所謂、嘘電です。(^^;)
水切りと前面窓がEF58の顔のイメージにいかに大きな影響を与えるかは皆さんご承知の通りです。そこで、「もし、大窓のままHゴム窓になったらどんなだろう…」とふと思い、実際には存在しなかったHゴム大窓機のバリエーションをでっち上げてしまいました。モデルになった53号機には申し訳ないところですが、EF58の前面バリエーションをお楽しみ頂ければ幸いです。例によってサムネイル写真をクリックすると大きなものが表示されます。ちなみに元写真はこれ。上の写真は大窓Hゴム化の途中、水切りを取り去った姿を作ったのでついでに水切り、前面手すり。ステップ無し・側面昇降段原形スタイルにしてみました。青色の直流標準色にこのスタイルは何とも不思議な感じです。
<上写真の嘘解説>
昭和30年代に行われた水切り取付工事の唯一施工漏れとなった同機は、その後、昭和37年に広島区に転属し、前面手すり・前面踏板取付及び側面の昇降段欠取工事が未施工となっていた。その後、昭和44年に宮原区に転属しエアフィルタのビニロック化とパンタグラフのPS15化は行われたが、最後まで原形ワイパー水切り無しの姿を保ち、EF58晩年まで原形大窓機の面影を伝えた。
以下、大窓Hゴムのバリエーションで、例によって画像クリックで大きな物が別画面で表示されます。
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<原形ワイパーにHゴム大窓> |
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原形ワイパーのままHゴム大窓になった姿。実際の小窓Hゴム機ではこの組み合わせは新製時からはHゴム窓を装備していたものに限られ(それもワイパーは腕折り式で取付位置が異なる)、改造Hゴム機では83号機の一時期くらいしか無かったと思われます。写真は単純にHゴム化するのではなく、水切りもHゴム窓用の幅広にしてあります。
<以下嘘解説>
昭和30年代に試験的に前面窓のHゴム支持改造が行われた53号機は、その後の一般的なHゴム改造とは異なり、元の大窓のままHゴム支持化が行われた。その後、宮原区で同区の原形小窓機と白Hゴム窓の更新改造機に混じって晩年まで特異なマスクで活躍した。
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<WP50・WP35ワイパーにHゴム大窓> |
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ワイパーを機関士側WP50、機関助士側WP35にし、その分水切り取付位置が上昇した姿。もし、大窓Hゴム機が一般的だったらこれが最もあり得た姿でしょうか。小窓黒Hゴムの浜松ガマの大窓版…と言った感じです。
<以下嘘解説>
昭和50年代に入り宮原区から浜松区に転属した同機は浜松区唯一の大窓原形機としてファンから絶大な支持をされた。しかし、寄る年波には勝てず、他の浜松区のEF58と同様に前面窓のHゴム支持化とワイパーの交換が行われた。しかし、ファンの人気を考慮して?元の大窓のイメージを残したHゴム大窓となり同区で異彩を放っていた。
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<更新改造で原形ワイパーHゴム大窓> |
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更新改造機でありながらワイパーは原形の姿。Hゴム小窓機で言えば広島の82号機と言ったところ。これも単純にHゴム化するのではなく、水切りもHゴム窓用の幅広にして外蓋式標識燈・FRP製側扉・機関助士側昇降手すりの短縮化を施してあります。
<以下嘘解説>
昭和30年代に試験的に前面窓のHゴム支持改造が行われた53号機は、その後の一般的なHゴム改造とは異なり、元の大窓のままHゴム化された。昭和40年代に鷹取工場で更新改造が行われた際にはHゴム化されていた窓周りには一切手が付けられず、更新改造機でありながらHゴム大窓、原形ワイパーと言う特異なマスクとなった。
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<更新改造でHゴム大窓> |
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純然たる?更新改造機。ワイパーの交換、それに伴う水切りの変更、外蓋式標識燈・FRP製側扉・機関助士側昇降手すりの短縮化を施してあります。黒Hゴムの更新改造暖地形は大窓であっても浜松ガマっぽい雰囲気になりますね。
<以下嘘解説>
昭和40年代に入り宮原区在籍時代に鷹取工場初の更新改造機となった同機は、元の大窓のままHゴム化された唯一のEF58となった。その後、昭和50年代に浜松区に転属。その後の大宮工における全検時にHゴムが白色から黒色に交換されている。
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<原形ワイパーに白Hゴム大窓> |
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原形ワイパーのまま白Hゴム大窓になった姿。実際の小窓Hゴム機ではこの組み合わせはありませんでした。これも単純にHゴム化するのではなく、水切りを幅広にしてあります。
<以下嘘解説>
昭和30年代に試験的に前面窓のHゴム支持改造が行われた53号機は、その後の一般的なHゴム改造とは異なり、元の大窓のままHゴム化された唯一のEF58となった。その後、鷹取工場にて白系のHゴムに交換されたが白Hゴム大窓にワイパーは原形のままと言う独特の表情となっていた。 |
<WP50・WP35ワイパーに白Hゴム大窓> |
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実機では白Hゴムは基本的には鷹取工場でHゴム改造された機の特徴でしたが、同工場では更新改造のみが行われました。その為、この組み合わせは通常の小窓Hゴム機ではありませんでした。
<以下嘘解説>
昭和30年代に試験的に前面窓のHゴム支持改造が行われた53号機は、その後の一般的なHゴム改造とは異なり、元の大窓のままHゴム支持化が行われた。その後、鷹取工場においてHゴムが白色のものに交換された後、浜松区に転属。昭和50年代に大宮工場で他の浜松ガマと同様にワイパーの交換が行われたが、前面窓はそのままの姿だった。 |
<更新改造で原形ワイパー白Hゴム大窓> |
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更新改造機ながらもワイパーが原形の姿。更新改造に原形ワイパーの組み合わせはHゴム小窓機では83号機がありました。
<以下嘘解説>
昭和30年代に試験的に前面窓のHゴム支持改造が行われた53号機は、その後の一般的なHゴム改造とは異なり、元の大窓のままHゴム支持化が行われた。その為、昭和40年代に鷹取工場で更新改造が行われた際にはHゴム化されていた窓周りには一切手が付けられず、単にHゴムを白色のものに交換しただけとなっている。更新改造機でありながら白Hゴム大窓、原形ワイパーと言う特異な表情。
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<更新改造で白Hゴム大窓> |
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白Hゴム大窓機があったとすれば、この組み合わせが一番あり得たかもしれませんね。
<以下嘘解説>
昭和40年代に入り鷹取工場初の更新改造機となった同機は、元の大窓のままHゴム化された唯一のEF58となった。Hゴムには白色系のものが使用され、大窓Hゴムと相まって何とも異様なマスクとなっていた。
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