでしょうが)と呼ばれていて、旧形客車と言う呼び方はあまり無かったと思います。一括りに旧客と呼ばれ始めたのは淘汰が進んで急行の座席車が12系や14系化された昭和57年(1982年)くらいからじゃないでしょうか?
さて、「越前」ですが昭和57年(1982年)11月の上越新幹線開業で上越線経由・金沢行の「能登」が信越線経由に変更されるとそちらに統合される形で廃止になっています。


21:39〜21:40 801レ「鳥海」
その約20分後、今度は高崎二区のEF58174に牽かれて上越線経由・秋田行の急行「鳥海」が入線。 青の直流標準色のEF58に青い旧客が良く似合います。 編成はハザ6両、ロザに続き10系ロネ、ハネ2両、荷物車3両の堂々13両です。

さて、「鳥海」の愛称は変遷が激しく、元々、奥羽本線経由の秋田行急行に昭和25年(1950年)に付けられましたが6年後に一旦消滅。昭和40年(1965年)10月に上越・羽越線経由の上野〜秋田間の昼行急行として復活し、昭和43年(1968年)10月改正には同区間の夜行急行「羽黒」の愛称も「鳥海」に統合され昼行夜行各1往復となります。昭和47年(1972年)10月改正で昼行「鳥海」が上野〜青森間の特急「いなほ」に格上げされ夜行のみとなります。その後、上越新幹線開業の昭和57年(1982年)11月改正で夜行「鳥海」は寝台特急に格上げされ「出羽」に愛称を変更。同時にかつて「鳥海」だった特急「いなほ」が再び「鳥海」に名を変えて電車特急として名を残しましたが、昭和60年(1985年)3月の上越新幹線上野開業を期に臨時化されそのまま消滅しています。


21:43〜21:46 3001レ「北陸」
「鳥海」発車後すぐに14系12連の寝台特急「北陸」が入線。牽引機はこの年の10月にゴハチと交替して間もないEF6475〔長岡〕です。EF64の一般形は1000番台の落成を前に長岡運転所に先行配置されていた物で、37、38、39、74、75の5両でした。その後EF641000の増備に伴い古巣の甲府区に転属しています。
この時代、ブルトレのヘッドマーク取付は東京機関区担当列車のみだったので、せっかくのブルトレ牽引もヘッドマーク無しで残念です。2010年3月の「北陸」廃止を前にJR東に継承されたEF64一般形が何度かヘッドマークを掲げてその先頭に立ったそうで、ロクヨンにとってもファンにとってもこの時代に叶わなかった夢が実現した形でしょうか。


22:14〜22:16 3605レ「能登」
「北陸」発車後30分ほどして上越線経由の上野〜金沢間の急行「能登」が入線。新製後間もないピカピカのEF641012〔長岡〕に牽かれた編成はハザ5両、ロザ、10系ハネ5両、ロネ、荷物車の13両です。

急行「能登」は昭和34年(1959年)に東海道経由の金沢行きとして登場。昭和43年(1968年)に一旦廃止となりますが昭和50年(1975年)3月に上越線経由の金沢行きとして復活、上越新幹線開業の昭和57年(1982年)11月に信越線急行「越前」を統合する形で信越線経由となり14系座席車化、その後489系電車化されますが碓氷峠の廃止で再度上越線経由となるなど紆余曲折を繰り返しながらも夜行急行としてその名を残しました。しかし、2010年3月遂に「北陸」廃止と同時に定期運行が終了しました。一応、臨時として籍は残っている様ですが北陸新幹線が開業した現在、残念ながら今後運転される可能性は低いでしょうね。


22:14〜22:16 3605レ「能登」
牽引機のEF641012にはまだ解結作業用ライトは未取付です。(2次車もまだ登場してない頃だと思うので当然と言えば当然ですが…) 屋根上の塗装も車体色で大宮工独自の黒色にはなっていませんね。
EF641000番台はこの年の10月に長岡のEF58やEF16を追いやった私にとって憎きカマのはずですが、長い車体に左右非対称の姿が国鉄離れしていて格好良くどうしても憎めませんでした。この時もわざわざカマ中心の写真を撮ってます。(ゴハチでも撮ってないのに)助士席側の窓にホームの時計が映り込んでいて何か変ですね。電暖表示燈が消えているのは電暖使用中の為。私の感覚では未だにロクヨン1000と言うと「最新鋭機」と言う感が強いのですが、1029号機を筆頭に多くの機体が鬼門に入ってしまったそうで…。う〜ん、何とも。


23:00頃? 「ひばり」回送
今度は懐かしい485系「ひばり」が登場。「ひばり」はこの頃14往復の最盛期で全列車食堂車組み込みの12両編成でした。これは22時13分上野着の「ひばり26号」の東大宮への回送だと思います。


23:03〜23:04 803レ「天の川」
上越線客車夜行のしんがりは20系客車の秋田行急行「天の川」です。ナロネ21が2両組み込まれた豪華編成で電源車の後ろに郵便車(スユ16)も連結された12両です。牽引機は高崎二区のEF5890。PS15パンタ装備の典型的な上越スタイルです。この後、手前の7番線に高崎線の普電が進入して来るので急いでシャッターを切ったので少々露出不足気味。(-_-;) 「天の川」の反対側にもブルトレの姿が見えますが、23時01分発の「北星」が発車したところです。

さて、この「天の川」、その前身は戦前の清水トンネル開通時にまで遡ります。「天の川」の愛称は昭和38年に上野〜新潟間の寝台専用急行として登場。その後、行き先を秋田まで伸ばし昭和51年(1976年)10月改正から「銀河」に続き2本目の20系急行となりました。その「銀河」と並んで実にロマンチックな愛称だったと思いますが、昭和60年(1985年)3月、東北上越新幹線の上野開業と共に消えてしまったのは少々残念です。


23:03〜23:04 803レ「天の川」
普電到着後、気を取り直してもう1枚。やはりゴハチと20系客車はよく似合います。カマが長岡のP形と高崎の一般形の違いはありますが上越形EF58との組み合わせは見た目は20系時代の「北陸」とほとんど変わりません。これを撮っていた時は隣の115系が邪魔だ〜と思ってましたが、今見てみるとこれはこれで良い記録です。この後に165系の夜行「佐渡」もあったはずですが未撮影です。
それにしても同じゴハチながら暖地形とは印象が異なる上越形が一両も保存されなかったのはやはり残念です。引退時期がもう少し遅ければ1両くらい保存された可能性はあったのではないかと思います。そうするともしかしたらつらら切り故に生き残った89号機は保存されていなかったかも知れません。89号機とこの90号機は同じメーカーのしかも同じロットで製造され1番違いですが、両機の運の違いには悲哀を感じてしまいます。


0:02頃 8705レ?
ここからおそらく0時を過ぎて新年を迎えていると思います。やって来たのはEF58137〔高二〕牽引の12系11連の堂々とした編成ですが、当時の時刻表を確認すると該当する列車がありません。スジ的には8705レっぽいのですがサボも入っていないので団臨か回送かも知れません。ゴハチの電暖表示燈が点灯中ですが、これは電暖未使用状態を示すもので、オレンジ色の輝きはSGのスチームと共にかつて冬の鉄道風物詩でした。画面右端に今となっては懐かしい形の「UCCコーヒー」の自動販売機と水飲み場が見られます。(拡大写真)こういった余計な物が後になって時代を感じさせる良いアクセントになったりします。


0:20〜0:36 荷41レ
9番線に停車中の東北本線の荷物列車。宇都宮運転所のEF58151の牽引です。電暖に前面窓デフロスタ姿は典型的な晩年の宇都宮ゴハチのスタイルと言えましょうか。随分と停まっていたような記憶がありましたが、時刻表で確認すると16分間の停車でした。どうでも良いところですが左に見える公衆電話コーナー?がこれまた時代を感じさせます。(拡大写真


0:25〜0:26 301レ「妙高9号」
最後はEF6214〔高二〕牽引の直江津行きの信越線急行「妙高9号」が入線。流石にこの時間になるとホームに人影はほとんど見られません。この10分ほど前には169系電車の夜行「妙高7号」も来たはずですが未撮影です。EF6214は1次形で2次形に比べると側面のエアフィルタや運転席側窓、車体側面裾の形状が異なっています。標識燈は赤円板取付用の小判形のタイプで、これだけで顔の表情が素朴な印象になるのが面白いです。

「妙高」は昭和33年(1958年)に上野〜直江津間の夜行準急として誕生。昼行の気動車急行の時代を経て昭和41年(1966年)に165系電車化、その後、43.10改正で169系電車の昼行・夜行と客車夜行の体制となり、この段階では169系の昼行3本に夜行1本、夜行の客レ1本の計で5本になってます。編成はハザ6両、ハネ、ロネ、ハネ、郵便車の10両で通常に比べてハザが1両増結されてます。上下とも長野〜直江津間は寝台車もそのままで普通列車になりました。
その後、昭和57年(1982年)11月の上越新幹線開業で夜行のみ14系客車化されてその名は残りますが、3年後の東北上越新幹線の上野開業を期に169系化、さらに昭和63(1988年)年3月改正で189系化されますが上野〜長野間に短縮され、平成5年(1993年)3月改正で遂に廃止されました。

ここでフィルムが終わっているのでこの日はこのカットが最後だと思います。今にして思えば、朝まで粘って上りの列車群も撮れば良かったのにと思いますが、この時は寒いし腹は減ってるしで早く帰りたかったんでしょう。(^_^;)




この日この場で撮影していたファンは、この年10月のダイヤ改正で長岡運転所のEF58がEF64に置き換えられた後と言う事もあってか数名だったように思います。大晦日から新年にかけてこんなことをやってたのも今となっては懐かしい想い出です。(この十数年後に「熱海初日の出号」の撮影で同じような事をやるとは夢にも思いませんでした。) かつては名古屋や大阪などの大きなターミナル駅では深夜に撮影するファンの姿も多く見られましたが、夜行列車自体が無くなった現在、そんな光景も過去の物になってしまうんでしょうね。(2017.9.1記)


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